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2018年7月の記事

2018.07.31

インターナショナル酒チャレンジ

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 インターナショナル酒チャレンジが7月30日に汐留コンラッドホテルで行われました。昨年は酒蔵でのコンサルティングを通していろいろと日本酒について勉強させていただいたので、今年は審査員として参加することにしました。
 150本ほどブラインドで試飲しましたが、個人的な感想をかいつまんで述べるなら、
1、あまりに多くのお酒が不自然でエネルギーがない。
2、全体に立体感、垂直的構造、ミネラル感に欠け、つまりはぺたっとつぶれた味がする。重心が高くて水平的な形。
3、余韻が短い。
4、アルコールが目立つ。つまりアルコール以外の要素が少なく、力がないから、アルコールだけが浮く。
5、大吟醸・吟醸カテゴリーは特にひどい。純米は上記の問題が比較的少ない。
6、生酛・山廃はさらに上記の問題が少なく、酸に力があるために余韻が生き生きしている。私の高得点は結果としては生酛・山廃が多い。速醸ばかりの状況は味の点からすればひどすぎ。
7、純米でも吟醸カテゴリーは焦点が緩く、味が小さく、もっともやる気を感じることができず、ポジションが不明瞭。
 いったい日本酒は何を理想としているのだろうかが見えないし、たぶん誰も共通見解を持っていないし、さらには議論の場もない。今回もなみいる日本酒の専門家が別々に評点をつけるだけで議論がない。これはいかん。ジャパン・ワイン・チャレンジでは皆が議論できる機会があるし、共通見解を形成するための教育プログラムもある。もし可能なら、酒チャレンジも少し手直ししてもらわねばなりません。
 インターナショナル酒チャレンジでは、通常の利き酒用蛇の目おちょこと並んで、リーデルが新たに開発した純米酒グラスが並んでいました。これは170人ものメーカーや日本酒の専門家が8年かけて作り上げたものです。
 ふくよかで柔らかい味わいを強調するグラスだと思います。しかしこのグラスで飲むと、どの酒も似た味になってしまう。相当にキャラクターが強いグラスです。これだけ大きいボウルだと広がり感は出ますが、反面中心密度は低下し、構造が乏しくなります。またアルコールが目立ち、重心が上がってしまいます。その点では純米酒が大吟醸の性格に近づくと言えます。
 これは日本酒関係者の総意のグラスと言えますから、逆に、彼らが日本酒に何を求めているのかがよく分かります。正直言って、これが純米酒の純米酒らしさだと私が思うところのもの、つまり米の旨み、腰、ミネラル感、グー・ド・テロワールを表現するグラスには思えません。...
 ちょうどリーデルの社長が部屋に入ってきたので、私の感想を伝えました。以下アンギャル社長との会話です。
「このグラスはあなたのような通のためのものではない。一般消費者がどのお酒でも楽しめるようなエピキュリアン向けグラスなのであって、どのお酒でもあなたが言ったような味になることは意図されたものなのだ」。
「リーデルは今まで品種とテロワールを軸にグラス開発してきたのではないのか。だとすれば山田錦グラスを作るほうが筋が通る。大吟醸グラスを作り、今回純米酒グラスを作ったということは、お酒を製法で分類するということであり、ワインに譬えるならステンレス発酵グラスとコンクリートタンク発酵グラスを作るようなものだ」。
「これを作ったのはあくまで酒造メーカーを中心とする170人であって、我々は彼らの要望を製品化しただけで、リーデルが主体的に提案したものではない」。
「主体的に提案しないでは業界のリーダーとしての責任が果たせない」。
「我々はふたつのタイプの製品を作る。ひとつは我々の方からの提案型。そして依頼されて作る受託型。これは後者。日本酒は我々にとって外国のものであって、ワインと違って経験の蓄積がないから提案するには時期尚早だ」。
「しかしボルドーグラスとかキャンティグラスを作っているではないか。オーストリアからすれば彼らも外国だろう。1957年にリーデルがソムリエグラスを作った時には誰の要望も意見も聞かず、自分で創造したではないか。作ったあとに世の中がついてきた。これがあるべきリーダーシップだ」。
「そのうち自分たちからの提案グラスを作ります」。
 おちょこで飲んだほうが味に一体感が出ましたが、今度は側面が直線の器独特のボスっとした広がりのない味になる。どちらもおいしくないので、私は途中から、水のみ用として部屋に置いてあったリーデルOのような形をした(それより背が低くて最大口径部分が真ん中にある)グラスで飲みました。完璧とは言えないにせよ、ひとつひとつのお酒の違いがより明確になりましたし、広がり感と密度感のバランスもよい。ほんと、グラスはおもいしろいものです。
 いずれにせよ、今回の純米酒グラスは“テイスティンググラス”ではないことは分かりました。とすると、それが審査会場に並んでいるのはへんな話です。
 

2018.07.30

ロゼワイン

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 日本ではロゼの消費比率は3%台らしい。世界のロゼ生産比率は1割程度なので、少ないと言えます。
 だからロゼは伸びるとか、日本はまだまだだという意見もあるのですが、私は現実の状況下のロゼには懐疑的。なぜならおいしくないワインが多すぎだからです。
 品質平均値の低さは、少なくとも個人的経験からすれば否定しがたい。そればかりか、状態の悪いロゼが多すぎ。先日もちょっとテイスティングする機会があったのですが、ロゼだけは受容可能レベルを下回る状態。いたみやすいワインであることは確かでしょう。しかしどうしてロゼだと状態の悪さが目立つのか。逆に言うなら、ロゼはそれだけピュアで容赦ない、非寛容なワインだということです。だからロゼは難しい。状態の悪いロゼを飲んでロゼのファンなどになれるわけがない。まずは状態のよいロゼだけを飲んで判断することです。
 現在のロゼの主流は直接圧搾法です。あの色の薄いプロヴァンスタイプです。しかしあれは実際のところ色のついた白ワインです。若干白ブドウとはフレーバーが異なるだけで、シャンパーニュのブラン・ド・ノワールと同じく機能的には白。今回はそのタイプは出しませんでした。最上の土地から造られる直接圧搾法ロゼの緊張感のある味はもちろん素晴らしいものですが、私にとってのロゼの本領は違うところにあります。
 最初の2本はオーストリア。カルヌントゥムのラザー・バイアーのツヴァイゲルトと南スティリアのメンハルトのイザベル。ちょっと残糖があってほんわかチャーミングな、花見系とか女子会系とか素人向けとか言われる類のフルーティ・ロゼ。シリアスな構造とかミネラルとか酸とかとは関係ないところでの完成度。これはロゼでしかありえない世界。馬鹿にする人も多いのですが、私はこの女子会系ロゼが大好きです。もちろん私はこの表現がおぞましく思えるほど嫌いなのですが、いろいろな意味をこめてあえてそう言います。なんにも考えずに楽しい味。しかしこの二本はよく見ると見事なミネラル感があり、驚くほど余韻が長い。そこがかっこいいのです。産地も品種も違いますが、オーストリアはいかにもオーストリアの味です。濁りやもたつきのない、すかっとあか抜けたワインです。
 次の2本はヴュルテンベルクのムスカット・トロリンガーとシュヴァルツリースリング。ドイツの中でも私がとりわけ好きな品種。両方ともロゼには最適です。前者は香り高くキメ細かい。後者は朴訥さ、素直さが素晴らしいし、赤にするとタンニンが若干粗いのですが、ロゼにするとしっかりした腰のある味になると思います。オーストリアとは異なる温かみや鄙びた寛ぎ感がこれまた魅力的。白や赤と違ってロゼにはあからさまな力がない。ふわーんと漂い、さらーっと包みこみ、しなやかに染み入る。ヴュルテンベルクという土地、品種、2017年というヴィンテージ、そしてこのビオディナミ生産者のキャラクターが見事に揃った味わいです。
 次の2本は、グリブドウの赤ワインとしての“ロゼ”です。ロゼには黒ブドウの直接圧搾法、黒ブドウの短時間マセラシオン、赤ワインと白ワインのブレンドがありますが、もうひとつ可能性としてグリブドウを醸し発酵したロゼが考えられます。グリブドウを白ブドウと見なすならこれはオレンジワインですが、実際の見た目はロゼに近いし、風味もやはりロゼに近いものです。しかし味わいはがっしりとして赤ワインのよう。質感も粘りがあり、堂々としています。アルザスのリスネールのゲヴュルツトラミネールもフリウリのラ・カステラーダのピノ・グリージョも圧倒的な完成度。サラミや燻製した豚バラのハムにぴったりでした。このタイプのロゼ、グリワインは世の中にほとんどありませんが、大いに注目すべき新カテゴリー。グリワインを、白ワイン、赤ワイン、ロゼワイン、オレンジワインと並ぶワインのひとつのカテゴリーとみなすと、いろいろな可能性が見えてきます。
 最後はカタルーニャのエスコダ・サナフヤのロゼ。カベルネ・フラン、メルロ、サンソーの混醸、アンフォラ発酵、亜硫酸無添加、無濾過です。残糖があるので、相当な確率で瓶内再発酵します。ですからそれに備えて厚手の瓶に入って王冠で栓がしてあります。この生産者ならではの異次元のエネルギー感と厚みのあるピュアさ。この手の造りは癖っぽい味ではないかと思われるなら、是非エスコダ・サナフヤの2017年を飲んでみてください。しっかりと旨みや複雑さや構造があり、しかし渋みはなく、ロゼならではのしなやかさやチャーミングさも備わっています。現在最高のロゼのひとつ。そしてたぶん何千年か前のワインはこんな感じだったのではないかと思わせる確たる存在感と完成度があります。ある意味、白よりも赤よりも正しい感じがするのです。
 どれもよくあるロゼとは隔絶した世界。これらのロゼが普通に、状態よく売られているなら、世の中どんなによくなることか。薄くて酸っぱくて苦くて早摘み風味の(そして往々にして状態の悪い)直接圧搾法ロゼを美辞麗句で持ち上げて売ろうとする無責任の極みの行動をとる前に、まともなロゼを造り、まともな状態で売ることを考えねばなりません。

2018.07.29

フリウリ

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 オーストリア、イタリア、スラヴの三つの文化の交差点にあるフリウリ。イタリアの中でもとりわけ個性的なワインを生み出すフリウリは、90年代終わりぐらいから先端的な生産者が数多く日本に紹介されブームになりました。いったん好きになると、やみつきになるほど魅力的な土地です。数年前にフリウリを取り上げた時にはプレポット村のワインとラマンドロに焦点を当てました。今回は有名なナチュラルワインを中心として、フリウリを今の視点で見直そうとしました。お出ししたワインはすべて蔵元からの手持ちです。
 最初にBorc Dodon (Denis Montanar)のヴェルドゥッツォの2003年とVodopivicのヴィトヴスカの2005年を飲みました。亜硫酸無添加無濾過系(ヴォドピーヴィッチは2005年からは瓶詰時に少量入れるようになりましたが)オレンジワインがどのように熟成するのか。瓶を光にかざすととんでもない量の大きな澱が見えます。大きいのですが軽い澱で、瓶を揺らすとすぐに舞い上がってきます。ワインを注ぐと紹興酒みたいな色です。常識的に見てこんなワインはもう飲めないと思いきや、実際はビビッドで深みがあって、とりわけ酸が生き生きしているのが印象的。リリース当初はこんなに厚み、深みがなかったと記憶していますから、瓶熟成によって大変化したのです。この手のナチュラルワインはすぐに飲まれてしまうと思いますが、実はしっかり熟成するのです。そして熟成によって秘められていた上品さが出てくるのです。皆さんも試してみてください。
 前者の厚い粘土質土壌(ブドウ畑というより穀物用の農地みたいな平地、実際彼はとうもろこし栽培を隣で行う)、後者の薄い表土の硬質石灰岩土壌という差は明らかです。どちかといえば、私は前者の厚みととろみのあるおおらかな味が好きです。生ハムには最高です。まあ、ある意味、フリウリのワインが生ハムに合わなければどうしようもないでしょう!今回スモークしたハムをお出ししましたが、ヴェルドゥッツォの風味がスモークにぴったりでしたし、スコドヴァッカという粘土質の土地がもたらすとろみ感が豚の脂肪をおいしくしてくれました。とはいえここはグラン・クリュとは言い難い場所なので、立体感と抜けのよさには欠けています。単体で飲んで鑑賞する対象というより、料理に合わせるべきワインでしょう。間違ってはいけませんが、グラン・クリュな味が料理と合うとは限りませんし、むしろ逆かも知れません。
 後者のカルーソというDOCやヴィトヴスカという品種は多くの日本のイタリアワイン通によって偉大さが喧伝されていますが、私にとってはそこまで言うほどすごいのか、昔から理解できません。悪いワインでもまずいワインでもありません。しかし余韻は若干短いしスケール感・立体感がありません。表土がほとんどない場所で、灰色の固い石灰岩がごろごろしていて、それがいいと皆さん言うのですが、ものには限度があって、適度な表土・肥沃度は重要だと思います。カルーソは神経質すぎる。
 ハプスブルク帝国の軍港にしてオーストリアにとって最重要都市のひとつだったトリエステのワインですから、オーストリアっぽいのかと思われるはず。確かにスラヴ的ワイルド感はなく、ゲルマン的几帳面さが主軸になっているワインだとは言えますが、オーストリアにしてはかろみがなく暗すぎやしまいか。そしてその性格は十年以上熟成させても変わりません。それも含めて「個性」です。
 Rodaroはそこそこ大手です。普通のワイナリーです。しかしその普通さがいい。コッリオのフリウラーノはフリウリの基本でしょう。日本ではリボッラ・ジャッラのほうが人気のようですが、それはオスラヴィアのオレンジワインからフリウリに入るからそうなってしまうのだと思います。料理との相性を考えても、フリウラーノのほうが合わせやすい。とろみがあって酸が低くて重心が低いイタリアの白ワインはそんなにありません。フリウリに限らず、イタリア全土を見ても、この品種はガストロノミー的に大変に有用性が高く、貴重な存在です。
今回はフリウリのチーズである有名なモンタージオをかけたニョッキと合わせました。これぞフリウリという相性です。
 Bressanのヴェルドゥッツォは2012年。これが現行ヴィンテージです。テロワール的にも栽培的にも醸造的にもBorc Dodonといろいろな意味で共通する、バランスのよいオレンジワイン。しかしまだ品種の苦みが浮いており、熟成が足りない感じがして、あと数年たてばBorc Dodonの2003年のように化けるのだと思います。
 Moschioniは昔ロバート・パーカーによってフリウリの中では最高点を与えられて有名になりました。いかにもな“パーカー好み”と言える、高いアルコールと豊満な果実味と低い酸とフレンチオーク新樽風味。まるでナパヴァレーのカベルネや90年代末のボルドー右岸のようです。今でも彼らはしっかりそのスタイルを貫いている。しかしワインの質は明らかに向上しています。理由は栽培が実質オーガニックになったからです。そして今飲むと、世の中に溢れる早摘み味の重心の高い酸のとがった小さい味のワインとは対極の、完熟ブドウならではのコクや旨みが感じられ、また下半身のゆるぎなき安定感があって、むしろ好ましく思えます。一時は古臭いアメリカ市場向け守旧派ワインだと思われていたでしょうが、いや今でもそう思われているかも知れませんが、私にとっては、時代が一巡して再発見する正しい味のワインに思えます。
 Moschioniで着目すべきはスキオペッティーノです。くっきりスパイシーで、昔のブラウフレンキッシュみたいなタイトな味わいの、きびきびしたワインになる品種。房が巨大で晩熟の品種ですから、往々にして薄くて青臭いものです。しかしここでは引き締まった構造を保ちながらも濃密な甘みがあり、フレッシュでいて青くありません。この品種の可能性を教えてくれます。スキオペッティーノと並んで高価なのがピニョーロです。ブドウの見た目はこちらこそ高貴品種という感じの小ささ。色もタンニンも酸も濃密。もちろん私も大好きです。しかしピニョーロならRosazzoの斜面の畑からのワインを選ぶという方が多いと想像します。。モスキオーニのピニョーロは、本来この品種にあるべき緻密さ・精緻さ・緊張感には若干欠けるのではないでしょうか。スキオペッティーノの美点は、濃密でいてもどこか息の抜きどころを心得たかろみがある点です。
 料理との相性は重要な点です。フリウリに限らずすべてのイタリアワインに該当する視点なはずです。フリウリの食べ物は、水道水の味も含めて、けっこうねっちりとしていると思います。ねっちりした料理にはねっちりとしたワインのほうが合います。だからリボッラやマルヴァジアよりフリウラーノのほうが汎用性が高いと言っているのですし、モスキオーニの独特の“パーカースタイル”の赤ワインが意外と料理に合う理由でもあるのですし、エリアで言うならコッリ・オリエンターリの白よりコッリオの白のほうがよいという一般的な結論にもなるのです。今回はモスキオーニのワインに、厚切りの脂肪多めの豚肉のグリルを合わせてお出ししました。もちろん中はしっとりねっとり仕上げるよう、最初は低温でローストしてあります。フリウリの内陸で普通のトラットリアに入れば、どこでも豚肉のグリルがあります。
 日本では今回お出ししているようなフリウリのワインは普通に店で売っていません。イタリアのワインは家庭の食卓にぴったりだと思うので、多くの方が普通に買ってほしいのですが、売っていないものは買えませんね。もちろんネットでは買えるにしろ、ネットの場合の問題は、「今日はニョッキのチーズソースを食べようと思うのだけどどのワインがいいでしょうか?」という形の質問が容易にはできないことです。つまり検索しなければワインが出てきません。検索するためには知識が必要です。つまりコッリオのフリウラーノが合うと既に知っていれば簡単に「コッリオ フリウラーノ」と入力すればいいのですが、それができる人は一般消費者では既になく、イタリアワイン通です。先日あるデパートのワイン売り場でフリウラーノを見つけましたが、それはミアーニのものでした。1万円弱では普通に買えません。そもそもコッリ・オリエンターリであってコッリオではありません。どんな人に何のために売っているのか明確なチョイスではあります。しかしそのようなワイン観がイタリアワインの正当な浸透を妨げるのです。
 最後はイタリアにおけるクヴェヴリ(アンフォラ)発酵の元祖、現在のアンフォラブームの先駆けとなった偉大な見者、グラヴナーのリボッラ2008年をお出ししました。これが最新ヴィンテージです。彼はアンフォラ発酵のあと7年間も木桶熟成させてから瓶詰めするからです。この講座で、なぜ最初にBorc DodonやVodopivicの熟成ワインを出したのか。つまりオレンジワインは熟成させたあとにピュアで透明な世界を見せてくれるからです。グラヴナーはそれが分かっているのです。アンフォラワインはアンフォラの癖を楽しむものではありません。大地のエネルギーをワインに取り入れるための手段であって、アンフォラが自己目的化しているわけではありません。そこが多くの追随者と異なる点で、彼にはアンフォラ使用に至る長年の悪戦苦闘があり、その中からつかみ出したビジョンとイデアがあり、それを実現するための手段としてアンフォラがあるのです。
 どうしてグラヴナーはこの方向性の元祖なのに、それとはずいぶんと異なり、また完成度においてはるかに劣るような追随者のワインのほうが評価基準になってしまうのか。それは7年の熟成ゆえです。グラヴナーの実際のワインがリリースされる前に、グラヴナーの手段を真似したワインが世の中に氾濫してしまったからです。グラヴナーの2008年を飲めば、それが異次元のワインだと誰もがただちに理解できます。私にとっては、ジョージアを含めて、アンフォラワインの最高傑作にして誰もが飲むべき教科書です。いや、アンフォラかどうかさえ問題ではなく、ワインファンなら誰もが経験すべきひとつの理想像です。飲んだ瞬間に、心が洗われる気がします。アンフォラワインの初ヴィンテージ2001年を含め、昔はこんなにピュアではありませんでした。もっと凹凸のある味でした。グラヴナーの畑が世界最高のテロワールだとは思いません。正直、オスラヴィアのエリアより、その延長線上にあるスロヴァニアの丘陵のほうが、畑の中にいて、よりエネルギーを感じることが多いのです。それを思えばなおさら、ここまでの悟りの境地に到達できたことに頭が下がりますし、人間の営みの崇高さを思い知り、涙さえ出てきます。
 これらのワインはすべて蔵からの手持ちです。それは大事なことです。いつも思うのですが、こうしたナチュラルなワインは感受性が極めて強い生き物なので、生産者から直接手渡ししてもらわないと、途中触った人の影響を受けてしまいます。またこうしたナチュラルワインを取り扱う人たちは強大な霊的パワーをもっている方々ですから、なおさら影響されます。彼らの霊的な導きを含めて消費したいならば(普通ならそのほうが悟りには近づけるでしょう)、そういった方々に触ってもらったほうがいいですし、今回のように、生産者に直接触れ合いたいならそうせずにフリウリに買い物に行ったほうがいいでしょう。
 私とてニュートラルではありえません。世界にひとりとしてニュートラルな人はいません。私が触れば私の味になる。一部の方は、自己を滅却すれば完全にニュートラルな存在になれるので、ワインに影響は与えない、と言いますが、それはまさに釈迦の涅槃の境地であって、私にそんなことができるなら仏の世界に既に迎え入れられています。先日A社の方が「B社のワインはみな同じ味がする」と言っていました。きっとB社なら逆のことを言うでしょう。自分のにおいは自分には分からないものです。しかしすべてのワインが生産者から私に直悦手渡しされたものなら、介在物は私だけです。ならばその共通項を相殺すれば、概念的にはよりニュートラルになれると考えられます。ともかくもまずはヨスコ・グラヴナー氏がご存命のうちにオスラヴィアのワイナリーに行くべきです。

2018.07.19

Domaine Charton, Mercurey, Bourgogne

 コート・シャロネーズの赤は最近おいしい。堅牢さとシリアスさのジヴリーもいい。繊細さと透明感のリュリーもいい。そして肉厚さと果実味のメルキュレもいい。それぞれキャラクターがはっきりしているし、何より価格が比較的手ごろだ。

10年前ぐらいまでは、コート・シャロネーズといえばクレマン・ド・ブルゴーニュが有名だったし、リュリーの白の評価が特に高かったと思う。赤は、タンニンが粗くて薄くて抜けが悪いといった印象ではなかったか。気候変動がコート・シャロネーズの赤にはプラスに働いているかも知れないし、何より生産者の意識が高まっている。ドメーヌ・シャルトンの若き当主ヴァンサン・シャルトンに、「なぜメルキュレは最近揃っておいしくなったのか」と聞くと、「世代交代した若い生産者たちが一緒になって盛り上げているから」だという。それは他のドメーヌでも聞いた話だ。

