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2018.09.23

松瀬酒造でのコンサルティング

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 松瀬酒造さんへの何度めかの訪問。仕込み前にすべき重要な事柄をお伝えしに行きました。
 それにしても、ずいぶんお酒の味が変わりました。最初に伺った時には正直、前途多難だと思いましたが、こんなにすぐに変化がみられるとは自分でも驚きです。松瀬社長と石田杜氏のフレキシブルな感性、技術力、そして行動力に感謝します。
 ひとつ大問題は、せっかく作り上げた野心的な作品が販売されていないことです。これを読まれた方が蔵に行っても飲めるかどうか。純粋に実験作なのです。以前、日本橋浜町ワインサロンでお出しした「田中式」純米大吟醸もそう。講座にご参加の方々は皆絶賛されていたし、私も手前味噌ながら傑作だと思っていますが、非売品。ある意味、しかたありません。通常の日本酒評価基準では評価しようのない個性だからです。これを伝えるには相当な努力が必要です。当たり前ですが、製造と販売は車の両輪。プロダクトアウト型商品は伝える言葉がなければ売れません。日本酒の場合、誰がどこでどのような言葉を発すればいいのでしょう?この問題は次のテーマです。
 恒例の比較試飲。現在“流行”の売れている希少銘柄が集められており、蔵の皆さんと一緒に私も意見を言い合います。前回は十四代の天才的なディティール感の描写と隙のない(しかし空気感のある)全方位的な構成美に改めて感銘を受けましたが、今回は20代半ばの若手杜氏、田中祐一さんが造る話題の新潟のお酒、加茂錦「荷札酒」の軽やかな上昇力、細かく大量の味の粒子がおりなすしなやかで繊細な構成、静かなダイナミズム、広がり、垂直性、前後感、気品に感激しました。
 松瀬酒造さんの「田中式」のお酒は真ん中のハーフボトル。伝統の地場品種、渡船の個性が生かされ、逞しさや高密度感や太いリズム感が、滋賀県らしくていい。これだけは他のお酒とはまったく別の世界で、似たものを挙げるなら、往年のマルセル・ダイス。圧倒的なエネルギー感と立体感。アルザスが自給自足的スタティックバランスの美学を求める産地ではなく、異なった力のぶつかり合いが生み出すダイナミズムが魅力の産地だと思う人なら、滋賀もまたアルザス的なのだと、個人的には思っています。質量感のある要素が口中のあちこちにぶつかりながら上昇していき頭頂を目指して収束していく様子と、ずしんと太い骨格が根を下ろす様子がいいと思います。しかし、それを「いい」とするための前提は何か。その目的意識と価値観が生産者から消費者に至るまで共有されていなければ、理解はされるわけもありません。
 本来、技術とは、目的・価値観・美意識の実現のためにあるのですが、日本酒の場合、そこが明確にされず、ひたすら醸造学的欠陥を除去することを目指しているような気がします。私がしつこく言っていたのは、欠点を削るのではなく長所を伸ばせ、過剰なところを切るのではなく不足しているところを補え、ということ。そうしなければ、よくある日本酒のように、小さくまとまったつまらない味になります。では何が欠けているのかをどういう視点から認識することができるのか。その認識方法をお伝えしていたのです。
 以前から提案していた「テロワール・シリーズ」の最初の作品が出来上がっていたので、そのふたつも試飲しました。これは単一クリマ酒です。使用米が現状で正しいとは思えませんが、それでも結果としてはいい感じ。いかにも原料米の田んぼらしい味がしています。しかし世界中の誰が、滋賀県竜王町各地の田んぼの「らしさ」を知っているでしょうか?ワインの場合、ひとつの絶対的価値基準はその畑らしさです。それが共有されているから、結果としてのワインのよしあしが判断されます。このようなお酒は造るのはむしろ簡単ですが、伝えるのが恐ろしく難しい。美味しいかまずいか、好きか嫌いかではなく、絵と同じように、「りんごを描く」と言って描いた絵が、結果がりんごらしいか、それともみかんに見えてしまうかがまず問われねばなりません。しかしりんごを見たことがない人に、この問いは可能でしょうか。では皆さんが「シャンベルタンらしい」と言う場合、全員がシャンベルタンの畑に行ったことがあるのでしょうか。そんなことはありません。それなのに「シャンベルタンらしい」と言えるし、それで通じます。なぜでしょう?よく考えてほしい点です。
 ああ、それにしても、こういったことを広く議論できる場が欲しい。

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