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2018年4月の記事

2018.04.13

ワイン&グルメでのヴィーニョ・ヴェルデ

 お台場の東京ビッグサイトで行われたワイン&グルメでは、昨年に続いてヴィニョ・ヴェルデの大規模なブースが目立ちました。
 この何年か、ポルトガルのヴィニョ・ヴェルデは大変に積極的なプロモーションをしています。ポルトガルと日本は魚料理主体という食文化が共通しているというのが大きな訴求点です。これはキャッチ―です。
 以前にも書きましたが、私は西洋的な「魚とワイン」の組み合わせに必ずしも同意していません。「魚=軽くてさっぱり」、ゆえに「魚用ワイン=軽くてさっぱり」というロジックは、最初の魚の味の定義が異なれば成り立ちません。それは主観的なものかも知れませんが、こってりかさっぱりは肉か魚で別れるものではなく、個別の動物によります(馬はさっぱり、熊はこってり、いさきはさっぱり、ぶりはこってり、みたいに)し、調理法にもよります。赤身牛肉のステーキは400グラム食べられてもアオリイカの刺身400グラムは無理です。 
 たまに聞く「レモンを魚に絞るような感覚で魚の生臭みを取る」という発想に至っては根本的に間違いです。魚にレモンをかけると魚のうまみや甘さがなくなってしまうからです。
 ですから軽くてさっぱりした日本料理向けのワインという現在いろいろなところで見られるテーマには疑問を持ちます。そもそも日本料理(京都のなになにという料亭の料理、などというものは例外であって、とりわけ家庭消費用のワインの話をする時にお殿様・お公家様の料理を前提としていてどうするのか)は軽くてさっぱりなどしていません。
 ですから私はそのような“スタイルとしてのヴィニョ・ヴェルデ”にはあまり興味がありません。しかし誤解されたくありませんが、それはヴィニョ・ヴェルデが低質なワインであるとか俗っぽいド素人向けワインであると言っているのではまったくありません。日本のワイン評論家やオピニオンリーダーが全員ヴィニョ・ヴェルデ協会の設定テーマに沿った同一のメッセージを発信しているなら、誰かひとりぐらいは「本当にそのロジックは正しいのか」と疑問を呈していかないと、むしろ不健全ではありませんか。

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 降水量が多い花崗岩土壌の味らしいワイン(ほんの一部にシスト土壌もありますが)であることのほうが、「軽くてさっぱりした日本の魚料理に合うワイン」であることより、私にとっては重要です。私の問題意識からすれば、今回いくつか試飲した中で一番印象に残ったのはVale dos Aresであり、そのオーナーであるMiguel Qeimadoさんがワインメーカーを務めるSem Igualです。彼は意識的に「アングロサクソン好みの酸が高くてタイトな味のワインに仕上げた」と言いますし、おかげでワインアドヴォケイトでは92点という極めて高い評価を得ており、それはそれでいろいろと議論を呼ぶ問題ではあるのですが(この話をしていると長くなる)、私の評価する点はそこではありません。彼のワインが、1、炭酸ガス添加によるスッキリ感を否定したナチュラルな造りであること。2、酸のレベルは高いが早摘みによる青い酸ではなく安定感がある酸なこと。3、珍しく重心が上ずらずに下半身がしっかりしていること。4、ミッドの密度が高いこと。5、余韻が長いこと。6、オーガニックを支持し、来年には認証取得予定であること。です。高品質ワインにとっては当たり前のことですが。
 ミゲルさんは「ヴィニョ・ヴェルデではほとんどみんな炭酸ガス添加」だと言います。「発酵後すぐに瓶詰めするから炭酸ガスが残っているのかと思いましたが、違うのですか」と確認すると、「違う、後から添加している。私は醸造家だから知っている」と。そういうテクニックが優先されてしまうと、“スタイルとしてのヴィニョ・ヴェルデ”になって、私は距離を置きたくなるのです。