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あか抜けて品のあるメルキュレのドメーヌの名前を挙げよ、と問われれば、たぶん多くのメルキュレ・ファンはドメーヌ・シャルトンを思い起こすだろう。現当主ヴァンサン・シャルトンの祖父はブシャール社の社長を務めた人。ブシャールのメルキュレの畑はその後ルイ・マックスに買われた。シャルトン家もメルキュレにいくばくかの畑を所有し、ブドウを栽培してはいたが醸造はしていなかった。しかし父親ジャン・ピエールはワイン造りまでしっかり面倒を見たいと思い、ワイン生産者に。その後ルイ・マックスの畑の一部は日本人イザワ氏の手に渡る。イザワ氏の資産管理人はパリに住んでおり、彼は2013年から2014年にはその畑をドメーヌ・シャルトンに賃貸しし、2015年には彼らに売却した。数奇な運命である。しかし所有すべき人のところに畑が返ってきた感がある。

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ヴァンサンが父と共にワイン造りを始めたのは2008年、2011年からは彼単独で仕込むようになった。それからオーガニックを試してみたが、「エコセールから派遣される人たちは何も畑のことを知らないのにあれこれ指図するのがいや」で、認証を取る気はないが、実質はオーガニックで、彼の表現によれば「リュット・レゾネ+++」だ。あくっぽい雑味がなくしなやかに伸びる味わいに、その成果は容易に見て取ることができる。

メルキュレのテロワールについて聞くと、「南向き斜面は白い土でごつごつした味、北向き斜面は鉄分の多い赤土でエレガントな味」だという。メルキュレの畑は、大きく分ければ、北西から南東に抜ける村の大通りを挟んで二つの大きな丘(実際は相当複雑な形状をしているが)に位置している。温暖化にとっては有利な北向き斜面がピノ・ノワールに好適な粘土石灰質土壌であるなら、メルキュレの赤が最近おいしい理由も理解できる。その南西側の丘の中でも一級畑は東向き、村名畑は北向きが多い。日当たりが悪いところが村名畑なのだが、今ではむしろ日当たりが悪いことはプラスにさえ働く。全体として見た場合、メルキュレの村名赤ワインが一級ワインと比べて遜色がない理由のひとつもまた理解できる。

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メルキュレ村のワインは地域名ブルゴーニュも質が高い。このドメーヌのブルゴーニュ・ブランは、シルト・粘土質土壌の南西向き斜面に植えられた樹齢40年のブドウから出来る。地域名としては傑出したスケール感と力強さがあり、いかにもメルキュレらしい重心の低い粘り感が好ましい。多くの人がシャルドネに期待する特徴が見事に表現されているワインだ。一級クロ・デュ・ロワの白はさすがに繊細で上品で垂直的なのだが、つまり教科書的ワインテイスティングでの評価からすれば優れたワインなのだが、重心が高く、地域名よりはるかに固く、使い勝手は(特に値段を思えば)地域名のほうがいいのではないかと思う。これはワインを単体でしか評価しない人には分からないだろう。どのみちそういう人はモンラッシェ絶対主義だろうから、グラン・クリュを彷彿させるワイン=いいワインという価値尺度しか持っていない。そのような考え方の問題は、1、ならばモンラッシェだけ飲んでいればよい。2、とはいえモンラッシェは高価なので買わない。3、ましてレストランではモンラッシェはオーダーしない。4、なぜ多くのクリマがあり、何万種類ものワインが存在しているのか、理解していない。5、コート・シャロネーズは単に劣った産地としか映らない。6、食卓での機能性を理解していないために、料理に対して合うワインを選べない。私のような一般人からすれば、そういったブルゴーニュワイン通は迷惑な人たちだ。

常識として考えて欲しい。コート・シャロネーズのワイン、特に地域名は、鑑賞用ワインではなく実用ワインだろう。ならば実用ワインを評価するにふさわしい価値尺度で見ていかねばならないのであり、そこで超高級ワインとどれだけ似ているかなど、どうでもいい。メルキュレ村の地域名白ワインのプライスポイントは多くのカジュアルなフランス料理店にぴったりだ。有名な村の3万円の一級、10万円の特級をその場でふつうに飲んでいる人などごく少数。適切プライスポイントでいかに適切に機能するかが大事なのだ。これこそが重要なのだが、多くの人はブルゴーニュの白ワインを魚料理と合わせるだろう。大半の魚介類は重心が低く、フランス料理に登場するすべての魚料理は質感が柔らかい。だから岩だらけの表土の薄い斜面の上の畑から産出される白ワインは、固く、重心が上だという点で、好ましい相性とはならない。原理的に合わないワインを、そうと分かっていながらレストランで飲むのは、レストランが表現する崇高なマリアージュ芸術への破壊行為であり、ワインに対する冒涜である。私がドメーヌ・シャルトンの地域名白を一級白よりも評価する理由をお分かりいただけただろうか。

赤の地域名も興味深い。タンニンは少なく、酸もなく、骨格も弱く、ゆえに一般的な評価基準からすればしょうもないワインだとみなされるだろう。しかしそのような味であるがゆえに、タンニンで切るべき余分な脂肪がなく、酸が少なく、柔らかい質感の料理(煮魚等、そのようなものは沢山ある)には最高の相性となる。この厚みのあるフルーティさはいかにもメルキュレの地域名だし、この質感の洗練度と香りのピュアさはいかにもドメーヌ・シャルトンだ。

村名メルキュレの赤は南向き斜面の最下部のリューディ、シャピトルから造られる。重心が低く、ジューシーで、ゆったりした味わいと、スパイスや黒系果実のケーキのような香りが心地よく、メルキュレらしさが全開だ。20%は全房で発酵し、ピジャージュはまったく行わず、新樽25%で熟成という造りがセンスがよい。特に2016年は霜で相当な量のブドウを失い、通常1万本のところをこの年は4千本しか生産できなかったというだけあり、凝縮度が高い。和牛のシチュー等にぴったりだろう。繊細で酸が高く硬質なミネラル感のある重心が高いピノ・ノワールならありすぎるぐらいあるブルゴーニュで、こうしたキャラクターのワインは貴重だ。

収量が少なければいいというものでもない。1級ラ・シャシエの2016年はヘクタール当たりの収量38hl。確かに力強く、しっとりした質感はさすがだと思うが、どこかエッジが立ち、酸が固く、黒系スパイスの香りが重たすぎる。それに比べて2017年の収量は45hlと多いが、それが好ましい軽やかさと抜けのよさをもたらし、質感の細やかさと酸のまろやかさも調和がとれ、全体としてはるかに完成度が高い。これはコーヒーの粉と水の量のバランスと同じ話だ。ラ・シャイエを飲んで私は「クローン115の味がする」と言ったが、聞いてみるとたった1%のみが115だという。その割には独特の風味が目立つ。115は完熟させないとタンニンも粗く感じるように思える。115828777と同じ日に収穫したのなら、それは間違いだ。そのことはヴァンサンに伝えたし、彼も納得していたから、今年から意識してくれるのではないか。

メルキュレの中で最上の畑とされるクロ・デュ・ロワはさすがの出来。2016年独特のエッジやスパイシーもあるが、それがフローラルな香り高さとあいまって複雑さをもたらし、分厚い果実味に包まれてタンニンも目立たない。垂直的で伸びやかな、典型的に優れた一級畑の特徴を備えつつ、メルキュレらしいずっしり感があり、重心が低いのもいい。

どれを飲んでも知的な輝きのある、迷いのない味。現代ブルゴーニュらしいさらっとした冷たい個性になるかと思いきや、適度なところで踏みとどまってスタイル重視にならず、それぞれの畑の特徴が素直に表現されている。ヴァンサン・シャルトンは決して有名ではないが、これからもっと知られるべき存在だと確信している。

VieVinum 2018, Vienna, Austria

 ウィーンの新王宮で隔年開催されるオーストリア最大のワイン試飲会、ヴィエヴィヌム。オーストリアワインファンには必須のイベントですから私もほぼ毎回参加しています。昔は日本人の姿はあまり多くありませんでしたが、2年前や今年はたくさんの方が来ていたようです。オーストリアワインマーケティング協会もオーストリア大使館商務部も意欲的かつ献身的で、参加者にはホテルのディスカウント予約(最高のホテルです!)等のサービスもありますし、セミナーやパーティのプログラムも充実。オーストリアは意外と物価が安く、お金はあまりかかりません。ウィーンじたいが世界遺産で雰囲気もよい。ホテルから写真の公園を通って新王宮に歩いていくだけで、あまりの美しさに感激してしまいます。ヴィエヴィヌムにまだ参加したことがない方は、是非2020年にはウィーンに行きましょう。ここではヴィエヴィヌムで学んだこと、考えたことをかいつまんでお伝えします。

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▲ヴィエヴィヌムの会場はハプスブルク帝国の中心、ウィーンの新王宮。


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▲会場に行く途中にカフェでケーキとウィンナーコーヒー(アインシュペナーと言います)の朝ごはん。

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▲上写真はフリーランチのデザートコーナー。中写真はウィーン市内で行われた夜のパーティ。下写真はウィーン楽友会館大ホール。ニューイヤーコンサートでもおなじみの、世界一のコンサートホールです。ヴィエヴィヌムの会期中も連日素晴らしい演奏が行われています。開場1時間前にチケット売り場に行けば立見席が千円程度で買えます。



Rosalia DAC

 最新の話題といえば、ロザリア。前触れもなく登場した新しいDACです。場所はライタベルクの南、ミッテルブルゲンラントの北、今まで空白だった地帯。これでブルゲンラントは全域がDACでカバーされたことになります。

 ロザリアは赤とロゼのアペラシオンで、赤はツヴァイゲルトとブラウフレンキッシュ、ロゼは、なんと、オーストリア認可赤全品種です。

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▲右がロザリア(発足したばかりのDACですからまだラベルには記載がありませんが)、左がライタベルク。違いを理解するには好適なペアです。


 全体としてはライタベルクより石灰が少なく、ミッテルブルゲンラントより粘土が少ないのがロザリア。つまり軽い土で、フルーティなワインができるエリア。強力な個性を持つ2つのDACに挟まれて、独自性の表現は難しそうです。ロザリアとライタベルクの2つのブラウフレンキッシュを作るラッスルで両者を比較すると、ライタベルクのほうが遥かに上質。ライタベルクはフォーカスが定まって緻密で華やか。ロザリアは散漫で短い。ロザリアのエリアが今まで除外されてきたのには意味があると思ってしまいます。ラッスルさんは「出来たばかりのDACだから、きちんとした形になるまでに時間がかかる」と言います。とはいえ両者同価格というのは少なくとも現状では信じがたい。彼自身がライタベルクのほうがいいと言っていたのに。ツヴァイゲルトに関しては、可能性としては、ノイジードラーゼーDACをもう少し堅牢にした感じのワインになるのではないでしょうか。

 土が軽いだけに、ロゼ産地としてのポジション取りは見事な戦略です。他にはロゼのDACはありません。逆に言えば、それ以外にアイデンティティを確立する方策はないでしょう。ブラウフレンキッシュでもツヴァイゲルトでもカベルネでもシラーでもなんでもOKというのは驚くべき規定で、つまりはロゼならなんでもこのDACで引き受けるわけです。しかしこのエリアは温暖です。オーストリアらしいロゼになるかというと疑問。むしろシュタイヤーマルクやヴァインフィアテルのほうがロゼには向く気候なのではないかと思います。できればタヴェルやプロヴァンスのように赤白混醸も認めるべきです。そうすればさらに味わいの幅が広がるだけではなく質的にも向上するし、暑苦しい味にはなりにくいはずです。規定が出来上がる前に誰も赤白混醸の話をしなかったのでしょうか。

VieVinumでのクリンガー会長のセミナー

 ロザリアDAC以外にも続々と新しいDACが誕生するようです。オーストリアワインマーケティングのクリンガー会長のセミナーで報告されたところでは、ついにヴァッハウも、もしかしたら今年中、少なくとも来年にはDACに。自主的な組織ヴィネア・ヴァッハウがDAC制度に先駆けて、ある種のアペラシオンを作り上げたのがヴァッハウですから、彼らとしてはプライドがあるようで、今までは後発のDACに関心を示してきませんでした。そんなヴァッハウが動くとなれば、全産地のDAC化も近づいてきたと言えます。

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▲いつもユーモアを忘れないウィリー・クリンガー氏のセミナー。2018年10月には来日する予定。日本でのセミナーが楽しみです。


 いろいろな品種が成功するが故に、認可品種を絞り込めていなかったカルヌントゥムも、白はグリューナー、ヴァイスブルグンダー、シャルドネ、赤はツヴァイゲルト、ブラウフレンキッシュ(ミニマム3分の2、つまりブレンドか単一品種)になり、今年中にDACになる様子。さらに今年中には、シュタイヤーマルク三産地が、ウェルシュリースリング、ソーヴィニヨン、ゲルバームスカテラー、トラミナー、リースリング、ヴァイスブルグンダー、モリヨン、グラウブルグンダー、そしてヴェストシュタイヤーマルクだけそれらプラス、シルヒャーという品種で決着してDACに。総花的ですが、自分としてもこれしかないと思います。ウェルシュリースリングのDACが出来たのは何より喜ばしいところです。ちなみにシルヒャーラントになると言われていたヴェストシュタイヤーマルクはそのままの名前で残ります。シルヒャーだけがおいしいわけではありませんから、それで正しいと思いますが、同時に、ではヴェストシュタイヤーマルクとズュートシュタイヤーマルクの何が違うのか、という疑問は湧きます。シストとオポックの違いでしょうか。皆さんにとってもこれからひとつの研究テーマになりますね。

 そしてエリアとスタイル(甘口)が合体したDACとして、ルスター・アウスブルッフとゼーヴィンケルが誕生する予定。これも順当です。甘口ワインは、今では需要が少なくなったとはいえ、ノイジードル湖の名物ですし、特にルストに関しては歴史的にも極めて重要です。

 地球温暖化はオーストリアでも顕著で、1980年から気温は2度上昇。干ばつ、洪水、雹、地滑り、遅霜といった被害もあります。冬に気温が下がりきらずに病気が残ってしまうのも大問題。そこでPI WI品種の出番。既に認可されているレーズラーとラタイに加え、ブリューテンムスカテラー、ムスカリス、ソーヴィニエ・グリが認可。これからもっと増えてくるでしょう。これもいいことです。オーガニックだと言って銅を大量に撒くより、もともと病気にならない品種に転換する方が環境負荷が減少するに決まってます。

 興味深いデータとしては、オーガニックブドウ畑の比率が13パーセント、認証オーガニック生産者が679軒、全体の75パーセントが減農薬ということ。この点に関して、オーストリアは世界のリーダー。それは確実にワインの味に出ています。

 ちなみに日本は世界15位のオーストリアワイン輸入国。欲を言えばきりがありません。まあ、そんなものでしょう。日本は一過性ブームが大好きな国なので、流行りものになってはいけません。オーストリアワインが必要だと思えるTPOをしっかり意識して、オーストリアワインを代替不可能なものとして楽しんでほしい。堅調に推移して欲しいです。

□ウィーンのワイン

 ホイリゲ文化やゲミシュターサッツという側面からのみではなく、純粋な品質からしてもウィーンのワインは、特に北側ニュスベルクやグリンツィングのワインは傑出していると思います。例えばホイリゲで有名なマイヤー・アム・ファールプラッツのフラッグシップワインのひとつ、リースリング・プロイセン。緊密な構造と圧巻の余韻を見れば、ここがオーストリアでも屈指の産地だと分かります。

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▲上から、マイヤー・アム・ファールプラッツ、ハイサン・ノイマン、クロイス。

 このような優れた単一畑ワインがこれからどんどん登場してくるはず。なぜならウィーンでも、カンプタルやクレムスタルと同じく、エスタライヒッシュ・トラディチオンズヴァイングーター協会によるエアステラーゲの認定が行われたからです。フリッツ・ヴィーニンガーさんによれば、その数は12。彼の所有するハイサン・ノイマンの新作、リート・ゴリンとリート・シュタインベクもそれに含まれます。前者はヴァイスブルグンダー、後者はリースリングのワインです。ハイサン・ノイマンのゲミシュターサッツにはあまり感心したことがない私ですが、これらエアステラーゲのワインは別次元。ピシッとフォーカスが定まり、いかにもウィーンらしい心地よい緊張感があります。それに比べて4つの「ナチュラルワイン」シリーズの散漫さや濁りやほぐれなさはどうしたものか。亜硫酸無添加ワインが流行っているのは分かりますが、ヴィーニンガーさんは本当にこれで納得しているのだろうかと思ってしまう。ともかく瓶詰め直前のSO2添加はいけません!「SO2を入れておけば私は安心して眠れる」と言ってましたが、それなら普通に何度かに分けて添加すべきです。ないし、完全無添加にして自分のホイリゲだけで売る特別なワインにしてもいいのではないかと思います。

 ウィーナー・ゲミシュター・サッツの中では相変わらずレニキスのワインが一番よいと思いましたが、今回初めて飲んで印象的だったのがクロイス。値段がとても手頃でいて、ウィーナー・ゲミシュター・サッツらしい引き締まった複雑性と垂直性があり、チープな味にはなりません。日常ワインなのにこんなに気品があるというのがウィーンの凄い点です。オーストラリア最高の銘醸地はどこだと思うかと誰かに聞いて、それがニュスベルクという答だとしても、私はまったく驚きません。

□“ナチュラルワイン”について

 オーストリアは今、オレンジワイン、アンフォラワイン、SO2無添加ワインの大ブームです。いったいどうなっているのかと思うほど、そうです。多くのワイナリーが、通常のワインに加えてそういった「ナチュラルワイン」をラインナップに加えるようになりました。

 アンフォラで熟成すると「ナチュラル」で、樽で熟成すると「アンナチュラル」でしょうか? 醸し発酵だと 「ナチュラル」で、果汁発酵だと「アンナチュラル」でしょうか? まさか、です。それらの手段、道具の差で自然か否かが分かれる訳がない。そう思うなら大バカ者です。どちらも人為です。ナチュラルとアンナチュラルが分かれるとしたら、道具の差ではなく、生産者の姿勢の差とワインという結果の差です。それら多くの「ナチュラルワイン」はまずい。ナチュラルな姿勢でもなければナチュラルな結果にもなっていない。これではジョージアワインにも失礼です。

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▲“ナチュラルワイン”のラベルはなかなかエキセントリックなものが多いですね。エスタブリッシュメントに対するオルタナティブ、プログレに対するパンクみたいなものとして見ると分かりやすい。しかし正しい立ち位置は、ナチュラル=メインストリームとすることであって、反何々、ではありません。


 そもそも、この写真(ヴィエヴィヌム会場のナチュラルワインコーナーの看板)に見られるように、ナチュラルワインの要素としてオーガニックとオレンジワインが同列に扱われているのはおかしい。オーガニックは前提であり、下位カテゴリーではない。

 使用した筆や絵の具の型番のほうが内容や対象や美的価値より上回る絵画がどこにあるか。溶き油が石油由来だからその絵はアンナチュラルだ、ポピーオイルだからその絵はナチュラルだと言っている人がいるか。手段が前面に出ているうちはナチュラルでもなければ正しくもない。本当によいものなら手段の存在は感じないものです。

 今は過渡期でそのうち手段をマスターして結果のナチュラルさに至るようになるのかも知れません。それまでにまた次のブームが来て、新しいおもちゃに皆が飛びつき、皆がそれを囃し立て、消尽してまた次のおもちゃを探すことの繰り返しをするのかも知れません。ひとつの責任はワインジャーナリズムにあります。目的意識と価値判断なき最新ブームの煽りがもたらしたものが、オーストリアのみならず世界で見られる、まずい「アンフォラオレンジ亜硫酸無添加ワイン」の氾濫でしょう。

 私は美味しいアンフォラワインも美味しいオレンジワインも美味しい亜硫酸無添加ワインも大好きです。手段は手段でしかありません。むしろ、それが理解されないことが理解できません。

□ヴァグラム、ゾールナー

 ヴァグラムの試飲会場は、ヴィエヴィヌム会場の中でも最も空気が澱んで重く、暗い場所。なぜか唯一冷房の効いたカルヌントゥムと一部のヴァインフィアテルの部屋とはおお違い。ヴァグラム最上の生産者と言えるゾールナーさんに、なぜいつもこの部屋なのかと聞くと、「最悪でしょう?しかし我々は小さな産地で力がないから」。ワインなど試飲したくない環境にもかかわらず、ゾールナーのワインはさすがです。抜けが良くてキビキビしたリズム感があります。ゾールナーはアンフォラ発酵がブームになる前から陶製のタンクを使っています。実にニュートラルで、多くのアンフォラのように、得るところもあれば失うところもある容器とは違います。柔らかいボリューム感とディフィニションが両立しているのです。

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 最近の流行りゆえか、彼もオレンジワインを作るようになりました。ローター・ヴェルトリーナー品種を使った、陶製ボトルに入ったイルデンです。しかし、さすがゾルナー、変な酸化風味や苦味はなく、汚い香りもしません。大半のオレンジワインがベタっと水平的で余韻も短いのに対し、きちんと垂直性を保ち、リズミカルで、余韻が長い。つまりは正しいオレンジワインです。彼も「多くのオレンジワインは酸化していて好きではない」と言います。ちなみにこのイルデンは8割のオレンジワインに通常のワインを2割混ぜたもの。そのセンスがいい。結果が大事なのであって過程が全てではありません。ゾルナーさんにはもっと影響力を持ってもらいたいものです。当人は「私はリーダーになれるタイプの人間ではない」と言ってましたが。

 ちなみにヴァグラムがいつになってもDACにならない理由は、遅く摘んでアルコールが高いワインがヴァグラムらしいと考えるグループと、ゾルナーさんのようにアルコールが低めのキビキビした味がヴァグラムらしいとするグループの間に、意見の合致を見ないからだそうです。それも変な話です。最低と最高のアルコール度数を広く取った規定にすればいいだけです。気温を見れば前者の意見に賛同するし、レス土壌らしさを重視すれば後者が正しい。その幅自体がヴァグラムの魅力だと、どうして高所大所から判断できないのか。

