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2018.02.13

ボルドー、Chateau Petrus

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▲シャトー・ペトリュースを外界から遮断するフェンスには、聖ペテロを表す天国の鍵のシンボル。

 新築されたペトリュースに入るのは初めてだ。初代教皇聖ペトロへのオマージュからか、どこかイタリア風の趣があるシャトー。ムエックスらしく細部までおろそかにしない完全主義的な美意識に貫かれている。美術コレクターとしても名高く、世の中に先駆けてロスコやベーコンをコレクションしたムエックスの初代、ジャン・ピエール・ムエックス。そして同じく瞠目すべき審美眼をもつ次男のクリスチャン・ムエックス。私はペトリュースのオーナーである長男のジャン・フランソワには会ったことがないが、このシャトーを見ると、彼もまた並外れた美意識の持ち主なのだと想像できる。昔は“シャトー”ではなくただの屋敷だと言われていたが、今では立派なシャトーだ。

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▲ベルエ曰く、「イタリア風建築に日本風アクセント」の中庭。



 普通ならペトリュースにはなかなか入れない。しかし今回突然ペトリュースを訪問したのには理由がある。ペトリュースの醸造長を長年務め、今では後任の息子オリヴィエを助けてコンサルタントの役割を担うジャン・クロード・ベルエと共に、ナルボンヌのジェラール・ベルトランのもとでブレンドのコンサルティングをしたからだ。彼とはペトリュースで待ち合わせ、私の運転でナルボンヌまで送り届けた。通常ならボルドーからナルボンヌは4時間弱だが、なんとこの日は農産物価格の低迷に怒る農民が高速道路にゴミを積み上げて通行を妨害。高速道路が封鎖されて一般道を8時間かけて運転することになった。夜間は視力が悪くて運転できないというベルエに途中夕暮れ時の1時間交代してもらった以外は私がドライバーだ。ワインメーカーとしてフランスの人間国宝と言っていい彼を横に座らせての運転がどれほど神経をすり減らすものだったか!彼はあとで「素晴らしく滑らかな運転だった。ムッシュ・タナカを私のパーソナル・ドライバーとして雇いたい」とジェラール・ベルトランに言っていたそうだ。ちなみに途中で夕食をとろうとしたが店の選択肢がない。中華料理店があったが、「中華料理店は化学調味料が入っている可能性が高いからいやだ」と私。「中国のものは農薬が不安だな」と彼。隣のビストロに入った。トゥールーズの近くだったからお約束のカスレを頼もうとしたら、ない、と。じゃあバベットと頼んだら、それもない、と。牛ヒレならあるというからそれにした。彼はセニャン、私はアポワン。肉を焼いてこんなにまずくなるものなのかと思った。彼は「この旅のことは死ぬまで忘れない」と言っていた。

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▲右奥に見えるシャトーから遠く、ヴュー・シャトー・セルタンに隣接する、カベルネ・フランへの改植を待つ区画。他より砂利が多い。


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▲左奥の少し小高くなっているあたりが、“ペトリュースのボタンホール”の中心地。


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▲ペトリュースの土は重たい粘土質。このような畑はめったにない。


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▲リブルヌに近いアペラシオンの西にある某シャトーの畑。ここでは土は砂質になる。



 さて、話をペトリュースに戻す。まず畑を見て、私は言った、「カベルネ・フランはどうしたのか」。かつてカベルネ・フランが植えられていた区画は引き抜かれ、規模を拡大した新シャトーがそこまで張り出している。「なんとバカなことを!」と私は言った。「メルロ100%ではまともなワインにはならない。カベルネ・フランは絶対に必要なのだ」と。ベルエは、「2010年を最後にカベルネ・フランを引き抜いたが、我々もバカではない。ヴュー・シャトー・セルタンに近い区画をこれからカベルネ・フランに植え替える。私はカベルネ・フランが大好きだ」。「あそこは確かにカベルネ・フランにはよい区画だ。砂利が多い」。「そう、今までの区画よりもよい」。ペトリュースはメルロ100%のワインだとされているが、事実はそうではないらしい。「2011年以降はメルロ100%だが、以前は私は毎年カベルネ・フランをブレンドしてきた」。知らなかった。クリスチャン・ムエックスはかつて、「例外的な年を除いてはメルロ100%」と言っていたし、あちこちにもそう書いてある。しかし醸造長が「ブレンドしてきた」と言うのだから、それが正しいはずだ。

