試飲会等

2019.04.08

エルヴェ・ジェスタンとの雑談

 醸造長を務めるシャトー・ダヴィーズのシャンパーニュを携えてエルヴェ・ジェスタンが来日した。「私はワイン醸造家であってプロモーションは自分の任ではない。プロモーションツアーなどには行かない」と言っていた彼が来るとは驚く。シャトー・ダヴィーズの輸入にかかわる人たち、そして日本のワインファンが、世界でもっともビオディナミとエルヴェ・ジェスタンについて理解しているからだ、と考える以外に説明はつかない。つまり、プロモーションではなく、魂と霊の交わりのために彼は来たのだ。

 既に多くの方々が来日したエルヴェ・ジェスタンの話を直接聞いたはずだ。私が何か付け加えて話すことがあるとは思えない。内容の濃いインタビューはこれから多くのメディアに掲載されるのだから、私が“インタビュー”するなど僭越だ。だからここではエルヴェ・ジェスタンと私の一時間半弱の軽い雑談を載せて、エンターテイメントの役に立とうと思う。


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田中・お久しぶりです。何か月か前にメールしたじゃないですか、ブルゴーニュからパリにのぼる途中、エペルネで会えるかと。返事がなかったが。

ジェスタン「あの頃はセラーの仕事が忙しくてそれどころじゃなかったから」。

・その時に持参しようと思っていたカップとコースターを今持ってきた。

「ああ、このコースターは君の知り合いが私にこの前見せてくれた。レッヘル・アンテナで計測しようとしたらアンテナがまったく反応しない。不思議だ」。

・外乱要因を遮断してある種の閉鎖空間を作ろうというのがデザインの意図だから、アンテナが反応しないのは当然。というか、自分が考えたセオリーが実証されてうれしい。ペリエのグラスをコースターに載せる前と後で水のエネルギーがどう違うかを計測してみよう。

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(レッヘル・アンテナで計測して)「載せる前は600。エネルギーがとても少ない」。

・計測するまでもなく飲んでみれば分かる。

「どのくらいの時間載せておけばいいのか」。

1分もあればじゅうぶん。

「おお、載せたら同じ水が16000になった」。

・ね、効くでしょう?載せる前と比べて味が大きくダイナミックに。しかし16000という数字が多いのか少ないのかわからない。

「普通のワインで12000、オーガニックワインで17000、ビオディナミワインで最高30000まで行く。先日DRCのコルトンを計測したら29000だった。コルトンの丘は古えの時代スピリチュアルな場所だったと思う」。・

・コルトンの丘はそうでしょう。それにしてもペリエで16000ならたいしたものだ。コースターが何かを与えているわけがないのであって、もともとワインなり水なりが持っているはずのエネルギーが外乱要因によって失われるのを防いでいると解釈している。どうしてこれを制作しようと思ったかと言うと、プロワインのような試飲会場で飲むワインの味がまずいから。あなたもそう思うでしょう?

「ああ、そう思う」。

・それでいいのか。ワイナリーで飲むとおいしいビオディナミワインがそういう場ではひどい味になるのはなぜか、と。

「これは売っているのか」。

・売ってくれと言われれば作るけれど。私の作ったコースターの話はそのぐらいにして、今日はあなたが最近気になっていることを教えて欲しい。

「クロ・デ・キュミエールはまだまだ整備されていないし、前オーナーの家は廃墟のままだし、、、」

・銀行はお金を貸してくれないのか。

「まだ何も商品を生産していないのだから、事業計画が受理されない。シャンパーニュは売れるまでに時間が長くかかるからしかたない」。

・南東の角のあの家はどのみち使わないのだから、あの区画は売却して原資にすれば整備がもっと進展するのではないか。

「それは絶対にありえない。クロの中に他人が入り込むなんて!」

・ならば時間がかかるのもしかたない。

「この前君がクロ・デ・キュミエールで話していた自根の計画は進めている。しかしブドウを自然の木に這わせて育てる話に関しては、適当な木を見つけ出せていない」。

・できることからやっていけばいいと思う。

「いま最大の関心事はアイリッシュ・タワーだ」。

・なんですか、それは。

「高さ最高2メートル、普通は06から15メートルほどのタワーで、バサルトでできている。その上には内角60度の三角錐が載っている。これを畑の中に置くと不要な電磁波が吸収される」。

・電磁波の悪影響は我々の共通の関心事。あなたと私はだいたい似たようなことを考えているものだが。

「あとはコスミックエネルギーを媒介するケイ素とテロリックエネルギーを媒介する火山硫黄との関係について」。

・ケイ素と炭酸カルシウムではないのか。私はそのふたつが対応関係にあるとみなしてきたが。

「いや違う、ケイ素と火山硫黄だ。あと最近研究しているのがラコフスキー・サーキット。これは第二次大戦前に活躍した医師ジョルジュ・ラコフスキーが発明した銅線で作るオシレーター。現在のブドウ栽培ではミルデュー対策に銅を使う。ビオディナミでも銅を使う。しかしその発想はどこかおかしい。生体バランスが崩れるから病気になるのであって、生体バランスを整える方法を考えるのが本筋ではないか。土に差した銅線を上にのばして環を作り、一部分は接触しないままオープンにして、その環の中にブドウの幹が入るようにする。開口部は通常なら北に向ける。君の作ったテイスティングカップも銅の環がついているね」。

・だから、別々のところで似たようなことをしているものなのですよ。銅には何かの特別な働きがあると思っていろいろと実験した。このカップの銅の環を用いて外乱をトラップしようと思った。銅を直接畑に散布するのは確かにおかしい話だ。私は誘引用ワイヤーを鉄から銅に替えて大地アースに繋ぐことでミルデューは相当抑制されるのではないかと、以前あるところで話したことがある。

「現在のビオディナミの方法に囚われていたらいけない。シュタイナーはアルコールを否定しているのだから、ビオディナミでワインを造ることには限界がある。シュタイナーの時代は大量生産の粗悪なアルコールが出回っていたから、それをもとにして彼は反アルコールの立場をとったのではないか」。

・シュタイナーが反対しているのはアルコールを目的としたアルコール飲料の摂取であってワインそのものではないと思う。コーランや旧約聖書の記述を見ても、酔っぱらったら礼拝所に入るな、といったことが書かれている。それは世界中の常識で、何か特別なことを言っているとは思わない。ワインを飲む意味とは、いわば礼拝所、会見の天幕に入ること。それは我々がより高次なものへとつながり、我々を進化させるための手段だ。

「それこそが我々がワインを造る意味だ」。

・ここを明確にしないままビオディナミの議論をするから混乱する。ニコラ・ジョリーは今年11月に来日してセミナーをする予定で、その時どんな内容の話にするかを彼と議論していた時、彼はSO2の問題を取り上げる、と。私は、それも大事だが各論であって、まず根本の意味を問い、そこから演繹せねばばらないと言った。

「当然だ。だからワインは2杯までしか飲むべきではない。2杯までは頭脳が覚醒する。それ以降は酔っぱらう」。

・私にはワインを飲んで酔っ払うということが分からない。ワインをなんだと思っているのか。さて、近年の温暖化への対処は急務。それについてのあなたの考えは?

「ヨーロッパの2018年は非常に暑く、多くのワイナリーで発酵が停止したり、一次発酵とMLF発酵が同時進行したり、揮発酸が発生したりという問題が生じた。私は果汁に石灰石を入れ、月の光を浴びせてから発酵することで対処した。

・太陽のエネルギーが強すぎる時に、多くの人は早く収穫することで対処しようとする。だから最近の多くのワインはおいしくない。ビオディナミ的に発想すれば、太陽のエネルギーが強いとは、その反対のエネルギーが相対的に弱いと考えるべき。だから太陽のエネルギーを減じるのではなく、月のエネルギーを強化しなければならない。石灰は月のエネルギーの媒介者となる。あなたの方法は完璧にビオディナミだ。それではあなたが造ったシャトー・ダヴィーズ・グラン・クリュ・ブラン・ド・ブラン2012年をテイスティングしてみましょう。・・・・・・・・おお、紛れもなくダイナミックなエルヴェ・ジェスタンのシャンパーニュであり、骨太で腰が強いアヴィーズの味。これはワイナリーの前の畑から?

