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2018年3月の記事

2018.03.10

スペイン、ビエルソのセミナー

 スペインの注目産地ビエルソから、生産者団体Autoctona del Bierzoの代表が来日し、月島スペインクラブでセミナーが行われた。Autoctona del Bierzoは、ビエルソに77軒あるワイナリーのうち、年間生産本数が4万本から40万本で、輸出に積極的な16軒で構成される団体である。

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▲セミナーを行うエヴァ・ブランコ・モラガスさん



 ビエルソはスペイン北西部レオンに位置する、総面積3000平方キロほどの、年に9百万本のワインを産出する小さなDOである。参考までに、リオハの年間産出量は25千万リットル。どうりでスペインワインといえばリオハばかりを目にするわけだ。

ビエルソは独自の地場品種、赤のメンシアと白のゴデーリョを擁する。メンシアや譬えて言うならカベルネ・フランやピノ・ノワールやシラー的な、重心が高めでくっきり・すっきりした香りを備える引き締まった味わいの品種であり、ゴデーリョは性格的には正反対の、グルナッシュやヴェルメンティーノ的な、重心が低めでトロピカルな風味とむっちりした厚みのある味わいの品種である。他にもガルナッチャやパロミノ等も植えられているが、やはり対外的な差別ポイントは両地場品種である。日本で「好きなスペインワインは?」と聞くと、「メンシア」と答える人が意外と多いが、そのある意味フランス品種的な特徴が、フランスワインを軸に経験を積んできた人たちにとって親しみやすいからだろう。

質問の時間に、ある方は「ビエルソをイベリコ・ベジョータと組み合わせてプロモーションすればよいのに」、他の方は「仔羊や仔豚と合わせて」とおっしゃっていたが、自分の経験を言わせていただくなら、それは間違っていると思う。なぜなら赤と白ではまったく異なるキャラクターだからだ。粘土が多い緩斜面の畑で、収量を下げてリッチな味に仕上げたゴデーリョは、確かに豚系にぴったりだ。しかしビエルソの栽培面積の745%はメンシアであり、ゴデーリョはたった4%。そしてメンシアと豚肉は、とりわけスペイン風に柔らかく調理した豚肉は、悲惨な相性である。基本、メンシアが合うのは、シンプルにハーブ風味でオースとした仔羊の背肉ないし、鶏胸肉である。

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▲ビエルソのいろいろなワイン。



以下は私の質問とそれに対する回答をもとに論考を進める。ビエルソは伝統的にはガリシアやレオンで消費されてきたワインだという。ローカル市場で売るには、当然ながら、一般的な可処分所得と利用動機と頻度に合わせた値付けをするしかない。これは商品である以上は基本的前提であって、どんなにおいしくても食パン一斤2000円、玉子1ダース3000円ではスーパーでは売れない。スペインにおいて、ワインはコモディティーである。キャビアの仲間ではなく玉子の仲間である。税率を見れば分かるとおりで、イタリアと並んでスペインではワインに酒税はかからない(ビールやスピリッツにはかかる)。

そうであるがゆえに、スペイン国内市場向けワインの平均価格は低く、約3ユーロだという。ところがビエルソでは、痩せた土地と収量の低いブドウ品種ゆえに、ヘクタール当たり5トンしか収穫できない。これはブルゴーニュのグラン・クリュと同じレベルである。さらに伝統的に小規模農家が多いため(Minifundios)、生産効率も悪く、物理的に3ユーロでは生産できない。現在の国内向けビエルソの平均価格は6ユーロだという。これではローカル市場の拡大は見込めない。他のかたが、レオン地方のレストランに行ってワインを頼んだらリオハだった、地元でビエルソを売っていない状況を改めて欲しい、と発言していたが、現状をよくあらわしている。ようするにコモディティーとしての適切価格を超えている以上は、普通のスペイン人にとってビエルソは特殊動機用ワインなのだ。

2009年から13年の実質GDP成長率マイナスないしほぼゼロという状況は、スペイン国内ワイン市況を冷え込ませた。以降、カタルーニャ問題もあってスペイン国内の経済発展が足踏みしている以上、ビエルソはより広域の市場に活路を見出すしかない。毎年のように積極的にプロモーション活動のために生産者たちが来日するのはそれゆえである。彼らは今回、「輸出市場向け高品質ワインを造っていく」と言っていた。いつ頃からそのトレンドが始められたのかと聞くと、1990年代以降だという。現在は輸出の割合は三分の一。ユニークな高級ワインとしてのビエルソが売られるべき場所は、ロンドンやオスロや東京であって、地元の村々ではない。それにしてもスペインは多くの産地がプリオラートの二匹目のどじょうを狙っているように思える。滅亡の危機にあったバルクワイン産地プリオラートがたった10年でスペインで最も高価なワイン産地のひとつになれたのなら、私たちもそうなれる、と思うのは自然である。

「輸出市場向け高品質」とは何なのか。こう発言した、「私は今からビエルソの将来を危惧している。なぜなら概して輸出向け高品質ワインとは、コンペティションで高く評価されたり高得点を獲得したりする、濃厚で樽っぽいワインだからだ。それが本当にビエルソらしいワインなのか。メンシアが望むスタイルなのか。それに、確かに“高品質”になったとしても、それが一本100ユーロとかになって、いったい誰が飲むというのか。ポムロールやボルゲリを見よ」。今のボルドー右岸やトスカーナの有名産地は、土地じたいが高くなって、結局もともとの地元民は追い出され、海外や他の州の資本家のものになってしまった。それが幸せな未来像なのか。

メンシアは特に、安価なワインのほうがおいしい。メンシアは軽快さや抜けのよさやピュアさに魅力がある品種だと思う。そしてビエルソは年間降水量が730ミリと多く、しなやかさとやわらかさを求めるべき産地だと思う。濃厚に作って樽をかけてしまうと、ワインがごってりと息苦しい味になり、香りが樽に邪魔されて、本来の美点が失われる。さらに困ったことには(いや消費者的には、ありがたいことには、と言うべきだが)、高くなっても余韻が伸びるわけではない。価格と品質が比例してこそ、高単価化は正当性をもつ。ブルゴーニュ地域名がグラン・クリュより、クリュ・ブルジョワが1級より高品質なことはない。劣った土地のワイン=低品質=低価格という等号はほぼ絶対である。ところがビエルソに劣った土地はない。どのワインを飲んでも、ダメな土地を感じることはない。

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▲数十本試飲して最上のワインはこれだった。



こうした場合は、あれこれ策を弄せず、素直にそのまま造ったほうがおいしい。ビエルソの商品構成はどこでも判で押したように単純で、安価なワイン=若木・樽なし、高価なワイン=古木・樽、である。若木が古木より劣るわけではなく、むしろメンシアの個性は若木のほうがよく表現されるぐらいだ。そして樽は不要だ。となれば、安いほうがおいしいという結論にならざるを得ない。

値付けと関係するもうひとつの要因は、斜面の上から下か、である。ビエルソは標高450メートルから800メートルに畑があり、標高が低い裾野はもちろん表土が厚く、肥沃で、収量が多く、安価なワインになる。これは各地で見られる一般法則である。表土が薄く岩がちな土地のワインをよしとするものだ。そういった土地のメンシアは味わいが固く引き締まり、フルーティさよりもミネラルと酸が際立つ味になる。それはそれで素晴らしいが、料理との相性を考えるとどうか。固くてすっぱいスペイン料理が、また日本料理が、どこにあるのかと常々思う。

現時点での単純な商品構成を前提とする以上は、皆さんに対する私の提案は、「安いほうを買え」である。しかしそれではビエルソの生産者たちが目的とする高単価化とは矛盾する。私が頭に思い描くのは、1、若木と古木の適度なブレンドで、2、斜面上から下までのブレンドで、3、樽を使わず、4、オーガニックのワインだ。

