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2017.06.08

某社での社員教育セミナー 第二回

 某社の本社会議室に出張しての社員教育セミナーの第二回。今回のテーマは、ワインの価値と効用について、です。ずっと前に同社でセミナーを行った際には、垂直的価値(すなわち一元的基準による優劣の度合い)をはじめにお話しし、そのあと水平的価値(個々別々のよさ)を次にお話ししましたが、今回は逆です。逆にしなければいけないと思ったからです。


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 一元的優劣でワインを見る習慣は80年代後半に登場してきたアメリカ型の評価の影響が大です。それ以前からワインに親しんでいる人にとっては、そちらのほうがオルタナティブだったわけですが、若い世代にとっては、ワインに初めて触れる時には既にそのような習慣が支配的だったので、むしろそれが基本的視点です。

 ワインを優劣としか見ることができないと、原理的に、最終的にはただひとつの最も優れたワインのみが存在すればよいことになり、なぜ世の中にこれほど数多くのワインが存在しているのか分かりません。販売する側に立つなら、ひとつだけの最も優れたワインを売っていればいいのであって、そのほか99%以上のワインは妥協でしかありません。消費者からすれば、優れたワインが高くて買えないからなんとなくその片鱗があるワインをあきらめて買うような事態に陥るわけです。そんな商売でいいのでしょうか。そんなワイン観でいいのでしょうか。

世の中にあふれる「RP97点のワインのセカンド」とか、「×××というワインはまるでモンラッシェだ」とか、「DRCで働いていた誰それの実家のドメーヌだ」とか、の宣伝文句を見ると、それぞれどれも別々の魅力がある個々のワインの消費文脈適合性とは無縁なところでワインが販売・消費されている状況は明確です。しかしそれがワインの本来の消費様態なのでしょうか。ふつうの消費者なら、そんな消費財は楽しめません。遅かれ早かれ、「ワインってウザい」、「知識と金の自慢趣味には付き合えない」と思われ、嫌われてしまうのではないかと危惧します。

 

 ワインは虚空に単独の物体として存在しているわけではなく、消費対象としては例外なくなんらかの具体的文脈において存在しています。ですからワインの効用は文脈を念頭において考察されねばなりません。

 今回の参加者はワインをビジネスにしているのですから、彼らにとってのワインは、彼ら個人の(つまり消費者としての)好き嫌いとは関係ありません。最終的に消費者の満足がより高まるようなワインがよいワインであり、売るべきワインです。

 消費者の満足度と文脈適合性は比例します。ならば、消費者にとっての文脈適合性を高めること=満足度向上=売上向上です。特にレストラン向けの商売をしている以上(コレクターはまた別の話)は、それが基本的スタンスでなければいけないと思います。

 

 というわけで、いろいろなワインの文脈適合性=効用の話(実際の内容は、受講者のみぞ知る、です)をしました。私はそれがプロにとってのワインの勉強の基本だと思うのですが、不思議なぐらい、そのようなセミナーはめったにありません。誰とかの畑が何ヘクタールだとか、どのワインの新樽比率が何パーセントか、といった話ばかりです。消費者はそのような情報が何百あってもワインは選べません。

 そうではなく、まずどのような消費文脈が存在しうるのかを考え、それぞれの文脈にどのようなワインが適合するのかを考え、次に初めて、それはどのワインなのか、を見定めていかねばならないのです。個別のワインから論を進めるのではなく、まずは消費文脈から入るべき。具体的に言えば、皆さんが例えば天ぷら屋なら、どんなに偉大だろうが点数が高かろうが有名だろうが、天ぷらをおいしくしないワインは無意味なワインでしょう。それが理解されないこと自体が、日本におけるワインの大きな問題だと思っています。

 

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