 まとめ役がいないということですね。ワインも政治だなと思います。

□オーストリアン・ゼクト

 ゼクト(スパークリングワイン)の法律が出来た今、ヴィエヴィヌムでも積極的にゼクトを訴求。まだまだ多くはシャンパーニュのオーストリア版であって、オーストリアらしさを感じさせるものは少ないと思います。いろいろ飲んだ中では、グラーフ・ハーデックのシャルドネとピノのゼクトが印象的。彼らのオーガニック栽培のブドウの質を思えば当然。熟成風味を上回るミネラリーな鮮度感は、正しいゼクトのあり方です。スタイルとしてのゼクトではなく、テロワールとしてのゼクトという観点は重要です。

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 オーストリアン・ゼクトの規定を批判的に吟味しているとキリがありません。しかし重要な点は、最上格付けのグランレゼルヴェのみにリート名表記が許されていること。メゾンのプレステージシャンパーニュが複数畑のブレンドであることを思えば、オーストリアン・ゼクトの規定に見られるテロワール中心主義は明確です。つまりスティルであれスパークリングであれ変わることなく、最高の品質は特別な土地の力に由来するものなのだ、というメッセージを受け止めることが可能です。

 とはいえ私が好きなオーストリアの泡は、ペットナットか炭酸ガス注入のセッコないしフリッツァンテ。ようはホイリゲワインの炭酸水割りの延長。ある意味、最もチープなワイン。ところがそれらがチープな味ではないところに、私は強烈なオーストリアらしさを感じるのです。さらに言うなら、シャンパーニュ方式と華やかな香りのオーストリア品種が必ずしも合っているとは思えない。非・熟成こそがオーストリアの魅力である、とも解釈できるわけで(ホイリゲを見よ)、泡が香りとフレッシュさをさらに引き立てるセッコのようなワインは、ゼクト以上にオーストリア的に思えます。

□ペットナット

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 まずいペットナットはないと言えるぐらい、世界中ペットナットはおしなべて好きです。亜硫酸なしでも酸化しないのはいいことです。オーストリアでもペットナット流行り。中ではブルゲンラントの新進オーガニック生産者、カロの白とロゼのペットナットが気に入りました。白はムスカテラー、ロゼはローゼンムスカテラー。後者は昨年認可品種になったばかり。トレンティーノ・アルト・アディジェで馴染みがありますが、そこは昔はオーストリアですから。しかしオーストリアで飲むのは初めて。ペットナットにぴったりの華やかで楽しい品種です。

□ヴァインフィアテルのフリッツァンテ

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 炭酸ガス注入は紛い物と言われそうですが、不思議と美味しい。普通のワインにガスを入れるだけで、澱風味とは完全に無縁なのがいいのです。つまりフレッシュでフルーティな溌剌ワイン。値段も安い。こういったスパークリングワインが飲まれる状況を思えば、価格は重要な点です。ヴァインフィアテルのオーガニック生産者、トニー・シュミットは、スティルのグリューナーとかは十分に優れているものの、特筆するものはありません。しかしツヴァイゲルトのブラン・ド・ノワール、短時間マセラシオンのロゼ、長時間マセラシオンのロゼのツヴァイゲルトの泡三本は、味は当然ながらその発想のユニークさが大変に気に入りました。こういった遊び心のあるワインがどんどん登場するのが、オーストリアワインが自由で楽しい理由のひとつです。

□東欧ワイン

 旧ハプスブルク帝国領内の東欧ワインがたくさん出品されるのはいかにもオーストリアです。印象に残ったワインは写真の三本。

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 まずはルーマニア、トランシルヴァニア、Lechinta地区にあるLiliacChardonnay Orange Private Selection。ルーマニアは黒海沿岸諸国ですからワインの歴史は大変に長い国です。西部のトランシルヴァニアはハプスブルク帝国の一部でしたし、ワイン造りがこの地で盛んになったのは12世紀に移住したドイツ系住民のおかげだそうです。トランシルヴァニアのワインはくっきりとした、好ましいエッジ感のある味わい。相当冷涼な味です。このワインも醸し発酵ながら、もったり感は皆無で、いかにもトランシルヴァニアらしいひんやりと抜けのよい空気感があり、酸がキビキビしています。Liliacはモダンなワイナリーで、多くのワインはちょっと工業的すぎる気がしますが、この作品に関しては技術的洗練がうまく生かされています。

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 スロヴェニアにもスティリア地域があります。Zlati Gricはこの地の大手で、現代的なワイナリーです。ここで興味深いのはロゼのブラウフレンキッシュ。標高が高くて涼しいから赤ワインは造れないそうですが、だからこそロゼにはぴったり。スロヴェニア=イタリアのコッリオの延長、というイメージが強い中、オーストリアの延長としてのスロヴェニアの可能性を教えてくれるワインです。ぴしっとした緊密な構成力と酸がいかにもです。

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Weingut DKはクロアチア北部、旧ハプスブルク帝国部分であるCroatian Uplandsのワイナリー(国の西南部は旧ヴェネチア共和国)。ここのPusipel Prestigeが東欧ワインの会場の中で最上に思えました。これはプシペル品種を9カ月樽熟成した、大変に凝縮度が高く、引き締まった味わいのワイン。ちなみにプシペルとはフルミントのクロアチア語です。クロアチアのフルミントを飲んだのはこれが初めてでしたが、フルミントはどこで造ってもフルミント。あの硬質さと強い酸と余韻の長さが好きなら、ハンガリーやオーストリアだけではなく、クロアチアのフルミントも探求しがいがあると思いました。

 十年前に同じ部屋で東欧ワインをいろいろと試飲した時は、おもしろいけれどあか抜けないワイン、という印象でした。今は違います。驚くべきスピードで平均的な品質が向上しています。東欧は西欧よりワイン造りの歴史が長い国々。ただ共産主義時代に低迷していただけで、本来なら素晴らしいワインを生み出すことがむしろ容易だと思います。皆さんも意識してテイスティングしてほしい。世界が広がります。

□まとめ

 風味のディフィニションの明快さ、抜けのよさ、そしてハプスブルク帝国以来の歴史文化に根差したさりげないカッコよさといった点において、オーストリアワインは世界でも最も洗練されたワインのひとつです。しかし洗練が工業的冷たさを伴わない、いやむしろその逆で、地酒の魅力をしっかり備えて人間的であるところが特別です。

 安いアルコール飲料なのか、それとも財力権力誇示のためのラグジュアリーブランド飲料なのか、という両極端に傾きがちな日本におけるワインの中にあって、オーストリアワインは常に、分かる人には分かる、といった位置づけであることは事実です。では分かっている人は何を分かっているのか。それは自然と文化の高度な合体が生み出すリアリティ、背筋が伸びて内面からの自信に満ちた、他人に媚びることなく則を超えることもない確かな存在感だと思っています。ヴィエヴィヌムに参加してみれば、随所に、あまねく、それが表出されていることが理解できるでしょう。

2018.07.18

Domaine de Clos des Rocs, Loche, Maconnais

 マコネは現在微妙な位置にある産地です。昔ならお買い得なブルゴーニュ白ワインとして、全白ワインの中でも最も安心できる存在だったのですが、今では相当に高価。とりわけプイイ・フュイッセをはじめとするクリュのワインは高い。それなら他にいろいろな選択肢がありますし、もはや白ワインといえばブルゴーニュでなければならないという時代でもない。クリュ・マコネはどうあるべきなのかを考えるために、久しぶりにマコネ地区を訪問しました。

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▲整理整頓感のあるドメーヌの中庭。ワインの味もあか抜けている。


 プイイ・ロシェの生産者としてトップクラスの評価を受けるドメーヌ・ド・クロ・デ・ロック。フランスでル・ポワン誌のワイン特集号の表紙を飾ったことで、いまでは知らぬ人がいないドメーヌ。フランスのみならずイギリスで人気が高いのがよく分かる、クールで知的な味。クリマ違いで5つのプイイ・ロシェを作ります。それぞれ違う味なのは当然ですが、どれも帯に短し襷に長しの味。単一クリマワインではこうなります。ブルゴーニュ中単一クリマのワインばかりで本当にいいのでしょうか。ひとつひとつのワインについてコメントする気にはなりません。してはいけないとさえ思います。そうしてしまえば、クリマAがクリマBより優れているという話の方向にならざるを得ない。しかし、その視点そのものが間違いなのです。

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▲裏手にあるクロ・デ・ロックの畑。写真を見て分かるとおりの盛り上がった丘で、いかにもおいしそう。

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▲畑の下にある樽熟成庫には石灰岩の母岩が露出している。その割れ目からブドウの根の先端が見える。これを見れば、ワインのミネラリティ―について理解できる。

 当主オリヴィエ・ジルーは、同じプイイ・ロシェの中で5つものわインを造る理由について、「それぞれのテロワールを生かすため、お客さんの好きなワインを選んでもらうため」と言います。以降は彼と私の会話です。
T「それはグランヴァンの思想ではない。グランヴァンは究極を求めるものだ。絵に喩えるなら、クリマは絵の具であって、それを理解した後に、より完全な形になるように構成しなければならない。クロ・ド・ヴージョに残る中世の巨大なプレスを見よ。あれでどうやって単一クリマワインを作れるのか。なぜブルゴーニュにおける歴史的なクリマの確定が単一クリマワインの生産とイコールになってしまうのか。だからドン・ペリニヨンのやったことが正しい。それぞれのクリマの個性を見極めて、それらを正しく組み合わせてグランヴァンを作ったのだから。あなたはビバレージを作りたいのか、それともグランヴァンを作りたいのか」。
G「ではあなたが最近飲んだ中でグランヴァンの具体的な名前を挙げてくれ」。
T「グラヴナーのオスラヴィアのリボッラの最新ヴィンテージ2008年。彼がやってきたことの到達点といえる究極的な完成度だ」。
G「そんなよく分からないワインの名前を挙げられても知らない。ブルゴーニュのグラン・ヴァンは何か」。
T「グラヴナーを知らないと言われても困るが、ブルゴーニュで言うならクロ・ド・ベーズ。あれは4つの地質のブレンドだ。だからいい。クリマ=単一地質ではない。多くのグラン・クリュは単一地質ではない。あなたの考えは間違っている」。
G「白ではなにか。私にとってはコシュ・デュリのムルソー・ぺリエールだが」。
T「現状のブルゴーニュの白に本当のグランヴァンはない。単一地質単一品種では無理だ。だからどれもこれもフラットでシンプルな味になる。ムルソーというなら、ペリエール・デュスからシャルム・デュスーまでを混ぜたらグランヴァンになれるかも知れない。論点を明確にするため、これから5つのプイイ・ロシェを僕がブレンドする」。
 そう言って、5つの地質をある順番でブレンド。個人的にはより大きくより複雑でより長いワインになったと思いますし、彼の表情もそれなりに納得していることを思わせましたが、彼は黙っていたので実際のところ何を考えていたのか知りません。
T「しかし理想は、・・畑は3日遅く夕方に収穫、・・畑は朝早く、・・畑は正午、・・畑は朝から夕方まで3回収穫。ブレンドの原料としてのワインと単一クリマワインでは収穫の考え方が違う。個々の畑が全体のために貢献する特徴を考えればそうなる」。
G「では収穫の時に来てくれ。全量買ってくれるならそうしてもいいが」。

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▲全種類のワインを試飲して議論。

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▲プイイ・ロシェの地質図。畑ごとにずいぶんと異なるのが分かる。だから別々のワインにする、というのが現代主流の考え方。だから適切に混ぜてより複雑な構築力のあるワインを造る、というのが私の主張


 モンラッシェならまだしも、プイイ・ロシェで単一クリマのワインを造れるほど、土地にポテンシャルがあるとは思えません。しかしそれはあくまで単一クリマならば、という前提です。プイイ・ロシェじたいにはポテンシャルがあります。三畳紀までを含むいろいろな地質が入り混じっているということは、プイイ・ロシェは団体スポーツのようなものだと考えた時に本当の力が発揮される産地なのだと思います。サッカーチームをバラバラにして100メートル走の試合に出してはいけません。
G「シャトー・フイッセの高いキュベは単一クリマではないか」。
T「だからシャトー・フイッセは安いブレンドの方が美味しいのだ」。 

 オリヴィエさんは深く物事を考える生産者ですし、醸造家として才能があるのは飲めばたちどころに分かります。ただ、今の方向性では将来の展望が開けず、袋小路に陥るのが目に見えています。分断、分析のあとに統合を目指さねばならない。しかし誰からもそんなことは言われたことがないようです。そりゃそうでしょう。今では泣く子も黙るオリヴィエ・ジルーです。最初は「またこういう単一クリマワインか。言ってもしょうがないから何もコメントしないで帰ろう」と思っていたのですが、「意見を言え」と要求されたので素直な感想を言ったまでです。私はその場では美辞麗句を並べて後になって当人のいないところでまずいと言うようなことはしたくない。問題点も解決法もわかっているなら、なぜ当人に伝えないのかと常々思います。

 しかし、ここで論点としていることはこの個別のドメーヌにのみ該当するわけではありません。ブルゴーニュ全体いやフランスワイン全体に該当することです。複数の畑のブレンドを造るためには絵具の色数が多いほうが有利です。ですからネゴシアンの潜在能力は今皆が思っている以上にあるはずです。さいわいドメーヌ・ド・クロ・デ・ロックはたくさんの区画を所有しているので、色数には不自由していません。あとは刷毛で単色の絵具を布に塗ったようなものを絵画と呼ぶのがいいか、それとも多数の色で何かを描くものを絵画と呼ぶのがいいのか、という問いに自ら答えるだけです。仮に単色の絵具しか所有していないなら、それにふさわしい技法を発明しなければなりません。例えばイヴ・クラインはICB一色しか使いませんでした。そこで阻害要因となるのは、フランスにおけるアペラシオンワインの製法の自由度の少なさですが、できる範囲で創造的になるしかありません。いずれにせよ、地質境界線をもとに複数キュヴェを作って、この区画のワインはいまひとつだがそれもまたテロワールの個性、と開き直るのは人間としての責任放棄だと思います。

 

Schauer, Sud-Steiermark

 ズュートシュタイヤーマルクの中でもひときわ標高が高いキツェック・イム・ザウザルは、オーストリア最上のリースリング産地です。シュタイヤーマルク自体涼しい場所ですし、さらに600メートルですし、シストの急斜面ですし、灌漑不要ですから、当然美味しい。そのことに気づいたのは2001年ヴィンテージの頃ですから、もう15年以上前。ここを忘れるようではオーストリアワイン通ではない、と声を大にしたいところですが、いまだ日本では無名です。

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▲シュタイヤーマルクの中でもひときわ高地にある畑。土壌はシスト。見るからにリースリングのためにあるような畑だ。


 だいたいのところ、私が好きなエリアは日本では超マイナーなままです。アルテンブルクのツヴァイゲルト、レヒニッツのウェルシュリースリング、スピッツァーベルクのブラウフレンキッシュ、そしてキツェック・イム・ザウザルのリースリング。これを読まれている方で同感だと思われる方がいらっしゃるなら是非「私もそう思う」とレスポンスいただきたいものですが、きっとゼロでしょう。これはフランスで譬えるなら、アビムのジャケールやラ・クラープのブールブーランクが素晴らしいと言っているような常識的な話だと私は思うのですが。。。
 オーストリアでリースリングの銘醸地として挙げられる名前は日本ではヴァッハウです。ヴァッハウとキツェック・イム・ザウザルの違いは、川辺と山辺、片麻岩と片岩の違いだけではなく、灌漑か無灌漑か、でもあります。もちろん私は無灌漑のワインのほうが優れていると思っていますが、その意見が少数派である以上は、この話もなかなか理解されないでしょう。誤解されたくないですが、ヴァッハウがまずいわけではありません。ヴェイダー・マルベルクの一部やマッハヒェンドルの一部やPURのように無灌漑&オーガニックのワインは最高だと思っています。そして灌漑がすべていけないと言っているのではなく、マイポの例をとるならヴィーニャ・カルメンのように冠水灌漑をしたりアルマヴィーヴァやガンドリーニみたいに埋設灌漑をすればいいので、単純なドリップ灌漑ではミネラル感や下方垂直性やリズム感や心地よい緊張感が表現されにくい、と言っているのです。

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▲ワイナリーの中庭で地元の料理をつまみながらワインを飲むことができる。シュタイヤーマルクのワイナリーの多くはそういったブッシェンシャンクでもある。それだけ観光客も多いのだが、不思議とスレた感じ、観光客馴れした感じがない。


 さてシャウアーは、キツェック・イム・ザウザルのブッシェンシャンク(シュタイヤーマルクの居酒屋のこと)兼ワイナリー。現時点でも環境保全型農業ですが、来年からオーガニック認証プロセスを開始します。当主セバスチャン・シャウアーは「アルコールが高く酸が低くフルーティすぎるニーダーエステライヒのリザーブタイプのリースリングは好きではない。オーストリアのリースリングはストレートなミネラリーな味からリッチな味になりすぎた。昔のヴァッハウの味のほうがいい。自分のポリシーは、ルーツに戻れ、だ」と言います。私も同感なので、思わず握手しました。ドイツに譬えるなら、ラインガウのGGよりモーゼルのカビネットが好き、という人にお勧めしたい。

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▲小容量のステンレスタンクが所せましと置かれた醸造所の内部。


 その意味は2014年のRiesling Kabinettstuckを飲めばよく分かります。ものすごく酸が強く、それをきれいな甘さでバランスさせ、アルコールが低いこのワインは、リースリングのひとつの理想像です。とはいえオーストリアで中甘口カビネットは例外的。最近ではこの年しか作られませんでした。辛口のRiesling Kitzeck-Sausalの2017年の引き締まって張り詰めたボディ、垂直性、明快なリズム、しなやかでいて強靭な酸の輝き、抜けのよい香り、驚異的な余韻の長さは、今まで飲んだオーストリアのリースリングの中でも最も印象に残るもののひとつです。

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▲上写真は、「フルーティさよりミネラリティ―が大事」だと、しっかりとした考えを語るシャウアーさん。オーガニック認証を取得するのはいいことだ。下写真がリースリング。



 ムスカテラーも、シュタイヤーマルクの通常のものとは大きく異なります。特に上級キュヴェ、Gelber Muskateller Schiefergestein 2017はびしっとした辛口で、おしゃれな初夏のパーティー用ワインといった方向性ではなく、極めてシリアスです。爽快なまでの硬質さとすくっと伸びた背筋は、これぞキツェック・イム・ザウザルならではの表現!と快哉を叫びたくなる完成度。一度飲むと忘れられないでしょう。

Menhard, Sud-Steiermark

 数年前にオーストリアワイン大使ツアーで引率して行った以来のメンハルト。私はここのワインが大好きです。ズュートシュタイヤーマルクのワインシュトラッセから外れた場所にある隠れ家ワイナリー&民宿。見ての通り、素晴らしい自然環境に囲まれています。もちろん栽培はオーガニック。ここでワインを飲んでまずいわけがない!

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▲自然に囲まれた楽園、メンハルトでの宿泊は最上のバカンスとなるはず。


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▲メンハルト夫妻と共にテイスティング。彼らは自分たちのワインについてほとんど語らない。しかしワインは極めて雄弁。




 ズュートシュタイヤーマルクにはいろいろな品種が植えられています。しかしどの品種でも成功するわけではありません。ピノ・ブランやシャルドネ(モリヨン)はいまひとつ。テロワールと品種が合っていないぎこちなさがあります。ソーヴィニヨンは悪くありませんが、まだほぐれません。メンハルトでも、他の多くのワイナリーと同じく、ウェルシュリースリングとムスカテラーが最高です。しっとり、すっきりして、抜けがよく、かつ適度なボディ感もあり、いかにも降水量が多く気温が低く急斜面でポンカ土壌(マルヌ)のシュタイヤーマルクらしい味です。

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▲スティリアはいろいろな品種が成功する土地。ソーヴィニヨン・ブランばかり見ていてはいけない。個人的には、ワイナリーを問わず最も安定して美味しいのは、ムスカテラーとウェルシュリースリングだと思う。メンハルトでも同じ。メンハルトではそれらに加えてアメリカ品種のイザベラが素晴らしい出来。最もストレートなエネルギー感と、屈託のないナチュラル感がある。

 個人的に一番好きなのはイザベラ品種のスパークリング・ロゼ。炭酸ガス注入の微甘口。ワイン通にはバカにされそうですが、これがいい。イザベラはラブルスカ系品種ですから、コンコード等と同じく、あの食用ブドウの風味があります。西洋だとワインはヴィティス・ヴィニフェラでなければならないという思い込みが強いので、ヴィティス・ラブルスカの独特の風味は拒絶されてしまいますが、日本人には抵抗がないものです。オーストリアではアイゼンベルクのエリアでわずかに植えられ、ウードラーというワイン(濃い色のロゼ)になるので、西洋諸国の中では珍しくラブルスカが認められています。しかしシュタイヤーマルクでは認可されていません。だからこのロゼも昔はイザベラ・フリッツァンテという名前でしたが、品種名を表記することはもはやできず、ロゼ・フリッツァンテという名前に数年前に変更されました。ラブルスカ引き抜き令は有効ですから、メンハルトでは、政府機関に見つからないよう、他の品種の中に隠して植えてあったり、駐車場の日陰を作るためのブドウ棚にしたりしています。ブドウ棚なら観賞用として見逃してくれるからです。

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▲駐車場の日よけとしても機能している棚づくりのイザベラ。このワインを飲むと、栽培適地とはなんなのか、よいワインとはなにか、考え直すことになる。


 イザベラは病害に大変に強い品種で、何もせずとも育って健康な実を沢山つけるそうです。それのどこがいけないのか。病気になるのは、本来そこに生育したくないからでしょう。硫黄や銅を散布しなくて済むので、ワインはヴィティス・ヴィニフェラ品種のワインよりのびのびとしてポジティブな味がします。生命力が強いといった印象。ラブルスカ=フォクシーフレーバー=ダメ=引き抜きといった単純な価値観からは、このワインの素晴らしさが理解できないでしょう。

2018.07.17

Birgit Braunstein, Leithaberg

 オーストリアのビオディナミ生産者のリーダーの一人、ビルギット・ブラウンシュタインさんの新しいテイスティングルームが出来たというので訪問しました。訪問するのはたぶんこれで十度めぐらいだと思います。これはワイナリー取材ではなく、挨拶というべき訪問です。

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▲ビルギット・ブラウンシュタインさん。既に二人の息子さんも彼女の手伝いを始めている。


