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2017年6月の記事

2017.06.20

シャンパーニュ・マルゲが一位に!

 シャンパーニュ・マルゲのブノワ・マルゲさんからメールが届き、開けてみると大変におもしろいニュースが書かれていました。それによると、先月ドイツのミュンヘンにあるワインバーGRAPPES主催のシャンパーニュのコンペティションがあったようです。

 とてもユニークな企画で、ミシュラン星付きレストランのトップソムリエ、ワインブロガー、ワインジャーナリストの計16人が、それぞれ最高だと思うワインを一本持参して、全員でブラインドで審査したそうです。

 結果は、マルゲが一位。すごい。確かに2007年のサピアンスは前年よりはるかによい大傑作だと思います。けっこう繊細で静かなワインですから、こういったイベントに向くようなスタイルだとは思いませんが、それでも一位。優れたテイスターが集まったのですね。二位がラヴァルですから、どちらもジェスタン系です。当然でしょうけれど。準々決勝でマルゲ対ラエというのはなかなか。私の好きなブロシェがエントリーされているのにもびっくりです。

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▲マルゲさんから送られてきた審査結果です。



 日本でもこういったコンペティションがあったら楽しいと思いませんか。シャンパーニュを得意とするワインバーやレストランが主催してもいいでしょうし、ワイン雑誌が主催してもいいのではないでしょうか。日本のワイン専門家の方々が何を出品するのか、ものすごく興味がありますし、審査中にどんな議論がなされるのかを拝聴したいものです。

2017.06.17

福岡でのオーストリアワインセミナー

 先週の名古屋に続いて、今回は福岡の中心地、西日本新聞社内にある天神スカイホールでオーストリアワインのセミナーを行いました。

 

 空港から天神に着いたのは正午前でしたので、まずは昼ごはん。天神の裏の路地にある行列のできるカレー店、Tikiに行ってみました。今まで見たすべての飲食店の中でも最も分かりにくい場所にある店です。噂にたがわず素晴らしいお店。雰囲気がよいし、もちろんカレーは見事。はつらつとした力強さがあっても軽やかで、複雑で個性的でも混濁感がなく、胃にはもたれず口中での余韻は大変に長い。福岡に行かれたら是非試してください。


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 福岡でオーストリアワインのお話をさせていただくのは初めてです。どんなマーケットなのですかと聞いてみると、福岡はボルドーの姉妹都市でボルドーがよく売れる、とか。男性はがっつりパワフル赤ワインが好きで、白ワインは女性のほうが支持する、とか。オーストリアワインはまだまだといった感じで、セミナーにご参加の方々の半数は、「まだ扱っていないが興味がある」という答えでした。

 オーストリアワイン、もしくはオーストリアのファンの方々向けですと、オーストリアが文化大国であり、ヨーロッパ史の中でどれほど重要だったのかは自明の前提として話をします。一般の方、特に世界史や美術史やクラシック音楽に興味がない方向けですと、やはり「オーストリア」そのものから話をしたほうがいいと思います。

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 今回、冒頭に私が言ったことは、以下のような内容です。

商品の価値は、実体的な内容の価値と、それを取り巻く、ないしその前提となる象徴的な価値の合体である。ワインの経済的な効用は、味からのみ生じるものではなく、どれだけいい文化的イメージをその国に持っているかによっても決まる。ワインに多大な価値を与えることができる国の代表はフランスである。イタリアもそうだ。ではルーマニアは?スロヴァキアは?日本ではそれらの国に、ワインの価値を増大するようなポジティブな文化的イメージはない。オーストリアは、日本人が「よい文化的イメージ」を明確に持っている数少ないヨーロッパの国のひとつだ。

参加者のおひとりは、オーストリアワインをなぜ売るのかという問いに、「音楽好きな方へのプレゼントを探している方向けに」と答えました。それだけでは極めて小さな需要ですが、そのような答えができる国は数少ないのは事実です。それだけオーストリア=音楽の国というイメージ、文化的大国としてのイメージが確固としてあるということです。それを積極的強み、訴求点としていかねばなりません。名古屋でのセミナーでも言いましたが、酸があるとか、すっきりしている、とかの、ワインの実体的内容だけを求めるなら、別にオーストリアでなくとも、世の中に選択肢は有り余っているのです。

 

今回ご参加の方々に質問してみると、やはり皆さんのあいだにも、オーストリア=酸&すっきりの冷涼味=グリューナー・ヴェルトリーナーの等号が形成されているようです。果たしてその等号は正しいかが問われねばなりません。答えから言うなら、その等号が正しい場合もあれば、そうではない場合もある、ということです。

グリューナーは決して酸が高くて硬質なミネラルのある品種ではありません。オーストリア品種全体から見ると、それはロートギプフラーやノイブルガーと並ぶソフト型フルーティ型粘り型品種であって、他国の品種に譬えるならヴェルメンティーノやヴィオニエ的であり、リースリング、アルバリーニョ、フルミント、ヴェルディッキオ的ではありません。

高価格ワイン=高格付けワイン=より典型的なワイン=よりおいしいワインといったフランスワイン的認識を踏襲してしまうと、グリューナーでもエアステ・ラーゲのリザーブタイプのワインが「らしい」のだろうと思って飲んでみます。しかしそれらのワインの味は、リッチで酸が低く、予想しているものとは異なるはずです。

ですから、この等号をアレンジしていく必要があります。方法としては、

1、酸やミネラル感を求めるなら、ツィアファンドラーやウェルシュリースリングにも目を向ける。

2、オーストリアは酸があるものもあればないものもあると考える。

3、グリューナーならば、涼しい産地、涼しい畑を選ぶ。

4、造りとして、クラシックタイプのグリューナーを選ぶ。

 現実的に、オーストリア=グリューナーという認識があるのは、何もないよりいいとみなすなら、そしてグリューナーを積極的に訴求していこうと思うなら、3、4の方法をとるべきでしょう。例えば今回お出ししたグリューナーは安価なものです。土壌はレスです。日当たりのよい南向き斜面ではありません。それが「らしい」グリューナーを選ぶコツです。斜面信仰、岩(つまり片麻岩、花崗岩、片岩、石灰岩等々)信仰、格付け信仰は、フランスワインにとっては正しいアプローチであっても、オーストリアワインにとっては正しいとは限りません。

 もうひとつ気づいたのは、「オーストリアの銘醸地=ヴァッハウ、オーストリアの代表品種=グリューナー・ヴェルトリーナー、ゆえに、オーストリアの典型的なワイン=ヴァッハウのグリューナー・ヴェルトリーナー」と考える人の多いことです。これを読まれている方ならご存知のとおり、ヴァッハウの片麻岩の斜面は基本的にリースリングの畑であって、グリューナーの大半はドナウ川沿いの比較的平地の、ローム質の畑にあります。ヴァッハウの名声は何よりリースリングによって得られたものであり、実際にそのリースリングは素晴らしいものでしょう。しかしグリューナーは、その立地からして、必ずしもヴァッハウに期待するキャラクターが得られるわけではありません。この等式と、「岩の南向き斜面=よいワイン、高価なワイン=よいワイン、高格付けワイン=よいワイン、リザーブタイプ=よいワイン」という等式の連立方程式から得られるワインの味わいはどういうものかはお分かりになるでしょう。それがおいしいかまずいかと言っているのではありません。それが「酸の高いすっきりした味のワイン」という一般的な期待とは逆になる、ゆえに顧客不満足の原因になりうる、と言っているのです。とにかくワインの知識が固有名詞の暗記と同列になってしまっている状況下では、固有名詞を適当に組み合わせたストーリーが勝手に生まれてしまいがちです。勉強するならとことん追求し、そうでないなら、頭ではなく舌で飲んで判断する、というのが迷路に入らずに済む道だと思います。

 

 

2017.06.14

ニュージーランドワイン試飲会

 大盛況。ニュージーランドワインの絶大な人気に感心しました。

 

ニュージーランドワインの大きな美点は、補酸しないことです。あるニュージーランドの生産者に、「ニュージーランドでは補酸するのですか」と聞いたら、「知る限り皆していない」。「それはオーストラリアと比べて優位点ですね。オーストラリアは補酸が大半ですから」。「へえー、そうなんだ、知らなかった」。意識することなく補酸しないで済むというのはいい話です。西オーストラリアで「へえー、よそでは接ぎ木するんだ」と言っていた人も、うらやましいな、と思いましたが。新世界ワインで補酸していないほうが少数派でしょうから、新世界ワインが好きで酸の質にこだわるならあまりチョイスがないのは事実です。オーストラリアやカリフォルニアの多くの産地もニュージーランドを見習って補酸しないでほしいです。自然な低い酸のほうが不自然な高い酸より百倍いい。

 

ニュージーランドの自然な酸のフレッシュ感、果実味のクリーンさ、香りの直線的な伸びやかさ、タンニンの緊密さは素晴らしいものです。適度なエッジ感がもたらすアルデンテの蒸し野菜的なリズムの刻み方もきびきびしていいですね。ニュージーランドも広いので十把一絡げの単純化は危険だとはいえ、試飲会で相当数のワインを飲んでの共通分母としてのそのような感想をもちました。それは以前と変わることがありません。

 

今回の試飲会で全体に印象がよかった品種は、シラーです。ニュージーランドも温暖化しているようです。南オーストラリアではシラーズよりグルナッシュのほうがいいのではないかと思うことがままありますが、ニュージーランドでも今までの冷涼系品種よりもシラーのほうに向く産地が増えてきたのでしょう。さらにシラーの場合、品種のノリと自然の要因が合っている感覚があります。


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とはいえ、私個人はニュージーランドワインをそれほど積極的に探究したいと思ったことがないのです。いくつかの大傑作を飲んだことはあるとはいえ、偶然このような会を知って参加する以外にはテイスティングする機会がほとんどないので、本当のすごさを知らないだけなのでしょう。試飲会の前にはセミナーがあったようですが、私は例によってご案内をいただいていないので、勉強する機会が限られます(弁解にはなりませんが。しかし全世界全産地をある程度理解できるようになるために何十回も行って自分で勉強するには何百年もかかってしまいます。他に何もしないとしても、です。ワインの勉強は大変です)。そもそもニュージーランドに行ったことがない日本で唯一のワインジャーナリストだと思いますし、実際に訪問してみると考えが変わったりするのは普通のことです。

 

それでも現時点での私の感想は、客観的には評価できても感覚的にはのめりこめない、です。会場でワインジャーナリストの方が私にどう思うか聞いてきたので、「イヤラシさ、ヤバさがなくてねえ。僕はいい子じゃないから、こういう優等生とはノリが合わないんだよな」と言いました。確かに客観的に見れば完成度が高い。技術力は否定しようもない。もちろんまずいわけでもない。

