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2019.07.04

六本木ヒルズ、ラトリエ・デュ・ジョエル・ロブション

久しぶりにラトリエ・デュ・ジョエル・ロブション。ロブション氏がお亡くなりになって1年が経つ。73歳では早すぎた。数年前に一度だけ,ほんの1,2分とはいえ、言葉を交わす機会があった。素材の味を生かさねばならない、余計なことはしてはいけない、と言われていた。いかに装飾的に見えようとも、無意味な要素がない料理。そして、いかにシンプルでも、精密に組み立てられた料理。我々は彼の偉大さを鮮明に記憶している。

2003年の開店以来、店の状態と品質を維持し続けているのは尊敬に値する。ロブション氏がこの世にいない以上、味を受け継ぐ現在のシェフにかかる重圧たるや想像に絶するものがあると思うが、よい仕事をされていると思う。しかし直に薫陶を受けた世代が引退したあと、孫弟子の時代になった時に、どれだけ精神を正しく伝えられるだろう。それが料理の難しさだ。

ジラルデやシャペルやロブションのような人間国宝級の芸術家の作品は、後世の人間はひたすらそれを守ることだけのための飲食店を作ってもいいのではないか。それは人類にとっての永遠の宝なのであって、ダ・ヴィンチの油彩を時代の嗜好に合わせて色を塗りなおしたり顔を変えたりしないようなものだ。なぜ料理を絵画や彫刻と同じように扱えないのだろうか。もちろん現代美術もなければいけないが、現代美術だけあって古典がない状況になったら異常だ。この一点だけでも、ミシュラン全依存型のレストラン評価はおかしいと思うはずだ。

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この店の問題はワインだ。リストには有名な格付けボルドーと、シャンベルタン、エシェゾー、リシュブールといったブルゴーニュが並ぶ。正直、料理のスタイルなり創造性に比肩する感性の輝き、斬新な視点、ゆるぎない構築力がワインリストにはない。こういうのが売れるのですか、と聞くと、そうだ、と。それが日本のワイン好きとされる人種の嗜好、思想、感性なのだ。料理は料理、ワインはワイン。それはあるべき美食芸術の体験の場としてのレストランとはいいがたい。ある有名なレストランのシェフ・ソムリエと先日話をしていて、DRCと一級シャトーが山のように売れると聞いた。お客は「まずエシェゾーから行こうか」と言って、そのあとロマネ・コンティまで飲みまくるそうだ。いかにも日本的な話である。それはそうと、ラトリエ・デュ・ジョエル・ロブションはどんなドイツワインを売っているのだろうとページをめくると、エゴン・ミューラーのシャルツホフベルガー等有名なモーゼルのリースリングだけが並んでいた。いまだにドイツワインはそれしかないのか。その程度の理解でしかないのか。なんという現実との乖離、なんという料理との乖離。なぜこうなるかを考えると、この店のカウンター割烹スタイルにも理由があるように思える。料理に合わせてワイン選びを助けるという行為がしにくい。これは寿司店、てんぷら店とまったく同じ状況だ。リストをお客に丸投げしていては、お客はそれこそシャンベルタンとかシャルツホフベルガーとか有名なワインしか知らないから、そういうワインしかオーダーできない。当然ながら、ワインは事前にしっかり学んでおくのがお客の義務であり、そうでなければ頼む資格がない、と自らを律して努力しなければならない。それをしないうぬぼれたお客がワインを頼むから、世の中へんなワインリストばかりになる。料理とワインを合わせるなど、自分にもできないぐらい驚異的に難しいことだ。だからそのためのプロがいるのではないか。

店を出る前、マネージャーの方が、「うちには本物のエスコフィエのサインがあるんですよ、見てください」と。奥の壁に、その額がかけられていた。ものすごく繊細な、理知的な字。そうでなければあんな仕事はできないと思った。

 

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