« ボルドー、Domaine Les Carmels | トップページ | ボルドー、Chateau Olivier »

2018.03.02

ボルドー、Chateau Meric & Chateau Chante L’Oiseau

 今では普通になったオーガニック。しかしどのジャンルにもパイオニアがいる。シャトー・メリックは1964年という極めて早い時期にオーガニック認証を取得した、ボルドーにおける最初のオーガニックワイナリーである。

Dsc05335

Dsc05334
▲気取ったところのまったくないシャトー。

 シャンテ・ロワゾーはメリックの当主フランソワ・バロンのいとこが所有するが、醸造・販売は同じだ。メリックは砂質、シャンテ・ロワゾーはより粘土質という土壌の違いがある。

 オーガニックを始める理由にはいろいろある。農薬による健康被害という人、市街地に畑あるからという人、国立公園の中だからという人、思想的な理由の人。メリックの場合はユニークだ。奥さんのシルヴィー・バロンさんに話を聞くと、「畑の近くにフランス軍の演習場があり、そこで匍匐前進などの訓練をしていた。祖父は、そんな場所で農薬を使っては軍人さんに申し訳ないと思った。当時は除草剤や殺虫剤といった農薬がたくさん登場してきた。それまで農薬を使わずに農業をしてきたのに、なぜ今になって使わねばならないのかと疑問に思った。人間に悪いものは使いたくない。だからそのままオーガニックへと移行した」。

 パイオニアならではの苦労は大きかった。「当時は完全に変人に思われて村八分だった。おかげで多くの友人を失った。しかしオーガニックが正しい道だと信じる祖父は、めげずにオーガニック運動のPR活動を積極的に行った。通常の方法ではワインは売れないから、オーガニックに敏感な消費者のグループを探して直接販売した。どこでもそういう人たちはいる。今でも生産量の7割は消費者への直接販売だ。潮目が変わったのは2000年。狂牛病が大問題となり、一般消費者のあいだでも食品の安全性が大きな関心事となった。さらに除草剤の有害性がニュースになり、今ではオーガニックワインの販売は難しくない」。

Dsc05345
▲ワインの残留農薬はすべてゼロだという証拠書類がセラードアに置いてある。


 オーガニックへの偏見は根強く、5年前まではワイナリーの看板にBIOと表記もしなかったそうだ。書いてしまうと一般の消費者が近寄らなかったのだという。信じがたい話だ。「友人にワインをテイスティングしてもらう時もオーガニックとは一切言わなかった。おいしいと言われて初めてオーガニックであることを伝えた。分かる人は飲めば分かる。今では、うちのワインは知るべき人に知ってもらえたからよかったと思える」。

Dsc05342
▲現当主フランソワ・バロンさん。セラーわきのオフィスの中で。

 こんなに重要な老舗なのに、オーガニックの展示会では見かけたことがない。すると、「オーガニックの展示会のあの独特の雰囲気が嫌いだから、普通の食品の展示会しか行かない」。それはよく分かる。私もあの雰囲気は嫌いだ。昔はそうでもなかったが、オーガニックがファッショナブルになり、「ビオワインが好き!」と言う人ばかりになってからは、同志の集まりというより、ビジネスのにおいが強く、私は場違いな気分になる。ワインもおいしく感じない。逆に言うなら、このワインが日本に輸入されないのも当然だろう。日本人が好きな“ビオワイン”ではないからだ。だとしても、今のオーガニックワインの興隆はバロン家の苦闘のおかげなのだから、最低限の礼儀をもって、仮にワインの味が好きではなくとも(好き嫌いは自由だ)、ありがとうございます、と頭を下げに行くべきだとは思う。パイオニアはリスペクトされねばならない。人の手柄を自分の手柄のように吹聴してはならない。

Dsc05336

▲直販所に並ぶワイン。グラーヴ産オーガニックワインのバッグ・イン・ボックスというのも興味を惹かれる。この価格を見て分かるように、ボルドーはお買い得なワインだ。

 シャトー・メリックとシャトー・シャンテ・ロワゾーのワインは、自分にとっては本当のオーガニックの味がする。ワインを口に入れた瞬間、温かくやわらかな気配が様々な中間色のパレットで広がり、粘膜にじんわりとしみ込み、細胞へと吸い込まれていく。現在流行りのビオワイン展示会を賑わし、お近づきになりたくない雰囲気の人たちが絶賛する類の自己満足的早摘み亜硫酸無添加アンフォラオレンジワイン的表層的スタイルとは別次元の、ゆえに今でも世の中の大勢には理解されない類の、素直な家庭料理のような、無に近づく味。しかしその内面には、世間の逆風に耐え、信じるべきものを信じ、流行や外国の評価に左右されず、オーガニックの味を知る目の前のお客と直接コミュニケーションして、土地のスピリットを具体的なワインへと表現してきた誠実で真摯な生きざまを伝える、ぶれない強さがある。特に、2015年に関しては、シャンテ・ロワゾーの赤が素晴らしい。樽を使わず、コンクリートタンク主体にステンレスタンクを併用して熟成するため、土地とブドウの味が素直に感じられる。樽を使った高級古木バージョンは、造り手自身はよいと思っていないが樽香を望む一部の顧客のためにしかたなく造ったような味がする。これを飲むと、ボルドーに樽は不要だという極論に走りたくなる。

