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2018.09.10

I Clivi, Friuli Venezia-Giulia

 コッリオとコッリ・オリエンターリはどう味が違うのか。これを各人なりに納得しておくことはフリウリのワインを楽しむための基本である。クリュの理解などところが、よほどしっかりと頭の中で演算をしない限りは、別の品種と別の生産者のワインを比較していてもこの違いがなかなか見えてこないものだ。

コルモンスの北、ワイン産地としてはコッリ・オリエンターリの東端、コルノ・ディ・ロザッツォにあるイ・クリーヴィは、同じフリウラーノ品種と同じ製法でコッリオとコッリ・オリエンターリのふたつのアペラシオンのワインを造る。両者の違いを知るためにはこれほどふさわしい生産者はいない。

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▲上はフリウリ・コッリ・オリエンターリ側、下はコッリオからアドリア海を臨む。



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▲土壌はこの地の典型的な“ポンカ”。第三紀イオセーンの砂岩と泥灰岩。見て分かるとおり、この日は雨。年間降水量1600ミリというから日本と同じぐらいだ。それがフリウリのワインにやさしいしっとり感を与える。

ふたつの畑は数キロしか離れていない。前者は南西向きで湿度が高く、後者は南東向きで乾燥している、という違いはあれど、標高も150メートル程度で同じだし、土壌もミオセーンのポンカで同じ。しかし味は相当に異なる。コッリオのワイン、Brezan 2015はゆったりと大きな味わいでコクがあり、余韻に向かって味がおりていく印象。コッリ・オリエンターリのワイン、Galea 2015はスモーキーでフローラルで、スケールは小さく、さらっとした質感と抜けのよさ、そして余韻の酸が特徴。昼夜の温度差は前者のほうが大きいそうだが、確かに前者のほうが果実のボリューム感(暑さ)と酸(涼しさ)のコントラストが大きい。仮にブラインドで飲んだとしたら、私は前者のほうが粘土が多く、後者のほうが砂の多い畑だ、と、違いを表現するだろう。料理との相性に落とし込むなら、エビやイカを食べるなら前者、白身魚を食べるなら後者といった感じか。どちらのほうが好きか、ないし、どちらのほうに高い評点を与えるかといえば、大きさと長さにおいて若干勝るコッリオだが、使用目的を考えればどちらも必要なワインである。

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▲当主マリオ・ザヌッソさん。父親マリオはトレヴィーゾ、母親はコルモンス出身。自身はコネリアーノで生まれたあと、父親の仕事で10年アフリカに。帰国後父親は1995年にコッリオの地で1・5ヘクタールの畑を購入。ワインはステンレスタンクで発酵・熟成。



 これだけ明確な違いが表現されるには正当な理由がある。イ・クリーヴィは1995年に初めての畑を買ってからずっとオーガニック栽培をしており、認証も2007年に取得していること。そして60年から80年という古木の畑であり、ブドウの根がしっかり地中深くまで張って、土地のミネラリティーを伝えることができること。さらにはテロワールを表現するために必要な、自然酵母や無清澄等のストレートな醸造をしていること。ステンレスタンクを用いるのも純粋さの表現のためだ。フリウリのオーガニックというと、キャラクターを求める人が多いと思うが、イ・クリーヴィは逆に、キャラクターではなく無色透明性を求める人のためのワインである。

 コッリ・オリエンターリのワインに関しては、高級な“クリュ”ワインGaleaではなく、安いSt.Pietroのほうが私は好きだ。こちらのアペラシオンは格下のフリウリ・ヴェネチアDOP。畑は斜面上部にあり、樹齢は60年とクリュより10年低く、シュール・リーの期間は四分の一の6カ月と短い。私は樹齢が高ければ高いほどいいとは思わないし、シュール・リーは程度問題であって、長すぎると澱の粘り気や酒かす的風味が勝ちすぎると思う。コッリ・オリエンターリは抜けのよさが魅力のひとつなのだ。もともと粘りがあって重たくなりがちなフリウラーノには、そこまで長いシュール・リーが必要なのか。純粋さの中にあるディティールの豊富さ、自然の風景を感じる見晴らしのよさ、といった、自分にとっての重要なイ・クリーヴィらしさは、安価なワインのほうがよりよく表現されている印象なのだ。

 MLFに関しては、最初の十年は行っていたが、フリウラーノとリボッラに関しては、2014年のような酸の高すぎるヴィンテージを例外として、今は行っていない。どちらがいいかは議論が分かれるところだ。少なくともMLFをしていないほうが、本当のポテンシャルが開花するまでに時間がかかると思う。

