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2018.03.08

チリ、『セーニャ』のヴァーチカル・テイスティング

 日本で最も知られているチリワインの生産者のひとつが、アコンカグアにあるエラスリスだろう。その当主、エデュアルド・チャドウィックが来日し、アイコンワインであるセーニャのヴァーティカル・テイスティング・セミナーを開催した。

 彼は毎年来日し、各地で様々なイベントを催している。私は178年ぶりにイベントの案内をもらった。前にチリに行ってエラスリスを訪問した時には彼には会えなかったので、彼と話したのは実に21年ぶりだ。

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 セーニャは1995年を初ヴィンテージとする、ロバート・モンダヴィとのジョイントで造られたチリ初のアイコンワインだ。そのあとにコンチャ・イ・トロとロスチャイルドのアルマヴィーヴァが続く。79年のオーパス・ワンの余韻が残っていた時代の話。最近のことのように思うが、やはりそれは昔の話なのだ。今、そういった有名ワイナリーの名前を出して、ジョイントだ、超高価だと盛り上げようとしても、無理だろう。消費者は既に知識レベルが上がり、名前ではなく内容が理解できるようになっているからだ。

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そもそもロバート・モンダヴィ本人の記憶がある人さえだんだんいなくなっていく。私はありがたくも彼と話をさせていただく機会が二回あったので、そしてロバート・モンダヴィ・ワイナリーが本当に偉大な高級ワイン生産者だった昔(といっても70年代だが)のワインを記憶している。だから彼のことを最大限尊敬しており、上記のようなストーリーに対して何かしらの感傷を抱くのはしかたないことだが、そうではない人ならば、ロバート・モンダヴィは、ただ無機的な、引用される名前でしかないだろう。

今回はジェームス・サックリングが2015年ヴィンテージのセーニャに100点満点をつけたことを記念してのイベントでもある。チャドウィックはそういう話が好きなようだ。例えば彼の造るアイコンワインを、ラフィットやマルゴーやサッシカイア等世界的に有名なカベルネ系ワインとブラインド・テイスティングで比較し、優劣をつけたイベント、ザ・ベルリン・テイスティング。また同じような銘柄の熟成したワインをブラインド・テイスティングで優劣をつけたイベント。これらを長年世界各国の主要都市で開催してきた。そしてそれらすべてで、恐るべきことに例外がひとつもなく、上位を独占したのは、彼のアイコンワインたちだった。

そのイベントの目的は崇高なものだ。彼自身が今回語ったように、90年代終わりにチリワインが日本に多く輸入されたが、それはつまり安価なチリカベであり、チリワインが世界の最高レベルのワインにひけをとらないワインだということは認識されていなかった。彼はこのようなイベントを通して、チリワインの偉大さを証明しようとしたのだ。

この手のブラインド・テイスティングについて疑義を唱えることはたやすい。そもそもボルドーやトスカーナとチリを比較することができるのか。できるなら、どのような基準においてできるのか。確かにそれらのテイスティングを行ったのは世界各国の最高のワイン評論家やソムリエたちであったとしても、これは個々人の能力の問題ではなく、価値尺度の明確化の問題である。何をもってあるワインを他のワインより良いとするのかの議論と共通認識なきところでは、結果だけ見せられても、何を評価したのかが分からない。しかしあくまで目的はチリワインのイメージ向上であり、そのために万人にわかりやすい手段が選ばれたのだ、と考えるなら、確かにチャドウィックが行ってきた活動は尊敬に値する。チャドウィック自身のワインの売り上げに貢献したとしても、公に対して彼は高貴な義務を果たしたと言えるだろう。

私は彼に、「一連のテイスティングが自画自賛的にうそくさく見えるのは、他の国々の有名ワインと比較したチリワインがすべてあなたのワインだけだったからだ。なぜプエンテ・アルトのふたりの隣人たちにも参加してもらわなかったのか」と言った。すると、「彼らは彼らなりの計画もあるし、企画に賛同しないだろうし」。「ならば彼らのワインをあなたが買ってでも出品すればよかった」。「なぜ私がそんなことをする必要が!」。出品者が主催者であり、壇上に座ってテイスティングしていることがおかしいのだ。それは常識に思える。スティーヴン・スパリエのパリ・テイスティングにおいて、シャトー・モンテレーナもスタグス・リープもスパリエ自身も審査員ではなかった。もし彼が私に相談してきたら、PR会社を雇い、そのような第三者を主催者にして、彼のワイン以外も出品し、彼は傍聴席に座っていろ、と言っただろう。勝てる自信があるなら、それでいいではないか。実際に勝ったのだから。真面目な話、彼にこれからメールして、次はもっと自画自賛っぽくならないように工夫せよ、と言おうと思う。「大きなお世話、お前いったい誰?」と言われるだろうが、チリワイン全体のためには必要だと思いたい。