 2016年の白も見事だ。この年は少し補糖したのが残念な点ではあるが、それでもこれを飲むと、本来のボルドーの白はかくあるべしという存在の強さを感じる。そもそも記憶に残る1970年代のボルドーの白は、このシャンテ・ロワゾーの白と同じく、セミヨン主体で、酸が低めで、ふくよかなボディ感やしっとり感やとろみがあったものだ。今のような還元的でソーヴィニヨン臭い固いワインがいいとは思わない。さらにこのワインはミュスカデルを10%含む。これが質感のキメ細かさと味の軽やかさと香りのフローラル感を与える。ミュスカデルを含まないボルドーの白は、香りの上部がソーヴィニヨンに支配されて優美さがなく、質感がざらつくと、なぜ皆気づかないのだろう。

メリックとシャンテ・ロワゾーがボルドーらしいかと聞かれれば、否と答えざるを得ない。しかしボルドーらしいとされるワインが、本当にボルドーという土地らしい味なのか。我々はボルドーらしいという言葉を、味わいのスタイルに対して使っているのではないのか。ほとんどすべてのボルドーワインは、歴史を振り返るまでもなく、外国向けのワインなのだ。違う文化圏に住む顔も知らない飲み手のための商品と、目の前にいる顔を知る常連客のために造るワインが、同じわけがない。グローバル商品を否定はしないが、オーガニックワインにとって地産地消の意味は大きい。その土地の住民が自宅で普通に飲むワインに嘘は不要だ。それ以上に嘘があればすぐにばれる。何度飲んでもおいしい、本当においしいものだけが、常連客のリピートに耐える。

ボルドーらしくないとして、ではどこのワインに似ているのかと聞かれれば、どこか黒海沿岸だ。明らかにオリエンタルな味なのだ。ボルドーはオリエンタルから最も遠いワインだと思っていただけに、誠実なオーガニックボルドーが黒海沿岸的な本質をのぞかせたことに衝撃を受けた。結局、ワインは東から来たものなのだ。

Dsc05340
▲最近最も衝撃を受けたワイン、バンジャマン・ド・メリック。

この感想は、ヴァン・ド・フランスのクレーレ(ボルドー風の濃い色のロゼ)、バンジャマン・ド・メリックを飲んだ時にさらに強まった。エッジがなく、味わいが水気を含んでじんわりと滲む、水彩画のようなワイン。マスカット的でアーシーな香り。しかし余韻は大変に長く、スケールも大きく、素晴らしくおいしいが、今まで飲んできたボルドーとは何の関係もない。ブルガリアで飲んだペットボトル入りワインを思い出したし、マスカット・ベイリーAのようでもある。

聞けばメルロにマスカット・ハンブルグのブレンドだという。なんと、マスカット・ハンブルグ!どうりで!これは南チロルのグロッサー・ヴァルナッチにマスカット・アレキサンドリアを掛け合わせたイギリス産の交配品種であり、マルカット・ベイリーAの父親だ。確かに黒海沿岸旧ソ連圏ではポピュラーなブドウであり、西欧では生食用として一般的だ。メルロが95%だというのに、この品種が混じるだけで、ワインは一挙にオリエンタルな味になる。つまり我々がボルドー的だと信じているものは相当程度ボルドー品種の個性なのであって、品種が変わってしまえば、ボルドーは黒海沿岸と同じく、ないし日本の多くの産地とも同じく、普遍的な水辺の平地の味になるということ。非ボルドー品種を含むボルドー産ワインを初めて飲み、この事実のあまりに明白な提示の前に、愕然とした。

タンニンは当然ながらほとんどなく、酸も低く、これだけ飲んでいれば強いワインだとは思えない。しかしこのワインのあとに強い赤ワインを飲むと、妙に軽く薄く感じられてしまう。つまりはクレーレのほうが強い。味が強いというより、エネルギーが強い。何百年か前までのボルドーは、クラレットと呼ばれたとおり、クレーレだった。それは正しいことだったのだ。

 

« ボルドー、Domaine Les Carmels | トップページ | ボルドー、Chateau Olivier »

ワイン産地取材 フランス」カテゴリの記事