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2018年9月の記事

2018.09.30

初心者講座 ピノ・ノワール

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 日本橋浜町ワインサロンにて、ワイン初心者に向けた入門講座の二回目を9月30日に行いました。初回はカベルネ・ソーヴィニヨンでしたが、今回のテーマはピノ・ノワール。人気の高い品種ですし、どの店にもありますから、ピノとはどういう個性なのかを知っておくことは役に立ちます。
 本当は、ピノはそんなに人気になるべきでもなければ、初心者向けでもありまえん。打率の低さとコストパフォーマンスの悪さでは世界最高(最低というべきか)だと思います。それ以上に、食卓ではあまり役に立たない。なぜなら、今回のようにいろいろなピノ・ノワールを飲めば分かるとおり、多くのワインが水平的で重心が高いからです。それでは料理との相性が限定されるだけでなく、ピンポイントで合わせないといけなくなるからです。
 ピノ・ノワールのワインがすべて水平的で重心が高いわけではありません。ラ・ターシュはどうだ、シャンベルタンはどうだ、と言われてしまえば、確かに前者は常に垂直的でしょうし、後者のほとんどは重心が真ん中でしょう。そこがむしろ問題なのです。よほどのワインでなければそうはならないのが普通。ピノ・ノワールはよい品種というより、よい土地か否かを判定することに長けた品種です。だから初心者や一般消費者にとっては役立ち度が低いのです。
 写真のワインをブラインドでテイスティングしました。多くの方が気に入っていたのは、そして私もいしたものだと思ったのは、マーガレット・リバーのピエロ。ボリューム感があり、大きく、下方垂直性があり、余韻が長い。そしてアルザス。複雑で立体感があり、料理との接点が多い味。単体で飲んだら決してエレガントとは言われない、典型的なドイツ系のアーシーでスパイシーな風味ですが、一般的にピノ的と言われるクリアーでピュアな風味(奥利根のものがその端的な例、よくここまで、と感心する)だけではないピノの魅力は、ドイツやアルザスのワインを飲むと理解できます。
 どれが新世界でどれが旧世界ですか、という質問の答えが大変に興味深い。多数決の結果、新世界だと思った方が多かったのは、日本、ニュージーランド、アルザス、イギリス、マルケ、マーガレット・リバーでした。ブルゴーニュのワインを新世界と思われた方が相当するおられたのがおもしろい。その意味は分かります。ブルゴーニュは相当程度、幻想の中に生きています。他ワインの十倍の価格のグラン・クリュではなく、他と価格を揃えて村名ワインで比較すれば、多くのブルゴーニュは案外と余韻が短く小さく単調なものです。そして相当にモダンな味がするものです。多くの方が旧世界だと思われたのはドイツ。つまり、最もフルーティタイプの逆。皆さんが何をもって旧世界と考えるのかが分かります。
 個人的に最も印象的だったのはイギリスのワイン。最も垂直的で、最もミネラリーで、最も余韻が長い。これを多くの人がブルゴーニュだと思っていました。最上のものがブルゴーニュであるというイメージを作っているのがすごいマーケティングです。そこから自由になり、公平な視点とぶれない判断基準を獲得しないと、ワインはおもしろくなりません。
 初心者講座というと、すぐに有名高価ブランドの名前を出したがるのは最低の行為です。みなそんなにロマネ・コンティやラフィットばかり飲むのか。日常の暮らしをワインをもって豊かにするためには、名詞を覚えることから初めてはいけない。ワインの見方、とらえ方から固めていかないと、一生、名詞とお金にふりまわされることになります。