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「そう。2010年の初ヴィンテージは畑の農薬の影響が強く、自分たちで瓶詰めするに値する品質ではなかったからネゴスに売った。2011年は途中の段階」。

・ええ、分かっていますよ。2012年はビオディナミの味になっている。畑の地形を考えればなおさら驚くべき垂直性。大地から天空へと伸びる円柱のような、あるべきビオディナミ・シャンパーニュの姿だ。ではこれを私が作ったテイスティング・カップで飲んでみてください。三つある突起に指を触れるようにして。

「わあ、頭頂からさらに上のほうにぐわっと力が上がってくる」。

・地上性を離脱して天空につながる力がなければ本来のワインではない。もちろんそれはワインの中にあるのだが、通常のグラスでは表現しきれない。上に三つの突起、そして下に四つの足、これが大事。

「そうそう」。

・私もあなたから学ばせてもらった。あなたのセオリーをカップの形で具体化したつもり。だからもちろんあなたのワインは本来の味になる。ただ、これはステンレス発酵なのだろうか。味の広がり方がそんな感じがする。

「このヴィンテージの段階では樽三分の二、ステンレス三分の一。今ではすべて樽発酵。アンフォラ、テラコッタの類は好きではない。なぜなら土にはワインの風味に悪影響を与える鉄やマグネシウムのような金属、有害なアルミニウムのような金属が入っているからだ。発酵は高い位置で、熟成は低い位置で行い、発酵樽から熟成樽には重力で移動させることで、ワインに重力のエネルギーを与える」。

・発酵が高くて熟成が低いという考えには疑問がある。ブドウの死と再生=発酵と考えるなら、発酵は地下で行われるべきで、そのあとワインになって霊的な力を得ると考えるなら熟成は高い場所で行われるべきではないのか。それは以降の考察対象としておいておきたい。もうひとつの疑問はドサージュ。シャトー・ダヴィーズの2012年には4グラムの砂糖が使われているが、なぜ砂糖なのか。なぜムー・ド・レザンではないのか。

「私はムー・ド・レザンは絶対に使わない。発酵していないブドウジュースと発酵したワインのあいだには断絶がある。砂糖とワイン以上に関係がない。砂糖は熱を加えられて結晶化している。生のものはエネルギー・レベルが低く、ワインのエネルギーを引き下げる」。

・その説明は納得できる。それでも砂糖はブドウではないので、やはりワイン=ブドウを発酵したもの、という本義からは逸脱している。おいしいかまずいかではなく、ドザージュは哲学的問題を引き起こす。だから私は昔からノン・ドゼが一番と主張し続けている。ノン・ドゼである以上は純粋性議論に陥ることはない。

「毎年ドザージュは少しづつ減らしている。しかしドザージュはワイン自身が欲しているなら問題はない。レッヘル・アンテナを用いてワインに聞いてみればよい。ワインが望むなら1グラムとか2グラムといった砂糖を加える。人間よりワインのほうがものを知っているのだ。地球上の問題を解決するための宇宙からのメッセージは我々に送られている。宗教家とはそのメッセージを聞き取ることができる人だ」。

・その宗教家に盲目的に帰依したらカルトになる。私は宗教家でなくとも人間は誰でもメッセージを聞き取る力を持っていると考える。ただその力は多くの人にとっては休眠中の種子のようなものだ。ワインとはその種子を発芽させる契機なのだ。

「その通りだ!」

2019.02.08

ジャパン・ワイン・チャレンジ授賞式&ワイン・イントゥー・ウォーター、チャリティ・オークションー

汐留のコンラッドホテルでジャパンワインチャレンジのトロフィー受賞生産者や代表者の方々への賞状授与式。審査員代表として私がプレゼンターをさせていただきました。

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そのあと、高円宮妃殿下や各国大使のご臨席を賜わり、水のない国で井戸を掘る運動資金を作るためのチャリティオークション。高円宮妃殿下のスピーチのあとに、私がスピーチを仰せつかりました。ケンブリッジ大学を出られた妃殿下の美しい英語のあとで私のつたない英語とは申し訳ない。話したことは、世界各国には沢山の知られざる美しい個性があり、それらは一つの尺度で優劣をつけるべきものではなく、ひとつひとつの存在の中に踏みいって本質を見る努力をすべきである。そしてそうした未知の美しさを発見して世の中に知らせるのが我々の責務である。といった内容。目の前にアルメニアやクロアチアの大使がおられたので、ヴォスケハットやアレニ・ノワール、ポシップやブラヴァッチ・マリを例に挙げて話しました。例によって急に言われて即興スピーチですが。

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それにしても、こうしてトロフィーワインや日本酒を飲むと、ジャパンワインチャレンジとインターナショナルサケチャレンジがいかにユニークか分かります。普通ならトップにならない作品がトロフィーです。

例えばベスト日本ワインは、都農ワインのスパークリングうめわいん。甲州でもメルロでもなく、ブドウですらない、梅を発酵したもの。日本ワイン関係者全員が卒倒するか激怒するか嘲笑するか、でしょう。日本のワインのプロは、こうした作品がブラインドで出てくると、イレギュラーだから判断停止してしまうか、梅は補糖と加水なしにはワインにならず、不純であり、炭酸ガス注入式は邪道であるとして却下するでしょう。それは原理主義です。結果より理屈優先。しかしこのワインは、ミネラル感、構造、バランス、垂直性、余韻の長さといった普遍的評価項目において優れているだけでなく、純粋に美味しい。さらに、地元名産の果物の素晴らしさを知らしめる役割をしっかり果たしている。そして商品企画力、具体化の技術において卓越している。他にはないユニークな美味しさを初めて作り出したこと自体、絶賛されるべきものです。そもそも宮崎で無理してヴィティス・ヴィニフェラを栽培するのがそんなにいいことか。地元に育つ伝統的な果物を使う方がテロワールのワインとして正しくはないか。さらに言うなら、梅は自根だし、より自然な形で生えている果物ですから、ブドウより自然なエネルギーがある。よく出来たボルドーもどきやブルゴーニュもどきを日本で作っても仕方ない。ウソだと思うなら、このワインを買って試して欲しい。ちなみに外国人審査員は皆評価しました。彼らは美味しいものは美味しいと自信を持って言う。そしてこれが日本でしかあり得ないワインであることを評価する。生産者の方は、海外からの観光客に評価される、と。それは当然でしょう。

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日本酒もしかり。トロフィーを取った岩手の浜千鳥大吟醸は、通常なら評価されない類の酒。固くて厳しい味。しかし大吟醸なのに重心が真ん中にあり、立体的垂直的で余韻が長く、タイトでミネラリーで、しっかり背骨がある。いかにも岩手。兵庫の山田錦を使ってもこの強烈に岩手らしい味を出してくるのがいい。つまりどういう味なのか違う表現で言ってくれ、と、岩手めんこいテレビの方に質問されたので、「岩手短角牛の味、石割桜の姿」と答えました。日本じゅう同じ味のお酒では意味がない。土地の神さまに捧げるに相応しい、その土地らしい味でなければ。

梵の天使のめざめは更に過激な個性。「いろいろ受賞してきましたが、天使のめざめに賞を与えるのはこのコンテストぐらい。普通なら門前払いのお酒」だと。使用するお米は地元産のいろいろな品種ブレンド。山田錦ではなく、普通米さえ使っています。それをフレンチオークで10年熟成。アルコール度数18度、日本酒度マイナス15。日本酒かどうかさえ分からない味。あえて他に喩えるならリブザルト・ランシオ。ものすごいパワー、凝縮度、複雑さ、垂直性、構造、余韻、そして唯一無二の美味しさ。暴れた要素を熟成によってまとめ上げたダイナミックな構成。世に溢れる去勢酒の反対。私は20点満点をつけました。外国人審査員と私は高い点数、日本人審査員は低い点数。同じ話ばかりですみませんが、ユニークなものに対する評価が出来ないのが日本人です。ユニークなスタイルの中にある普遍的な美点に着目すれば、この作品が素晴らしいと即座に分かるはず。似たり寄ったりのお酒、減点法で成績のよい無難なお酒ばかりあってもつまらないばかりか、退化してしまう。今売れているタイプのモノマネをするのではなく、自分が正しいと思う酒を作らないといけない。

口では個性だ多様性だと建前を言いつつ、審査員がら実際にはユニークな作品を正当に評価出来ないなら、異分子排除、画一化に加担しているだけです。建前を言うだけたちが悪い。他人がどうあれ、いいものはいい、と主張できる自信を持つのが大事。欠点を指摘するより、長所を発見するほうが百倍難しいが、百倍世の中のためになるのです。