 前日の雨水がまだ畑に溜まっている。さすが有名な“ペトリュースのボタンホール”。つまり他のエリアでは地中にもぐる粘土がペトリュースのところだけ盛り上がって顔をのぞかせている。「透水性が悪いから大雨が降れば水は表面を流れていく」。ポムロールはほぼ平地だが、よく見るとペトリュースのところは盛り上がっている。地下にはペトリュースを頂上とする粘土の丘がある。「標高45メートルの最高標高地点だ」。つまりは水は他のシャトーの畑へと流れる。そうでなければペトリュースは薄いワインにしかならない。「そして雨が多くなれば地中の第三紀の青色粘土が膨張して根を圧死させ、ブドウに揚水されない。乾燥すれば青色粘土は収縮し、そこに根が入り込んで今度は水を補給する」。ペトリュースは土の魔法が生み出すワインである。

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▲発酵室。内部無塗装のコンクリート・タンクとステンレス・タンクが並ぶ。



 醸造所を見る。内部塗装なしのコンクリート・タンクが並んでいるのは昔と同じだが、ステンレス・タンクも並ぶ。一見、タイルの床に直接設置されている。「これは直置きですか」と念のために聞いた。直置きではおいしいはずがない。「違う。足の下には銀線がつながりアースポイントまでつながっている。ステンレス・タンクはアースをとればいい道具だ。それをカリフォルニアのドミナス(注:ベルエが醸造長だった)で学んだ。カリフォルニアではステンレス・タンクしか使えない。その理由は知っているか?災害保険はステンレス・タンクにしかかけられないからだ。コンクリート・タンクは地震があったら亀裂が入る。ステンレスは仮に倒れても壊れない。しかしステンレス・タンクのワインはどうしてもおいしくなかった。それをアースをとることで解決した」。私は驚いた、「銀線!普通は銅線なのに!確かに銀は最も電気抵抗が低いから理に適っているが、ペトリュースのような資金力のあるシャトーでなければ到底できないことだ」。

 整然とした醸造所の二階手すり部分にはいくつもの大きな動物のぬいぐるみが置かれている。それが現代美術のような不思議さを醸し出す。意図的に置かれているのかと聞くと、「ペトリュースを訪問する人たちがみな大きなぬいぐるみを置いていくから」。それが暗黙のルールだとは知らなかった。パリのポンデザールの南京錠(それも昔話になってしまったが)やトレビの泉のコインみたいなものか。ある種の人たちにとってはペトリュースは観光地なのだろう。

 抽出は軽めだという。「1974年は大雨が降ってブドウが実膨れしたから、私は若気の至りで強く抽出して力強いワインを造ろうと思った。結果は大失敗だった。次の75年はタンニンが強い年だった。前年の教訓があるので、この年キュヴェゾンはペトリュースでたった12日、トロタノワでは10日と、今までで最も短くした。結果は大成功だった。それ以来軽い抽出を心がけている」。私は言った、「75年は偉大な作品だ。やはり畑で高密度の味のブドウを作り、セラーで軽く抽出するのが一番いい」。ペトリュースの収量は当然のように低く、「30hl/haから35hl/ha」。古木が多いこともあって(1956年霜害後の画期的対策“再接ぎ木”のおかげだ)、それは「グリーン・ハーベストなしに得られる」。興味深いことに、「クリスチャン・ムエックスはグリーン・ハーベストが好きだが、私は常に反対してきた。グリーン・ハーベストを早く行えば翌年の収量が増えてしまう。遅く行えば残ったブドウの粒径が大きくなる。どちらにせよ意味がなく、樹のバランスを崩す」。

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▲樽熟成庫。シャトーはどこも極めて清潔だ。



 次に熟成庫を見る。ワインは2年間樽熟成される。新樽比率は50%。新樽100%と書かれているものを読んだことがあるので、「昔は100%でしたか」と聞くと、「いや、ずっと50%。100%の年は一度もない。新樽の風味が強いワインは好きではない」。樽メーカーはセガン・モロー、デンプトス、ダルナジュー、タランソーと、想像以上に多様だ。高級ポムロール=ダルナジューという神話は有名で、私もダルナジュー主体だと思い込んでいたがそうではない。「一番いいのはタランソー」。タランソーはしなやかで上品な味がすると思う。ペトリュースの味づくりに対してベルエが何を思い描いているのか、こうして話してみるとだんだんわかってくる。