 

 しかしそれでもどこか醒めている。ワインとの距離感が縮まらない。もどかしい。感情的な移入ができない、写真の中の、見知らぬ美男美女のモデル。

 

どうしてそう思うのか、もう少し考えてみると、以下のような理由を挙げられます。特にピノ・ノワールに該当することです。

 

1、表層性。口当たりのよいかっこよさ。しかしその背後に何があるのかがわからない。

 

2、平面性。つまり味わいの立体感の欠如。味わいの広がりが平面的で、多くの場合重心が上で水平的で、前後がない。これは客観的にそうです。自分にとっては大問題です。特に下方垂直性の欠如が気になってしかたありません。ニュージーランドでは自根がほとんどないので、なおかつ灌漑が多いので、この点に関しては不利だとはいえ。

 

3、単純性。決定的にダークサイドが欠けた味。なんだこりゃ、とか、うーむ、とか、なんと言ったらいいかわからないがなんかすごい、といった言葉が出てこない。ヘン、とか、狂ってる、とかの、ただの絵と芸術作品のあいだに横たわる何ものかがない。

 

4、要素分解性。ひとつひとつの要素は素晴らしいのですが、1プラス1が2でしかない。まるで、よくあるテイスティング評価指標のひとつひとつの点数をしっかり上げていって作ったみたいな、よくできたエンジニアリング。

 

5、実体性。実体的な味の部分はしっかりしているのですが、なんともいいがたい気配感(それが妄想をかきたてる大きな要因なはず)といったものがなく、よって、味の部分と味ではない部分のあいだに明確な境界線が引かれてしまう。

 

6、小ささ。これも客観的にそうです。味が小さいから、ワインに包まれている感覚よりも、ワインを見つめて分析する意識が上回る。

 

 

 

一般的なテイスティングメソッドに従って、酸やタンニンや黒スグリの香りと言うなら、ニュージーランドはどれも優れたワインです。ワインコンテストでも、欠陥が少ないためにおしなべて高得点を獲得できます。確実な銀賞ワイン、という印象です。だから私の意見と世界じゅうの大多数の人の意見の差異の原因は、ワインに何を期待するかという思想と、ワインをどう把握しどう表現しどう評価するかというテイスティング方法に由来する部分も大なのかとは思います。

 

だいたい世界中ニュージーランド賛美の嵐だと、あまのじゃくな私としては違うことが言いたくなってしまいます。たまには違うことを言う人も、ワイン全体主義を防ぐためには必要かと。人が白と言っている時に自分も白と言っていれば一応その場は丸くおさまりますし、敵も作らないでしょう。しかしそのふたりのあいだに本当の関係が成立するか。自分にとってそれが黒く見えるなら、黒と言わないといけない。趣味の対象なのですから、個人主観性の徹底は基本です。そのあとなぜそう思うのかを議論し、相互に理解しなければいけない。ワインはまたコミュニケーション手段ですから。

 

ワインに対する意見・感想は、価値判断と切り離せないもの。ひとりひとりの立ち位置を明確にして、これはこうこうの理由でいい、これはこうこうの理由でよくない、と表現しなければ、発言者の意図や思想と言表のあいだの連関が不明瞭になってしまいます。「95点取ったからいいワイン」みたいなワイン理解では意味がありません。しかし、あるワインに対して喧々諤々の議論をしているのを日本では見聞きしたことがない。それができない理由はふたつ考えられます。ひとつは、喧々諤々の議論をするほどの意見もなければ愛情もない。もうひとつは、真実の探求より「政治」が上回る。しかしそれでは最高の趣味としてのワインという前提的了解とは矛盾する。これはニュージーランドとは直接関係ない話で、一般論ですけれど。

 

ああ、そうだ、余談ですが、来年はオーストリアワイン大使コンテストがあります。コンテストの最後に口頭試問があります。そこで問うべきは、まさに「喧々諤々の議論をするほどの意見と愛情」ですね。アイデアを出して再来週ウィーンでオーストリア側に提案してみましょう。

 

2017.06.13

ドイツ、ラインヘッセン、フックス醸造所

 ラインヘッセンで1626年から続く老舗ワイナリー、フックス醸造所の当主ハンス=ヤコブ・フックスさんが輸入元探しに来日。二年前のフーデックスで出会った縁で、ドイツ農業省主催の商談会に顔を出してきました。



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 彼は何度も来日しているのですが、あるレストランにごく少量輸出している以外に日本では売り先が見つけられていません。

「試飲会で日本人に飲ませると、みな口を揃えて『おいしい、おいしい、これは好き』と言うのだけれど、それから誰もコンタクトしてきたことがない」。

 ・・・自分からもメールしてみたのですか。

「してみたけれど、返信もない。日本は不思議だ」。

 ・・・日本人はその場では相手を喜ばそうとして相手が期待していることを言うものですよ。それは日本語の特性でもあります。だから言葉の裏にある気配を読み取らないといけない。そのことに戸惑うのはあなただけではないですよ。

「どうすればいいのだろう」。

 ・・・日本人の多くが求めるドイツワインはリースリングですよね。そしてリースリングとは堅牢で硬質なワインだと思っている。ないしは甘口か。ラインヘッセンは、特にあなたのエリア(ヴォルムスの西10キロ弱)は、リースリングの産地でもなければ、堅牢で硬質な味わいの産地でも、甘口の産地でもない。安ければいいかもしれないが。

「うちはそういう廉価大量生産ワインの作り手ではない」。

 ・・・ポジション的にはミドルクラスでしょう。ドイツの普通のワイン好きな消費者が支持する品ぞろえだと思いますし、価格ですし、味わいだと思うのですが、日本では確かに売れにくいとは思います。

「ある有名ドイツワイン輸入元に売り込みに行ったが門前払い」。

 ・・・VDPとか、売り文句があるといいのでしょうけれどね。私個人はVDP信仰など一切ありませんがね。そもそもそちらは大変な老舗なのだし、VDPメンバーにだってなれるでしょうに。

VDPは生産の8割がリースリングがシルヴァーナーかシュペートブルグンダーでなければいけないという」。

 ・・・ああ、いかにもVDP。そりゃVDPが間違っていますよ。ラインヘッセンはそういう産地ではない。いろいろな品種があってどれもいい、というのが特徴なのに。彼らのリースリング至上主義はモーゼルやラインガウでは成功しても、ラインヘッセンやファルツではおかしな話になる。

「その通りだ。ピノ・ブランとかムスカテラーとかシャルドネとか、どれもいい。そしてラインヘッセンはチャーミングな果実味が魅力の、明るい性格の楽しいワインだ」。

 ・・・そこがまた理解されにくいところなんですよね。私もドイツワインの大きな魅力はクリーンでクリアーでチャーミングな果実味だと思っていますし、大変にフードフレンドリーなワインなのですが、前にも言ったように、日本ではドイツワインをそのようにとらえる人は少ない。プロでさえ、です。ドイツは広いのだし、ひとつのスタイルや味わいのワインだけがあるのではなく、多様性が楽しいのですがね。しかしそれをプライベートなひとつの企業で伝えていくのは無理です。あなたのワインのよさを理解するには、その前に消費者のドイツワイン観を複眼化しないといけないし、そのためには教育が必要だし、それには公的機関の助けが必要です。また、ラインヘッセンの生産者全体として独自の魅力を訴求していかないと。それは大変ですよ。なぜならチャーミングでフルーティで楽しいワインを求めるなら、普通消費者はドイツではなく新世界産地に目を向けてしまうでしょうし、そういうワインは競合が激しいでしょうから。

「ドイツワイン、という大きな傘の下ではだめなのか」。

 ・・・ドイツワインと個々の企業のあいだに、ラインヘッセンという別個のカテゴリーが必要なんです。ドイツワインそのもののイメージが一元的である以上は、ラインヘッセンのワインを飲んでも、期待している味ではない、という結論にしかならない。現状のイメージはモーゼル、ラインガウ、ナーエ等にはプラスだとしてもラインヘッセンにはマイナスです。だから国に帰ったらDWIに相談して、ラインヘッセンをテーマにしたプロモーションを提案してみてください。それで利益を得るのはラインヘッセンのみんなですから。


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 フックスさんのワインのよさを、逆説的諧謔的に言うなら、なんのへんてつもないところ、です。目立つ特徴がないワイン。完全な地元消費用の味です。汎用性の高い、商店街の豆腐屋の木綿豆腐みたいものです。どこぞの特別な大豆を使った、とか、特殊な製法だ、とか、古来の伝統を再現した、とか、パッケージングがかっこいい、とか、ではない。ならばそういう普通の木綿豆腐は間違った商品なのかといえば、もちろんそうではなく、世の中の役にたっている。豆腐に限らず、横丁にあるいろいろな食べ物、例えば蕎麦屋のカレー南蛮とか、肉屋のコロッケとか、中華料理店の普通の焼き餃子みたいなものがなくなったら、やはりそれはへんな社会です。

 問題は、そういうワインを海外で売らねばならないことです。

「以前は地元の常連客がひとり60本づつ買っていってくれた。しかしそういう世代は70歳代になってしまった。30代、40代の消費者は6本、いや3,4本しか買ってくれない。ならば外で新しい顧客を探すしかない。だから現在では輸出比率が50%」。

 スタイルや味を変えて輸出向けにするのがいいのか。それとも規模を縮小するのか。それとも今のスタイルや味のよさを伝えていくのか。

 いや、これはドイツワインだけの話ではないです。ミシュラン系寿司屋か回転寿司だけになってしまって町場の普通の寿司屋がなくなっていく状況。でも私は、そういうSNS映えしない、話題にもならず記事にしようもないような普通の食のありがたみや美しさが好きなのです。そういうワインがなくなったら、この世はシュミラークルで覆いつくされてしまうではありませんか。

 

2017.06.10

ジェラール・ベルトランの新プロジェクト、「生物的多様性センター」

 ジェラール・ベルトランのもうひとつの新プロジェクトが、「生物的多様性センター」。すでにラ・クラープの近くの広大な平地で計画が進行中です。そこはもともと別の有名ワイナリーがあったところで、今でも巨大な醸造所が残っています。

 本当に巨大な土地で、中に入ると、森があり、ブドウ畑があり、野菜畑があり、鳥がさえずり、と、これから「生物的多様性」を実現するのにぴったりです。

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 そこで彼が何をしたいかといえば、

1、ラングドックのワインツーリズムのための観光スポット

ナルボンヌはラングドックの中心都市のひとつですし、ラ・クラープは独自の自然環境とビーチで有名なそれなりの観光地ですし、敷地は幹線道路に面していますから、場所としては適切です。そこで生物的多様性の重要性とビオディナミを実際に体験してもらいます。敷地内で栽培・飼育された食材を使ったレストランで料理とワインを楽しんでもらいます。