 前回来た時はテイスティングルームはまだ計画段階。場所を見て、「ここではワインは美味しく飲めない。他の場所はないのか」と言いました。実際に完成した部屋に入って、「これはいかん。なぜ分からないのか!」。いや、彼女は分かっているのです。「この部屋だとワインがおいしくない」と言っています。言わんこっちゃない!しかしどうすればいいのかが分からなかったから、今まで放置していたのでしょう。この部屋では来客とのテイスティングは無論、ビオディナミに関するセミナーを行っているそうです。参加者も今まで何をしてきたのか。ビオディナミワインを扱うプロならこの部屋の問題が分からないはずがなく、分かっていて何も手助けしないのは冷酷無慈悲(そういう人が多いということ)です。

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▲これが問題のテイスティングルーム。力がある人なら写真を見ただけで何が悪いか分かるだろう。


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▲ビオディナミについてのセミナーの時に使われていただろう、プレパラシオンの解説が置かれていた。



 「到底こんな場所ではテイスティングできない」と言って私は中庭に出て試飲。そこではいつものように素晴らしいワインです。誤解しないで欲しい、ビルギットのワインは本当に素晴らしい、生きたワインです。生きているがゆえに、感受性が強いのです。だからテイスティングルームで飲むと。。。。困ったものです。

 私は「・・・・と・・・・を持ってきてください」と頼み、なんとか飲める状態に修正しました。もちろん彼女もその場にいた他の人も、効き目を確認。彼女は、「自分のベッドルームはあなたと同じ方法で処理しています」と言うので、「あなたと同じくあなたのワインも扱わねばなりません」。これではなんか私はエクソシストみたいですが、私は超常現象のたぐいを言っているのではありません。ほんと、それは私のような素人でもわかる常識的な話です。ビオディナミワインのファンにとってはさらに常識中の常識でしょう。ところが知識があってもその知識を使うべきところで問題そのものに気づかねば、知識は無駄になってしまいます。しかしそれはまだ対症療法でしかないので、そのあとヴィエヴィヌムで会ったブラウンシュタインさんにさらに根本的な解決方法を伝えました。それをやってくれるといいのですが。お金はかからないけれど手間はそれなりにかかります。自分では怖くてできません。
 彼女は、傑出した才能がある人に共通する問題を抱えているように見えます。それは周囲の無理解(とまではいかなくとも、誤解)と孤独です。ワインの味にその影がさしています。そもそも彼女ほどの感性がありながらもあのままテイスティングルームを放置していたというのは、身近に相談する人がいなかった、いやそれ以上に身近に本音を言う人がいなかったことの証左です。「あなたのワインをさらなる高みに到達させるためには、あなた自身が孤独から連帯へと脱却し、自らの正しさを自らがさらに強く信じられるようにならねばなりません。個人的な悩みの話は知らないが、少なくともワインに関しては悩みや問題意識や理念を共有できる人たちを作りなさい」と言うと、彼女の目に涙が。ああ、私はどうすればいいのか。「私は凡人だからあなたを導くことはできない。しかしあなたの味方であり続けることはできる」と言うのがせいいっぱいでした。
 何度でも言います。ビオディナミのワインは生き物です。いろいろな力に反応します。ゆえにビオディナミ農園主はそこに働く太陽や月や星の力を含めて正しいバランスをもたらさねばなりません。造られたあとも同じです。ビオディナミのワインを自分の店で売る人は、農園主と同じ責任があります。農園主と気持ちを揃える必要もあります。それがいやなら、つまりワインを貨幣と交換するための物質としか見れない人は、ビオディナミのワインには手を出さないほうがいいぐらいです。

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▲プルバッハの中心にあるレストラン、ブラウンシュタイン。

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▲アスパラガスとウィーナー・シュニッツェル。このレストランではターフェルシュピッツも試して欲しい。


 ちなみにテイスティングのあとはワイナリーのそばにあるブラウンシュタイン家のレストランに。ここもまたレストランで出すワインを造ることから歴史が始まったワイナリーです。このレストランは近隣で最もおいしいと思います。もちろんブラウンシュタインさんのワインを飲むには最適の場所。ショップも併設していますから、この界隈に行った時には是非試してみてください。

Liszt, Leithaberg

 2004年にウィーン少年合唱団の一員として日本に行ったことがあるというベルンハルト・リストさんのホイリゲ。ニーダーエステライヒ州からブルゲンラント州に入ったところ、Leithaprodersdorfという小さな村の裏にあり、見つけるのにも苦労する場所。ところが1日350人ものお客さんで賑わう人気の店です。

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▲上写真の左奥の建物がホイリゲ・リスト。これは分かりにくい!右は建築中のワイナリー。中と下の写真はホイリゲの内部。

 2015年にオーガニックを始め、2017年に認証取得。ワインがオーガニックなのは当然として、小麦や豚も自分でオーガニック栽培・飼育し、店でパンやハムにして提供。日本に輸出していませんし、そもそも自分の店用のワインですから輸出は5%のみ。地産地消の本物のオーストリアワインです。
 オーストリアは基本的にどこでも安いワインのレベルが高い。1リットル瓶のホイリゲ用グリューナーのレベルの高さには驚きます。つまり土地じたいのポテンシャルはどこでも高く、樽とかにお金をかけずにストレートに造れば十分なのです。他には、これもいつも通りに、ウェルシュリースリングの飾らない味と強いミネラル感と余韻に至るまでの乱れのないタイトさが印象的。ブルゲンラントらしい骨太感や厚みもあります。亜硫酸無添加のナチュラリスト・シリーズもセンスのよい味。中では3日間スキンコンタクトしたのち樽発酵のヴァイスブルグンダーがおすすめです。ゆったりしたパワー感と厚みのある質感があり、肉料理に合うでしょう。

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▲当主、ベルンハルト・リストさん。


 それにしても自家製ラルドのピュアで涼しげな味にはびっくり。脂肪そのものなのになんでこんなにスッキリしているのか!一頭あたり800平方メートルという広い土地で飼育される、放し飼い状態の豚。2年も飼育して体重250キロまで大きくします。普通に日本で売っている豚肉は半年飼育、110キロ程度ですから、彼らの豚には時間とお金もかかっています。ワインはむろん、この豚肉を食べるためだけでもリストに行く価値はあります。パンもまた見事で、噛むほどに味が出てきます。オーストリアのオーガニック食文化の高いレベルを感じるワイナリーです。

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▲田舎の小村のレストランなのに、店内もラベルデザインもあか抜けている。オーストリア全体としての文化的洗練度の高さには感嘆させられる。

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▲ホイリゲの中にある畑の土壌の断面モデル。下層に石灰質があるのがライタベルクらしく、これがキリッと引き締まった酸とミネラルをもたらす。


 おいしいワインとおいしい料理を出す店なら世界じゅうに何百万とあります。しかしオーストリアのホイリゲは、両者を同一の思想・美意識・感性をもって自分で作るところが、普通のレストランと根本的に異なる点なのです。日本の飲食店の方々もオーストリアに行けば学ぶことが多いはずです。評価本高得点の高価格のワインを飲んだだけで「オーストリアワインはもう分かった」と言っている方々に会ったことがあります。そして「たいしたことがないから、もういいや」と。それではオーストリアワインに対するスタンスが根本的にずれている。ボルドー1級とブルゴーニュ特級のグレートヴィンテージを飲んで「フランスワインが分かった」と思うのはあながち間違った方向性ではありませんが、オーストリアや東欧のワインに関しては絶対に間違いです。しかし日本ではフランス式のワイン観というか、上から攻める、上が分かれば下も自動的に分かる、といった方法論が優勢なようですから(だからいつまでたっても高級ブランド志向)、私がオーストリアワインに関して常々言っている、1リットル瓶のほうがおいしい、という表現はなかなか理解されません。田中さんはB級グルメですね、とか、田中さんと同じく私も安旨ワインが好きです、とか言われたことがあるのですが、自分では何か違和感が、、、、。

Muhr-Van der Niepoort

 カルヌントゥムのスピッツァーベルク最大の生産者(6ヘクタール所有、6ヘクタール賃借)、ムール・ヴァン・ダー・ニーポートのドルリ・ムールと、スピッツァーベルクの麓の村、Prellenkirchenで待ち合わせ、畑に連れていってもらいました。彼女のワイナリーも、もうひとりの代表的なスピッツァーベルクの生産者であるヨハネス・トラプルのワイナリーも、畑からはずいぶんと遠くにセラーがありますから、今までスピッツァーベルクは遠目に仰ぎ見るだけでした。ついに実際に足で踏みしめることができました!

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▲村の教会前の駐車場で待ち合わせ、ドルリさんにスピッツァーベルクに連れていってもらった。平野の中に一か所だけ線状の丘が盛り上がる地形なのが分かるだろう。


 平地の中に突然出現する丘。これは、ルーマニア、ウクライナ、ポーランド、スロヴァキアを弓状に貫くカルパティア山脈の最後の部分。カルヌントゥムの西からアルプス山脈が始まります。ですからスピッツァーベルクだけは気候も地質もなにもかも異なり、カルヌントゥムの他の場所がツヴァイゲルト主体なのに対して、ここはブラウフレンキッシュで有名な畑です。石灰岩の母岩に、けっこう厚め(特に下部)のレス・ロームの表土。もっと石がごろごろしているのかと想像していましたが、表面にはほとんど石はありません。

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▲ドルリさんの後ろをついて畑に上るが、スピードが追いつかない。畑仕事で足腰が鍛えられているのが分かる。彼女の娘は日本語を勉強したいそうだ。

 ドルリ・ムールは近郊の農家の生まれ。祖母は14歳の時に独立してプレレンキルヒェン村で農業を始め、結婚するときにスピッツァーベルクの畑を0・1ヘクタールだけ親からもらったそうです。ドルリは通訳になろうと思ってフランス語やスペイン語を習得。それからワイン、ビール、スピリッツ、食品、旅行関係のPR会社を1991年に創立(今でも経営しており、12人の従業員がいるそうです)。そこでワインに魅せられ、モレッリーノ・スカンサーノに10ヘクタールの土地を買ったものの、ポートの高名な生産者ニーポートと結婚して(その後離婚)ドウロに移住し、そのプロジェクトは断念。とはいえワイン造りへの情熱は冷めず、「どこがいいかを考え、故郷に戻ってきました。02年には買いブドウで仕込んだものの、難しいヴィンテージゆえにうまくいかず、翌03年は乾燥しすぎ暑すぎの年でうまくいかず、しかし冷涼な04年に素晴らしい出来のワインとなって、スピッツァーベルクでワインを造ろうと決意した」そうです。

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▲これは若木のブラウフレンキッシュの畑。個人的には古木より若木のキュヴェのほうがエネルギー感とピュアさがあって好きだ。


 当時スピッツァーベルクの所有者は高齢化が進み、後継ぎがいない状態の農家が多かった。「その人たちを訪ね、あとがないから私に畑を売ってくれ、と言うわけにはいかない。どうすればいいかと考え、彼らが通う病院にポスターを貼りだした、畑求む、と」。なんと賢い方法!おかげで短期間で畑を買い進めることができました。2002年当時は1平方メートル当たりの価格は1・5ユーロ。しかし2017年には7・5ユーロと5倍の値段に高騰。ここが最高の畑だということが認識されてきたからですし、それを世の中に証明したのがドルリ・ムールのワインです。

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▲シャンベルタンの畑で白ワインを造るように希少な、リート・スピッツァーベルクに植えられたグリューナー・ヴェルトリーナーとリースリングのワイン。この畑ならではの不遜なまでの存在感とパワーがすごい、オーストリア白ワインの中でも隠れた大傑作。


 フラッグシップであるRied Spitzerberg、リート・スピッツァーベルクは古木のブラウフレンキッシュから造られます。大変に凝縮度が高く、10年ぐらい熟成させないと空気感が出ないような、黒系果実とスパイスの香りのワイン。若木から造られるLiebkind、リプキンのほうが個人的には抜けがよくて、特に2015年のような暑い年には、バランスのとれた味だと思います。本来なら古木と若木を混ぜたほうがおいしいはずです。私が好きなのは、Syd Hang、スードハングという名前の、2003年に植えたシラーのワイン。これはオーストリアのみならず、世界のシラーの中でも傑出した出来のワインだと思います。今回特に印象的だったのが白ワイン、Prellenkirchenの2016年。グリューナー・ヴェルトリーナー90%にリースリング10%のブレンド。リースリングは古木のブラウフレンキッシュの畑の中に植えられているそうです。グリューナーはプラスチックの桶で発酵後、オーク樽とステンレスタンクで熟成。リースリングはステンレスのみです。「ムルソーが好き」というドルリさんだけあって、よくあるオーストリアワインのすっきりフルーティな味とはずいぶん異なり、濃密でパワフル。しかしアルコールは11・9度しかありません。ミネラルの塊のようなワインですし、スピッツァーベルクのテロワールのすごみを、むしろブラウフレンキッシュよりもはっきりと理解できると思います。最近飲んだオーストリアの白ワインの中でも最高レベルです。
 「ポートワイン生産者と結婚していたから」、ブラウフレンキッシュでポートタイプの甘口も造ります。名前はSaudade、メランコリーという意味だそうです。「甘い思い出」と言うので、「甘くて苦いのでしょう?ポートはその両者のバランスが要なのだから」と応えると、「そう、苦くもある、もちろん!」と。彼女はニーポートさんと離婚してしまいましたからね。彼は今何人目の奥さんと一緒なのでしょうか。
 彼女はもともと除草剤等使用していませんでしたが、2015年からはオーガニック栽培を始め、2018年ヴィンテージから認証取得予定。今でも傑出したワインですが、これからさらによくなるでしょう。

Johannes Trapl, Carnuntum

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▲ヨハネス・トラプルのラベルデザインは世界じゅうのワインの中でも最もセンスのよいもののひとつだと思う。

 デュッセルドルフのプロワインでヨハネスに会ってからまだ日が経っていませんが、今回は彼のワイナリーを訪問。自宅だといつも以上にボサボサ髪の彼。身なりはいい加減でもワイン造りは精緻を極め、いつもながらすごいワインだと感服します。一番ベーシックなブレンド、キュベ・ヴァイスとキュベ・ロートからして別格です。

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▲村のメインストリートに面したトラプルのワイナリー(上写真の右端の家)。それにしても何度来ても人影も犬影も見ない、映画セットのような村だ。中に入るとすっきりしたコンテンポラリーな建築。


 会うたびに品質向上のアイデアを考えて伝えています。今回はアンフォラオレンジワインに軽やかさと香りの伸びを加えるやり方とキュベ・ロートに安定感と厚みを与える工夫を 伝授。簡単な方法なのに効果てきめん。ただ仕込むだけではなく、理想に対して何が不足し、どうすれば改善出来るか、彼自身で考えられるようにならないといけません。私が伝えているのは思考の方向性であり、論理形式です。

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▲ワイルドな雰囲気だが繊細な神経のヨハネス・トラプル。


 私が「オレンジワインの味が重くて水平的だ」と言うと、そこに同席していたオーストリア人は「早く収穫したブドウも一緒に入れればいい」と。それもある方向から見たときの正解。私は「アンフォラは陶器だから世界の四元素のうちの土、ビオディナミカレンダーで言うところの根の要素が強くなる。それはアンバランスな状態だ。バランスをとるためには土や根の反対の要素を足さないといけない。その反対の要素とはなにか?どうすればいいのか?」という問いを投げかけました。そして私は台所からあるものを持ってきて、ある方法でそのエネルギーをワインに与えました。実際に経験すると、彼は「ほんとうだ」と。もともと天才ですから、いい刺激を与えるとどんどん伸びます。考え方が分かったら、あとは自分で応用してもらえばいいのです。ここで、実際に何をしたのか、はあえて言いません。そこだけ抽出してしまったら、私もヨハネスもただのヘンな人と見なされておわりです。何をしたのか、ではなく、理想のイメージをもつこと、問題意識をもつこと、問題を言語化するテイスティング方法を習得することが先です。

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▲2014年からワインの一部はアンフォラ熟成。車のタイヤをクッションにしてその上にアンフォラを置くのは素晴らしいアイデアだ。


 ちなみにトラプルはビオディナミ生産者です。セラーに入る時「携帯はオフにするか持ち込まないでくれ。中に調剤が置いてあるので影響を受ける」と。実際にその通りでしょう。しかしそう言った生産者は彼が始めてです。いかに繊細な感覚を持っているかよく分かります。そういった感性がないのにビオディナミだ亜硫酸無添加だと形式だけ踏襲しても意味がありません。
 ブラウフレンキッシュ最上のワインのひとつ、今やオーストリアを代表する赤ワインと言えるスピッツァーベルクは、2014年から一部アンフォラ熟成。以降はタイトな構造と高い凝縮度に加えて、好ましい広がり感も出るようになり、ますますすごいワインになっています。ただし、我々一般人がこのワインの本領を発揮させるためには上記のような発想に基づく技術も必要です。現時点では往々にして土と水の要素が強いワインなので、飲む時に火と風の要素を補う必要があるのです。本来なら、彼自身に四元素の力関係について意識してもらい、最初からバランスのとれた味にしてもらうしかありません。そのためにしょっちゅう彼と会ってはいろいろとお話しているのです。

Raser-Bayer, Carnuntum

  レストラン兼ワイナリー、つまりホイリゲ。オーストリアならではの魅力。食とワインが、あとから偶然出会うのではなく、最初から共にあるということ。その意味は、考えれば考えるほど大きなものがあります。

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▲田舎のホイリゲの典型的なつくり。ウィーンからも近いので、グリンツィングの観光ホイリゲに飽きたらちょっと足を延ばしてみてもいいだろう。外国人はここまでは来ないのでローカルな雰囲気が味わえる。

 ホイリゲ=ウィーンではありません。ウィーン空港から東に車で20分ほどで着く産地、カルヌントゥムにあるラザー・バイアーも地元に根差したホイリゲ。そのワインは自分にとっては地元消費用オーストリアワインの典型といえるほど、素直で、欲張らず、お買い得で、もちろんおいしく、かつ認証オーガニックです。あなたの好きなオーストリアのワイナリーはどこか、と聞かれ、この名前を挙げたこともよくあります。もちろん私は世の中の評価本を賑わすタイプのワインもおいしいとは思いますが、オーストリアらしいオーストリアワインとは何かと思考をめぐらすと、1ホイリゲワイナリー、2、オーガニック、3、安価、4、輸出市場より地元重視、という指標が重要であるというひとつの結論に達します。1,3,4の要素を満たすワイナリーは多くとも、2も満たすとなるとなかなかないものです。     「輸出比率は何パーセントですか」と聞くと、「ゼロ。だからパーセントを計算する必要もない!」。いいですね。何度も言っているように、外国人観光客でにぎわう銀座の高級天ぷら屋より、外国人ゼロの下町の天ぷら屋のほうが、私にとっては基本であり、好きなタイプのお店です。しかし大半の人にとっては、前者のタイプのワインのほうがいいワインでしょう。実際にそういうタイプが日本には輸入されています。それはオーストリアに限ったことではなく、ドイツもそうです。いや、ドイツのほうがさらにそうかも知れませんが。不思議なのは、上記のような飲食店の譬えなら、「外国人より地元の人で賑わう店が本物」と誰もが言うのに、ことワインになると逆になってしまうことです。それはまだ多くの人にとってワインがよそ行きのもの、ええかっこしいのものだからです。

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▲ラザーさんに連れられて徒歩で畑に行く。土はご覧のように細かい粒子のレス。カルヌントゥムにはもう少しローム質な場所もあるが、ここはレスなので、ワインは軽やかでフルーティ。



 テラスでオーナー家族のひとり、ダニエラ・ラザーさんに話を聞いている最中も、中庭を兄、父、母、祖母が通りがかっていきます。本当に「ファミリー・ワイナリー」なのですね。ブドウだけでなく、大豆、小麦も栽培。もちろんすべてオーガニック。ワインだけに凝り固まっていると、農業産品としてのワインが俯瞰しにくいと思います。こうした経営形態だと、良識・常識から外れることがないはずです。
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▲ベーシックなワインのほうがむしろ抜けがよくて酸もビビッドでおいしい。オーストリアは価格と質が比例しないのが消費者にとってはとてもありがたい。ただその前提は、高アルコール&高濃度=高品質、とする一般的なな考え方から自由になり、ホイリゲワインとしての機能性を評価軸に組み込むことだ。

 数多い商品の中でお勧めは、ホイリゲ用の1リットル瓶のグリューナーとツヴァイゲルト、ウェルシュリースリング、そしてツヴァイゲルト・ロゼです。力を抜いているのに中身はしっかりミネラリーで品があります。そして大変に安い。私は残糖7グラムのチャーミングなツヴァイゲルト・ロゼが特に好きです。ハムやチーズやローストポークといったホイリゲの料理にぴったりです。

 ツヴァイゲルトの赤もありますが、ロゼのほうがおいしい。レス・ローム土壌の軽快さとロゼのスタイルが合っていると思いますし、ツヴァイゲルトの赤にありがちな泥臭い風味が感じられないのもいい。こういうワインは日本に輸入されないものです。なぜならワインが置かれている文脈が見えないからです。

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▲醸造所の中には調理器具も置かれている。レストラン兼ワイナリーならではの光景だ。

 

 

2018.07.15

Mas Estela (Emporda, Catalunya)

 バニュルス=コリウールはあんなに有名なのに、その先にあるエンポルダはまだまだ通しか知らない。ダリの絵にたびたび登場するカダケスの岬の風景のほうがワインよりも認知されているだろう。その岬Cap de Creusの北側、ヴァカンス用の家やマンションが並ぶ港から少し内陸に入った丘の中腹、La Salva de Marの地。山の上には974年にGaufred de Empúries伯爵が土地を寄進したSant Pere de Rodes,修道院。この地にバルセロナ近郊の町ティアナ出身で海とセーリングが好きだという建築家のディエゴ・ソトさんとクラシック・ダンサーのヌリア・ダルマウさんが設立したのが、Mas Estelaである。

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▲エンポルダへは相当高い山を越えていかねばならない。右下がLa Salva de Marの町。

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▲ヌリアさんはお年を感じさせない背筋の伸びた歩き方をするので、「なんでそんなに動きがきれいなのですか」と聞いたら、「昔はダンサーだったから」と。今ではこうしてきれいなワイナリーだが、建物はすべて自分たちで修繕したか、建てたそうだ。


 1989年の移住当時はワイナリーなどなく、廃墟。畑は谷底にわずかに残るのみ。フィロキセラ以降、耕作が困難な斜面の畑は放棄されて人は戻らなかった。バニュルス=コリウールは経済力のあったフランスのヴァカンスの地として生きながらえたが、スペインでエンポルダが同様なポジションを得たのは最近のことだという。建物は自力でこつこつと修復、畑も森に浸食されていた往年のテラスを作りなおして植栽。想像を絶する困難の後、今ではルネッサンス・デ・ザペラシオンのメンバーとして、Clos Lentiscus、Recaredo、Nin Ortiz、Finca Pareraと並ぶカタルーニャの代表的ビオディナミ生産者としての地位を確立している。

