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2018.01.28

アルザス、Trimbach

 トリンバックがアルザスワインの代表的存在であることに異論がある人は少ない。しかし私はトリンバックを長らく忌避していた。「青い、すっぱい、薄い、農薬っぽい、SO2っぽい」と思っていた。かの有名なフラッグシップ、クロ・サン・チュンヌに至っては、「これが最高のワインだと思ったらアルザスを皆が誤解してしまう」と。かつて、今のようなスターダムに上り詰める以前のダイスを訪ねた時、その前に訪問したのがトリンバックだった。ジャン・ミシェル・ダイスに「クロ・サン・チュンヌは農薬っぽくておいしいとは思えませんでした」と伝えたら、「そう思うのは普通のことだ」と言われたことを覚えている。

 しかし2009年のグラン・クリュ・ガイズベルグ・リースリングの初ヴィンテージを飲んで、おいしくないどころか、アルザスの頂点に立つワインだと思った。ガイズベルグそのものが最高のグラン・クリュであることを考慮しても、トリンバックそのものの大きな変化をそこに感じた。そもそもこのワインはグラン・クリュ・ガイズベルグとしてリリースされた。それ自体が大きな驚きだった。グラン・クリュ制度を支持する私にとっては困った存在だった、グラン・クリュ制度反対派の先鋒トリンバックは、このワインで宗旨替えしたのだ。

 

 当主にしてワインメーカーであるピエール・トリンバックに会うのは初めてだ。昔と変わらぬ広いが質素なテイスティング・ルームで彼を待つ。現れたピエールは想像より地味な、職人、といった雰囲気の人だった。日本にもよく来る弟にはガイズベルグの発表時に初めて会った。こちらはいかにもマーケティング担当な人で、ボルドーやシャンパーニュの著名生産者とも共通する身のこなしだった。トリンバックの味を決めるのはピエールの技だと言っていた。生真面目な味は、確かにピエールのものなのだと、彼を見て思った。「トリンバックは大企業なのに、建物の外も中も質素ですね」と言うと、開口一番「我々はプロテスタントだからだ」。それを最初に宣言したことに驚いた。と同時に、なるほど、と納得した。平日の昼だというのに、テイスティング・ルームの中は3時間我々だけ。訪れる人がいない。それも不思議だったが、おかげで誰にも邪魔されずに集中した話ができた。

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▲40年ものあいだワインメーカーを務める、トリンバック・スタイルの柱、ピエール・トリンバック氏。



 ともかくも私は、以前のトリンバックが好きではなかったが今は素晴らしいと思っている、と、正直に話した。好きではなかった理由のひとつ、未熟感やエグさは、地球温暖化によって自動的に解決された。農薬っぽさに関しては、「2008年からオーガニックを始めている。あと2、3年で自社畑はすべてオーガニックに転換する予定だ」とのことで、解決された。SO2っぽさに関しては、「以前は20年経たなければ飲めないワインだったが、最近はSO2を減らしたからすぐに楽しめる」とのことで、解決された。グラン・クリュ制度に関する意見の相違に関しては、「2011年の新制度の要点は各グラン・クリュが独立した個々のアペラシオンとなったことであり、それぞれのグラン・クリュの規定を所有者が自ら決めることができるようになったから賛同した」とのことで、解決された。

 万人の脳裏に刷り込まれている黄色ラベルのベーシックなリースリングが出された。まぎれもなく石灰系リースリングの味。まぎれもなく、禁欲的で垂直的な、トリンバックのリースリングの味。今回のアルザス訪問のひとつのテーマは、石灰系リースリングだった。だから私はここに座っている。石灰系リースリングの旗手がトリンバックだからだ。多くの人がアルザス・リースリングの特徴としてとらえる引き締まった構造や硬質な酸は、アルザスやリースリングの特徴というより、トリンバックの特徴、さらに言うなら、トリンバックの畑のテロワールの特徴なのである。当主にしてワインメーカーのピエール・トリンバックも、「畑はリボーヴィレを中心としてベルグハイムからフナヴィールにある。このエリアは基本的に石灰質粘土だ」と言う。

 リボーヴィレは実は涼しいエリアである。オー・ランにありながら、アルザスの村ごとの気温を調べると分かるが、バ・ランのアンドローよりも低い。かつ冷たい土壌である石灰と粘土。だから今より気温が低かった時代には酸が強くて固くて青いワインができて当然だった。しかし今では違う。昔ならもっとも嫌いな有名フランスワインのひとつだった黄色ラベルのリースリングがおいしい。感覚的記憶とそこからの推論による一般化は、定期的な情報インプットと上書きなしには誤解・偏見になってしまう。