2、ジェラール・ベルトランのネゴシアン部門のワイナリー

既に醸造所はありますから、それを修繕すれば使えます。現在ネゴシアン部門のワイナリーはあちこちに点在しており、生産効率的にも物流的にも集中したいところです。瓶の倉庫、出荷用基地の役割も担うことができます。

3、ビオディナミ学校

ワイン醸造家やワインにかかわるいろいろな人たちに、ビオディナミについて教える学校を作ります。写真の、奥に見える建物(相当広いです)がその場所となる予定です。

4、この土地のドメーヌワインのワイナリー

ビオディナミ学校やレストランでは利益がまったく出ませんから、ここで実際にワインを生産する必要があります。

 壮大な計画です。今はまだ荒地、廃墟、そして地元農家に貸し出している畑があるだけですから、すべてを完成するためには巨額な資金と長い時間が必要です。それでもこの計画が実現できたらどんなに素晴らしいかと思います。ラングドックのためになりますし、ビオディナミを世の中に広める役に立ちます。そのことに関して、彼は本当に真剣なのです。

 

 1、2、3に対しては私が言うことはありませんが、4に関してはいろいろと議論しました。

 畑の予定地を回ってみると、基本的には砂質です。この地はAOPが取得できませんが、道の向こうからラ・クラープAOPですから、共通する白亜紀の灰色の硬質な石灰岩の礫が土壌に混じっています。

 そこで何を植えるべきか。もちろんこのような土では上質な赤ワインは造れませんから、「白ワインは確定だ」と言うと、「そりゃそうだ。私はシャルドネがいいと思う」と。シャルドネの需要は我々の想像以上に大きいそうです。確かにペイドックIGPのシャルドネは日本でもよく見かけます。ビオディナミのそこそこの値段のシャルドネなら売れるはず、だというのです。

 私は猛反対しました。その理由は以下のとおりです。

1、単一品種のブドウでは生物学的多様性のテーマと矛盾する。

2、ラングドックワインを観光客に理解してもらう目的のためのワインが非ラングドック品種のシャルドネでは筋が通らない。

3、砂質土壌ではろくなシャルドネができない。ストラクチャー、ボディ感が出ない。

4、この地は降水量が少なく、かつ砂質土壌なら、灌漑が必要となる。自然重視の姿勢と矛盾するし、そもそも灌漑のシャルドネなどおいしくない。

 私が植えるべきと言ったのは、もちろんクレーレット、ヴェルメンティーノ、ブールブーラン、ピクプール、マカブー、グルナッシュ・ブラン&グリ、ミュスカ、あと実験的にチャレッロです。ここは地中海品種でなければおかしい。それでスティルワインとスパークリングワインを造り、たぶんそのほかにサンソーとクレーレット・ロゼとピクプール・ノワールとミュスカ・ノワールを植えてロゼのスティルワインとロゼのスパークリングワインを造る。複数品種でなければ平地の畑からは垂直性のある味はできません。彼と私は垂直性を求めているので、それが得られないような植栽をしてはいけません。

 しかしそういう地中海品種ワインは市場が小さいそうです。なんといっても数十ヘクタールの畑ですから、相当な生産量になります。売り切る自信はない、と。困りましたね。なぜそんなに地中海品種ワインのよさが理解されないのでしょう。特に白に関しては、品種の名前さえ一般には知られていません。私程度の知識でさえ、ラ・クラープ周辺の砂地なら、私が挙げた品種しかありえないことぐらい常識の範疇だとわかります。ならばそういうワインを買えばいいではありませんか。しかし国際メジャー品種名でワインを選ぶくせがついてしまっている現代では、得をするのは旧大英帝国系産地が多くなります。ああ、情けない。

 「ソーヴィニヨン・ブランはどうか」と言うので、「シャルドネより百倍まし」と答えました。垂直性がずっと出やすいですし、砂地にはシャルドネより合いますし、地中海品種とブレンドしてもへんな結果にならないことは、カシーの例で実証されています。国際メジャー品種でなければ売れないというなら、まあ、落としどころとしては、三分の一が私の挙げた品種、三分の一がソーヴィニヨン・ブラン、そして残り三分の一が、純粋に利益確保を目的としてシャルドネでいいのではないでしょうか。シャルドネにブールブーランやピクプールを10%程度ブレンドして、シャルドネという名前をラベルに表記しつつ、味わいにすっきり感を出してもいいですしね。

 いずれにせよ、高級ワインができる土地ではありません。質で売ろうとしても無理です。しかしここはコンセプトを売るところです。コンセプトはいい加減な妥協をしていたら伝わりません。筋を通すことが何より大事です。

 なかなかおもしろい議論でしたし、自分の勉強になりました。あと十年後か二十年後か分かりませんが、私が元気なうちに学校ができたら、私も何か講義してみたいものです。こういったベルトランさんとの一連の議論からわかるとおり、南仏はまだまだ未開の産地なのです。皆さんの応援が必要です。

カパフォンス・オソ醸造所

 プリオラートの端にあるファルセット町の畑は、一部プリオラート、一部モンサンのアペラシオンです。この地で五代続く老舗カパフォンス・オソを訪れ、当主フランチェスコ・カパフォンスさんにテロワールや栽培についていろいろと教えていただきました。

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▲手前がモンサンの畑。山にあるのがプリオラートの畑。

 ファルセットの町に続く平地部分がモンサンです。モンサンの土壌は石灰岩、砂利、粘土といろいろあるようです。カパフォンスさん曰く、「すべては花崗岩の上にあり、基本は花崗岩が風化した砂。モンサンの地質年代はカタルーニャで最も古い」とのことです。実際彼のモンサンのワイナリー、マシア・エスプラネスの前にある畑を見ると、まるでビーチのような砂です。表土だけ見ると灌漑が必要だと思いますが、花崗岩が風化していれば下には粘土があるはずで、ここでも無灌漑。以前からモンサンといえばふっくらフルーティな味だと思っていました。花崗岩だと聞いて納得です。そして平地なのですから、プリオラートとは対照的。ワインの味の形も、垂直的なプリオラートに対してモンサンは水平的ですし、流速もプリオラートが早くてモンサンは遅い。品種的には類似点が多いにしても、とても隣どうしのアペラシオンとは思えません。

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▲モンサンの表土。風化した花崗岩。

 モンサンはプリオラートと比べて半分以下の値段です。カパフォンス・オソでも、マシア・エスプラネスが17.99ユーロなのに対して、プリオラートのマス・デ・マソスが39.99ユーロ。ちろん急斜面のプリオラートは収量が低く(樹の大きさが相当違います)、栽培も大変ですから、プリオラートが法外な値付けをしているという批判もあるとはいえ、実際に畑を見れば倍の値段はしかたないと思います。

ではモンサンの質が半分かといえばそうではありません。ようは、何を求めるか、です。ワインにやさしさを求めるのか、厳しさを求めるのか。いわばプリオラートが基本的には修道院的な観賞用ワインだとすれば、モンサンはもっと使いやすく親しみやすいワイン。最近皆が注目しているのも分かります。多くの飲食店で料理との相性が見出しやすいのは、モンサンです。

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▲地層が露出している崖に車を停めて熱弁をふるうフランチェスコさん。

 

モンサンのエリアからプリオラート方向に行くと、家々の石垣が急に変わります。モンサンでは建築用石材は花崗岩。プリオラートに入ると片岩です。家を建てる時に掘り出した石で石垣を作っているのでしょう。

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▲プリオラートを特徴づけるリコレージャ。

プリオラートの地層が露出しているいろいろな箇所に連れていっていただきました。ひとくちにリコレージャと言っても、比較的柔らかい粘板岩もあれば、硬質な雲母片岩もありますし、珪岩もあります。掘り出してみると、石と石のあいだには粘土があります。「これがブドウに水分とミネラルを与えている」と言います。



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▲外から来た投資家がこうしてテラスを作ってもともとの土壌を破壊してしまう、とカパフォンスさんは憤る。


カパフォンスさんは急斜面にテラスを作ることに反対です。以前にニン・オルティスでも聞いたこととおり、やはり「伝統的には急斜面にそのまま植栽した」そうです。テラスを作ると「土壌を破壊し、ブドウの生育に必要な有機物が取り除かれて、段々畑のエッジの部分に集まってしまう。ブドウが植わっている部分には石だけで何もない」。

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▲カパフォンスさんが描いた、テラスに植えた樹(左)と、斜面そのままに植えた樹(右)の違い。


「急斜面にはブドウを斜めに植えていき、畝を斜めにするのが伝統」だとも聞きました。水が斜面上から下まで直線的に流れ落ちませんから土壌流出も防げるでしょうし、雨がそんなに多くない土地ですから水をためやすいでしょうし、また、「斜めにしなければ耕作用のロバが斜面を登っていけない」。確かに垂直方向では急すぎて人もロバも登れませんし、水平方向に進みたくとも横に傾いてしまってロバは立っていられません。トラクター耕作や除草剤使用を前提とした畝づくりに慣れてしまっているから、方向が縦か横しかないと思ってしまうので、よくよく考えてみればこの斜め植えは理にかなっています。

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▲斜面に対して斜めに畝が作られているのがわかる。


 畑を遠くから見ると、樹勢が強いところも弱いところもあります。森の下や大木の横は樹勢が弱かったり枯れたりしています。「地下に木の根が張っていてブドウに十分な水がいかない」そうです。といっても「森林は保護されているから、邪魔だからといって勝手に切り倒すことはできない」。こうして観察していると、“生命”を感じることができますね。

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▲同じ品種、同じ斜面といえども樹勢は株によってずいぶん違うもの。

認証はないとはいえ栽培は実質オーガニックですから、ワインの味は素直です。老舗ならではのこなれた安心感もあります。しかしカベルネ・ソーヴィニヨンやメルロやシラーといったフランス品種の影響が大きすぎます。それはモンサンでもプリオラートでも同じです。何度も言っているとおり、ワインが熟成してもカベルネ・ソーヴィニヨンは特にそのままの味がずっと残り、時間を経るほどむしろ違和感が出てきます。30%も入れてはいけません。