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▲ベーシックなワインが造られる平地の畑。見た目は斜面の畑より悪いが、ここからのワインのゆったりとした味わいが素晴らしい。



 エンポルダは2000ヘクタール超という案外と広いアペラシオンで、北のAlt Empordaと南のBaix Empordaに分かれ、海沿いだけではなく内陸にも広がっている。内陸側は沖積土壌の平地なので、あまり興味が湧かない。やはりバニュルス=コリウールの延長線上にある海沿いのシストの丘陵地帯が良質なワインの産地となるだろう。シストならではの凝集性の強い黒系果実味と上方向に行くリズミカルな酸とキメ細かいタンニンに、潮風の塩味が加わった海岸沿いエンポルダのワインは、グラン・ヴァンとして普遍的な高品質を備えている。カタルーニャワインファンに分かりやすい譬えをするなら、エンポルダは、同じ地質と地形であるプリオラットの海バージョンである。
 バニュルス=コリウールより南なので、より暑いのではないかと思うが、そうでもない。南部エンポルダの西にあるジローナの7月と9月の平均気温は22・9度と19・8度、バニュルスのすぐ近くCap Bearでは23・1度と20・4度である。特にこのワイナリーのあるLa Selva de Marは北向き斜面。冷たく乾燥した北からの海風トラモンターナ(フランスで言うところのミストラル)が直接吹きつける。ワインを飲んでみても、コリウールよりもアルコール度数が低いし、より冷涼な味がする。グルナッシュのpHは完熟しているのに、なんと3.4。だから早摘みせずともフレッシュな味のワインとなる。
 コリウールとエンポルダの推奨品種は当然ながら相当程度重複している。コリウールは白がグルナッシュ・ブラン、グルナッシュ・グリ、マカベオ、トゥルバ、ヴェルメンティーノ、マルサンヌ、ルーサンヌ。赤がグルナッシュ・ノワール、カリニャン、シラー、ムールヴェードルである。エンポルダは(フランス語で言うなら)白がグルナッシュ・ブラン、グルナッシュ・グリ、マカベオ、ミュスカ・アレクサンドリー、赤がグルナッシュとカリニャン。エンポルダは白赤各7つもの補助品種が認められているが、ペネデスと同じく、ボルドー品種やシャルドネやゲヴュルツトラミネールといった、果たしてその品種が合うのかと首をかしげたくなるものも目立つ。この点に関しては、補助品種に至るまでクーノワーズやカリニャン・ブランやサンソー等徹底して地中海品種にこだわるコリウールのほうが正当的だろう。あまりに狭めると多様性と将来の可能性を自ら封じることになるが、あまりに広めると高級ワイン産地としてのアイデンティティが確立できない。
 私はバニュルスの大ファンだが、何度も言うようにコリウールはそれほど好きではない。ある意味、理想のコリウールはエンポルダにある。ペルピニャンでコリウールのセミナーを受けたあとに国境を超えたのは、その理想像を確認するためだ。そもそもここでフランスだスペインだと政治的な区別をするほうがおかしい。バニュルスもエンポルダも元はカタロニアであって、ひとつの文化圏である。
 白ワイン、Vinya Selvade Mer 2017はグルナッシュ・グリ60%とマカベオ40%のブレンド。鉄タンク発酵・熟成。ここでグルナッシュ・ブランがゼロだというのがポイントで、香りの華やぎやフルーティさには欠けるが、そのかわりにアルコール感が抑えられ、逞しく太い構造としっかりした酸を備えた、シリアスな味わいとなる。メインディッシュ用の白ワインにふさわしい骨格を与えるためにはグルナッシュ・グリは極めて重要な役割を果たす品種なので、プリオラットやモンサントでも認可されるべきだと思っている。以前プリオラットで「なぜグリがないのか」と聞いたら、「さあ。そういえばスペインでは聞いたことがないな」。いやいや、エンポルダにあるのだから、もっと意識してもいい。

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▲ティナハの蓋は、ジョージアと同じく粘土を挟んでおかれ、気密性を保つ。



 鉄タンクのみで発酵・熟成されたグルナッシュ単一の赤ワイン、Rucada 2017は、極めてピュアで、塩漬けストロベリーのような、まさに潮風に吹かれたグルナッシュそのものの味がする。色は薄くともミネラル感が濃いために芯がしっかりして余韻が長い。アルコールは14・5%と高めだが、軽やかな酸があるため目立たない。カジュアルな赤ワインとして最高だ。このように力を抜いてストレートに仕上げているからこそ、ビオディナミの威力が感じられる。さもなくば単にシンプルなワインで終わってしまう。「息子もこれが気に入っていると言っていた」と、ダルマウさん。つまり、新世代の味である。

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▲よくある話だが、私は素直な造りの安価なキュヴェのほうが好きだ。右端と左から二番目のワインが素晴らしい。



 鉄タンクで発酵させたのちティナハ(カタルーニャ語ではGerra、ジェラつまりジャー)で8,9カ月熟成させた赤ワイン、Quindals 2014はこのワイナリーの基幹商品と言える傑作。グルナッシュ主体にシラー少量のブレンド。「主人はタンクのブレンドだったが息子が仕込むようになってから畑でのブレンドに変えた」。混醸になったのなら、これからさらによくなるだろう。熟して甘い陶酔的な香りがするのに味わいはビビッドでエネルギー感が横溢し、芯がしっかりしているのに広がり感が素晴らしい。樽熟成だと味の外殻部分のエッジが強調され、たなびくような気配が出にくいものだが、ティナハ熟成は形を保っても輪郭線は見えない。つまり存在から非存在への連続的消失、無限消失点へ向かう遠近法が感じられる。この効果に気づけば、誰もがティナハ熟成に惹かれるのは当然である。
 そのあとだけになおさらなのだが、樽熟成の高価な赤ワイン、Vinya Selva de Mar 2008(グルナッシュ、シラー、カリニャン)は樽の風味とタンニンが邪魔して、エンポルダのテロワールがすっきりと見えてこない。畑の中にあるワイナリーでテイスティングすると、ワインがその場にふさわしい味なのかどうかよく分かる。評価の高いワインだというが、これはオールドスクールの味だ。もう一本樽熟成の高価なワインがあるが、「好きではないことが分かっているから、それは抜栓しないでいいです」と、試飲しなかった。
 遅摘みのグルナッシュを10年のソレラで熟成した甘口赤ワイン、Garnatxa de l'Empordà ESTELA SOLERAは古典的な風格のあるワインだ。「これが有名なエンポルダのガルナッチャ」と胸を張るだけある。アルコールは15.5度と高く、残糖は125グラムあるが、エンポルダらしく軽やかで酸の伸びがよい。バニュルスと異なりこちらは酒精強化ワインではない。この違いは興味深い。酒精強化したほうが年月を経てもパワーが落ちないような気がするし、酒精強化しないほうが素直な味がしてやさしい飲み口だ。カラメルやオレンジピールの香りも穏やかでいい。だがスケールが意外と小さく、余韻もいまひとつ伸びがない。ソレラのあるセラーは「虫を食べてくれる蝙蝠の住処」でもあり、実際小さな蝙蝠が一匹天井からぶら下がっていたが、おかげで樽は蝙蝠の大量の糞で汚れている。個人的には食品衛生上、気になる。

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▲甘口ガルナッチャが熟成される樽。



 マス・エステラの畑の標高は120メートルから380メートル。「安価なワインは収量が多くとれる標高の低い畑から、高いワインは逆に標高の高い畑から」。それは常識的な使い分け、造り分けである。樽の有無、樹齢、ヴィンテージ、ブレンド比率といった変数が多く、同一条件での比較ではないとはいえ、こうして見ると、私が好きなワインは低い標高のブドウから出来ている。そのほうが、よりストレスがなく、より穏やかな、広がりのある、海っぽい味だと思う。標高が高い急斜面になると、ワインの味はどこかプリオラットに近づく。プリオラットとの対称性がエンポルダにとって重要だとするなら、消費者として無条件的無批判的に高い標高のブドウを賛美する癖は改めないといけない。

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▲所有畑の航空写真。フィロキセラ以前のテラスの痕跡が山に残っていることが分かる。昔のエンポルダはメジャーな産地だったのだ。



 それにしても、このような国内外で評価されるワイン、それもルネッサンス・デ・ザペラシオンのワインが日本に輸出されないことに驚く。ワインファン=ビオディナミ支持者と言っても過言ではないほどの国なのに、そしてワインファンの多くがここ数年カタルーニャ、カタルーニャと口では繰り返しているのに、やはり日本では“スペインワイン”の最大の存在意味は安さなのか。小売価格はRucadaで10ユーロ、Quidalsで14.35ユーロ。たぶん多くの人はこれを言語道断の高価格と言うだろう。そして同じ人がフランスの有名産地のワインに200ユーロ出して安いと言う。日本は不思議な国である。

Escoda-Sanahuja (Conca de Barbera, Catalunya)

 子供の日の未明にこれを書いている。たぶん今ごろは日本からワイン関係者が大挙してマドリッドに向かっている頃だろう。Salon de Vinos Naturalesが6日に行われるからである。その主催者は、AVNやS.A.I.N.S.と並んで最近その名をよく耳にするPVN(ナチュラルワイン生産者協会)である。彼らはナチュラルワインとは何かを定義している。それは以下の7項目、
1. CULTIVO respetuoso con el medio
2. Compromiso con el ENTORNO NATURAL.
3. El VITICULTOR es el AUTOR
4. AUTENTICIDAD y SINGULARIDAD
5. NO SE USA ANHÍDRIDO SULFUROSO (SO2)
6. Se DICE LO QUE SE HACE y se hace lo que se dice
7. Compromiso con la ASOCIACIÓN y los Asociados
 つまり、ビオディナミ等の自然な栽培、地球環境への配慮、ワイン生産者の責任の自覚、化学物質不使用、SO2無添加、情報開示義務、協会や関係者へのコミットメント、といったことである。El VITICULTOR es el AUTORという表現が印象的だ。自然と人間の関係について、ユダヤ教やアリストテレスからデカルト、ヘーゲル、そしてシュタイナーに至る西洋思想の中心的視点がそこにさりげなく表出している。日本で同種の協会があるなら、たぶんこの定義は含めないだろう。

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▲ホアン・ラモン・エスコーダさんは相当に濃いキャラクター。あるナチュラルワイン生産者に彼の写真を見せたら、「ああ、クレイジーガイね。有名だよ」と。しかしクレイジーでなければ他の人とは決定的に異なるワインは造れないものだろう。お行儀のよい人、真面目な人は最近多いが、クレイジーな人はそうそういるものではない。


 メンバーのひとりであるEscoda Sanahujaは2003年にビオディナミに移行し、2007年に全ワインをSO2無添加とした、スペインのナチュラルワイン界の先駆的存在であり、現在では巨星と呼べる存在である。当主ホアン・ラモン・エスコーダさんは大声で、「ブドウだけから造るのがワインだ!」と力説する。上記の定義を体現している彼のワインを飲めば、なぜここ数年、多くの人が揃ってカタルーニャ、カタルーニャと連呼し、彼のワインを崇めるのかたちどころに分かる。以前に東京で飲んだ時には、周囲の方々の瞳にまるで1970年代の少女漫画のように星が輝く中、私だけは若干距離を感じていた。正直、よくあるSO2無添加ワインの問題が感じられた。完璧な無添加ワインは完璧だが、自分の身体に吸収されるまでの過程の一部にでも瑕疵があれば、それは白布についた黒虫となる。総面積では百万分の1でも、目につくのは布の部分ではなく虫のほうだ。「木を見て森を見ず」と戒められようとも、虫のついたシーツにくるまることはできない。見る対象ならばあくまで外的だからまだしも、飲む対象はそのまま自分の一部になるからさらに問題である。   
 しかし最近は違うと耳にした。実際に飲んでみて、確かに噂通りだった。以前の灰色の淀みが一掃されていた。今では、ピュアでいて圧倒的なエネルギー感のある、それも正面から押してくるのではなく、暖かい気配がやさしく包み込むような、風格のあるワインだ。一度飲んだら忘れられないだろう。

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▲ワイナリーの中は極めて清潔。こうでなければSO2無添加でこれほどピュアな味わいは不可能だろう。

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▲レストランのワインリスト。日本でもおなじみの名前が並ぶ。


 このワイナリーはレストラン(週末のみ開店)を併設している。その入口バーカウンターで試飲する。エスコーダさんは試飲中とはいえ、グラスにたっぷりと注いで全部一気飲みしてしまう。「そんなに飲むとアル中になるぞ」と言ったが、「大丈夫。自分のワインは身体によい。ワインと音楽がなければ自分は死んだも同然」。そして「音楽を聴きながらのほうがワインはおいしい」と言って、曲をかける。いかにも現代的な淡々としたテクノだ。まさか。「すみません、曲をかけないほうがおいしいんですが」と言うと、「間違えた、セラーの従業員が聴いていた曲がそのまま入っていた」。次はボブ・マーリ―だ。「ああ、最高だ」と、彼はグラスを持ったまま両腕を上げ、踊り始める。レゲエはいい。ワインがさらにダイナミックになるし、太い骨格が生まれる。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、ボブ・マーリーが素晴らしいのは当然としても、アストン・バレットのベースとカールトン・バレットのドラムスによる堅牢でいて大きなうねりを生み出すリズムが圧巻なのだ。
 「僕は宗教には興味がないが」と前置きして、彼は言う、「ラスタファリアリズムは最高の宗教だ」。ボブ・マーリーはこの宗教運動の最大最高の伝道師である。ラスタファリアリズムは黒人解放運動、アフリカ独立運動等々と結びついていたのだから、白人である彼とは関係がないように思える。ラスタファリアリズムの重要な点は、聖書の文言を遵守することによる、自然回帰の態度である。化学薬品や添加物は拒絶し、自然が直接与えてくれるもの以外は食べない。基本的にヴェジタリアンだが、例えばそれは旧約聖書箴言の「15:15悩んでいる者の日々はことごとくつらく、心の楽しい人は常に宴会をもつ。15:16少しの物を所有して主を恐れるのは、多くの宝をもって苦労するのにまさる。15:17野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。15:18憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者は争いをとどめる」といった教えに従うからである。ラスタファリアンといえば独特の髪型ドレッドロックスを思い浮かべるが、それもまた旧約聖書士師記の、かの有名なサムソンの逸話の箇所、「13:3主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。 13:4それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。 13:5あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」といった教えに従うからである。イスラエルを救う覚悟があるものは、ゆえに長髪なのであり、エスコーダさんも長髪である。 
 続けて彼は、「ガンジャは身体に悪いものではない、自然の草だ、化学合成麻薬と一緒にしてはいけない。それらは最悪だ」と。「一本いいか」と言うので、「どうぞ」とは言ったが、ここでガンジャが出てきたらどうしようかと内心びくびくした。しかしそれは普通のたばこだった。ガンジャは彼の言うとおり神が人間に与えた草のひとつだとしても、エスコーダさんのワインを理解するためにはガンジャが必要だなどとは私は絶対に言わないので誤解なきよう。ともかくラスタファリアリズムを信奉するナチュラルワインファンにとっては、現在のワイン界がバビロンであり、ワインファンはバビロン捕囚の民であり、シオンの都を再興しなければならない、というのは共通した認識であろう。ハイレ・セラシエ1世とはなんの関係もない日本では、Jahとは誰を指すのか、エルサレム神殿の等価物は何か、といった議論がしっかりなされないと、表層的な体制批判や、単なるSO2無添加志向に終わってしまうのではないかと危惧する。エスコーダさんが来日してのセミナー等では、ラスタファリアリズムとワインの関係性についてファンのあいだでディスカッションが行われることを期待したい。ボブ・マーリーの歌の歌詞でもお分かりのとおり、ラスタファリアリズムでは「我々」という言葉はなく、「I and I」と言う。素晴らしい概念である。責任回避的な「我々」ではなく、ひとりひとりが、間違った神殿の柱を倒すサムソンとなる覚悟でワインと向きあう必要がある。そのような真摯な意識がなければ、エスコーダさんのワインはあまりに口あたりがよく、あまりに心地よいため、聖書が禁じるようなただの酔っ払いになる可能性はむしろ高く、エルサレム神殿の再建など夢のまた夢であろう。
 次に彼がかけたのはピンク・フロイドだった。『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』である。これもまたワインをおいしくする。「ライブ・アット・ポンペイを見たか?」と聞くので、「当然でしょう!あれは歴史的な傑作です」。「この前ロジャー・ウォータースのライブがあったから息子を連れていった」。「それはいいですね。次世代に引き継いでください」。デイヴィッド・ギルモアの“泣きのギター”のところで彼は大いに盛り上がる。なるほど、彼は相当なロマンチストなのだ。私はあの“泣き”がアクセント程度だった初期から『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』までは好きなのだが、『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』以降はうざい、またロジャー・ウォータースの紋切り型の左翼思想的歌詞(『ザ・ウォール』とか)はあえて説教されずとも分かる、個人的にはリーダー、シド・バレットが在籍中ないしその影響が強かった、より非言語的な時代(映画『モア』とか)のほうが、技術的にはへたくそながら、よかった、と思っている。話が脱線してしまった。ともかくピンク・フロイド談義をしていると、彼のロマンチストぶりが分かっておもしろい。
 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとピンク・フロイドをこうして続けて聴くと、両者の共通点に気づく。つまり、ボブ・マーリ―の甘ったるい声とバレット兄弟の堅牢な骨格、デイヴィッド・ギルモアの感傷性とロジャー・ウォータースの論理性ないし建築学校出身バンドらしい構築性、という対比構造である。それは実際、エスコーダさんのワインにも感じられるものだ。こういった点に気づくためには、やはりこうしてはるばるコンカ・デ・バルベラまで来る必要があったのだ。それにしても、私は1970年代半ばのボブ・マーリー最盛期と1973年の『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』をぎりぎり同時代的に覚えているが、彼は50歳だ。当時まだ幼稚園生ではないか。あとから発見したということか。
 この評価軸からすると、彼自身が「酸が素晴らしい」と言うシュナン・ブランの白ワインEls Bassots2016の意味も分かる。シトー派っぽい味のするシュナン・ブラン(クーレ・ド・セランはシトー派修道院の畑だった)は飲んでも楽しくなれないものだが、彼のワインはフルーツそのものの快楽性が同時に備わっている。それでもこの品種らしいぶれない酸と硬質なミネラルがある。このバランスが大事なのだ。「昔は1、2カ月スキンコンタクトした。今は10から12日間のみ。そして7,8カ月ティナハ熟成」。それは正しい方向性だと思う。陽と陰、上と下、光と闇の中点をしっかり押さえることができている。パレリャーダ、マカベオ、ガルナッチャ・ブランコを一週間醸したMas del Gaioはアルコール11度しかない。しかし風味は熟して、外は軽やかだが中は深くて複雑だ。「より地中海的で飲みやすいワイン」と言っていた。

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▲驚異的なおいしさ。これは「うちのレストランで全部売ってしまおうかな」と言う。残糖ありで無濾過・SO2無添加なら、輸出は難しいだろう。



 白もいいとはいえ若干真面目で行儀がよすぎるように思え、黒ブドウのワインのほうが私は好きだ。明らかに私はエスコーダさんより不真面目な人間なのだろう。赤のほうが(このワイナリーに限った話ではないが)、より深みがあって、複雑で、なおかつ色気がある。例えばメルロ、ガルナッチャ、カリニャンを混醸して1週間スキンコンタクトしたロゼ、Nos del Gegant2017。28グラムの残糖があるため「たぶんそのうちスパークリングワインになるだろう」。タンニンと甘さと酸の完全な調和による透明感を、これほどの凝縮度と力強さの中で実現するおそるべきワイン。2016年を最後に畑での銅の使用をやめたからだろうか、ワインは前年よりはるかに伸びやかで厚みがある。
 2017年は暑かったからか、カリニャン60%とグルナッシュ40%の混醸赤ワインLes Paradetesにも6グラムの残糖がある。ゆったりしたスケール感とやさしい色気が素晴らしい。衝撃的な傑作はカベルネ・フランとパレリャーダの混醸Coll del Sabater2017。カベルネ・フランの収穫時の潜在アルコール度数は16度、パレリャーダは10度。「アルコールが高いワインは好きではないし、カベルネ・フランが16度ではどうしようかと悩んでいて、アルコールが低いパレリャーダと混ぜればよいと思いついた」。普通ならアルコール度数を恐れて未熟な時点で収穫し、よくある青臭いカベルネ・フランを作ってしまいそうなものだ。完熟したカベルネ・フランは本当にすごい。この品種ならではの垂直性や高貴さと甘美さにパレリャーダの抜けのよさや酸が加わり、とてつもなく巨大でいて緻密で、エネルギーに溢れるワインが出来上がった。このようなワインは一期一会だろう。皆、もっと黒ブドウと白ブドウを混醸すべきなのだ。このワインはタンクの中から瓶に手詰めして分けてもらった。ボトリングマシーンを通すより手詰めしたもらったほうがストレスがかからないのでおいしい。あれこれ機械を使うとワインはどんどんまずくなる。そしてスモイ・ネグラとメルロの混醸Mas del Gagant2017。発酵たったの3日から5日のみの赤ワイン。お茶に譬えるなら、質の悪い茶葉を長時間抽出したものが一般的な赤ワインなら、これは最上の茶葉を沢山使ってさらっと抽出したようなもの。私もずっと言っているではないか。濃いロゼみたいな赤ワインが最高なのだ、と。濃いものを薄く作るからいいのであって、薄いものを濃く作るのは最悪だ。短時間発酵マセラシオンの赤の桁外れにビビッドな生命力を経験すると、よくある赤ワインはいったいなにをやっているのだろうと呆れることになる。

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▲昔のティナハのほうが土のキメが粗く、いろいろな粒が混じっていて、叩くとより締まった音がする。



 セラーを見ると、ティナハが並んでいる。どこでも見かけるラ・マンチャ産のティナハの横には色の濃い甕がいくつか。「大きいものは110年前、小さいものはギリシャで300年前に作られた。現代のものよりずっといい」。近くで見てみると、いろいろな小さな石が粘土に含まれている。石灰のかけらだろうか。実はジョージアのクヴェヴリも近くで見るとそうなのだ。叩いてみると、昔の甕は重厚な音が響く。Mas del Gaioは300年前の甕、ロゼは110年前の甕で発酵される。セラーは極めて清潔で、エスコーダさんの一見豪放磊落でいい加減そうな雰囲気とはまったく別物。クリーンなSO2無添加ワインを造るに前提はセラーを清潔に保つことだと思う。

