« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月の記事

2017.12.30

アルザス、ジュラ紀のグラン・クリュ

Dsc05174



 アルザス・グラン・クリュの中からジュラ紀のものを集め、この地質年代ならではの個性を理解するための講座を開催しました。
 ジュラ紀といえば、思い出すのはブルゴーニュです。実際ジュラ紀のアルザスはブルゴーニュの白ワインとどこか似ています。堂々としたスケール感と外向的・積極的な力強さと太くしっかりとした酸とコントラストの大きさと黄色系果実味があるからです。
 ジュラ紀のグラン・クリュはすべて石灰岩・泥灰岩です。そのようなアルカリ性土壌の畑には普通ピノ・グリ、ゲヴュルツトラミネール、ミュスカが植えられます。リースリングは花崗岩や砂岩や片岩に向くとされます。「非・石灰土壌にリースリング」は、ドイツでもオーストラリアでもオーストリアでも該当する基本です。
 確かに第三紀石灰岩・泥灰岩のグラン・クリュでは、リースリングはごつく、泥臭く、香りが重くなりがちです。しかしどういうわけだかジュラ紀ではそうはなりません。たとえばアルテンベルグ・ド・ヴォルクスハイムは石灰岩にもかかわらずリースリングが主として植えられています。他の品種のワインも素晴らしいとはいえ、確かにリースリングが一番表現力が豊かで説得力があるという印象です。
 私は最近、このグラン・クリュのリースリングが以前にも増して好きです。地球温暖化によって酸がボケたワインが多くなってきた最近では、このグラン・クリュの石灰らしいメリハリのある酸が特に気持ちよく感じます。以前、オリヴィエ・ウンブレヒトに「石灰・リースリング」に関する質問をした時、彼の答えは「確かにリースリングと石灰は合わないとされてきたが、地球温暖化で事情が変化してきた。昔は酸が青かったが、今ではそうではない」。短い時間でずいぶんと事情が変わるものです。それに対応して我々の理解も変化していかねばなりません。     
 気温だけではなく、渇水ストレスの問題もあります。石灰岩は水を含むので、そして泥灰岩土壌のグラン・クリュは粘土が多いので、高温=土壌からの水分蒸散量の増大に対して有利だと考えられます。渇水ストレスはワインをエグくします。リースリングはエグいほうがいいとはさすがに言えないでしょう。