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▲敷地を歩きながら熱く語るマリオさん。

 

 ところで当主マリオ・ザヌッソと畑を歩きながら、こんな話をしていた。

Z「DOCでは23の品種が認可されている」。

T「なぜフリウリは単一品種ワインばかり造るのか。品種が多いということは、常識的に考えて、昔は混植混醸ではなかったのか。特にマルヴァジアとフリウラーノとリボッラという3大地場品種はお互いに補いあい高めあうような個性だと思う。収穫時期がずれすぎたら混醸はできないが、これらは同時収穫が可能なはずだ」。

Z「いや、私はそれぞれの品種の最適熟度で収穫したいから混醸はしないが、ブレンドのほうがよいと思って96年から07年はそうしていた。コッリオのコンソルツィオはそれら3品種のブレンドであるコッリオ・ビアンコDOCの制定について長らく議論しているが、いまだに結論が出ない」。

T「一長一短みたいな味のワインがたくさんあるより、コンプリートな味のワインがひとつだけあるほうが消費者にとっても分かりやすいではないか。なぜ品種名が必要なのか。大事なのかテロワールであってマルヴァジアやリボッラという品種のキャラクターではないはずだ」。

Z「消費者はブドウ品種の名前でワインを選ぶ。瓶の中に何が入っているか知りたがる」。

T「ああ、アングロ・サクソン的ワイン観の悪い影響だ。なぜ長い歴史をもつイタリアが、ヴァラエタルワインコンセプトの軍門に下るのか。恥を知れ。品種名を知ってどうする。23ものDOC品種の個性を消費者は理解しているのか」。

Z「いや、いくら説明しても十分後には忘れている」。

T「そんなものだろう。中途半端に品種名だけ覚えて分かった気になるより分からないほうがずっといい。それは今のワイン教育の問題でもある。ワインはとことん知るか、何も知らないかのほうが正しい選択ができる」。

Z「とはいえ、ワインは売らねばならない。消費者がブドウ品種名でワインを買う以上は、単一品種ワインを造るしかない」。

T「ビジネスを考えたら、もちろん現状ではそれ以外にないことは分かる。あなたのワインが好きな顧客に一種類のブレンドワインではなく多くの単一品種ワインを売るほうがらくだ。店のフェイスも確保できる。10種類のワインを100人に売るのと1種類のワインを1000人に売るのでは、後者のほうが時間と費用がかかるから、どこのワイナリーも少量多品種生産になる。しかし人間の能力には限りがあるのだから、ひとつのワインに全力を注入したほうが結果はよいものになるのが普通だ。ボルドーはこの観点からすれば本当にたいしたものだ。なんとももどかしい。だから単一品種のワインを造って利益確保してから、理想のブレンドワインをプレステージワインとして造るのが正しい戦略だ」。

Z「では1997年のワインを飲んでみてほしい」。

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▲97年のガレア。フリウラーノ主体にシャルドネとソーヴィニヨン・ブランとピコリット。生命力に溢れている。左奥はサン・ピエトロ。

 ワイナリーに戻ってそれを飲む。すごい。現状のワインでもフリウリ最上レベルの品質だが、往年のワインは次元が違う。複雑さとスケール感がありつつ、よりフォーカスが定まり、これだけ熟成しているのにビビッドで、躍動感がある。こちらのほうが悪いと思える人が信じられない。しかし残念ながら、そう思う人が多いから、生産中止になったのだろう。何度も言うが、品種の個性を評価の基本としている以上は、本当にすごいワインのすごさは分からない。ペトリュースはメルロらしいからよいワインなのか?まったくらしくないではないか。なぜ同じ評価軸をフリウリのワインに対して該当させられないのか。それは誰もコッリオやコッリ・オリエンターリをグランヴァンだとみなしていないからだ。マリオによれば「コッリオの平均価格は4ユーロだ」という。つまりはスーパーマーケット用コモディティだ。そういうワインがあってもいいし、それはそれでありがたいことだが、そういうワインしかないと思うのは決定的な間違いだ。

 幸いなことに、新しく植えた畑は混植だという。5年後には市場に出てくる、と。その畑はフリウラーノ50%、リボッラ50%だから、私はメールで「その比率は間違いだし、二品種では立体感が出ない。フリウラーノ65%、リボッラ27%、マルヴァジア7%、ピコリット1%といった比率がよい」とは伝えた。ともあれ混植は大いなる進歩だ。そのワインが登場するまでに、我々はフリウリのワインをより正しく評価できるよう、しっかりとテイスティング能力を磨いておかねばならない。

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