2019.02.06

ヴィレッジセラーズ新着




銀座歌舞伎座横のヴィレッジセラーズで新着ワインの試飲会。おすすめは、
 
1 The Eyrie Vineyards Pinot Noir 2010

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言わずと知れたオレゴンピノの元祖にして頂点のひとつ。緊密で硬質なミネラルと気持ちよくタイトな酸味。冷涼な赤系果実の香り。そして自根ならではの垂直性。飲むほどにすごいワインなのだが、鬱陶しい自己主張もケバい高級感も皆無で、あくまで素朴。アルコールは11・5パーセントしかない。この古典的オレゴン美学が分からない人はオレゴンワインを飲まなくてよい。9000円。
 
2 The Eyrie Vineyards Trousseau 2016


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オレゴン初となるトルソー品種のワイン。これが2ヴィンテージめ、そして日本では初リリース。ダンディ・ヒルズならではのタイトな構造と垂直性。味にボケ滲みがないのに華やかに広がる空気感。エキゾチックな花とスパイスの香り。このジュラ品種の素晴らしさを、ジュラのワインよりも理解できるほど。ジュラと異なり泥臭さがないのに、ジュラと同じく実直で腰が座っている印象。6200円。
 
3 Koyle Cerro Basalto 2014

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チリ、コルチャグワの珍しい玄武岩土壌に植えられたムールヴェードル、グルナッシュ、カリニャン、シラーのブレンド。この地のローヌ品種ワインの出来は常に素晴らしいが、中でもこれは凝縮度の高さを保ちつつ軽やかな伸びときめ細かい質感とビビッドな酸を備えた秀逸な作品。なぜ今でもチリ=カベルネだと思うのか。前二者も玄武岩土壌であり、ある意味で香りもミネラル感も似ている。ほぼ無灌漑。ビオディナミ栽培。もちろん自根。4500円。
 
4 Teusner Gentleman Cabernet Sauvignon 2017

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南オーストラリア、バロッサのカベルネ。熟してなめらかな黒系果実風味。カベルネの構成の堅牢さがありつつゴツい粗さがない。バロッサ=ユーカリ的な香りに過剰な樽風味と思ってはいけない。それでもさすがバロッサらしい存在感と安定感は健在。無理ないつくりで味が整っている。よくこの低価格で出来るものだと思う高品質。高地と低地の畑のブレンド。低地は無灌漑。バロッサはシラーズが有名だが、実はカベルネがお買い得。家でステーキや焼肉を食べる時にこのワインがあれば間違いない。2500円。
 
5 Johan Vineyards Blaufrankisch 2014
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ビオディナミ生産者によるオレゴンのブラウフレンキッシュ。この品種のファンとしては、ついにアメリカでもオーストリア品種ワインか、と感慨深い。相当冷涼な風味。オレゴンに涼しさを求めるなら、多くのピノはもはや温暖味過ぎ。完成度はまだまだだが、当然ポテンシャルは充分。オレゴンの最先端に触れたい人にはおすすめ。4800円。

2019.02.01

モルドバワイン

ソムリエ教本にも載るぐらいにポピュラーな存在になってきたモルドバワイン。ゆったりした厚みのある果実味とソフトなタンニンと酸は多くの人にアピールするし、価格も手ごろなので、一定の人気が出てしかるべき。2000円程度のワインの平均的品質は高いと思う。つまりハズレなし、素っ頓狂なワインなし。数年前と比べて樽の使い方も洗練されてきましたし、タンニンが細かく滑らかになって、ますます飲みやすい。

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▲会場には輸入元ごとにブースが設営されていたが、これはモルドバ大使館のブース。
 
しかし。。。そこまでは万国共通の技術でどうにでもなること。このままでは、メルローやカベルネやシャルドネといったメジャー国際品種の安価なワインというポジションのままです。数十本のワインを飲んでも、正直心躍るワインなし。フラットでエネルギー感弱く要素数少なく余韻短い。現代的洗練を増すと、ますます気になる。もっとキャラクターをしっかり出さないと。土地のポテンシャルはあるのはわかるだけに、大変にもどかしい。
 
単純なレシピを言うなら、甕発酵・熟成にすべき。安い昔風ドイツワインみたいなクリーンさの方向では将来がない。そして赤白品種混ぜて発酵すべき。中間色のアヤを増して、鍋物的な複雑さと一体感の両立を目指すべき。ブドウ価格も上がっているらしく、つまりは価格訴求も出来なくなるなら、将来誰があえて2000円のそこそこのシャルドネをモルドバから買うか。
 
日本では関係諸氏の多大な尽力のおかげでモルドバのほうがルーマニアより遥かにポピュラーだが、同じフェテアスカ・アルバやフェテアスカ・レガーラで比較したら、クリーン&フレッシュでモダンな方向性ならば、ルーマニアの方が標高の高さや石灰岩土壌ゆえに優位に立つように思える。ネガティブなことばかり言って申し訳ないが、逆に私は何故世の中じゅうモルドバをそこまで賞揚するのか分からない。口当たりのいいことを言うのは簡単。それは本心なのか。いまのうちに危機感を持たねば、鉄が固まってからでは形を変えるのが大変になる。モルドバのポテンシャルはこんなものではない。
 
モルドバワインの推進者、遠藤誠さんによれば、モルドバ人の奥さんの親戚たちの自家醸造自家消費用ワインが美味しい、と。そうだろう。黒海系ワインはどこもそうだ。クロアチアもそうだ。輸出用瓶詰めワインとは比較にならない美味しさだと容易に想像できる。つまり、もともと出来ないのではなく、やっていないだけ。なぜか。この問題こそ皆で真剣に考え、是正すべきだ。プロが揃って一元的なフランス中心的価値尺度をもってワインを評価する以上は無理なことだが。
 
会場にいらしたある指導的なワイン評論家の方に、「有名なワインのことばかり話してないでモルドバみたいなこれからの産地をサポートしなければダメだ」と言われた。私は怒って「マイナー産地を無視してきただと?本気で言っているのか?頭からワインかけるぞ、お前」。ここは怒るポイントですね。私は常に主流とは違う視点を提示してきたつもりだが、そんな風に思われているなら努力不足だということだ。しかし私にとってサポートとはその場限りのヨイショのことではない。

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試飲した中ではこの上写真のワインが印象的。カベルネ、メルロ、サペラヴィのブレンド。サペラヴィは強力な個性なので、ボルドー品種クサくない。地場品種ワインにストラクチャーを加える時にすぐにカベルネに頼るのは間違い。キャンティ・クラシコを反面教師にして欲しい。カベルネの代わりにサペラヴィだ。
 
最も素晴らしい点は、自然な質感と暖かみと包容力。木桶発酵、スラヴォニアオークの大樽熟成ならでは。ステンレスとバリックだけではモルドバのテロワール自体の美点を相殺することになる。何がモルドバの取り柄なのかを考え、それをどう技術的に実現するかを考える時、このワインのつくりは良い参考になるはずだ。この時の問題は、何がモルドバらしさなのか、というテーマでの突っ込んだ議論がないことだ。らしさの自覚、共有なくしてアペラシオンという意味での産地の形成はあり得ない。ただ物を生産しているだけではワイン産地とは言わない。
 
とはいえこのワインもやはりディテール、動き、余韻が弱い。モルドバにビオディナミワインはないのだろうか。
 
 

2018.12.02

パリでの第40回サロン・デ・ヴィニュロン・アンデパンダン

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パリの南西、ポルト・ド・ヴェルサイユでのヴィニュロン・アンデパンダン試飲会。千近いワイナリーが出展しています。フランスワインをテイスティングするにはよい機会です。地味めの地元消費系ワインが沢山あるのが魅力。海外メディアが取り上げるすごいワイン、個性爆発のインパクトの強いワインというより、フランスの一般的ワイン消費の文脈で機能する、コストパフォーマンスに優れ、飲み飽きず、アペラシオンの個性がしっかり分かるワインが多いのがいい。つまりは、フランスワインのフランスワインらしさが好きな人向け。
 