2018.09.28

サンジョベーゼ

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 日本橋浜町ワインサロンでサンジョベーゼをテーマにした講座を開催しました。
 サンジョベーゼはイタリアで最も栽培される品種です。2015年の統計では栽培面積55100ヘクタール。過去15年で21%減少し、二位のピノ・グリージョ(15年で532%増加という驚異的、というか危機的数字)に追い上げられているとはいえ、最重要地場品種の地位は当分は安泰でしょう。サンジョベーゼのワインを扱っていないワインショップもレストランもほとんどないはず。この品種の個性を理解しておくことはワイン生活において役に立ちます。
 サンジョベーゼ=トスカーナ、サンジョベーゼ=キャンティ・クラシコ、では必ずしもないと認識することが大事です。今回はロマーニャやカリフォルニアのサンジョベーゼを含めてブラインドでテイスティングし、この品種のあるべき姿について皆で考察しました。
 私は近年のキャンティ・ク...ラシコが好きではありません。しつこく言っていますが、マルヴァジアやトレッビアーノを禁止し、カベルネ、メルロ、シラーを認可品種に含めるようになった規定は間違いです。時代にむしろ逆行しています。サンジョベーゼのワインを偉そうな味、フランス的な味、がっしり濃厚な味に仕向けていく傾向、そしてそれをよしとする消費者の傾向は理解不能です。サンジョベーゼは果実味が不足する品種だとされますが、その解決は、収穫時期を遅らせ、フルーティかつフレッシュな風味の白ブドウを混醸し、軽く抽出して、軽快でいてディティール感の豊富なワインを造る方向性であるべきです。
サンジョベーゼは、積極的な意味で普通のワインを造った時にその実力が最大限生かされる品種のような気がします。名古屋のきしめんみたいなものです。すべてに最上級の食材を使い、トリュフ等を練りこんだりして、完全予約制・一日10人限定・一杯1万円のきしめんを造ることが、きしめんの正しいありようでしょうか。宮きしめんにせよ、名古屋駅ホームの立ち食いきしめんにせよ、あの価格・あのスタイルでかくも完成された味わいを広く提供できていることが偉大なのです。
 一面的な品質志向から自由なワインのほうがいい。今回は、イタリアのワイン生産の1割強を占める超超巨大協同組合ワイナリーCaviroの、オーガニック・ルビコーネ。そしてこれまた日本のイタリア料理店では見向きもされるはずがない大企業Sensiのオーガニック・キャンティ(クラシコではありません)を入れておきました。いい感じに力みが抜けて、普通においしいことを目指しているような味。余計なタンニンも樽もなく、素直にフルーティです。これがオーガニックであるということが重要です。再び名古屋駅きしめんの例に戻るなら、その品質を本質的に向上させるには、トリュフを入れるほうがいいのか、味を変えて外国人に受けるようにするのがいいのか、それとも小麦粉をオーガニックにするほうがいいのか。そもそも私がサンジョベーゼの講座をやろうと思ったのは、この二本のワインを今年飲んで、あまりのおいしさに衝撃を受けたからです。よくあるキャンティ・クラシコのように、固くも苦くも酸っぱくもありません。ルビコーネにせよ、サンジョベーゼ・ディ・ロマーニャにせよ、くそみそに言う人もいますが、私はむしろトスカーナよりやさしくてなめらかで酸も穏やかで、家庭料理には使い勝手がいいと思っています。他産地の有名高級ワインの例で言うなら、クロ・ド・ラ・ロシュよりクロ・サン・ドニのほうが、オーゾンヌよりシュヴァル・ブランのほうが家庭料理向き、というようなものです。ロマーニャのサンジョベーゼはもっともっと注目されるべきでしょう。
 なんだかんだ言って、値段は安くとも存在感があってスケールが大きいのはブルネッロ。今回はコストコのPBという安価なものをお出ししました。こういうワインもブラインドでなければ、「コストコのワイン?ふざけるな!」と、偏見が先に立ってしまって真価が分からないはずです。味から推測するに、ブルネッロの丘の北側斜面の砂が多いところのブドウだと思いますが、その軽快さがいい。そしてヴィンテージは2011年。さらっ、ふわっとした味のヴィンテージなので世評は低いのですが、だからこそゴリゴリしたタンニンや厳しい酸もなく、フレンドリー。そして価格は有名なキャンティ・クラシコよりずっと安いのですから(本当に驚くべきコスト・パフォーマンス!私はコストコの商品開発者を尊敬します)、これ以上なにを望むべきかと思うほどです。
 私にとっての最上のサンジョベーゼは、カリフォルニア、セゲシオのキャンティ・ステーションとエイコーンのアレグリア・ヴィンヤード。どちらも樹齢は100年ぐらい。自根、そして混植混醸です。エネルギー感、スケール感、余韻等々、圧倒的。超高密度なのにごつくない。果実味が豊かでいて重たくない。世界屈指の偉大なワインです。しかしサンジョベーゼらしいカジュアルさというかフレンドリーさを失っていない。どうしてもっと評価されないのでしょうか。それ以前に、まったく知られていないと思います。これまた理解不能です。
 どのワインであれ、今回のサンジョベーゼには明確な共通点があります。それは中心となる骨格の堅牢さと垂直性、重心の中央定位、外縁部分の若干あいまいな滲むような形です。安価なワインであっても垂直性が明解だというのは素晴らしい点です。そしてこの特性ゆえに、サンジョベーゼはフードフレンドリーなのです。水平的で重心が上または下、といったワインが多くありますが、それではチキン向けかポーク向けであっても、いろいろな食材の料理を一本でカバーすることはできません。味が上から下まであるということがどれだけ貴重な特性なのか、実際にいろいろと食べてみれば分かること。1000円を切るような安価なワインでさえこの顕著な垂直性と中央定位があることが、サンジョベーゼのすごさです。
 お見えになった方の中には、サンジョベーゼが好きではないという方もいました。しかしこの講座のあとには、「いままでダメなサンジョベーゼしか飲んでいなかったと知りました。サンジョベーゼが好きになりました」と。間違った認識をしないためには、有名であるとか高価であるとか高得点であるとかの外部的雑音に影響されないことです。