さて、セーニャだが、1996年、2000年、2003年、2009年、2013年、2015年が出された。ここでひとつの節目となるのは、セーニャが現在のセーニャ畑(アコンカグア・ヴァレーの中央西より)から造られるようになった2003年と、それ以前だ。もうひとつの節目は、2005年にビオディナミを採用するようになってから。そして、14度になる高いアルコールを嫌い、早摘みしてフレッシュネスやエレガンスを求めるようになった2015年だ。

また、これらを品種構成上の変遷としても見ることができる。96年はカベルネ・ソーヴィニヨン91%、00年は77%、03年は52%、以降は50%台で推移する。カベルネ・ソーヴィニヨン比率の低下に対して比率が上がるのが、カルメネール、メルロ、そして13年以降はマルベックである。

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私が最もよいと思うのは1996年だ。これはまるで他の人が造ったのかと思えるほど違う。リリース当初から95年と96年は好きなのだが、熟成したあとになってもやはりよい。この時期にはロバート・モンダヴィ自身も元気で、味決めにしっかり関与していたのではないかと思うほど、同時期のティム・モンダヴィの色が濃かったロバート・モンダヴィ・ワイナリー以上に、往年のロバート・モンダヴィを思い出させるものがある。涼しい年だけあり、若干のミントっぽさがいい。びしっとした垂直的な構造をもち、とりわけ下方垂直性が顕著で、気品があり、細身ながらその周囲に気配があり、余韻も長い。

2000年は、アルマヴィーヴァでもそうだが、独特の曇った味がするし、シンプルかつブレタノミセスが感じられる(しかしこのヴィンテージが前述の一連のテイスティングで世界じゅうのトッププロたちから高く評価されたのだから、私の意見は超マイノリティーだ)。96年にあった堅牢な構造が失われ、垂直性がなく、重心が上で、フォーカスが甘い。アコンカグアのような土地でカベルネ比率を下げてメルロを入れれば、瓶詰め当初は柔らかくて飲みやすいとしても、熟成すればこうなるのは当然だろう。

暑い年だった2003年はキメが粗く、薄く、重心が上で、小さく、甘くて飲みやすいとしても、到底アイコンワインの値段は承服できない。

2009年はビオディナミ採用以降だけあって、タンニンの細やかさに関して03年とは見違えるほど向上し、酸も柔らかいがフレッシュ感もあり、黒系果実と濃密さとローズマリーやミントの清涼感のコントラストはよい。ただし風味じたいの純度はあまりなく、苦さが残る。

2013年はアーシーさと青っぽさとスモーキーさと唐辛子風味が興味深いが、酸が固く、小さく、重心が上で、動きがない。樽が目立つ。

100点ワインとして注目される2015年は、カベルネ・ソーヴィニヨンが少なすぎ、マルベックとカルメネールが多すぎて、黒系果実の風味に偏って、べたっとして気品がなく、背骨が弱い。また早く収穫しすぎて、下方垂直性に欠け、重心が上で、小さく、上あごに張り付き、酸が固く、単調で、余韻が短い。 

96年だけが、私にとってのチリワイン、特にアコンカグアの、とても乾燥しているが冷風が流れるワインの味がする。これはあちこちの畑から選りすぐったブドウらしいが、チャドウィックに「これは自根ですね」と聞くと、大半はそうだと言う。セーニャ畑は逆に、接ぎ木がほとんどのようだ。「自根でなければ下方垂直性が出ない。自根のほうがいい。吐き出しては分からないが、飲めば分かるではないか」と言うと、「君の意見には賛同しないな。畑の中にはいろいろな土壌があり、品種に対して適切な台木を選ぶ。肥沃すぎるところで樹勢を制限できる」。「それは話の順序が逆でしょう。ちょうどいい土壌を探して植えればいいではないですか」。

