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2017.07.17

アンジューのワインと、とんかつ

 日本橋人形町の裏通りで再興なった、静岡で1969年に創業したとんかつの伝説的名店『かつ好』。ここでアンジューのワインととんかつを味わう会を開催しました。

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路地裏の分かりにくい場所にある店。




 かつて二度ほど静岡市まで食べに行ったことがあります。とんかつ好きにとっては東京から静岡まで食べに行く必要がある店でした。揚げ油にごま油を使用する。とんかつの下に金網を置いて衣が濡れるのを防ぐ。キャベツの千切り専用のドレッシングを用意する。からしに粒マスタードを使う。わさび醤油やポン酢おろしも提供する。といった、現在では一般化した手法は、私の記憶する限りはこの店がパイオニアだと思います。

 個々のアイデアが秀逸なのは当然として、『かつ好』の卓越性は要素連関の一貫性と完成度にあります。そしてそれは、料理だけではなく店舗設計や什器備品に至るまでの全体を網羅しています。日本の場合、料理がおいしければそれですべて事足れりと思う傾向にあるようで、言語道断なサービスや不快な清掃状態の「とんかつの名店」もあるのですが、その観点からしても『かつ好』は模範的な存在だと思います。



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▲二代目ご主人の話を聞く。


 この店が近所に開店してから、どんなワインが合うかを考えてきました。とんかつは流速が遅く重心が下で水平的な形の料理です。とんかつ以外の『かつ好』の料理、たとえば車海老フライもそうです。そしてとんかつは硬質なエッジ感がなく、コクがあって、酸がありません。だからそういう味のワインでなければなりません。

 世界のどのような産地でもそういったワインは存在します。ではひとつの産地じたいが全体としてそのような性質のワインを産出するのはどこでしょうか。

 このような問いを適切に設け、それに適切な回答を与えられるようになることが、ワインの勉強の最も重要な(少なくとも飲食店においては)目的です。個別のワインについての知識が莫大にあっても、マクロ的な把握がなければ役に立ちません。先日ある専門料理店に行ったとき、どのドメーヌがどのグラン・クリュを何ヘクタール所有しているかといった知識を暗記しているブルゴーニュに詳しいソムリエの方に、どのアペラシオンがこの店の料理に一番合いますか、それはなぜですか、と聞いてみたのですが、答えてもらえませんでした。そんなに難しい質問でしょうか。豚肉専門店でブルゴーニュの赤ワインを揃えるなら、平均をとれば、メルキュレであってもリュリーではなく、シャサーニュであってもヴォルネイではないはずです。店側が料理をおいしくするワインを選べないなら、お客にとってはさらにその中からのみの選択になるのだから、ますます料理をおいしくするワインに出会う確率は低くなるではありませんか。

 話を戻して、ではとんかつ屋さんにふさわしい産地はどこか。今回の私の仮説は、アンジューです。

 アンジューはフランスでは大メジャーですね。普通のビストロに行ったらよくあるアペラシオン、ないし産地。アンジュー・ブランやアンジュー・ルージュはグラスワインでもよく見かけます。フランスワインが好きな人なら必ず飲んでいるはず。前菜のハムやサラミやリエット(つまり豚肉)とアンジュー、ないし、甲殻類にアンジューです。ならば、とんかつと海老フライが出てくるなら、順当にアンジューなのです。

 アンジューは誤解の多い産地だと思います。まずアンジューの代表的アペラシオンといえばカール・ド・ショームやボンヌゾーですが、これは甘口です。一般によく知られたアンジューのワインはロゼ・ダンジュー。これも甘いですし、そもそもあまりおいしいワインがありません。

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▲アンジューの畑。

辛口白ワインといえばサヴニエール・クーレ・ド・セランが代表でしょうけれど、これは例外です。なぜならこれだけがアンジューの中で明確に急斜面の畑だからです。つまり流速が早く、垂直的な味です。アンジュー地区はほぼすべて平地の畑です。ここがひとつの大きなポイントで、どのワインも流速が遅く、水平的で、重心が低い味です。そして土壌は基本的に非・石灰なので、酸が引き締まらずに穏やかです。高価・有名アペラシオン(カール・ド・ショームやショームやボンヌゾーやクーレ・ド・セラン)はシストですから酸がそれなりに明確ですが、大半の安価なワインは砂岩や砂や粘土や石英が多く、ますます酸は穏やかです。だからとんかつ屋さん向けなのです。

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▲アンジュー=シストというわけではない。



日本ではブランド趣味的なアプローチが多いですし、高級有名ワインを飲めばその産地が理解できると思われているようです。つまり、ブルゴーニュならモンラッシェとロマネ・コンティ、ボルドーならラフィットとペトリュースとイケムを飲めば分かる、といった考えです。確かに観賞用ワインならそれは必ずしも間違いではありません。ところがアンジュー(ロワール全体、と言ってもいい)は基本、鑑賞用ワイン産地ではなく、実際に使用するためのワインの産地です。だからフランスではロワールがレストランで最も売れるワイン産地なわけです。高価なワインを一通り飲めばアンジューのワインが分かるというわけではありません。