2018.09.23

近江八幡ひさご寿司での日本酒と料理のマリアージュ

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 松の司“テロワール・シリーズ”の2本と「田中式」日本酒を、近江八幡を代表する名店、ひさご寿司さんに持ち込み、日本酒と料理のマリアージュについて研究しました。
 土地の表現である日本酒にとって重要なのは、その土地らしい味がすること、と、地元料理に合うこと、です。私にとっては当たり前すぎるぐらい当たり前の条件だと思いますが、必ずしも理解されているとは言えません。
 概して日本酒が「食中酒にふさわしいタイプ」と言われる場合、どうも味がないお酒のことを指示しているようです。つまり料理を邪魔しないが関わりもしない、まして料理を引き立てることもなく流すかのような水。もちろん私はそのようなお酒がいいとは思いません。料理とお酒が1+1=3になるようなお酒がいいお酒です。流すだけなら水を飲め。お酒は料理のエネルギーブースターを目指せ。まずは社長と杜氏とそういった見解を共有していく必要があります。これは口で言っていてもだめです。実際にテイスティングして相性を判断していかねばなりません。つまり、感覚されたものと表現用語を合致させていく努力が必要です。その“教育訓練”がなければ、料理とお酒が合っているのか否かの判断さえ普通の人にはつかないもの。それなのに「食中酒にふさわしい」などと語ってもしかたない。
 テロワールシリーズのひとつは琵琶湖名産もろこを焼いたものに、もうひとつは愛知川すっぽんにぴったり。もちろん想定どおりです。お酒を入れ替えるととんでもない味になります。同じ造り、同じ酒米でも、です。杜氏も「料理と合わせると、お酒だけ飲んでいるときより違いが大きくなる」と。いったん意識して相性を探るようになり、相性の判別法を知ってしまうと、漫然と飲むことができなくなります。食中酒は難しいのです。よほどお酒の個性を理解していないと、料理を生かすお酒、お酒を生かす料理は選べません。それを無視して単に飲んでいるだけでは、アルコールを摂取しているだけで、マリアージュ芸術表現ではありません。
 それにしても、琵琶湖の魚の見事なこと!体長10センチ近い大きなもろこ(三年ものらしい)の味のパワー感。もろこがこんなにしっかりした味がある魚だとは!そして岩床なまずの刺身の清冽な味わいは衝撃的。普通はなまずは泥の中に住んでいるから泥臭いのですが、これは岩の上に住む特別ななまずです。地元の人しか知らないようなこうした偉大な食材が日本各地にはあるはずですね。なまずのじゅんじゅん(滋賀県の郷土料理です)ももちろん素晴らしいとはいえ、味わいがきれいすぎて、お酒に負けてしまう。松の司の味の特徴は噛み応えですから、牛肉のほうがいいと思い、追加で近江牛バラ肉のじゅんじゅんを頼みました。やはり牛肉のほうがパワーがありますし、噛んでいる時間が長い。これは「田中式」のお酒にぴったり。私にとって滋賀の食材といえば近江牛です。近江牛に合わない近江の酒など矛盾した存在だと思っています。その上で、牛肉だけではなくキノコやネギと一緒に食べることが重要になります。そうした時にはじめてじゅんじゅんの味は垂直的になり、垂直的なお酒の構造に合うようになるからです。
 いずれにせよ、滋賀の食べ物の多くは下半身の太さ、流速の遅さ、重心の低さ、パワー感(味が濃いというわけではなく、味のパワーが濃いといった感じ)を備えています。そこが分からないと、松の司の味の価値も分からない。土地の表現である以上は、料理も味も相似形をとってしかるべきなのです。こういった傾向は、へたすると野暮ったい味になります。軽くてさらっとしている味を上品と呼ぶのは簡単。重厚さやパワー感がありつつ上品な味を実現できてこそ、滋賀らしいと呼べるはずです。

松瀬酒造でのコンサルティング

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 松瀬酒造さんへの何度めかの訪問。仕込み前にすべき重要な事柄をお伝えしに行きました。
 それにしても、ずいぶんお酒の味が変わりました。最初に伺った時には正直、前途多難だと思いましたが、こんなにすぐに変化がみられるとは自分でも驚きです。松瀬社長と石田杜氏のフレキシブルな感性、技術力、そして行動力に感謝します。
 ひとつ大問題は、せっかく作り上げた野心的な作品が販売されていないことです。これを読まれた方が蔵に行っても飲めるかどうか。純粋に実験作なのです。以前、日本橋浜町ワインサロンでお出しした「田中式」純米大吟醸もそう。講座にご参加の方々は皆絶賛されていたし、私も手前味噌ながら傑作だと思っていますが、非売品。ある意味、しかたありません。通常の日本酒評価基準では評価しようのない個性だからです。これを伝えるには相当な努力が必要です。当たり前ですが、製造と販売は車の両輪。プロダクトアウト型商品は伝える言葉がなければ売れません。日本酒の場合、誰がどこでどのような言葉を発すればいいのでしょう?この問題は次のテーマです。
 恒例の比較試飲。現在“流行”の売れている希少銘柄が集められており、蔵の皆さんと一緒に私も意見を言い合います。前回は十四代の天才的なディティール感の描写と隙のない(しかし空気感のある)全方位的な構成美に改めて感銘を受けましたが、今回は20代半ばの若手杜氏、田中祐一さんが造る話題の新潟のお酒、加茂錦「荷札酒」の軽やかな上昇力、細かく大量の味の粒子がおりなすしなやかで繊細な構成、静かなダイナミズム、広がり、垂直性、前後感、気品に感激しました。
 松瀬酒造さんの「田中式」のお酒は真ん中のハーフボトル。伝統の地場品種、渡船の個性が生かされ、逞しさや高密度感や太いリズム感が、滋賀県らしくていい。これだけは他のお酒とはまったく別の世界で、似たものを挙げるなら、往年のマルセル・ダイス。圧倒的なエネルギー感と立体感。アルザスが自給自足的スタティックバランスの美学を求める産地ではなく、異なった力のぶつかり合いが生み出すダイナミズムが魅力の産地だと思う人なら、滋賀もまたアルザス的なのだと、個人的には思っています。質量感のある要素が口中のあちこちにぶつかりながら上昇していき頭頂を目指して収束していく様子と、ずしんと太い骨格が根を下ろす様子がいいと思います。しかし、それを「いい」とするための前提は何か。その目的意識と価値観が生産者から消費者に至るまで共有されていなければ、理解はされるわけもありません。
 本来、技術とは、目的・価値観・美意識の実現のためにあるのですが、日本酒の場合、そこが明確にされず、ひたすら醸造学的欠陥を除去することを目指しているような気がします。私がしつこく言っていたのは、欠点を削るのではなく長所を伸ばせ、過剰なところを切るのではなく不足しているところを補え、ということ。そうしなければ、よくある日本酒のように、小さくまとまったつまらない味になります。では何が欠けているのかをどういう視点から認識することができるのか。その認識方法をお伝えしていたのです。
 以前から提案していた「テロワール・シリーズ」の最初の作品が出来上がっていたので、そのふたつも試飲しました。これは単一クリマ酒です。使用米が現状で正しいとは思えませんが、それでも結果としてはいい感じ。いかにも原料米の田んぼらしい味がしています。しかし世界中の誰が、滋賀県竜王町各地の田んぼの「らしさ」を知っているでしょうか?ワインの場合、ひとつの絶対的価値基準はその畑らしさです。それが共有されているから、結果としてのワインのよしあしが判断されます。このようなお酒は造るのはむしろ簡単ですが、伝えるのが恐ろしく難しい。美味しいかまずいか、好きか嫌いかではなく、絵と同じように、「りんごを描く」と言って描いた絵が、結果がりんごらしいか、それともみかんに見えてしまうかがまず問われねばなりません。しかしりんごを見たことがない人に、この問いは可能でしょうか。では皆さんが「シャンベルタンらしい」と言う場合、全員がシャンベルタンの畑に行ったことがあるのでしょうか。そんなことはありません。それなのに「シャンベルタンらしい」と言えるし、それで通じます。なぜでしょう?よく考えてほしい点です。
 ああ、それにしても、こういったことを広く議論できる場が欲しい。