 とはいえベルエのスタイルを単純に優美さと結論づけるのは早急だ。ナルボンヌで皆でいろいろとブレンドを行い、ブラインドで試飲すると、力強く、メリハリが効いているワインがあり、ふたを開けてみるとそれがベルエのワインなのだ。ボルドー品種ワインのブレンド・セッションの時、あるワインへの私のコメントは「トロタノワの95年のようだ」、他のワインは「マグドレーヌの64年のようだ」だった。前者はベルエのブレンド、後者は私のだった。言葉も大事だが、同じく「エレガント」と言ってもその真意は人それぞれ違う。同じ素材を用いても、その人自身の理念、イメージ、個性がワインに転写される。

 広いテイスティング・ルームには吸音タワーがいくつか置かれている。現代の建築は正確なので壁が並行になる。並行になれば定在波が発生する。定在波はワインをまずくする(というか、人間が心地よくない)。敏感でなければ吸音タワーを置いたりしない。こういう細部への気配りが高級ワインには大事だ。ちなみにジェラール・ベルトランの新しいエステート、クロ・ド・タンプルのワイナリー設計ミーティングでの私の意見も、「対向壁面を1度ずらせ」だった。

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▲シャトー・ペトリュース 2016年



 2016年のシャトー・ペトリュースを試飲する。もちろん高度な完成度を示すワインだが、これが何十万円もするとなると、ただおいしいでは済まされない。ベルエとこんな会話をした。

田中「メルロ100%でこれだけの垂直性を出しているのはさすがだが、最上のグラン・ヴァンとしてはまだ上下が足りない。上は頭蓋骨の途中までで終わって突き抜けないし、下は胃の上で終わってしまってはらわたにまで下りない。前後の奥行が不足して特に頭のうしろにまで広がっていかない。超高級ナパ・ヴァレーのカベルネと同じく極めて流麗に磨かれているが、リズムが弱く、うねりがなく、シンプルすぎる。昔のペトリュースはこういう淡々とした味ではなかった。もっと内側から訴えかけてくるものがあったと記憶する。ひとつの明確は理由はメルロ100%であることだ。メルロは単独では絶対に完成した味にはならない。緻密さやフレッシュさや香りの気品のためにはカベルネ・フランが必要なのは当然だが、地球温暖化に対処するにはカベルネ・ソーヴィニヨンの構造が必要だし、上方垂直性のためにはセミヨンのような白ブドウが必要だし、よりリッチさを出すためにはマルベックが必要だ」。

ベルエ「ペトリュースの土はカベルネ・ソーヴィニヨン向きではない」。

田中「ヴュー・シャトー・セルタンの隣の部分なら大丈夫なはず。彼らはカベルネ・ソーヴィニヨンを植えて成功しているではないか。同じくプティ・ヴィラージュもそうだ。何パーセントも入れろと言っているのではない。1%以下でもいい」。

ベルエ「フィロキセラ後、ポムロールにメルロが多く植えられる以前はマルベックが植えられていた。フィロキセラ以前はセミヨンだ」。

田中「そこには理由がある。ポムロールの歴史を再発見して現在に生かすべきなのだ。もうひとつ、現在のペトリュースの問題は、精神的なものだ。あなたもクリスチャン・ムエックスも昔はもっとチャレンジ精神があったのではないのか。その前向きの気合いがワインに乗り移っていたのだと思う。しかし今では超高級ワインとして地位が確立し、こうした豪華なシャトーを建てて気持ちが守りに入っているのではないのか。大企業味になってしまっている。以前、クリスチャン・ムエックスの息子のエデュアルドと話したことがある。彼は『ペトリュースといってもワインはワイン。食卓で料理と共に楽しみ、皆と素敵な時間を過ごすための飲料なのだ』と言った。私はそれは違うと言った。