樽が不要だという話は既にした。若木と古木は混ぜたほう常においしい。なぜならそれが自然の姿だからである。子供しかいない社会と、老人しかいない社会は、どちらも異常だ。斜面の上から下までを混ぜることで、ワインの味わいに“流れ”(斜面上の味)と“安定”(斜面下の味)といった両側面の特徴が得られる。安定なき流れは表層性であり、流れなき安定は停滞である。これもまた自然の摂理であろう。オーガニックは、現在では常識と言うべきだ。産地全体をオーガニックにすることは、品質向上に有効なだけではなく、産地全体のイメージと信用性を向上させ、平均単価を押し上げてくれるだろう。つまり、5ユーロと10ユーロのワインを造ってどちらも帯に短し襷に長し状態に陥るより、完成度の高い8ユーロのワインを一種類作っていただいたほうが、誰にとっても、ブドウにとっても、いい。

ビエルソが素晴らしい産地であることは既に日本でも多くの人が理解している。彼らの今までの努力は実を結びつつある。問題は、目的設定とその実現手段としての商品設計の連関なのだ。何度でも言いたいが、高品質=古木・高標高・長いマセラシオン・樽=高評価=高価格、という、プリオラートの成功の背景にあると考えられがちな等式は、ビエルソのメンシアに関しては間違いである。

 

2018.03.08

チリ、『セーニャ』のヴァーチカル・テイスティング

 日本で最も知られているチリワインの生産者のひとつが、アコンカグアにあるエラスリスだろう。その当主、エデュアルド・チャドウィックが来日し、アイコンワインであるセーニャのヴァーティカル・テイスティング・セミナーを開催した。

 彼は毎年来日し、各地で様々なイベントを催している。私は178年ぶりにイベントの案内をもらった。前にチリに行ってエラスリスを訪問した時には彼には会えなかったので、彼と話したのは実に21年ぶりだ。

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 セーニャは1995年を初ヴィンテージとする、ロバート・モンダヴィとのジョイントで造られたチリ初のアイコンワインだ。そのあとにコンチャ・イ・トロとロスチャイルドのアルマヴィーヴァが続く。79年のオーパス・ワンの余韻が残っていた時代の話。最近のことのように思うが、やはりそれは昔の話なのだ。今、そういった有名ワイナリーの名前を出して、ジョイントだ、超高価だと盛り上げようとしても、無理だろう。消費者は既に知識レベルが上がり、名前ではなく内容が理解できるようになっているからだ。

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そもそもロバート・モンダヴィ本人の記憶がある人さえだんだんいなくなっていく。私はありがたくも彼と話をさせていただく機会が二回あったので、そしてロバート・モンダヴィ・ワイナリーが本当に偉大な高級ワイン生産者だった昔(といっても70年代だが)のワインを記憶している。だから彼のことを最大限尊敬しており、上記のようなストーリーに対して何かしらの感傷を抱くのはしかたないことだが、そうではない人ならば、ロバート・モンダヴィは、ただ無機的な、引用される名前でしかないだろう。

今回はジェームス・サックリングが2015年ヴィンテージのセーニャに100点満点をつけたことを記念してのイベントでもある。チャドウィックはそういう話が好きなようだ。例えば彼の造るアイコンワインを、ラフィットやマルゴーやサッシカイア等世界的に有名なカベルネ系ワインとブラインド・テイスティングで比較し、優劣をつけたイベント、ザ・ベルリン・テイスティング。また同じような銘柄の熟成したワインをブラインド・テイスティングで優劣をつけたイベント。これらを長年世界各国の主要都市で開催してきた。そしてそれらすべてで、恐るべきことに例外がひとつもなく、上位を独占したのは、彼のアイコンワインたちだった。

そのイベントの目的は崇高なものだ。彼自身が今回語ったように、90年代終わりにチリワインが日本に多く輸入されたが、それはつまり安価なチリカベであり、チリワインが世界の最高レベルのワインにひけをとらないワインだということは認識されていなかった。彼はこのようなイベントを通して、チリワインの偉大さを証明しようとしたのだ。

この手のブラインド・テイスティングについて疑義を唱えることはたやすい。そもそもボルドーやトスカーナとチリを比較することができるのか。できるなら、どのような基準においてできるのか。確かにそれらのテイスティングを行ったのは世界各国の最高のワイン評論家やソムリエたちであったとしても、これは個々人の能力の問題ではなく、価値尺度の明確化の問題である。何をもってあるワインを他のワインより良いとするのかの議論と共通認識なきところでは、結果だけ見せられても、何を評価したのかが分からない。しかしあくまで目的はチリワインのイメージ向上であり、そのために万人にわかりやすい手段が選ばれたのだ、と考えるなら、確かにチャドウィックが行ってきた活動は尊敬に値する。チャドウィック自身のワインの売り上げに貢献したとしても、公に対して彼は高貴な義務を果たしたと言えるだろう。

私は彼に、「一連のテイスティングが自画自賛的にうそくさく見えるのは、他の国々の有名ワインと比較したチリワインがすべてあなたのワインだけだったからだ。なぜプエンテ・アルトのふたりの隣人たちにも参加してもらわなかったのか」と言った。すると、「彼らは彼らなりの計画もあるし、企画に賛同しないだろうし」。「ならば彼らのワインをあなたが買ってでも出品すればよかった」。「なぜ私がそんなことをする必要が!」。出品者が主催者であり、壇上に座ってテイスティングしていることがおかしいのだ。それは常識に思える。スティーヴン・スパリエのパリ・テイスティングにおいて、シャトー・モンテレーナもスタグス・リープもスパリエ自身も審査員ではなかった。もし彼が私に相談してきたら、PR会社を雇い、そのような第三者を主催者にして、彼のワイン以外も出品し、彼は傍聴席に座っていろ、と言っただろう。勝てる自信があるなら、それでいいではないか。実際に勝ったのだから。真面目な話、彼にこれからメールして、次はもっと自画自賛っぽくならないように工夫せよ、と言おうと思う。「大きなお世話、お前いったい誰?」と言われるだろうが、チリワイン全体のためには必要だと思いたい。

さて、セーニャだが、1996年、2000年、2003年、2009年、2013年、2015年が出された。ここでひとつの節目となるのは、セーニャが現在のセーニャ畑(アコンカグア・ヴァレーの中央西より)から造られるようになった2003年と、それ以前だ。もうひとつの節目は、2005年にビオディナミを採用するようになってから。そして、14度になる高いアルコールを嫌い、早摘みしてフレッシュネスやエレガンスを求めるようになった2015年だ。

また、これらを品種構成上の変遷としても見ることができる。96年はカベルネ・ソーヴィニヨン91%、00年は77%、03年は52%、以降は50%台で推移する。カベルネ・ソーヴィニヨン比率の低下に対して比率が上がるのが、カルメネール、メルロ、そして13年以降はマルベックである。

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私が最もよいと思うのは1996年だ。これはまるで他の人が造ったのかと思えるほど違う。リリース当初から95年と96年は好きなのだが、熟成したあとになってもやはりよい。この時期にはロバート・モンダヴィ自身も元気で、味決めにしっかり関与していたのではないかと思うほど、同時期のティム・モンダヴィの色が濃かったロバート・モンダヴィ・ワイナリー以上に、往年のロバート・モンダヴィを思い出させるものがある。涼しい年だけあり、若干のミントっぽさがいい。びしっとした垂直的な構造をもち、とりわけ下方垂直性が顕著で、気品があり、細身ながらその周囲に気配があり、余韻も長い。

2000年は、アルマヴィーヴァでもそうだが、独特の曇った味がするし、シンプルかつブレタノミセスが感じられる(しかしこのヴィンテージが前述の一連のテイスティングで世界じゅうのトッププロたちから高く評価されたのだから、私の意見は超マイノリティーだ)。96年にあった堅牢な構造が失われ、垂直性がなく、重心が上で、フォーカスが甘い。アコンカグアのような土地でカベルネ比率を下げてメルロを入れれば、瓶詰め当初は柔らかくて飲みやすいとしても、熟成すればこうなるのは当然だろう。