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 Vale dos Aresは「蔵出し4・9ユーロ」。質からすればそんなものでしょう。しかし「ヴィニョ・ヴェルデとしては高い。世間はヴィニョ・ヴェルデを安いワインだとみなしているから」。そうすると、まず目標としての価格が先行して、薄いワインになってしまうのでしょう。何度も言いますが、上品であること・しなやかであることと、薄くて平面的で腰高な味であることのあいだには、なんの関係がありません。
 ミゲルさんは「あの別府さんに評価していただいた」と喜んでいました。「別府さんを知っているか」と聞かれたので、「もちろん存じ上げています。日本では最も影響力のあるワイン専門家で、皆が彼をフォローしていますから、彼に評価されたのなら日本でも売れるようになると思いますよ」と答えました。

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 テロワール志向の、きちんとミネラルを感じられるヴィニョ・ヴェルデとしては、グアボス・ワイン・プロジェクトも気になった生産者です。生産者曰く、「ヴィニョ・ヴェルデの法的最大収量はヘクタール当たり10トン。うちのアルバリーニョ(これは収量が低めの品種)は4、5トン」。このようにブルゴーニュのグラン・クリュと同じぐらいの低収量になれば、ミッドの充実感も出てきますし、後半になっても味がボケません。おもしろいのは、ラベルを見て分かるとおり、畑の標高が書いてある。実際、低い標高はおだやかで丸みのある味、高い標高はメリハリ・緊張感のある味。プロならば畑の地名と品種ブレンド比率を聞けば味の予想がつくはずですが、素人にとっては見ただけで最低限の“土地の味”が理解できるこの生産者のワインは、分かりやすく、つまりは使いやすい。数十もあるヴィニョ・ヴェルデの品種名とその味を覚えるのは普通の人にはハードルが高いですから。

2018.04.11

ヴィーニョ・ヴェルデ

 ポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデ協会(Comissão de Viticultura da Região dos Vinhos Verdes)より26の生産者が来日し、品川のザ・ランドマークスクエア・トーキョーでセミナーと試飲会を開催。ありがたくご案内をいただいたので、参加してきました。
 最近はヴィーニョ・ヴェルデの名前をよく聞きます。スペインのリアス・バイシャスはここ数年のブームですが、ヴィーニョ・ヴェルデはスペイン・ポルトガル国境のMinho川をはさんで隣接する産地。1200ミリという高い年間降水量と花崗岩土壌が生み出す白ワインの味わいは、リアス・バイシャスとも当然ながら似ています。しかしリアス・バイシャスのほうがメリハリがあって力強い印象。全体にヴィーニョ・ヴェルデはよりソフトでさらっとしていると思います。

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 セミナーでは講師を務められた佐藤さんが、ヴィーニョ・ヴェルデと甲州の相似性について多く語られていました。温暖湿潤気候ですし、山梨も花崗岩がありますし、同じく棚仕立てですから。今は甲州品種ワインの大ブーム。...ヴィーニョ・ヴェルデを甲州と同じテイスト・プロフィールのワインとして認識させることは、ヴィーニョ・ヴェルデにとって有効な戦略でしょう。個人的には甲州とヴィーニョ・ヴェルデがそこまで似た味だとは感じられませんし、飲む動機が同じとも思えません。セミナーのパネルを務めていたひとりの生産者に佐藤さんが甲州との相似性についてどう思うかと聞いたら、ヴィーニョ・ヴェルデのほうがいい、レベルの違うワインだ、と、素直な答えでした。
 ヴィーニョ・ヴェルデは21000ヘクタールもある広大な産地です。その中に9つのサブ・リージョンがあります。それを4つにまとめると、北部のモンサオ&メルガノ地域(アルバリーニョ品種のエリア)、中部のリマ川・,カヴィド川・アヴ川地域(ロウレイロ品種)、東部のバシュト地域(アザール品種)、南部のドウロ川周辺地域(アヴェッソ品種)。土壌はドウロ川方面はシストですが、大半は花崗岩。ヴィーニョ・ヴェルデの認可品種は45品種もあり、製法は相当程度自由ですから、多様な味のワインが出来ます。それは分かっていますが、何かまともな意見を言うことはまだまだできません。ハードルが高いです。いつかヴィーニョ・ヴェルデに行ったら、少しは役に立つ話ができるかも知れません。