だからアンジューのワインがどれほど役に立つのかを知り、アンジューのワインでなければならない状況は他のワインではなかなか代替できないということを経験している人は決して多くはないように思えます。もし多ければ、日本のレストランでもアンジューが常備されていてしかるべきですし、ワインショップでももっと多く品ぞろえしてあるはずです。日本でアンジューのワインを扱っているとすれば、それはアンジューの個性が欲しいからというより、「ビオワイン」が多い産地だからでしょう。なんといってもニコラ・ジョリーとマーク・アンジェリのいる産地なのですから。

 

お出しした料理とワインの組み合わせは以下の通りです。

1、玉ねぎサラダ 

VdF Completement Ma Bulle 2015  Patrick Thomas

シュナン・ブランのトラディショナル法の泡、オーガニック。唯一エッジ感のある生の玉ねぎには、酸がくっきりとしたトラディショナル法。

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2、大豆角煮

VdF Hommage 2015  Didier Hauret

シュナン・ブランのアンセストラル法の泡、オーガニック。アンセストラル法ならではのとろみ、甘みが角煮にぴったり。

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3、海老フライ

Anjou Villages Les Oiselles 2015 Dhomme

カベルネ・ソーヴィニヨン、樽なし、オーガニック。アンジューでカベルネ・ソーヴィニヨン単一は極めて珍しい。海老のゴツさをこの品種が受け止める。カベルネ・フランだと重心が下にはならない。

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4、三味煮(しょうゆ味のリエットみたいなもの)

VdF Touches Les Grolleau! 2015 Herve Bosse

グロローの辛口赤、樽なし、オーガニック。けっこう癖っぽいスパイシーなワインで、他より酸が高い。

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5、ロースかつ

Savennieres Coulee de Serrant 2004 Nicola Joly

シュナン・ブラン、ビオディナミ。厚みのあるゆったりとした質感とコクと巨大なスケールと長大な余韻。ロースの脂身がとてもおいしくなる。空前絶後の相性。

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6、すっぽんカレー

Coteaux du Layon Cuvee Laure 2015 Patrick Thomas

シュナン・ブランの甘口、SO2無添加。甘口で無濾過無添加は超珍しい。もちろんこういうワインは輸入したら再発酵してしまうはず。普通の甘口とは異なるスケール感と伸びやかさ。カレーの辛さに対してマンゴチャツネを添えるような相性。

 

 ワインはすべて現地購入ですし、ニコラ・ジョリー以外は日本に輸入されていないと思うので、名前を書いてもあまり意味がないでしょう。大事なのは、何度も言っていますが、個別名ではなく、アンジューは流速が遅く、水平的で、重心が低く、酸が穏やか、という共通項です。例外なく、どれもそうでした。そして興味深いのは、例外なく、後味に若干の苦みがあることです。その苦みはどこかビール的で、酸がない分、料理の味をうまく引き締める役割をしています。苦みがなくて酸が強ければ(サンセールのように)、脂肪の甘さを相殺してしまい、とんかつを食べる意味を減じることになるのですが、酸が低くて苦みのあるワインは、くどさを減じても甘さを殺さず(まあ、ビールととんかつの相性にも似ています)、コースを通して心地よく、胃もたれなく食べ進むことができます。

 「クーレ・ド・セランは例外だと言っておきながらクーレ・ド・セランを出しているではないか」、とつっこまれるはずです。健全果で造られた通常のクーレ・ド・セランなら確かに「例外」であって、とんかつには合いません。ニコラ・ジョリーのワインの中ではヴュー・クロのほうにするべきでしょう。しかし今回のクーレ・ド・セランは2004年です。この年は相当貴腐ブドウが入っていて、MLFを行っており、例外的な味です。まさに流速が遅く、水平的で、重心が低く、酸が穏やかなのです。私は2004年は空前の大傑作だと思っています。大昔のクーレ・ド・セランはセックというよりモワルーだったはず。この年は残糖はなくとも風味的質感的形状的にモワルーです。参加された方は「すごい。モンラッシェと並んでフランス白ワインの代表とされる意味がよく分かる。クーレ・ド・セランを見直した」と言われていました。

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 合うワインと一緒に食べると、料理はさらにおいしくなります。おいしくなるとは、本質的な魅力が倍増し、余計な要素がなくなり、より純化した味になるということです。しかし合わないワインと一緒に食べると、確実に1+1=0です。ワインと料理は往々にして1+1=3なのか、1+1=0なのか、なのです。他の飲み物だと1+1=2を確実に狙えますが、それ以上にはなかなかならないように思えます。だからワインは楽しいのです。

 ちなみに今回ワインを飲んだ器は、いつも私が使用している白い磁器のカップです。グラスで飲んでは味が硬くなったり重心が上がったりして、今回のような奇跡的なおいしさにはならなかったでしょう。日本料理店ではいい加減、グラスでワインを飲むのをやめればいいのにと思います。日本の料理は基本、味がソフトで重心が下なのですから。

 

 

 

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