2018.09.16

アロース・コルトン村のワイン

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 9月15日にアロース・コルトン村のワインについて講座を行いました。
 ブルゴーニュファンと言われる人でさえ、大半は、ジュヴレ&シャンボール&ヴォーヌ&ピュリニー&ムルソー・ファン。アロース・コルトンのようなそれなりにメジャーな産地でさえ、知識はほとんどないというのが実態でしょうから、「アロース・コルトン村のワイン」という言葉を聞いてもイメージができないかもしれません。
イメージができない理由を考えると、
1、この村のふたつのグラン・クリュ、コルトン・シャルルマ―ニュとコルトンを飲んでも(両者を飲んだことがない人のほうが少ないのに)、アロース・コルトン(特に村名ワイン)とは味わい的にあまり関係がないからわからない。
2、両グラン・クリュは3つの村にまたがっているため、どれがアロース・コルトンの味だか相当な知識がないとわからない。
3、アロース・コルトンの村名ワインは、この村の名声ゆえにそれなりに高価だが、その味の魅力を理解していなければ価格の正当性がわからず、需要がなく、ゆえに日本ではあまり見かけず、ゆえに飲む機会が少ない。
 もったいないことです。アロース・コルトンの村名や一級は実に優れたワインです。風格と存在感があります。田舎風味の地酒ではまったくありません。また、これが重要ですが、アロース・コルトンという視点からコルトンとコルトン・シャルルマ―ニュを飲むと、その意味、よさ、問題点が明らかに見えてくるものなのです。
 今回お出しした赤ワインは、大変に上品な味わいで、非実体的な、抽象的といえるような側面を持っています。つまり、よく言われるような実体的なパワー感の味ではありません。そして気品ある赤という方向性の究極が、コルトン・シャルルマ―ニュの区画、すなわちコルトンの丘最上部のマルヌの箇所の赤ワイン。残念ながらそれは絶滅危惧種です。そこでは皆がシャルドネに植え替えてしまっています。今回のコルトンも、2010年が最後のヴィンテージです。グレート・ヴィンテージである2009年は隙のない完成度と抜けのよさ。2、3年前に飲んだ時よりさらにおいしくなっています。コルトン・シャルルマーニュの区画の赤ワインが滅亡していくという事態を見るに、いかに世の中でアロース・コルトンが理解されていないかが分かります。コルトンの赤の代表区画がブレッサンドなどと思われている状況では、私は情けなくてコルトンの話をする気すら失せます。
 コルトン・シャルルマーニュに関しては、今回お出ししたMoniot-Nieのランゲット区画のワインが圧巻です。普通コルトン・シャルルマーニュは重心が上で水平的でシンプルな、正直グラン・クリュとは言えないようなクオリティです。しかしランゲットは垂直的で高貴で複雑で、風格があります。私は昔からランゲット区画の優越性を繰り返し言っています。飲めば一発で分かる違いです。コルトンの丘の地図を見れば分かるように、ランゲットは真南に向かって突き出した部分。そこに立ってみれば、皆さんも「確かにここは特別だ」と納得されるでしょう。しかしこのことを理解している人はめったにいません。というか、そのよさが分からないのでしょう。お出しした生産者のワインは日本未輸入ですし、他のランゲット区画のコルトン・シャルルマ―ニュも見かけません。高名なネゴシアン、ビショーのコルトン・シャルルマ―ニュもランゲット区悪なので、この生産者のワインの中でも秀逸な出来だと思いますが、世の中の誰がアルベール・ビショーのコルトン・シャルルマ―ニュについて語っているでしょう?もちろんランゲットは白だけではなく、赤も素晴らしいのですが、シャピュイのコルトン赤は日本のどこにあるのでしょう?これだけブルゴーニュが日本ではポピュラーだというのに、実はこういった状況です。グラン・ジュール・ド・ブルゴーニュのコルトンの会場で、私はランゲット区画の生産者たちの前にどれだけ人が集まるものか観察していました。みな、スルーでした。私の味覚のほうがおかしいのかと思ってしまうほどでした。
 もうひとつのLudovic Belinのコルトン・シャルルマ―ニュは、シャルドネ単一ではなく、多品種混植混醸です。普通のシャルドネ単一の白ワインの味わいとは大きく異なる、ダイナミックにうねるような、着地点を自ら探しながらあちこちへと触手を伸ばすような、不思議な味。現存するワインの中で似たタイプを挙げるなら、ダイスのマンブールです。当然といえは当然でしょうけれど。混植混醸だった昔のブルゴーニュはこんな味だったのでしょう。ちなみに区画はル・シャルルマーニュの、アン・シャルルマーニュに接する部分です。ランゲットではないので、やはり形としては水平的で重心が上で、普通のコルトン・シャルルマ―ニュです。それでもこのワインは歴史証言として貴重。まだ残っているうちに経験しておかねばならないワインのひとつではあります。
 ところで先日、シャンピーの前社長ムルジェイさん自身のワイナリーに行った時、コルトン・シャルルマ―ニュが出てきて、「田中さんはコルトン・シャルルマ―ニュのエキスパートだからこれを飲んでもらいたい」と。以前にシャンピーに伺って彼と醸造長に会った時、彼らのコルトン・シャルルマ―ニュを飲んで、「これはいかん。ここに欠けているものが分からないか?ちょっと・・・のワインを持ってきてほしい」と言いました。そして私はそのワインをブレンドし、「コルトン・シャルルマ―ニュは・・と・・の合体から味が完成する」と言い、彼らにそれを飲んでもらいました。彼らは「おおー」と。ムルジェイさんはその時の印象が鮮烈だったようで、今作っているコルトン・シャルルマ―ニュはその田中式。もちろんおいしかった。生産者でさえ、コルトン・シャルルマ―ニュの理想像を明確に描き切れていないのが現実なのです。つまり、本来のポテンシャルはめったに表現されることがない、残念なグラン・クリュ。だから逆に、知る人は知る、趣味のワインだとも言えるのです。今回は、おいしいアロース・コルトンがどれほど素晴らしいかを皆さんにしっかり経験していただけたと思います。