ベルエ「なぜ違うのか。ワインはそういうものではないのか」。

田中「グラン・ヴァンを造りたいのか、それともボン・ヴァンなのか。フランスには古くからその区別がある。ボン・ヴァンは人間の快楽のための道具であり、それはそれで正当なものだが、ペトリュースはグラン・ヴァンではないか。ボン・ヴァンだと言うなら、なぜ何千ユーロもするのか。ペトリュースを食中酒だと定義するなど、大富豪の妄言だ。グラン・ヴァンはそれ自体で自立し、人間の俗的な快楽のためではなく、より崇高なものの精神的霊的なメッセージを伝えるための媒介物だ。それがキリスト教にとってのワインではないのか。あなたがたはキリスト教徒ではないのか。どうしてワインの本義を忘れてしまうのだ。まあこの話に結論はないから、これ以上はいい。ところでペトリュースには補糖してきたのか」。

ベルエ「ペトリュースに補糖はしない」。

田中「それはいい。あたたかい場所だし、当然といえば当然だが」。

ベルエ「いや、ペトリュースの土は冷たい。粘土だから」。

田中「土は冷たくともミクロクリマ的には気温が高い。そのコントラストがペトリュースのダイナミズムのひとつの理由だと思う」。

ベルエ「しかし80年代末からは気温が高くなってアルコール度数が上がりすぎる。私個人としては125度が理想で、70年代にはそうだったが、今では135度だ」。

田中「それが問題だ。だから70年代の味は緻密でよかった。この状況ではアルコールが上がる品種であるメルロ100%ではますますだめということだ。除草剤は?」。

ベルエ「ペトリュースの畑に除草剤を使ったことはない」。

田中「昔と比べて醸造に関しての違いは?」。

ベルエ「考え方も基本的技術も変わらない。しかし栽培は変わった。使用する薬品が変わった」。

 その言葉をベルエは別の時にも繰り返した。もしかしたら栽培部門とのあいだに齟齬があるのか。詳しくは語らなかったが、彼は醸造責任者であって栽培責任者ではなかったのだから、他人の仕事に口出しすべきではないのは分かる。私としてはペトリュースはオーガニックやビオディナミに転換するべきだと思うが、ムエックスはそこでリスクは負わないだろう。

 それからベルエとポムロールのカトゥソー村にあるレストランに行った。昔はレストランなどなく、それからここは地味なワインショップになり、今ではなかなか高級なレストランだ。ポムロールの経済的成功を体現している。道を挟んだ向かいにあるミシェル・ローランの醸造道具店とラボは昔のままだ。ミシェル・ローランは成功しても自分の店を大理石の宮殿にしなかったのは偉い。

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▲シャトー・ペトリュースをはじめとするムエックスの多くのシャトーの醸造責任者を1964年から2007年まで務めたジャン・クロード・ベルエと、現在の醸造責任者である子息のオリヴィエ・ベルエ。ベルエ家はもともとバスク出身だそうだ。

奥の席に座り、グラスで赤ワインを二種類頼んだ。私は仔牛にサンテミリオンを、彼は牛肉にピク・サン・ルーを。その二つがオーガニックだった。なぜピク・サン・ルーにしたのかと聞くと、「オーガニックだから」と答えた。彼自身はオーガニックがいいと思っているのだ。ピク・サン・ルーは個人的にはラングドックらしからぬ味なので率先してオーダーしないが、さすがに彼の選んだワインは見事なものだった。サンテミリオンは、ペトリュースのあとでは薄く感じられたし、補糖っぽい浮足だったアルコールが気になった。「2013年の夏は暑かったぞ、本当に補糖したと思うか」と聞かれたが、「私はこの味は補糖だと思う」と言った。私は補糖が嫌いなのだ。味の問題もあるが、それ以上に思想的な立ち位置の問題だ。少なくともスピリチュアルなワインにとって、“ワイン=ブドウを発酵したもの”というルールは絶対であり、砂糖をアルコールにしてしまったらそれはもはやアルコール飲料であってワインではない。

彼のところには店のお客の誰もが挨拶に来る。ポムロールの繁栄はムエックスのおかげであり、ペトリュースのおかげだ。その成功をもたらしたのはベルエの力量だ。お客は皆ワイン関係者だったが、彼らは全員、ある意味ベルエに多くを負っている。

