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2019.01.03

2018年の20本

2018

2018年に出会った最も印象的なワインを20本選んで紹介したいと思う。多くのワインが異なった理由で大変に素晴らしく、本来なら到底20本では済まない。ちなみにワインの並び順は優劣とは関係ない。

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Voyots Dzor Karasi (Aleni Noir) 2016 Zorah

アルメニアにある世界最古のワイン醸造所跡、アレニ1遺跡の向いにあるワイナリー。アレニ1の近くに残る樹齢数百年のアレニ品種のブドウから取り木して増やした自根の畑。コンクリートタンク発酵、カラシ(陶製の甕)熟成。ある意味、ワインに関心があるすべての人にとっての基本のワインのひとつ。ジョージアと並んでアルメニアはワインの原産地だが、そのワインはジョージアとは大きく異なり、ジョージアがアジアの味ならアルメニア(言語的にはインド・ヨーロッパ語族)は明らかにヨーロッパの味がする。地酒的な朴訥感をアルメニアに期待してはいけない。上品で、緻密で、垂直的で、堅牢な、紛れもないグラン・ヴァン。ワインは最初からそうだったのか。。。。。

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Herefordshire, England  Pinot Noir Early  2013  Sixteen Ridges Vineyard

気候変動ゆえに温暖な味わいのワインが多くなった昨今、正しく冷涼な味のワインを求めるなら高地や高緯度に行くしかないのは当然だ。そしてこのピノ・ノワールは、まさしく期待通りの冷涼風味を備え、贅肉がなく、緊張感のあるミネラルに支えられた、気品のある味わい。イギリスのワインといえば、すぐにイングランド南東部海沿いサセックス州のスパークリングが語られるが、これは南西部ヘレフォードシャー州の色の薄い赤。サセックスより涼しく雨も多く、それゆえに、イギリス以外の何物でもない個性。2007年創業の新しいワイナリーの若木のワインであってもこの完成度なら、樹齢が高くなればどれほどの質となることか。イギリスのテロワールの素晴らしいポテンシャルを垣間見ることができる。当然ながら日本未輸入。

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Conca de Barbera  Coll del Sabater 2017 Escoda-Sanahuja

圧倒的なパワー感。唯一無二といえる陶酔的なうねり感。危険な官能性。全方位的な広がり。底が見えない厚み。嚥下後の肉体の浮遊感。エスコダ・サナフヤは現在世界最高のワイナリーのひとつである。アンフォラ発酵・熟成の自然派ワインの雄として有名だが、このコル・デル・サバテール2017年は、アンフォラであるとかSO2無添加であるとかを超越した奇跡である。完熟して完全発酵できないほどに潜在アルコール度数が上がってしまったこの年のカベルネ・フランと熟しても10度にしかならないパレリャーダ(カバ用の白ブドウとして知られる)を混醸。尋常ではない発想だが、一度経験してしまえば、これこそが正解だと思える。今まで飲んだすべてのワインの中でも最もインパクトが大きなワインのひとつ。ちなみにラベルはオーナーがその場で作ったもので、中身はタンクから直接手詰めの特別版。


2018

Collio Ribolla Gialla 2008 Gravner

西洋で初めてジョージアのワイン製法を己のものとしたグラヴナーの到達点。かつての野心作・実験作然とした過剰なほどの思いをまとった物質性はもはやなく、ただただ完成された美しい形が中空に浮かび上がる、スピリチュアルな抽象性。彼の苦闘はこのワインを我々に与えるためだったのか。涙なくしては飲めない。陳腐な表現ではなく、本当に感謝している。もしこれを飲んで頭を垂れない人がいるなら、それはワインファンではない。少なくとも愛あるイタリアワインファンではない。猫も杓子もオレンジワインと連呼する昨今だが、世に溢れるオレンジワインの過半はしょうもない遊びだ。グラヴナーなくして彼らのオレンジワインもないのは事実だろう。ならばなぜ謙虚にグラヴナーから学ばないのか。彼らが将来グラヴナーの境地に至ることが可能かどうかは甚だ疑わしい。グラヴナーは現在、ただ一種類のワインのみ造る。一所懸命とはこのことだ。人の能力には限りがある。30種類のワインを造る中の一本と、ただ1種類のワインに全精力を注いだ一本と、同じ結果になるだろうか。ましてやその人は、偉大なるヨシュコ・グラヴナーなのだ。生半可なオレンジワイン談義をしている暇があるなら、黙ってこれを飲め。