ところがそういったワインは日本ではあまり飲めません。フランス食文化の偉大さは日本人なら誰でも知るところで、フランス料理店もものすごい数があります。みんなフランス料理が大好きみたい。だとすればフランス総菜屋さんもたくさんあってしかるべき。ところが、人口一千万を超える東京、フランス産品で溢れる東京ですら、ほんの少ししかありませんよね。ある有名なフランス総菜屋さんでもイタリアっぽい料理が多い。なぜリゾットなのか、と。そんなにフランス料理が好きなら家でフランス料理を日常的に食べていて当然でしょうに、そうではない。つまりはフランス料理店は好きでもフランス料理は好きではない人が大半なのだと結論づけるしかありません。ちょっと胃の調子が良くないからうどんにしよう、ではなく、牛肉のタルタルにしよう、と普通に思う人はあまりいない。実体としてのフランスではなく、象徴としてのフランスが優位な状況。フランス輸出経済がそれで成り立っていると言えばそれまでですが、それではサロン・デ・ヴィニュロン・アンデパンダンに出展される類のワインが一般化しないのも分かります。それが悪いと言いたいのではなく、バランスが不自然だと。
 
喩えて言うなら、普通の町の蕎麦屋のカレー南蛮の美味しさが分からないのにミシュラン蕎麦屋のトリュフ練り込み蕎麦を絶賛する人をどう思うか。私は普通のカレー南蛮がこの世から消えたら泣きますが、トリュフ蕎麦がどうなろうと構いません。それと同じスタンスに立った場合、例えば会場前のブラッセリーの普通の鴨のコンフィと、会場にある普通のソーミュール・シャンピニーやガイヤック・ブロコールやボージョレ・ヴィラージュの相性の、地に足のついた安心の味が美味しいと思わないなら、本当にフランスワインが好きなのか、と問いたくなるのです。

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個別のワインについて話しているとキリがありません。多くのワインが2017年ヴィンテージですが、チャーミングで軽やかで屈託のない、明るい味。北産地に関しては、酸っぱくて固くて陰気な2016年よりいい。補糖嫌いな私には2017年のブルゴーニュはありがたい。補糖ヴィンテージを絶賛する日本のブルゴーニュファンは、つまりは大吟醸が純米大吟醸よりいいと言っているわけです。話が合いません。純米大吟醸の方がいいと思うなら、2015、17、18はいい年です。写真のシュヴァリエのクローズエルミタージュは気に入りました。日本未輸入ですが、誠実な畑仕事を感じるナチュラルな味のいい生産者です。特に左の粘土石灰の畑のステンレスタンク熟成の キュベがいい。最近は北ローヌのシラーの樽無しが好きなのです。樽のザラつきや余計な香りがシラー本来の細やかで抜けの良い個性を邪魔します。その観点からすると、コートロティの生産者の樽無しIGPシラーがどこもおしなべて美味しい。いろいろ探してみる価値はあります。余計な樽に無駄にお金を払う必要はありません。しかし日本ではブレタノミセスの北ローヌのシラーが人気のようですから、というか、シラーとはそういうものだと思っている人が多いみたいですから、クリーンでしなやかな北ローヌのワインはなかなか理解されないでしょう。特に2017年は、多くの人が期待するパワフルさ、強いタンニンと酸がありません。私は、だからいいのだ、と、極少数意見として言っておきたい。
 
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ちなみに鴨のコンフィですが、全体にシブレットを振りかけてあるのがポイント。これが全体の重心を持ち上げ、風味を冷涼にして、ロワールのような産地のワインに合うようにしてある。無意識だと思います。しかしそれが食文化です。

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閉会後、会場近くの普通のビストロに生産者の方に連れて行っていただきました。別に特別なところではなく、ただ会場に近いからという理由で出展者たちでにぎわっているという、おそろしく普通の店。しかしフォアグラは見た目は悪いのに軽やかで細かく、たいしたもの。なんでこうできるのか。こんなにユルい店なのに。それはそうと、先程ソーミュールシャンピニー、ブロコール、ボージョレを典型的パリのワインの例として挙げていたばかりなので、この店のリストを見て、やっぱり、と思いました。こういう、ワインにこだわっていない、ある意味いい加減な店だから、集団的無意識が表出する。ちゃんとマルシニャック、ブルイイ、ソーミュールシャンピニーが並んでいるではないですか!

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逆に言えば、これらのワインに合う味にしなければパリっぽいとは言えない。そしてリストの半分を占めるボルドーのユルいチョイスがまたいいですね。普通のレストランでは当然ながら格付けシャトーからボルドーを見るのではなく、普通のフードフレンドリーなワインとして見るのが正しい。そうすればこのようにリストの価格の低いほうを占める良品がたくさんある産地だと分かります。
 
ここではアルザスワインのトレンドについて興味深い話を聞きました。それは、1、単一品種からブレンドへ。2、ピノ・ノワールへの改植。私が昔から言っていたことですね。やっと、です。例えばフローリアン・ベックのフランクシュタイン、キュベ・リリーは品種表記がなく、リースリング、ピノ・グリ、ピノ・ノワール、ゲヴュルツの混醸。もちろん法令違反です。聞くと、リースリングとして申請しているそうです。なしくずし的に現在の間違ったグランクリュ制度が改変されていくのはいいことです。品種よりテロワールが重要で、そのテロワールの美点を最大限引き出す手段として品種を捉えればいいだけです。しかし今さらピノ・ノワールと言っているようでは気候変動に対して遅い。もはやアルザスはピノには暑すぎ。だから多くのピノが焦げた風味があるし酸が鈍い。今ならブラウフレンキッシュの方がいい。そして多くのピノが抽出しすぎ樽使いすぎ。間違った方向に行っている人が多いようです。

2018.11.15

スイス大使公邸でのヴォー州ワイン試飲会

暑い年が続いているのはスイスも同じ。pHが3.7程度と大変に酸が弱いシャスラーのワインは、これ以上酸味を失わないために早摘みしたりMLFを止める傾向にあるようで、昔とはスタイルが変わってきていると感じます。私はシャスラーは酸がないのが魅力だと思っており、シャスラーをソーヴィニヨン・ブラン的に仕立てるのには反対です。皆、酸酸酸と言う。酸っぱければいいのか?それに、MLFしなければ必然的にSO2添加量は増えるから、味が小さくなる。つまり、日本のワインのプロの方々の多くが称賛する類の固い味(それはミネラルでもストラクチャーでもない)になる。だんだんとスイスワインまでもがそうなってきたかと思うと悲しい。

固くて酸っぱいワインはチーズフォンデュに合わない。しかしヴォー州ワインを評論する人がフォンデュに合うワインとはどういうものかを探求していないはずがない。フォンデュなきヴォー州ワインは考えられないし、フォンデュは我々日本人がヴォー州ワインを飲む必然的シチュエーションでもある。ソーヴィニヨンブラン、シャスラー...、リースリング、シャルドネと並べて相性を比較・評価すれば、昔ながらのほんわかしたシャスラーが一番合うことは明確です。酸があればいいのでもなく、酸がなければいいのでもなく、あるべきワインにあるのがいいのです。その見極めは、産地と品種の特性、美点の理解なくしては不可能です。

 

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会場には旧知の方が多くいらっしゃいました。Pierre LatineのGexさんのYvorneは、いかにもYvorneらしいタイトな構造。これがLa Coteならば固くて変と言いますが、これはYvorneです。同じシャスラーでもレマン湖東側の山に入っていけば当然流速が早くなり、酸の強くなります。彼はオーガニック栽培をしているのでワインの余韻の伸びやミネラル感が傑出しています。彼いわく、「やっとスイスでもオーガニックに注目が集まってきた。生産者も農薬に対して意識するようになった」。「やっと、ですか。そちらの畑の周囲の区画の所有者もオーガニックになってきましたか?」。「いやあ、まだまだ」。斜面の上の区画で農薬を使われたら流れてきてしまいます。これは産地全体で取り組むべき課題なのです。スイスは人件費も高いし、合法とは言えないような労働力に依存しようとする国ではありませんから、そして仕事が大変な急斜面が多いですから、オーガニックが難しいのは分かっています。しかし世界遺産であるラヴォーの畑は遠目にはきれいでも近くに行けば農薬まみれで幻滅してしまいます。消費者がさらに意識的になる必要があります。

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Domaine du MartherayのFechyのプルミエ・グラン・クリュはさすがに優れた畑の味。この村のワインは流れのきれいさと中心密度の高さのバランスがいいと、いつも思います。隣に駐日スイス大使がいらしたので、Fechyの素晴らしさについてお話していました。彼に「なぜスイスチーズとスイスワインをセットで訴求しないのですか。いま日本ではチーズブームですよ。フォンデュとラクレットはどこにでもあります。それらの料理にはスイスワインだというメッセージをもっと伝えるべきです」と言うと、「日本人はチーズには日本酒が合うとみな思っているからワインを飲まないではないか」、と。あらあら。チーズと日本酒の相性は恐ろしく難しいものです。だいたいは日本酒のアルコール感だけがあとに残ってしまいますし、多くの現在の日本酒は重心が上ですから根本的に合わないものが多いのです。それは日本酒の問題であって相性の問題以前だとは思っていますが。