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▲テイスティングしたワインの数々。

昔はカベルネをほとんど入れていなかったようです。その時代のワインを飲むと、きれいに熟成していて、すっきりとした抜けのよさがあります。当人もそれはわかっています。しかし私以外のいろいろな人が今までテイスティングして、誰もフランス品種の害について指摘しなかったらしい。考えられません。その程度のテイスティング能力だと言っているのではない。問題点がわかっていてもその場では社交辞令的コメントだけ言って場をとりもつ態度は、本当にプリオラートやモンサンが好きな人の態度なのか、そこに本当のワイン愛があるのか。カパフォンス・オソの問題は、素晴らしい栽培をしていながら、国際市場の顔色を窺ったワイン醸造がせっかくのテロワールのポテンシャルと自然の美しさと人のよさを減じている、ということです。つまり、あれこれ余計なことを考えずに伝統を守り、自分の味覚に素直になれば、ずっとよいワインになる。ですから私はフランチェスコさんに、「カベルネを入れてアングロサクソン市場でのウケを狙う時代はとうに終わった。早く方向性を切りかえてガルナッチャ、ガルナッチャ・ペルーダ、カリニェナのブレンドにしてください。とはいえ今までの顧客もいるから、それを次の新商品としてください」と言いました。

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▲上がガルナッチャ・ペルーダ。葉の裏に毛が生えている。下はガルナッチャの葉の裏。



 その点では、フランス品種ワインと割り切った
CSMVessantsSy&CSRoigencのほうがずっと完成度が高いと思います。特に前者は亜硫酸無添加で、モンサンのふっくらした広がり感がよく表現されています。しかし亜硫酸無添加だとは積極的に謳っていません。最近では亜硫酸無添加じたいが目的となっているようなワイン生産とワイン消費が目立ちますが、入れる必要がない場合は入れない、それだけであってあえてそれを売り文句にしない、といった姿勢のほうが正しいと思います。

 

ジェラール・ベルトランの新しいエステート

 ラングドックのビオディナミ生産者ジェラール・ベルトランがCabrieresの地に新しく二つのエステート、Domaine du TempleとChateau des Deux Rocsを購入し、ワイン生産を始めました。
 彼に「この地で何をやるか、どこにワイナリーを建設するか、意見を聞かせてほしいので一緒に見に行こう」と言われ、Cabrieresを訪れました。

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▲Chateau des Deux Rocsからの眺め。クリュ・アペラシオンになるというのに、まだほとんど開墾されていない土地が延々と続く。



 ここは標高が高く、冷涼なので、フルボディの赤ワインを造るとどうしても味が瘦せてしまいますし、色は薄めですし、特にカリニャンはうまく成熟せず、青臭くなりがちです。実際、前のオーナーの時代の2015年の赤をテイスティングすると、うーむ困ったな、と思ってしまいます。しかし酸がしっかりしているので、ロゼを造るにはとてもよさそうです。実際前オーナーのロゼのほうは、もうすでに酸化してしまったとはいえ、姿形が整っており、よいテロワールを伝える力があり、確かに赤よりポテンシャルがあると感じられました。
 ですからこの地ではロゼに特化するというのが共通見解です。しかしどのように造ろうと、Cabrieresはタイトな構造をもつ通向けのワインになるはずです。「今までの、ボリューム感のあるロゼを支持してきた顧客にはどこまで理解されるかは疑問だ」とは言いました。土壌はシストです。見た目はサン・シニャンの標高の高い箇所、ベルルーに似ています。個人的にはサン・シニャン・ベルルーは大好きです。

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▲古木の区画は黒ブドウと白ブドウの混植。これはスペシャル・キュヴェにぴったり!



 私はいつものように、「ロゼは黒ブドウと白ブドウを混醸せねばならない」と。品種としては、グルナッシュ、サンソー、カリニャン(入れすぎると野卑になります)、シラー、クレーレット、ヴェルメンティーノ、ミュスカ・ノワールというのが私のイメージですが、ようするにパレットのロゼをサン・シニャンで造る、みたいなイメージですが、クレーレット、サンソー、ミュスカ・ノワールは畑にありません。ヴィオニエは畑に植えられていますが、個人的にはヴィオニエをロゼに入れるともったりした質感になるので好きではありません。しかしこれから植栽して樹齢が高まって美味しくなるころには、ベルトランさんも私もこの世にいないでしょう。ワイン造りは大変ですね。
 スタイル的には、普通の(つまり直接圧搾法かごく短時間のマセラシオン)のロゼと、6時間程度のマセラシオンを行うタヴェル・ロゼ的ロゼ(つまりクレーレ、ないしチェラズオーロ的)の二つを造るというアイデアを話していました。

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▲これはスペインの色の濃いロゼ。半分樽、半分ステンレス。私がスペインから持ち帰ってきて、「こういう味がいいのだ」と言った。アルコール15・5パーセントだが、ジェラールも「アルコールっぽくない」と。「ブドウが熟していてバランスがとれていればアルコール度数を超える味わいの濃さがある。とにかくロゼだろうがなんだろうが、完熟ブドウが基本」。





 ロゼ主力のエステートらしい個性が主張できるというがひとつの理由です。また、フランスにおいてはタヴェルとボルドー・クレーレ以外色の濃いロゼは実質的に滅んでしまっていますが、色の濃いロゼこそが地中海文明何千年の伝統であり(ポンペイの醸造所の遺跡を見ても、造られるワインはそうだったはずです)、それを打ち出すことは地中海ワイン文化の擁護者というアイデンティティを強化することになり、コーポレート・イメージ的にもプラスになります。しかし本当の理由は、私はワインらしい味のロゼにはマセラシオンが必要だと思うからです。当然ながら果皮にも種にもおいしさのもとは含まれているのです。ビオディナミで栽培することは確定なのですから、果皮や種がいやな渋みをもたらすものと考えるべきではなく、より多くのエネルギーや情報を与えるものとみなすべきです。直接圧搾法ロゼ絶対というに近い現状が間違っています。
 白と赤のあいだには、オレンジワイン、ブラン・ド・ノワール、色の薄いロゼ、チェラズオーロ(色の薄い赤というか色の濃いロゼというか)のグラデーションがあります。それらはまだ開拓されつくされていない領域であり、競争も少ない。もちろん市場が小さいから商品がないのだとも言えますが、それらのスタイルのワインの魅力が消費者に十分に伝えられていないからだとも言えます。
 ガストロノミー的視点からも、チェラズオーロの有用性はあります。赤果実フレーバーは必要でも大量のタンニンが必要ではないケースは、近年の軽やかな料理を考えるなら、実は多くあるのではないでしょうか。往々にしてワインのほうが料理より強くなりがちな現在、まともに料理とワインの相性を深化させるために必要なワインは、チェラズオーロタイプです。MLFもOKでしょうし、樽発酵・樽熟成も必要です。
 といったことを、何時間もかけてジェラールに話していました。「君は私を説得しようとしているのだな」と言うので、「当然だ。私は南仏ワイン文化のために正しいことを言っている」。おいしいワインを造るのは、彼にとっては(というか現代の生産者にとっては)そんなに難しいことではないはずです。売りやすいワインは何かという情報はセールスサイドからいくらでもあがってくるでしょう。市場で売れているタイプの情報もすぐに得られます。しかし技術的側面と市場的側面からのみ商品設計がなされては、おいしいけれども何かが足りない、というワインになってしまいます。思想的、テロワール表現的等々他の側面から見たときの「正しさ」も議論されねばなりません。その前に植樹したり醸造所設計したりしては順序が逆です。


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▲最初ジェラールが考えていた醸造所の位置から下を見る。確かに家としては眺めがいいが、目的が違うと思う。

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▲こちらが最終的に探しだした場所。今は木々でうっそうとしているが、目の前の林を切れば、向こう側にある山の気と背後にある畑の気を受けることができるはず。





 醸造所の場所ですが、当初彼は畑が見渡せる高台を考えていました。しかし私は反対。「山のエネルギーがブドウ畑を通って下りてくる低地でなければならない。ブドウがワインになるとは生命がいったん墓に入るということだ。なぜワインがキリスト教で重要なのか。それは死と復活と永遠の生命のメッセージだからだ。よって醸造所は下降エネルギーの場所に建てる。高台はワインをテイスティングする場所だ。飲む時には上昇エネルギーを感じる場所がいい。だからゲストハウスやテイスティングルームは山の上に建てる」。プリオラートのスカラ・デイ修道院の写真を見れば、私の言わんとしていることはわかるはずです。クーレ・ド・セランの修道院跡(つまり中世のセラーの場所)も、畑の下のくぼ地にあります。ちなみにテイスティングルームになるだろう場所は、中世の教会跡です。とても明るい気が満ちています。醸造は修道院、飲むのは教会、です。両者は別物です。内向性と外向性です。

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▲中世に建てられた教会跡。元の形を復元した上でテイスティングルームやゲストハウスになる予定。それはずっとずっと先の計画です。まずはワインを造らないと。



 とはいえ私が醸造所にベストだと思った場所は十分なスペースがなく、小屋しか建ちません。所有地の中でやりくりするしかないので、あちこち探し、斜面下の場所を見つけました。エネルギー的な流れだけではなく、ワイン醸造上必要となる重力システムの観点からも、よい場所だと思います。
 ちなみにCabrieresはすでにクリュ昇格の申請をしており、そんなに遠くないうちにクリュとして認められるそうです。これでまた覚える名前が増えました。アペラシオンのホームページを見ると、生産者は6軒しかありません。そのうちふたつをベルトランが買ったので、5軒のみ。ずいぶんマイナーなクリュですが、これから注目されるでしょう。


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▲シャトー・ラ・ソーヴァジョンヌの大変に硬いシスト。栽培はビオディナミです。雑草がないのは、除草剤を撒いているからではなく、草も生えないような土地だから。


 そのあと、テラス・デュ・ラルザックのエステート、シャトー・ラ・ソーヴァジョンヌに。現時点ではこのロゼがベルトランのロゼ・ラインナップの上では一番だと思いますし、実際2015年ヴィンテージは某ワイン雑誌で年間第二位になったそうです。しかし「商品数が多すぎてエステートのフォーカスが緩くなるので、ロゼの生産をやめ、赤と白のみにしたい」と。つまりCabrieresのロゼ生産とセットになっている計画です。2016年のロゼはやせていて腰が弱い。そこでボリューム感を白ワインを入れることで、下半身の堅牢さを赤ワインを入れることで解決することにしました。つまり2016年はロゼワイン+白ワイン+赤ワイン、です。それでいいのです。それで、より製法の味からテロワールの味になる。しかし白も赤も比率的には0.1%とかです。それだけで激変です。
 では主力となるその赤はどうなのか。これが難しい。個人的には何かがおかしいと思います。まずいわけではありません。しかし畑を見て感じることとワインを飲んで感じることが一致しません。土壌はシストと火山岩です。シストにしてはピシッとしたカッコよさがなく、火山岩としては上昇力がない。だから形が整わない。セラーで樽から2016年をテイスティングしても、セカンドワインのほうがグラン・ヴァンよりおいしい。どう思うか聞かれたのでそう答えたら、「自分もそう思う」と。おかしな話ではありませんか。そのうちシャトー・ラ・ソーヴァジョンヌ改良プロジェクトを立ち上げねばなりませんね。ひとつのアイデアは出しました。誰もそんなことはしないようなアイデアです。

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▲シャトー・ラ・ソーヴァジョンヌの住居部分。よい眺め。しかし今は誰も住んでいない。もったいない。右端はベルトランさん。左数名はアメリカのディストリビューター(らしい)。話を聞いていたが、私のようにあーだ
こーだと文句を言っているわけではなく、そこで私がへたに口をはさんで商売の邪魔をしたくないので、ソファで爆睡していた。その姿を見たベルトランさんが「まるで赤ちゃんみたいだ」と。私の特技はどこでも寝れること!