暑い年だった2003年はキメが粗く、薄く、重心が上で、小さく、甘くて飲みやすいとしても、到底アイコンワインの値段は承服できない。

2009年はビオディナミ採用以降だけあって、タンニンの細やかさに関して03年とは見違えるほど向上し、酸も柔らかいがフレッシュ感もあり、黒系果実と濃密さとローズマリーやミントの清涼感のコントラストはよい。ただし風味じたいの純度はあまりなく、苦さが残る。

2013年はアーシーさと青っぽさとスモーキーさと唐辛子風味が興味深いが、酸が固く、小さく、重心が上で、動きがない。樽が目立つ。

100点ワインとして注目される2015年は、カベルネ・ソーヴィニヨンが少なすぎ、マルベックとカルメネールが多すぎて、黒系果実の風味に偏って、べたっとして気品がなく、背骨が弱い。また早く収穫しすぎて、下方垂直性に欠け、重心が上で、小さく、上あごに張り付き、酸が固く、単調で、余韻が短い。 

96年だけが、私にとってのチリワイン、特にアコンカグアの、とても乾燥しているが冷風が流れるワインの味がする。これはあちこちの畑から選りすぐったブドウらしいが、チャドウィックに「これは自根ですね」と聞くと、大半はそうだと言う。セーニャ畑は逆に、接ぎ木がほとんどのようだ。「自根でなければ下方垂直性が出ない。自根のほうがいい。吐き出しては分からないが、飲めば分かるではないか」と言うと、「君の意見には賛同しないな。畑の中にはいろいろな土壌があり、品種に対して適切な台木を選ぶ。肥沃すぎるところで樹勢を制限できる」。「それは話の順序が逆でしょう。ちょうどいい土壌を探して植えればいいではないですか」。

自根反対派というのはチリにはそれなりに多く、フィロキセラがいないというチリ最大の利点を自ら否定しているとしか思えないのだが、頭のよい人に特に多い。彼が言うに、「おいしいかどうかは主観だろう。主観では自根か台木のどちらがよいか議論してもしかたない」。自根のブドウの収量と接ぎ木のブドウの収量を比較したり、ポリフェノールやタンニンを計測したりすると、確かに台木のブドウデータのほうがよかったりするようだ。その話はチリでさんざん聞いた。多くの頭のよいワインファンは、データがよいものがよいワインだという定義だろうが、私は極めて単純で、まずいワインよりおいしいワインのほうがよいワインである。おいしいワインには必ず理由があり、まずおいしいかどうかを判断して、その理由を探るのが大事なのであって、まず測定対象を考え、その数値がよいものがおいしいと思うより人間的だと思う。

あるオーストラリアのビオディナミ生産者の自宅で、シングルトライオードA級作動送信管アンプを見た。あるイタリアのオーガニック生産者の自宅では、ガラード401ターンテーブルを使っていた。データを計測しても、それらはゴミみたいな数字しか出てこない。しかしそれらはデータに優れたものより、はるかにはるかに迫真の結果を出す。主観でしか表現できない、しかし我々にとっては大切な、美しいものを描き出す。もちろん彼らも私もそれが重要だと思う。この話を理解してくださる読者の方は、たぶん、私とワインへの志向が合う。

だから話は簡単だ。自根のワインが好きな人、ないし、チリにとってそれが重要だと思う人、灌漑は自然の降雨より優れていると思う人、そして完熟したブドウの味が好きな人は、セーニャは好きではないだろう。しかし接ぎ木・灌漑・早摘みのワインが好きな人(現在はそれが99・99%だろう)にとっては、セーニャは、まさに世界じゅうの評論家やソムリエが絶賛するように、完全無欠のワインであろう。これは「主観」の問題、個々人の価値観や優先順位の話である。私のような超マイノリティーの意見は、大政翼賛会的状況抑止のために必要な政治的スパイスとでも思って軽く流してもらっていい。

セミナーの最後は質問の時間だ。他の参加者の方々は個別にインタビューの時間が与えられているし、高頻度で会っているから別にここで質問する必要はないが、私は今を逃したら次はまた18年後かも知れないので、ただ一人質問した。「セーニャはエラスリス・ワイナリーのアイコン・セラーで造られますが、ビオディナミと言われるなら、当然セーニャ畑の中にセラーがなければ筋が通らない。なぜ畑の中に醸造施設を作らないのですか」。所有地の中での物質・エネルギー循環を基本とする閉鎖系バランスの意識的創出を忘れて、500501の話をするなら、それは単にビオディナミを通常の農業技術論の中でとらえることであり(それでも農薬まみれより一億倍よいが)、結果としてワインはビオディナミらしい味がしなくなるものだ。チャドウィックの答えは、「それは将来のプロジェクトとして考えている。まずは高品質ワインを造るためのワイナリーを建設するほうが先だった。あの建築は、ヒュー・ジョンソンやジャンシス・ロビンソンに『世界で最も自然に配慮したワイナリーだ』と言われた」。私も実物を見てみたが、遠くの山から冷気を送り込むトンネルを作ってワイナリー全体を冷やすという工夫がしてある。しかしワイナリーは地上に建てられており、ガラス張りで、太陽光に温められる。それより普通に地下に作ればいいのではないか。ワイナリーを案内してくださったエラスリスの方にはその場でそう伝えた。お金の無駄だ、と。ともかく、私の考える『自然』とは定義が異なるようだ。

「セーニャのカベルネ比率が下がったのは、マイポのヴィーニャ・チャドウィックとのすみわけからですか。似たようなワインが二つでは商品戦略上よくないから」と聞くと、「まったく関係ない。セーニャ畑のテロワールに従ったまでのことだ」。

そのあと私は彼に、こんな話をした。「エラスリスでアイコンから下のクラスのワインまでいろいろとテイスティングしましたが、アイコンだけが別の味がした。他の会社のワインのようだ。チーフワインメーカーの方にそう言うと、『アイコンはチャドウィック氏自らが造るから』と言った。普通のエラスリスは色に譬えて言えば、青や緑を感じるが、アイコンはオレンジや赤だ。つまりチャドウィックさんは、口ではエレガンスやフィネスを求めると言うが、中身は相当熱い人なのだと思っている」。「いや、それぞれのテロワールを忠実であろうとしているだけだ」。「そうですか。ワインには造り手の個性も反映されますよ」。「ああ、たしかにそうかも」。「ところでマウレはいいですよ。無灌漑で栽培できるし。なぜ南部に進出しないのですか」。「いや、今はセーニャの品質向上に全力を傾ける」。品質向上・・・・。品質とはなんだろう・・・・。それを考えるには、セーニャは最高の素材ではある。

 

2018.03.05

ラングドック、Mas de Bayle

 クリュとはなんなのか。上級アペラシオンとベーシック・アペラシオンの差はなんなのか。それを理屈ではなく感覚として分かるためには、同じ生産者が同じ条件で造る両者のワインを比較する以外に方法はない。

 ブルゴーニュならば、同じリューディで違うクリマという例があり、ブドウ畑の地図から探すことができる。しかしラングドックで区画地図は公開されていない。機会があるごとに聞いて回るしかない。もちろん違う品種や造りのワインならいくらでも探せるが、それでは変数が多すぎて好例とはならない。

 長年探してきて、やっとよい比較対象を見つけた。マス・ド・バイルの「ラングドック」と「グレ・ド・モンペリエ」である。グレ・ド・モンペリエは一時クリュに選ばれていた、そして今でもグラン・ヴァンとされる、上級アペラシオン。INAOの判断基準はどのようなワインをよしとするのか、これで分かる。