 次のグラン・クリュ・シュロスベルグは存在感、スケール感、密度感、余韻の迫力が別格的に違う。シュロスベルグはふくよかさや温度感といった陽の側面と厳格さ、苦み、冷涼感といった陰の側面が絶妙に絡み合って重層的かつ統一的な味わいを生み出すグラン・クリュである。振り子がそのどちらに傾くかは、畑の区画やヴィンテージによって異なる。例えばワインバックは斜面下の区画が多いためにより陽の味となるだろう。トリンバックの区画は「シュロスの周囲」、つまり標高の高い急斜面かつ花崗岩の風化度合いが低い場所だから、より陰になる。トリンバックのスタイルに合致した、また地球温暖化に対応できる、よい区画を入手することができて幸運だった。

しかし酸がどこか緩い。涼しい2014年ヴィンテージにもかかわらず、だ。残留農薬の影響ではないかと思う。ピエール・トリンバック曰く、「2011年に畑を入手したが、前のオーナーは農薬をたくさん使っていたから、2014年になるまで我々が満足できる質のワインにはならず、普通のリースリングにブレンドしていた」。3年では農薬の影響を完全には払しょくできないだろう。それに対しガイズベルグは、2008年に貸与されて直後の2009年にリリースされた。こちらは畑の状態がより優れていたのだろうと想像される。

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▲グラン・クリュ・シュロスベルグ、ガイズベルグ、クロ・サン・チュンヌ。



クロ・サン・チュンヌはリースリングとして例外的であっても決して代表的なワインではない。このワインの畑、グラン・クリュ・ロザケールは、それほどよいグラン・クリュだと思ったことはない。確かにクロ・サン・チュンヌは斜面下部の普通のロザケールよりも水はけがいいとしても、限界はシュロスベルグやガイズベルグより低いところにある。香りの抜けが相対的には悪く、上方垂直性に欠けるのは以前と同じだが、それでも以前のようなぼってりしたおにぎり型の形ではなく、より垂直的になり、ゴリゴリした固さ、うっとうしい重たさ、陰気さ、熟していない酸味といった問題が感じられなくなってきた。近年の気候的・栽培的・醸造的変化がもっとも顕著に質的向上をもたらしたワインだろう。重心が低くて流速が遅くて固いリースリングという特別な個性を楽しめるようになった。とんかつに合うアルザスのリースリングといえばクロ・サン・チュンヌである。

ちなみに、アルザスの試飲会をはじめとしていろいろな機会にいろいろな人と話してきて、私自身の考えと日本のプロや通の評価が大きく異なるグラン・クリュがいくつかあることに気づいた。その代表はモエンチベルグとザーリングとヘングストのリースリングである。個人的にはそれらはピノ・グリのグラン・クリュであっても決してリースリングの土地だとは思わない。しかし三者のリースリングはロザケールに似ている。日本において、アルザス・リースリング観の形成にどれだけクロ・サン・チュンヌの影響が大きく作用しているのかが分かる。

クロ・サン・チュンヌに関して以前から気になっていたことがあったので、ピエール・トリンバックに聞いてみた。「なぜ映画、ハンニバルの、それもあんなにひどいシーンにクロ・サン・チュンヌを登場させたのか。あれを見たらトラウマとなってクロ・サン・チュンヌを飲めなくなる」。「そうなのか、クロ・サン・チュンヌが使われているのか。知らなかった」。「ではトリンバックとは無関係なのか」。「映画が勝手に使っただけだ。なんの連絡もなかった」。ハンニバル・レクターは妙にブランド好きな人物で、趣味のよさを誇示したかったのだろう。いや、ものの分かっている私、という幻想に満足したかったのだろう。しかし、クロ・サン・チュンヌがそれだけブランドとして認知されている証拠でもある。「他にはシャトー・ディケムとか出てきますし、まあそれと並ぶ超高級ワインだということで」と言うと、「シャトー・ディケムね、フン」と、どこか見下しているような表情をした。

そしてグラン・クリュ・ガイズベルグ。この区画は畑の西端、テラス状部分だ。「そこはより石灰の比率が高く表土が薄い。キュヴェ・フレデリック・エミールに使用している区画はより粘土が多い」。だからガイズベルグらしい重厚感はあっても泥臭さやもたつきがない。さすがに修道尼院はよい畑を持っている。圧巻の凝縮度、圧巻のパワー、そして圧巻の気品。別格的なワインである。2009年の初ヴィンテージにも感動したが、2012年はさらにこまやかでさらに抜けがよい。クロ・サン・チュンヌとは異なり、姿かたちが整い、潔いほどに垂直的。かつ気配の広がりもある。それだけ飲んでいるとあまりのバランスのよさゆえに逆に気づかないのだが、ガイズベルグのあとに他のワインを口にすると薄くて単調で飲めない。石灰系リースリングの頂点であり、現在のトリンバックを代表する作品である。

 