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▲キッチンで見かけたおもちゃ。


 レストランのキッチンを見てみると、寿司職人のおもちゃがある。寿司が好きなようだ。「7月末にナチュラルワインのイベントがうちで行われるが、そのあとのパーティには日本からミシュラン三ツ星の職人を含む4人の男性寿司職人と2人の女性寿司職人が来て、500人の参加者のために料理をふるまってくれる」と言っていた。「女性の寿司職人ですか?東京ではほとんどいないと思います」。「よく分からないけれど、田舎から来るのかな」。彼がよく分からないなら、招聘しているのは誰か別の人なのだろう。ともかくも彼のワインは日本に数多くのファンがいる(彼も、日本でよく売れている、と言っていた)から、三ツ星シェフであれ誰であれ、エスコーダさんの店でのパーティならば喜んで手伝うに違いない。日本からの参加者も多いだろう。日にちは7月27日だという。皆さんもコンカ・デ・バルベラに集合されてはいかがだろうか。

Succes Vinicola (Conca de Barbera, Catalunya)

 2011年に若干20歳のMariona VendrellとAlbert Canelaによって創業された新しいワイナリー。以前は他のワイナリーと設備をシェアしていたが、現在のピラ村のインダストリアル・センターの一棟に移ったのは2016年である。ちなみにその建物は、写真のとおり、インダストリアル・センターと呼ばれるだけあって到底ワイナリーには見えない。番地表示も看板もない。相当迷ってたどり着いた。もし行かれることがあるなら、ピラ協同組合の斜め前だ。

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▲これがワイナリーだとは気づかない。最近はコンカ・デ・バルベラが人気なので、この周辺を訪れる日本人は多いと思うが、ここも是非立ち寄ってみることをお勧めする。



 マリオナさんによれば、コンカ・デ・バルベラはカタルーニャで最も涼しいDOだと言う。標高は350から600メートル。年間降水量は450から550ミリと、北隣のコステルス・デル・セグラと比べれば多く、なおかつ夏から秋にかけての雨が目立つ。土壌は基本的には三つに分かれ、石灰岩、砂利、シストである。すっきりしっとり型のワインが出来る土地であり、優れたパレリャーダ、またこの地だけに植えられているロゼ・カバ用の地場品...種トレパットの産地として、カバ生産者への原料供給地として知られている。
 地球温暖化によって、また“ロバート・パーカー”的なるもの(あくまでカッコつきの比喩表現だと思うが)の反対を好む最近の嗜好によって、コンカ・デ・バルベラが注目を集めている状況は、日本で普通に暮らしているだけでも伝ってくるはずだ。スペインワインといってリオハの味を条件反射的に思い浮かべる人にとっては、熟成リオハと対極的な味の産地がコンカ・デ・バルベラだと考えれば分かりやすいだろう。

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▲オーナーのマリオナさんとアルベルトさん。



 パレリャーダがまさにそうだ。カバ基本3品種の中で酸やエレガンスを担当する、実体感のない、さらっとした味の品種だ。アルベルトさんも「水みたいな品種」だと言う。だから栽培の質が悪いと本当に水みたいになってしまう。サクセス・ビニコラは、単なるカバの原料でしかなかったパレリャーダのポテンシャルを見抜き、自らの出身地であるこの地をまっとうなワイン産地として認めさせるべく、この品種で高品質スティルワインを造った嚆矢である。ブドウはアルベルトさんの父親から買う。だから法的な定義はともかく、実質的には自社畑であり、栽培は認証はないもののオーガニックだという。収量も低いためミネラル感が濃縮され、ただの水ではなく上質な湧き水のような繊細で複雑なおいしさがある。

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▲古木のパレリャーダの畑。地球温暖化によって高いアルコールが問題となる中、熟しても糖度が上がらないパレリャーダは世界的にもっと注目されていい。



 それがParellada Experienciaだ。畑は石灰岩土壌と砂利質土壌のふたつのブレンド。半分は25日間醸し発酵。しかし“オレンジワイン”には見えないし、そういう味もしない。それだけ色素がなく、タンニンもない、つまり水のような品種だということがよく分かる。こうした特徴の品種だとMLFなしですっきり感を強めそうなものだが、ここではMLFを行い、味の安定感を出している。またMLFのおかげでSO2添加もたった20ミリグラムと少ない。パレリャーダをカバの補助的役割の品種と捉えていた人にとって、このワインの登場はどれだけ衝撃的だったことか。これはコンカ・デ・バルベラのみならずカタルーニャにとって重要な位置にある白ワインだと思う。SO2無添加で砂利質の畑のみからできるEl Pedregal(石、の意味)は、野心的な試みは評価するものの、前者よりもシンプルで味の下支えがない。バルセロナのおしゃれな店では売れるようだが。
 このワイナリーに来た第一の目的はトレパット品種のロゼと赤だ。トレパットはアリカンテ・ブーシェ等と同じ、果皮のみならず果肉も赤い、タントゥリエ品種。「果皮の色は薄いが果肉の色が濃い」というから、相当な変わり種である。彼らはこの品種から、ロゼのPatxanga、樽なしのLa Caca de Llum、樽熟成のEl Mentiderを造る。


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▲若々しいセンスを感じさせるラベルデザイン。ワインの味わいはラベルよりずっとシリアスなものだが。


 El Mentiderは樹齢80年から115年の古木のブドウを用い、9カ月樽熟成させた、アルコール度数14度の力強いタイプ。しかしこれは古木の悪い面が出て、味が暗く、スパイシーであるが同時に泥臭く、重心が下で伸びがなく、樽のなじみが悪い。トレパットらしくないということでは知的な興味がわくワインだし、このコンカ・デ・バルベラにしかない品種(総栽培面積は1000ヘクタールだという)を他の一般的な黒ブドウと同じように扱ってフルボディの一般受けする赤ワインを造ったという意味で画期的ではあったと思うが、品種じたいが求めている方向性を無理やり捻じ曲げているように感じてしまう。「でもこれが高く評価されるのですよ」とマリオナさんが言うから、「そんなに樽が好きならコンカ・デ・バルベラを飲まずにリオハを飲めばいい」と答えた。この方向性をさらに強めたワインが、カベルネ・ソーヴィニヨン50%とトレパット50%を樽熟成した、アルコール度数14.5度のFeedback。正体不明のよくある“スペインワイン”な感じ。ないし昔懐かしいペネデスを思い出させる味。それは最大限オブラートにくるんだ表現だが。「他とは全然違う方向性で、サクセス・ビニコラとしてのブランド・アイダンティティにマイナスだと思う」と言うと、「こういう樽っぽくてパワフルな赤ワインが好きな人はけっこう多いのですよ」。「パワフルなワインが好きならリベラ・デル・デュエロを飲め、ですよ。なぜワインの品質に対する評価軸を多元化できないのでしょうね。それはあなたにも責任があります。コンカ・デ・バルベラとは何か、サクセス・ビニコラは何を目指しているか、というメッセージを明確に伝えきれていないからです。スペイン国内でそういう状況なら外国ではもっと大変でしょう」。「それに、アルベルトのお父さんがこれが好きなんです。彼の畑ですからね、彼の好きなワインも造らないと」。「ああ、それはしかたない。親孝行は大事です」。
 その点La Caca de Llumは、いかにもトレパットらしいくっきりして軽やかなタンニン、しっかりした酸、なめらかな質感、ブラッドオレンジと赤系果実とスパイスとミントのブライトな香りを備えた、ピュアでいて完成度の高いワインである。生産者自身もこれが好きだと言っていた。ワイン名は蛍の意味で、確かに夏の夜にふさわしい味わいだ。
 このような方向性の品種だから、ロゼのPatxangaが素晴らしいのは当然だ。「パチャンガは夏のパーティの時の歌のこと。例えば『恋のマカレナ』みたいな」。懐かしい名前だ。1996年ビルボード14週連続一位という驚異の大ヒット曲だから、ある年齢以上の方なら鮮明に覚えているだろう。これも正しい命名で、踊りたくなるような明るいブラッドオレンジやカンパリのような香りとリズミカルな味わい。軽快な縦方向の動きがあり、重心が上で、くっきりした酸が心地よく、余韻は溌剌として長い。カジュアルだがぺたっとしたダルい味、ユルい味ではない。つまり、トレパットは高貴品種なのだ。これからますます評価が高まるだろう。

La Gravera (Costers del Segre, Catalunya)

 デメテール認証ビオディナミワイナリー、ラ・グラベラの混植混醸、ラ・ペル。ひとことで言って、偉大なワインである。このワインは1166年創立のシトー派Las Avellanas修道院の麓、0・95ヘクタールの畑から生まれる。1889年に植えられた品種は24種類。そのうち10種類の黒ブドウから赤ワインが、残り14種類の白ブドウから白ワインが造られる。


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▲周囲にはブドウ畑がない野原の中に忽然と姿をあらわす古木のブドウ。
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▲ラベルデザインはワイナリーデザインと同じくかっこいい。ワイナリー名にちなんだ砂利のモチーフが円で表現されている。



 今回その赤ワインをテイスティングさせていただいた。色は薄く、一見淡々としているようでいて、その奥には驚異的なディティールが絹織物のように組み合わさり、ハリがあってしなやかで、空気をはらみつつたなびいているかのような軽快な動きがある。混植混醸ワインならではの特質として、特定品種の個性が突出することもなく、複雑と言っても幼稚園のブロックのようにおおまかな原色の要素の組み合わせでもない、分析を拒絶する自然な一体感。なぜこのようなワインが日本には輸入されないのだろう(輸入されているのはベーシックなものだけ、それも極少量)。...スペインワインとしては高価かも知れないが、それでもコート・ド・ニュイの村名ワインと同じぐらいだ。日本は何万種類のブルゴーニュワインであふれているというのに。ワインファンは年間数千本のワインを飲んでいるだろう。ワインのことは知り尽くしていると感じているかも知れない。しかしまだこのようなワインが発見されないまま残っているのだ。

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▲カラー・コーディネートされた、スタイリッシュなワイナリー。一見、大手の工業系ワイナリーかと思うが、実に真面目なビオディナミ。想像できるとおり、ワインはよくあるヒッピー・ビオと異なり、安定してクリーン。このセンスが素晴らしい。

 ワイナリーはDO南西部、サブゾーンSegriaにある。インダストリアル・ゾーンの中に、他の会社と並んで建っている。ヒッピー・ビオディナミな雰囲気ではない。中に入り、社長のSergi Garciaさんを待つあいだに周囲を見わたすと、ずいぶんとコンテンポラリーでインダストリアルな内装だ。しかし徹底的にアーティスティック。このセンスはただものではない。さすが世界の美意識のリーダー、カタルーニャだ。
 メインとなる畑は砂利採掘場(=ラ・グラヴェラ)跡地だ。当然、土壌は砂利質。コステルス・デル・セグレは年間降水量が400ミリ程度しかないが、灌漑はしていない。周りを高い土塁で囲まれたくぼ地。保水性はよさそうだ。外界とは隔絶されている空間であり、周囲で使用される農薬の影響は受けない。羊を放って雑草を食べさせる。ビオディナミ調剤の原料となるハーブ類は畑の中で栽培される。内部での循環的物質・エネルギー交換を行う独立生態系としてのビオディナミ農園という思想をきちんと体現しようと努力している。ビオディナミはただ調剤を撒いただけでは実現できないのだ。

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▲砂利採石場跡を畑にしているため、周囲から一段掘り下げてある土地。この閉鎖性がビオディナミにとっては理想的だ。雑草は羊に食べさせるが、このような地形ゆえ羊が逃げることもない。



 Garciaさんによれば、ビオディナミにしてからアルコール度数は1度下がり、pHも下がって、ガルナッチャでさえ3・5。もちろん早摘みしたからではなくワインの味は熟している。ラングドック・ルーションで3.8といった数値になじんでいると、驚異的な効果に思える。オーガニックやビオディナミ栽培の問題として銅と硫黄の散布への依存が言われるが、ここではハーブの組み合わせによってべと病を抑止し、なんと銅の使用は全廃。うどん粉病対策の硫黄さえもあまり使わないという。ワインに対するSO2添加も極小。SO2無添加のガルナッチャの赤ワイン、Lagravera Tintoを飲んでみても極めてピュア。言われなければ無添加だとさえ思わないほど。ブドウじたいにパワーがあるとしか言えない。
 混植混醸ワイン、ラ・ペルに話を戻す。このワインはスペイン産のアンフォラであるティナハで発酵・熟成される。それだけの話なら、最近は珍しいことではない。むしろ流行りである。流行りすぎて、ティナハの使用それ自体が目的化する倒錯に陥っている。「みんな使っているから自分も実験するために買ってみた」と、新しいおもちゃを手に入れた子供のように楽しそうに話す生産者は多い。まずティナハがあって、そこから実験するのでは話の前後が逆である。まず長年の問題意識があり、問題解決のための刻苦奮闘があり、たどり着いた解決としてティナハがなければいけない。グラヴナーの1990年代の苦闘があってはじめて21世紀にアンフォラという光明が見えるのだ。ティナハやクヴェヴリといった陶製の甕はなんのために使うのか。コンヴェンショナルな答えは、1、樽の香りをつけずにニュートラルだから。2、多孔性で適度な酸素透過性があるから。それはそれで正しいだろう(私はこの世にニュートラルなものなど存在しないと思うが)。しかしそこには甕のもつ象徴性・哲学性への視点が欠けている。言うまでもなくそれは大地とワインとの接点確保である。それを忘れたら、同じく“ニュートラル”と呼ばれるステンレスタンクを使い、適度な酸素を供給するミクロ・オキシジナシオン器具を用いるのと何が違うというのか。

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▲あちこちの産地のティナハ。左から二番目のつやつやしたティナハが地元の土を使い、外側に蜂蜜を塗ったもの。今まで見た甕の中でもこれはベストのひとつ。



 ティナハはカスティージャ・ラ・マンチャ、カセレス、コルドバ州といったスペイン各地で作られる。しかしカタルーニャからは遠い。大地との関係性が希薄になる。それら代表的産地のティナハで実験してみても結果はいまひとつ。そこでラ・グラベラでは地元から遠くない窯元に特別にワイン醸造用ティナハを注文し、その原料粘土に自分自身の畑の粘土を混ぜてもらった。さらには窯から出してまだ熱いティナハの外側に自分の畑にある蜂の巣箱から採取したハチミツを塗った。ご存知の通り、ジョージアでは使用前に熱したクヴェヴリの内側に蜜蝋を塗る。殺菌のためと酸素透過性を適度に制限するためである。しかし「内側に塗ったらワインに味が移ってしまうから、外側に塗った」。酸素透過性低減効果は内側でも外側でも同じだろう。これは、しっかりとジョージアの伝統的クヴェヴリ発酵を学び、それを自分のワイン造りへと応用した、天才的なアイデアだ。しかしなぜハチミツか。ハチミツは花のエッセンスだ。花のエッセンスは花のエネルギー、すなわち上方垂直性をもつ。土のエネルギーは逆に下方垂直性へと向かう。花なき土は重くて暗い味になる。甕発酵ワインの多くがそういう傾向である理由のひとつは、土の要素ばかりで花の要素がないことである。言うまでもなく、この特別なティナハはコマーシャルなティナハより優れた結果をワインにもたらした。それはラ・ペルを飲めばたちどころに理解されるであろう。

Castell d'Encus ( Costers del Segra, Catalunya )

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▲山の上に建つカステル・デンクスの外観

ブドウ畑とワインのあいだにどれだけ密接な関係性を確保できるか。それが21世紀に入ってから大きく注目されるようになったクヴェヴリ発酵のもつ意味のひとつである。土で甕を作ってそこでワインを発酵すれば、土を介在としてワインは故郷に結び付けられる。ワインはそのもととなったブドウの記憶の家から離れることはない。ジョージアのワインは“土”のワインである。畑の中に巨岩が露出しているのを見たことはない。
 数千年のワイン造りをもつイスラエルで、畑の中の岩をくりぬいた足踏み圧搾槽と発酵槽の遺構を見た。これもまた、畑・ブドウ・ワインの一体性を約束する方法である。畑に好都合な硬質の岩が露出しているような“岩”のワインであるならば、の話ではあるが、むしろ理屈としては、クヴェヴリ以上に直接的なコンタクトがある理想的な方法だと言える。マタイによる福音書21章33節で、イエス・キリスト自身が彼の時代のワイン造りを語っている。「もう一つの譬(たとえ)を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた」(日本聖書協会)。忘れてはいけないが、イエスの言うワインは、ブドウ畑の中の岩の穴で発酵させられたものである。

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▲この石桶だけは周囲の石積みから見て建物の中にあり、特別のワインを造るための設備だったのではないかと言われている。

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▲この石桶は構造的に見て最も使いやすく、進化のあとが見られ、他よりのちの時代に造られたのではないかという。

 このイスラエル型ワイン醸造設備の遺構はカタルーニャにいくつか‘残る。カステル・デンクスは、12世紀から18世紀まで僧侶が住んでいたキリスト教修道院兼病院跡に建つワイナリーであり、総生産量の半分ほどは、当時彼らが使用していた岩をくりぬいた設備で発酵されている。イスラエルにも岩発酵ワインはあれど私は飲んだことがなく、今回が初めての体験となる。そのために来たようなものだ。ワインに興味があるなら、歴史的な観点からして、絶対に飲まねばならない作品である。ちなみに穴は8つあるが、ふたつは形状からして食物貯蔵庫だろう。発酵槽ならば圧搾槽がその上にあって両者をつなぐ穴が開いていなければならないからである。

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▲現代の仕込みのもようをビデオで見た。

 カタルーニャ州リェイダ県全域に広がる、正直言って正体不明なDO、コステルス・デル・セグラ。このワイナリーは、7つあるサブ・リージョンのうち最北となるPallarsに位置し、ピレネーの麓の高地、標高1000メートルのところに建てられている。23ヘクタールの畑は標高850メートルから1300メートルまで広がっている。訪問するのは大変だ。場所が分からないし、未舗装の山道を登るしかない。誰かに連れていってもらえるわけでもなく、途中何度も電話で道を尋ねてたどり着いた。
 冷涼気候のスペインワインということで人気のようだ。トーレス社の醸造責任者を長年務めたラウル・ボベが2001年に自らのワイナリーを立ち上げるにあたって考えたことは、地球温暖化対策。標高の低く温暖なペネデスでカベルネ等フランス品種のワインを造っていたのだから、彼が抱えていた問題は容易に想像がつく。将来ますます温暖化が進展するなら、買うべき土地は北の高地であるという結論は至極自然だ。
 とはいえ、高い標高は低い気温という利点だけをもたらしてくれたわけではなく、霜害による収量の低下と夏の過大な水分ストレスという問題点も引き起こした。それはあまり予想していなかったようだ。もともとコステル・デル・セグレは雨が少ないが、ここ何年かは特に夏の渇水がひどく、昨2017年にはしかたなく灌漑パイプを設置することとなった。2018年は今まで大変に雨が多いのでまだ使用していないが、夏になればどうか。灌漑用水ははるか眼下の私企業が所有する貯水池から引き上げてくる。ワイナリーでは初となる画期的地熱発電によって使用電気をまかなっているから電気代は安くつくにしても、水代は高そうだ。

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▲カステル・デンクスの場所は向こうに見える山の切れ目を通って進軍してきたサラセンと対峙するキリスト教陣営の最前線だったらしい。