以下のグラン・クリュは、定番ですが、さすがです。エペスの軽やかさ、デザレイの緊密感とパワー。久しぶりにヴォー州のワインを堪能しました。

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スイスのイベントだけあって全体の雰囲気は極めて上品。人も上品。この独特の品のよさに共感できるなら、スイスワインは高くとも他にかわるものがありません。

2018.11.10

香港国際美酒展2018

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 世界にいくつかの大規模ワイン試飲会はあれど、あくせく感とソロバン感が相対的に希薄な国際美酒展は世界のワインを淡々と俯瞰するには良い機会。日本でそれほどワインを一同に試飲できる機会はなく、かといってボルドーやデュッセルドルフに行くにはお金も時間もかかる。だとすれば香港はまだ近くて安い。残念ながら、全体としては以前より活気がなく、ヴィネクスポ香港やこれからのプロワイン香港に出展者は重きをおいているのでしょうが、それでも混雑よりは気分が楽です。

 ジェラール・ベルトランのブースに立ち寄ると、ヒマそうなので、なぜ日本ではコルビエール・ブートナックが良く売れてラ・クラープとテラス・デュ・ラルザックの赤が売れないか、について議論。テラス・デュ・ラルザックはロゼは売れるはずですね、と聞くと、その通り。そしてシガリュスとリムーの高いほうのシャルドネも売れる。そして安いほうのシャルドネは売れない。これはもう理由が明らかですね。ようするに果実味がしっかりあるほうが売れるのです。それを聞いて、日本の消費者がいかに正当なワインを選択しているのか分かり、感服しました。ラングドックを扱う日本の輸入元は、しっかりこの意味を理解して間違った商品選択をしないようにお願いしたいところですが、プロの多くの方々は早摘みの青い味をミネラルだ酸だエレガンスだと言われるので、反対方向に行っています。早摘み教の教えは日本では支配的ですから無理ない。

 ともあれ国によって好みが違います。リムーの安い方はイギリスで売れているでしょう、と聞くと、そうだ、と。これまたよく分かりますよね。イギリス人は実際にそういう味覚なのだからいいのでしょうけれど、問題はますます増える日本のイギリス崇拝者なのです。日本人なのにイギリスの味覚を無自覚的に日本に押し付けるのはよくない。もちろんイギリスのワイン評論は尊敬しているし、彼らから学ぶことは膨大にあるとはいえ。香港では、なんと、マルペールが売れます。売れないアペラシオンのワインは、売れるように微調整することも可能だし、むしろそうするべきです。どこをどう変えればより受け入れられる味になるか。それは難しいことではありません。私の意見を聞いて今年はラ・クラープのシラーとブールブーランクを混醸したのはそのひとつ。きっとカリニャンにグルナッシュ・ブランを混醸すればもっとよくなるでしょう。理解される形でそれぞれのクリュらしさを伝えるのは正義だとさえ言いたい。

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 近くにアルベール・ビショーのブース。相変わらずビショーのコルトン・シャルルマーニュは見事。ランゲット区画にかなうものなし。自社畑は実質オーガニックですからいやな雑味やほぐれない固さとは無縁。自社畑ビショーは大好きです。ビショーの方に質問しようとすると、「こちらの大切な人たちの相手をするから君の相手は出来ない」と追い出されました。大切な人たちとは、若い女性のグループ。分かりやすい態度がいいですね。その後彼は嬉しそうに「ビショーはとても有名な生産者なんですよー」と話していました。ラテンの人はこうでないとね!


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 モンペラで有名なデスパーニュさんからは、「ジロラット(彼らのプレステージワイン)は君の意見を聞いて、2015年からカベルネフラン20パーセント入れることにした。君は正しかった」と言われました。一本送ってくれるというので、お返しに彼には田中式ワイン注ぎ方を伝授。明らかに美味しいことを確認してもらいました。男性の乳首にも機能があるのだ、と言うと、刺激されると気持ちいいんだろ? と、これまたフランス人らしい答え。メルロ単一ではダメだと2005年からずっと主張していたことが聞き入れられて良かった。2015年のジロラットを飲んで美味しくなったと思ったなら、私のこともちょっと思い出して下さい。




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 興味深いのは、そして香港だからこそ充実しているのは、中国ワイン。近いうちに世界最大のワイン生産国になる、つまりワイン=中国になるわけで、時には中国ワインをしっかりテイスティングしておくことも大事。現在の品質レベルは十分に高く、銅賞は確実に取れる。タンニンのきめ細かさは昔とは隔世の感。軽めの土壌らしい抜けの良さ。しかしあくまで国際品種ワインらしい国際品種ワインであり、国籍不明感は否めない。チリワインとの競合は不可避です。しかし輸送を考えれば日本にはメリットがありますね。日本は中国ワインの産地形成にどれだけ主体的に関与できるか。日本に相応しいワイン(当然オーガニック)を中国に作ってもらえるなら、可能性は大きい。
 
 写真のワインは内陸のイスラム自治区産なので、タイトな味です。メリハリ、コントラスト型であって、シットリ型ではありません。飲んでいて羊の串焼きは想像できても、香港の魚料理を食べたくはならない。日本料理も基本的に海辺の味ですから、中国内陸部でシットリ型の日本料理向けないし広東料理向けワインを作るなら、現在のようなカベルネやメルロやマルスランやシラーではなく、テンプラニーリョやグルナッシュ的なキャラクターの品種を植えるべきでしょう。この中で最もポテンシャルを感じたのはカベルネフランの、如開。内陸乾燥地帯ではカベルネソーヴィニヨンやメルロはどこか肩に力が入った味になるのに対して、フランは上品さを失わないのがいい。世界的にカベルネフランはもっと注目されるべきだと、ここ十数年間、よく思います。
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 いろいろ飲んで一番良かった中国ワインは、この長和翡翠。相変わらずのカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロのボルドー風ワインとはいえ、味わいの緻密さ、姿形のきれいさ、密度の均一性、垂直性といった点で見事。銀賞以上は確実な味です。金賞でもおかしくない。短期間でよくぞここまでのレベルに来たと思います。この後に日本のカベルネを試したら、薄くて痩せていて青くて酸っぱくて困りました。それにしても中国の生産者はどこも全くと言っていいほど英語が話せず、いろいろ質問したくともできませんでした。

 日本のインド料理店にはインドワインが置かれています。インドワインがそれほど美味しいかは別として、同じ国のワインを飲むことは自然だと思われるでしょう。では中国料理店では中国ワインを飲むのか。そこに正当性はあるか。正当性のためには、中国ワインが中国以外ではあり得ない味覚上の特徴を保有していなければなりません。そしてその特徴が中国料理を実際に美味しくすることを証明しなければなりません。インドワインは、確かに誇張気味なほどのメリハリ感と香りの強さがあり、それがスパイシーなイ...ンド料理と対応しています。中国ワインのどこに中国性があるのか、まだまだはっきりとしていません。フランス品種を植えてフランス風の標準的な醸造所を作りフランス人ワインメーカーを雇ってそつなく上質なワインを作っただけでは、中国料理店で中国ワインを飲む必然性は出てこないのです。

 ワインが代替可能なコモディティではなく正当な国酒となるためには、その国の料理に合うだけでは不十分で、その国らしい美意識や精神性を備える必要があります。フランスやオーストリアはその点ではたいしたものです。中国のワイン生産者やワイン評論家が、この議論を深めてくれることを期待します。

 価格や生産量といった計量可能な、いかにも唯物論的社会主義的指標では、ワインは絶対に把握出来ない。それは旧ソ連圏のワインの悲劇として我々日本人は理解している。しかしそれでもジョージアやアルメニアといった旧ソ連圏産地は数千年のワイン造りの伝統があったから、なんとか元に戻すことができた。もともとの伝統がない中国が、この段階で目標を間違えては、長い年月を棒に振ることになります。