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 ヴィーニョ・ヴェルデは白が生産の86%、赤が9%、ロゼが6%(2015年度)。圧倒的に白ワイン。当然白産地として訴求されていますが、実は私はロゼのほうが好きです。赤はあれこれコメントできる数を飲んでいないものの、よさそうです。理由は明確で、概して白よりロゼのほうが余韻が長くて複雑だからです。ロゼの多くには若干の残糖がありますが、それもまた酸の強さとバランスしていていいと思います。どれもなかなかおいしかったのですが、試飲した中で気に入ったものは写真のワインです。
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スパークリングは可能性がなかなか高いと思います。アヴェッソは素晴らしい発泡用品種に思えます。価格を思えば、カヴァに続いて、お買い得価格の泡として人気が出てしかるべきでしょう。
 残念ながら白ワインの多くは早摘みの味がして、“スタイル”のワインになっていると思います。どれもこれも重心が高くて小さい。そしてステンレスタンク臭い。これが本当の味だとは思えません。
 ヴィーニョ・ヴェルデの白はシーフード料理用のワインだと訴求されています。そこで生産者にどんなシーフードを食べるのか聞くと、鯛、イワシ、サバ、マグロ、ハタ、スズキ、海老、イカ、タコ。重心が高いワインが合う魚もあれば、そうではない魚もある。ところがどのヴィーニョ・ヴェルデの白ワインも重心が高ければ、もちろん合わない魚が多く出てくる。是非重心の低いワインも造ってほしい。魚=フレッシュ、クリスプ、レモニー、低アルコールのワイン、と思うくせ(世界中で見られます)はよくないと思います。魚の味はそんなにやわなものではありません!ですから試飲会では、脂ののったしっかりした味の魚に向くワインを探していました。写真のQuinta das ArcusのTrajadura品種の樽発酵ワインが気に入りました。これは普通のすっきりさっぱり系ヴィーニョ・ヴェルデではありません。ずっと密度が高く、余韻も長く、重心が真ん中にあります。生産者も「うちのワインは例外」と言っていました。土壌もシストですから、確かに例外。トラジャドゥーラ品種もフルーティさを担う補助的役割で酸がない品種だから、これ単一のワインというのも例外。とはいえ、品質の上からすれば、こういうワインがもっと増えて欲しいものです。
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 ヴィーニョ・ヴェルデは緩くて(砂っぽい)柔らかくて肩肘張らないワインですから、日常の食卓に向くというのは分かります。それでも内面的なエネルギー感、立体感、余韻に関してはもう少し向上させていかないと、料理を受け止められません。しつこいようですが、刺身だろうが煮魚だろうが、料理というのは、特に日本の素晴らしい魚の料理というものは、ヴィーニョ・ヴェルデよりエネルギー感があり、立体的で、余韻が長いからです。

2018.04.06

ピーロート ワールドワインフェスティバルでのセミナー

 本当は私の出番ではなかったのです。
 ジェラール・ベルトランのアジア担当エクスポート・マネージャー、Jan Visserさんからメールがあり、フランスから来日してセミナーを行うはずだったワインメーカーのJean-Baptiste Terlayさんが、フランスの大規模な交通ストライキのせいで来日できない、と。彼は彼でディナーを仕切らねばならず、「ふたつの場所に同時にはいられないから手伝ってください」と。それは大変な事態。急遽六本木ヒルズで行われているピーロートのワールド・ワイン・フェスティバルに赴き、ジェラール・ベルトランのワイン造りの考え方や南フランスワインの本質とは何かについて、セミナーを行いました。一切下調べの時間なし、どんなワインをテイスティングするのかも始まるまで知りませんでしたが、ほっておかられたらまる一日は話し続けられるぶんぐらいの情報は記憶しているので、大丈夫!

