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2018.10.13

『アンバー・レボリューション』著者、サイモン・ウルフ氏の講演

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 アンバーワイン(オレンジワイン)に関する本を著したサイモン・ウルフ氏のワイン上級者向け講演がアカデミー・デュ・ヴァンで行われました。満席でしたが、主催者であるヴァンドリーヴのスヘイルさんのご厚意で部屋の隅に席を作っていただき、お話を聞くことができました。
 彼の定義では、オレンジワインとは「果皮と共に発酵された白ブドウのワイン。発酵時に温度調整なし、野生酵母による自然発酵」です。ずっと「果皮」のみの話をしているので、私は質問して、「果皮だけではなく種についても言及すべきではないか」と。実際、オレンジワインは果皮と種を果汁と一緒に発酵させるのですから。答えは「種も大事だが、果梗のほうが大事だ」と。ジョージアのカヘティ地方においては果梗もクヴェヴリに入れますが、ヨーロッパのオレンジワインは私の知る限り除梗します。タンニンは種に多く入っているのですから、オレンジワインのひとつの特徴であるタンニンのある白ワインという側面を考えるなら、私ならば「果皮・種と共に発酵」と言います。また、ピノ・グリやゲヴュルツのオレンジワインを思えば(それらは常に成功しています)、「白ブドウ」だけではなく、「白ブドウもしくはグリブドウ」と言ってもいいかも知れません。
 「温度調整なし、野生酵母による自然発酵」という制約をオレンジワインの中に含めるのもおもしろい点です。その理由は、「そうでないと本当のキャラクターが表現されないから」。しかしそれは白でも赤でも同じことではないかと思います。「オレンジワインはヴァン・ナチュールと同義ではない」と言っていたのですから、オレンジワインの定義にヴァン・ナチュールの内容を持ち込むのは話を複雑にします。では「温度調整した果皮・種と共に発酵した白ブドウのワイン」はなんと呼べばいいのか。そもそも室温の低い石造りのセラーの中で発酵させること自体、温度調整です。コンピューターコントロールのウォータージャケット付きタンクで温度調整したらだめで、室温での調整や外部からの人力水かけなら温度調整のうちに入らない、というのは無理があるわけで、オレンジワインの本質とは遠い話です。つまり、大きなカテゴリーとしてオレンジワインがあり、その下位カテゴリーとしてナチュラル・オレンジワインとインダストリアル・オレンジワインがある、といった定義にしておけばいいのです。
 全部で12種類の、世界じゅうのオレンジワインが提供されました。世界じゅうと言っても、多くは旧ハプスブルク帝国ゴリツィア・トリエステ地域とその近縁が主体です。ブルゲンラント、シュタイヤーマルク、スロヴェニア、クロアチア、トレンティーノ・アルト・アディジェ、そしてもちろんオスラヴィア。オレンジワインはまるでハプスブルク帝国ワインのように思えてしまうほどでした。本来なら、黒海沿岸ワインがもっと含まれないといけないと思うのですが、それらは輸出用ワインになっていませんからしかたありません。
 それらプラス、ルーションを含めた十本の大半は早摘み傾向でした。コメントには、重心上、固い、小さい、という同じ言葉が並びます。ウルフさんも「酸が大事」と言っていましたし、現在の世の中で最重要視されるのはどうも酸であって完熟風味ではないようですから、この傾向はしかたありません。ナチュラルワインの人ほど早摘みが目立つ気がします。しかし以前の投稿で取り上げたフリウリのグラヴナーやラ・カステラーダやブレッサンは早摘み味ではありません。早摘み味は酸はあるかも知れませんが、私にとっては土地の個性も品種の個性も減じられるし、エネルギー感、スケール感、余韻がないので、飲んでいておもしろくありません。それはオレンジワインかどうかの話以前の問題です。
 その点、最後のジョージアの2本、カヘティとルカツィテリとムツヴァネは次元の違う完成度でした。それらはノーマルなカヘティであって、ツィナンダリのようなクリュではありませんでしたが、それでも、です。
早摘みではありませんから重心は真ん中にありますし、スケール感・立体感があり、滔々と流れるような大きな流れがあります。西洋のオレンジワインが頭で考えている味なのに対して、ジョージアのオレンジワインはDNAに組み込まれて無意識に作られているような味。外国人が作る味噌汁や寿司のぎこちない味と、日本人が普通に作るそれらの味の違いと同じ。こればかりは歴史文化の違いです。それらがジョージアワインらしくないという意見もありましたが、たぶんそれはあるグループのジョージアワイン(日本では一般的な)を基準としているからで、私にとってのジョージアワインが好きなポイントは無意識性の完成度です。
 オレンジワインの評価基準が確立されていないといった議論もありました。私はそうは思いません。オレンジワインだろうが赤ワインだろうが、評価基準は同じです。抽象表現主義だろうが構成主義だろうが後期印象派だろうが、感動する絵は感動するのであって、つまりはおいしいものはおいしいのです。おいしさを因数分解するなら、香りの美しさや姿形の整い方やダイナミックさや浸透力やエネルギー感や大きさや余韻の長さ等々となっていきます。しかし多くのオレンジワインは、まだまだ発展途上段階ゆえ、香りがきたなかったり、姿形が乱れていたり、エネルギー感がなかったり、余韻が短かったりしています。それはオレンジワインだからダメなのではなく、下手な造りだからダメなのです。
 例えばオレンジワインブームをけん引してきたひとり、フォラドリのノジオラを見てみましょう。十数年前に初めてフォラドリがティナハを使い始めた時は、あまりにまずくて驚きました。ノジオラも粘土臭くて困惑しました。しかし今回出された2014年(二枚目の写真の白ワインにしか見えないものがそれ)は恐ろしくピュアな香りで抜けがよく、以前とは別物です。早摘みは問題ですが、一時のフォラドリがまずかったのは、フォラドリ自身のせいでも製法そのもののせいでもなく、造り方をマスターしていなかったからだとわかります。他の生産者も十数年継続して造っていれば、フォラドリのように見違える出来になると期待します。
 白、ロゼ、赤と並ぶひとつのカテゴリーとしてオレンジワインが一般化した現在、オレンジワインについての議論がしっかりなされることは大きな意味があります。このような深い理解が得られる機会を与えてくださり、ありがたいと思います。
 
 このあと東京駅の大丸11階で行われているワイン催事に行きました。そこでいろいろとテイスティングしましたが、大半は早摘み味で、重心上、固い、酸っぱい、小さいワインばかりでした。いったい世の中どうなっているのでしょう。本当にこんな味で皆いいと思っているのでしょうか。会場にはジョージアのワインもありました。クヴェヴリ発酵のオレンジワインや赤ワインを飲みましたが、ちゃんと熟したブドウの味がしましたし、ここでもまた別次元の完成度でした。
 単純に言えば、ジョージア万歳、という結論の一日でした。
 

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