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2019.09.10

銀座の超人気ラーメン店、八五で思ったこと

昨年末の開店以来、行列の絶えないラーメン店、八五。ネットで調べてみると、ご主人は京都全日空ホテル総調理長として「現代の名工」に選ばれたフランス料理界の重鎮。フランスのバルバリー鴨、名古屋コーチン、プロシュート等で作るスープにゲランドの塩で味を調整して、タレを使わない。タレ+スープという常識を覆したという点で、これはラーメンの歴史に残る転回点だろう。麺はパスタと同じデュラム小麦入り。ラーメンとは何か、いかにあるべきか、を、それまで築き上げた料理の経験をもとに熟考し、具現化したのがこのラーメンだろう。

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銀座という立地、まるで高級すし店のような雰囲気、客席6席、店員5人、価格は中華そばで850円、そしてすべてに最高の食材の使用。いかに行列ができるとしても、損益計算書が見てみたい!

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確かに傑出したラーメンではある。味の素を使わない点はいくら褒めても褒めすぎることはない。が。きわめて繊細で無垢な、人を寄せ付けない、硬質な味。京都出身と聞いて納得の、京都らしいツンツン感。東京都中央区の味は、当然ながらしない。高級食材と超絶技巧は分かるが、いまだ知が勝って、全体を包摂する人間味がない。大地に直結する骨太の力がない。スタインウェイを優等生ピアニストが弾いているみたいな。以前ウィーン楽友会館グロッサー・ザールで聴いたブッフビンダーを思い出した。

味そのものを客観的に見るなら、素晴らしい点ばかりなのだが、それでもいくつかの点はひっかかる。1、下支えが弱い。2、広がりが小さい。3、香りの伸びが弱い。4、粉っぽい刺激感・ドライ感がある。5、ゲランドの塩独得の一点に集中する塩味が主張しすぎる。もちろん1から4の問題に対しての解決法は、それなりに料理を勉強した人なら誰でも分かるので、私ごときがあえて言う必要はない。店主ご自身が分かっていると思う。たとえば4に関してはpHをわずかに下げなけばいけない。フランス料理的なだしをひけば粉っぽい味になる。しかしフランス料理はそのだしとワインを合わせてソースを作る。これで大幅にpHが下がる。だからおいしい。

ゲランドの塩は有名だし、それじたいで舐めてみるとインパクトがあって印象的なのだが、なんでもかんでもゲランドを使えばおいしくなるわけではない。ゲランドはまるでカベルネ・ソーヴィニヨンみたいに主張する。だからステーキに最後にかける塩としては素晴らしい。力と力のぶつかり合いが躍動感を生むからである。しかしこれはスープに溶かし込む塩かどうか。大間のマグロや神戸牛と同じく、“ブランド”による価値訴求には好都合だし、食育を怠っている日本では多くの人が「有名で高価なもの=おいしいもの」という幻想に生きているので、それがビジネス上は正しいのかも知れないが(ブショネのラフィットを、ラベルを見ただけで美味しいというバカな人は皆さんも見たことがあるだろう)。私も自宅にゲランドを常備しているが、多くの場合は単体では使用しない。料理は塩を食べるものではないので、塩の個性はあくまで背景になければいけない。醤油は塩味が他の要素と合体し熟成して表面に出てこないので、基本的には醤油ラーメンのほうがこの問題に対しては有利だ。世の中、塩ラーメンが多いわりに、塩を味のどの位置にどう配置するかについての評論が不足しているように思える。

しかしこの神経質さと潔癖症的完全性と純粋さへの希求が人気だという世の中そのものが興味深い。いろいろなSF映画にあるだろう、ザルドスであれ、トータル・リコールであれ、エリジウムであれ、荒廃した地球に対する浄化された特別な居住区という二分法が。八五はまるでスペース・コロニー・エリジウムである。八五じたいは素晴らしいが、そのようなものを無批判的に崇拝する風潮は、私にはクリスタル・ナハト前夜的に思えて怖い。

ワインも同じ風潮にあるのではないか。唯一絶対の真善美への希求は、それ自体が排除の元凶になる、というのは60年代にミシェル・フーコーが言ったことだ。上記の文章をワインに当てはめて考えてみて欲しい。

 

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