ひととおりテイスティングし、以前にも増して明確なトリンバック像が見えてきた。ピエールの最初の言葉に立ち返り、言った。「トリンバックがプロテスタント的なワインだということがよく分かった。あなたは自分自身で自分の信仰をワインに表現しようとしているのか」。「あまり直接は意識していなかったが、そう言われればそうだ」。「ではプロテスタント的なワインとはどのようなものでなければならないか、一緒に考えてみたい。プロテスタントである以上は、信徒ひとりひとりが聖書をしっかり読み、直接的に神と向き合わねばならない。儀式に参列すれば事足れりではない。ワインはキリストの血。カトリックは実体説をとり、聖別されたワインがそのままにしてキリストの血だ。ワインそのものがキリストの血というより、聖別されたワインというのがポイントだと思う。では誰が聖別するのか。聖職者が聖別するからキリストの血になるのか。それともワインの造り手が信仰によってキリストの血の象徴としてふさわしいワインを造るから、それがキリストの血なのか。私は象徴説をとるプロテスタントにあっては聖別の主体は聖職者ではなく、信仰をもつ生産者であり、また消費者であるべきと考える。つまり、生産者はキリストの血の象徴たるにふさわしいワインを造る義務を神に対して負っている。それがどのようなワインでなければならないかを、これからプロテスタントらしく、聖書じたいに即して見きたい」。とはいえ、聖書の用意はなく(成り行き上この話になっただけだ)、うろ覚えの福音書の文言をベースとするほかなかったが、それでも言いたいことは彼に伝わる。私の言っている当該箇所は当然彼も読んで分かっている。だからふたりでトリンバックのワインと聖書との整合性を検証してみることができた。詳細な話はここですべきとは思えないので省くが、トリンバックは正しくプロテスタント的な“宗教的”ワインなのだと確認した。

私の重要な論点は、「ワイン造りの完全な世俗化はいけない、それではヨーロッパワインの根幹が崩れ、その高品質を支えてきた信条・道徳・価値観・目的意識が失われてしまう。キリスト教を国教としてきたフランスのワインの優位性は、ワインとキリスト教の密接な関係が与えたものだ。単なるおいしくて売れるアルコール飲料商品はもはやワインではない」ということだ。しかしクロヴィス以来教会の長姉としてカトリック国であり続けたフランスは、1905年の政教分離法によってカトリックが国家予算とは無関係になり、宗教が教育に関与してきた伝統も失われた。それがワインにとってはよかったのかどうか。カトリックのみの特権化は疑問視されてしかるべきだし、当然信教の自由は前提としても、それは“宗教性”の拒絶を意味しないはずだ。そもそも政教分離令は、私のような素人から見たらエミール・コンブ首相率いる当時の政府とローマ教皇ピウス10世が振り上げた拳の落としどころを見失って始めた喧嘩のように映る。組織対組織、権力対権力の話であって、フランス革命時のような理念的・包括的な反キリスト教の話ではない。

1958年に制定されたフランス共和国憲法第一条は、「フランスは、不可分の、非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出自、人種又は宗教の差別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する。フランスは、あらゆる信条を保障する。フランスは、地方分権的に組織される」。たしかフランスの教育カリキュラムでは、この条文の解釈を中学二年生で学ぶはずだ。私は具体的な教育の内容を知らないが、これを、宗教的なるものはフランスにあらず、と解釈してしまったら、フランスワインから宗教性が失われてもしかたない。実際、フランスでフランス人がワインとキリスト教を結びつけて話しているのをほとんど聞いたことがない。ライシテ原則はフランス国家の基本理念であることは我々日本人でも知っているが、どうもそれが拡大解釈され、宗教の話が禁忌化されているのではないかと思えてならない。しかしワインのあるべき理想像は、より高次の価値観からのみ生まれる。技術論的各論を積み上げたからといって理想像が浮かび上がるわけではない。伝統的価値観の基盤を与えてきたのがキリスト教であることは事実なのだから、それを客観的にとらえればいいだけのことだ。その点、公認宗教制をとり、実質的にキリスト教国であることを制度的に裏付けし、義務教育の中に宗教教育を含めるドイツのほうが、ワインの精神的な伝統を守る視点からはよいと思う。

2004年のヒジャブ禁止法、2010年のブルカ禁止法、2016年のブルキニ禁止令が、ライシテ原則を根拠としていることに危惧せざるを得ない。私のような日本人から見れば、明らかに反イスラムであって、ライシテ原則にのっとっているばかりか、反している。つまりは、無意識的に、非キリスト教的=反フランスと言っているようなものだ。このような事態がまかりとおるなら、いっそフランスはキリスト教国家であると宣言したほうが筋が通る。自分を、なになにではないもの、という否定を契機に把握するのは不幸であり、いかなるワインを造るべきかという指針は得られない。1958年憲法の「非宗教的」フランスが浸透している若い世代に対して一抹の不安があるとすれば、キリスト教が与えるワインの意味が失われていることだ。幸いアルザスはフランス国内でも特に宗教心をもっている地域であり、他の多くの地域のように日曜日に教会が空席だということはなく、「特にプロテスタントの教会は若い人も多く集まっている」という。プロテスタントであることを最初に明言したピエール・トリンバックが、次の世代(弟の息子が次のワインメーカー)に、プロテスタント的ワインとしてのトリンバックのスタイルをしっかりと伝承していくことを願う。

 

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