 シャトーはもともとイギリス人の富豪が建てたものです。一目みて「ハリウッドみたいだ」と言いました。彼はあとで、「よくハリウッドだと分かったな。前オーナーの妹がハリウッドで家を設計して、その設計を流用したものなんだ」と。まったくラングドックっぽくありませんし、もちろんビオディナミっぽくありません。それが妙な気を発しているのかも知れません。それにしても、ラングドックではこうして畑がたくさん売りに出されてしまっているのですね。投資に見合うだけの値段のワインを造ることができないのでしょう。これがプロヴァンスなら観光客も多いし、イメージもよいから、そこそこの質のワインでもそれなりに売れるのでしょうけれど。ラングドックが高品質ワイン産地として正当に評価されるようになるための道のりはまだまだ長いようです。

2017.06.09

名古屋でのオーストリアワインセミナー

 
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 名古屋駅前のホテルの宴会場で、名古屋・東海方面の飲食店さんや小売店さんを対象としたオーストリアワインセミナーを行いました。

 

 普通、ワインセミナーというと、そこでテイスティングする個別のワインないし生産者の具体的なテクニカルディティールとコメントで終始してしまいます。それらをいくら積み重ねても、オーストリアワインのすばらしさとは何なのか、オーストリアワインの本質とは何なのか、という最も重要な問いへの答えは見えてきません。各論の前には総論が必要なのです。

 

どういう立ち位置からワインを見たときに、それぞれのワインのよさがどのように見えてくるだろうか、という考察が最初になされねばなりません。そして、これこれの特性が本質だと思うから、これこれこういう特徴をもったワインをよしとせねばならない、という論理の流れを各人が作っていかねばなりません。本質規定と視座が異なれば、結論は異なります。何が本質なのかは各人が考えて決めることで、絶対唯一の本質があるわけではありません。セミナーとは、何が本質かを決めてもらって従う場ではなく、自分にとっては何が本質なのか、自分はどういう立ち位置にあるのか、を自分で考える場です。それは他の人の意見を聞かねばなかなかわからないことです。

 

どれを飲めばいいのか、どれを売ればいいのか、決め打ちして答えだけ教えてほしいという方もいます。そのような発想は、個人の自由を棄損し、ワインのおもしろさを否定することにつながります。そもそも、絵を飾る人がどのような雰囲気を求めているのか、どこに飾るのか、壁の大きさはどの程度なのか、等々の条件がわからずに、この絵を買いなさい、とどうして言えるのか。

 

 

 

 参加者の大多数は実際にオーストリアワインを販売している方々ですから、最初に「オーストリアワインのどういうところがいいのか、なぜ売っているのか」と質問しました。「ミネラリ―だから」、「酸がいい」、「でしゃばらない味だから」、「日本料理に合うから」等々の答えです。どこで質問しても同じような返答でしょう。

 

 しかしどのワインでもそれぞれおいしいのです。ミネラリーなワインもたくさんあります。酸のあるワインもたくさんあります。それらはオーストリアワインにのみ該当する個性ではありません。プロとして多数のワインを扱う場合は特にもっと深く考えなければいけません。

 

 

 会費を払って私の話を聞いてくださった方に申し訳ありませんから、セミナー内容の詳細をお伝えするのは控えますが(ちなみに同じ内容のセミナーを6月15日に福岡で行います)、ひとつ例を挙げるなら、以下のような視点からの話をさせていただきました。

 

 オーストリアワインがメジャー他産地のワインと違う点は、ワイン生産者=レストラン、であることが大変に多いことです。ホイリゲとブッシェンシャンクほどオーストリアを特徴づけるものはありません。今回お出ししたワインの多くはそのような生産者のものです。

 

 どこのだれがいつ何と飲むのかわからない状態で「こういうタイプが点数が高くなるだろう」などという邪念の浸食を完全に防除できないままにワインを造るのと、お客と料理がはっきりの目の前で見えている状態で造るのと、同じ味になるわけがありません。料理がそうだと思います。家庭料理のおいしさとはなんでしょうか。

 

完成度が高くともどこか冷え冷えした印象のワインがたくさんあるのは、ようするに、生産と消費が分離しているからです(これはワインだけの問題ではありませんが)。地産地消はよいことだと最近よく耳にします。これを掛け声だけではなく、実際にどのようにすれば実現できるのか考えてください。ウィーンは周囲にブドウ畑があり、市民は食事しにホイリゲに行きます。これが地産地消の優れた例です。

 

 ワインを分類する方法はいくらでもありますが、輸出向け「高級」ワインと、地場向け「日常」ワインという分け方は有効です。レストランがワインを造るオーストリアでは、多くのワインが「日常」ワインです。我々に必要なのは、高品質な「日常」ワインです。安価な「高級」ワインもどきではありません。

 

「日常」ワインが低品質廉価工業的ワインだと思っている人が多いのは残念なことです。自らの日常を蔑視してはいけません。それは、料理と共に、人と一緒に、楽しまれることを前提として造られるワインです。その味は「ミネラル」とか「酸」で表現されるものではなく、むしろ精神として伝わるものです。しかし、「ワインに精神などない、その背後にある文化や人の思いなど主観的な思い込みであって存在しない。ワインの味は科学的に分析できる物質である」、という主張が圧倒的主流派である現代では、私の言うことがなかなか理解されないのです。

 

2時間20分のセミナー中、私は早口でしゃべり続けていましたが、それでも話し足りません。言いたいことは、ほんとうにたくさんあります。

 

 

 名古屋には私は期待していると言いました。なぜなら名古屋は独自の食文化を堂々と主張しているからです。名古屋の料理はよく笑いの対象になっていますが、その創造性はどれほど高く評価してもしすぎることはありません。さすが、革命児織田信長の地です。外面的なええかっこしいは簡単ですが、そちらの方向に行ってはいけません。

 

関東と関西というふたつの巨大な影響力のある食文化圏の中間にある名古屋は、ワイン文化という点で、どのような独自性、創造性を発揮できるか。名古屋の方々には是非それを考えていただき、日本のひとつの重要な極になっていただきたいと思います。

 

 

ところで2018年にはオーストリアワイン大使コンテストが開催されます。名古屋からも多くの応募があることを期待しております。

 

 

2017.06.08

某社での社員教育セミナー 第二回

 某社の本社会議室に出張しての社員教育セミナーの第二回。今回のテーマは、ワインの価値と効用について、です。ずっと前に同社でセミナーを行った際には、垂直的価値(すなわち一元的基準による優劣の度合い)をはじめにお話しし、そのあと水平的価値(個々別々のよさ)を次にお話ししましたが、今回は逆です。逆にしなければいけないと思ったからです。


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 一元的優劣でワインを見る習慣は80年代後半に登場してきたアメリカ型の評価の影響が大です。それ以前からワインに親しんでいる人にとっては、そちらのほうがオルタナティブだったわけですが、若い世代にとっては、ワインに初めて触れる時には既にそのような習慣が支配的だったので、むしろそれが基本的視点です。

 ワインを優劣としか見ることができないと、原理的に、最終的にはただひとつの最も優れたワインのみが存在すればよいことになり、なぜ世の中にこれほど数多くのワインが存在しているのか分かりません。販売する側に立つなら、ひとつだけの最も優れたワインを売っていればいいのであって、そのほか99%以上のワインは妥協でしかありません。消費者からすれば、優れたワインが高くて買えないからなんとなくその片鱗があるワインをあきらめて買うような事態に陥るわけです。そんな商売でいいのでしょうか。そんなワイン観でいいのでしょうか。

世の中にあふれる「RP97点のワインのセカンド」とか、「×××というワインはまるでモンラッシェだ」とか、「DRCで働いていた誰それの実家のドメーヌだ」とか、の宣伝文句を見ると、それぞれどれも別々の魅力がある個々のワインの消費文脈適合性とは無縁なところでワインが販売・消費されている状況は明確です。しかしそれがワインの本来の消費様態なのでしょうか。ふつうの消費者なら、そんな消費財は楽しめません。遅かれ早かれ、「ワインってウザい」、「知識と金の自慢趣味には付き合えない」と思われ、嫌われてしまうのではないかと危惧します。

 

 ワインは虚空に単独の物体として存在しているわけではなく、消費対象としては例外なくなんらかの具体的文脈において存在しています。ですからワインの効用は文脈を念頭において考察されねばなりません。

 今回の参加者はワインをビジネスにしているのですから、彼らにとってのワインは、彼ら個人の(つまり消費者としての)好き嫌いとは関係ありません。最終的に消費者の満足がより高まるようなワインがよいワインであり、売るべきワインです。

 消費者の満足度と文脈適合性は比例します。ならば、消費者にとっての文脈適合性を高めること=満足度向上=売上向上です。特にレストラン向けの商売をしている以上(コレクターはまた別の話)は、それが基本的スタンスでなければいけないと思います。

 

 というわけで、いろいろなワインの文脈適合性=効用の話(実際の内容は、受講者のみぞ知る、です)をしました。私はそれがプロにとってのワインの勉強の基本だと思うのですが、不思議なぐらい、そのようなセミナーはめったにありません。誰とかの畑が何ヘクタールだとか、どのワインの新樽比率が何パーセントか、といった話ばかりです。消費者はそのような情報が何百あってもワインは選べません。

 そうではなく、まずどのような消費文脈が存在しうるのかを考え、それぞれの文脈にどのようなワインが適合するのかを考え、次に初めて、それはどのワインなのか、を見定めていかねばならないのです。個別のワインから論を進めるのではなく、まずは消費文脈から入るべき。具体的に言えば、皆さんが例えば天ぷら屋なら、どんなに偉大だろうが点数が高かろうが有名だろうが、天ぷらをおいしくしないワインは無意味なワインでしょう。それが理解されないこと自体が、日本におけるワインの大きな問題だと思っています。

 

2017.06.05

エスパイ・プリオラート

 再びプリオラート。世界じゅうのワインジャーナリストが集まるセミナー、試飲会であるエスパイ・プリオラートに参加してきました。二か月前に訪れたばかりなので、いまや景色を見ても親近感を抱きます。今回は、前回の訪問で疑問に思ったこと、確認したかったことをさらに探求できる機会となりました。