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 ドイツワインのブースは例年どおりに充実。2017年を試飲し、ミネラル感の豊富さ、凝縮度の高さ(平年より2割減の収量)、クリアーさ、酸味のビビッドさ、フォーカスの明快さに感銘を受けました。天候的には悲惨な年ですし、収穫は極端に早かったため、もっと濁って酸が緩い味かと予想していたのですが、結果としては素晴らしいヴィンテージだと思います。夏の高温と乾燥がワインのミッドに厚みをもたらしているのがポイントで、軽快なワインであってもフラットに流れてしまうことがありません。最も印象に残ったのが、写真のワイン。ラインヘッセンの北部、石灰岩土壌の畑。アルザスと同じく、ドイツでも最近は石灰岩のリースリングがメリハリがあって美味しいと思います。この生産者は認証はなくとも実質オーガニック。飲めばそれはすぐに分かります。それに比べて世評の高い2016年はどうも好きになれません。会場で試飲する限りは薄い、緩い、盛り上がり感弱し。ヴィンテージの理解は難しい。
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 イタリアのブースもいつもながら極めて充実。東京でのガンベロロッソの試飲会と同じく、混んでいるのはピエモンテ。バローロ人気たいしたもの。しかし、隅から隅まで飲んでも平均値が低い。かつての堂々たるスケールや有無を言わせぬパワーや平伏したくなる尊厳はどこに?しかし現行ヴィンテージ2012、13、14ではしかたないとは言えます。

 アペラシオンとして印象的だったのは、カステル・デル・モンテ。リッチな果実味と硬質な垂直的骨格とエキゾチックなスパイスとドライフラワーの香りのスケールの大きい高貴なワインです。昔はタンニンが粗かったり野暮ったい抜けの悪いものが散見されましたが、今回の平均値の高さにはびっくり。ただ美味しいという以上に高貴であることがポイントです。

 まるで東京のガンベロ・ロッソ試飲会の感想の繰り返しになりますが、南トスカーナや海辺トスカーナは美味しい。モンテクッコの粘土らしい下支え感や、ピサのキャンティ(もちろんクラシコに非ず)のしなやかで明るいフルーティさもいい。

 積極的に大きなブースを出して目立っていていたのはアブルッツォとエミリア・ロマーニャ。アブルッツォの味は東アジア料理に概して合います。もっともっとポピュラーになって欲しい。家庭に常備すべきワインの代表です。エミリア・ロマーニャのサンジョベーゼやバルベーラのさらりとした品位の高さも、もっともっと知られて然るべき。この二つの方が、バローロやキャンティクラシコより香港料理には意味があると思います。まあ、有名な名前と高い値段でしかワインを選べないような、本当の食通ワイン通とは思えない人がのさばって世論を支配しているうちは、こうした意見はただの無知と見なされるものですが。

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 タスマニアやキャンベラ系の冷涼オーストラリアも結構ですが、オーストラリアと言えばバロッサのシラーズは常に帰るべき基本です。いろいろ飲んで、なんだかんだで一番納得させられたのは、バロッサの北部、セペルツフィールドのシラーズでした。この造り手は同じく有名なグリーノックのシラーズもつくるので、比較試飲には好適。グリーノックのタンニンのエッジがインパクトがあっていいという意見は分かりますが、私はセペルツフィールドの底辺の厚みとトロみとストレス感のなさが好きです。つまり粘土が大事だと。久しぶりにこのエリアのバロッサを飲んで、落ち着きました。
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 カリフォルニアワイン特有のふっくら感と優しさは南中国料理にはよく合うと思います。農薬味、過度な灌漑味、過度な樽、補酸味ないし早摘み味に注意すれば、です。

 ナパの普通のカベルネの余韻の腰の弱さは相変わらずで、それでいて妙に高く、しかしそういうワインがやたらと多いのは問題ですが、カベルネソーヴィニヨンを避ければ、パソロブレスのテンプラニーリョとか、常識的価格で素晴らしいワインが沢山見つかります。いっそカベルネソーヴィニヨンをひとまず忘れることが大事だと言いたい。

 写真のふたつは当然ながら素晴らしい。テロワールも良ければ栽培も良いのは飲めばすぐに分かります。Acornはジンファンデルで有名ですが、ほかのワインも見事。全てのワインが混醸という、ゲミシュターサッツファンにはたまらない生産者です。カベルネフランは初めて飲みました。単一品種でもブレンドでもありませんから、芯が強くて立体感があります。しかしカベルネソーヴィニヨンみたくゴツくない。Quiviraはジンファンデルにとってのグランクリュであるドライクリーク産。かつ認証オーガニック。しなやかさ、上品さの中にある精緻なミネラルと酸、そして見晴らしのよい余韻の長さ。たいしたものです。こうしたワインを飲むと、カリフォルニアはむしろお買い得だと思えます。

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 冷涼ブラウフレンキッシュなら、チェコに注目です。オーストリア北端産地、ヴァインフィアテルのさらに北に接するチェコのワイン産地。ヴァインフィアテルではブラウフレンキッシュがまともに熟さないと見なされ、赤ワインはツヴァイゲルトやピノ。ブラウフレンキッシュの産地はずっと南のブルゲンラントまで下りねばならない。そのヴァインフィアテルよりさらに北で晩熟品種を栽培すれば、どれだけタイトで涼しげな味わいになるかは容易に想像できますね。往年のブラウフレンキッシュのミントと白胡椒の香りを今求めたいなら、チェコのフランコフカ(ブラウフレンキッシュのチェコ名)の中から探すのもいいと思います。土壌はレスですから、ますますそのような香りが強調されます。オーストリアとハンガリーは隣でもずいぶんワインの性格が違うように思いますが、オーストリアとチェコはクール&クリアーなところが似ているように思います。

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 香港の町を歩けば日本料理店や日本製商品が溢れています。やたらと日本語を見かけます。香港の全人口の4分の1の人が日本に旅行したことがあるそうです。当然日本酒への関心は高く、数えきれないほどの蔵元が出品していました。多くがサラッとしたお酒なのは、それが求められているからなのか。いろいろ試飲して気にいったのは、この岩手のお酒。いかにも岩手な芯の固さと余韻の踏ん張り。そして垂直性。多くのお酒が、重心上、水平的、単調、脆弱で困ったものですが、これはまともな腰の強い立体感があります。

 外国に来てあえて日本酒を飲むのは勉強になる。より客観視ができる。その上であえて厳しく見るなら、多くの日本酒は、正直、いまいち。沢山の賞を取っているあるお酒は、まるで水。立体感なしエネルギーなし余韻なし。なぜ賞総ナメ。こういうお酒に日本的な純粋性だ美意識だと噴飯ものの去勢的言辞を並べるのは耐えがたい。これが日本文化の代表、日本的精神の象徴だと思われたくない。なぜあんなにフラットでシンプルなものをよいと思うのかわかりません。と言うと、日本酒を批判するなど非国民...だ、と指弾される。私にしてみれば、あのような去勢酒を日本的と言うイデオロギーこそ非国民的GHQお先棒担ぎ的。日本人があんなに表層的な人間なわけがない。しかし、立体的で複雑でエネルギーに溢れてなおかつ鮮烈で清らかなお酒だってちゃんとある。ワインなら、後者は賞賛されても前者はされない。ようは、日本酒の評価基準がしっかり確立されていないのです。日本国内でさえそうなら、外国ではなおさら無理。道は遠い。

2018.07.11

新生カリフォルニアワイン協会の発足発表会

 いままでカリフォルニアワインインスティテュートと呼ばれていたアメリカのCalifornia Wine Instituteの日本事務所は、カリフォルニアワイン協会と改名し、扇谷まどか氏と手島孝大氏を共同代表として新しい時代に向けた組織として再出発した。

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 その記者会見の内容は彼らのプレゼンテーションを撮影したので、写真をご覧いただきたい。

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 カリフォルニアワインでなければならない、という必然性は、我々の暮らしの中のどこに該当させた時に見えてくるのか。それは極めて難しい。客観的なSWOT分析は彼ら自身がプレゼンテーションしているのでそれを見ていただくとして、私自身の問いとして考えると、正直、積極的な答えが出てこない。カリフォルニアにはしばらく住んでいたので、いやそればかりかレストランでカリフォルニアワインをサービスしていたので、私はそれなりの思い入れもあるにもかかわらず、だ。

 アメリカ文化にいまや誰が憧れを持っているのか。1950年代のコルベットやTバードのようなものとして、ないしハリウッドのようなものとして、カリフォルニアのワインが機能しているわけではない。その文化価値劣化のプロセスは徐々に進展していたとはいえ、トランプ大統領以降は決定的にネガティブな方向へと振れたと思う。あのような「文化」の象徴としてカリフォルニアワインが存在しているなら願い下げだし、文化価値なきワインはある意味その根源的存在意味を失う。