 今回は二種類のアルテンベルグ・ド・ヴォルクスハイムのワインを出しました。どちらも2015年です。ひとつはオーガニック、残糖なし、MLF、無濾過。亜硫酸極小のリスネール、もうひとつは普通の仕事をしている地元消費向け残糖ありのディシュレール。いろんな意味で対極的なワインですが、どう造ろうとアルテンベルグ・ド・ヴォルクスハイムはアルテンベルグ・ド・ヴォルクスハイム。類似点のほうが多い。それがフランスのアペラシオンのワインというものですし、グラン・クリュには意味があるということです。
 講座参加者の方々は揃って後者がおいしいと言っていました。私もディシュレールの2015年は奇跡的な傑作だと思います。残糖16グラム、アルコール度数14度、pH2.95!極端です。それが奇形的にはならず、極めてコントラストが大きく、スケール感のある味わいを生み出しているのです。料理は羊のビリヤニを合わせました。考えられないぐらいおいしい相性。参加者の方々がむさぼるように食べ、また飲んでいるのを見て、皆同じことを考えているのだと思いました。だいたい羊のビリヤニにはリースリングを合わせないでしょう。リースリングには魚といった考えが一般的(リースリングにはニシンの酢漬け、とか。本当においしいですか?)だからです。リースリングの表現力の豊かさと多様性を忘れてはいけません。いずれにせよ、羊のビリヤニが合うということから、逆にアルテンベルグ・ド・ヴォルクスハイムの力強さと逞しさが分かると思います。
 私は通常はオーガニックやビオディナミのワインを買います。アルザスは特にそれらのワインの宝庫です。しかし私は決して原理主義者ではないので、結果がおいしければ普通の農法・製法のワインであっても拒絶はしません。ディシュレールはいたって普通の農法・製法です。もうひとつ、今回の一番人気だったゲットのゴルデールも普通の農法・製法です。
 ご参加の方々はビオディナミに造詣が深く、農薬味がいいとは絶対に言いません。ビオディナミのアルザスなら何十生産者も飲まれています。それでも普通のワインをいいと言うのはなぜか。分からなくはありません。SO2の問題です。日本ではフリーSO2が15ミリグラム以下でないと多くの輸入元や消費者からそっぽを向かれてしまいます。いつのまにか自然な味=おいしい味=SO2無添加ないし瓶詰め時のみ極少量添加という等号ができているかのようです。しかしSO2を少なくするためには、pHを下げるほうがいい。下げるためには収穫を早めないといけない。早くすればスケール感も複雑性も、さらには土地の味も出ない。もちろん残糖は禁物。無濾過にするためにはMLFをする。となると、最近のオーガニック・ビオディナミ系独特の味になってしまうわけです。それがおいしいかどうか、ティピシティがあるかどうかは別の話です。ブレタノミセスや酸化や流通過程での劣化に関しては言うに及ばず、です。
 SO2は必要以上に入れてはいけないのは常識。しかし、入れなければそのまま優れたワイン、自然なワイン、テロワールを表現するワインに自動的・無条件的になるわけではありません。分析表のSO2の数字をまず見てテイスティングする人、ないしテイスティングの時にそこに意識を集中する人が最近多いようです。それは原理主義的アプローチ、手段と目的の転倒です。「黒い猫も白い猫もネズミを捕る猫がよい猫だ」(鄧小平)です。毛沢東による批判は「主義と方針なき実用主義的観点」。いかにも。ようは目的意識が明確で、そのための手段選択が意識的で、その結果でよしあしを判断すればいいだけの話です。私はディシュレールもゲットも最高だとは思いませんが、それぞれきちんと土地の個性を表現しているという点において、つまり目的合理性において、よい結果をうみだしていることは事実です。
 大多数の日本のワインファンにとっては、このような発言=反動的・保守的な添加物好きな味音痴です。実際に言われたこともあります。別に私は私がおいしいと思うものをおいしいと言うだけですから、99・99%の人と違っても構いません。私は未熟なブドウからできる、あの神経質で尖って重心がうわずって土台がなく内向的な味が好きではありません。そもそも私は未熟なブドウのワインを飲むとなぜか頭痛がします。比喩ではなく本当にそうです。SO2だけが頭痛をもたらすのではありません。今回人気だった二つのワインは、残糖と亜硫酸をいとわずに完熟したブドウで造られた、熟した味が大事だと思う生産者のものです。
 アルザス・グラン・クリュの中でも、一流グラン・クリュと二流グラン・クリュがあるのは事実です。シュロスベルグやスポーレンやキルシュベルグ・ド・バールやアイシュベルグやガイズベルグやランゲンを一流グラン・クリュと呼んでも誰も否定はしないでしょう。ゴルデールも一流です。今回もその存在感の強さ、格調高さ、スケール感、姿かたちのきれいさ、余韻の長さが際立っていました。ちなみにゴルデールは丘の上から村のすぐ横までがグラン・クリュです。斜面上と下ではずいぶんキャラクターが違います。ゲットは森のすぐ下、斜面最上部です。かの有名なクロ・サン・ティメールと同じ標高です。ご参加の方々は「今まで思っていたゴルデールの味と違って伸びやか」と言われていました。それは当然で、最上部区画のワインが輸入されない(されているかも知れませんが見たことがない)からです。
 ところで今回のシュタイネールはピエール・フリックのSGN。さきほどSO2の話をしていて、16年も経ったピエール・フリックを出すのはどういう意味かと思われるかも知れません。ワインは濃いほうじ茶みたいな色です。どう見ても劣化していると思うでしょう。しかし味わいはフレッシュで元気いっぱい。不思議というか、さすがというか、ワインは難しいというか。やはり、いいものはいい、悪いものは悪いとしか言えません。