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▲会場となったのは、プリオラートの歴史の始まりであるスカラ・デイ修道院

 1990年代に脚光を浴び、貧困にあえいでいた無名のバルクワイン産地から一気に駆け上がり、2000年には最上格付けDOQに認定されるまでになったプリオラート。そのサクセスストーリーはこれまでもワインジャーナリストの方々が多く記事にされてきたので、ご存知かと思います。

世界じゅう、おいしいワイン、素晴らしいワインを造っていながら、ないしそのポテンシャルがありながら、無名のままの産地はたくさんあります。プリオラートはなぜその中で成功することができたのか。多くの人にとって疑問となる点です。イギリスのSarah Jane Evansさんのセミナーを踏まえて自分なりに理由を簡単にまとめるなら、以下のようなものでしょうか。

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▲バルセロナ空港から修道院に直行してすぐにセミナーが始まった。

1、1980年代にプリオラートを発見したパラシオスら四人組が世に出た1989年から1990年代初頭は、アメリカのワイン評論家の影響力が今とは比較にならないほど重要だった。

2、アメリカ人評論家の嗜好が、濃密な果実味を有し酸が穏やかでアルコールが高い当時のプリオラートのスタイルが合致した。

3、四人組のワインは、上記のスタイルのワインを生む気候条件や土壌を有するグラタヨップス村に基点をおいていた。


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▲グラタヨップス村遠景


4、プリオラートの畑は、大量生産に向く平地のタラゴナ、ペネデスと異なり、労働生産性の極めて低い急斜面であり、カベルネやシャルドネ等国際品種に浸食されておらず、高級ワインとしてのオリジナリティがあった。80年代までの国際品種全盛時代と異なり、90年代に入ってからは地場品種への関心が高まっていた。

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▲プリオラートの畑を覆うシスト、現地の言葉でいう、リコレージャ



5、急斜面でやせた畑のため自然と収量が低くなり、濃厚な味わいのワインにおのずとなる土地だった。貧困ゆえに改植が進まず、高樹齢のブドウが多く生き残っていた。それもまた高品質ワインを産するに好適だった。

6、過疎地であり、農業放棄地が多く、地代が低廉で、新たな資本が参入しやすかった。

7、山中に湧水が多く、灌漑用水(それを望むなら)が比較的容易に入手できた。

8、プリオラートは基本的に赤ワインの産地であり、プリオラートが世の中で話題となった97年頃は赤ワインブームだった。

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▲人里離れた斜面に畑が点在するプリオラート




 

 優れたテロワールはどこにもあります。しかし消費者は、それがどこだかは知らないし、普通、探そうとは思わないものです。結果としてはぼちぼちの味だがテロワールのポテンシャル的には良いワインを、テロワールのポテンシャル的にはぼちぼちだが造りが上手でおいしい結果を出しているワインと区別するのは難しい。だからおいしい結果を出してくれない限りは注目しようもないし、買いようもない。プリオラートの場合、ちょうどぴったりの時期に、優れた生産者、優れたテロワール、市場に合致する味、その味を支持する巨大市場が幸運なことに嚙み合ったわけです。そしてそれを後押しする形で、カタルーニャ政府が2000年に、そしてスペイン中央政府が2008年に最上格付けを与えた。この迅速な対応は驚嘆すべきものです。初ヴィンテージが89年、私が記憶する限り盛り上がり始めたのは94年ヴィンテージ、つまりリリース時期を考えると978年。それからたった3年でDOQとは、いったいどういう意思決定が誰によってなされたのかと思います。そもそもエスパイ・プリオラートのような大規模なイベントを頻繁に行うためには相当な予算が必要であり、足の引っ張り合いをすることなく関係者全員がきちんと同じ方向に揃ってマーケティング活動をしてきたという点も看過してはいけません。

 プリオラートがおいしいのは当然なので、それを前提として話をするなら、いくつかの論点を提示することができます。

■灌漑について

 プリオラートは年間降水量約600ミリなので、無灌漑で問題なく栽培できるところです。急斜面とはいえ、シストや粘板岩が風化した粘土がありますから、保水性も約束されています。基本品種は最も渇水に強いガルナッチャとカリニェナです。それでも灌漑が見られるのは、粘土がない劣った区画なのか、収量増大を目的としているのか、渇水に弱い国際品種つまりボルドー品種かシラーを不適切な場所に植えているからです。

 灌漑しているワインは、無灌漑のものと比べて、酸の柔らかさや果実味のまろやかさやタンニンのしなやかさはありますが、構造が緩く、単調で、下方垂直性に劣ります。もちろん私にとっては構造の堅牢さ、複雑性、下方垂直性は極めて重要な品質要件ですから、無灌漑のワインのほうが優れていると思っています。試飲会では灌漑しているか否かを聞いて回っていたので、上記の違いは百本を超えるテイスティングの結果であって推測ではありません。

 しかしながら話はそうは単純ではありません。90年代のプリオラート興隆の理由のひとつに、アメリカ市場(ないしアメリカ人評論家)の嗜好への適合性があると先述しました。彼らの評価基準を分析すればわかりますが、酸が柔らかくて果実味がまろやかでタンニンがしなやかであることは、高品質の証です。高評価のナパのカベルネ・ソーヴィニヨンやシャトー・ポンテ・カネの味わいを見ればわかるはずです。ちなみに最近ではアメリカの評価基準も多様化しており、グラタヨップのガルナッチャ的味だけではなくポレラの高標高カリニェナ的味も称賛され、高得点を獲得しているという事実は言っておかねばなりません。

 灌漑がもたらす味わいをよしとする人は世界に多いものです。豊満な果実味の魅力と緊張感のあるミネラルの魅力とどちらが多くの人に理解されやすいかと問うまでもありません。さらには新世界ワインが入門者向け市場で強力な地位を占めており、それら灌漑味ワインで多くの人の味覚が条件付けられていることも大きいと思います。慣れ親しんだ味をおいしいと思うのは人間の常です。プリオラートがこれからも世界じゅうの市場に浸透し、高い評価を獲得し続けていくためには、灌漑味のワインが必要であると、マーケティング的立場からは主張することができます。

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▲これを飲むと、プリオラートがなぜアメリカでそんなに人気になったのか理解できる。

 たとえば端的な例として、2000年にサンタリタヒルズのシースモーク等カリフォルニア資本によって創業されたワイナリー、Melisの味を見てほしいと思います。ワインメーカーはカリフォルニア大学デイヴィス出身です。大変においしいワインですが、国籍不明感が若干あります。ブランドで飲めばチリかな、カリフォルニアかな、と思います。プリオラート的な否か、ではなく、おいしいかまずいか、という評価基準で見るなら、なんの問題もありません。もちろん灌漑しています。ワインメーカーのハビエルさんによれば、「収量のためではなくブドウのストレス減少のため」。私が「まさにアメリカ人好みの味ですね」と言うと、「アメリカ市場で売るために作っている」。それはそれで理にかなっているビジネスです。

 

■除草剤

 急斜面産地の例に漏れず、プリオラートでは除草剤散布が多くみられます。除草剤を使うとミネラル感がなくなり、余韻が短くなり、ぺたっとした味になります。とはいえだんだんとよい方向に向かっていることは確かなようです。一本数十ユーロもするワインなのですから畑仕事に人を雇うことができますし、高級ワイン市場で競争力を保持するためには除草剤味のワインではだめだということぐらい誰でもわかります。しかし見た目ほどは味への影響がないと思うのは、水はけのよさゆえでしょう。

 

■国際品種

 プリオラートでは90年代にカベルネ・ソーヴィニヨン等のフランス品種が多く植えられました。今ではそれらを引き抜き、地場品種に植え替える動きが盛んです。それはよいことです。ガルナッチャとカリニェナは基本です。

私は原理主義者ではないので、国際品種全否定ではありません。いったいどんな畑なのか、何を目指しているのか、誰に売るのか、という数多くの要因から、適切な国際品種の適切なブレンドは導き出されます。地中海品種に適さない谷底の水が多い区画を遊ばせておくよりはボルドー品種を植えるほうがましだと、ワイナリー経営の立場に立つなら思います。

ただ、カベルネ・ソーヴィニヨンの多用はいけません。たぶんブレンド比率10%未満ではないと、自己主張の強いカベルネ・ソーヴィニヨンは地場品種を圧倒してしまいます。熟成すれば融合すると思うのは間違いです。1990年代のカベルネ・ソーヴィニヨン入りワインは、今飲むと、本来のブレンド比率より多くの比率が入っているかのように、カベルネ味が強まっています。長期熟成のためにカベルネをブレンドしたのかもしれませんが、生々しい味を保つのはカベルネだけであり、ガルナッチャはアルコール感が抜けて大変にしなやかでおとなしい味になっています。

プリオラートではカベルネ・ソーヴィニヨンの収穫時期はガルナッチャより遅くなります。より冷涼な産地のブドウなのに不思議ですが、夏のストレスに耐えられずに成熟が遅れてしまうのでしょう。ですから往々にしてカベルネ・ソーヴィニヨンは完熟した味がしません。メルロは、乾燥して暑い土地に植えること自体、初歩的な間違いです。

シラーも危険です。シラーは味の上のほうを占めるので、少量でも大変に目立ちます。香りを持ち上げるために役にたつとはいえ、その方向に行き過ぎると、シラー、グルナッシュ、カリニャンのブレンドのワイン、つまりラングドックとそっくりになってしまいます。

最もポテンシャルがあると思うのはカベルネ・フランです。タンニンが細かく、エグくならず、ソーヴィニヨンより品がよく、酸もあると思います。これをブレンドすると垂直性と香りの伸びが出るようになるでしょう。

 

■方位と標高

 最近は酸やフレッシュさや低アルコールを求めて標高500メートル以上の高地にある畑や北向き斜面の畑が注目されています。それはそれでワインの多様性を生み出し、興味深いものです。

 しかしガルナッチャやカリニェナの魅力とはなんなのか、という視点は忘れてはいけません。ラングドックにたとえて言うなら、グレ・ド・モンペリエとピク・サン・ルーのどちらが地中海ワインらしいか、ということです。近年では後者の評価が高いのはご存知の通りでしょうが、それはピク・サン・ルーがブルゴーニュ的な味わいだからです。どこでもかしこでもブルゴーニュ的な味を理想とする近年の風潮は本当に異常です。ブルゴーニュが好きならブルゴーニュを飲めばいいのであって、その味をどうして他産地に求めるのでしょう。

 私は北向き斜面の味が優れているとは思いません。北向きは確かに酸が強まりアルコールは低くなりますが、スケール感・余裕感が出ず、神経質な味になります。涼しい年の南向き斜面ワインと温かい年の北向き斜面ワインの味は似たようになるかというとそうではなく、やはり南向きのほうが知る限り常にスケール感が大きいのです。

