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2019.08.06

インターナショナル・サケ・チャレンジ

Isc

日本酒のコンテスト、インターナショナルな・サケ・チャレンジが今日、東京のコンラッドホテルで開催された。私は去年に続いて審査員として参加し、今年は金賞の中からトロフィーを決める五人の二次選考審査員も務めさせていただいた。

審査員は外国人8人と日本人8人。今年から審査員が増え、新しい考え方の若手の日本酒販売店の方に参加してもらえて良かった。これから日本酒の新たな価値観を見出していきたい。

今年はひとつのことが決定的に違う。テイスティング・フォーマットがあることだ。昨年までは各人が20点満点で評価し、それを平均して順位をつけていた。しかし20点とはどういう意味か。18点とはどういう意味か。その点数の根拠はどこにあるのか。私はそう思った。いろいろとあたってみても、消費者視点でのコンペティションにふさわしい評価基準は見当たらない。ならば自分で作るしかない。そう思って今年は私が評価法を創案し、それを全員に使用してもらった。外観、香り、味わいの中に計12項目あり、それぞれ2点、1点、0点のいずれかをつける。総合的印象は2項目あり、それぞれ3点、2点、1点、0点のいずれかをつける。これで30点満点の基準ができる。少なくともこれで、16人の審査員が共有する視点、着目点、価値観が与えられる。そうでなくしてどうしてまともな評価、責任ある審査と言えようか。もちろんそれが完全なフォーマットであると主張するつもりはない。できたフォーマットについてあれこれ批判するのは誰でもできるが、なんであれまずはフォーマットを作らねば何も始まらない。それがどういうフォーマットなのかは今月末の日本橋浜町ワインサロンでの評価法の講座でお伝えするつもりだ。

私は現在主流の日本酒の味が本来あるべきものだとは思っていない。あまりにも表層的なきれいさ、無難さを求めていないか。欠点がなければないほどよいのではなく、長所があるほどよいお酒だとみなすようにしなければならない。いつから工業メンタリティーに汚染されるようになったのか。それぞれの土地・自然の特徴・美点をいかに最大限発揮するかにもっと着目しなければならない。等々と理念を語るのはたやすい。その理念をどうすれば点数に反映させるかが難しい。審査結果を見るなら、あながちこのテイスティング・フォーマットは間違いではなかったと思う。

それにしても審査員ひとりひとりの評点はおそろしく違う。ワインだと相当に集約されるものだ。たとえば二次選考、トロフィーワインを決める金賞酒のテイスティングでは、カテゴリーごとにだいたい5本の金賞があった。5人の審査員が一位に3点、二位に2点、三位に1点をつけて平均をとった。トロフィーワインの得点は8点しかない。他のお酒も7点、6点といった具合だ。結果としては満足ができるものだったとはいえ、仮に全員がある程度同じ見方、考え方をしているなら、一位の点数はもっと高いはずだ。日本酒の現状をよく表している。

もうひとつ、自分にとっての重要な変更点は、生酛・山廃を独立カテゴリーとせず、生酛・山廃であろうと速醸であろうと関係なく、純米、吟醸・大吟醸、純米吟醸、純米大吟醸の4つのカテゴリーの中に入れ込んだことだ。精白歩合のカテゴリーと乳酸菌のカテゴリーを並列するのは論理的におかしい。生酛・山廃を独立させると、そのカテゴリーの評価軸は生酛・山廃らしければらしいほどよいということにならざるを得ないが、私は生酛・山廃はあくまで手段であって目的ではないと思っている。また生酛が世の中的に注目されている中で、それが速醸と並べてテイスティングされた時にどういうパフォーマンスを見せるかも重要な関心事だ。そして順当に、純米カテゴリーのトロフィーは生酛だった。

それにしても、米じたいの質が悪すぎる。。。自然に敬意を払い、素材の質を追求し、素材の力をいかに失わずに食品に仕上げるか、こそが日本の食の美学ではなかったのか。また、ビオディナミ、ビオディナミとワインに関してはやたらとこだわるなら、なぜ米をビオディナミで栽培しないのか。現在のビオディナミがそのままでは稲に向かないというなら、稲用のビオディナミを開発すればいいではないか。別にカモミールやノコギリソウや牛の角に拘泥せずとも、日本にもとからある植物や動物を使えばいい。・・という植物を・・という素材のすり鉢で粉にして日本の暦の・・という日に・・・をすれば・・・という力が得られ、いもち病に効果がある、といったことをもっと研究してほしい。

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