ペルナン・ヴェルジュレスの講座

Dsc05177_2


 ペルナン・ヴェルジュレスでの取材をもとに、この村のワインのおもしろさを探求する講座を開催しました。
 ブルゴーニュには「ピュリニー」や「ジュヴレ」といった“メジャー”村と、「サントネイ」や「フィサン」といった“マイナー”村があります。ボルドーやブルゴーニュのような大メジャー産地は、そもそもメジャーが好きな人が好むのか、とりわけメジャー村に人気が集中しているようです。確定した権威に自己投影することで自分を大きく見せることができる、ないし他の人がいいと言っているものをいいと言うことで安心を得ることができる、といった理由からでしょう。
 もちろん自分で考えてそれが本当に好きならなんでもいい。しかしなぜ一部の村に集中してしまうのか。ブルゴーニュのファンなら全村のワインを飲んでいますから、もっと答えがばらけてもいいはずなのです。今までいろいろな人に「ピュリニーのどこがいいの?」、「ジュヴレはどういう特徴なの?」と聞いてきたところでは、「ミネラリーで酸があるから」、「鉄っぽいところ」とか、よく分からない、というか素っ頓狂な答えしか返ってきません。過去20年同じ質問をして同じ答えだというがおもしろい点です。
 さらには、ワイン会によく行く人たちによれば(私は行ったことがないのでわかりません)、メジャー村のメジャー生産者のワイン以外を持っていくと馬鹿にされたり次は呼ばれなかったりするそうです。それが本当ならひどい話です。どんな意味でもです。少なくとも私にはそのような姿勢にワインへの愛を感じることはできません。そういうノリの人たちがブルゴーニュワイン市場・評価を仕切っているのではと想像するとぞっとします。 
 単純に言えば、一般にいいとされるものをいいと言うより、大勢がいいと言わないもののよさを自分の努力で発見してそれを人に伝えるほうが何万倍も難しく、知の深化に貢献する人間的な行為だと思います。そのためには、ブルゴーニュの全村のワインの一通りの理解という議論の前提にまだ立っていないワインファン(私も含め)は、努力していろいろなブルゴーニュをテイスティングし、全村を公平かつ俯瞰的に考える機会を持たないといけない。個人の好き嫌いの前に、それぞれのどこがどういいのかを考えないといけない。
 ペルナン・ヴェルジュレスは明らかに“マイナー”カテゴリーに属する村です。一番好きな村はどこですかと聞いてペルナン・ヴェルジュレスと答えた人は今まででひとりしか知りません。
 ペルナン・ヴェルジュレスは赤と白では大きく性格が異なります。昔はそうではなかったはずです。なぜなら私が子供の頃はペルナン・ヴェルジュレスは圧倒的に赤ワインの産地であり、ピノ・ノワールが谷の北と南のどちらにも(つまりコルトンの丘側とサヴィニーの丘側)植えられていたからです。しかし今では圧倒的に白の産地です。ピノ・ノワールは谷の出口に位置する標高の低い石灰岩土壌の畑(レ・ヴェルジュレスやレ・フィショあたり)に集中しています。白はコルトン・シャルルマーニュのひとつのリューディ、アン・シャルルマーニュを代表として、奥まった標高の高い泥灰岩土壌から主に産出されます。この状況では、白と赤はまるで別のアペラシオンのワインです。