 標高が高い畑のワインは重心が高くなります。ラムやチキンには合うようになりますが、ワイン単体での上下バランスからすれば、下半身の支えが弱くなりがちで、決してコンプリートな味とは言えません。

 

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▲Vi de Finca二種

 プリオラートはスペインで最初にVi de Finca、つまり単一畑ワイン呼称が認められた産地です。現在ふたつのワインがVi de Fincaとして認められています。

 これまた世界じゅうに見られる「ブルゴーニュに倣え」運動のひとつに見受けられます。確かに最上の畑というものは存在するでしょう。しかし最上の畑から生まれる最上の味わいとは何か。その共通見解が確立しない状況で「グラン・クリュ」を認定するのは時期尚早に思えます。たとえばClos MogadorVi de Fincaとして有名ですが、私個人はどこがどうして他より優れているといえるのか、ワインをブラインドでテイスティングしても分かりません。

 そもそも最上の畑とは単独で存在するものではなく、品種やワインのスタイルと密接に関係しています。あるワインをある品種で造るためのグラン・クリュなのです。シャンパーニュのヴェルズネイは、シャンパーニュをピノ・ノワール主体で造る以上はまごうことなきグラン・クリュですが、コトー・シャンプノワをシャルドネで造るグラン・クリュとは言えません。クロ・ド・タールはピノ・ノワールのグラン・クリュであって、アリゴテのグラン・クリュではありません。プリオラートなら、マスカットもペドロ・ヒメネスもガルナッチャ・ブランカもカリニェナもメルロも認可品種です。そのどれもがひとつの畑で最上の味を生み出すわけがないではありませんか。

 単一畑ならよい、とする近年の風潮も問題です。よいブレンドは、中途半端な単一畑より優れています。ブルゴーニュの場合なら、一級や村名は単一畑よりブレンドのほうがコンプリートな味がするものです。だからブルゴーニュは特級の場合は単一クリマ=アペラシオンですが、一級や村名はそうではないのです。単一畑ワインブームは、それぞれ違うことは違うが帯に短したすきに長しの味の数多くのワインを生み出すことになります。ブルゴーニュでさえ、数百種類の単一畑ワインを目的・動機に沿って適切に選べる人など見たことがありません。ましてプリオラートで数百の単一畑ワインが登場し、ペネデスでも数百、タラゴナでも数百、と数が増えていき、スペイン全体で数万種類の単一畑ワインが登場し、世界じゅうで数億種類の単一畑が生まれ、、、、、という状況を想像してみてください。現実に意識的・自覚的に選べない選択肢がいくらあっても、選択の自由は生まれません。むしろ人間は選択を放棄してしまうのです。譬えていうなら、極めて理想主義的だったワイマール共和国憲法下の単純小選挙区制による小政党乱立がそのあと何を生み出したか、ということです。それよりは、適所適材に区画と品種を選び、ブレンドして、1プラス1を3にしていく努力のほうが消費者のためになります。

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▲Vi de Vilaの例

 生産村名表記ワインであるVi de Vilaは何の問題もありません。Vi de Fincaのように優劣の視点を内包するものではなく、単に生産地の明確化であり、消費者にとってもどこの村のブドウからワインが出来ているかが約束されるのはよいことです。プリオラートを構成するBellmunt, Escaladei, Gratallops, El Lloar, La Morera, Poboleda, Porrera, Torroja, La Vilella Alta, La Vilella Baixa, Masos de Falset, Solanes d’El Molarごとにキャラクターがそれなりにあるのは事実ですから(まだまだ私程度の経験では明快に言語化できません)、それをもとにワインが選べるようになります。プリオラートでは南西に行くほど温かくなり、東に行くほど雨が多くなり、南東で斜面が急になり南西で緩やかになる、といった基本を覚えておけば、そのあと村名とその位置を知ることで味の予想がつけられます。

 

■白ブドウ

 なぜシラーを入れるのか、なぜ標高が高い畑に向かうのか、といえば、ワインに軽やかさ・フレッシュさ、エレガントさを求めるからです。目的は正しくとも手段が間違っています。正しい手段は、黒ブドウに白ブドウを3%から10%ほど入れて混醸することです。シャトーヌフ・デュ・パプやコート・ロティの例からも分かるとおりです。

 これは温暖産地すべてに言いたい。カギは白ブドウの使い方だ、と。昔は黒白混醸は常識です。プリオラートの高樹齢の畑はガルナッチャやカリニェナの中にガルナッチャ・ブランカやカリニェナ・ブランカが混植されています。今では黒白別々に収穫して赤ワインと白ワインを造ったりしますが、昔どおりに同時収穫すればいいだけのことです。赤ワインに白ブドウを入れず、白ワインに黒ブドウを入れないようになったのは、ワインの歴史の中の巨大な誤謬です。プリオラートの白をグラスに極少量入れてから同じ畑で産出されるプリオラートの赤を注いだほうが、赤だけ注ぐより、ずっと上品に、ずっと伸びやかになります。

 

 どの産地でもそうですが、知れば知るほどワインが楽しくなりますし、理解して味わえるようになるため、よりおいしくなります。大切なのは、誰とかがいいと言っているからいい、という主体的選択の自由を放棄したワインの判断をするのではなく、各人が自分自身の視点や関心に基づいて対象を把握し、自分自身のためにワインを選択することです。プリオラートは偉大なポテンシャルがある産地ですし、すでにそのポテンシャルは様々な形のワインとして具現化していますが、次のステップへと進むためには、今こそしっかりとした考え方をもってワインをテイスティングし、議論を深めていかねばなりません。

 

 

2017.06.04

南仏「クリュ」のロゼの会

 東はイタリア国境に近いニースのベレから、西はスペイン国境に近いバニュルスまで、フランス地中海沿いの銘醸地のロゼワインを集めてテイスティングする会を開催しました。

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 南仏ロゼと言えば、現在主流の色の薄い直接圧搾法のプロヴァンス・ロゼを連想するのが普通でしょう。特に若い方なら、15年前ほど前までのプロヴァンスの色が濃かった時代のロゼをご存知ないでしょうから、なおさらロゼ=直接圧搾法というイメージだと思います。

 それはそれで悪いものではありませんが、最近はどれもこれも同じ味のような気がして、若干食傷気味です。どうもロゼというのは「スタイル」のワインになってしまっているようです。とりわけ南仏では、期待される125度程度から13度のアルコールをグルナッシュ等のメジャー南仏品種を用いて実現するためには相当早く収穫するほかなく、結果として熟していない青さと硬さと小ささと単調さが気になってしまいます。皆で酸、酸、酸と連呼する風潮にはうんざりです。総酸量が多ければいいのではなく、熟した良質な酸があることがワインの味わいには大事なのです。

だから私は一般的な「海辺のテラスにふさわしいおしゃれなアペリティフ的ロゼ」は好きではありません。私がワインに望むのはスタイルではなく、しっかり土地を感じることができる力です。ロゼはその目的には好適なワインだと思っています。なぜならロゼは酸もタンニンも弱いので、ストラクチャーを作る要素はミネラルしかなく、土地のミネラルを味わうためには、換言するならテロワールに触れるためには、ロゼが一番わかりやすいからです。逆の視点から言うなら、良質なロゼの前提はよいミネラルをたっぷりと感じさせてくれる畑であり、それはつまりは、化学薬品に毒されていない「クリュ」です。

この会でお出ししたロゼは、すべて「クリュ」の畑のワインです。プロヴァンスはベレとパレット、南ローヌはタヴェル、ラングドックはテラス・デュ・ラルザック、コルビエール・ブートナック、ラ・クラープ、ルーションはモーリーとバニュルスです。もちろん、それらは畑が属するアペラシオンであり、ラベルに表記されたワインのアペラシオンではありません。ブートナックAOPやモーリーAOPの規定にロゼはありません。

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ロゼを買うときのひとつの目安は、それが「クリュ」なのか否かです。よいテロワールのロゼはスケール感があり、姿かたちが整って、余韻が長いものです。例えばAOPの赤ワインとAOPの畑からできるロゼワインを比較すると、当然ながら似た味がします。しかし赤よりロゼのほうが、タンニンに邪魔されない分、その土地らしさがすっと見えてくる感じさえします。このような視点から見えるロゼは、ピンク色をした白ワインではなく、色の薄い赤ワインとしてのロゼです。

野太く逞しいベレ、ガッツと高密度感のあるテラス・デュ・ラルザックのシストのロゼ、微粒子感と上昇力のあるテラス・デュ・ラルザックの火山性土壌のロゼ、まるみがあって穏やかでとろりとしたコルビエール・ブートナックのロゼ、キリリとして水平的で重心の高いラ・クラープのロゼ、肉厚で安定感のある温かい風味のモーリーのロゼ。クリュの魅力がよくわかる味わいです。個人的には、圧倒的な高貴さと顕著な垂直性とほのかな色気のアクセントで魅せるパレット、堂々としたスケール感と濃密さがありながら、白ブドウが相当の比率で入っているために軽快さもあるタヴェル、そして繊細で華やかで伸びやかなバニュルスが大変に気に入りました。シャトー・クレマードのパレット・ロゼは毎度毎度圧巻です。今回お出ししたタヴェルはピクプールが入っていることがポイントです。色が濃いのにエグさがなく(昔のタヴェルはエグかったですね)、酸も伸びやか。大手はともかく、最近の小規模生産者のタヴェルはどれもこれも本当においしいと思います。ワインはすべてブラインドで出したのですが、いったいどんな料理と合わせたいかを参加者に聞くと、タヴェルに関しては中華料理の名前が多く挙がりました。おもしろいですね。昔から言われている中華にはタヴェルというルールは嘘ではありません。ひとつの理由は重心が低くてトロみがあるからです。そのようなロゼは貴重です。

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しかしパレットとタヴェルが素晴らしいのは予想どおり。今回初めてテイスティングして驚いたのが、バニュルスのロゼです。そもそもバニュルスにロゼがあるとは知りませんでした。タイプとしてはリマージュですが、タンニンがない分、そして樽熟成の要素がない分、バニュルスの独特の結晶片岩がもたらすツルっとして引き締まった質感がさらに前面に出てくる感じがします。そういえばこの3者は混醸産地ですね。それがいいのかもしれません。