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Alsace  Dionysiuskapele Gewurztraminer  2017  Lissner

アルザス、ヴォルクスハイム村の生産者組合長リスネールの意欲作、ゲヴュルツトラミネールのSO2無添加オレンジワイン(色は茶色っぽいロゼ)。2017年というヴィンテージらしいクリアーさ、おおらかさ、素直さがプラスに働き、見事な作品になった。ゲヴュルツトラミネールのエキゾティックな香りとタンニンとトロミが醸し発酵によって倍加され、SO2無添加のマイナス点は感じられず(アルザスの無添加白ワインで心底おいしいものはあまりない)、プラスの側面であるスケール感や質感の厚みが際立っている。構成力のある味わいは積極的に料理に合わせていきたくなる。このオーガニック生産者はいま世代交代時期で、積極的に新しい試み(特に栽培方法)に挑戦しており、目が離せない。直観力に長けていながら極めて知的なアプローチをとり、ビオディナミはあえて不採用。我々にとっては、ある種の知的ゲームを通じての真理探究という興奮が得られる。日本未輸入。

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Bourgogne Aligote  2015  Domaine Marius Delarche

ペルナン・ヴェルジュレス村の名門、ドラルシュの大傑作。ブルゴーニュで好きな白は、と聞かれたら、このアリゴテの名を挙げる。ペルナンのアリゴテがブルゴーニュ全域を見渡しても傑出している事実は、ブルゴーニュの生産者なら、経験上、知らぬ者はいない。多くの生産者との話のなかで、「ペルナンのアリゴテ」と私が答えて{へえー」と言われたことはなく、「そりゃそうだ」という反応である。それはコート・ド・ボーヌの畑地図を見ただけでも一目瞭然だと思う。しかし昔から私が日本で同じことを言っていても常に「へえー」どころか完全スルーである。日本にアリゴテファンはいないようだ。このアリゴテは、コルトン・シャルルマ―ニュの丘の北側、標高の高い南向き緩斜面の畑に植えられた古木から。完全にコルトン・シャルルマ―ニュ・アン・シャルルマーニュと地続きの味で、姿形がグラン・クリュ的に整っており、余韻も地域名ワインとは思えないどころか、グラン・クリュ並み。つまりは、よいテロワールの味がする。ドラルシュのシャルドネ(村名や1級。ここのグラン・クリュ・コルトン・シャルルマ―ニュはアロース村にあり、例外的な、そして注目すべき混植混醸)と比較してもアリゴテのほうが垂直性や質感の緻密さや香りの繊細さに優れている。このワインを飲めば、アリゴテは二流品種なのではなく、ほぼすべての場合において二流テロワールに植えられているから地域名ワイン格付けでしかないのだ、と分かる。このテロワール優勢という観点を獲得することこそ、ブルゴーニュ理解の基本なのではないのか。なぜ日本では、ブルゴーニュというと、口ではテロワールと言いつつ、実質は生産者優勢の考え方が支配的になるのか。だから過去何十年、「好きなアリゴテは?」と聞くと、「だれだれのアリゴテ」という答えしか返ってこない。それがどれほど反ブルゴーニュ的な答えなのかをブルゴーニュファンの方々が自覚していない状況が、それ以上にこの論点(なぜ、だれだれのアリゴテと答えてはまずいのか)さえもが理解されない状況が、「ブルゴーニュとはまずはテロワールを鑑賞するワインなのだ」と20年以上言い続けてきた私としては、自分の力不足を痛感して、情けない。当然ながら日本未輸入。

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Niederoesterreich Zweigelt  2015  Stift Altenburg

チャーミングでほんわかフルーティな方向性も大好きだが、ぴしっとした硬質な骨格のあるツヴァイゲルト、つまりブラウフレンキッシュの血筋を色濃く感じるツヴァイゲルトも素晴らしい。チェコ国境に近いヴァインフィアテル、リンベルク(ブラウフレンキッシュのドイツ名レンベルガーの由来という説あり)のアルテンブルク修道院のこのワインは、ペン画のようにくっきりとした酸と清涼感のある伸びやかな香りを備えた、冷涼なオーストリアワインを求めるならば最高の作品。地球温暖化ゆえにほんわかフルーティなワインの比率が高くならざるを得ないオーストリアにあって、この冷涼さはむしろ貴重だ。ヴァインフィアテル=安価なグリューナーという認識にとどまってはいけない。そもそもこの畑は極めて特異な白いダイアトム土壌。他では得られない個性が感じられる、貴重なツヴァイゲルトである。日本ではオーストリアワインといえば、ヴァッハウやカンプタルのような大メジャー産地の大メジャー生産者のものか、それともSO2無添加・アンフォラ・オレンジワインが興味の対象となっているようだが、オーストリアワインの本来のオーストリアらしさは、こうしたワインにこそより感じられると思う。さらに言うなら、このワインの美点が分からない(好きかどうかはまた別の話)人をオーストリアワインファンとは呼びたくないが、当然のごとく日本未輸入。