 他の理由を列挙するなら、

1、安くておいしいわけではない。あるプライスポイントにおいて、彩、ディメンジョン、複雑性、陰影感、ダイナミズムといったもろもろの基準で比較するなら、カリフォルニアは明らかに劣位にある。

2、予定調和的、予見可能的なワインが多すぎる。

3、高価なワインならたくさんあるが偉大なワインがそれほどあるか。

4、最近の早摘みスタイルが嫌いだ。

5、カルトワインのノリが、生産サイドから消費サイドに至るまで共感できない。

 こうしてみると、その最大の訴求点は、没価値的なフード・コンパティビリティしかない。ゆえに新生カリフォルニア協会がその点にに関して以降積極的に働きかけていくという戦略を据えたのは実に正当なことだと思う。

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 そこで満を持して登壇したのが、ワインと料理、とりわけカリフォルニアワインとカリフォルニア料理の相性に関する最高権威、小林絵麻氏である。氏の数学的な純粋さをもつ明快なワインと料理の「方程式」がほんのさわりとはいえ氏自らによって解説されたのは、今回のイベントの白眉であった。実際に氏の指導のもとに作られた数多くの料理が並べられ、ワインと共にその理論の妥当性を検証することができた。

 これも氏のプレゼンテーションの写真を見ていただけばお分かりいただけるだろう。もちろん唯一絶対の理論はないから、あれこれと批判的な視点から疑問を提示することはできると思うが、それこそ木を見て森を見ずに陥り、個別的好き嫌いの話に終始して理論体系の構築も吟味もできないという現在の日本の状況から脱却することができなくなる。ここは各人、氏のプレゼンテーションとペアリング実例を見て、自分で考えて欲しい。

 カリフォルニアワインは確かにカリフォルニアでしか得られない特性を持っている。その特性を具体的に把握し、フードペアリングにおける卓越した有用性を認識したい。ひとつ重要な点を最後に言っておきたい。カリフォルニアワインの味はやさしい。ゆえに単体としてはつまらないと思うこともあるが、そのやさしさ・寛容さこそがフードペアリングを容易に成功に導く。

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2018.07.10

ポルトガルワイン試飲会

 2018年7月9日、白金の八芳園で行われたポルトガルワインの試飲会に行ってきた。あいかわらずの盛況。昨今の人気の高まりを反映している。ワインの基本はフランスワインだと思っているような旧態依然の固定観念がいまだはびこるなか、すべてのワインは相対的であって、なにかがアプリオリに基本であるはずがない、という健全なワイン認識のためにも、こうしたワインが大メジャーになっていくのはいいことだ。それだけに、今やポルトガルをニッチなマニア向けワインと見なすのは間違いであり、しっかりと向き合っていかねばならない。

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 ポルトガルはポルトガルの味がする。土壌も標高も雨量も、そしてもちろん品種も違うのに、アペラシオンを超えたある種のノリが共通している。
 ひとつの理由は明白だ。多くが混植混醸だからだ。単一品種は純粋さが取り柄だ。ブレンドは構成美が取り柄だ。混醸は複雑さ、いや複雑さだけでは言葉が足りない、要素間の境界が見えない積極的な曖昧模糊さが取り柄だ。ところが混醸ではないワインでさえ独特のにじみ感がある。オーストリアやドイツやフランスのワインに顕著に見られる風味と質感の光沢、ワイン表面で反射する光のまぶしさとは対極にあるような、マットでアーシーな鈍い乱反射。このような個性はワイン単体で鑑賞した時には周囲の雑音に埋没しがちだ。端的に言えば、地に足のついた気取らない料理と状況において長所を発揮するワインである。
 不思議なのは、混植混醸とはいっても、同種のワインによく見られる一直線の垂直性がないことだ。たとえば現在の代表的な混植混醸ワインであるウィーナー・ゲミシュター・サッツ(ウィーン北のもの)には味わいの中央に柱が立っているかのような垂直性があり、そこにいろいろな要素が串刺しになっているかのような、シャシリク・エフェクトとでも呼ぶべき特徴が見られる(焼き鳥は竹串ゆえにたとえとして違う)。この時、肉や野菜は中央に串を刺す。ゆえに全体の形は左右対称になる。というか、ワインは基本すべて左右対称である。ところが唯一ポルトガルの混植混醸ワインは、上下軸の位置によって左右方向の広がりに偏りが感じられる。譬えて言うなら、黒川紀章のカプセル建築。このようなぎくしゃく感は他に記憶がない。この点が、今回の試飲会で最も印象に残ったことである。
 これを複雑さとみなして積極的に評価すべきなのか、それとも乱れとして懐疑的なスタンスをとるべきなのか。私は後者の立場を現時点ではとる。なぜなら、自分の知る限り、左右非対称の味の料理が存在しないからである。ポルトガルワインが単独鑑賞型グランクリュ指向では基本的にはないとして、食卓用ワインとしての価値を追求するなら、そこでの疑問は看過できない。
 もうひとつの疑問は、下方垂直性の不足である。上下方向の線分の長さが揃っていない。上に向かう力の量のほうが多い。もちろん自根ならば揃うのだろうが、いまそれを嘆いても現実的ではない。どうすれば下方垂直性を増すことができるか、生産者サイドの技術的課題と認識されてほしい。これに関しては日本のポルトガルワインの専門家がポルトガルでさまざまな指導をされているはずなので、いずれ解決されるだろう。
 この問題と重複するのは、重心の高さである。今回試飲したほぼすべてのワインの重心が高い。なぜだろうか。重心が高くなる品種も土壌も標高もあるが、すべてがそうではない。ポルトガルの料理の多くは重心が中央から下にあるのではないか。日本の料理の重心も低い。ならば重心の高いワインの使い道は限られる。日本とポルトガルはイカタコ等魚介類の料理が多いという点で共通する食文化があり、ゆえにポルトガルワインは日本の食卓に合う、というロジックが現在一般的に流布されているが、それは本当に正しいだろうか。もともとのポルトガル料理にさえ合っているとは言えないのではないだろうか。

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 今回出品されていたワインの中で、明らかに重心が低めで、ポルトガル料理にも日本料理にも出番が多そうだと思ったのは、カーザ・レルヴァスのアレンテージョIGP、Art.Terra Curtimenta。アンタン・ヴァース、アリント、ヴィオニエを18℃から25℃という高めの温度で醸し発酵して中樽熟成したオレンジワインである。この生産者は他にもアンフォラワイン等現代の流行を意識したワインを造る。「オレンジワインはポルトガルでも人気なのか」と生産者に聞くと、「いや、そんなことはない。最近ぽつぽつと出てきたが」。「伝統的なワインではないということか」。「商業生産としてはそうだが、私の祖父の時代には白ブドウをプレスせずに醸し発酵していた。ポルトガルは昔は家庭でワインを造っていたが、それはオレンジワインだった」。だとすれば分かる、家庭でオレンジワインを造っていた時代は、正しくポルトガル料理に合う味だったのだ。
 重心が高いワインをよしとする傾向は世界的なものである。標高700メートルの畑から酸が強く重心が高いワインを造る生産者に、「このワインの特徴は何か」と聞くと、「エレガント」と答えた。「エレガントなのはこのワインに限ったことではないだろう」と言うと、「・・・・」。それがエレガントの定義となっている以上はしかたない。「優雅な人間とはどういう人間か」との問いに「背が高い人」との答えが返ってくるようなものである。到底納得できないのだが、彼の責任ではまったくない。
 重心を下げるためには、というか重心が上になりすぎないようにするためには、完熟ブドウを収穫する必要がある。だが地球温暖化によって完熟ブドウの潜在アルコールは高くなっている。しかしアルコールの高さはむしろ罪悪のように見なされているようだ。今回の試飲会で驚いたのは、アルコール度数によるポルトガルワインの分類が見られたことだ。12から13度がバランスがよい、と書いてある。それが評価基準であり、それが「バランス」の定義ならば、収穫は自動的にその糖度になるような日に行われる。多くのワインの早摘み味=痩せて、すっぱく、重心が高く、単調で、固い味は、明らかに間違った価値基準に基づくものだろう。酸酸酸とバカみたいに繰り返す現代のテイスティングメソッドとその背後にあるイギリス的嗜好を見直し、評価基準を変更して、重心が高く下方垂直性のないワインをよしとする結果にならないようにしなければならない。しかしそれはほぼ無理なことである。なぜなら世界中、日本も含め、誰もそれがおかしいことだと思わないし、そのような重心が高いワインがイカタコ等魚介類の料理に合うと思っているからである。