 赤は、ですから、相対的にはごりっとした重たい味。白はくっきりシャープな上昇的な味です。今回はアン・カラドゥー(昔は赤の畑、最近は半分づつ)の赤と白を出して、赤と白どちらがいいか議論しました。私は赤はよくある泥臭いコート・ド・ボーヌ味でおもしろくないと思っています。白はペルナン・ヴェルジュレス的というより新世界的な解放感とフルーティさがあって評価が分かれますが、それでも赤よりは飲んでいて楽しく、裏表のない性格が落ち着くので、いいと思います。抜けのよいワインが出来るほうが基本的には正しい品種です。アン・カラドゥーにせよ、レ・ヴェルジュレスにせよ、悪いテロワールだとは言いません。問題はむしろ、ピノ・ノワール100%にあります。シャンドン・ド・ブリアイユの混植混醸の赤を飲んで皆さんもピノ・ノワール100%の問題点に気づかれたはずです。しかし今ではピノ・ノワールの畑にピノ・グリやピノ・ブランを混植しないので、どうしようもありません。とはいえ、これはあくまでマイノリティーな意見ですし、日本の主流派ブルゴーニュファンの方々にそんなことを言ったら馬鹿にされるでしょう。
 赤は石灰岩土壌と泥灰岩土壌がブレンドされているのがいいのです。ロマネ・コンティやシャンベルタンがまさにそうです。しかし先述のように、圧倒的多数の一級の赤は石灰岩土壌。だからペルナン・ヴェルジュレスの赤はむしろヴィラージュに可能性があります。お出ししたワインは石灰岩主体に泥灰岩をプラス。ちょうどいいバランスです。逆の比率ではいけません。
 白は赤よりずっとあか抜けています。笑われるのを承知で譬えるなら、コート・ドールのシャブリです。泥灰岩土壌と冷涼気候の味。フェンネルっぽさとさらりとしたオイリーさと青りんご的酸。同じ生産者・同じヴィンテージのアン・カラドゥーとスー・フレティーユの比較はおもしろいものでした。しかしこの場合でも両者をブレンドしたほうがおいしい。ただし赤とは逆に、石灰岩3割に泥灰岩7割ぐらいの比率だと思います。
 ペルナンのサンディカ会長のワインは樹齢100年のアリゴテ。たった一年のみ少量造られました。アリゴテの畑を買ってシャルドネに植え替えてしまったからです。その前のヴィンテージ一回だけの作品です。もったいない話です。この生産者のベストワインです。日本にも輸入されているので飲まれた方も多いと思います。ものすごいパワー感です。しかし質感はこまやか。そこがアリゴテのよさです。
 このジャニアールのアリゴテはスー・フレティーユの裏側の畑です。ドラルシュのアリゴテはコルトン・シャルルマーニュの延長線上、コルトンの丘の北側からできます。これは圧倒的な完成度です。どのシャルドネより素晴らしい。そしてコルトンの丘が優れたテロワールだとよく分かります。もし「君の好きなブルゴーニュの白は?」と聞かれたら、私は「コルトンの丘の裏側にあるアリゴテ」と答えたいぐらいです。
 同じ生産者のコルトン・シャルルマーニュはアリゴテとほぼ同じ味です。質感や形がそっくりです。二つを飲むと、コルトンの丘の味がしっかり理解できます。そしてテロワールは品種に優先するという意味も分かります。このコルトン・シャルルマーニュはシャルドネ、ピノ・ブラン、ピノ・グリ混植混醸なので(ペルナンにはまだ混植混醸のコルトン・シャルルマーニュが残っています)、よくあるコルトン・シャルルマーニュよりずっと複雑で垂直性があり、かつこまやかです。それでもアリゴテの気品には勝てません。余計なざらつき(シャルドネの質感はきめが粗いものです)やぜい肉がなく、何か抽象的なものがすーっと伸び上がるのがアリゴテです。コルトン・シャルルマーニュは分かりやすいとも言えますが、世俗的だとも言えます。ペルナンの丘の森の中にはシトー派修道院の遺跡があります(今回はじめて知りました。私有地なので入ることはできません)。アリゴテの方がシャルドネよりシトー派的な味です。シャルドネに禁欲や清貧は似合いません。もちろん中世にはシャルドネという品種じたい植えられていなかったはずです。コルトン・シャルルマーニュのグレード・アップ版の味が十分の一の値段で入手できるのだからアリゴテでいいではないですか。とはいえこのワインは日本に輸入されません。これがいいと皆が思えば輸入もされるでしょうが、当然このアリゴテを評価する人は超マイノリティーです。こうしてどんどんアリゴテが引き抜かれていきます。蛮行の極致です。しかし皆がそれでいいと思うのだからしかたありません。そして多くの人は、コルトン・シャルルマーニュの味ではなく、コルトン・シャルルマーニュの名前でワインを買うからでしょう。