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 Janさんから「今日のお客さんは素人だからエンタテーメントしてね」と言われました。ふーむ、エンターテイメントってなんだろう。まあ私はそもそも難しい話はできないし、エンタテーメントでなかったことはないと自分では思っているので、ワイン専門用語を使わないということだけを意識して、あとは普段どおりにその場で思いついたことをしゃべっていました。実際、細かいデータ等はさしあたってどうでもいいのです。「どの品種が何パーセントかとか、樽熟成期間が18カ月とか、セミナーだとそういう話になるが、それを聞いて意味が分かる人がこの中にいますか?各論は総論が分かってから聞いて初めて意味がある」。セミナーで私が語ったことをすべてここで書いていたら長大な文章になってしまいますから省きます。基本、今まで私がベルトランやラングドックに関して語ってきた内容です。
 南仏ワインについては、ひとつ、このように言いました。「北系ワインと南系ワインがある。北系は単一品種ワインであり、南系は複数品種ワイン。ラングドック・ルーションでも、ミュスカ等の少数を除いて、AOPワインは複数品種だ。単一品種ワインは、最高のブドウ品種だけを選んで、それ以外は排除するという思想だ。ブルゴーニュ公国のガメイ禁止令は知っているだろう。それが典型だ。すなわち、最も才能がある人間だけに生存が許され、それ以外は死ねというような社会だ。南仏には単体で味わえばくせっぽい品種も多い。しかしそれぞれの個性を生かして混ぜることで調和が生まれる。すなわち、人それぞれ長所もあれば短所もあるが、適所適材で生かせば全員が意味ある存在となり、組織として機能するという社会だ。前者のような世の中がいいと思う人は単一品種ワインを飲め。後者のような世の中が自分の思想にフィットすると思う人は南仏ワインを飲め。地中海文明とは、地中海を通じてつながりあういろいろな肌の色の人たちや宗教の人たちが共存し、お互いに影響しあって作り上げられてきたものだ。人種や宗教を問わず有能な人を登用した中世シチリア、ノルマン王朝時代の繁栄はその好例だ。すべてに白か黒かを決着づけようとしたら共存はできない。白と黒の味が北系のワイン。白と黒に加えて、それらの中間に広がるグレーゾーンのある味が南系のワインだ。そこが理解されねば、なぜジェラール・ベルトランが『平和、愛、調和』をクロ・ドラの標語にしているのかも分からない」。

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 多くの消費者は、こうした俯瞰的視点や本質論について話を聞いたり考えたりする機会が少ないものです。セミナーでは普通は各論ばかりになります。醸造担当者によるセミナーはとくにそうです。各論を100聞いても、そこから自分で一歩踏み出さない限りは、そのままでは総論には到達できません。しかしいったん総論を理解すれば、各論の解釈の仕方が分かるようになります。そのための手助けが少しはできたのではないかと思っています。
 

2018.04.02

ブルゴーニュ白ワインととんかつの会

 

 ブルゴーニュの白ワインはどんな時に何と合わせて飲むべきものなのか。一大カテゴリーのワイン、いや世界の白ワインの中で最も代表的なジャンルとさえ言えるワインなのに、「ブルゴーニュの白ワインと料理の素晴らしい相性を教えてください」と尋ねると、なかなか答えが出てこない。ワインファンなら何千本もの経験があるのに、今回の参加者の方々は「あまりおいしかった記憶がない」。今までいったい何をしてきたのか、どれだけお金と時間を使ってきたのかと自問するなら、何かが根本的に間違っているとみなすべきなのだ。

 間違った使用法の最たるものは、ブルゴーニュの白ワインを前菜用とみなすことだ。ブルゴーニュでは伝統的に赤ワインのあとに白ワインをテイスティングする。白のほうが強い味だからである。ではレストランにおいても、ブルゴーニュにこだわりたいなら、赤が前菜用で白が主菜用のほうが筋が通るではないか。しかし赤白の順でワインをオーダーしている人を見たことがあるか。ないし、そうすべきと言っている人を、私以外に知っているか。私の知り合いが某超高級フランス料理店に行った時、赤白の順でオーダーしようとした。するとその店のシェフソムリエが「いったい誰に吹き込まれたんだ」と聞いた。「田中という人です」と答えると、「ああ、田中か。却下」。そして白赤の順でワインを彼が選んで出した。この話からして、赤白の順で飲むことがどれだけ日本ではご法度とされているかが分かる。普通の人は超高級フランス料理店のシェフソムリエに「違う」と言われ、「そうしたいのだからそれでいいではないか」とは言えないものだ。我々は毎日宮廷晩餐会に出ているわけではないのだから、宮廷プロトコルを厳守する必要がどこにあるのか。目的はプロトコルの順守ではなく、美食体験の主体的創造ではないのか。ともかく私の感想は、ブルゴーニュは全体に赤ワインのほうが白ワインより繊細でさらっとしているということだ。ブルゴーニュ白は主菜と合わせねば出番がない。