2018.09.10

I Clivi, Friuli Venezia-Giulia

 コッリオとコッリ・オリエンターリはどう味が違うのか。これを各人なりに納得しておくことはフリウリのワインを楽しむための基本である。クリュの理解などところが、よほどしっかりと頭の中で演算をしない限りは、別の品種と別の生産者のワインを比較していてもこの違いがなかなか見えてこないものだ。

コルモンスの北、ワイン産地としてはコッリ・オリエンターリの東端、コルノ・ディ・ロザッツォにあるイ・クリーヴィは、同じフリウラーノ品種と同じ製法でコッリオとコッリ・オリエンターリのふたつのアペラシオンのワインを造る。両者の違いを知るためにはこれほどふさわしい生産者はいない。

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▲上はフリウリ・コッリ・オリエンターリ側、下はコッリオからアドリア海を臨む。



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▲土壌はこの地の典型的な“ポンカ”。第三紀イオセーンの砂岩と泥灰岩。見て分かるとおり、この日は雨。年間降水量1600ミリというから日本と同じぐらいだ。それがフリウリのワインにやさしいしっとり感を与える。

ふたつの畑は数キロしか離れていない。前者は南西向きで湿度が高く、後者は南東向きで乾燥している、という違いはあれど、標高も150メートル程度で同じだし、土壌もミオセーンのポンカで同じ。しかし味は相当に異なる。コッリオのワイン、Brezan 2015はゆったりと大きな味わいでコクがあり、余韻に向かって味がおりていく印象。コッリ・オリエンターリのワイン、Galea 2015はスモーキーでフローラルで、スケールは小さく、さらっとした質感と抜けのよさ、そして余韻の酸が特徴。昼夜の温度差は前者のほうが大きいそうだが、確かに前者のほうが果実のボリューム感(暑さ)と酸(涼しさ)のコントラストが大きい。仮にブラインドで飲んだとしたら、私は前者のほうが粘土が多く、後者のほうが砂の多い畑だ、と、違いを表現するだろう。料理との相性に落とし込むなら、エビやイカを食べるなら前者、白身魚を食べるなら後者といった感じか。どちらのほうが好きか、ないし、どちらのほうに高い評点を与えるかといえば、大きさと長さにおいて若干勝るコッリオだが、使用目的を考えればどちらも必要なワインである。

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▲当主マリオ・ザヌッソさん。父親マリオはトレヴィーゾ、母親はコルモンス出身。自身はコネリアーノで生まれたあと、父親の仕事で10年アフリカに。帰国後父親は1995年にコッリオの地で1・5ヘクタールの畑を購入。ワインはステンレスタンクで発酵・熟成。



 これだけ明確な違いが表現されるには正当な理由がある。イ・クリーヴィは1995年に初めての畑を買ってからずっとオーガニック栽培をしており、認証も2007年に取得していること。そして60年から80年という古木の畑であり、ブドウの根がしっかり地中深くまで張って、土地のミネラリティーを伝えることができること。さらにはテロワールを表現するために必要な、自然酵母や無清澄等のストレートな醸造をしていること。ステンレスタンクを用いるのも純粋さの表現のためだ。フリウリのオーガニックというと、キャラクターを求める人が多いと思うが、イ・クリーヴィは逆に、キャラクターではなく無色透明性を求める人のためのワインである。

