ワインと料理

2018.12.22

カリフォルニアワインと上海料理

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「食べ放題、飲み放題の安い店という印象しかなかった」とご参加のおひとりがおっしゃっていましたが、それはマーケットに合わせてしかたなくだと思います。出身地のお料理を特別に注文すれば、職人魂に火がついて大変に素晴らしいお皿が出てくるものです。
 というわけでオーガニック・プロセッコの講座に続いて再び『上海庭』の張シェフにお願いして、特別料理を作っていただき、カリフォルニアワインをテーマに忘年会。年末のお忙しい中、4名の方にご参加いただきました。
 メニューは以下のとおり。
脆皮炸子鶏
松鼠魚
蝦子海参
腐乳東坡肉
咸魚雞粒炒飯
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 蝦子海参は大昔に上海で食べてインパクト大。くせっぽい味ですから日本では受けないでしょう。腐乳も咸魚も発酵食品で、これまたくせっぽい。メニューの相談に行った時に「咸魚が入手できない」と言うので、香港の西貢にあるオーガニック系食品店で無添加のものを買い、持参しました。超高級店の洗練された創作料理なのか、凡庸な定番か、いい加減な日本風中国料理なのか、という状況の中、こうした普通の中国らしい中国料理はむしろ得難いもの。しかし私はそういう料理が食べたいのです。次にこのお店で講座を行う時は揚州料理を作ってもらいたいと思っています。
 今回それぞれの料理に合わせたのは、マルヴァジア&カベルネ・フラン、シュナン・ブラン、サンジョベーゼ、ジンファンデル&メルロです。上海料理は酸がないし、柔らかいし甘いし濃いし、そしてあか抜けているので、カリフォルニアワインは順当中の順当な選択です。
 94年ヴィンテージのメルロ、06年ヴィンテージのジンファンデル、そして最新の残り4本。カリフォルニアも時代の嗜好には敏感で、こうして約十年ごとのヴィンテージを飲むと、いかにもその時代の味だとわかります。カウボーイ的というかワイルドで地酒っぽい90年代から、派手な金満志向の00年代、そして自然回帰のさらっとした現代。この違いがまたおもしろい。正直、現代のワインを飲むと、昔のは農薬っぽくてわざとらしい味に感じられてしまいます。あまりカリフォルニアワインにお詳しくない方は、以前のカリフォルニアの印象とは極端に違う現代のワインに驚かれてしました。
 東アジアの料理に対する相性という観点からしてカリフォルニアワインの素晴らしいところは、質感が柔らかく、酸がまるく、タンニンが熟していて、重心が下のワインが他の産地より多いことです。サンジョベーゼをナマコと合わせるなど、カリフォルニアワイン以外では考えられません。日本では高くともカリフォルニアワインの人気が大変に高く、よく売れているようですが、それは当然のことだと思いますし、消費者は感覚的によく理解しているのでしょう。食事のためのワインとして、カリフォルニアは絶対不可欠な産地です。
 

2018.11.02

ジェラール・ベルトラン来日記念テイスティング・ランチ

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▲ジェラール・ベルトランと私。ジェラールのほうが私より三歳年下。



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▲人形町大門通り(明暦の大火以前の旧吉原)にあるフレンチ・バル、サン・ピエール


 11月2日、忙しいスケジュールの合間を縫ってジェラール・ベルトランさんが来日中にテイスティング・ランチのための時間を空けてくれました。
 会場は人形町『サン・ピエール』。ジェラールは「日本に来たのだから日本料理がいい」とずっとだだをこねていたのですが、「それは自由時間をたっぷりとって日本に来た時のために残しておこう、今はあなたのファンのためのサービスとラングドックワインに情熱的な高橋シェフへの感謝が大事」と押し切りました。終わってみれば彼は「おいしかった、行ってよかった、高橋シェフは才能がある」と喜んでいました。もしそれをお客さんの前で言ったなら社交辞令の可能性もありますが、車の中でふたりきりの時にそう言っていたので本当です。私は「高橋さんは才能があるだけではなく、人の声に耳を傾け、謙虚によいものを取り入れる能力がある。それは貴重な能力だ」と。「確かにシェフは一般的にエゴの塊になりがちでフレキシブルさがないな」と彼。自分でもレストランを経営していて困ったことが過去にたくさんあるからこその発言です。
 
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▲イワシのマリネにはプリマ・ナチュール・シラー。
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▲秋刀魚のオリーヴオイル素揚げには、ミネルヴォワ・ラ・リヴィニエール・ラ・ヴィアラ
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▲メカジキのスパイス焼きにはシャトー・ラ・ソヴァジョンヌ テラス・デュ・ラルザック ロゼを。

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▲タコのセト風煮込みにはシガリュス。白も赤も。

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▲牛カルビのカリカリ焼きにはクロ・ドラ。

 

 料理は以前の会でお出ししたものと基本は同じ。失敗のないようにしないと。ラングドックのワイン、特にベルトランのオーガニックやビオディナミのワインに重要なことは、料理をいじくりまわさず、食材の鮮度感を生かすだけではなく、調理時間をかけすぎずに、さっと作ってすぐに提供し、料理の鮮度感を生かす、ということ。いじくりまわしていると、見た目はいいとしても、また知的なおもしろさはあったとしても、エネルギーが失われます。それが日本のフランス料理にとっての大問題なのです。私は寿司やてんぷらのようなシンプルな日本料理、トラットリアのイタリア料理、多くの中国料理にあって、世評の高い、食通の方々が好まれる類のフランス料理にはないものは、自然のダイレクトなエネルギー感だと思います。
 たとえば秋刀魚にしても、ハーブとニンニクの風味のオリーヴオイルで素揚げにしただけですが、それにまさるエネルギー感の料理はありません。私はトルコのボスポラス海峡の海辺の屋台みたいなレストランで、サバのオリーヴオイル素揚げを食べた時にショックを受けました。この秋刀魚が何料理なのかといえば、トルコ料理かもしれません。肉料理はスペインのリベラ・デル・デュエロで食べたもののアレンジです。
 今回の料理で意識したのは、垂直性です。ベルトランのワインとの相性を考える時に忘れてはならない特徴です。しかし料理の垂直性が議論されることはありません。ベルトランのシャトー・ロスピタレのレストランでさえも、料理に垂直性がないことをジェラールも私も常に問題視しています。垂直性がない料理が、垂直性を求めたワインに合うわけがありません。この何か月間、どうすれば料理に垂直性が出るか、店じまいのあとの深夜に、何度もお店を訪れて見本を見せてきました。もしこれを読まれている方でそれなりにフランス料理に詳しい方がサン・ピエールに行かれたら、「田中はどうやって垂直性を出すようにしたのか」と聞いてみてください。

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▲今回のワイン。最後のワインはベルトランのものではなく、自宅から持ってきたデザート用のモーリー・ブラン。ジェラールも「モーリー・ブランは好き」と言っていたが、酸がなくソフトでいてミネラリーなモーリー・ブランはデザートやチーズにとって大変に重宝するワイン。日本には入ってこない。
 そしてベルトランのワイン、ないし高品質のラングドックワインの美点を引き出すための料理のもうひとつの工夫は、味の凝縮度を上げること。前菜の肉団子(プリマ・ナチュール・シャルドネ用)、秋刀魚(プリマ・ナチュール・シラーやミネルヴォワ・ラ・リヴィニエール用)、そしてカルビの黒焼き(クロ・ドラ用)のみっつは素揚げです。揚げれば水分が蒸発して味の凝縮度が上がるからです。ラングドックのワインは濃厚ですから、料理が貧相で密度が薄いと、よくある例と同じく、ワインのアルコール感が強まるだけではなく、料理に対してワインがごつすぎて下品に感じられてしまう。それではこうした生産者を招いてのテイスティングが台無しになってしまうのです。
 ところが往々にして、高級ワイン(クロ・ドラは3万円近くする)だと繊細な高級フランス料理を合わせようとする。たぶん合わないでしょう。ジェラール・ベルトランのワインは、むしろステーキ店、焼き肉店、焼き鳥店のような、素材をストレートに生かした料理を出す店で扱うべきだと思っています。

2018.10.27

オーガニック・プロセッコと上海料理

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九段にある上海料理店、『上海庭』で、オーガニック・プロセッコの講座を行いました。メニューは上海料理らしさがあってプロセッコに合うものを考え、オーナーシェフの張さんに特別にオーダーしました。
1、白切鶏
2、エビの龍井茶葉炒め
3、ローストチキン
4、沪江排骨
5、干糸、エビ、金華ハムの白湯煮込み
6、豆腐と上海蟹味噌
7、葱油開洋拌麺

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 日本人に合わせて普通のメニューは麻婆豆腐とか京醤牛肉糸とか上海とは関係のない料理が大半。予約しに行った時には「こんな料理作っているんじゃない!上海人としてのプライドを持ってほしい」と張さんを激励。通常とは次元の異なる素晴らしい味でした。日本に来る前は上海のホテルにいて江沢民にも料理を出したことがあるという張さんですから、気合が入れば当然本場の味を出してくださいます。干糸や葱油開洋拌麺など、本当に伝統的な上海っぽくてうれし涙が出ました!ちなみに脆皮鶏は広東料理ではないかとつっこまれる前に弁解するなら、Asolo Prosecco Superiore DOCGに対しては他に合うメニューが思いつきませんでした。
 お出ししたワインは先日プロセッコで取材した時に購入してきたものです。白切鶏と脆皮鶏にはAsolo、エビにはコネリアーノ地区のフリッツァンテ。排骨にはDOCのプロセッコ、干糸にはDOCGのヴァルドッビアーデネ、蟹味噌豆腐には同じくヴァルドッビアーデネのビオディナミのワインが合いました。
 平地のDOCワインは、それだけテイスティングしたら水平的で質感が粗いので確かにDOCGより劣った質だとみなされますが、そのかわり流速が遅くて粘りがあるので沪江排骨(ようするに酢豚の高級版)には最高です。DOCはDOCのよさがあります。流速が早いほうから遅いほう、そして重心が高いほうから低いほうに並べれば、アゾーロ、ヴァルドッビアーデネ、コネリアーノ、ノーマルのDOCになります。それと甘辛度合いを鑑みれば、プロセッコは簡単に食事と合わせることができます。アルコールは11パーセント台と低く、酸はしなやかで、泡も強くなく、そして若干の甘さがありますから、中国南部の料理や日本料理が合うはずです。それは今回の上海料理との見事な相性で証明されたと思います。
 ピッツェリア的な飲食店で安くて気軽で安心できるビール代替品みたいな立場になりがちなプロセッコですが、きちんとしたオーガニックのワインは「今まで飲んでいたプロセッコはいったいなんだったのだろう」と思えるほど気品があります。プロセッコのエリアはもともとオーストリア領ですから、今でもワインはどこかオーストリア的な冷涼感と透明感と節度感があるのがおもしろいところ。プロセッコはピッツァのような南イタリアのノリで楽しむものではなく(そう思われているからこその商業的成功なのですが)、しっとりと落ち着いて味わうにふさわしい内容を持っているワインです。しかしオーガニックのプロセッコが恐ろしく少ない現状では、それを実体験する機会さえ普通はありません。残念です。
 それにしてもビオディナミのCol di Manzaは、他に比較するものもないほど圧倒的なプロセッコ。複雑で立体的で繊細で上品で安定感があり、これを飲んでしまうとこれからどうすればいいのだろうと、ご参加の4名の方々全員がおっしゃっていました。日本には輸入されていませんから、またワイナリーに行って買うしかないでしょう。
 ところで今回も新しいテイスティングカップでワインを味わいました。以前のバージョンのカップも持参して比較してみると、やはり新しいほうのエネルギー感や香りや密度感が印象的。ご参加の方が欲しいとおっしゃられたので販売することにしました。これを読まれている方の中でご入用の方はお知らせください。このテイスティングカップの味を経験したら、普通のワイングラスには戻れません。ワインファン(特にビオディナミワインのファン)全員必携だと、個人的には思っています。
 

2018.10.09

アルメニアン・コニャックとヒンカリ

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  アルメニアのブランデーはコニャックと呼ばれます。原産地呼称に神経質なフランス相手に裁判して勝ち、その名前を守ったのも、百数十年に及ぶ高品質ブランデー生産の歴史と世界的評価ゆえです。

    私は日頃蒸留酒を飲む機会がなく、アルメニアンコニャックも口にしたことがありませんでしたが、せっかくアルメニアにいるので飲んでみました。最も有名なアララットブランドの、7年熟成、Otbornyです。場所はヒンカリ専門店。ジョージア料理として有名な、いかにもシルクロードな、水餃子みたいな料理です。アルメニアにもあるのですね。ジョージアではヒンカリにはワインは合わせずチャチャを合わせると聞いたため、それに倣って蒸留酒。まあ中国でも水餃子には紹興酒より白酒の方が合いますね。
    アララットのコニャックはヤルタ会談の場でスターリンが出して、チャーチルが気に入り、以降毎年スターリンはチャーチルにアララットを40本送ったという話はよく知られています。それはDVINという長期樽熟成のものですが、私はウイスキーもブランデーもそこそこ短い樽熟成の方が好きなので、それに安いので(一杯500円)、7年を選びました。
    ムッチリ甘い味で、流速が遅く重心低め。オレンジママレードやピーチ的な、フルーティな香り。美味しいです。喩えて言うなら、ジャックダニエル的飲み易さ。アルコールより果実が勝っているため、私のようなアルコール嫌いでも楽しめますし、ストレートでも料理と合わせて飲めます。フランスのコニャックより大らか。旧ソ連圏では絶対のブランドなのに日本では認知度ほぼ皆無。もったいない。試してみる価値は十分にあります。
 

2018.07.14

ヴィーニョ・ヴェルデ・テイスティング・ディナー

 数年前まではヴィーニョ・ヴェルデは書籍の上でしか知らなかった。今では少なくともプロのあいだではヴィーニョ・ヴェルデは基本アイテムのひとつだ。2014年の対日輸出量170702リットル、金額398112ユーロに対して、2017年は315664リットル、822424ユーロ。ヨーロッパから日本への輸出が全体として水平飛行か下降気味なのに対して、4年で二倍という伸びはすごい。いま最も人気沸騰のワインは何か、と問われたら、多くの人がヴィーニョ・ヴェルデと答えるだろう。

 なぜそんなに人気なのか、分からない。周囲からは絶賛の声しか聞こえないのでここ何年か試飲会にはできるだけ参加して100本ほどの少数とはいえヴィーニョ・ヴェルデを飲んでみた。ロゼや赤はなかなかおもしろいとは思ったが、忘我陶酔の境地には至らず、白に至っては、普通によくできたワインであるという事実以上は分からなかった。

 

だから赤坂の和食店『茜坂』でのヴィーニョ・ヴェルデのテイスティング・ディナーに招かれた時は心底ありがたいと思った。和食と合うと言われている、そしてそのようにPRしているワインを、数年ぶりに食べる和食のコースに合わせて実際に試してみることができるからだ。

品書きは以下のとおり。

先付 大葉豆腐

御椀 牡丹鱧

造り 蛸

焼物 仁淀川天然鮎塩焼

煮物 賀茂茄子おろし煮

強肴 平田牧場金華豚西京焼き

食事 もろこし御飯トリュフかけ 赤出汁 香の物

水菓子 パイナップル

 食べてすぐに東京の味だと思った。板長さんは関東のご出身ですかと聞くと、東京だという。東京の味は玄武岩っぽい。関西の和食は花崗岩っぽい。エッジ感のある東京味はヴィーニョ・ヴェルデには好都合だ。花崗岩土壌主体の産地のワインではあるが、ふっくらした味ではないからだ。

 いろいろな種類のヴィーニョ・ヴェルデが出てきたが、基本、どれも重心が上、流速が早い、味の中心密度が薄い、固い、旨みが少ない、広がりがない、酸が高い、余韻が短い、性格が地味。今までの印象と同じだ。しかし和食は、こうしてヴィーニョ・ヴェルデと比較してみるとよく分かるが、ワインよりも相対的に重心が下、流速が遅い、中心密度が高い、柔らかい、旨みがある、スケールは小さいがそこからの広がりがある、酸がないに等しい、余韻が長い、性格が意外にも派手(京都的というか)、だ。

 ワインと料理を合わせてみても、接点が少ない。ワインも料理も単独ではおいしいが、合わせた時に1+1=3にならない。なにをもってヴィーニョ・ヴェルデが和食と合うというのだろう。もちろん会に参加されていた他の11人のジャーナリスト諸氏は「合う」と口々におっしゃっていたし、彼女ら(全員女性だ)の美食的経験値や知識と比べれば私など赤子のようなものであるから、これを読まれている方々は私の意見は無視していい。しかしそれでも私には赤く見えるものは他の全員が青いと言ってもやはり赤いのであって、そこで嘘をついては私自身を裏切ることになるし、ジャーナリストとしての責任もない。この会の進行役・講師役を務められたポルトガルワインブームの先導者(オーストリアワインの権威でもあられる)、別府氏の言葉を借りれば、「料理とワインをバチバチ合わせなくともヴィーニョ・ヴェルデは無理なく飲める」とのこと。味が薄いからあってもなくても同じ、といった消極的な意味なのだろうか。二つのものを口に入れれば必ず味覚的化学反応を起こす。味が薄いほう、アルコールが低いほうが合わせやすいわけではない。合う合わないはもっと複雑なものだし、いかに消極的に安全な方向に飲み手が逃げようと思っても料理は見逃してくれず、ワインはそもそも逃げようとしない。そして逃げるつもりなら、もともとマリアージュなどするな、レストランの美的価値創造性の意味を軽んじるな、と言いたい。

 全料理と全ワインについてどうして合わないのかの理由を列挙してもそんなものは自分でも読みたくないので、ひとつふたつだけ例を挙げる。ヴィーニョ・ヴェルデは重心が高く、和食は重心が低い場合、ワインは料理の風味の上にのしかかり、蓋をすることになってしまい、料理がシンプルでまずく感じられる。そして最後まで上下分離して両者は溶け合わない。ヴィーニョ・ヴェルデは余韻が短く、和食は余韻が長い場合、ワインは料理の時間軸上の中間部分だけに干渉し、その部分の味を変質させるが、そのあとワインだけが消失し、料理の味だけが再び出現することになる。これは料理の味の時間軸上の調和と進行を完全に乱し、料理の理解を妨げる。そして最後は料理の味だけになるなら、ワインはなくてもいいということだ。それでも飲むならアルコール依存的消費である。そのような消費様態はワインについては不適切であるというのが私の基本的スタンスである。

 

 昔のヴィーニョ・ヴェルデのように、弱発泡・ソフトな質感・クリスプな酸のシンプルなワインで、水がわりのコモディティー飲料だという認識ならば、それ以上の議論は必要ない。つまり、ヴィーニョ・ヴェルデは“ヴァン”なのだという定義ならば、料理に合う合わない、つまり“ボン・ヴァン”としての価値の吟味は筋違いとなる。

 ところがここでのテーマは、「和食に合う」なのであり、“ボン・ヴァン”であることが前提となる。命題が与えられているなら、それの真偽性を検証するのが我々の責任である。

 別府氏が言うには、ヴィーニョ・ヴェルデは「高品質化」を推し進めている。ヴァンからボン・ヴァンへの移行を産地として目指しているようだ。それはいろいろと試飲しても感じることである。

ヴィーニョ・ヴェルデの高品質化とは、遅摘み、小樽の使用、シュール・リーを意味するようである。まるでどこかの産地で昔聞いた話のようだ。遅く摘んでブドウの糖度を上げれば高品質になるのか。なるとしたら、品質は糖度と比例するという往年のドイツのような品質の定義を行い、それが広く受容されるならば、である。しかしそのような定義を現代に行う者はおらず、そのような性質は我々がヴィーニョ・ヴェルデに望んでいるものでもない。バリックを使えば高品質だと思うような単細胞な消費者もいまや少数派だろう。フレッシュさが失われて酸化熟成風味に代替され、もともと弱めの品種の香りが樽の香りの陰に隠れてもなお我々はヴィーニョ・ヴェルデを飲む積極的な意味を見出しうるのだろうか。シュール・リーをすれば旨みや粘り気は増すかもしれないが、香りの伸びや華やかさや味わいの抜けのよさを確実に失う。どちらが大事なのか。

ヴィーニョ・ヴェルデとは何なのか、どうあるべきなのか、その議論がないまま、「いま流行りのヴィーニョ・ヴェルデ!トレンドに遅れないようにしよう!」的な強迫観念を流布させることがヴィーニョ・ヴェルデの将来のためにいいことなのか。どれもこれもナタデココのように消尽してしまう我々日本人の癖は再考されるべきだ。

もちろん日本人が日本国内で議論しているだけでは生産者と意識の共有ができない。彼らが正しい方向に進むためには我々がその方向を示さねばならない。しかしそれはある意味簡単な話なのであり、別府氏がヴィーニョ・ヴェルデ生産者の総会においてある種の一般教書演説をすればよい。彼に能力があることは知っているし、彼の意見には同意することも多い。あとは彼が彼自身の責任をどの程度自覚しているかの問題だ。

 

 改めて問いたい。ヴィーニョ・ヴェルデはヴァンなのかボン・ヴァンなのかグラン・ヴァンなのか。ベーシックなヴァンとして水がわりの欧州最廉価ワイン的なポジションを維持しても間違いではないとは思うが、そしてそれも大事な役目だとは思うが、産地がそこから別のところに行きたいと思ってこのようなプロモーションをしている以上は、彼らの考えを無視するわけにはいかない。

グラン・ヴァンだとは皆思っていないだろう。私はヴィーニョ・ヴェルデに行ったことがないので、そのテロワールを見てグラン・ヴァンを生み出しうる何か特別な力がそこに宿っているか否かについて語ることはできない。そこに偉大なテロワールがあることを期待するだけだし、それがワインの形になることを願っている。

ボン・ヴァンだとは思っている。しかしそのためには何の役に立つのかの明確な指針が欲しい。少なくとも今回のマリアージュでは「和食のためのワイン」という指針ではない。世界じゅうのワインが「和食に合う」と自らを喧伝する。ソウルに行けば「韓国料理に合う」、上海に行けば「上海料理に合う」と言っているのだろう。そのような八方美人的・十把一絡げ的な発言は信用性がない。そして和食といっても多様だ。すべての和食に合うとするなら、和食の大半に共通する本質的な分母を抽出し、ヴィーニョ・ヴェルデの大半に共通する本質的な分母を抽出し、両者のあいだに説得力・妥当性のある相似を見出さねばならない。それができないならば、どのような料理のカテゴリーに対してどのようなヴィーニョ・ヴェルデがどのように合ってどのようなおいしさを生み出すのかを明らかにするべきだ。さもなくば単なる雰囲気的な掛け声に終わって消費者を惑わすだけだろう。

