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2018.07.29

フリウリ

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 オーストリア、イタリア、スラヴの三つの文化の交差点にあるフリウリ。イタリアの中でもとりわけ個性的なワインを生み出すフリウリは、90年代終わりぐらいから先端的な生産者が数多く日本に紹介されブームになりました。いったん好きになると、やみつきになるほど魅力的な土地です。数年前にフリウリを取り上げた時にはプレポット村のワインとラマンドロに焦点を当てました。今回は有名なナチュラルワインを中心として、フリウリを今の視点で見直そうとしました。お出ししたワインはすべて蔵元からの手持ちです。
 最初にBorc Dodon (Denis Montanar)のヴェルドゥッツォの2003年とVodopivicのヴィトヴスカの2005年を飲みました。亜硫酸無添加無濾過系(ヴォドピーヴィッチは2005年からは瓶詰時に少量入れるようになりましたが)オレンジワインがどのように熟成するのか。瓶を光にかざすととんでもない量の大きな澱が見えます。大きいのですが軽い澱で、瓶を揺らすとすぐに舞い上がってきます。ワインを注ぐと紹興酒みたいな色です。常識的に見てこんなワインはもう飲めないと思いきや、実際はビビッドで深みがあって、とりわけ酸が生き生きしているのが印象的。リリース当初はこんなに厚み、深みがなかったと記憶していますから、瓶熟成によって大変化したのです。この手のナチュラルワインはすぐに飲まれてしまうと思いますが、実はしっかり熟成するのです。そして熟成によって秘められていた上品さが出てくるのです。皆さんも試してみてください。
 前者の厚い粘土質土壌(ブドウ畑というより穀物用の農地みたいな平地、実際彼はとうもろこし栽培を隣で行う)、後者の薄い表土の硬質石灰岩土壌という差は明らかです。どちかといえば、私は前者の厚みととろみのあるおおらかな味が好きです。生ハムには最高です。まあ、ある意味、フリウリのワインが生ハムに合わなければどうしようもないでしょう!今回スモークしたハムをお出ししましたが、ヴェルドゥッツォの風味がスモークにぴったりでしたし、スコドヴァッカという粘土質の土地がもたらすとろみ感が豚の脂肪をおいしくしてくれました。とはいえここはグラン・クリュとは言い難い場所なので、立体感と抜けのよさには欠けています。単体で飲んで鑑賞する対象というより、料理に合わせるべきワインでしょう。間違ってはいけませんが、グラン・クリュな味が料理と合うとは限りませんし、むしろ逆かも知れません。
 後者のカルーソというDOCやヴィトヴスカという品種は多くの日本のイタリアワイン通によって偉大さが喧伝されていますが、私にとってはそこまで言うほどすごいのか、昔から理解できません。悪いワインでもまずいワインでもありません。しかし余韻は若干短いしスケール感・立体感がありません。表土がほとんどない場所で、灰色の固い石灰岩がごろごろしていて、それがいいと皆さん言うのですが、ものには限度があって、適度な表土・肥沃度は重要だと思います。カルーソは神経質すぎる。
 ハプスブルク帝国の軍港にしてオーストリアにとって最重要都市のひとつだったトリエステのワインですから、オーストリアっぽいのかと思われるはず。確かにスラヴ的ワイルド感はなく、ゲルマン的几帳面さが主軸になっているワインだとは言えますが、オーストリアにしてはかろみがなく暗すぎやしまいか。そしてその性格は十年以上熟成させても変わりません。それも含めて「個性」です。
 Rodaroはそこそこ大手です。普通のワイナリーです。しかしその普通さがいい。コッリオのフリウラーノはフリウリの基本でしょう。日本ではリボッラ・ジャッラのほうが人気のようですが、それはオスラヴィアのオレンジワインからフリウリに入るからそうなってしまうのだと思います。料理との相性を考えても、フリウラーノのほうが合わせやすい。とろみがあって酸が低くて重心が低いイタリアの白ワインはそんなにありません。フリウリに限らず、イタリア全土を見ても、この品種はガストロノミー的に大変に有用性が高く、貴重な存在です。