 コッリ・オリエンターリのワインに関しては、高級な“クリュ”ワインGaleaではなく、安いSt.Pietroのほうが私は好きだ。こちらのアペラシオンは格下のフリウリ・ヴェネチアDOP。畑は斜面上部にあり、樹齢は60年とクリュより10年低く、シュール・リーの期間は四分の一の6カ月と短い。私は樹齢が高ければ高いほどいいとは思わないし、シュール・リーは程度問題であって、長すぎると澱の粘り気や酒かす的風味が勝ちすぎると思う。コッリ・オリエンターリは抜けのよさが魅力のひとつなのだ。もともと粘りがあって重たくなりがちなフリウラーノには、そこまで長いシュール・リーが必要なのか。純粋さの中にあるディティールの豊富さ、自然の風景を感じる見晴らしのよさ、といった、自分にとっての重要なイ・クリーヴィらしさは、安価なワインのほうがよりよく表現されている印象なのだ。

 MLFに関しては、最初の十年は行っていたが、フリウラーノとリボッラに関しては、2014年のような酸の高すぎるヴィンテージを例外として、今は行っていない。どちらがいいかは議論が分かれるところだ。少なくともMLFをしていないほうが、本当のポテンシャルが開花するまでに時間がかかると思う。

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▲敷地を歩きながら熱く語るマリオさん。

 

 ところで当主マリオ・ザヌッソと畑を歩きながら、こんな話をしていた。

Z「DOCでは23の品種が認可されている」。

T「なぜフリウリは単一品種ワインばかり造るのか。品種が多いということは、常識的に考えて、昔は混植混醸ではなかったのか。特にマルヴァジアとフリウラーノとリボッラという3大地場品種はお互いに補いあい高めあうような個性だと思う。収穫時期がずれすぎたら混醸はできないが、これらは同時収穫が可能なはずだ」。

Z「いや、私はそれぞれの品種の最適熟度で収穫したいから混醸はしないが、ブレンドのほうがよいと思って96年から07年はそうしていた。コッリオのコンソルツィオはそれら3品種のブレンドであるコッリオ・ビアンコDOCの制定について長らく議論しているが、いまだに結論が出ない」。

T「一長一短みたいな味のワインがたくさんあるより、コンプリートな味のワインがひとつだけあるほうが消費者にとっても分かりやすいではないか。なぜ品種名が必要なのか。大事なのかテロワールであってマルヴァジアやリボッラという品種のキャラクターではないはずだ」。

Z「消費者はブドウ品種の名前でワインを選ぶ。瓶の中に何が入っているか知りたがる」。

T「ああ、アングロ・サクソン的ワイン観の悪い影響だ。なぜ長い歴史をもつイタリアが、ヴァラエタルワインコンセプトの軍門に下るのか。恥を知れ。品種名を知ってどうする。23ものDOC品種の個性を消費者は理解しているのか」。

Z「いや、いくら説明しても十分後には忘れている」。

T「そんなものだろう。中途半端に品種名だけ覚えて分かった気になるより分からないほうがずっといい。それは今のワイン教育の問題でもある。ワインはとことん知るか、何も知らないかのほうが正しい選択ができる」。

Z「とはいえ、ワインは売らねばならない。消費者がブドウ品種名でワインを買う以上は、単一品種ワインを造るしかない」。

T「ビジネスを考えたら、もちろん現状ではそれ以外にないことは分かる。あなたのワインが好きな顧客に一種類のブレンドワインではなく多くの単一品種ワインを売るほうがらくだ。店のフェイスも確保できる。10種類のワインを100人に売るのと1種類のワインを1000人に売るのでは、後者のほうが時間と費用がかかるから、どこのワイナリーも少量多品種生産になる。しかし人間の能力には限りがあるのだから、ひとつのワインに全力を注入したほうが結果はよいものになるのが普通だ。ボルドーはこの観点からすれば本当にたいしたものだ。なんとももどかしい。だから単一品種のワインを造って利益確保してから、理想のブレンドワインをプレステージワインとして造るのが正しい戦略だ」。

Z「では1997年のワインを飲んでみてほしい」。

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▲97年のガレア。フリウラーノ主体にシャルドネとソーヴィニヨン・ブランとピコリット。生命力に溢れている。左奥はサン・ピエトロ。

 ワイナリーに戻ってそれを飲む。すごい。現状のワインでもフリウリ最上レベルの品質だが、往年のワインは次元が違う。複雑さとスケール感がありつつ、よりフォーカスが定まり、これだけ熟成しているのにビビッドで、躍動感がある。こちらのほうが悪いと思える人が信じられない。しかし残念ながら、そう思う人が多いから、生産中止になったのだろう。何度も言うが、品種の個性を評価の基本としている以上は、本当にすごいワインのすごさは分からない。ペトリュースはメルロらしいからよいワインなのか?まったくらしくないではないか。なぜ同じ評価軸をフリウリのワインに対して該当させられないのか。それは誰もコッリオやコッリ・オリエンターリをグランヴァンだとみなしていないからだ。マリオによれば「コッリオの平均価格は4ユーロだ」という。つまりはスーパーマーケット用コモディティだ。そういうワインがあってもいいし、それはそれでありがたいことだが、そういうワインしかないと思うのは決定的な間違いだ。