 彼の息子のオリヴィエまでもが入ってきた。ポムロールには他にまともなレストランがないのだ。身内・知り合いばかりと顔を合わせるレストランでは、私ならば落ち着いて食事ができないが、“村”とはこういうものなのだろう。私はオリヴィエに言った、「あなたも一緒にいれば楽しかったのに。私はペトリュースにはまだまだ改善すべきところがあるという話をしていたのですよ」。するとジャン・クロードはオリヴィエに、「田中はペトリュースの床の大理石タイルのポラリティがむちゃくちゃだと言っていた」。オリヴィエがそれに答えて言うに、「他のワインジャーナリストがテイスティングに来た時は、部屋のどこで飲むのがいいのかを話していた」。それはいい話だ。私は以前から、部屋の中にはワインを飲むにふさわしいスイート・スポットがあり、そこで正しい方向を向いて飲まなければワインの味が分からないと言ってきた。他の人たちも同じような発想をするようになったということだ。そしてそれが一般的になるなら、ワイン造りもワインテイスティングも、今までと同じ考え方に依拠してはいけないということになる。

 それからいろいろな話をした。彼はアンヌ・クロード・ルフレーヴを敬愛しており、亡くなった彼女についての思い出話をしていた。私は「彼女とは一度食事をしたことがある。その時のメンバーはクロード・ブルギニヨンとステファン・ドゥルノンクールだった」。「それはまたおもしろい顔ぶれだ」。「そこで彼女はほとんどなにもしゃべらなかった。しかし彼女のワインは雄弁だった」。「ああ、そうだね」。「偉大なワインを造っていたが、彼女ならもっとすごいワインを造れたはずだ」。「私もそう思う」。「結局株主が多くて口を出すから、彼女の思い通りにすべてを運ぶことができなかった。それが味に出ていた。残念でならない。そのストレスが彼女の命を縮めたのだと思う」。「ああ、そうだろうな、残念だ」。

 右岸のいろいろなシャトーに関しての話は、まあ皆さんが想像する通りだ。そのまま書けばいろいろな問題が発生するので書かないが、ローランやドゥルノンクールのように澱引きの回数を減らしたらワインは健全な熟成をしないと、醸造学的な見地から力説していた。ドニ・デュブルデューも生前に言っていたことだ、「そんなことは科学的に証明されているのだ、ボルドー大学の論文を読め」と。なんでこんなにこの人はイラついているのだろうと不思議に思ったが、その後、脳腫瘍が見つかったと耳にした。

ペトリュースから彼自身のシャトー兼自宅のあるモンターニュ・サンテミリオンに荷物を取りに行く途中、サンテミリオンのマグドレーヌを通りかかった。私も彼もマグドレーヌが大好きだ。キメがこまやかでしなやかで華やぎがありつつ節度があり、これぞエレガンス、といったワインだった。個人的にはムエックス最上のワインはマグドレーヌだと思っていた。1961年や64年のマグドレーヌがどれほど素晴らしかったかを語る彼の目は、醸造長というよりワインファンだった。しかしもはや過去形だ。マグドレーヌはベレールに吸収されて、今ではベレール・モナンジュだ。彼はそれが悲しいと言っていた。私も「ベレールはベレール、マグドレーヌはマグドレーヌでしょう!勝手に合体するなど歴史に対する破壊行為だ」と憤っていた。「ああ、まったく」。「誰も社内でそれに反対した人がいなかったのですか」。「・・・・」。「そもそもなぜ合体させないといけなかったのですか」。「ベレールのほうが高く売れるから」。「そりゃひどい。完全に資本主義的発想、ワイン商的行為。それでは尊敬されない」。

 「他にサンテミリオンで好きなシャトーは、ラロゼ」と私は言った。「ラロゼがシャトー・XXXより優れていると君が主張しても私は何の問題もなく受け入れる。知っているか、ラロゼももはや存在しない。シャトー・クイントゥスに併合されてしまった」。「ああ、なんてことだ。他に好きだったテルトル・ドーゲは2006年に一度格下げになったし、サンテミリオンは終わっている」。「世の中の多くの人たちはもはやいいテロワールの味も分からないし、XXXYYYみたいな濃いワインしかいいと思えない。古い家族の多くはボルドーを去ってしまった。土地が高くなって相続税が払えず、外部の富豪に売るしかなくなった」。「そうなると当然長い時間をかけて培ってきた土地のスピリットが失われる。農業としてのワインがなくなる」。「その通りだ」。