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▲マス・ド・バイルの畑。手前の平地がAOPラングドック、左奥の斜面がAOPグレ・ド・モンペリエになる。所有面積は20ヘクタール。

 両者はグルナッシュ主体でタンク熟成。普通はベーシックなワインがタンク熟成で、上級アペラシオンは樽熟成になってしまうから、正当な比較ができない。両者の畑は地続きで、ラングドックは平地、グレ・ド・モンペリエは緩斜面である。土壌はこの地では一般的な石灰岩の礫を含むロームで、当主のセリーヌ・ミシュロンは「両者ともに同じ」と言う。

ワインを比較すると、どちらがよいかはにわかには判断できない。ラングドックは黒系果実味の厚みとパワー感が心地よい水平的なワインで、流速が遅く、タンニンは若干粗く、酸が太く、大きくて、余韻は長い。グレ・ド・モンペリエは赤系果実味の純度とリズム感が印象的な垂直的なワインで、流速が早く、タンニンは硬質だが粒が小さく、酸はより高く抜けがよく、しかし小さく、余韻は短い。

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▲ボルドー瓶に詰められる左ふたつ、Languedoc Cuvee Tradition 2016 とGres de Montpellier Cuvee Odon 2016 は樽不使用。前者はシラー40%、グルナッシュ40%、カリニャン20%。後者はシラー40%、グルナッシュ40%、ムールヴェードル20%。ブルゴーニュ瓶の高額ワインふたつ、AS de BayleとUne Fille Dans Les Vignesはシラー90%、カリニャン10%でマセラシオンが3週間と長く、後者は樽熟成10カ月。高価なワインになればなるほど、つまり、あれこれ技巧を凝らすほどおいしくなくなるのはラングドックではよくあること。素材がいいなら、刺身がうまい、ということだ。



どちらが好きかと言われれば文句なくラングドックを選ぶ。ピクプール・ド・ピネの北東に隣接する地区のワインである以上は、海沿いの鷹揚とした雰囲気と南国らしいざっくりとした温かみを求めたいからである。グレ・ド・モンペリエのような方向性なら、極端に言えば内陸の産地からも得られる。それは好き嫌いの範疇だとしても、スケールの大きさと余韻の長さは客観的な指標なはずだ。どうして上級アペラシオンのほうが小さくて短いのか不思議だが、逆に何がクリュにとって重要とされる要素なのかがよく分かる。垂直性、抜け感、早い流速といった、フランスじゅうの上級アペラシオンのワインから観察される特徴は、ラングドックにおいても優先的な評価対象なのだ。仮にそれが重要でないなら、上級アペラシオンを高いお金を出して買う必要はない。 

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▲Mas de Bayleの外観と発酵タンク。


セリーヌさんの祖父が1997年に創業したマス・ド・バイルは、海外メディアで取り上げられるような華々しいストーリーや変わった造りなどなにもない、ある意味地味な、典型的国内消費用ワインだ。輸出先はドイツと米国のみで、輸出比率は3%から5%しかない。上記ふたつのワインの特徴はマセラシオンの期間の短さだ。たった1週間しかない。発酵温度が25度から27度と低めで、また樽を使っていないため、ゴリゴリとしたタンニンや息が詰まるような固まった果実味とは無縁の、しなやかで伸びやかな風味と繊細な構造がある。地元で飲まれるワインはこうでなくてはいけない。

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▲当主のCeline Michelonさん。


輸出向けの派手なワインはもう飽きてきたという人も多いだろう。他人と競争するような味は疲れると思う人も増えてきただろう。その点、マス・ド・バイルのワインは、無駄、無理がなく、生産者が意識してきちんとできることを着実な足取りで行っているような安心感がある。普通の上質ラングドックワインが好きなら、そしてモンペリエからセートあたりの海辺の味が好きなら、日本の日常の食卓のためにお勧めしたい。


 

2018.03.04

ラングドック Mas de la Plaine Haute

 日本でラングドックワインを見かけるとしたら、それは安価なペイドック、つまり北方品種の廉価版としてか、それともビオワインとして、だ。そうではなく、ラングドックの味を理解しようと思ったら、いったいどのアペラシオンのワインを飲んだらよいのか。そもそもどのエリアを飲めばよいかが分かっているなら、既にラングドックを理解している。分からないから多くの人が困っている。

フランスワインは位階秩序のワインなので、クリュをまず飲んでおけば、その産地の特徴が見えるとも言える。ではラングドックのクリュはどこか。ここ数年、その議論が盛んだ。上級アペラシオンを確定し、その価値を上げることでラングドック全体へのアンブレラ効果をもたらすという戦略は正攻法であり、ラングドックはクリュ策定にいそしんでいる。2011年に発表された時点ではブートナック、ミネルヴォワ・ラ・リヴィニエール、ラ・クラープ、ピク・サン・ルー、ロックブリュン、ベルルー、テラス・デュ・ラルザック、ペズナス、グレ・ド・モンペリエ(以上すべて赤)、リムー白がクリュだとされた。ラングドック委員会の広報資料を見ると、今は最初の6つが残り、フォージェールが加わっている。かと思えばホームページの違う場所では、ブートナック、ミネルヴォワ・ラ・リヴィニエール、ラ・クラープ、テラス・デュ・ラルザックの4つがクリュとされている。どうなっているのだろう。ともかく、内部でも紛糾しているようだし、クリュの選択についての議論をしていると際限がないのでやめておくが、基本的了解事項ではあるので、これらのワインはテイスティングしておいて欲しい。そうでなければ話が前に進まない。

私が今回ラングドックで確認したかったのは、ラングドック委員会が考えるクリュではなく、自分なりの経験をもとにフラットに考えた結果の“グラン・クリュ”の味だ。私が選ぶのは、フロンティニャン、クレーレット・デュ・ラングドック(現状のエリア全部かどうかは別として、少なくともアディサンやアスピラン)、ベルルー、フォージェール、ブートナック、ミネルヴォワ・ラ・リヴィニエール、フィトーである。

ラングドック最初のAOC1936年のフロンティニャンである。ミュスカ系アペラシオンの認定順を見れば、フロンティニャン、43年のリュネル、49年のサン・ジャン・ド・ミネルヴォワ、59年のミレヴァルの順だ。これを見て思わないだろうか、優れたワインから認定されている、と。ミレヴァルはもっさりしている。サン・ジャン・ド・ミネルヴォワはミネラリーだが官能性がない。リュネルはミュスカの魅力全開で上品だがミネラルと酸に若干欠ける。そしてフロンティニャンはリュネルの果実味と香りにサン・ジャン・ド・ミネルヴォワの酸とミネラルを足したような味がする。この記事を読まれている多くの方々もたぶん同じ意見だろう。畑を見たことがあればなおさら分かるが、飲んだだけでも明白だ。この点に関して、往年のINAOの見事な見識を尊敬するしかない。

かつてナポリ王国の宮廷晩餐会のワインリストを見たとき、フロンティニャンがラフィットやイケムと並んでいるのを発見した。昔はそういうポジションのワインだった。なぜ今は違うのか。ローマ帝国以来の由緒ある畑のテロワールが、戦前まではよしとされ、最近になって軽視されるというのはどういうことか。ミュスカの市場性が小さいからだと言うなら、グラン・クリュにあからさまな政治色とマーケティングを持ち込んでいると糾弾されるべきだ。ではボンヌゾーやソーテルヌ等の甘口ワインも格下げするのか。建前を通さねばならないところでは通さねばならない。

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▲斜面の上にある質素なドメーヌ。父親は若木4ヘクタールを所有、オリヴィエは古木のミュスカと若木の黒ブドウ計4ヘクタールを所有。