 幸いなことに、新しく植えた畑は混植だという。5年後には市場に出てくる、と。その畑はフリウラーノ50%、リボッラ50%だから、私はメールで「その比率は間違いだし、二品種では立体感が出ない。フリウラーノ65%、リボッラ27%、マルヴァジア7%、ピコリット1%といった比率がよい」とは伝えた。ともあれ混植は大いなる進歩だ。そのワインが登場するまでに、我々はフリウリのワインをより正しく評価できるよう、しっかりとテイスティング能力を磨いておかねばならない。

2018.09.08

Toros, Friuli=Venezia Giulia

 しっかりしたボディのフリウラーノの生産者として、トロスは覚えておくべき名前だ。新樽熟成ワインが15%ブレンドされるのがいい。基本的にはクリーンでクリアーな味わいに適度なアクセントを加えるだけではなく、コッリオの平地から緩斜面の畑らしいおおらかさを強めてくれる。10ヘクタールの畑から年間6万本生産されるうち、フリウラーノは2万5千本を占める。この品種をメインに据えるのは正しい。なめらかで厚みがあり、リッチでいて垂直な芯をきちんと備え、上に放散されるエネルギーを感じる、表現力豊かなフリウラーノ2017。壁にはトレビッキエーリの賞状が並ぶ。当然だと思う。

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▲フランコ・トロスと娘、クリスチアーナ。

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▲たくさんのトレビッキエーリの賞状が壁を飾る。



 当主フランコの娘でコマーシャル担当のクリスティーナによれば、「コッリオは白の産地。オリエンターリは赤の産地」とのこと。高いアルコールとクリーミーな質感とメリハリのある酸が印象的なリボッラ・ジャッラや、シリアスな構造とエレガントな佇まいのあるピノ・ビアンコも上質だ。興味深いのはソーヴィニヨンで、いかにもこの品種らしい垂直性や酸のビビッドさは健在ながら、いかにもソーヴィニヨンな香りやエッジ感という品種の個性より、とろりとリッチなコッリオという土地の個性のほうが上回っている。多くの品種をこれだけ均一に高いレベルで仕上げる技には感心させられる。

トロスのワインに特徴的なのは、中心密度の高さや腰の据わりやミネラルの緻密さである。「コッリオの最大収量はヘクタール当たり110キンタルだが、うちでは50から60」。つまりはブルゴーニュ1級から特級と同じ。本来ならそうでなければならない。

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▲発酵はステンレスタンクで。



 ところがピノ・グリージョは同じ生産者の作品とは思えないほどつらない味で、薄く、軽く、短い。「いまはイタリアではピノ・グリージョが増えている」と言うが、彼らがこの品種を好んでいるとは思えない。ある巨大生産者の名前を挙げて、「彼らが大量生産してアメリカにたくさん売って人気になった」と。この品種の白ワイン(ロゼというかオレンジワインはおいしいが)には、トロスであれどこであれ、注意したほうがいい。世の中にいかにフリウリのピノ・グリージョが溢れようと、だ。

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▲トロスのワインに共通する、どこにも凹凸・破綻を見せないバランス感と品位の高さは、高級レストランにもぴったりだ。しかしスタイル優先でなく、どのワインもきちんとコッリオの味がする。フランコは上手なワインメーカーだとつくづく思う。


 樹齢65年の木からたった千本だけ造られるメルロ・レゼルバ2013年の出来がこれほどまでとは知りようもなかった。なめらかでクリーミーな厚みはいかにもコッリオであるし、またメルロに期待したい特徴。白と比べると性格が異なり、分かりやすい積極性ではなく、内面に沈降するような陰影を備えつつ、華やぎを忘れない、絶妙のバランスが魅力の中心となる。メルロにとっては涼しい産地なのか、若干のミント風味もあるが、それがまた上品。降水量の多いフリウリならではのしっとり感や柔らかく起毛したかのようなタンニンの質感も好ましく、イタリアのメルロにありがちな果皮が焦げたかのようなスパイシーさや苦みやエッジとは無縁。アメリカ&スーパータスカン的なぐいぐいと押すようなメルロではなく、古典ヨーロッパな引きが美しいメルロを求めるならこれだ。

Rodaro, Friuli=Venezia Giulia

 フリウラーノは役に立つワインだ。あまり強くないが比較的すっきりした香り。たっぷりとしたボディとソフトな質感と遅い流速と低い酸。イタリアの白ワインでそういうブドウ品種は少ない。多くは案外とタイトで酸が高いものだ。例えばチーズなりチーズソースのパスタに何を合わせるのかと問えば分かる。パッセリーナでもトレッビアーノでもフィアノでもカタラットでもない、フリウラーノこそが第一のチョイスだと言いたい。

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▲ロダーロでのテイスティングの時に出されたチーズプレート。地元名産のモンタージオとフリウラーノの相性があまりに素晴らしく、ついつい食べ過ぎてしまう。


同じフリウラーノでも堂々とした太さを求めたいならコッリオがいいだろう。しかし繊細さが必要ならばコッリ・オリエンターリということになる。ロダーロの畑はアルプスから50キロ、アドリア海からも50キロという、山と海のちょうど中間地点にある。このバランス感がいい。悪くいえば個性が弱いのかも知れないが、くせや過度な自己主張がなく、期待する特徴が素直に表現されているという点で、ロダーロのフリウラーノは基本の味といえるワインだ。