 コステルス・デル・セグラのブドウ品種は、このDOのホームページによれば29もある(しかしこのワイナリーが使用しているセミヨンの記載はななかった)。ピノ・ノワールやシュナン・ブランのような北系品種からグルナッシュやカリニャンのような南系品種まで幅広い。カステル・デンクスは最も冷涼な畑だから、リースリングやピノ・ノワールも植えられ、これらのワインの評価が高い。特にバルセロナのレストラン(ここのワインは極小生産量かつ相当に高価だから高級レストランしか扱えないだろう)ではリースリングの需要が大変に高く、造るそばから飛ぶように売れてしまうという。ここは石灰質砂岩のテロワールだから、味はファルツにも似るし、アルザスにも似る。
 以下、案内してくださった新顔のアシスタントワインメーカー、Carlos Pereda Bertranさんと、リースリングのワイン、EKAM2017をテイスティングしながらの会話。
CPB「本当はリースリングはもう少し熟成させてからリリースしなければいけないのは分かっているのだが、とにかくお客さんから早く売ってくれと催促されるので、しかたなくもう2017年を売っている。スペインでも海外でも評価が高い」。
KT「リースリングはいま人気で、かっこいいとされていますからね。スペインのリースリングは選択肢がないし、これに皆が飛びつくのも分かります。しかし世界のリースリングの中で見れば、私としてはそれほど熱中できない。標高が高いから当然なのだけれど、下方垂直性に欠けているから。下方垂直性は自分にとってはリースリングに要求したい重要な特徴ですから」。
CPB「リースリング90%にアルバリーニョ10%のブレンドです」。
KT「なぜそんなことをするのです!リースリングとブレンドしてさらにワインがおいしくなる品種はほとんどないはず」。
CPB「リースリングとアルバリーニョは想像以上に似ている味の品種ですよ」。
KT「ええ、それは分かる。タイトで直線的な味です。しかしそれでも私は反対ですね。リースリングはリースリングだけのほうがいい。アルバリーニョにはリースリングほどの陰影感とディメンジョンがあるとは思えない」。
CPB「まあリースリングのほうが確かに複雑な味でしょうね」。
KT「分かっているなら混ぜてはいけない。ところで2017年は暖かったからかも知れないけれど、案外フルーティです」。
CPB「以前よりほんの少し酸度を下げたのです。早く出荷しなければいけないし、お客さんから酸っぱすぎると文句を言われるので」。
KT「バカヤローですね。酸が嫌いならリースリングを飲むな、ですよ!」。
CPB「知識がある人ばかりならそれでいいんですけれど、スペインではリースリングがどういうワインだか知らない人が多いのです」。
KT「知らなくて買うのですか。お客さんはそれなりの高級店ばかりでしょう?それでその程度のレベルとはがっかりです。結局スペインのリースリングが珍しいから、国際的な評価が高いから、このワインを買うのですね。不純な動機です。せっかくこんなに素晴らしいポテンシャルのあるリースリングを造っているというのに。ああいやだいやだ、私は怒りが収まりませんね。リースリングに対する侮辱です!」。
CPB「しかたないです。ビジネスですから」。
その点、微甘口のEKAM Essence 2013は、若干シンプルだとはいえ味が整っており、いかにもリースリングらしい気品も辛口より感じられた。ただ、高い。絶対的な価格対品質で見るものではなく、やはり希少性価値を含めて評価すべきだろう。カステル・デンクスの日本での高価格も、こちらで卸価格を聞いて納得した。
 私が好きな白は、ソーヴィニヨン・ブラン主体にセミヨンをブレンドし、樽とステンレスタンクのふたつの方法で発酵熟成したTALEIA2015だ。これは重心が中央から下にあり、安定して、垂直性も素晴らしく、何よりパワー感、複雑性、そして余韻の長さがEKAMより段違いに優れている。いかにも2015年らしい完熟感。アルコール度数は13.5度ある。ところがこれはいまひとつの人気で、ワイナリーとしては「パワフルすぎて例外的」らしい。2016年はアルコール度数が12度しかなく、そちらのほうがエレガントで、望んでいる方向性の味なのだという。私はご存知のとおり、未熟な味のワインが好きではないので、この2015年のバランスで完璧だと思っている。
 TALEIAと同じ造りでSO2無添加のワインが、-SO2。バルセロナの自然派ワイン好きの店で受けそうな、いかにもな無添加味。「繊細さを求めている」と言うが、私には味の抑揚がなく水平的で余韻が短く、SO2無添加の問題点が感じられてしまうワインだ。
 上記と同じくソーヴィニヨン・セミヨンのワインをメソッド・アンセストラル製法によってスパークリングとしたTAIKA2013は、泡によってミネラル感がさらに強められ、躍動感を増したかのような傑作。アンセストラルゆえにブドウは完熟しており、味わいには厚みがあって骨格も堅牢。カタルーニャの泡=カバだけではない新たな可能性を感じさせるワインであり、サブゾーンPallarsは将来スパークリングワインの銘醸地になるかと思わせる。
 世評の高いピノ・ノワール、ACUSP2015は、一部岩発酵。これは青臭く、重心がとても上で垂直性が乏しく、立体感が弱く、若干泥臭く、タンニンが粗く、酸が強く固い。ようするに熟していない味のワイン。大昔のドイツのピノやイギリスのピノが好きならばいいが、「皆これをスペイン最高のピノだと評価しますよ」と言われても、「では他のピノが悪すぎるのでしょう」としか答えられない。「エレガント」とは思えないし、ピノ・ノワールの理想とも遠い。「緊張感とセクシーさが入り混じり、崇高さと妖しさを同時に見せてくれるのが最上のピノ・ノワールだと思う。このワインはセクシーではない」。最近のワイン用語では、薄くて未熟なことをエレガントと呼ぶようだ。ブルゴーニュでさえそうだ。言葉の定義は人それぞれでいいが、私は薄くて未熟なものは薄くて未熟だと呼ぶ。
 「ならばあなたはこのシラー、THALARN2014は気に入ると思う。これはセクシー」と出していただいたが、「いや、これは裏表がないシンプルなワイン。おいしいとは思いますが、値段を考えると、もう少し複雑で気品があって余韻が長くていいはず」。チャーミングだが小学生を見ているかのよう。樹齢が低いということか。ピノであれシラーであれ、腰が安定せずに上半身のほうが下半身より大きいのは、典型的な高地ワインの特徴。標高1500mとかのアルゼンチンのシャルドネも同じだ。下半身をどうやってしっかりさせるか考えないといけない。本来ならばここではヴィオニエやルーサンヌの出番(最も暑い区画に植えれば)だと思う。Photo_10
▲岩発酵ワイン以外は、この清潔なセラーで発酵。


 最後に、待ち望んでいたワイン、全量岩発酵のボルドー・ブレンド(カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルド、メルロ)、QUEST2014。これはすごい。香りはこのヴィンテージらしくハーブっぽいが、いやな青さではなく、伸びやかで清冽。重心は真ん中にあり、明確に垂直的で、極めてタイトな構造を持っていながら、その周囲に大きく気配を広げる。ダイナミズム、マチエールの厚み、余韻の長さと幅、複雑さ、気品、そのすべてが今までのワインとは別次元だ。いや、今までのワインと比較する必要などなく、世界中のどんなワインと肩を並べても見劣りしない個性的でいて普遍的な品質。岩発酵おそるべし。こんなワインに出会えてうれしい。

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▲誰もが一度は飲むべきワイン、クエスト。


 ところが一番不人気なワインがQUESTなのだという。そもそもこのワイナリーへの中心的な関心事は、岩発酵ではないのだろうか。唯一の完全岩発酵であり、私にとっては他と比較しようもないほど優れているワインであるこのQUESTがなぜ売れないのか。これを見て分かるとおり、私の味覚は世の中の嗜好からはずいぶんと逸脱している。それでも、カステル・デンクスが未来への視点と伝統への立脚を併せ持つ尊敬すべきワイナリーであるという認識に関しては、世の中の誰とも私が異なることはない。世界中のワイナリーは、この岩発酵を「商売人のあざといメディア受け戦略」などと見なさず(実際にそう言って否定した生産者がいた)、少なくともその歴史的な意味について真面目に考えるべきだ。ここからの豊穣な学びの機会を自ら失う必要はない。

 

 

2018.07.14

ヴィーニョ・ヴェルデ・テイスティング・ディナー

 数年前まではヴィーニョ・ヴェルデは書籍の上でしか知らなかった。今では少なくともプロのあいだではヴィーニョ・ヴェルデは基本アイテムのひとつだ。2014年の対日輸出量170702リットル、金額398112ユーロに対して、2017年は315664リットル、822424ユーロ。ヨーロッパから日本への輸出が全体として水平飛行か下降気味なのに対して、4年で二倍という伸びはすごい。いま最も人気沸騰のワインは何か、と問われたら、多くの人がヴィーニョ・ヴェルデと答えるだろう。

 なぜそんなに人気なのか、分からない。周囲からは絶賛の声しか聞こえないのでここ何年か試飲会にはできるだけ参加して100本ほどの少数とはいえヴィーニョ・ヴェルデを飲んでみた。ロゼや赤はなかなかおもしろいとは思ったが、忘我陶酔の境地には至らず、白に至っては、普通によくできたワインであるという事実以上は分からなかった。

 

だから赤坂の和食店『茜坂』でのヴィーニョ・ヴェルデのテイスティング・ディナーに招かれた時は心底ありがたいと思った。和食と合うと言われている、そしてそのようにPRしているワインを、数年ぶりに食べる和食のコースに合わせて実際に試してみることができるからだ。

品書きは以下のとおり。

先付 大葉豆腐

御椀 牡丹鱧

造り 蛸

焼物 仁淀川天然鮎塩焼

煮物 賀茂茄子おろし煮

強肴 平田牧場金華豚西京焼き

食事 もろこし御飯トリュフかけ 赤出汁 香の物

水菓子 パイナップル

 食べてすぐに東京の味だと思った。板長さんは関東のご出身ですかと聞くと、東京だという。東京の味は玄武岩っぽい。関西の和食は花崗岩っぽい。エッジ感のある東京味はヴィーニョ・ヴェルデには好都合だ。花崗岩土壌主体の産地のワインではあるが、ふっくらした味ではないからだ。

 いろいろな種類のヴィーニョ・ヴェルデが出てきたが、基本、どれも重心が上、流速が早い、味の中心密度が薄い、固い、旨みが少ない、広がりがない、酸が高い、余韻が短い、性格が地味。今までの印象と同じだ。しかし和食は、こうしてヴィーニョ・ヴェルデと比較してみるとよく分かるが、ワインよりも相対的に重心が下、流速が遅い、中心密度が高い、柔らかい、旨みがある、スケールは小さいがそこからの広がりがある、酸がないに等しい、余韻が長い、性格が意外にも派手(京都的というか)、だ。

 ワインと料理を合わせてみても、接点が少ない。ワインも料理も単独ではおいしいが、合わせた時に1+1=3にならない。なにをもってヴィーニョ・ヴェルデが和食と合うというのだろう。もちろん会に参加されていた他の11人のジャーナリスト諸氏は「合う」と口々におっしゃっていたし、彼女ら(全員女性だ)の美食的経験値や知識と比べれば私など赤子のようなものであるから、これを読まれている方々は私の意見は無視していい。しかしそれでも私には赤く見えるものは他の全員が青いと言ってもやはり赤いのであって、そこで嘘をついては私自身を裏切ることになるし、ジャーナリストとしての責任もない。この会の進行役・講師役を務められたポルトガルワインブームの先導者(オーストリアワインの権威でもあられる)、別府氏の言葉を借りれば、「料理とワインをバチバチ合わせなくともヴィーニョ・ヴェルデは無理なく飲める」とのこと。味が薄いからあってもなくても同じ、といった消極的な意味なのだろうか。二つのものを口に入れれば必ず味覚的化学反応を起こす。味が薄いほう、アルコールが低いほうが合わせやすいわけではない。合う合わないはもっと複雑なものだし、いかに消極的に安全な方向に飲み手が逃げようと思っても料理は見逃してくれず、ワインはそもそも逃げようとしない。そして逃げるつもりなら、もともとマリアージュなどするな、レストランの美的価値創造性の意味を軽んじるな、と言いたい。

 全料理と全ワインについてどうして合わないのかの理由を列挙してもそんなものは自分でも読みたくないので、ひとつふたつだけ例を挙げる。ヴィーニョ・ヴェルデは重心が高く、和食は重心が低い場合、ワインは料理の風味の上にのしかかり、蓋をすることになってしまい、料理がシンプルでまずく感じられる。そして最後まで上下分離して両者は溶け合わない。ヴィーニョ・ヴェルデは余韻が短く、和食は余韻が長い場合、ワインは料理の時間軸上の中間部分だけに干渉し、その部分の味を変質させるが、そのあとワインだけが消失し、料理の味だけが再び出現することになる。これは料理の味の時間軸上の調和と進行を完全に乱し、料理の理解を妨げる。そして最後は料理の味だけになるなら、ワインはなくてもいいということだ。それでも飲むならアルコール依存的消費である。そのような消費様態はワインについては不適切であるというのが私の基本的スタンスである。

 

 昔のヴィーニョ・ヴェルデのように、弱発泡・ソフトな質感・クリスプな酸のシンプルなワインで、水がわりのコモディティー飲料だという認識ならば、それ以上の議論は必要ない。つまり、ヴィーニョ・ヴェルデは“ヴァン”なのだという定義ならば、料理に合う合わない、つまり“ボン・ヴァン”としての価値の吟味は筋違いとなる。

 ところがここでのテーマは、「和食に合う」なのであり、“ボン・ヴァン”であることが前提となる。命題が与えられているなら、それの真偽性を検証するのが我々の責任である。

 別府氏が言うには、ヴィーニョ・ヴェルデは「高品質化」を推し進めている。ヴァンからボン・ヴァンへの移行を産地として目指しているようだ。それはいろいろと試飲しても感じることである。

ヴィーニョ・ヴェルデの高品質化とは、遅摘み、小樽の使用、シュール・リーを意味するようである。まるでどこかの産地で昔聞いた話のようだ。遅く摘んでブドウの糖度を上げれば高品質になるのか。なるとしたら、品質は糖度と比例するという往年のドイツのような品質の定義を行い、それが広く受容されるならば、である。しかしそのような定義を現代に行う者はおらず、そのような性質は我々がヴィーニョ・ヴェルデに望んでいるものでもない。バリックを使えば高品質だと思うような単細胞な消費者もいまや少数派だろう。フレッシュさが失われて酸化熟成風味に代替され、もともと弱めの品種の香りが樽の香りの陰に隠れてもなお我々はヴィーニョ・ヴェルデを飲む積極的な意味を見出しうるのだろうか。シュール・リーをすれば旨みや粘り気は増すかもしれないが、香りの伸びや華やかさや味わいの抜けのよさを確実に失う。どちらが大事なのか。

ヴィーニョ・ヴェルデとは何なのか、どうあるべきなのか、その議論がないまま、「いま流行りのヴィーニョ・ヴェルデ!トレンドに遅れないようにしよう!」的な強迫観念を流布させることがヴィーニョ・ヴェルデの将来のためにいいことなのか。どれもこれもナタデココのように消尽してしまう我々日本人の癖は再考されるべきだ。

もちろん日本人が日本国内で議論しているだけでは生産者と意識の共有ができない。彼らが正しい方向に進むためには我々がその方向を示さねばならない。しかしそれはある意味簡単な話なのであり、別府氏がヴィーニョ・ヴェルデ生産者の総会においてある種の一般教書演説をすればよい。彼に能力があることは知っているし、彼の意見には同意することも多い。あとは彼が彼自身の責任をどの程度自覚しているかの問題だ。

 

 改めて問いたい。ヴィーニョ・ヴェルデはヴァンなのかボン・ヴァンなのかグラン・ヴァンなのか。ベーシックなヴァンとして水がわりの欧州最廉価ワイン的なポジションを維持しても間違いではないとは思うが、そしてそれも大事な役目だとは思うが、産地がそこから別のところに行きたいと思ってこのようなプロモーションをしている以上は、彼らの考えを無視するわけにはいかない。

グラン・ヴァンだとは皆思っていないだろう。私はヴィーニョ・ヴェルデに行ったことがないので、そのテロワールを見てグラン・ヴァンを生み出しうる何か特別な力がそこに宿っているか否かについて語ることはできない。そこに偉大なテロワールがあることを期待するだけだし、それがワインの形になることを願っている。

ボン・ヴァンだとは思っている。しかしそのためには何の役に立つのかの明確な指針が欲しい。少なくとも今回のマリアージュでは「和食のためのワイン」という指針ではない。世界じゅうのワインが「和食に合う」と自らを喧伝する。ソウルに行けば「韓国料理に合う」、上海に行けば「上海料理に合う」と言っているのだろう。そのような八方美人的・十把一絡げ的な発言は信用性がない。そして和食といっても多様だ。すべての和食に合うとするなら、和食の大半に共通する本質的な分母を抽出し、ヴィーニョ・ヴェルデの大半に共通する本質的な分母を抽出し、両者のあいだに説得力・妥当性のある相似を見出さねばならない。それができないならば、どのような料理のカテゴリーに対してどのようなヴィーニョ・ヴェルデがどのように合ってどのようなおいしさを生み出すのかを明らかにするべきだ。さもなくば単なる雰囲気的な掛け声に終わって消費者を惑わすだけだろう。

しかし料理と合わせるだけがボン・ヴァンの役目ではない。たとえばクリュではないコート・ド・プロヴァンスのロゼはボン・ヴァンであろうが、その意味はプロヴァンス的なライフスタイルをサポートし、プロヴァンスが持つカジュアル&ラグジュアリーな文化的価値を伝達することであって、プロヴァンス産のホウボウやスズキに合わせることではない。ヴィーニョ・ヴェルデを「ある料理のためのワイン」と定義してもいいが、プロヴァンス・ロゼにならって「あるライフスタイルのためのワイン」として訴求する方法をもっと考えてもいいだろう。

ではどういうライフスタイルなのか。どういう文化的価値なのか。ポルトガルという国に特別にポジティブな感情をもつ人は多い。国を訪れる人は多いし、そうした人は口々にポルトガルを称える。たぶんポルトガルには人を惹きつけるライフスタイル、文化的価値、さらに言うなら精神性があるのだろう。そのメッセージが十分に普遍的であるなら、ヴィーニョ・ヴェルデは極めて有効なメッセンジャーとなり、それがヴィーニョ・ヴェルデをボン・ヴァンとする根拠となる。しかしそれがなんなのか、私は経験がないので分からない。

 

生産サイドに視点を移し、ヴィーニョ・ヴェルデの現状のスタイルと品質に関する問題と解決策を以下に述べる。

1、農薬っぽい味がする。

将来的にオーガニック化すべきだ。それまでは産地全体としてどのようにすればいいかのロードマップを策定しなければならない。除草剤全廃は必須だろう。もちろんそうすれば味わいが複雑になり、料理との接点が増える。

2、単調すぎる。

ポルトガルワインの魅力と傑出したフード・コンパティビリティの理由は混植混醸である。しかしヴィーニョ・ヴェルデは混醸はほとんどなく、複数品種であっても事後的ブレンドが主流だという。さらには近年単一品種ワインブームのようで、味わいはますます単調化にしている。これだけは確かなことだが、単一品種ワインはヴィーニョ・ヴェルデにとってよいことはない。何百ものヴィーニョ・ヴェルデ(認可品種は45もある!)を特定の料理やTPOと厳密に合わせるような人がそれほどいるのか。One Fits Allを求めるほうがいい。可能なら混醸、無理なら3品種以上のブレンドとすべきだ。そうすれば世界のワインの中でも特異なポジションを維持できるし、川を挟んだ向こう側のワインとの差別化も容易となる。また香りに関しては培養酵母の香りが支配的で単調だが、これは技術的に容易に解決できるはずだ。

3、薄い。

軽やかであることと薄いことは違う。軽やかさと密度感をどうやって両立するのかは課題だ。最初は収量がヘクタール当たり70ヘクトリットルぐらいあって多すぎるのではないかと思った。しかし2万1千ヘクタールの栽培面積から生産されるワインはヴィーニョ・ヴェルデとミーニョ合わせて約9千7百万リットル(2017/18のデータ)。普通だ。ではどうして相応の密度を感じないのだろうか。これ以上収量を下げたらワインの販売価格は4000円程度になるだろう。しかしバリック発酵よりも低収量のほうが本質的な高品質化につながるのは確かだ。各ワイナリーがフラッグシップワインを造ることが全体の底上げに重要なのだが、私が夢想するそのレシピは、最上の区画での混植混醸、低収量、オーガニック栽培、コンクリートや大樽での発酵、MLF、熟成させずに炭酸ガスごと瓶詰め、である。

4、発泡について。

昔のヴィーニョ・ヴェルデは炭酸ガスが残っているうちに瓶詰めしてから弱発泡性だったのだろうが、今では大半のワインがガス注入式だという。それでは高級ワインとしての定評は勝ち取れない。スパークリングワインの市場は確実にあるのだから、そしてアルコールが低く酸が高い品種を多くそろえているのだから、プロセッコと同じくシャルマ方式のフレッシュなタイプの発泡ワインとシャンパーニュと同じく瓶内二次発酵タイプのコクのあるタイプの発泡ワインの二種の生産をもっと増やし、それが全体の3割程度を占めるようになっていいのではないか。ただし発泡酒は技術的な難しさや大きな初期投資の必要があるため、村ごとないし地区ごとに集約された発泡ワイン工場を設け、各生産者はそこに原料ワインを持ち込んで商品に仕上げてもらうといったシステムを採るべきだろう。

5、アルバリーニョとアヴェッソに潜む危険。

単体で飲めばアルバリーニョとアヴェッソは濃厚堅牢で素晴らしいワインとなるがゆえに、このふたつの品種に人気が集まるのは分かる。しかしこれらのワインは山の味がする。こちらの方向に行き過ぎるとアイデンティティを失う。そればかりか世界じゅうの同傾向のワインと真っ向勝負になってしまう。アルバリーニョやアヴェッソに何を加えたらよりコンプリートな美がもたらされるかを考えて欲しい。とにかく45色の色鉛筆を持っているのだ。あとは画家の腕次第だろう。

 

それにしても参加12名のうち男性は私ひとり。異常だ。ヴィーニョ・ヴェルデとは関係のない話だが。

2018.07.11

新生カリフォルニアワイン協会の発足発表会

 いままでカリフォルニアワインインスティテュートと呼ばれていたアメリカのCalifornia Wine Instituteの日本事務所は、カリフォルニアワイン協会と改名し、扇谷まどか氏と手島孝大氏を共同代表として新しい時代に向けた組織として再出発した。

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 その記者会見の内容は彼らのプレゼンテーションを撮影したので、写真をご覧いただきたい。

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 カリフォルニアワインでなければならない、という必然性は、我々の暮らしの中のどこに該当させた時に見えてくるのか。それは極めて難しい。客観的なSWOT分析は彼ら自身がプレゼンテーションしているのでそれを見ていただくとして、私自身の問いとして考えると、正直、積極的な答えが出てこない。カリフォルニアにはしばらく住んでいたので、いやそればかりかレストランでカリフォルニアワインをサービスしていたので、私はそれなりの思い入れもあるにもかかわらず、だ。

 アメリカ文化にいまや誰が憧れを持っているのか。1950年代のコルベットやTバードのようなものとして、ないしハリウッドのようなものとして、カリフォルニアのワインが機能しているわけではない。その文化価値劣化のプロセスは徐々に進展していたとはいえ、トランプ大統領以降は決定的にネガティブな方向へと振れたと思う。あのような「文化」の象徴としてカリフォルニアワインが存在しているなら願い下げだし、文化価値なきワインはある意味その根源的存在意味を失う。

 他の理由を列挙するなら、

1、安くておいしいわけではない。あるプライスポイントにおいて、彩、ディメンジョン、複雑性、陰影感、ダイナミズムといったもろもろの基準で比較するなら、カリフォルニアは明らかに劣位にある。

2、予定調和的、予見可能的なワインが多すぎる。

3、高価なワインならたくさんあるが偉大なワインがそれほどあるか。

4、最近の早摘みスタイルが嫌いだ。

5、カルトワインのノリが、生産サイドから消費サイドに至るまで共感できない。

 こうしてみると、その最大の訴求点は、没価値的なフード・コンパティビリティしかない。ゆえに新生カリフォルニア協会がその点にに関して以降積極的に働きかけていくという戦略を据えたのは実に正当なことだと思う。

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 そこで満を持して登壇したのが、ワインと料理、とりわけカリフォルニアワインとカリフォルニア料理の相性に関する最高権威、小林絵麻氏である。氏の数学的な純粋さをもつ明快なワインと料理の「方程式」がほんのさわりとはいえ氏自らによって解説されたのは、今回のイベントの白眉であった。実際に氏の指導のもとに作られた数多くの料理が並べられ、ワインと共にその理論の妥当性を検証することができた。

 これも氏のプレゼンテーションの写真を見ていただけばお分かりいただけるだろう。もちろん唯一絶対の理論はないから、あれこれと批判的な視点から疑問を提示することはできると思うが、それこそ木を見て森を見ずに陥り、個別的好き嫌いの話に終始して理論体系の構築も吟味もできないという現在の日本の状況から脱却することができなくなる。ここは各人、氏のプレゼンテーションとペアリング実例を見て、自分で考えて欲しい。

