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2019.07.03

オーストリアワイン大試飲会2019

□■オーストリアワイン大試飲会2019

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7月1日、東京のシャングリラ・ホテルで行われた、日本オーストリア友好150周年を記念しての試飲会。私も通訳として参加させていただいた。100ワイナリーが出展、来日したワイナリーだけで50社。たぶんあちこちでテイスティング・ディナーが行われたことだろうから、そちらに出席された方も多いのではないだろうか。今回は未輸入ワイナリーの数が多い。以下がその名前。
Eva-Maria Berger
Der Pollerhof
Müllner
Leopold Müller
Stift Göttweig
Mittelbach Gottfried
Peter Schweiger
Rabl
Waldschütz
Sax
Eschenhof Holzer
Preisinger-Reinberger
Domäne Wachau 
Christ 
Hartl Heinrich III 
Stadlmann 
Familie Pitnauer
Gerhard Markowitsch
Oppelmayer
Muhr-van der Niepoort 
Sigma Vinum 
Bayer-Erbhof 
Hans Tschida 
Juris
Gross 
Polz Erich & Walter Weingut 
Strehn
Haider
Schödl Loidesthal
Am Berg - Ludwig und Michael Gruber

壮観。オーストリアを代表するような生産者なのに未輸入だったかと驚く名前もちらほら。それはそうとしても、ずいぶんオーストリアワインが増えたものだ。輸入元やショップやレストランの方々の献身的努力、オーストリアワインマーケティングのクリンガー会長の適切な戦略とリーダーシップ、そしてオーストリア大使館商務部松本さんの尽力によるものだ。このような状況は十数年前には夢のまた夢だった。オーストリアワインのひとりのファンとして、うれしい。ありがたい。

自分が好きで輸入していただいたワインもいくつかある。まっさきに品質チェックすると、いまひとつ。まあ、試飲会の場ではそれが普通。いくつものワインが並んでいても、不思議とどれもが似た味になっている。それはワインの中から表現されるべきものが、外的かく乱要因によって抑圧されているからでもある。外的要因はすべてのワインに同じように作用するから、その力が相対的に強いと、どれも似た味になるのだ。外的要因を遮断し、個々のワインの自立性を後押しする必要がある。さらにこの日は新月寸前、低気圧。花の日ではあるものの、新月の力に負けている。プロならば、何が何にどう作用しているのか、どんな問題が起きているのか、どうすればいいのか、と考えて状況を改善しなければいけないのだが、大概「今日はなんだか違う」、「なんか閉じている」と思うだけで漫然と放置している。そんなことだろうと思って少しはこちらで準備して行き、その場で対策をしてみたが、ビフォア・アンド・アフターでは巨大な違いだった。「こういう味が本来のものでしょう?」と輸入元に聞くと、「はい、そうです」と。たぶん周囲のブースの人は「あのバカ、何やってんだ」と思ったことだろう。しかしそこで羞恥心が先立ったり、他人の視線に気を取られては、効くものも効かない。「同じようにやってみてください」と輸入元に頼み、彼が処置したワインをテイスティングしてみると、効果は半分。「あとは精神力だ」と。自分で自分が何を何のためにやっているのか把握して自信をもたないと、ワインが不安を感じ取って、不安定で神経質な味になる。とにかく漫然と状態が整っていないワインをお客に出すのはやめてほしい、というか、それが料理だったら許されることだろうか。オーストリアはシュタイナーの母国であり、ビオディナミ大国。それが大きな魅力なのだが、提供する側にとっては普通のワインよりハードルが高いということは知っておくべきだ。ただ抜栓すればいいというものではない。その場でビフォア・アンド・アフターを経験していただいた何人かの方は、私の言っている意味をよく分かっていただけたことと思う。

以前に訪問したことがあるシュタイヤーマルクのビオディナミ生産者、プローダー・ローゼンベルクも来日していた。ここは大変にポテンシャルがあり、すでに見事なワインを造っているものの、本来はさらにすごいワインが造れるはず。その理由も私はそこそこわかっているので、その場にあった彼のいくつかのワインを素材に、本来あるべき味はこうだ、という見本を即席で造って飲んでもらった。「どうですか、こうすれば問題が解決されるでしょう?」と聞くと、「はい、よくわかりました」とメモを取っていた。そこにある個別のワインがおいしいまずいと言っていてもしかたない。何がやりたいのか、何をやるべきなのか、といった目的意識、根本の部分を議論し、その上でそれと反している、ないしそのための効果を上げていない技術論の部分を吟味しなければ意味がない。使用品種やその比率だとか、発酵温度だとかピジャージュの回数だとかの技術論は、目的がはっきり定まった上で合目的的に決定されねばならない。目的があいまいなままあれこれのワインを造っていてもままごとでしかない。プローダー・ローゼンベルクの現在の問題のひとつは、分節化というひとことで表現できる。私は「ビオディナミのワインは統合を目指さねばならない、それ自体でコンプリートな宇宙でなければならない、そうでなければキリストの血にはならない」と言った。たぶん彼はこれから私が見本を見せたような方向性のワインを造ってみるはずだ。楽しみにしている。