 ブルゴーニュ白の基本品種はシャルドネだ。シャルドネはそもそも繊細・優美な味わいの品種なのか、それとも逞しく肉厚な味わいの品種なのか。私はどう考えても後者だと思う。世界じゅうあちこちの産地でシャルドネとピノ・ノワールが隣あわせに植えられているから両者を比較する機会は多いだろう。ソノマ・コーストであれカサブランカ・ヴァレーであれマーガレット・リバーであれ、シャルドネのほうが肉厚で、ふてぶてしく、ある意味俗っぽい味がしないだろうか。しかし誰もが宮廷プロトコルに従ってワインを飲もうとすれば、本質的な個性とは関係なく白ワインを前菜に合わせることになる。それを絶対の前提とするなら、前菜向けの白ワインを造るしかない。最近の早摘み傾向は、ブルゴーニュの白ワインの去勢である。すっきりとしてエレガントなどという言葉は、ブルゴーニュ白に対しては必ずしも誉め言葉ではない。そもそもブルゴーニュの白ワインは、赤ワインのように高貴でスピリチュアルな味わいには思えない。だから高級レストランというよりビストロに向く味なのだと思う。地に足のついた、腰のすわった、実質的なおいしさ、という意味である。しかし最近のブルゴーニュの値段は高い。到底ビストロに向く価格ではないため、出番は高級レストランということになる。結果、「おいしかった経験が思い出せない」という、誰にとってもいいことがない状況が生まれる。

 前菜でなくとも魚料理ならいいと思う。しかし魚=軽い、魚=ダイエット的な発想にとらわれて料理を作ってしまえば、やはりブルゴーニュの白ワインとは方向性を異にすることとなる。ブルゴーニュの白は軽い味のワインではない。地域名ブルゴーニュでさえ料理に対して支配的にふるまうことになるだろう。さらに、最近の早摘み傾向のもと、ブルゴーニュの白ワインは以前より重心が上がってきている。またそういうワインが高く評価される。重心が高い魚のほうが圧倒的に少数なのだから、これまたワインとは合わない。

 だからブルゴーニュの白ワインの本来の姿とは何かをもう一度考えねばならない。シャルドネと粘土石灰と緩い斜面らしい味わいの基本的特徴を列挙するなら、1、流速が遅い。2、重心が低い。3、堅牢な骨格がある。4、樽(つまり焦げた木)の要素がある。このような総論に立ち返らずに、「●●という料理に、ドメーヌ●●のラドワ1級●●が合う」といった個別論を重ねても、「ブルゴーニュの白ワインにはどのような料理が合うか」という包括的な問いには答えられない。そう言いかけると、必ず「そのような問いそのものが存在しない。なぜならブルゴーニュの白ワイン一般は存在せず、目の前に在るワインは必ず個別のドメーヌ●●のAOP●●の●●年というワインだからである」、「合うか合わないかは実際に試してみるまでは原理的に分からない」、「流速が早いワインも堅牢な骨格がないワインも存在する以上、そのような一般化は現実を単純化する作為であってブルゴーニュの多様性を否定する悪しき言説である」といったご批判をいただく。個別の差異を捨象したところに浮かび当たる共通項をもとにした群の観念は、在る。この群観念を構成できないと、ティピシティとしてのテロワールも、●●らしさも分からないし、当然ながらワインを飲まずに選ぶことができない。既に選ばれ飲まれたワインは実体的個別的存在であっても、実際に飲む前のワイン、すなわちラベルから読み取れる情報を軸に推測されるワインの味は、複雑な群観念の連立方程式の解として形成された心的イメージであり、実体的な存在ではない。私はご参加の皆さまに、ワインリスト上で、またショップで、正しくワインを選ぶための考え方をお伝えしたいと思っている。