今回はフリウリのチーズである有名なモンタージオをかけたニョッキと合わせました。これぞフリウリという相性です。
 Bressanのヴェルドゥッツォは2012年。これが現行ヴィンテージです。テロワール的にも栽培的にも醸造的にもBorc Dodonといろいろな意味で共通する、バランスのよいオレンジワイン。しかしまだ品種の苦みが浮いており、熟成が足りない感じがして、あと数年たてばBorc Dodonの2003年のように化けるのだと思います。
 Moschioniは昔ロバート・パーカーによってフリウリの中では最高点を与えられて有名になりました。いかにもな“パーカー好み”と言える、高いアルコールと豊満な果実味と低い酸とフレンチオーク新樽風味。まるでナパヴァレーのカベルネや90年代末のボルドー右岸のようです。今でも彼らはしっかりそのスタイルを貫いている。しかしワインの質は明らかに向上しています。理由は栽培が実質オーガニックになったからです。そして今飲むと、世の中に溢れる早摘み味の重心の高い酸のとがった小さい味のワインとは対極の、完熟ブドウならではのコクや旨みが感じられ、また下半身のゆるぎなき安定感があって、むしろ好ましく思えます。一時は古臭いアメリカ市場向け守旧派ワインだと思われていたでしょうが、いや今でもそう思われているかも知れませんが、私にとっては、時代が一巡して再発見する正しい味のワインに思えます。
 Moschioniで着目すべきはスキオペッティーノです。くっきりスパイシーで、昔のブラウフレンキッシュみたいなタイトな味わいの、きびきびしたワインになる品種。房が巨大で晩熟の品種ですから、往々にして薄くて青臭いものです。しかしここでは引き締まった構造を保ちながらも濃密な甘みがあり、フレッシュでいて青くありません。この品種の可能性を教えてくれます。スキオペッティーノと並んで高価なのがピニョーロです。ブドウの見た目はこちらこそ高貴品種という感じの小ささ。色もタンニンも酸も濃密。もちろん私も大好きです。しかしピニョーロならRosazzoの斜面の畑からのワインを選ぶという方が多いと想像します。。モスキオーニのピニョーロは、本来この品種にあるべき緻密さ・精緻さ・緊張感には若干欠けるのではないでしょうか。スキオペッティーノの美点は、濃密でいてもどこか息の抜きどころを心得たかろみがある点です。
 料理との相性は重要な点です。フリウリに限らずすべてのイタリアワインに該当する視点なはずです。フリウリの食べ物は、水道水の味も含めて、けっこうねっちりとしていると思います。ねっちりした料理にはねっちりとしたワインのほうが合います。だからリボッラやマルヴァジアよりフリウラーノのほうが汎用性が高いと言っているのですし、モスキオーニの独特の“パーカースタイル”の赤ワインが意外と料理に合う理由でもあるのですし、エリアで言うならコッリ・オリエンターリの白よりコッリオの白のほうがよいという一般的な結論にもなるのです。今回はモスキオーニのワインに、厚切りの脂肪多めの豚肉のグリルを合わせてお出ししました。もちろん中はしっとりねっとり仕上げるよう、最初は低温でローストしてあります。フリウリの内陸で普通のトラットリアに入れば、どこでも豚肉のグリルがあります。
 日本では今回お出ししているようなフリウリのワインは普通に店で売っていません。イタリアのワインは家庭の食卓にぴったりだと思うので、多くの方が普通に買ってほしいのですが、売っていないものは買えませんね。もちろんネットでは買えるにしろ、ネットの場合の問題は、「今日はニョッキのチーズソースを食べようと思うのだけどどのワインがいいでしょうか?」という形の質問が容易にはできないことです。つまり検索しなければワインが出てきません。検索するためには知識が必要です。つまりコッリオのフリウラーノが合うと既に知っていれば簡単に「コッリオ フリウラーノ」と入力すればいいのですが、それができる人は一般消費者では既になく、イタリアワイン通です。先日あるデパートのワイン売り場でフリウラーノを見つけましたが、それはミアーニのものでした。1万円弱では普通に買えません。そもそもコッリ・オリエンターリであってコッリオではありません。どんな人に何のために売っているのか明確なチョイスではあります。しかしそのようなワイン観がイタリアワインの正当な浸透を妨げるのです。
 最後はイタリアにおけるクヴェヴリ(アンフォラ)発酵の元祖、現在のアンフォラブームの先駆けとなった偉大な見者、グラヴナーのリボッラ2008年をお出ししました。これが最新ヴィンテージです。彼はアンフォラ発酵のあと7年間も木桶熟成させてから瓶詰めするからです。この講座で、なぜ最初にBorc DodonやVodopivicの熟成ワインを出したのか。つまりオレンジワインは熟成させたあとにピュアで透明な世界を見せてくれるからです。グラヴナーはそれが分かっているのです。アンフォラワインはアンフォラの癖を楽しむものではありません。大地のエネルギーをワインに取り入れるための手段であって、アンフォラが自己目的化しているわけではありません。そこが多くの追随者と異なる点で、彼にはアンフォラ使用に至る長年の悪戦苦闘があり、その中からつかみ出したビジョンとイデアがあり、それを実現するための手段としてアンフォラがあるのです。
 どうしてグラヴナーはこの方向性の元祖なのに、それとはずいぶんと異なり、また完成度においてはるかに劣るような追随者のワインのほうが評価基準になってしまうのか。それは7年の熟成ゆえです。グラヴナーの実際のワインがリリースされる前に、グラヴナーの手段を真似したワインが世の中に氾濫してしまったからです。グラヴナーの2008年を飲めば、それが異次元のワインだと誰もがただちに理解できます。私にとっては、ジョージアを含めて、アンフォラワインの最高傑作にして誰もが飲むべき教科書です。いや、アンフォラかどうかさえ問題ではなく、ワインファンなら誰もが経験すべきひとつの理想像です。飲んだ瞬間に、心が洗われる気がします。アンフォラワインの初ヴィンテージ2001年を含め、昔はこんなにピュアではありませんでした。もっと凹凸のある味でした。グラヴナーの畑が世界最高のテロワールだとは思いません。正直、オスラヴィアのエリアより、その延長線上にあるスロヴァニアの丘陵のほうが、畑の中にいて、よりエネルギーを感じることが多いのです。それを思えばなおさら、ここまでの悟りの境地に到達できたことに頭が下がりますし、人間の営みの崇高さを思い知り、涙さえ出てきます。
 これらのワインはすべて蔵からの手持ちです。それは大事なことです。いつも思うのですが、こうしたナチュラルなワインは感受性が極めて強い生き物なので、生産者から直接手渡ししてもらわないと、途中触った人の影響を受けてしまいます。またこうしたナチュラルワインを取り扱う人たちは強大な霊的パワーをもっている方々ですから、なおさら影響されます。彼らの霊的な導きを含めて消費したいならば(普通ならそのほうが悟りには近づけるでしょう)、そういった方々に触ってもらったほうがいいですし、今回のように、生産者に直接触れ合いたいならそうせずにフリウリに買い物に行ったほうがいいでしょう。
 私とてニュートラルではありえません。世界にひとりとしてニュートラルな人はいません。私が触れば私の味になる。一部の方は、自己を滅却すれば完全にニュートラルな存在になれるので、ワインに影響は与えない、と言いますが、それはまさに釈迦の涅槃の境地であって、私にそんなことができるなら仏の世界に既に迎え入れられています。先日A社の方が「B社のワインはみな同じ味がする」と言っていました。きっとB社なら逆のことを言うでしょう。自分のにおいは自分には分からないものです。しかしすべてのワインが生産者から私に直悦手渡しされたものなら、介在物は私だけです。ならばその共通項を相殺すれば、概念的にはよりニュートラルになれると考えられます。ともかくもまずはヨスコ・グラヴナー氏がご存命のうちにオスラヴィアのワイナリーに行くべきです。

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