ロビーに某ワイン雑誌の編集長がいた。「日本にはブランド好きとアルコール好きはいても、本当のワインファンはいない。前からいなかったが、今でもいない」という話をしていた。よーく胸に留め置くべき言葉だ。「君がそれを言ってはしょうがないじゃないか」と私は茶化したが、実際それは正しい分析なのだろう。それでいいのか。日本ではどこのボタンを掛け違えてしまったのか。

ちなみに私が一番好きな生産者のひとりはドルリ・ムールだ。いかんせん高価でなかなか日本に輸入されない。スピッツァーベルク79ユーロ。うーむ。コート・ド・ニュイなら1級ワインも買えないぐらいだとはいえ。ちょうど帰りのエレベーターの中で一緒になったので、「あなたはオーストリアで最も偉大な生産者のひとりです」と言ったら、うしろから「そのとおりです」との声が。誰かと思えば中央葡萄酒の三澤彩奈さんだった。

翌日はオーストリア大使公邸でのイベント。13年にわたってオーストリアワインマーケティングを率いてきたウィルヘルム・クリンガー氏の日本での退任式。

今世紀に入ってからのオーストリアワインの輸出の伸びは著しい。2000年の数字と比較して、ドイツへは3倍、アメリカやベネルックス3国へは9倍、イギリスには15倍。20世紀においてはヨーロッパの一小国のマイナーワインだったオーストリアは、今では世界に確たる地位を築いた。オーストリアのアペラシオンであるDACもメジャー産地をほぼ網羅するまでになった。クリンガー会長の功績は巨大である。駐日オーストリア大使フーベルト・ハイッス閣下も素晴らしいスピーチで彼を称えておられた。

公邸では、今までオーストリアワイン文化の日本への伝達において多大な貢献をした方々への表彰式も行われた。表彰されて当然の方々。彼らの献身なくして現在のオーストリアワインはない。我々ワインファンは感謝するばかりである。それはそうだとしても、オーストリアワイン大使メンバー内でのそういった序列づけにつながるような行為に関して以前相談された時には私個人としては反対してきた。なぜならオーストリアワイン大使とはいわばゲマインシャフトであってゲゼルシャフトではないと考えるからだ。つまりオーストリア、オーストリアワイン、オーストリア文化価値共同体であって同一目的遂行組織ではない。価値を共有すれば目的は個人が決める。なぜなら全員は個人であって組織成員ではない。共同体、集団、組織といった人間の多様な集合携帯を混同すれば、結果は人間性の疎外である。ゲマインシャフト的メンタリティーにあっては、優れた人を持ち上げるエリーティズム志向、階級社会、君主制への道ではなく、迷える人に手を差し伸べるやさしさと愛が優先されるはずである。クリンガー氏に、「いったい何やっているのか。それでもキリスト教徒か。聖書の迷える子羊のたとえを忘れたか」と言ったら、「私もあなたの考えと同じであって、あれは私のアイデアではない」と。なるほど。

昨日の試飲会で気に入ったヴァインフィアテルのオーガニック生産者、エヴァ・マリア・ベルガーさんが会場にいらしたので、しばらくいろいろな話をしていた。ヴァインフィアテルはけっこう均一なレス土壌であり、ワインはグリューナー単一品種。何もしなければ普通においしいピュアで軽いワインができる。彼女は数か月の澱上熟成によって複雑さを出そうとしたワインも作っているが、意図は分かるにせよ結果が伴わない。私は昨日は、そういうカンプタルもどきを造ってもしかたない、と言った。今日は、ではどうすればヴァインフィアテルらしい軽やかさとピュアさを保ちつつ、ディメンジョンとヴァーティカリティを生み出すことができるか、について、考え方の基本と方法を伝えた。大事なのは収穫タイミングだ。我ながら画期的な方法だと思ったが、彼女は採用してくれるだろうか。それ以外にもいろいろと。たとえば、以下会話の一部。
田中「タンクから飲むワインはおいしくても、外国で自分のワインを飲むと失望するでしょう?」
ベルガー「そう、発酵が終わってタンクから試飲すると、おお、私ってなかなかやるじゃないか、と思うのに、そのあと出荷されたワインを飲むと、なんだこれは、意図していたものと違う、ということが多い」。
田中「あなただけではありませんよ。みんなそうでしょう。でもそれをしかたないこととして放置している。自分の責任ではないとさえ思っている。仕事は発酵が終わるまでではありません。消費者は誰もタンクから飲みません。瓶詰め前の味がどんなによくても、消費者が判断するのは、食卓で目の前にあるあなたのワインの味です。なぜ瓶詰め以降、あんなにまずくなるのか誰も真剣に考えない。私はそれをなんとかしたい」。
それから具体的な方法についてあれこれ話した。いつかオーストリアでベルガーさんと友人のオーガニックやビオディナミの生産者のために私はセミナーをするから、準備をしてほしいと言った。以前ドイツで行ったように。

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