 ところで今回のワインのほとんどは2015年です。2015年は補糖していません。当然こんな暑い年に補糖する必要はありません。それがいいのです。比較のために2014年も出しました。圧倒的大多数の人は2014年は白にとってのグレート・ヴィンテージだと言います。酸がいいとか言います。それはイメージです。2014年は寒暖差が意外と少なかった年です。昼は涼しく夜はそれほど気温が下がらなかった。逆に2015年は寒暖差が極端に大きかった。そして秋には平均より気温が下がったぐらいです。だから2015年は酸があります。それはともかく、2014年は補糖をそれなりにしています。だからアルコールのボリューム感が果実じたいのボリューム感より上回っています。いったん気づけばそれが大変におかしな味に思えて後戻りできません。ブルゴーニュ最大の問題のひとつは、補糖があまりに習慣化して、あのアルコールっぽい味がいいと思われてしまっていることです。補糖してしまえばヴィンテージのキャラクターが失われます。それで何が自然な味なのか。涼しい年は涼しい年らしい味がするべきです。ブルゴーニュ以外の南の島でとれた砂糖を入れるのは倫理的にもおかしい。しかし多くのワイン好きは結局のところアルコール好きなのでしょう。だからアルコールの味がするほうがおいしいと思うのでしょう。しかし2015年は果実のボリューム感とアルコールのボリューム感が等しいので(ないし前者が後者を上回るので)、アルコール好きには物足りないのかも知れません。ドイツワインで、残糖があるシュペトレーゼと残糖がないシュペトレーゼ・トロッケン(GGを含む)を同一ヴィンテージで比較すると、原料が同じだけに、このボリューム感の意味がよく分かっていただけると思います。前者は果実のボリューム感が確実にアルコール感を上回っています。GGが好きではない、古典的なシュペトレーゼがいいと言う方は多いと思いますが、それは甘さの話ではなく、ワインらしいワインのあるべきバランスの話をしているのだと解釈できます。
 2014年のペルナンの白は日本酒の大吟醸に似た味がします。私は大吟醸も嫌いです。その理由はたくさんありますが、ひとつの理由は過剰なアルコール感です。米を磨いてでんぷんばかりにして、でんぷんを糖化して発酵させたら、アルコールの味ばかりになるのは当然です。しかし皆アルコール好きなので、それがおかしいとは誰も言いません。
 ワインによそから来た混ぜ物をしない、というのは、ワインの宗教的な意味を考えても、大変に重要なことです。シトー派の聖ベルナール・ド・クレアヴォーは、ワインに香料をいれていることを挙げてベネディクト派を批判しています。この点において聖ベルナールは完全に正しい。香料を入れたら、もはやワインはキリストの血ではなく、ただの人間的な飲料になってしまいます。香料を入れたらおいしくなったかも知れませんが、ブルゴーニュワインの本義に反する。その精神は今でも尊重しなければブルゴーニュではない。だから補糖はだめなのです。この点で私は2003年、2009年、2015年といった補糖しなかった年を支持します。