 現当主オリヴィエ・ロベールの先祖であるバプティスト・パランが19世紀末に創業したマス・ド・ラ・プレーヌ・オートは、総面積797ヘクタール、ドメーヌ数26軒のフロンティニャンの中にあって2軒しかないオーガニックワイナリーのひとつである。もうひとつは高名なシャトー・ド・ストニーで、12ヘクタールと規模が大きいが、こちらはたった4ヘクタール(当人は3ヘクタールと言っていたが、ホームページでは4)。ワインだけでは生きていけないので、オリヴィエ・ロベールは携帯電話の修理屋でもある。「ワインが欲しい時はまず電話してくれ。町中の店からワイナリーに駆けつけるから」と言われた。父親は配管工でもあったとホームページに書いてある。本来なら、そんなことをしなくてもよい土地なのに、、、。

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▲フロンティニャンの畑には第三紀プリオセーンの石灰岩の礫がたくさん。



 路上のマルシェで売っているようなワインでも、協同組合のワインでも、今までまずいフロンティニャンには一本も出会ったことがない。常にフロンティニャン独特の伸びやかさと気品とやさしさとメリハリがある。オーガニックだとなおさらだ。見た目はぼろい田舎家で、醸造設備もかわいそうなぐらい質素だが、それでもオリヴィエさんの造るフロンティニャンは別格の気品を振りまく。通常のフロンティニャン以上に垂直的で、立体感があり、ダイナミックで、当然ながら人工的な気配がしない。高価なコンロとブランドのフライパンで焼いた並の肉と、薪で火を起こしてそこらの鉄板で焼いたAOP牛と、どちらがおいしいか。私は前者のようなワインより後者のようなワインをよしとする。

 それはわざわざ訪問するまでもなく自明なことなのかも知れない。しかし私は前日、カブリエールはグラン・クリュ足りえるか否かについてジェラール・ベルトランと議論していて、もう一度“グラン・クリュ”の味を確認したくなった。私にとってグラン・クリュとはどこなのかを再認識したいと思った。栄光ある1936年認定AOC、フロンティニャン。北方系品種や北方系スタイルとは関係ない、本来のラングドックらしいラングドックを考察するためには、再びここから始めるしかない。

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▲なんともラングドックな色合いのテイスティング・ルーム。ミュスカ・ド・フロンティニャン・クラシックは8・5ユーロ。赤は10ユーロ。フランスで買っているぶんには安いと思うが、残念ながらこの価格では日本では高すぎて売れないと言われるだろう。



 ではフロンティニャンはミュスカしかおいしくないのかという疑問がわく。気候的にも土壌的にもミュスカでなければならない理由などない。偉大なテロワールは、基本、その土地に好適な品種であるならば、品種を問わずその偉大さを表現する。コルトン・ランゲットはシャルドネもピノ・ノワールも素晴らしく、ランゲンはリースリングもゲヴュルツもピノ・グリも素晴らしく、サヴニエール・ロシュ・オー・モワンヌはシュナンもカベルネ・フラン(AOPにはならないが)も素晴らしい。訪問の目的は、この疑問に対する答えを見つけるためでもあった。

 マス・ド・ラ・プレーヌ・オートではムールヴェードル40%、シラー45%、グルナッシュ15%の赤ワインも造る。もちろん赤をフロンティニャンで造ったらIGP Pays d’Hérault Collines de la Moureでしかないが、その2016年ヴィンテージは想像どおりの見事なワインだ。海辺ならではのゆったりした余裕のあるパワーとしなやかな酸に、濃厚で立体的な果実味に、垂直的な構造。余韻は明らかにグラン・クリュの長さ。ブートナックやラ・クラープといった定評あるクリュと比べてなんの遜色もない。やはりフロンティニャンは偉大なテロワールなのだ。

 なぜこれほどの土地がIGPなのだろう。フロンティニャンAOPを設けて地中海品種の辛口を認可し、旧来の酒精強化甘口ミュスカはミュスカ・ド・フロンティニャンAOPのままにして、二本立てのアペラシオンにすればいいではないか。そうすれば、甘口ワインの不人気に引きずられて偉大なテロワールじたいも忘れ去られるような愚を犯すこともない。

 私はラングドック委員会の記者会見やミーティングに呼ばれたことがないので、彼らが何を考えているのかは直接は知らない。もし話ができる機会があれば、彼らにとって優れたテロワールとは何を意味するのか、そしてなぜフロンティニャンがクリュと見なされないのか、聞いてみたいと思っている。だが彼らの答えがなんであれ、私にとってはフロンティニャンはグラン・クリュであり、それをマス・ド・ラ・プレーヌ・オートで再確認したのだった。

 

 

2018.03.03

ボルドー Chateau Haut-Bergey

 レオニャン村にある地味なシャトー、オー・ベルジェイ。お買い得ワインとして認識はしていたものの、格別な印象はまったくなかった。ガルサン一族の所有するシャトーとしては、クロ・レグリーズやバルド・オーのほうが目立っていた。

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▲シャトーのレセプションエリアの、パンテオンのような天井。

 しかしオーナーの息子で音楽家のポール・ガルサンが2014年にシャトーに戻ってきてから、すべてが変わった。旧態依然とした体制を見限り、スタッフ全員を入れ替え、考え方を改め、2015年に一気にビオディナミへと転換した。祖父が所有する、同じくペサック・レオニャンにあるシャトー・スミス・オー・ラフィットの影響だろうか。ともかく英断である。それはオーナーしかできない。旧弊に骨の髄まで浸ってきた人間にもできない。若い世代のほうがオーガニックに関心を持っているというデータはよく知られている。私はそこに大きな期待を寄せる。ポールのような人が増えれば、ボルドーは明らかに変わる。

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▲最初にビオディナミの実験を始めた区画。まだ樹齢は4年。
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▲オー・ベルジェイの土壌は砂が多いようだ。軽やかでフルーティなワインを造るべき土壌だと思う。



 栽培責任者であるアンヌ・ローランス・ブーベ・ド・グラモンによれば、シャトー・オー・ベルジェイは2018年、ペサック・レオニャンで最初のデメテール認証ワイナリーになる。ビオディナミを行う困難は何かと聞くと、「600リットルという大きなダイナマイザーを持っていて、大量のプレパラシオンを作ることができるが、散布は一日12へクタールが限界で、時間がかかってしまう」ことだと言う。シャトー・オー・ベルジェイの畑は40ヘクタール。大規模なボルドーならではの悩みだ。ならば馬を買い足すなり、現在6人いる社員と4人いる不定期雇用者を増やすなりすればばいいのではないかと思うが、それは経営上の話だろう。「樽は赤ワインが300リットル容量、白ワインが300から500リットル容量。SO2の添加量も少なく、もちろんデメテールの許容量以下。これから白ワインに関しては無添加バージョンも造る」、等々、彼女の話を来ていると、いかにも現代的で、ラングドックやロワールの小さなドメーヌにいる気分になる。ペサック・レオニャンのワインがビオディナミ&SO2無添加になるなど、数年前ですら想像できなかった。

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▲栽培責任者のアンヌ・ローランス・ブーベ・ド・グラモンさんが案内してくだった。前職はシャトー・ギローの栽培アシスタントであり、そこでビオディナミを習得したそうだ。

 赤のグラン・ヴァン、シャトー・オー・ベルジェイ2015年は樽が強すぎ、味がほぐれず、まだ昔風の面影がある。しかし白の2016年は重心が下で、熟した果実のとろみや厚みがあり、力が横溢してスケールが大きく、リズム感や外向的な明るさがあり、あの戯画的ソーヴィニヨン臭ロワール・コンプレックス・ワインとは無縁の、本来あるべき南国味が感じられる。これを飲むと、やっとボルドーの白がまともなワインになってきたことが分かるだろう。


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▲醸造所の中。樽は写真ではよく分からないが、容量が大きい。