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Maranges Le Saugeot  2016  Domaine Edmond Monnot

陰影の濃さ、逞しさ、地酒っぽい朴訥感といった、通常ブルゴーニュワインには求めない特質を備えるマランジェは、よい意味で時代の流れに乗らない産地である。口あたりのよさ、分かりやすい華やかさ、といった「きれい」さが最重要評価ポイントになっている状況では、マランジェは二流どころか三流ワイン。単一の評価基準しかなければ、最上のグラン・クリュ以外はすべて一・五流が関の山であり、結局は高いものがいいワイン、という、どうしようもない結論に縛られることになる。しかしテロワールに即した複数の評価基準を獲得すれば、マランジェは「他と違うからいい」産地になる。地質年代的にはマランジェはコート・ド・ボーヌの中で最も古い。ブルゴーニュ=ジュラ紀という了解で基本的にはいいのだが、このワインの畑のあるマランジェの西端の丘は三畳紀。性格的にはジュラ紀の派手さとは逆に、内向的で暗く、標高300メートルえ台後半という高さにもかかわらず重心が下。ゆえに通常のブルゴーニュとは異なる用途で魅力を発揮することができる。こうしたユニークな個性を発見するのがワイン趣味のひとつのおもしろさだと思うが、もちろん日本未輸入。

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Vin de France  Benjamin de Meric  2016  Chateau Meric

1964年にオーガニックを始めた、ボルドーで最初の認証オーガニック生産者、シャトー・メリック。ビジネスのにおいが強すぎ、何がやりたいのかではなく、何が売れるのか、を考えすぎに思えるボルドーにあって、プリムールや英米評論家の点数とは無縁の、オーガニックワインが好きな顧客に直接売ってきた、実直な生産者である。ワインの味も実直の極み。これほどスタイルではなくテロワールとしてのボルドー、グラーヴを感じさせてくれる機会は少ない。彼らが造るロゼ(クレーレと呼ぶべき色の濃さだが)がこれ。品種は、なんと、マスカット・ハンブルグ主体にメルロのブレンド。当然INAOは非認可品種であるマスカット・ハンブルグを引き抜けと言ったが、昔から植えられているブドウを引き抜くわけにはいかないと拒否。スタイリッシュでそっけなく冷たい最近のロゼとは異なり、朴訥で寛容な個性。マスカット・ハンブルグ(マスカット・ベイリーAの親)ならではのざっくりとして土着的な色気。現在の肩肘張った輸出用ボルドーとは無関係の、地元消費用な味。いい感じの緩さ。土地の個性を考えれば、こちらのほうが本来のボルドーではないかとさえ思う。もちろん日本未輸入。日本人はボルドー大好き、オーガニック大好きではなかったか。オーガニックワインの支持者なら、周囲から疎外されつつオーガニックを独力で始め、長年貫いてきたこの生産者に対する敬意を払ってしかるべきだ。

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Württemberg Korber Sommerhalde Trollinger  2015  Schmalzried 

ドイツで最も好きな品種のひとつがトロリンガー。酸もタンニンもない、自己抑制のきいた、押しつけがましい主張もない、典型的なヴュルテンベルクの地元消費用ワイン品種。普通なら、柔らかくて飲みやすい軽い味というだけで終わってしまうだろうが、これは認証ビオディナミワインだ。繊細なディティールと豊富なミネラルに、頭の後ろまで回り込むスケールの大きさがあり、自然な滲み感がってもボケや緩さにつながらない。見事だ。それだけではない。この生産者は養護学校の教師をしながらワインを造る。それがどうした、と言うか?まさにそういう味が、献身と愛と純粋さの味がする。ゆえにこのワインは、自然と人間が最も高貴な形で融合した、理想的なビオディナミワインの一本である。SO2がどうした、アンフォラがどうした、といった些末な技術論ばかりが横行して目的を忘れているかのような現状では理解されようもないのか、当然のように未輸入。