 講座の最後に、ペルナンで造られるビールを出しました。ホップや麦はペルナン産ではありませんが、水はペルナンの地下水です。不思議なぐらい、ペルナンの水で造られるビールはペルナンのワインの味に似ています。それもコルトン側の丘の味です。似る理由がよく分かりません。水はペルナンの岩を通り抜けていますから、その水にペルナンの泥灰岩のキャラクターが投影されているとしか考えられません。テロワールの味を、ワイン以外のものとワインの共通分母としてとらえるおもしろさ。それはともかく、ペルナンの4Bは驚異的においしいビールです。普段ビールを飲まずそれをおいしいとも思わない私でさえ、これは珍しく心の底から感激。皆さんもペルナンに行ったらビールを買うのを忘れずに。特にIPAが秀逸です。結論は、「ペルナンでおいしいのはアリゴテとビール」です。

ポムロールと古典洋食の講座 at 京橋モルチェ

 明治から戦前にかけて日本を代表する西洋料理店といえば、「精養軒」「富士見軒」「宝亭」「東洋軒」「中央亭」(創業年順)。今回のポムロールの講座は、「中央亭」の伝統を引き継ぐ「京橋モルチェ」で行いました。「中央亭」は、華族会館調理長にして鹿鳴館を影で支えた渡辺鎌吉を調理長に迎え入れて三菱財閥総帥岩崎弥之助が明治32年に創業したレストランです。洋食ファンなら知らぬ者なき名店です。
 しかし今のモルチェのメニューは普通のビアホール的。東洋軒の流れを汲む東京會舘や資生堂パーラーと同じく、明らかに明治からの伝統を感じさせる味だとはいえ、それを訴求しているわけでもなく、せっかくの伝統と技術があるのにもったいない、オーナーである明治屋は自らの資産を意識しているのかな、と常々思っています。
 ですから今回はシェフに特別にお願いして、通常メニューとは異なる明治時代的な西洋料理を作っていただきました。たとえば「サラダはシンプルなレタスと古典的フレンチドレッシングだけにして肉のあとに出してください」、「肉はすましバターで揚げ焼きに」といった注文。なかなかこんな無理は言えません。支配人の山ちゃん(常連客は皆そう呼ぶもので)と杉本シェフのおかげです。とはいえ、見方を変えるなら、モルチェが本来やらねばならないことをやっていただいただけなのです。
 もちろん料理は驚異的なおいしさでした。百年以上の歴史はだてではありません。これほどの才能があるのになぜもっと生かせないのか。それ以上に、なぜ皆そのことに気づかないのか。ご参加された3名の方だけではなく、もっと多くの方々に知っていただきたい味でした。一番の問題は、我々消費者なのです。料理やレストランの伝統・歴史にあまりに無関心。評価の高い店、値段の高い店に行くこと=レストラン趣味ではありません。

Dsc03895
Dsc03898

Dsc03900


Dsc03905
Dsc03908
Dsc03911
 
 しかしこれは明治時代の西洋料理を味わう会ではありません。ポムロールについて学び、考える会です。年末の特別講座(毎年この時期は少し高い会を一回開催させていただいています)としてポムロールの会を開催しようと思い、ポムロールにぴったりの味の料理は何かと考えて、古典洋食と結論づけたのが話の順番です。
 ポムロールは出番のほとんどないワインです。なぜなら現代のフランス料理とは接点がない味だからです。それでいて値段は超高級。どこで飲むのかわかりません。ポムロールは極端な言い方をするなら、ボルドーっぽくもなければフランスらしくもありません。フランスのすべての高級ワインは基本的に似たような味で、確かに左岸の格付けシャトーのワインもそうです。垂直的で華やかで抜けがよく緻密で冷ややか。しかしポムロールはそうではない。なぜポムロールが歴史的には無視され(だから格付けはない)、そもそもフィロキセラ前までは白ワインの産地だったのか。ようは、伝統的な価値基準からすれば、ポムロールはダメなテロワールだからです。伝統にとらわれないアメリカがポムロール人気を作ったのは分かります。
 ポムロールの個性は、お隣のサンテミリオンと比較すると、本当に対極的ですから、よく理解できます。サンテミリオンは伝統的な価値基準に合致するワイン。いまひとつ知名度は低いとはいえテロワール的には大変に素晴らしいラロゼ(今回お出ししたもの)は、まさに垂直的で華やかで抜けがよく緻密で冷ややか。重心は上です。ですからラロゼに合わせて考えたのが、ワカサギのエスカベッシュ、コンソメ(チキンとビーフのブレンドです)、牡蠣のグラタン。奇妙に感じるかも知れませんが、土が軽めで斜面のサンテミリオンは、重心の高い魚介類に合うワインです。
 メルロという比較的新しい品種と特異な重たい粘土質土壌が偶然にもぴったり適合し、それがアメリカ人をはじめとする非伝統的な嗜好に合ったのがポムロール。その突然変異的な個性は、フランスのフランス料理の文脈では生かし切る事が出来ません。実際フランスでポムロールを頼んで、いや日本でも普通のフレンチでポムロールを頼んで、心底おいしい相性だった記憶はありません。たいがいワインが泥臭くあか抜けない味になってしまいます。
 ではどうすればいいのか。サンテミリオンとは真逆に、ポムロール(特に熟成したもの)は重心が低く水平的でスケールが大きくて流速が遅くて酸が低くてしかしタンニンは強くて樽も強くて香りが重くて余韻が長い。ですから、料理もそのような特性を持っていなければなりません。そこで和牛ヒレ肉コートレットのデミグラスソース添え、という結論になりました。もちろん素晴らしい相性です。上質なポムロールと同じだけの濃さと流速の遅さとスケール感は、グラスフェッドの牛肉やジビエには求められません。
 
