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2018.06.03

ラインヘッセンでのビオディナミ生産者向けセミナー

 ラインヘッセンのビオディナミ生産者、アレキサンダー・ギズラーさんのワイナリーの二階、今は使っていないパーティルームで、ラインヘッセンのビオディナミワイン生産者に向けて(写真の方々。ビオディナミではない人もいますが)、ビオディナミ醸造、熟成、提供、そしてワインテイスティング法のセミナーを行いました。

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▲左から時計回りに、アンドレアス、アンドレアス、フローリアン、クリストファー、マティアス、ティルマン、ハイケ、ステファン、アレキサンダー。マティアスさんはビオディナミではなく、かのマドンナの生産者。

 私のような素人が名高いワイナリーの方々に教育セミナーとは恐れ多いというか怖いもの知らずというかですが、ワイン造りにはまだまだ考えねばならないことがたくさんあるのです。ありがたいことに日本は圧倒的なまでに世界をリードするビオディナミワイン消費大国ですから、普通に暮らしているだけでビオディナミのワインについて知らず知らずと勉強することができます。日本のワインファンやプロの方々なら誰でも、それこそ日本茶の淹れ方を教えるぐらい簡単に、外国のワイナリーにビオディナミワインについて教えることが出来るでしょう。もちろん私より適任の方は日本に1万人はいます。しかし、私は、自分が知っていて人が知らないことがあるなら、それを尋ねられて答えないようなことが出来ないたちなのです。あるワインを試飲して、「まずい、才能ないならやめてしまえ」と影で物笑いのネタにするのが普通の態度。私は「あなたがやろうとしている目的は、こうしたらよりよく実現できますよ」と、間違っ...ているかも知れないけれども一応は伝えたくなる。今回ラインヘッセンの生産者の方々に伝えたのは、別に偉そうなことではなく、今まで彼らのワインを飲んできて感じた問題点に対する、自分なりに考えた解決方法。というか、解決のための基本的思考法と技術的基盤です。

 ビオディナミは農業思想と技術であり、シュタイナーがアルコールに否定的である以上は、醸造に関するビオディナミなど今まで誰にとっても関心外でした。かつて会った超有名ビオディナミ指導者も、ワインは自分にとって趣味の領域でビオディナミコンサルタントの仕事として重要ではない、と言っていました。ですから栽培に関しては、いつ剪定するかとかどんな時に何を散布するか、しっかり方法が確立していますが、収穫のあとは曖昧模糊。だから最近のビオディナミ生産者は、亜硫酸無添加アンフォラ発酵オレンジワイン=ビオディナミ醸造ワイン、みたいな方向性に行くのでしょう。しかし亜硫酸無添加アンフォラとビオディナミに直接の関係はありません。ミュンヘンで会ったニコラ・ジョリーは、その傾向について、知性がないやつら、と唾棄していましたが、そう言われても仕方ないと思います。かく言うニコラ・ジョリーも、栽培が正しければあとは何もする必要はないと言いますが、私はそれは間違っていると思っています。ビオディナミの思想と技術は畑から食卓まで一貫していなければならず、それを一貫させるのは人為にほかならず、つまりは何をなんのためにしなければならないのか、という自覚と主体的な働きかけが必要です。

 いかに反アルコールとはいえ、シュタイナーは確実にキリスト教を踏まえて議論しています。ゴルゴダの奇蹟について考えないビオディナミワインファンはいません。もちろんキリスト教ではワインは最も重要な象徴です。だからキリスト教的ワインとアルコール的ワインは別ものであり、ビオディナミが扱う考察対象は前者です。

 アルコール的ワインに関する学問は極めて高度に発展しており、集まった生産者の方々は皆ガイゼンハイムの卒業生ですから、皆さんに言うことがあるはずもない。しかしビオディナミと技術論としてのアルコール的ワインを繋ぐキリスト教的ワインという視点がすっかり脱落し、彼らはキリスト教徒にもかかわらず聖書に頻繁に登場するワインはどのようなものかを哲学的問題として考えだことがない。私はそこを正したい。ですから今回のセミナー内容の何割かは、キリスト教に基づくドイツ精神の発現たるビオディナミワインとはいかなるものでなければならないかを考えろ、という説教です。もちろんドイツでドイツ人相手にドイツ精神を語るのですから、ナチス問題や戦後の贖罪と精算にも関わってきます。ある意味、精神文化の国であることを自己否定し、客観的科学的にすべてをフラットに並べるしかなかったのが戦後でしょう。しかしその時期は終わったのだ、と。経済的繁栄の基盤に立って正しいドイツ精神を復興させる必要がある、と。その文脈の中で、ドイツらしいワインとは何か、と。簡単に言うなら、ワインを糖度や酸度や品種や格付けや値段など、計測可能な物質的尺度ですぐに見ようとする姿勢から脱却できないと、いつまでたっても戦後なのです。しかしドイツはプロテスタントが多いし、ギズラーさんもプロテスタントなので、各人が聖書を読んで解釈する自由があるのがいい。自由というか、むしろ責任であり義務でしょう。ならば信仰と仕事が完全乖離しているような社会が正しいドイツだろうか、となぜ自問しないのか。