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Alsace Grand Cru Geisberg   Riesling  2012  Trimbach

ガイズベルグ、それもリボヴィレ修道尼院の所有する西側の区画は、アルザス・グラン・クリュの中でも最上の畑である。それを否定する人がいようか。村ごとの気温を調べると、オー・ランにおいてリボヴィレは涼しい土地だと分かる。地球温暖化の中で、それが辛口リースリングには圧倒的な優位性を生み出す。ガイズベルク西側区画は谷から吹き降ろす風の出口にあり、三畳紀の石灰岩土壌がもたらす冷たく硬質な酸とあいまって、リースリングに求めたい緊張感とトリンバックに求めたいプロテスタント的自己抑制・禁欲性を表現する。反グラン・クリュ派最先鋒だったトリンバックが宗旨替えをして登場させた「グラン・クリュ・ガイズベルグ」は、2009年の初ヴィンテージ以来、その評価は既に確定しているが、2012年ヴィンテージはさらに一皮むけた印象。なぜなら2008年に彼らが栽培を請け負ってからオーガニックに転換した効果が明らかになっているからだ。現時点においてアルザスの頂点である。クロ・サン・チュンヌは足元にも及ばない。誰もが知るようにガイズベルグはガイズベルグなのであって、かつてはその真価が表に出ることがなかっただけなのだ。

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Savennieres Coulée de Serrant  2016  Nicolas Joly

誰もが知っているクーレ・ド・セラン。以前のヴィンテージ、特に20世紀のあいだのニコラ・ジョリーの造ったワインを飲んで、クーレ・ド・セランを知っているつもりになっているなら、それは人生にとって大きな損失だ。2015年以降のクーレ・ド・セランは別物である。かつての知性優位の味はもはやない。理屈は分かるが実質が伴わないなどという批判ももはや該当しない。特に2016年は桁外れのエネルギー感があってリッチ。昔の味しか知らない人は、クーレ・ド・セランにリッチという言葉は決して使わない。しかし今やニコラ・ジョリーはサヴニエール全体で最後に収穫するのだ。陰と陽、緊張と弛緩、禁欲と官能、覚醒と陶酔の驚異的なコントラストの大きさと、それらすべてを包み込む慈愛。何が変わったのかと聞けば、娘ヴィルジニーは「何も変えていない。ただ、子供ができた」と。ワインとはかくも不思議なものだ。


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Clairette du Languedoc Rancio Sec    S.C.V. La Clairette d'Adissan

以前から最も気になっているラングドックのアペラシオンであるクレーレット・デュ・ラングドック。好きなラングドックの白は、と聞かれれば、ほぼ常にその名を挙げる。歴史的には最重要ワインのひとつだ。紀元前1世紀、ローマで有名だったAminum品種のブドウがこの地に持ち込まれたのだが、近年そのブドウがローマ時代の井戸の底から発見され、解析の結果、それが現代のクレーレットだと分かったのだという。18世紀までは高価なワインとして有名でも、現代にあってはよほどのラングドックワイン通以外には知られることもない。辛口、中甘口、酒精強化甘口、ランシオとあるが、これはアペラシオンを構成する11村のひとつであるアディサン村の協同組合が造る辛口ランシオ。樽ではなくタンクで十年熟成させるのがポイントで、ランシオながら香り味わいともに極めてクリーンでクリアー。そしてランシオならではの別次元の力強さと贅肉をそぎ落とした抽象的でミネラリーな味わい。もともとのテロワールと品種の素晴らしさがストレートに出ている。姿形の美しさ、見晴らしのよさ、余韻の長さ等々、あらゆる項目でここがグラン・ヴァンの土地だということを示す。ついに見つけた究極のラングドック白ワインの一本である。他のランシオをいろいろと飲んでいればいるほど、このワインの高貴さが見えてくるだろう。もちろんのことながら日本未輸入。日本では協同組合ワインなど誰も歯牙にもかけないし、ランシオ好きも皆無に近いのだからしかたない。ランシオ嫌いなラングドックワインファンとは、八丁味噌嫌いな名古屋料理ファンと同じく、奇異に思えるが。



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Luzern Le Petit Mousseux  Ottiger