レヴァンジルとレグリーズ・クリネでは後者のほうが合っていました。それはそうです。上記の個性をより顕著に表現するのは粘土質土壌で平地のワイン。レグリーズ・クリネがそれです。相対的には斜面で砂利が多いレヴァンジルは、ワイン単体で飲むと上品で、どこかポイヤック的で(さすがラフィットと同系列!)、素晴らしいのですが、その流れの速さや垂直性が料理には合いません。反対に、ワインだけで飲むより料理と合わせたほうがずっとおいしいのがレグリーズ・クリネ。生まれてはじめてポムロールが料理に合うと思いました。

Dsc03909



 ちなみに私がここで言っているポムロールは、地図上の標高35メートルの等高線の内側にあるシャトー、つまり世の中でよいとされるワインです。それを外れるとだんだん土壌が砂質になっていきますから、期待されるポムロールっぽさが少なくなり、ただフルーティで飲みやすいワインになります。それでも値段だけは高いので(国際品種メルロの聖地ですから)、ますます出番がありません。
 ポムロールといえば、以前は、ペトリュースとか、高い値段とか、ムエックスとか、ミシェル・ローランとか、ロバート・パーカーとかの名前を出すだけで終わっていました。なんか懐かしい名前。それらの名前を以前より聞かなくなった現在では、ポムロールそのものも忘れ去られたかのようです。ポムロールは明確な個性を備えた代替不可能なワインなのですから、昔のような周囲の雑音の中でワインをとらえるのではなく、純粋にそれをひとつの個性として扱い、何の役に立つのかを真剣に考える機会を持つべきです。そうでなければ、このままポムロールはなくてもいいワインになってしまいます。ポムロールは古典洋食のデミグラスソース味の和牛に合うという、忘れたくとも忘れられないぐらい素晴らしい結論を得ることができたのが今回。やっとフラットにポムロールというワインに向き合えた気がします。

 ところで、明治日本の西洋料理は必ずしもすべて直接的にフランス由来ではありません。当時の日本ではイギリスの影響が圧倒的に強かったわけで、それらは半分以上イギリス料理ないしイギリス経由のフランス料理と言えるでしょう。洋食やさんではカレーが定番だし、ウースターソースが置いてあるではないですか。ボルドーは半分イギリスワインです。今までの経験から言うなら、洋食に合う産地(個別ワインではなく)はまずはボルドーです。連綿と受け継がれる、国境を超えた味の記憶。それを自ら発見することも、レストラン趣味のひとつです。
 
 