 さて、上記4つの特徴をもつような料理とは何か。もちろん「軽くポシェした漁港直送の白身魚と季節の有機野菜とハーブの彩サラダ」、「地鶏レバーのムースリーヌ」、「野菜のテリーヌ」といった典型的前菜ではないことは確かだ。では何かと考えて、たどり着いたひとつの料理は、低温調理のロースとんかつである。それは、1、しっとりジューシーでじわっと味が広がる。2、豚だから当然重心が低い。3、分厚い肉なので噛み応えがある。4、揚げものである以上は焦げ要素がある。合わないわけがない。そこで上野の『蘭亭ぽん多』のお座敷でこの講座を開催することにした。

今回の料理とワインの組み合わせは、

1、蟹サラダ & ヴァンサン・ブーズロー、クレマン・ド・ブルゴーニュ

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まろやかで重心が低いこってりめのワイン。ヴォルネイ村のピノ・ノワールとガメイ、ムルソー村のシャルドネとアリゴテのブレンド。泡で重心が低いものは珍しい。

 2、牛タン & マノワール・ド・メルセイ オート・コート・ド・ボーヌ 2016

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 マランジェの隣のオート・コート。土壌はマランジェ的に多様な礫を含む粘土質で、オート・コートらしくなく、重心は真ん中。複雑な陰影感のある味わいが牛タンの内臓的な風味を包み込み、純粋化し、料理の余韻の香りは驚くほどピュアで強く、心地よい。想像以上の傑作マリアージュ。こういう奇跡はめったに起きない。

 3、海老フライ & ヴァンサン・ブーズロー ムルソー1級グット・ドール 2013

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 海老は火を加えると逞しい筋肉感が出る。グット・ドールもまた逞しく、標高は高めだが粘土が多いため重心は下になり、海老に合う。ヴァンサン・ブーズローは早摘みをしないのがいい。ソースをかけたほうがムルソー的になる。ムルソーは多くのフランス料理に対してごつすぎる味になるが、海老フライには最高だ。

 4、とんかつ & アンヌ・バヴァール・ブルックス ブルゴーニュ・ブラン 2015  

      & ブシャール モンラッシェ 1995

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 低温ロースのとんかつの流麗で細かい質感にはピュリニー。このブルゴーニュ・ブランはピュリニー村の畑で造られる地域名。味わいはまさにピュリニーで、粒子が見えない。重心は下。料理に清涼感さえ与え、極めて上品な後味。肉の繊維の中に入り込み、肉汁と合体し、風味をピュアにしてくれる。値段を考えれば、これで十分である。モンラッシェはピュリニー側。スケール感は巨大で余韻は長大だが、このとんかつはモンラッシェを前にしても負けないパワーがあり、珍しくも普通にモンラッシェをぐびぐび飲むことができる(普通なら一口で飽満感があるものだが、それは料理よりワインのほうが強いからだ)。しかしとんかつの味じたいは繊細で、そのパワーは、モンラッシェに負けないという事実から間接的に感じるだけだ。このふたつのワインはピュリニー村ということだけが共通点で、格付けもヴィンテージも両極端だが、それでも両者ともにとんかつに合ったということは、ピュリニー村の個性が合う理由だと言わざるを得ない。さらに肉そのものにパワーがあるので、ソースをかけずに塩とからしで食べるほうがよい。ピュリニーは塩味、ムルソーはソース味だというのはご理解いただけるだろう。

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 『蘭亭ぽん多』は相当高級なとんかつ店だが、料理の質はそれに見合ってあまりある。そして100度という低温調理だからこそ、このようにピュリニーに合う料理になっているのだと思う。とんかつと言って誰もピュリニーとは思わない。ピュリニーと言って誰もとんかつとは思わない。先入観は捨てねばならない。先述したようにロジカルに考えれば、とんかつは極めて順当な帰結である。

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