 圧巻は、キュヴェ・ポール2015年である。オーナーが自分の名前を冠するだけあって、思いの丈が違い、よりダイナミックで、よりポジティブだ。メロディーの横方向の流れの美しさとリズムの縦方向の切れが合体し、ノリがよく、飲んでいて分析的な気分にならず、常に総体を享受できる素晴らしいバランスがあり、楽しい。さすが音楽家の造るワインだ。黒系果実の熟してピュアな香りに適度にスパイスがのり、重心は下で、形は垂直的でいてしなやかに丸い。現代ボルドー、トップクラスのワインであり、ペサック・レオニャンというアペラシオンの本来の力量をまざまざと示すワインである。ビオディナミ転換初年度でこの質なら、数年後にはどれほどの高みに到達することか。

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▲シャトー・オー・ベルジェイ キュヴェ・ポール 2015年。

キュヴェ・ポール2015年は樽を使わず、コンクリートタンク熟成だと、アンヌ・ローランスは言う。私がキュヴェ・ポールのほうがずっとよいと伝えると、フランス国内ではこちらが人気だと言う。日本はどうなのだろう。樽風味=高級ワイン、樽風味=ボルドーという固定観念から脱却できるか否か、よりワインの内実を見つめることができるか否かが、現代ボルドーを正しく鑑賞するための前提だ。

 

ボルドー、Chateau Olivier

 オリヴィエを訪問したのは初めてだった。160ヘクタールもの森に囲まれ、60へクタール近い畑を所有する、こんなに広いシャトーだとは知らなかった。12世紀にはじまるペサック・レオニャンで最古のシャトーだとも知らなかった。

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▲大邸宅としての“シャトー”ではなく、堀や跳ね橋を備えた城塞としてのシャトーの面影を残す。

なぜオーガニック・ボルドーの話の中にシャトー・オリヴィエが登場するのか、いぶかしく思われても仕方ない。オリヴィエはごく普通の格付けペサック・レオニャン(妙な表現ではあるが)だ。申し訳ないが正直なところを言わせてもらえば、オリヴィエでなければいけない、というTPOは思いつかない。なくても困らない。まずいと思ったことは一度もないが、ほれ込んだこともない存在。

シャトー・オリヴィエがオーガニックの実験をしていると聞いた。オリヴィエでさえそうなのだ、と思った。安心はできるがとりとめのない、何が言いたいのかはっきりとしない、ぺたっとしたオリヴィエの味が、オーガニックでどう変化するのか興味があった。それは皮肉でも野次馬根性でもなく、本来優れているに違いないテロワールの力量を知りたかったからだし、こうした古典的大シャトーがどの程度真剣に取り組んでいるのかを確認したかった。

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▲清潔で機能的だが、過剰に演出的ではないあたりが、オリヴィエっぽい。

実験は6年前に始めた、と言う。しかしテクニカル・ディレクターのフィリップ・ステックルはオーガニックにそれほど関心があるようには見えなかった。プレゼンテーションの内容は、シャトーの西に位置する、18世紀には畑だったがそのあと森になってしまっていた8ヘクタールのBel Air区画を再発見し、2004年にカベルネ・ソーヴィニヨンを植えた、というストーリーがメインだった。

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▲航空写真を見せて区画の解説をするテクニカル・ディレクターのフィリップさん。


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▲これら三つの写真を照らし合わせてみれば、白と赤は違う土壌から生まれることが分かるだろう。これはオリヴィエだけではなく、ペサック・レオニャン一般に該当することだ。だから白と赤は性格的に異なっており、同じワインの白版と赤版とは言えない。

それはそれでおもしろい話だ。航空写真を見ると敷地の端にあり市街に接している部分だが、1720年の地図を見ると、確かにそこは畑になっている。砂利が深く堆積し、カベルネには最適だ。しかし畑面積を増やすことは禁じられているため、新たに8ヘクタール植えるためには、それまでの畑8ヘクタール分を更地にしないといけなかった。そうまでして植えただけの成果は明らかだ。若木にもかかわらず、Bel Air区画のワインは重量感があり、濃厚で、甘みさえあるのに対して、シャトー近辺の旧来の畑はなめらかで抜けがよくても腰高で薄い。なんたる違い。たぶんボルドー郊外の現住宅地の地下には、忘れ去られたグラン・クリュ、いまだ発見されざるグラン・クリュが眠っているのではないのか。

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▲シャトー・オリヴィエ 赤 2005年、2010年、2015年

 2005年、2010年、2015年とヴァーティカルで赤ワインをテイスティングする。タバコや血や土のアクセントと、もやーんと緩いミッドと、ぽそっと終わる余韻の、スタティックなワイン。2005年などつい最近に思えるし、ワインは既に現代的な味わいになっているのかと想像したが、まるで1970年代や80年代に逆戻りした感覚。これはこれで懐古趣味的な動機には最適ではある。それでも、2005年という「つい最近」がこれほど遠い昔であることに驚く。ボルドーの変化は早い。2010年は垂直性が出てきて、酸に勢いがあり、凝縮度が高い味わいだが、樽が過剰で、やはり余韻は短く、スタティックで、昔の味だ。1995年あたりの右岸を思い出す。オリヴィエは時代のスタイルへの反応が遅いのか。

Bel Air区画を含み、ブレンドにプティ・ヴェルドを入れるようになった2015年は、大きく三次元的な広がりがあり、強さと軽やかさを兼ね備え、タンニンが以前とは比較にならないほどキメ細かく、果実味がピュアで、複雑でいてディフィニションに優れ、余韻も長くダイナミックだ。同じシャトーのワインだとは思えない。しかし、オーガニック的な見晴らしのよさがあるかと言えば、若干疑問だ。

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▲シャトー・オリヴィエ 白 2011年、2013年、2015年



次に白。2011年は、教科書的なソーヴィニヨン・ブランの単純な香りがして、小さく、スタティックで、酸が固く、重心が上の、早摘み味。なぜほぼすべてのシャトーがこの方向に行ってしまったのだろう。私以外の人が皆このスタイルをよしとするのだから(故ポール・ポンタリエだけが私と同じ意見だった)、どこかによいところがあるはずだと謙虚に思い、一生懸命にテイスティングしてきたが、ひたすら頭痛がするだけなのでもうやめた。何億人がおいしいと言っても、私にとってはおいしくないものはおいしくない。

2013年は、2011年と同じシャトーとは思えないほどスタイルが根本的に異なり、熟した風味とセミヨン的な厚みと構造があり、重心は下にあって安定している。そして2015年は2013年の延長線上にあり、さらにダイナミックで、さらにスケールが大きく、暑い年だけあって洋ナシのコンポートやオレンジやパイナップルの厚みのある熟した香りも心地よく、酸もしなやかでいてフレッシュ。全体が大きな力の中で調和を保ち、何かひとつの要素だけが目立つこともない。ソーヴィニヨン・ブラン78%、セミヨン20%、ミュスカデル2%というブレンド比率以上にセミヨンを感じさせるのがいい。ボルドーの砂利質土壌にあっては、熟したソーヴィニヨン・ブランは不思議とセミヨン的な個性を見せるようになるのだ。これは明らかにオーガニックの味が感じられる。そして白のほうが赤よりもよい。

ではオリヴィエらしくなくなったのか。そんなことはない。のんびりと鷹揚で、生まれ育ちがよく思いやりがあり、スリルはゼロでも落ち着いて則を超えない味、つまり飽きのこない家庭的上質さは、以前よりはるかに優れた形で健在だ。最新のシャトー・オリヴィエを飲んだら、私はもう「なくても困らないワイン」とは言わない。

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▲向こうが霞むほどに広い畑。手前が石灰、奥の盛り上がっている部分は砂利。周囲は森で、畑は外界から遮断されており、オーガニック栽培、いやビオディナミに最適に見える。

帰り際に、畑のどの部分をオーガニックに転換したのかと聞くと、シャトー正面から見て左、第三紀の泥灰岩・石灰岩の場所。そこには白ブドウとメルロが植えられているという。なるほど、そういうことか!実験を始めたのは2012年。赤の2010年と2015年の断絶の理由、白の2011年と2013年のあいだの方向性の転換と2015年のさらなる質的向上の理由も理解できるではないか!