スイス、ルツェルン湖のほとりに建つワイナリーの、炭酸ガス注入方式のカジュアルな泡。炭酸ガス注入方式は完熟ブドウを用いることができるため、私はシャンパーニュ方式の未熟ブドウのワインよりこちらのほうが往々にして好きなぐらいだ。リースリング・ジルヴァーナー(=ミュラー・トゥルガウ)とソーヴィニヨン・ブランを用いた、まさにドイツ語圏スイスの清涼感、清潔感、ゆとり感があるワイン。適度に力を抜いた気軽さ、ほぼすべてが小商圏で売れてしまうスイスワインならではの地元密着感・自給自足感。夏のバカンス、澄んだ空気、アルプスの山並み、透明な湖水、湖畔に点在する瀟洒な別荘といったビジュアル(実際にその通りだ)を思い描いてほしい。そこにふさわしいワインは、樽臭くて泥臭い赤ではありえず、近年どうも迷走しているヴォー州のシャスラーでもなく、より冷涼な地域のこのスパークリングということになるだろうが、スイス=シャスラーという理解でとまっている(それでも、なんの理解もなかった十年前よりはましだ)日本には未輸入。

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Valdobbiadene Prosecco Superiore   Col di Manzo   2017   Perlage

ビオディナミ栽培されるグレラで造られたプロセッコ。ヴァルドッビアーデネならではの流れのスムースさがありつつ、畑が斜面下部に位置することもあって、そっけなくならず、適度な厚みを備え、重心は真ん中にあって安定した長い余韻へと続く。味わいの複雑さ、立体感、スケール感、ダイナミズムは通常のプロセッコとは別次元であり、一度これを経験してしまうと、農薬まみれのフラット&スタティックなプロセッコに戻ることはできない。繊細さ、酸の穏やかさ、香りのやさしさ、といった点においてプロセッコの食中酒としての可能性は極めて高い。スタイルではなく、既成観念でもなく、ヴァルドッビアーデネのテロワールと絶対的な品質に着目してワインをテイスティングするなら、プロセッコとしては例外的に高価なこのワインでさえお買い得だと思えるだろう。このワインが高級日本料理店での定番になってほしいが、日本未輸入。

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IGP Pays d’Hérault Collines de la Moure Parpagnas 2015  Mas De La Pleine Haute

フロンティニャンのエリアに植えられたムールヴェードル、シラー、グルナッシュのブレンド。現代ではすっかり忘れられているが、近世までは高級ワインとして人気のあったフロンティニャンのミュスカ。その名声は偉大なテロワールに由来するのであり、ミュスカという品種や酒精強化甘口というスタイルによるものではないと、この非ミュスカの赤ワインを飲むと理解できる。姿形の美しさが違う、伸びやかな品位が違う。ラングドックワインに詳しければ詳しいほど、この小さな地元消費ワイン生産者の、地味で一見どこにでもある品種構成のワインがさりげなく備える“グラン・クリュ”性の前にひれ伏すことになる。ラングドック各アペラシオンのAOC認定年を調べて欲しい。フロンティニャンは1936年5月と最初である。そこには重要な意味があると考えるべきだ。繊細さや優美さがダイナミズムと融合して立体的で美しい形をとり、余韻が長いというこのワインの特徴は、オーガニック(フロンティニャンには二軒しかない)栽培に由来するという点も忘れてはならない。通常のクリュさえ理解されず、ラングドック=安価な国際品種ワイン、という単一の観念(というか誤解)にとらわれている日本には、当然のごとく未輸入。フロンティニャンのオーガニックなど、本来なら真っ先に輸入しなければならないものだろうに。とはいえ、そう思うのは私だけかも知れない。なぜならフロンティニャンは偉大なテロワールだ、偉大なワインだと言って、「その通り!」と同意されたことは、実は過去一度たりともない。

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Pessac-Leognan  Cuvee Paul   2015    Chateau Haut-Bergey

ミュージシャンでもあるオーナー家の息子が戻り、あまりに時代錯誤的・ビジネス優先的・人工的なボルドー的ワイン造りを見て憤慨し、スタッフ全員を解雇してビオディナミ栽培に即座に切り替えたのが2015年。その劇的な変化は既に明らかで、とりわけ自分自身の名を冠したこのタンク熟成のワインの鮮烈なエネルギー感と厚みとヴェルヴェットのような滑らかさとピュアさを見れば、ボルドーが新しい時代に入ったのだと喜びつつ痛感する。現在最も注目すべきボルドーだろう。ちなみに通常の樽熟成版はおすすめしない。素材がよくなった今、樽は余分なフレーバーであり過剰なタンニンでしかなく、しなやかでおだやかなグラーヴ地域のテロワールの個性を減じてしまうからである。