 哲学問題のあとは、具体的テーマを取り上げつつ、目的を実現するためと技法の解説。基本、ふたつのテーマで、第一に、いかにビオディナミ地所との密接な関係性を最後まで保つか。現状では収穫時点で途切れてしまう。第二に、惑星の力を取り入れるための、私がSi/Caコンフィギュレーションと呼んでいた(その場の思いつきの用語)事柄。これもまた収穫したら不明瞭になってしまう。実際やってみれば、まさに彼らが畑でやっていることの延長ですが、それがセラーでも通用するのだ、と、実際にやってみて効果を確認してもらいました。これは聞けばなるほどと誰もが納得する簡単な事柄なのですが、誰も言ったことがないし、どこにも書いていないので、もちろん私が自分で考え出したのです。出席者のひとりは「どこにでもある素材を使い、既に知られている技法を応用した簡単なことなのに、今まで誰も気づかなかった!」と言っていました。とにかく私は素人ですが、私のようなバカにも分かる簡単な 話。いや、バカだからバカなことを恥ずかしげもなく皆の前で出来るだけです。喋りまくってすぐに三時間たってしまいました。

 セミナーの最後は、「さあ、これからテストだ」と言って、全員にビールを渡し、「今日私が言ったことを思いだしながらビールと語り合いなさい。五分後にビールを持って集合」。

 私の講義を理解したなら、その人のビールの味は私のビールと相当同じ味になります。別のことを考えていたら全く別の味です。ビールを集めて皆でブラインドテイスティングすると、あまりの違いに皆ビックリ。ワイン生産者が自分のワインを飲むときは自分で注ぐはずですから、他人が触った自分のワインがどれだけ別物になるか知らない。こうしてビールで実験すると、人の力がどれだけ大きいかよく分かる。やはりギズラーさんのビールは私とそっくり。今までいろいろ語り合ってきただけあります。以前はこうではありませんでしたから、私としても嬉しい。半分の人は、まあ、別のことを考えた味でした。口で分かったと言うのは簡単ですが、そういう言語的理解ではなく、気持ちの持ちようが揃うかどうかです。...

 「元は同じ工業製品でさえ、一旦人が触れたら全く違う味になる。これをどう考えるか。今ここにこのビールを作った人がいたら、どれかについて『これは私のビールではない』と怒るだろう。しかし誰か、このビールはどういう味をビールメーカーが意図したか知っている人はいるか? 同じことは毎日のように皆さんのワインに対して起きている。あなたが考えるあなたのワインを飲んでいる人はいないぐらいだ。それでいいのか?それでまずいうまいと勝手に言われていていいのか?ビールもワインも最後に触った人の味になる。それは仕方ない。あなたが世界中のお客さんにワインを注いで回ることは出来ない。ならばどうしたらいいのか」。
 これだからワインは生産者のところで飲まないと分からないことが多いと思いますが、全員がワイナリーに飲みに来るわけにもいかない。とすると、解決は二つあり、ひとつはワインを外部の変動の影響を受けないようにする、もうひとつは、消費者に至る全員に同じ考えが行き渡るようなコミュニケーション方法を取る、です。後者は普通の話です。しかし前者はどうすればいいのか。空間を伝わってくる悪い影響への対策方法は相当しっかり伝えましたが、直接触られてもビクともしない強さはどうすれば獲得できるでしょうか。私は分かりません。どなたかご存知ならご教示下さい。

 それにしても彼らビオディナミ生産者は、当然ながら舌が敏感で、細かい違いを的確に判断。いろいろな機会にいろいろな人相手に話してきた中で、明らかに別格的な聞き手でした。私のつまらない話に付き合っていただきありがたく思いますが、私の伝えたことを採用すれば、必ずワインの質は向上するので、時間の無駄にはならなかったという自信はあります。

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