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2017.11.25

フランチャコルタ試飲会

 11月14日、帝国ホテルでフランチャコルタ協会主催の試飲会が開催されました。今までも開催していたのかも知れませんが、私は初めての経験。よい学習機会となりました。

 

 さて、フランチャコルタは冗談みたいなものです。今ではやたらと高級イメージですし、高価格=高品質=シリアスという等号が西洋のどの産地でも確立してしまっている息苦しい現代においては、たぶんフランチャコルタにもシリアスな味が求められているのでしょうが、そのスタンスじたいが間違っていると思っています。

 ミラノのお金持ちの趣味的ワイン、意識的に作り上げたシャンパーニュのパロディ。それがフランチャコルタです。第二次大戦後のイタリアで、敵国だった国のシャンパーニュを飲むことなど困難だった時、シャンパーニュの味に親しんでいた上流階級が自国で似たものを作ったのが初期のフランチャコルタだと、現地で以前聞いたことがあります。

 パロディならパロディで、割り切ればいいのです。ポジティブにとらえればいいのです。センスのよい換骨奪胎、模倣、文脈ずらし、脱構築は、新たな次元を開拓し、世界の領域を拡大し、さらに我々の認識と理解を進化させ深化させるために、最も有効な手段のひとつです。何をどうやっても、自然の恵みと人間のセンスのよさで、驚くほどのレベルのワインができてしまうのがイタリアという国のすごさ。実際フランチャコルタもそうです。客観的に見て、たいしたものだ、と言うしかありません。しかしパロディとしての高品質さは、ブルゴーニュの修道士的な姿勢で造られた高品質さとは違うものです。フランチャコルタがモンティ・パイソンならブルゴーニュやそれに類するフランスワインはドキュメンタリー。どちらも見事なBBC放送番組だとしても、です。私は「フランチャコルタ=シャンパーニュの模倣=ダメ」という、ありがちなロジックには賛同しません。それを言ったら、我々日本など模倣の歴史です。

 現代のフランチャコルタの問題は、模倣性じたいではなく(そこを論点にしている人も多いのですが)、模倣に充足してオリジナルの文脈を踏襲していることです。オリジナルの文脈内にとどまったままでは、永遠にオリジナルは超えられません。模倣からはじけ飛んで外殻を破り、世界の果てだと思われている境界線を飛び越えてしまうことを求めるべきなのに、安易な既存枠組み内的完成度(それは彼らにしてみればテロワール的にも才覚的にもたやすいはず)の追求に向かう。だから現在の多くのフランチャコルタには、笑いがない。左うちわな遊びがない。吉原の座敷での大店の旦那の宴会芸が見たいのに、超まっとうなビジネスとしての高級ワイン造りの真摯な姿勢を見せられても困る。換言するなら、シャンパーニュの呪縛を解かずしてフランチャコルタの飛躍はないのに、むしろシャンパーニュ的な味わいに向かっていることに抵抗感があるのです。

 そう感じてしまうのも、新しい生産者たちが産地の東側に多く登場したからです。昔のフランチャコルタは西側中心でした。西側は基本的にモレーン、東側は石灰岩です。つまり、昔のフランチャコルタはほんわかふっくらソフトで温かい重心が上気味の味、今の多くのフランチャコルタはきっちりかっちりの固く冷たい重心が下気味の味です。品種も変わりました。最初期のフランチャコルタはピノ・ブランのワインです。今の栽培面積の8割はシャルドネです。ピノ・ブランとシャルドネの違いは、先に述べた土壌の違いと同じで、陽と陰、外向と内向、上と下です。石灰とシャルドネの組み合わせがシャンパーニュ的になるのは当然です。世の中、瓶内二次発酵のワインのリファレンススタンダードがシャンパーニュであることは論を待ちません。初期のフランチャコルタは製法はシャンパーニュと同じでも、土壌と品種が異なるから、まったく違う味わいになっていました。もともとフランチャコルタはイタリアで最も早く、8月半ばに収穫してしまう産地です。つまりブドウの側に立ってみればイタリアで最も温かい。そういう味のワインになってしかるべきです。そのまま完成度を上げ、シャンパーニュと違う世界を打ち立てる可能性があったのに、フランチャコルタは世の中の基準に取り込まれてしまったのです。さらに今ではどの産地も酸を重視して早く収穫する傾向にあります。それではますますシャンパーニュの味に近づきます。あの、硬質で冷たいシリアスな味です。それが望みなら、私はシャンパーニュを買います。彼らはあの完成度に至るまでに産地全体の総力をあげて何百年も費やしているのです。そう簡単に勝てる相手ではありませんし、もともと戦うべき相手でもありません。