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Südsteirmark  Riesling Ried Gaisriegl  K   2016   Schauer

オーストリア、ズュートシュタイヤーマルクのSausal in Kitzeck村は、標高が500メートル以上と大変に高く、冷涼で、なおかつ土壌が例外的なシスト。オーストリアにおける知る人ぞ知るリースリング最上のエリアである。そこでブッシェンシャンクを営み、オーガニック転換中のこの生産者のワインは、頭の中でオーストリア、ズュートシュタイヤーマルク、リースリングという単語を結び付けて生まれるイメージどおりの、鮮やかで気品があって無駄なくかっこよくポジティブに明るい味わい。ニーダーエスタライヒの高名なリースリングは過剰な灌漑の味がして好きにはなれない場合がほとんどだが、シュタイヤーマルクは十分な降水量があるため、急斜面の水はけのよい畑でも無灌漑。それがミネラル感や余韻の表現に直接的に結びつくのは当然である。通常は辛口に仕上げるところ、2016年はオーストリアでは例外的なカビネット(微甘口タイプ)になった。これがいい。いいと言っても一期一会。20年前ならともかく、現在のオーストリアでは辛口しか好まれず、こうした伝統的ドイツ的リースリングは皆無に近い。生産者も造るつもりはないと言う。このワインには圧倒的な完成度と無欠のバランスのよさがあるゆえに、二度と経験できないのかと思うと悲しい。

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Costa Toscana  CiFRA  Cabernet Franc   2017   Duemani

90年代から20世紀末ごろまで、数々のスーパータスカンの名品を送り出したコンサルタント、ルカ・ダットーマがたどり着いた、カベルネ・フランにとって最良の地、モンテスクダイオ。海を臨む標高の高い粘土石灰質の斜面の畑は見るからに素晴らしく、ビオディナミ栽培によってポテンシャルを十全に引き出す。樽を使わずにコンクリートタンクで熟成させたこのチフラは、樽を使ったグラン・ヴァン、デュエマーニよりむしろ素直な味で抜けがよく、カベルネ・フランのきめ細かさ、酸の軽やかさ、清楚な気品をよく表現する。2017年は壊滅的に収量が減ったヴィンテージだが、それゆえの凝縮度の高さというプラスの結果をもたらしている。かつての力任せな迫力は影を潜め、静かな充実度として、また内面への沈降の形をとってエネルギーが感じられる、大人の味。それでもダットーマ独特のきらめき、冴えは健在であり、つくづく天才的なセンスだと感じ入る。世界のカベルネ・フランの中でも屈指の作品である。以前は日本に輸入されていたのだが。。。


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Vermouth Erborista     2017    Pianora

ロンバルディア、コッカリオ村の丘の上にある小さなオーガニック生産者の作品。フランチャコルタ域内にありつつも彼らはフランチャコルタを造らず、メルロの赤ワインを主として造る。それがフランチャコルタ以前のこの地のワインだからである。さらに時代を遡って、ワイナリーのすぐ近くにある『聖なる受胎告知修道尼院』がかつて造っていたワインを再現したのが、このハーブ入りのメルロの甘口。飲めば忘れられないおいしさ。いや、おいしいだけではなく、飲むと体の内側から力が湧いてくるかのようで、飲めば飲むほど体がもっと欲する。ここまで直接に作用するワインは初めてだ。修道院が同時に病院であり、ワインが同時に薬だったことを思い出す。そして凡百のフランチャコルタが足元にも及ばない完成度の高い美しさ。フランチャコルタ域内は、地球温暖化もあって、いまやメルロやカベルネ・フランの栽培適地なのではないかと思うし、昔そうだったのは正しいと思う。もちろんこんな徹底してイレギュラーなワイン(伝統的であっても、そんな伝統は誰も知らない)を高い金額で買うインポーターはいるはずもなく、日本未輸入。(ラベルには2018年と書かれているが、中身は2017年。もう2017年のラベルがなくなってしまって、翌年分として印刷が上がってきたラベルを貼ってもらった)

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