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▲パオロ・ロダーロ氏。迷いなく自らのスタイルを追及している。



現在の当主パオロ・ロダーロで6代目となる、1846年創業の老舗ワイナリー。所有面積は135ヘクタール、うちブドウ畑は57ヘクタールと、家族経営ワイナリーとしては相当な大規模である。輸出比率は40%と、規模を思えば少ない。しっかりと地元で評価されているワイナリーだし、だからこその順当で素直な味なのだ。個性が強い、コメントを並べやすいワインというものもあり、概してそういったワインが輸出市場では評価されやすい。いや、輸出市場ならずともイタリアの評価本でも事情は同じだ。個性が弱いワインはそこそこの品質で安価といったタイプ(1200円のピノ・グリージョとか)ならスーパーマーケット等で売られるだろう。だから輸出市場で最も目立たないのは、普通の味で、高品質で、相応の価格というワイン。寿司店を例にするなら、回転寿司と銀座のミシュラン星付き店のあいだの、地元に根差した、ランチのおきまり2500円といった店。しかしそれが確実においしいというのは経験上知っているはずだ。だから私はロダーロを訪れた。パオロは会うなり、不思議そうに、「なぜうちに来たのか」と聞いてきた。それはそうだろう。フリウリで外国人が行くワイナリーは決まっている。皆さんもご存じの3、40軒ほど。それだけでは私が知りたいことが知りえない。

 テイスティングはクラシコ法のスパークリングから。ブリュット・ナチュールはシャルドネ90%とピノ・ノワール10%のブレンド。収穫は820日だからフランチャコルタよりは遅い。なぜブルゴーニュ品種なのかと問うと、「最高品質のスパークリングは国際品種だから」。色が濃く、タンニンを感じ、相当酸が強い。「砂糖を入れると一杯以上飲めないから」ドザージュはゼロ。これは明らかに食事が必要なワイン。「他のコピーはしたくない」と言うが、確かに個性が強いワインだ。味としてはピノ・ノワールのロゼ(こちらもノン・ドゼ)のほうが完成度が高い。しかしコッリ・オリエンターリであえてシャンパーニュもどきを造る意味はどこにあるのだろう。

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▲基本となるクラシック・シリーズの白ワイン。ステンレスタンク発酵熟成のストレートな味わいがいい。


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▲フリウラーノ品種。撮影は6月7日。


次にいろいろな品種の白。ピノ・グリはフラットで薄いし、ソーヴィニヨンは単調で抜けが悪いのに苦い。シャルドネはおいしくないに決まっているからパス。こうしたワインを飲むと、つくづくフリウリの国際品種ワインが嫌いになる。それに対して当然とはいえ地場品種3つは見事な出来。エネルギー感が高く、安定感がある。リボッラとマルヴァジアはどちらも構造が堅牢で、コッリ・オリエンターリらしい引き締まった酸がある。そして予想していたとおり、フリウラーノが最も素晴らしい。ハーブとスパイスの香り、なめらかでとろりとした質感、キビキビしたリズミカルな酸。飲んだあとに味が持ち上がっていく余力と、絶妙な華やぎは、これまでのワインには見られなかった特質だ。「畑があるチヴィダーレ・デル・フリウリのロカリタ・スペッサは昔から最上のフリウラーノが収穫できる土地とされてきた」。問題は、そのようなフリウラーノにとって最上の土地で、他の品種のワインを植えねばならないことだ。彼らの責任ではない。消費者の無理解がこのような事態を招く。ポムロールはメルロを植えればいいのであって、シャルドネやマンサンを植える必要はないと誰もが知っている。それはマーケティングの成果であり、教育の結果である。グラヴナーがリボッラ・ジャッラのみに特化したように、誰もがそれぞれの土地で最上の成果を挙げるブドウに特化することができれば、フリウリワインの質は遥かに向上する。

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▲ロダーロの畑はどこも水はけ、日当たりに優れた斜面にあり、ワインには斜面特有の抜けのよさがある。環境保全型農業の認証を取得しているが、年に1回だけ除草剤を使う。これでオーガニックになれば、少なくとも除草剤を廃止すれば、どんなに品質が向上することだろうか。除草剤使用は残念でならない。


フリウラーノ以上に感心させられたのが地場品種の赤ワイン、スキオペッティーノ、レフォスコ・ダル・ペドゥンコロ・ロッソ、ピニョーロだ。ロダーロの赤がこんなによいとは知らなかった。クリスプで垂直的できめが細かく香りがフローラルで華やかなスキオペッティーノ2012、キビキビとして品格が高く濃密な味(しかし色は案外と薄い)のピニョーロ2010。そして丸みがあって伸びやかでダイナミックなコクがあるレフォスコ2009。普通、この3つのワインはレフォスコが一番見劣りするものだが、ここではむしろレフォスコがいい。「これこそが私の品種」とパオロが胸を張るだけある。

これらRomainシリーズと名付けられた赤ワインは、すべて遅く収穫して2カ月から6カ月のあいだパッシートをかける。つまりはアマローネと同じ、また既に述べたモスキオーニと同じ製法である。そうするとアルコールっぽく感じられたり、フレッシュさが失われたりする可能性もあるが、ロダーロの赤はどれも鮮度感を失っていない。特にレフォスコ2009年に至っては既に長い熟成を経ているにもかかわらず、若々しいエネルギーがある。見事なワインである。

 

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