 

フランチャコルタの公式サイトに掲載されているシンポジウムの席上、アルタガンマ(フェラーリやフェラガモ等イタリアハイエンドブランドの連合会)のイリー会長は以下のように発言しています。

”Prosecco cannot represent quality, tradition and top-of-the-line excellence. That role is played by Franciacorta. Italy is the land of beauty, creativity and culture. And its beauty can exalt the product and the expertise. The French are better versed financially and in distribution, but in terms of product, we have a leg up. Franciacorta wine and the Franciacorta area can epitomize the Italian ‘dolce vita’. Let us graciously leave the aperitif to Prosecco and the special occasions to Champagne”.

非常に興味深い意見ですし、基本賛同します。だからこそ私は、イタリアのドルチェ・ヴィータを表象するためには、モレーン&ピノ・ブランが生み出す明るく上昇的でふっくらとグラマラスで快楽的な味わいのほうが、石灰岩&シャルドネの修行僧的味わいより好適だと思えるのです。シャンパーニュが日常とは分断されたフォーマルな非日常のためのワインなら、フランチャコルタは日常のただ中に闖入してくるラグジュアラスな非日常=非日常を内包しつつ膨張収縮を繰り返しつつ進むスリリングにしてグラマラスな日常のための最高のワインであってほしい。そんなことができるのは天才的な美の追求者イタリアしかない。高品質=シャンパーニュ的、ではイタリアの名折れであり、恥です。

 

さる輸入元のブースで、その会社の偉い方がサービスをしていました。東側の石灰岩のフランチャコルタをテイスティングして、非常に生真面目な修行僧的味わいだな、と思いました。こんな会話をしました。

「いかにもあなたらしい真面目なワインだな」。

「私は真面目ですよ。朝は誰よりも早く出社して夜は誰よりも遅く帰ります」。

「いかにもそういう人が好きなワインという感じ」。

「私はこういうワインが好きなんです!」。

「僕はもうちょっと官能的なワインがいいな。裾がはだけた感じがいいんだ」。

すると某著名ワインバーの方が傍に来て、

 「おお、田中さんの裾のはだけたところを見てみたいな」。

 「あなたが女性なら見せてやるさ」。

 「そう来ますか」。

 「ばかやろう、酔っぱらいのおやじの会話みたいなことをさせるんじゃない」。

なんともフランチャコルタらしいやりとりだったと、振り返って、我ながら思います。

 

 話は若干逸れますが、昨日テレビ番組で、西洋における日本料理の浸透を扱っていました。白いご飯にお好み焼きソースをかけたり、寿司をゴマダレで食べたりしていました。日本の食は禁欲的で、淡いことをよしとします。しかし食にグラマラスなコクを求める文化にあっては、日本のご飯はただ味のないものです。それはおかしい、世界基準のおいしさではないと言われたら我々はどう思うか。西欧の大国は、ご存知のとおり、帝国主義メンタリティーが抜けないので、アジアは収奪する対象です。日本の食材やアイデアをフランス料理に取り入れて偉そうにしている。しかし日本料理の文化的文脈を総体として受容する気はない。白いご飯には味をつけない、というのは日本料理にとって根本的なことです。そこが理解できないなら日本料理など食べるなと言いたい。

とはいえ、人間はそれまでの人生のあいだに内面化された判断基準からはなかなか自由になれないものです。我々の多くは、シャンパーニュの味をすべてのスパークリングワインのスタンダードとして無自覚的に内面化してしまっている。だからおのずとフランチャコルタにそれを無自覚的に該当させることになる。自分自身を対象化する努力なしには、この傾向は不可避です。

それでも言わねばなりません。高品質はひとつではない。それぞれにふさわしい文脈でのふさわしい高品質がある。これを考えて欲しい。我々消費者のキャパシティーが小さく、理解度が低く、多元的な視点が獲得できず、認識の対象は多様化できても認識の枠組みを多様化できなければ、ひとつの味わいやスタイルしか認められず、結局は白飯にお好み焼きソースをかけるのと同じことを、我々はさまざまなワインに対して行ってしまいます。フランス人が日本料理をフランスの文脈に合致するように変化させるならまだ弁護の余地はありますが、日本人がフランチャコルタをシャンパーニュの文脈で理解するなど、どんな観点からしてもおかしなことです。

 