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今回お出ししたワインの多くは日本未輸入です。日本ではロゼが売れないので、しかたありません。プロヴァンスのロゼはよく見かけるにせよ、それらはスタイルのワインであることが多く、消費者もそれを望んでいるのか、低価格のものばかりです。ようするに「お花見用」とか「女子会用」とか言われるタイプです。それにしても、ある種のワインに対して使われる「女子会用」という表現が理解できません。私は男性ですからもともと理解できるわけがないとも言えますが、どのようなタイプのワインにその表現が与えられるかを意識して見ていると、なんとなく表層的な飲みやすさを求めているように感じざるを得ません。それでは女性が自らを卑下しているかのように映ります。ワインの味わいのタイプを女性と男性で区分しようとする姿勢じたいも時代錯誤的だと思いますし、それを女性の側から行おうとする思想はなおさら理解不能です。そのような表層的な味のロゼばかりが氾濫すると、ロゼが売れなくなるのも当然だと思います。しかしそれは不幸です。消費者が勝手にロゼを狭いカテゴリーに押し込め、自分自身でロゼを飲まないようにさせているからです。そんなことをするメリットがどこにあるのでしょう。

私自身の話をするなら、日本でよく売っている類のロゼを自分が買うかといえば、たいがいはNOです。しかしクリュのロゼを買うかといえば、おおいにYESです。皆さんも海外産地に出かけた際には是非クリュ畑のロゼに注目してテイスティングしてみてください。そして同じ畑のAOPの赤よりはるかに安い。これに気付けば、買いたくなって当然です。

2017.06.03

イギリスのスパークリングワイン

 イギリスのスパークリングワイン二社Bolney Wine EstateDigby Fine Englishの代表が来日し、テイスティングセミナーを開催。私も参加して彼らの話を聞くことができました。

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▲左はBolneyのワインメーカー、サマンサ・リンターさん。右はDigbyの創立者・CEO、とレヴァー・クロウさん。

 さてイギリスのスパークリングワインといえば、「シャンパーニュと同じ白亜土壌」というのが売り文句。私もそうなのかと思って以前スティーヴン・スパリエの畑に行ったのですが、チョークではなく粘土石灰質。違うではないか、と。行ってみないとわからないことはたくさんあります。DigbyCEOであるトレヴァー・クロウさんは「そう言うとマーケティング的にはやりやすい」と言っていましたが、そしてそれは理解できますが、単純化は危険です。そもそもBolneyはチョークではなく砂岩土壌です。

 彼らとの議論で中心となったのは、イギリスらしさとは何か、です。シャンパーニュと似ているからよい、という理屈では、永遠にイギリスワインはフランスの追随者であり、イギリスのスパークリングはコピーでしかありません。それを脱するのは実は大変です。なぜなら、日本でもそうですが、イギリスはワイン経験が豊富な人たちばかりの国であり、とりわけ高価なスパークリングワインに関しては、消費者がすでにシャンパーニュを基軸として価値尺度を内在化してしまっているからです。良質なスパークリングワインの味=シャンパーニュの味、という無意識の等号が出来てしまっていることが問題です。

 例えばイギリスのスパークリング全体に、私にとっては甘すぎます。シャンパーニュよりさらに気温が05度低く酸が高くなるイギリスでは、エキストラ・ブリュットやノン・ドゼは酸が強すぎるというのです。しかし酸が高いのがイギリスの気候がもたらす個性なら、それをしっかり感じたほうがいいではありませんか。

 さらに補糖が多すぎます。テイスティングすると、マチエールが薄いのにアルコールだけは感じるという奇妙なバランスを感じます。3度まで補糖が許されているというのも驚きですが、彼らも15度ほど補糖します。それで結果がシャンパーニュと同じ125度になるわけです。イギリスは曇天・雨天がシャンパーニュより多いので、当然ブドウの糖度は上がりません。ならばそれがイギリスの個性です。曇りは晴れより悪い、だからあとから晴れの味に近づけよう、11度では「ミッドが不足」しておいしくなくて125度だとおいしい、という考えはどこから来るのか。もちろん彼ら自身がシャンパーニュ的味覚を内在化しているからです。アルコールが低いワインの何がいけないのか。モーゼルのリースリングやザーレ・ウンストルートのミューラー・トゥルガウやバーデンのグートエーデルはだめなワインなのか。

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▲ボルネイのキュー・スパークリング・ホワイトNV。品種はピノ・ノワールとピノ・ムニエ。

 つまり過剰な補糖とドザージュは、イギリスらしさを減じ、シャンパーニュのスタイルに近づけることにしかならない。これでよしとするなら、イギリス愛が足りません。「イギリス人なら、雨や曇りの美しさを表現しなければいけない、それがいやならイタリアやスペインに移住せよ」と言いました。私はもちろんイギリスのスパークリングには巨大なポテンシャルがあると思っています。しかしそれは、あくまで自らをグローバルな高品質ワインではなくイギリスのローカルワインとして自覚し、イギリスのテロワールに素直になったら、です。今のままでは頭のよい人が作り上げる工業製品になってしまいます。確かにおいしいでしょうが、私のような低レベルの味覚でさえ、彼らが何を目指してどこをどう修正しているか、つまりどこがうそなのかは飲めばわかります。イギリスは小さな島国ながら、自らの作り上げた基準を世界基準とすることで成功し、世界の頂点に立ってきた国です。その偉大な功績は誰もが理解しています。しかしいざスパークリングワインとなると、瓶内二次発酵というシャンパーニュ製法じたいを自ら発明し、辛口ワインを作らせてきた歴史がありながら、今ではシャンパーニュに束縛されてしまっている。イギリス本国人として恥ずかしいと思うべきです。クロウさんは実はもともとアメリカ人で、イギリスに移民した人ですから、なおさらイギリスとは何かを自覚しないといけないと言いました。まあそれを日本人である私が言うのもへんな話ではありますが。

 シャンパーニュに影響されているもうひとつの点は、シャルドネ重視の姿勢です。ご存知のとおり、シャンパーニュでも高価格になるとシャルドネの比率が上がります。そのほうが熟成に耐えるからです。つまり、より長い瓶熟成の味=よい味、という基準があり、そのためにはシャルドネが向くからです。彼らも高価格のものはシャルドネに重きを置くようになります。

 しかしクロウさんは、イギリスらしさとはフルーティさだ、と言いました。つまりは長い瓶熟成によるブリオッシュやナッツの風味がシャンパーニュの特徴であり、イギリスはもっと明るくて楽しくてカジュアルな味だと、競馬やヨットレースに行ったときに楽しくみんなで開けるようなワインだ、というのです。それには同意します。イギリスのワインは決して暗い、修道院的な味ではありません。ならばどうしてシャルドネ重視になるのか、高級になるほどシャンパーニュ的な味に近づくのか。「言っていることとやっていることが矛盾している」と言いました。そしてフルーティさをシャンパーニュに求めるなら、我々がマッシフ・ド・サンティエリーやリリー・ラ・モンターニュ等モンターニュ・ド・ランス北西部のワインを買うように、イギリスではチョークではなく砂岩土壌の畑をもっと重視すべきです。

 産地はイギリスの南海岸からすぐのところです。海洋性気候です。ならばワインは海洋性気候のしっとりしなやかで水平的な広がりをもつべきです。そしてピノ・ノワールは確かにそういう味がします。しかしシャルドネは厳しく、垂直的で、内陸的な味がします。つまりは内陸であるシャンパーニュやブルゴーニュの味に近くなります。常にイギリスのスパークリングワインはロゼのほうがおいしいのですが、そして今回もロゼのほうがはるかにイギリス的だと思いましたし、ワインとして腰が据わり、シャルドネのように重心が上に固まることなくバランスがとれていると思いましたが、つまりはシャルドネが少ない(ないしゼロ)だからです。

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▲ディグビーのレアンダー・ピンクNV。ピノ・ノワール50、シャルドネ35、ピノ・ムニエ15%。

 文句を言っているだけでは議論ではありませんし、生産的ではありませんから、私は私なりの解決策を提示しました。それはピノ・グリをもっと使うことです。ピノ・グリは重心が低く、酸が低く、アルコールが高く、クリーミーな粘りが出る品種です。これをブレンドすれば、彼らの言う上記の問題点はすべて自然に解決します。Bolneyのワインメーカーであるサマンサ・リンターさんは、「スティルのピノ・グリは作っているし、とてもおいしい。私はピノ・グリが大好き」と言います。「ならばなぜピノ・グリをもっと増やしてスパークリングにも使わないのか」と。大手のシャンパーニュは確かにシャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエからのみ造られますが、ピノ・グリもれっきとしたシャンパーニュ認可品種であり、長い栽培の伝統があります。大手シャンパーニュにピノ・グリが含まれないから消費者にはコミュニケーションしにくくて、という理屈を聞くと、だから生半可なワインの知識はむしろ邪魔なのだ、イギリスの消費者もピノ・グリがシャンパーニュ認可品種であることぐらい勉強しておくべき、と思いました。

 イギリスのスパークリングワインのもうひとつの問題は、除草剤です。雨が多いから雑草がどんどん生えるし、人件費が高いから栽培労働者を多く雇えない。その理由はわかります。しかし高価なワインなのですから、数人多く雇うことが不可能とは思えません。サマンサさんは、「私も除草剤はよくないと思うし、少なくする方向ではあるが、現在では畑の樹齢が低く、樹が細いから、トラクターで除草すると刃が幹を傷つけて樹が死んでしまう」と言います。「樹齢が高くなって幹が太くなるまで待ってほしい」。食品全般に関してはオーガニック大国なのにワインに関しては相当農薬依存しているのがイギリスです。クロウさんは「何年かに一回しか健全なブドウが収穫できないようでは経営が成り立たない」と言います。となると、次の課題は、ブドウ品種そのものの選択です。雨が多くてシャンパーニュ品種が育たないというなら、それはシャンパーニュ品種をもともと植えるな、ということです。私は「マデレーヌ・アンジェヴィンやもろもろの耐病性品種を植えて、オーガニックでスパークリングを造ったほうがいい」と言いました。しかしイギリス品種(もとはドイツですが)であるマデレーヌ・アンジェヴィンを知っている人さえ現状では少ない以上、そのようなアプローチはずっと先になりそうです。とはいえ、これは農業にとって本質的な問題です。農薬を使ってフランス品種でワインを作るのと、オーガニックでイギリス品種でワインを作るのと、どちらがイギリスワインとして正しいのか。後者でなければ、これまたイギリスのスパークリングワインは永遠にコピー商品です。「短い歴史の中でシャンパーニュとは似ても似つかない独自のワインを地場品種から作り出して成功したプロセッコを見習うべきだ」と言いました。

 イギリスのワイン造りはまだまだ歴史が浅いので、このような議論からもわかるとおり、完成形とは程遠く、皆で試行錯誤の状態。だからこそ、今の時点で皆さんが彼らにきちんとした意見を伝えることが将来の正しい方向性での発展にとって大事です。現在世界じゅうのワインに最も精通し、俯瞰的視点を持てるのは日本人なのですから。

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