 オーゾンヌの話は興味深かった。「オーゾンヌのチョークのセラー温度は低すぎるし、通年同じ温度なのがよくない。ワインはコロイドだ。温度変化がないとコロイド凝集が起きないから、セラーの中でワインが正しく熟成しない」。「私もセラーは夏は18度、冬は12度といった具合に季節変動するほうがワインはおいしくなると主張してきた」。「その通り。だからペトリュースではそうしている」。

 この20年ほど一般的な選果についても同じ意見だった。私が「現在のボルドーは選果のしすぎでモノトーンな味になっている。ブドウ成熟度のガウス曲線の両端をばっさり切ってしまっては不自然だということがなぜ分からないのだろう」と言うと、「そう、だからペトリュースではガウス曲線の端の1%のみを除去する。それだけでいい」。

 彼のシャトーでモンターニュ・サンテミリオン、ヴュー・シャトー・サンタンドレを試飲した。こちらでは彼のもう一人の息子、ジャン・フランソワが手伝っている。セラーにプティ・ヴィラージュの箱が積んであるのを見て、なぜかと聞くと、奥さんがプティ・ヴィラージュのテクニカル・ディレクターなのだという。夫婦そろって尊敬すべき才能だ。セラーの見た目は質素だが、気配はペトリュースよりよい。ジャン・クロードは、「床はコンクリートではなくチョークを固めたものだ。樽の下はそのまま大地。樽の転がりを防ぐ押さえは金属ではなく(ペトリュースは金属だ)、木」と言う。彼自身、何がいいのかは分かっている。当然だ。

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▲ベルエ家のワイン、ヴュー・シャトー・サンタンドレ。日本は多くを輸入しているそうで、感謝していた。

 「ペトリュースよりこちらのワインのほうがいいと思う。よりダイナミックな動きがあるし、ナチュラルだし、人間的な温かみがある。土地、ブドウ、人間の一体感がある」。お世辞ではない。ワインの本質をよりまっすぐに現出しているワインが、よりよいワインなのだ。「以前ならここは涼しすぎたからタンニンが粗く酸が強すぎたが、今ではちょうどいい。それにしてもモンターニュ・サンテミリオンとは思えない果実の厚みやタンニンの丸みがある。サン・ジョルジュ・サンテミリオンみたいだ」と言うと、「畑はモンターニュだけではなく、多くはサン・ジョルジュにある。しかし法令上サン・ジョルジュをモンターニュと呼ぶことはできるが逆はできないので、両者をブレンドしたらモンターニュになる。モンターニュは売れないから値段は9から10ユーロと安い。それでは皆暮らしていけない」。「飲めば並みのサンテミリオンより上質なのは分かるでしょうに。土壌的にも粘土石灰質だし、標高が高いから適度に涼しいし、根拠のある品質だ」。「多くの人は名前でワインを買う」。「それでペトリュースは4500ユーロ・・・」。

 いったいワイン教育はどうなっているのか。有名ブランドの名前を覚えるのがワイン趣味にとっての教育ではない。既存の利権を維持存続させる言説を再生産する経済的・社会学的な意味と必要性は理解するが、かと言って私はたいしたワイン経験も知識もないし、それを得るだけの素地がもともとないので、単純に飲んで思ったことを言う以外に出来ることはない。そんな私でも、この日14時間ジャン・クロード・ベルエと話していて、さらには翌日と翌々日もナルボンヌで共に過ごして、同意・共感することがほとんどだった。明らかに意見が食い違ったのはシャトー・カノンの評価ぐらい(彼は最上のひとつと言い、私はプラトーのワインは垂直性と流れが弱いから素晴らしくても最上ではないと言った)だ。世界の醸造界のレジェンド、ジャン・クロード・ベルエと話が合うなどと恐れ多いことを言うつもりはないが、少なくとも無知無学でも彼と楽しくワインの話ができるということは証明できた。だから初心者の方々には言いたい。いかに他人に黒だと押し付けられようとも、自身で白く見えるものは白いのであって、まずすべきことはそれが白いと言うことなのだ。

 

 

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