 方向性に関する哲学的議論はともかくとして、純粋にワインの物理的な出来を見るなら、フランチャコルタはたいしたものです。ひさしぶりにフランチャコルタを飲みましたが、本当に平均レベルが上がっていると感心しました。ある意味、シャンパーニュより上です。フランチャコルタはシャンパーニュと異なり、全般的に農薬っぽい味がしません。以前はこのことに気づきませんでした。聞けば畑の7割がオーガニックないし転換中ないし実質オーガニックだとのこと。7割です。おそるべき数字です。ある生産者は「世界最大のオーガニック産地がフランチャコルタ。フランチャコルタはオーガニックワインの世界の中心」と言っていました。この点に関しては、もう無条件的に称賛するしかありません。農薬味が嫌いなら、まずはフランチャコルタを飲め、です。

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 34社の膨大な本数が並んでいた試飲会ですべてのワインを飲んだわけではありませんが、もっとも気に入ったフランチャコルタは、意外かもしれないし、順当かもしれませんが、カデルボスコ キュヴェ・プレステージ・ロゼ NV です。言うまでもなくフランチャコルタの初期から活躍している超大手。開放的で快楽的なふんわりふくよかな味です。華やかな香りに心地よく充実したクリーンな果実味。隙なく均一な密度で丸い形。まったく不安定感がなく、いいテロワールと優れたセンスを感じさせます。白よりロゼのほうが、左うちわ感が強いのがいい。がんばった感がないのは大事なのです。そういう点では、これまた当然すぎて笑われるぐらいですが、グイド・ベルルッキの灰汁の抜けた流し感もいいと思いました。カデルボスコに話を戻すなら、シャンパーニュでさえ同じく、私はあまり長期熟成ワインがいいとは思えない。その点NV30か月熟成と長すぎず、果実がフレッシュで疲れていません。この溌剌感は、私にとってフランチャコルタにはシャンパーニュ以上に重要に思えます。

 そのブースには知り合いがいました。ジャパン・ワイン・チャレンジの審査員として私のテーブルだった方です。今年、ちょうどフランチャコルタの審査が私のところにまわってきました。いや、それがフランチャコルタかどうかはブラインドだからわかりませんが、まあ、どう見てもフランチャコルタでした。私はそこでフランチャコルタとは何か、どうあるべきなのか、について滔々と語り、ワインAがワインBより優れている理由を説明していました。すると、その方が「ところで私が誰か知っていてものを話しているのか」と。「いえ、知りません。私は誰が審査員なのか事前に知りません」。「私はカデルボスコから来た」。「おお、ならば話が早い。私の意見に賛同しますか?」。「ええ、あなたはフランチャコルタをよく知っているね」。私はその時も、今回と同じ考えを述べていました。一言でいうなら、シャンパーニュもどきではなく、らしさの強いものを評価せよ、です。しかし釈迦に説法とはこのことです!

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 もうひとつ気に入ったのは、Santusです。2005年に栽培学者Maria Luisa Santus さんと 写真のGianfranco Paganoさんが立ち上げた10ヘクタールの小さなワイナリー。シャルドネ80%、ピノ・ネロ20%ですが、シャルドネにありがちないやな固さが感じられません。しっかり熟した果実のコクと質感の厚みと堂々たるスケール感と余裕があり、その中にしっかりとミネラルの構造があります。いわく、「多くのフランチャコルタは早く収穫しすぎて青い酸が目立つし、本当のミネラル感が表現されていない」。私も同感ですから、「ミネラリティ―は熟したブドウからのみ得られるものです!」。「その通り!」。私はこういう味のするスパークリングワインが好きです。ジャック・セロスもそこがポイントです。セロスも高アルコール・低酸をおそれず、熟したブドウを使っています。とにかく、同じことばかり言って徒労感がありますが、ワインは熟したブドウから造ってください、お願いします。ここは訪問したいと思いました。
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 興味深かったのは、カステッロ・ボノミ。畑はミラノとヴェネチアのあいだを結ぶ高速道路の南側にポコンと飛び出た石灰岩の丘の南斜面です。この高速はよく通りますが、その北側の丘陵だけがフランチャコルタだと思っていましたし、ちょうどカステッロ・ボノミのあるコッカーリオあたりの高速の北側のわきにはショッピング・モールがあって、運転しているとそちらばかり見てしまいます。ここまで南だと、ワインはイゼオ湖の影響をあまり感じない、メリハリ型=内陸型の味がします。けっこうな斜面ですから垂直性も強い。ですからシャンパーニュ的な側面が強まります。これはこれで大した完成度のワインです。

 

 

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