 カリフォルニアワインは確かにカリフォルニアでしか得られない特性を持っている。その特性を具体的に把握し、フードペアリングにおける卓越した有用性を認識したい。ひとつ重要な点を最後に言っておきたい。カリフォルニアワインの味はやさしい。ゆえに単体としてはつまらないと思うこともあるが、そのやさしさ・寛容さこそがフードペアリングを容易に成功に導く。

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2018.07.10

ポルトガルワイン試飲会

 2018年7月9日、白金の八芳園で行われたポルトガルワインの試飲会に行ってきた。あいかわらずの盛況。昨今の人気の高まりを反映している。ワインの基本はフランスワインだと思っているような旧態依然の固定観念がいまだはびこるなか、すべてのワインは相対的であって、なにかがアプリオリに基本であるはずがない、という健全なワイン認識のためにも、こうしたワインが大メジャーになっていくのはいいことだ。それだけに、今やポルトガルをニッチなマニア向けワインと見なすのは間違いであり、しっかりと向き合っていかねばならない。

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 ポルトガルはポルトガルの味がする。土壌も標高も雨量も、そしてもちろん品種も違うのに、アペラシオンを超えたある種のノリが共通している。
 ひとつの理由は明白だ。多くが混植混醸だからだ。単一品種は純粋さが取り柄だ。ブレンドは構成美が取り柄だ。混醸は複雑さ、いや複雑さだけでは言葉が足りない、要素間の境界が見えない積極的な曖昧模糊さが取り柄だ。ところが混醸ではないワインでさえ独特のにじみ感がある。オーストリアやドイツやフランスのワインに顕著に見られる風味と質感の光沢、ワイン表面で反射する光のまぶしさとは対極にあるような、マットでアーシーな鈍い乱反射。このような個性はワイン単体で鑑賞した時には周囲の雑音に埋没しがちだ。端的に言えば、地に足のついた気取らない料理と状況において長所を発揮するワインである。
 不思議なのは、混植混醸とはいっても、同種のワインによく見られる一直線の垂直性がないことだ。たとえば現在の代表的な混植混醸ワインであるウィーナー・ゲミシュター・サッツ(ウィーン北のもの)には味わいの中央に柱が立っているかのような垂直性があり、そこにいろいろな要素が串刺しになっているかのような、シャシリク・エフェクトとでも呼ぶべき特徴が見られる(焼き鳥は竹串ゆえにたとえとして違う)。この時、肉や野菜は中央に串を刺す。ゆえに全体の形は左右対称になる。というか、ワインは基本すべて左右対称である。ところが唯一ポルトガルの混植混醸ワインは、上下軸の位置によって左右方向の広がりに偏りが感じられる。譬えて言うなら、黒川紀章のカプセル建築。このようなぎくしゃく感は他に記憶がない。この点が、今回の試飲会で最も印象に残ったことである。
 これを複雑さとみなして積極的に評価すべきなのか、それとも乱れとして懐疑的なスタンスをとるべきなのか。私は後者の立場を現時点ではとる。なぜなら、自分の知る限り、左右非対称の味の料理が存在しないからである。ポルトガルワインが単独鑑賞型グランクリュ指向では基本的にはないとして、食卓用ワインとしての価値を追求するなら、そこでの疑問は看過できない。
 もうひとつの疑問は、下方垂直性の不足である。上下方向の線分の長さが揃っていない。上に向かう力の量のほうが多い。もちろん自根ならば揃うのだろうが、いまそれを嘆いても現実的ではない。どうすれば下方垂直性を増すことができるか、生産者サイドの技術的課題と認識されてほしい。これに関しては日本のポルトガルワインの専門家がポルトガルでさまざまな指導をされているはずなので、いずれ解決されるだろう。
 この問題と重複するのは、重心の高さである。今回試飲したほぼすべてのワインの重心が高い。なぜだろうか。重心が高くなる品種も土壌も標高もあるが、すべてがそうではない。ポルトガルの料理の多くは重心が中央から下にあるのではないか。日本の料理の重心も低い。ならば重心の高いワインの使い道は限られる。日本とポルトガルはイカタコ等魚介類の料理が多いという点で共通する食文化があり、ゆえにポルトガルワインは日本の食卓に合う、というロジックが現在一般的に流布されているが、それは本当に正しいだろうか。もともとのポルトガル料理にさえ合っているとは言えないのではないだろうか。

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 今回出品されていたワインの中で、明らかに重心が低めで、ポルトガル料理にも日本料理にも出番が多そうだと思ったのは、カーザ・レルヴァスのアレンテージョIGP、Art.Terra Curtimenta。アンタン・ヴァース、アリント、ヴィオニエを18℃から25℃という高めの温度で醸し発酵して中樽熟成したオレンジワインである。この生産者は他にもアンフォラワイン等現代の流行を意識したワインを造る。「オレンジワインはポルトガルでも人気なのか」と生産者に聞くと、「いや、そんなことはない。最近ぽつぽつと出てきたが」。「伝統的なワインではないということか」。「商業生産としてはそうだが、私の祖父の時代には白ブドウをプレスせずに醸し発酵していた。ポルトガルは昔は家庭でワインを造っていたが、それはオレンジワインだった」。だとすれば分かる、家庭でオレンジワインを造っていた時代は、正しくポルトガル料理に合う味だったのだ。
 重心が高いワインをよしとする傾向は世界的なものである。標高700メートルの畑から酸が強く重心が高いワインを造る生産者に、「このワインの特徴は何か」と聞くと、「エレガント」と答えた。「エレガントなのはこのワインに限ったことではないだろう」と言うと、「・・・・」。それがエレガントの定義となっている以上はしかたない。「優雅な人間とはどういう人間か」との問いに「背が高い人」との答えが返ってくるようなものである。到底納得できないのだが、彼の責任ではまったくない。
 重心を下げるためには、というか重心が上になりすぎないようにするためには、完熟ブドウを収穫する必要がある。だが地球温暖化によって完熟ブドウの潜在アルコールは高くなっている。しかしアルコールの高さはむしろ罪悪のように見なされているようだ。今回の試飲会で驚いたのは、アルコール度数によるポルトガルワインの分類が見られたことだ。12から13度がバランスがよい、と書いてある。それが評価基準であり、それが「バランス」の定義ならば、収穫は自動的にその糖度になるような日に行われる。多くのワインの早摘み味=痩せて、すっぱく、重心が高く、単調で、固い味は、明らかに間違った価値基準に基づくものだろう。酸酸酸とバカみたいに繰り返す現代のテイスティングメソッドとその背後にあるイギリス的嗜好を見直し、評価基準を変更して、重心が高く下方垂直性のないワインをよしとする結果にならないようにしなければならない。しかしそれはほぼ無理なことである。なぜなら世界中、日本も含め、誰もそれがおかしいことだと思わないし、そのような重心が高いワインがイカタコ等魚介類の料理に合うと思っているからである。

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 ひとつSO2無添加ワインがあった。CARM SO2 Free Redである。ほとんどすべてのワインが細身(未熟なのだからしかたない)な中で、これは満足できる広がりが感じられた。骨格型のワインになりやすいトゥーリガ・ナシオナル単一、かつ同じ傾向のドウロであることを思えば、やはりSO2の問題は大きいのだと言わざるを得ない。家庭でオレンジワインを造っていた時代にはSO2は無添加だったはずだ。我々は正しく温故知新のアプローチを採らねばならない。SO2をただちに全廃せよ、とは言わない。火山の硫黄を昔のように樽内で燃やす方法の再考(もちろんこれが難しいことは分かっているが)と、最近流行りのUV殺菌法を採用することが、とりあえず試してみるべき事項だろう。

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 通常のワインとしては、アレンテージョのMouchao(モウシャオン)のグランヴァン、モウシャオン2012が印象的だった。これはヘクタール当たり4.5ヘクトリットルまで収量を抑え、22℃から23℃という低温で発酵し、5から7日という短いマセラシオンで造られる。低収量+軽い抽出がまずいわけがない。アリカンテ・ブーシェとトリンカ・デイラ品種とは思えないタンニンの細かさと香りの伸びやかさ。アリカンテ・ブーシェには色が濃いだけではない素晴らしい潜在能力があるのだと分かる。ポルトガルワインとしては高価(それでもコート・ド・ニュイの村名ぐらいだ)ではあるが、飲む価値は十分にある。

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 お買い得なワインとしては、Cartuxa(カルトゥーシャ)のアレンテージョ、EA Red Bio 2016がよかった。赤ではこれだけがオーガニックなのだが、明らかに他のキュヴェよりタンニンが上質で後味にしなやかな広がりがある。上級キュヴェは樽が強すぎてむしろ粗っぽい。二本続けてアレンテージョ。これに限らず、全体としてこの地域の平均品質の高さが印象的だった。
 ポートを忘れてはいけない。すかした味ではないポート、しみじみと滋味深いポートとして、つまりイギリス上流階級的な世界とは異なるテロワールのワインとして、Agri Roncao Vinicolaの生み出す味わいには注目したい。除草剤不使用だという。買いブドウではそうはいかない。ブドウそのものの質がよいため、10年という短い熟成のポートのほうが、長い熟成によって古樽のにおいがついてしまっている上級ワインよりむしろおいしいと思った。
 国際市場向け、アングロサクソン評論家向けではないポルトガルワインを経験してみたい。ポルトガルワインの本当の実力を理解できるようになるためには、ポルトガルを丹念に歩きまわるしかないようだ。日本に輸入されているポルトガルワインは、まだまだ輸出向けに作り上げられた工業メンタリティーが感じられるものが多いようだ。

2018.07.09

Clos du Temple, Cabrieres, Languedoc

 ペズナスの内陸寄りに位置する標高480メートルのカブリエール。畑面積300ヘクタール、ワイナリー5軒に協同組合1軒というマイナーなアペラシオンですから、大多数の人は飲んだことさえないでしょう。

  ここはラングドックの中でも特に涼しいところで、山の麓にあるアディサンから登ってくると、気温差の大きさに驚きます。さらに興味深いのは日照。写真で分かるとおり、このあたりは雲がかかっていて激しい直射日光があまり差しません。ですから赤ワインは色が薄く、収量が多ければ青臭くなりがち。そのかわりロゼにはぴったり。生産比率は半々です。これほどロゼの生産比率が高いラングドックのAOPは他にないと思います。

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  ところがマイナーすぎて需要がなく、ジェラール・ベルトランが言うには、「協同組合はただでロゼワインをくれる。ラングドック最高のロゼワイン産地なのに。彼らはおろかだ」。ラングドックに詳しければ、どこのアペラシオンがテロワールのポテンシャルと実際の価格の差が大きいのか分かるはずです。いまやフランス最大のロゼ産地はラングドックであってプロヴァンスではありません。しかし日本ではラングドックのロゼなど存在しないに等しい。ただでもいらないと日本では言われるでしょう。いくらテロワールがよくてもマーケティングしないと伝わらないもの。消費者はむろん、プロでも受け身の人は多く、自分で探求しないと、だれかがマーケティングしてくれるのを待つことになります。そんなワイン人生で楽しいですか?皆さんワインの勉強をしているから、ラングドック全アペラシオンとデノミナシオンの中でどこがロゼの生産比率が高いかという数字は暗記していたりします。だとすればあと一歩問えばいい。なぜここはロゼなのか、と。そこにどんな意味があるのか、と。そうすれば需要が生じ、協同組合がただでロゼワインを放出するような「おろか」というよりかわいそうな状況を生じることはありません。

 

  ジェラール・ベルトランはこの地で谷の反対に位置するふたつのワイナリーを買収して合体させ、新しいエステート、クロ・デュ・タンプルとしました。畑を見渡す高台、写真撮影地点が、来年2月に着工予定(法的な認可プロセスが順調なら)のセラーの立地です。建築プランの最初から見ていますが、私のアイデアを取り入れて、天窓付き、そして非並行・非対称壁面、一部石積みです。とにかく牢獄のようにしない、というのがポイントです。楽しくない雰囲気のところからは楽しくない雰囲気のワインができます。

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 ジェラールはエステート・マネージャーに車の中から電話し、「いまから行く。ランチを用意しておけ」と命令。マネージャーは「はい、わかりました」。ジェラールは、「普通なら、ここに食べ物はありません、とか、できません、とか言うだろう。しかし彼は何も命じても、はい、と応える」。ここで「できません」とネガティブな答えをしたら間違いなく左遷なのでしょう。麓の村で買ってきたというソシソン、生ハム、パン、チーズ、トマト、そして有名なレジニャンの玉ねぎ、メロンが用意されていました。すごくおいしい。さらにクロ・デュ・タンプルの敷地内にある野菜農園でとれたビオディナミのトマトとイチゴ。これはさらにおいしい。ところでトマトに塩を振って食べましたが、その塩はゲランドでした。ゲランドの塩をラングドックの食材にかけると、塩味と食材の味に一体感が生まれません。ゲランドの味は冷たいからです。いろいろなものの気配を揃えることは大事なのです。

  畑を見ながら相談していたのは、発酵タンクの形です。最終的な判断はまだですが、今まで見たこともない形になるはずです。もちろん意味のある形をしています。翌日テクニカル・ディレクターに「なんであんな形なのか」と聞かれたので、「あれは・・・を意味している。それプラス、消費者への印象付け。ワインビジネスは中身だけではなく見た目も大事。多くの人は飲んだだけではわからないのは知っているでしょう。飲む前からの方向付け、インパクト、話題性、革新性を考える必要があります」と答えました。なぜならクロ・デュ・タンプルはロゼワインに関するジェラール・ベルトランのフラッグシップになるからで、象徴価値を大いに備えている必要があるのです。すると、正しい「象徴」でなければなりません。

 

  写真の赤い床の上のふたつの石積みこそ、私が今回ラングドックに来た最大の理由。石積みの違いによるワインの味の違いの実験です。

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  右が正しく左が間違っています。右のワインを飲んだあとでは左は飲めたものではありません。つぶれていて苦い。自分で遺跡を調べたところ、ギリシャ人も古代ユダヤ人もローマ人も正しい石積みを知っていました。当たり前ですね。フランスでも中世の途中までは伝承されていたようですが、そのあと喪失。私のような門外漢でもわかる違いなのに、なぜ700年間も誰も気づかないのかと思います。うまく石を積めば石積みセラーの味は最高で、それができないならコンクリートのほうがましです。クロ・ドラのセラーは私がチェックする前に完成していたので、それを見て「なんじゃこりゃ!」と怒りました。石積みが間違っているからです。しかしそれが間違いだと証明するためには、このような実験をしてワインをテイスティングしてもらわないといけない。クロ・ドラの時は「そうは言ってももう出来てしまったものはしかたない。次はちゃんとやる。二度同じ間違いはしない」とジェラールが言っていたので、今回の実験になったのです。もちろん彼も納得。しかしこれは危険な経験で、いったん正しい方を知ってしまったら、既存のすべてに納得できなくなってしまいます。自分の知る限り、近世以降に造られた石積みセラーはすべて正しいものではありません。

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クロ・デュ・タンプルは特別にデザインされた瓶に詰められます。下が四角く、上が丸い形です。建物は土台はおよそ四角いものです。「ワインは建築である」という私の考えからすれば、当然瓶の底は四角くなければ不自然になります。その上に柱が立ってその上にドームが載る。「タンプル」らしい形です。

  このようにしてみると、ワインにはまだまだ考えねばならない事柄がたくさんあるとお分かりになると思います。そしてすべては関連しあっています。あるひとつのステップだけ、要素だけを抽出してよしあしを決めることはできません。

  クロ・デュ・タンプル完成までのストーリーを本にしたいとジェラールは言っています。楽しみにしていてください。

 

 

 

 

 

  

 

シャトー・ロスピタレでワインと料理を考える

 ワインだけ飲んで美味しいものが、常に料理と合うわけではありません。料理と合うワインが、単体として完成されたものでもありません。この問題はことあるごとに再考され続けられねばなりません。
 概してみな単体完成度を求めてワインを作ります。具体的使用状況適合性は考えません。違うのは自家製自家用のジョージアワインやオーストリアのホイリゲワインぐらい。ですからここでワインの三分類の確認が大切です。グランヴァン、ボンヴァン、ヴァンです。それぞれの目的は、神や自然や崇高なものや神秘の賛美、人間的文化的悦楽への貢献、飲料として身体的欲求の満足、といったところでしょう。多くの問題は、この三者の混同から生じます。いったどんなワインを作ろうとしているのかが明確に自覚されないまま、なんとなく無意識に高品質ワインを作ろうとしても、それは目的のない品質、つまりは無意味になるのです。

 ジェラール・ベルトランのシャトー・ロスピタレのレストランで、鳩とフォアグラの料理(写真)を食べました。その前にテイスティングしたのがラ・クラープのロスピタリスやミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールのシャトー・ラヴィル・ベルトー。テイスティングの残りのワインがあり、この料理に合わせるとよいとのことで、試してみました。ところが料理よりワインのほうが勝ってしまう。タンニン、酸、固さ、大きさ等、いろいろな要素においてワインが上回る。このようなことは本当によくあることなのです。高級料理と高級ワインが合うと思ってしまうのは脳内で生み出された幻想の消費であり、それを仕向ける消費社会の論理の支配ゆえであり、実体ではない。


 ここで固さに着目してみたい。だいたい現在の高級フランス料理は肉であってもしっとりと火を入れて柔らかいものです。そして柔らかいことをよいことだとみなします。高級フランス料理に合わせたくなるワインは高級ワインです。そして高級ワインはグランヴァンと同義です。そしてグランヴァンはグランクリュから生まれます。多くの場合グランクリュは岩がちの畑です。岩がちの畑のワインは堅牢なミネラル感があります。またグランヴァンの赤は長期熟成可能性が要求され、強いタンニンが好まれます。ミネラルとタンニンのふたつの要因が合わさってワインは固くなります。ゆえに高級フランス料理と合わないのです。
 この問題を解決するにはどうすればいいか、ロジカルに考えてみてください。
1、 昔みたいにビアンキュイの火入れにする。
2、 抽出の軽い、タンニンの弱いワインをグランクリュから造る。
3、 表土の厚い畑からワインを造る。
4、 20年ぐらい瓶熟成させる。
 最も簡単は方法は肉を強火でしっかり焼くことなのですが、それではお客さんが納得しません。それは現実的には自宅で食事をするときの解決方法です。ボルドー格付けシャトーの場合はセカンドワインがあり、それはまさに上記2に該当するカテゴリーのワインです。素晴らしいボンヴァンだと思います。このようなワインを皆が意図して造ってくれると、料理とワインの関係は今より密接になります。グラン・クリュからの高級ロゼワインもまたこのカテゴリーに入ります。上記3の観点は特に消費者が既存のワインリストの中から選ぶときには有用です。ジェラール・ベルトランの場合、表土の厚い畑とはシガリュスであり、コルビエール・ブートナックです。だからこの両者は柔らかい。ゆえに現代フランス料理とよい相性を得る確率は、表土の薄いラ・クラープやミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールよりも大きくなります。上記4は古典的な方法ですが、農薬を使用している時代のワインはおいしくないし、溌剌としたエネルギー感やフレッシュ感が失われていくという事実はプラスに働くとは限りません。そして長期熟成させたラングドックのグランヴァンをオンリストしているフランス料理店はないに等しい。
 
   料理に合わせることを目的とした多彩なボンヴァンが必要です。しかしよくある考え方、作り方では、中間価格帯ワイン=ボンヴァンになるとは限りません。グランヴァンからはじかれたワインで安価なセカンドワインを作っているだけではまだまだグランヴァンもどきなのです。そのワインでしか得られない美点をまっすぐにワインに向き合って追求しないと、どれほど生産者が「どの子供もかわいい」と言いつつ、それはある子供を軽んじているのと同じことになります。またグランヴァンの味を安く気軽に楽しむ、といった消費者サイドの考えは倫理的に問題があります。そう思ったとたんにグランヴァンのグランヴァン性は失われるからです。  
ボンヴァンがまあまあの出来のワインだと思ってはいけない。高価高級なワインだってあり得ます。あくまで目的意識の違いです。繰り返しますが、神にささげるワインがグランヴァン、人間の消費文化の向上に貢献するワインがボンヴァンです。
 たとえば高価高級なボンヴァン、高級フランス料理用のワインの作り方は以下のようなものです。
1、 グランクリュの畑を選ぶ。
2、 固くなる品種の比率を下げ、軽やかさやしなやかさをもたらす品種を増やす。特に、白ブドウとの混醸。
3、 低収量。
4、 7日以内の短いマセラシオン。
5、 新樽不使用。中樽や甕やコンクリートタンクの活用。
 これで高級な味だがパワフルすぎず固すぎないワインができるはずです。このようなワインをグランヴァンと呼ぶ人もいますし、目的意識ではなく品質レベルのみで分類するならそれでいい。これは定義の違いで、私にとってはグランヴァンは絶対・究極・崇高を目指さねばならないものであって、そこに「高級フランス料理に合う」などという目的を導入してしまうことは神の冒涜に思えます。
 というわけで、現在のジェラール・ベルトランのワインの複雑なポートフォリオは、たぶん、グランヴァン、ガストロノミックワイン、 アールドヴィーヴルワイン、ファン、ベーシックといったキーワードで分類しなおすことができるはず。そしてそれぞれ、目的にふさわしい造りをするのがなにより肝要です。
 今までワインサイドからの話をしてきましたが、レストランサイドの話もすべきです。なぜならシャトー・ロスピタレのレストランは、ワイナリー併設のレストランなのであって、生産されているワインをおいしく飲ませるような料理を作ることが最大の目的だからです。おいしい料理を作るだけでは普通の町のレストランと同じです。
 現在の料理はおいしいのですが、ジェラール・ベルトランのワインに合うかどうかは別の話です。固さの話は既にしましたから措くとして、基本、3つの要素が弱いからです。それは、1、垂直性、2、酸、3、ダイナミズム、です。どうやればワインにもっと合うようになるのか今度シェフと相談してくれ、と言われました。考えるのはやぶさかではないですが、私はジェラールに言いました、「あなたはワインメーカーなのかレストランオーナーなのか。同じ時間があるとして、ワインに時間を割くべきか、それともレストランか。現時点の優先順位はワインに決まっている。まだやることがたくさんある。レストランは人に任せるべき」。ところがキッチンとホールの距離の遠さは、日本に限ったことではない。そこが解決されないと、いくら「人に任せ」ても機能しないのです。
 

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