シャトー・オリヴィエの歩みは遅くとも、正しい方角に向かっている。最新の白ワインからは、確かにここが格付けシャトーであることを示す特質を感じ取ることができる。結果は明らかなのだから、全面的にオーガニックに移行してほしい。シャトー・オリヴィエよ、何を躊躇する必要があるのか。

2018.03.02

ボルドー、Chateau Meric & Chateau Chante L’Oiseau

 今では普通になったオーガニック。しかしどのジャンルにもパイオニアがいる。シャトー・メリックは1964年という極めて早い時期にオーガニック認証を取得した、ボルドーにおける最初のオーガニックワイナリーである。

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▲気取ったところのまったくないシャトー。

 シャンテ・ロワゾーはメリックの当主フランソワ・バロンのいとこが所有するが、醸造・販売は同じだ。メリックは砂質、シャンテ・ロワゾーはより粘土質という土壌の違いがある。

 オーガニックを始める理由にはいろいろある。農薬による健康被害という人、市街地に畑あるからという人、国立公園の中だからという人、思想的な理由の人。メリックの場合はユニークだ。奥さんのシルヴィー・バロンさんに話を聞くと、「畑の近くにフランス軍の演習場があり、そこで匍匐前進などの訓練をしていた。祖父は、そんな場所で農薬を使っては軍人さんに申し訳ないと思った。当時は除草剤や殺虫剤といった農薬がたくさん登場してきた。それまで農薬を使わずに農業をしてきたのに、なぜ今になって使わねばならないのかと疑問に思った。人間に悪いものは使いたくない。だからそのままオーガニックへと移行した」。

 パイオニアならではの苦労は大きかった。「当時は完全に変人に思われて村八分だった。おかげで多くの友人を失った。しかしオーガニックが正しい道だと信じる祖父は、めげずにオーガニック運動のPR活動を積極的に行った。通常の方法ではワインは売れないから、オーガニックに敏感な消費者のグループを探して直接販売した。どこでもそういう人たちはいる。今でも生産量の7割は消費者への直接販売だ。潮目が変わったのは2000年。狂牛病が大問題となり、一般消費者のあいだでも食品の安全性が大きな関心事となった。さらに除草剤の有害性がニュースになり、今ではオーガニックワインの販売は難しくない」。

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▲ワインの残留農薬はすべてゼロだという証拠書類がセラードアに置いてある。


 オーガニックへの偏見は根強く、5年前まではワイナリーの看板にBIOと表記もしなかったそうだ。書いてしまうと一般の消費者が近寄らなかったのだという。信じがたい話だ。「友人にワインをテイスティングしてもらう時もオーガニックとは一切言わなかった。おいしいと言われて初めてオーガニックであることを伝えた。分かる人は飲めば分かる。今では、うちのワインは知るべき人に知ってもらえたからよかったと思える」。

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▲現当主フランソワ・バロンさん。セラーわきのオフィスの中で。

 こんなに重要な老舗なのに、オーガニックの展示会では見かけたことがない。すると、「オーガニックの展示会のあの独特の雰囲気が嫌いだから、普通の食品の展示会しか行かない」。それはよく分かる。私もあの雰囲気は嫌いだ。昔はそうでもなかったが、オーガニックがファッショナブルになり、「ビオワインが好き!」と言う人ばかりになってからは、同志の集まりというより、ビジネスのにおいが強く、私は場違いな気分になる。ワインもおいしく感じない。逆に言うなら、このワインが日本に輸入されないのも当然だろう。日本人が好きな“ビオワイン”ではないからだ。だとしても、今のオーガニックワインの興隆はバロン家の苦闘のおかげなのだから、最低限の礼儀をもって、仮にワインの味が好きではなくとも(好き嫌いは自由だ)、ありがとうございます、と頭を下げに行くべきだとは思う。パイオニアはリスペクトされねばならない。人の手柄を自分の手柄のように吹聴してはならない。

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▲直販所に並ぶワイン。グラーヴ産オーガニックワインのバッグ・イン・ボックスというのも興味を惹かれる。この価格を見て分かるように、ボルドーはお買い得なワインだ。

 シャトー・メリックとシャトー・シャンテ・ロワゾーのワインは、自分にとっては本当のオーガニックの味がする。ワインを口に入れた瞬間、温かくやわらかな気配が様々な中間色のパレットで広がり、粘膜にじんわりとしみ込み、細胞へと吸い込まれていく。現在流行りのビオワイン展示会を賑わし、お近づきになりたくない雰囲気の人たちが絶賛する類の自己満足的早摘み亜硫酸無添加アンフォラオレンジワイン的表層的スタイルとは別次元の、ゆえに今でも世の中の大勢には理解されない類の、素直な家庭料理のような、無に近づく味。しかしその内面には、世間の逆風に耐え、信じるべきものを信じ、流行や外国の評価に左右されず、オーガニックの味を知る目の前のお客と直接コミュニケーションして、土地のスピリットを具体的なワインへと表現してきた誠実で真摯な生きざまを伝える、ぶれない強さがある。特に、2015年に関しては、シャンテ・ロワゾーの赤が素晴らしい。樽を使わず、コンクリートタンク主体にステンレスタンクを併用して熟成するため、土地とブドウの味が素直に感じられる。樽を使った高級古木バージョンは、造り手自身はよいと思っていないが樽香を望む一部の顧客のためにしかたなく造ったような味がする。これを飲むと、ボルドーに樽は不要だという極論に走りたくなる。

 2016年の白も見事だ。この年は少し補糖したのが残念な点ではあるが、それでもこれを飲むと、本来のボルドーの白はかくあるべしという存在の強さを感じる。そもそも記憶に残る1970年代のボルドーの白は、このシャンテ・ロワゾーの白と同じく、セミヨン主体で、酸が低めで、ふくよかなボディ感やしっとり感やとろみがあったものだ。今のような還元的でソーヴィニヨン臭い固いワインがいいとは思わない。さらにこのワインはミュスカデルを10%含む。これが質感のキメ細かさと味の軽やかさと香りのフローラル感を与える。ミュスカデルを含まないボルドーの白は、香りの上部がソーヴィニヨンに支配されて優美さがなく、質感がざらつくと、なぜ皆気づかないのだろう。

メリックとシャンテ・ロワゾーがボルドーらしいかと聞かれれば、否と答えざるを得ない。しかしボルドーらしいとされるワインが、本当にボルドーという土地らしい味なのか。我々はボルドーらしいという言葉を、味わいのスタイルに対して使っているのではないのか。ほとんどすべてのボルドーワインは、歴史を振り返るまでもなく、外国向けのワインなのだ。違う文化圏に住む顔も知らない飲み手のための商品と、目の前にいる顔を知る常連客のために造るワインが、同じわけがない。グローバル商品を否定はしないが、オーガニックワインにとって地産地消の意味は大きい。その土地の住民が自宅で普通に飲むワインに嘘は不要だ。それ以上に嘘があればすぐにばれる。何度飲んでもおいしい、本当においしいものだけが、常連客のリピートに耐える。

ボルドーらしくないとして、ではどこのワインに似ているのかと聞かれれば、どこか黒海沿岸だ。明らかにオリエンタルな味なのだ。ボルドーはオリエンタルから最も遠いワインだと思っていただけに、誠実なオーガニックボルドーが黒海沿岸的な本質をのぞかせたことに衝撃を受けた。結局、ワインは東から来たものなのだ。

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▲最近最も衝撃を受けたワイン、バンジャマン・ド・メリック。