2017.12.08

オルトレポ・パヴェーゼ

 最近けっこう名前を聞くイタリアワインがオルトレポ・パヴェーゼ。生産者の方に話を聞く機会がありました。
 オルトレポ・パヴェーゼはDOCGひとつ、DOC7つ、IGTひとつからなる複雑怪奇な産地。クロアティーナ、バルベーラ、ピノ・ネロ、リースリング、モスカートをはじめ、栽培品種はたくさん。いくつあるのかと聞いても、20超、とあいまいな答え。まあ、なんでもあり、な感じでしょうか。
 伝統的にロンバルディアの典型的・代表的な地酒です。ミラノのトラットリアに行ってこのワインを飲まないことはありえません。ロンバルディアのワイン生産量の、なんと62%を占め、栽培面積は13500ヘクタール、ワイナリー軒数は1700もあります。しかしいつもミラノで思うのですが、そこそこ高級レストランに行ってリストを見たりお客さんが飲んでいるワインを観察(トイレに立つ時にあえて回り道をして店内を歩いたりしてます)すると、ピエモンテのほうが目立ちます。いかにも。...
 戦略的には瓶内二次発酵スパークリングワインをプッシュしたいようです。ロンバルディアのスパークリングワインといえば、もちろん名高いフランチャコルタがあります。「当然フランチャコルタは素晴らしいワインだが、二千ヘクタール超程度と小さな産地で供給量には限界がある。そして高い。まあ最近フランチャコルタはずいぶんディスカウントして売られているものも多いにせよ、オルトレポ・パヴェーゼは価格対品質において強みがある」。確かにフランチャコルタは25ユーロ程度、プロセッコは10ユーロ程度、そしてオルトレポ・パヴェーゼは10ユーロ台後半ぐらいですから、瓶内二次発酵スパークリングワインという成長ポテンシャルが大きく見込まれるカテゴリーにおいて、いい感じのプライスポイントだと思います。プロセッコでは気軽すぎ、しかしフランチャコルタでは高すぎ、というレストランは多いはずです。
 ミラノの南、ピアチェンツァの西、ポー河の南の丘陵地帯にあるオルトレポ・パヴェーゼの畑は「石灰質を含むが石がなく、粘土質土壌。だからミネラリーなワインにはならず、ソフトなフルーティさが魅力となる」。ワイン通は概してミネラリーなワインが好きですが、一般の人にとってはふわっとやわらかくまろやかなオルトレポ・パヴェーゼは“飲みやすい”と言われる類のワイン。フランチャコルタに関する投稿で、産地西側のモレーンのところのフルーティさの魅力について私は述べましたが、その延長線上でとらえると、非シャンパーニュ的な味のシャンパーニュ製法ワイン(うがった言い方をするなら素人向けワイン)というポジションをしっかりおさえることができるのがオルトレポ・パヴェーゼです。料理との相性を考えても、こうしたタイプのワインが飲まれるのはコースの前半、プリモまででしょう。イタリア料理の前菜やパスタ・リゾット類に固い味のものはありませんね。
 瓶内二次発酵用品種に関しては、圧倒的にピノ・ネロ主体。DOCGのMetodo Classicoのピノ・ネロのロゼに関してはCruaseという特別な呼称まであります。シャルドネ主体のフランチャコルタに対する適切な差別化です。ピノ・ネロのほうが酸がなく質感がソフトですから、なおさらです。今回試飲したワインもピノ・ネロばかりでした。「オルトレポ・パヴェーゼは伝統的にはクロアティーナやバルベーラの産地ではないのですか。DOCにはそれらの品種の泡もあります。個人的にはバルベーラの泡は大変においしいと思います。なぜそれらの品種ではなくピノ・ネロをそこまでプッシュするのですか」と聞くと、「君みたいなプロはそれら地場品種が好きだが、一般消費者はどうかな。瓶内二次発酵ワインにとってピノ・ネロのステイタスと知名度は圧倒的だ」。ロンバルディアらしいというべきか、実利追及の怜悧な視点からのワイン産地形成がされているのです。「売れないものを造ってもしかたない。長期的・戦略的にどのような品種のどのようなワインを造っていかねばならないかを考える必要がある。各農家は目の前の農作物が今売れればそれでいいのであって、産地全体を俯瞰する視点、戦略的な視点などない」とのこと。私も、仮に産地経済に責任がある立場ならピノ・ネロ押しになるでしょう。経済学的観点からすれば、大変に興味深い産地です。
 では、おいしいか。これは微妙です。まずいわけではありません。さらっとよくできています。スティルは地酒としての割り切りがあればまだいいとは思いますが、それでも味のタイプとしては好きではありません。焦点が定まらずに垂直性がなく味が薄い印象です。メトード・クラシコはあまりに“設計”されすぎで、優秀な商品であって深淵をのぞき込む芸術だとは思えません。しかし中ではCruaseは成功していると思います。品種・スタイル・テロワールが最も合致しており、まろやかにフルーティで、適度に洗練されていて、適度にカジュアルで、これが飲まれるシチュエーションが明確にイメージできます。

Dsc05088



 オルトレポ・パヴェーゼの泡はそれなりの予算を使って日本市場への浸透を図りたいようですから、これから皆さんもますますこの名前を耳にすることになるでしょうし、飲む機会も増えるでしょう。その時は、何を期待すべきなのか、何を期待してはいけないのか、をしっかり理解して消費行動をとるべきです。設計されたワインですから、設計時の使用条件・目的と異なる用途に使っては満足度が減じられることになります。どんなワインでもそうですが、無条件的・絶対的によいワインはないのであって、特にオルトレポ・パヴェーゼに関しては、特に文脈適合型の発想をしないといけません。
 ちなみに、関係ない話ですが、個人的にはロンバルディアの泡はランブルスコ・マントヴァーノが好きです。

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »