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2018.08.12

Moschioni, Friuli Venezia Giulia

 モスキオーニに来るのは二回目だ。前回は十数年前になるか。当時のワイン・アドヴォケイト誌で、モスキオーニのピニョーロ1999年はフリウリ=ヴェネチア・ジューリア自治州(以下フリウリと略)の赤ワインとしては異例の高得点、95点を獲得し、ずいぶんと騒がれたものだ。ロバート・パーカーのコメントを見直してみると、「フルボディード、スーパー・エクストラクテッド、イメンス」といった形容が並ぶ。初めて飲んだ時の味は鮮烈に記憶しているが、その通りのワインだった。

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▲モスキオーニを世界的なグラン・ヴァン地図の中に組み入れることになったロバート・パーカーの記事のコピー。

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▲ミケーレ・モスキオーニ氏と家族。モスキオーニ家はミケーレの祖父の時代からこの地で農家を営んでいる。昔は複合農家であり、普通のテーブルワインしか造っていなかった。ミケーレは1982年からワイン造りを始め、89年に今のスタイルに。ワインは父親から学んだという。娘さんは寿司が大好きで自分で作ろうとしているがどうしてもうまくいかないのだとか。私がティシューを丸めてシャリに見立て、握り方をやってみせたが、「それは動画でも見て分かっているのだけど、見るのとやるのでは違う」。日本人なら普通のことでもイタリア人には普通ではなく、逆もまたしかり。

 昔はフリウリといえば白ワイン、さらに言うならピノ・グリージョの産地として知られていた。30年以上前、当時住んでいたニューヨークでイタリア料理店に行けば、どこでもピノ・グリージョがあった。フリウリとはそういうものだと思っていた。赤といえばピエモンテとトスカーナばかりに目が行っていた90年代が終わり、イタリア各地の地場品種のワインがどれも驚嘆すべき品質を生み出すようになって日本でも一大地場品種ブームが起きた世紀の変わりめ。フリウリの赤品種であるピニョーロやスキオペッティーノは実は驚異的なポテンシャルを持っているのだと教えてくれたという点で、モスキオーニの功績は巨大であり、私も彼らには感謝している。

 低収量とアパッシメントと新樽風味のこってりとリッチで享楽的なおいしさのパワフルなワイン。それが1989年以降のモスキオーニのスタイルだ。ある意味、揶揄されるところのパーカースタイル。98年や2000年のパヴィやモンブスケ等ボルドー右岸、ないし95年や97年のナパ・カベルネ的。だから近年の反パーカースタイルの嗜好性からすれば、モスキオーニは自然史博物館の恐竜化石のように映ることだろう。

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▲ピニョーロとスキオペッティーノというふたつのプレミアムワインは木桶発酵。他はステンレス。木桶にはポンプを使用せず、ポンピングオーバーは人力で、バケツにマストを落としては梯子を登って上から流しかける。それが品質に直結すると思うからこそできる重労働。

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▲1年バリック熟成のあと4年(!)大樽熟成、さらに1年瓶熟成してからリリースされる。樽発酵赤ワインがそろそろ登場するようだ。それはいいアイデアで、さらにフルーティでピュアな仕上がりになるだろう。バリックは50%新樽。


 時代は変わってもモスキオーニはスタイルを変えなかった。流行りだからそうしたのではなく、それがいいと心から思ってそうしたから、ミケーレ・モスキオーニはぶれなかった。彼はワインを祖父から学んだあとは独学で独自の味わいを作り上げていったのだ。

 久しぶりに飲み、その不変のスタイルになつかしさを覚えた。しかし古臭くなどなかった。むしろこれで正しいと改めて思った。世に溢れる早摘みの青臭くすっぱく固く重心が高く薄く小さいワインを皆がこぞって「エレガント」と呼び、「フードフレンドリー」と呼ぶ。私はその手のワインが嫌いだという点で超マイノリティーだから何度も主張を繰り返したくなるのだが、熟していないブドウはエネルギー感がないワインしか作れない。私にとって最重要なワイン評価基準のひとつは、エネルギー感である。食べ物も同じだ。エネルギー感のない食べ物はだめな食べ物である。なぜなら我々は食べ物や飲み物からエネルギーをもらうからである。エネルギーのあるものを摂取するのを「疲れる」と皆が言う。私はエネルギーを奪われるものを摂取すると疲れる。

 モスキオーニのワインは現在主流となっている早摘み味の対極であるがゆえに、私にとっては救いだ。青臭くすっぱく固く重心が高く薄く小さいワインではないワインがこうして生きながらえていることに対し、神に感謝する。赤ワインの私的基準は、ヴァティカンの教皇ミサ用ワイン、イスラエルのトラピスト派修道院のブラック・マスカット、ジョージアのテミのサペラヴィ、フバール島の地元消費用プラヴァッチ・マリ、そしてマウレのピペーニョであり、それらは当然のごとく、早摘み味の対極である。しかしモスキオーニは遅摘み味なのではない。そこが天才的なところで、アパッシメントによって濃厚な果実味を作りだすが、この技法は同時に酸も凝縮するので、ワインはこってりしているがべたつかないのだ。

 だから現在の視点でモスキオーニを飲むと、スタイルは不変であっても、意味内容が昔とは違う。かつてはパーカースタイルのフリウリ編といった観点からの高い評価。今はワインの本質論に立ち返っての高い評価。20年の年月はなんだったのか。私はこのことを確認するためにモスキオーニに来たのだ。

 スタイルは変わらずとも品質は変わっている。もちろん、よい方に、だ。彼らがオーガニック栽培へと舵を切ったのが20年前。つまりあの99年の頃にはまだ畑に農薬が残っていたのだろう。今では質感の厚みが増して繊細なディティールが備わり、タンニンが細かくなって後味が優しい。2014年にはオーガニック認証プログラムに入り、2017年ヴィンテージからは認証オーガニックとなる予定だ。

 彼らのワインにまずいものは基本的にはない。今回テイスティングした2011年ヴィンテージの中では、最高価格がつけられるピニョーロだけはブレタノミセスゆえに推薦できないが、それは毎年ではないことを願う。他のワイン、レフォスコも、メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンの混醸ロッソ・チェルティコも、タッツェランゲとメルロとカベルネ・ソーヴィニヨンの混醸ロッソ・レアルも、スキオペッティーノも、すべて見事と言うほかない。

 レフォスコは、この品種のワインに往々にしてみられる青さが皆無で、大変にリッチ。ロッソ・チェルティコは、メルロとカベルネをブレンドするのではなく混醸するというのがポイント。味の一体感、パワー感が違う。こってりしているが重くない。大樽熟成とステンレスタンク熟成のブレンドによって、しなやかさとビビッド感を併せ持つワインになっている。ロッソ・レアルは今回見直したワイン。堂々としたスケール感はいかにもモスキオーニだが、チェルティコよりタンニンが細かく、香りがフローラルで、味わいがリズミカルだ。そもそもタッツェランゲは単独ではボディ感に欠けて酸が強すぎるワインにしかならないだろう。それにアパッシメントをかけてボルドー品種と合わせることで、軽重硬軟併せもつバランスのよさが生み出された。生産者のセンスのよさと的確な技術力がよく分かる。

 そしてスキオペッティーノ。この品種は巨大な房であり、品はよくとも薄くて青臭いワインになりがちだ。モスキオーニでは房の下と肩を切り落とすことで凝縮度を上げ、さらにはアパッシメントによってミッドの厚みや質感の豊かさを作りだして、スキオペッティーノとしては例外的なリッチな味わいに。しかしとろっとしつつリズミカルな酸と、味わいの後半に手綱を引き締めるかのような細かく堅牢なタンニンが、果実の厚みとバランスして、余韻も大変に長い。スキオペッティーノ品種ワインの代表格である。

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▲部屋の中にはプロシュートスライサーのコレクションが並ぶ。すべて現役で使用可能だそうだ。


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▲フリウリといえば生ハム。これはDOPサンダニエレではなく、IGPサウリス。

 テイスティングのあと、地元名産プロシュート・ディ・サウリスと共にワインを味わう。そのいかにもフリウリなリッチな味わいとゆっくりした流速と低めの重心を見れば、モスキオーニのスタイルのガストロノミー的必然性も分かる。ワインとフルーティなとろみと豚の脂肪が絡み合って、やめられないほどおいしい。さて日本ではこうしたワインはイタリア料理店で売られる。ならば地元味との相性は最重要考察事項である。それなのに早摘み味ワインなのか?それがフードフレンドリー?私にはたいした経験値も知識もないが、それでもモスキオーニで出された生ハムとの相性を目の当たりにすれば、目の前にある現実が正しいのであって、早摘みイデオロギーの思考・言論支配には大いに疑念を持たざるを得ない。

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