この感想は、ヴァン・ド・フランスのクレーレ(ボルドー風の濃い色のロゼ)、バンジャマン・ド・メリックを飲んだ時にさらに強まった。エッジがなく、味わいが水気を含んでじんわりと滲む、水彩画のようなワイン。マスカット的でアーシーな香り。しかし余韻は大変に長く、スケールも大きく、素晴らしくおいしいが、今まで飲んできたボルドーとは何の関係もない。ブルガリアで飲んだペットボトル入りワインを思い出したし、マスカット・ベイリーAのようでもある。

聞けばメルロにマスカット・ハンブルグのブレンドだという。なんと、マスカット・ハンブルグ!どうりで!これは南チロルのグロッサー・ヴァルナッチにマスカット・アレキサンドリアを掛け合わせたイギリス産の交配品種であり、マルカット・ベイリーAの父親だ。確かに黒海沿岸旧ソ連圏ではポピュラーなブドウであり、西欧では生食用として一般的だ。メルロが95%だというのに、この品種が混じるだけで、ワインは一挙にオリエンタルな味になる。つまり我々がボルドー的だと信じているものは相当程度ボルドー品種の個性なのであって、品種が変わってしまえば、ボルドーは黒海沿岸と同じく、ないし日本の多くの産地とも同じく、普遍的な水辺の平地の味になるということ。非ボルドー品種を含むボルドー産ワインを初めて飲み、この事実のあまりに明白な提示の前に、愕然とした。

タンニンは当然ながらほとんどなく、酸も低く、これだけ飲んでいれば強いワインだとは思えない。しかしこのワインのあとに強い赤ワインを飲むと、妙に軽く薄く感じられてしまう。つまりはクレーレのほうが強い。味が強いというより、エネルギーが強い。何百年か前までのボルドーは、クラレットと呼ばれたとおり、クレーレだった。それは正しいことだったのだ。

 

2018.03.01

ボルドー、Domaine Les Carmels

 若い夫婦、ヤリック・ラヴォーとソフィーによって2010年に創業されたばかりの生産者。ルクセンブルグとベルギーに少量輸出されるだけで、日本ではまったく知られていないが、彼らは現代ボルドー最高レベルのワインを造る。

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▲人里離れたところにあるドメーヌ・レ・カルメル。皆が想像する“ボルドー”とはずいぶん違う雰囲気だ。

 ヤリック・ラヴォーはバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社のブドウ買い付け担当のエノログだった。ボルドーじゅうの畑について熟知していた。彼が選んだのはカディヤック・コート・ド・ボルドーの奥深い丘陵地帯。今でも自然に囲まれ、畑にいると、自分がどこにいるのか分からなくなる。「風景はボルドーというよりトスカーナだ」と言うと、「家内の父親もそう言って、トスカーナにあるみたいな糸杉を醸造所の入り口に植えてくれた」。そして手作りな雰囲気の建物は、ヨーロッパというよりオーストラリアやオレゴンだ。

 標高65メートルから85メートルにある(風景はもっと高地に見えるが)畑は二区画続いている。ワイナリーに近いほうは粘土質(35%から55%が粘土)で石灰質を含む。メルロには最適な土に見える。標高の高い斜面、彼曰く「コート・ロティ」区画は粘土と砂利で、カベルネ・フランが植えられる。株密度は非常に高く、ヘクタール当たり1万本。初年度からオーガニック。夏季剪定なし、後から伸びる小さい枝を除去するのみでエフォイヤージュなし、というのが栽培上のポイントだ。所有地7ヘクタールのうち「ブドウは5ヘクタールのみで、生物学的多様性を保つ。通常ならボルドーの畑には30種類から40種類の植物が見られるが、ここでは72種類」。

 畑の一部は株密度が低い。そこで収穫されたブドウはネゴスに売る。経営上の利点は大きい。「オーガニックのブドウは需要がますます高く、通常のブドウと比べて販売価格は30%増し」。自然や人間に対する負荷への配慮や崇高な理念だけでは世の中なかなかオーガニックへと変化していかない。普通の農家にとって最大の誘因は収益なのだろうから、30%増しという数字は大きい。この市況が続くならオーガニックはおのずと増える。

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▲小さな発酵室。タンクは1600から2000リットルという小容量

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▲ブドウやマストを運ぶバケツとその上のプレス機。


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▲天井に取り付けられたフックにステンレスバケツをひっかけ、発酵タンクの上まで運ぶ。

 醸造所ではポンプを使わず、クレーンでブドウを入れたステンレス桶をステンレスタンクの上まで移動し、中に落とし込む。圧搾もまたクレーンでマストをプレス機まで運ぶ。温度調整なしでも「タンク容量が小さいから液温が上がらない」。できるだけブドウやワインにストレスを加えない工夫が随所に見られる。

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▲生まれたばかりの赤ん坊を抱くSophieさんと、Yorickさんの、Lavaud夫妻。

 試飲は家のダイニング・キッチンで行う。部屋は整然として無駄がなく、知的な気配がある。ワインも同じである。造り手と直接結びついた人間的な味は、全生産工程をひとりで行う小規模生産者ならではの特質である。ここまで知的でここまで細部までの制御が効いていても工業的冷たさなど微塵もなく、自然の力がダイレクトに反映し、さらには親密な距離感のあるワイン、換言するなら、技術力と自然力と人間力が相乗効果を見せて一体化しているワインは、めったにない。

 2016年に3000本造られ、「パリのビストロで人気が高く、すぐに全量売り切れてしまい、売るワインは一本も残っていない」というレ・カプリース。メルロ100%で、樽もSO2も使わない、軽やかでいて濃密、華やかでいて染み入るワインである。果実の質のよさが全面的に感じられ、ふくよかな甘みが樽に邪魔されることなく口中に広がり、あまりにおいしくてついもう一口飲んでしまう。しかし薄くて飲みやすい軽佻なヴァン・ド・ソワフではなく、ボルドーならではの好ましい緊張感と冴えた知性をも備えている点が見事だ。現代オーガニック・ボルドーのスタイルを象徴する一本である。

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▲メルロ100%樽なしSO2無添加のLes Capricesと、グラン・ヴァンのLes Vendanges。

 グラン・ヴァンであるレ・ヴァンダンジェはメルロ80%とカベルネ・フラン20%。樽熟成を行い、SO2も使用する。しかしその量は2015年でトータル40ミリグラム、2016年で20ミリグラム以下と極めて低い。「ラッキングもせず、ワインを空気に触れさせない。酢酸バクテリアに汚染されたらSO2かフィルターしか対処法がないが、どちらも使いたくない」。こういった方向性だと早摘みしがちで、その場合は味わいの安定感と大きさを失うことになる。ところがこのワインは堂々として、熟した黒系果実の風味があり、重心は中央にしっかりと定位する。もちろん補糖せずに、アルコール度数は14度台になるが、ワインの凝縮度が高くバランスが秀逸なために到底それほど高いアルコールだとは思えない。pHはこれだけの熟度を思えば低く、2015年で3.582016年で3.62。味覚的には3.7台かと思った。つまりは質のよい熟した酸だということである。

 初期のヴィンテージは以前の農薬が残留しているのか技術的洗練度が不足しているのか、構造が緩くシンプルで垂直性に不足し、余韻も短いのだが、2015年以降は驚異的なレベルである。2015年は、この年らしくゆったりして大きなエネルギー感と楽しさがあり、テンションが高くとも息が詰まらない。ある面ではキメが緩いとはいえ、その隙間が空気の動きをもたらしているかのようだ。私は多くの産地に共通する2015年の“気楽さ”が結構好きだ。2016年は、ボルドーでは2015年以上のヴィンテージとされる通り、より濃密で、より迫力があり、より重心は下にある。どしっとした迫力があれど鈍重さは皆無で、フローラルでスパイシーな香りが高い鮮度を保って上昇する。恐るべき完成度である。そして価格は質を思えば安い。このようなワインを一度でも経験すると、誰でもボルドーの明るい未来を確信することになるだろう。

 

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