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 ひとつSO2無添加ワインがあった。CARM SO2 Free Redである。ほとんどすべてのワインが細身(未熟なのだからしかたない)な中で、これは満足できる広がりが感じられた。骨格型のワインになりやすいトゥーリガ・ナシオナル単一、かつ同じ傾向のドウロであることを思えば、やはりSO2の問題は大きいのだと言わざるを得ない。家庭でオレンジワインを造っていた時代にはSO2は無添加だったはずだ。我々は正しく温故知新のアプローチを採らねばならない。SO2をただちに全廃せよ、とは言わない。火山の硫黄を昔のように樽内で燃やす方法の再考(もちろんこれが難しいことは分かっているが)と、最近流行りのUV殺菌法を採用することが、とりあえず試してみるべき事項だろう。

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 通常のワインとしては、アレンテージョのMouchao(モウシャオン)のグランヴァン、モウシャオン2012が印象的だった。これはヘクタール当たり4.5ヘクトリットルまで収量を抑え、22℃から23℃という低温で発酵し、5から7日という短いマセラシオンで造られる。低収量+軽い抽出がまずいわけがない。アリカンテ・ブーシェとトリンカ・デイラ品種とは思えないタンニンの細かさと香りの伸びやかさ。アリカンテ・ブーシェには色が濃いだけではない素晴らしい潜在能力があるのだと分かる。ポルトガルワインとしては高価(それでもコート・ド・ニュイの村名ぐらいだ)ではあるが、飲む価値は十分にある。

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 お買い得なワインとしては、Cartuxa(カルトゥーシャ)のアレンテージョ、EA Red Bio 2016がよかった。赤ではこれだけがオーガニックなのだが、明らかに他のキュヴェよりタンニンが上質で後味にしなやかな広がりがある。上級キュヴェは樽が強すぎてむしろ粗っぽい。二本続けてアレンテージョ。これに限らず、全体としてこの地域の平均品質の高さが印象的だった。
 ポートを忘れてはいけない。すかした味ではないポート、しみじみと滋味深いポートとして、つまりイギリス上流階級的な世界とは異なるテロワールのワインとして、Agri Roncao Vinicolaの生み出す味わいには注目したい。除草剤不使用だという。買いブドウではそうはいかない。ブドウそのものの質がよいため、10年という短い熟成のポートのほうが、長い熟成によって古樽のにおいがついてしまっている上級ワインよりむしろおいしいと思った。
 国際市場向け、アングロサクソン評論家向けではないポルトガルワインを経験してみたい。ポルトガルワインの本当の実力を理解できるようになるためには、ポルトガルを丹念に歩きまわるしかないようだ。日本に輸入されているポルトガルワインは、まだまだ輸出向けに作り上げられた工業メンタリティーが感じられるものが多いようだ。

2018.04.13

ワイン&グルメでのヴィーニョ・ヴェルデ

 お台場の東京ビッグサイトで行われたワイン&グルメでは、昨年に続いてヴィニョ・ヴェルデの大規模なブースが目立ちました。
 この何年か、ポルトガルのヴィニョ・ヴェルデは大変に積極的なプロモーションをしています。ポルトガルと日本は魚料理主体という食文化が共通しているというのが大きな訴求点です。これはキャッチ―です。
 以前にも書きましたが、私は西洋的な「魚とワイン」の組み合わせに必ずしも同意していません。「魚=軽くてさっぱり」、ゆえに「魚用ワイン=軽くてさっぱり」というロジックは、最初の魚の味の定義が異なれば成り立ちません。それは主観的なものかも知れませんが、こってりかさっぱりは肉か魚で別れるものではなく、個別の動物によります(馬はさっぱり、熊はこってり、いさきはさっぱり、ぶりはこってり、みたいに)し、調理法にもよります。赤身牛肉のステーキは400グラム食べられてもアオリイカの刺身400グラムは無理です。 
 たまに聞く「レモンを魚に絞るような感覚で魚の生臭みを取る」という発想に至っては根本的に間違いです。魚にレモンをかけると魚のうまみや甘さがなくなってしまうからです。
 ですから軽くてさっぱりした日本料理向けのワインという現在いろいろなところで見られるテーマには疑問を持ちます。そもそも日本料理(京都のなになにという料亭の料理、などというものは例外であって、とりわけ家庭消費用のワインの話をする時にお殿様・お公家様の料理を前提としていてどうするのか)は軽くてさっぱりなどしていません。
 ですから私はそのような“スタイルとしてのヴィニョ・ヴェルデ”にはあまり興味がありません。しかし誤解されたくありませんが、それはヴィニョ・ヴェルデが低質なワインであるとか俗っぽいド素人向けワインであると言っているのではまったくありません。日本のワイン評論家やオピニオンリーダーが全員ヴィニョ・ヴェルデ協会の設定テーマに沿った同一のメッセージを発信しているなら、誰かひとりぐらいは「本当にそのロジックは正しいのか」と疑問を呈していかないと、むしろ不健全ではありませんか。

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 降水量が多い花崗岩土壌の味らしいワイン(ほんの一部にシスト土壌もありますが)であることのほうが、「軽くてさっぱりした日本の魚料理に合うワイン」であることより、私にとっては重要です。私の問題意識からすれば、今回いくつか試飲した中で一番印象に残ったのはVale dos Aresであり、そのオーナーであるMiguel Qeimadoさんがワインメーカーを務めるSem Igualです。彼は意識的に「アングロサクソン好みの酸が高くてタイトな味のワインに仕上げた」と言いますし、おかげでワインアドヴォケイトでは92点という極めて高い評価を得ており、それはそれでいろいろと議論を呼ぶ問題ではあるのですが(この話をしていると長くなる)、私の評価する点はそこではありません。彼のワインが、1、炭酸ガス添加によるスッキリ感を否定したナチュラルな造りであること。2、酸のレベルは高いが早摘みによる青い酸ではなく安定感がある酸なこと。3、珍しく重心が上ずらずに下半身がしっかりしていること。4、ミッドの密度が高いこと。5、余韻が長いこと。6、オーガニックを支持し、来年には認証取得予定であること。です。高品質ワインにとっては当たり前のことですが。
 ミゲルさんは「ヴィニョ・ヴェルデではほとんどみんな炭酸ガス添加」だと言います。「発酵後すぐに瓶詰めするから炭酸ガスが残っているのかと思いましたが、違うのですか」と確認すると、「違う、後から添加している。私は醸造家だから知っている」と。そういうテクニックが優先されてしまうと、“スタイルとしてのヴィニョ・ヴェルデ”になって、私は距離を置きたくなるのです。

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 Vale dos Aresは「蔵出し4・9ユーロ」。質からすればそんなものでしょう。しかし「ヴィニョ・ヴェルデとしては高い。世間はヴィニョ・ヴェルデを安いワインだとみなしているから」。そうすると、まず目標としての価格が先行して、薄いワインになってしまうのでしょう。何度も言いますが、上品であること・しなやかであることと、薄くて平面的で腰高な味であることのあいだには、なんの関係がありません。
 ミゲルさんは「あの別府さんに評価していただいた」と喜んでいました。「別府さんを知っているか」と聞かれたので、「もちろん存じ上げています。日本では最も影響力のあるワイン専門家で、皆が彼をフォローしていますから、彼に評価されたのなら日本でも売れるようになると思いますよ」と答えました。

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 テロワール志向の、きちんとミネラルを感じられるヴィニョ・ヴェルデとしては、グアボス・ワイン・プロジェクトも気になった生産者です。生産者曰く、「ヴィニョ・ヴェルデの法的最大収量はヘクタール当たり10トン。うちのアルバリーニョ(これは収量が低めの品種)は4、5トン」。このようにブルゴーニュのグラン・クリュと同じぐらいの低収量になれば、ミッドの充実感も出てきますし、後半になっても味がボケません。おもしろいのは、ラベルを見て分かるとおり、畑の標高が書いてある。実際、低い標高はおだやかで丸みのある味、高い標高はメリハリ・緊張感のある味。プロならば畑の地名と品種ブレンド比率を聞けば味の予想がつくはずですが、素人にとっては見ただけで最低限の“土地の味”が理解できるこの生産者のワインは、分かりやすく、つまりは使いやすい。数十もあるヴィニョ・ヴェルデの品種名とその味を覚えるのは普通の人にはハードルが高いですから。

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