自根反対派というのはチリにはそれなりに多く、フィロキセラがいないというチリ最大の利点を自ら否定しているとしか思えないのだが、頭のよい人に特に多い。彼が言うに、「おいしいかどうかは主観だろう。主観では自根か台木のどちらがよいか議論してもしかたない」。自根のブドウの収量と接ぎ木のブドウの収量を比較したり、ポリフェノールやタンニンを計測したりすると、確かに台木のブドウデータのほうがよかったりするようだ。その話はチリでさんざん聞いた。多くの頭のよいワインファンは、データがよいものがよいワインだという定義だろうが、私は極めて単純で、まずいワインよりおいしいワインのほうがよいワインである。おいしいワインには必ず理由があり、まずおいしいかどうかを判断して、その理由を探るのが大事なのであって、まず測定対象を考え、その数値がよいものがおいしいと思うより人間的だと思う。

あるオーストラリアのビオディナミ生産者の自宅で、シングルトライオードA級作動送信管アンプを見た。あるイタリアのオーガニック生産者の自宅では、ガラード401ターンテーブルを使っていた。データを計測しても、それらはゴミみたいな数字しか出てこない。しかしそれらはデータに優れたものより、はるかにはるかに迫真の結果を出す。主観でしか表現できない、しかし我々にとっては大切な、美しいものを描き出す。もちろん彼らも私もそれが重要だと思う。この話を理解してくださる読者の方は、たぶん、私とワインへの志向が合う。

だから話は簡単だ。自根のワインが好きな人、ないし、チリにとってそれが重要だと思う人、灌漑は自然の降雨より優れていると思う人、そして完熟したブドウの味が好きな人は、セーニャは好きではないだろう。しかし接ぎ木・灌漑・早摘みのワインが好きな人(現在はそれが99・99%だろう)にとっては、セーニャは、まさに世界じゅうの評論家やソムリエが絶賛するように、完全無欠のワインであろう。これは「主観」の問題、個々人の価値観や優先順位の話である。私のような超マイノリティーの意見は、大政翼賛会的状況抑止のために必要な政治的スパイスとでも思って軽く流してもらっていい。

セミナーの最後は質問の時間だ。他の参加者の方々は個別にインタビューの時間が与えられているし、高頻度で会っているから別にここで質問する必要はないが、私は今を逃したら次はまた18年後かも知れないので、ただ一人質問した。「セーニャはエラスリス・ワイナリーのアイコン・セラーで造られますが、ビオディナミと言われるなら、当然セーニャ畑の中にセラーがなければ筋が通らない。なぜ畑の中に醸造施設を作らないのですか」。所有地の中での物質・エネルギー循環を基本とする閉鎖系バランスの意識的創出を忘れて、500501の話をするなら、それは単にビオディナミを通常の農業技術論の中でとらえることであり(それでも農薬まみれより一億倍よいが)、結果としてワインはビオディナミらしい味がしなくなるものだ。チャドウィックの答えは、「それは将来のプロジェクトとして考えている。まずは高品質ワインを造るためのワイナリーを建設するほうが先だった。あの建築は、ヒュー・ジョンソンやジャンシス・ロビンソンに『世界で最も自然に配慮したワイナリーだ』と言われた」。私も実物を見てみたが、遠くの山から冷気を送り込むトンネルを作ってワイナリー全体を冷やすという工夫がしてある。しかしワイナリーは地上に建てられており、ガラス張りで、太陽光に温められる。それより普通に地下に作ればいいのではないか。ワイナリーを案内してくださったエラスリスの方にはその場でそう伝えた。お金の無駄だ、と。ともかく、私の考える『自然』とは定義が異なるようだ。

「セーニャのカベルネ比率が下がったのは、マイポのヴィーニャ・チャドウィックとのすみわけからですか。似たようなワインが二つでは商品戦略上よくないから」と聞くと、「まったく関係ない。セーニャ畑のテロワールに従ったまでのことだ」。

そのあと私は彼に、こんな話をした。「エラスリスでアイコンから下のクラスのワインまでいろいろとテイスティングしましたが、アイコンだけが別の味がした。他の会社のワインのようだ。チーフワインメーカーの方にそう言うと、『アイコンはチャドウィック氏自らが造るから』と言った。普通のエラスリスは色に譬えて言えば、青や緑を感じるが、アイコンはオレンジや赤だ。つまりチャドウィックさんは、口ではエレガンスやフィネスを求めると言うが、中身は相当熱い人なのだと思っている」。「いや、それぞれのテロワールを忠実であろうとしているだけだ」。「そうですか。ワインには造り手の個性も反映されますよ」。「ああ、たしかにそうかも」。「ところでマウレはいいですよ。無灌漑で栽培できるし。なぜ南部に進出しないのですか」。「いや、今はセーニャの品質向上に全力を傾ける」。品質向上・・・・。品質とはなんだろう・・・・。それを考えるには、セーニャは最高の素材ではある。

 

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