しかし料理と合わせるだけがボン・ヴァンの役目ではない。たとえばクリュではないコート・ド・プロヴァンスのロゼはボン・ヴァンであろうが、その意味はプロヴァンス的なライフスタイルをサポートし、プロヴァンスが持つカジュアル&ラグジュアリーな文化的価値を伝達することであって、プロヴァンス産のホウボウやスズキに合わせることではない。ヴィーニョ・ヴェルデを「ある料理のためのワイン」と定義してもいいが、プロヴァンス・ロゼにならって「あるライフスタイルのためのワイン」として訴求する方法をもっと考えてもいいだろう。

ではどういうライフスタイルなのか。どういう文化的価値なのか。ポルトガルという国に特別にポジティブな感情をもつ人は多い。国を訪れる人は多いし、そうした人は口々にポルトガルを称える。たぶんポルトガルには人を惹きつけるライフスタイル、文化的価値、さらに言うなら精神性があるのだろう。そのメッセージが十分に普遍的であるなら、ヴィーニョ・ヴェルデは極めて有効なメッセンジャーとなり、それがヴィーニョ・ヴェルデをボン・ヴァンとする根拠となる。しかしそれがなんなのか、私は経験がないので分からない。

 

生産サイドに視点を移し、ヴィーニョ・ヴェルデの現状のスタイルと品質に関する問題と解決策を以下に述べる。

1、農薬っぽい味がする。

将来的にオーガニック化すべきだ。それまでは産地全体としてどのようにすればいいかのロードマップを策定しなければならない。除草剤全廃は必須だろう。もちろんそうすれば味わいが複雑になり、料理との接点が増える。

2、単調すぎる。

ポルトガルワインの魅力と傑出したフード・コンパティビリティの理由は混植混醸である。しかしヴィーニョ・ヴェルデは混醸はほとんどなく、複数品種であっても事後的ブレンドが主流だという。さらには近年単一品種ワインブームのようで、味わいはますます単調化にしている。これだけは確かなことだが、単一品種ワインはヴィーニョ・ヴェルデにとってよいことはない。何百ものヴィーニョ・ヴェルデ(認可品種は45もある!)を特定の料理やTPOと厳密に合わせるような人がそれほどいるのか。One Fits Allを求めるほうがいい。可能なら混醸、無理なら3品種以上のブレンドとすべきだ。そうすれば世界のワインの中でも特異なポジションを維持できるし、川を挟んだ向こう側のワインとの差別化も容易となる。また香りに関しては培養酵母の香りが支配的で単調だが、これは技術的に容易に解決できるはずだ。

3、薄い。

軽やかであることと薄いことは違う。軽やかさと密度感をどうやって両立するのかは課題だ。最初は収量がヘクタール当たり70ヘクトリットルぐらいあって多すぎるのではないかと思った。しかし2万1千ヘクタールの栽培面積から生産されるワインはヴィーニョ・ヴェルデとミーニョ合わせて約9千7百万リットル(2017/18のデータ)。普通だ。ではどうして相応の密度を感じないのだろうか。これ以上収量を下げたらワインの販売価格は4000円程度になるだろう。しかしバリック発酵よりも低収量のほうが本質的な高品質化につながるのは確かだ。各ワイナリーがフラッグシップワインを造ることが全体の底上げに重要なのだが、私が夢想するそのレシピは、最上の区画での混植混醸、低収量、オーガニック栽培、コンクリートや大樽での発酵、MLF、熟成させずに炭酸ガスごと瓶詰め、である。

4、発泡について。

昔のヴィーニョ・ヴェルデは炭酸ガスが残っているうちに瓶詰めしてから弱発泡性だったのだろうが、今では大半のワインがガス注入式だという。それでは高級ワインとしての定評は勝ち取れない。スパークリングワインの市場は確実にあるのだから、そしてアルコールが低く酸が高い品種を多くそろえているのだから、プロセッコと同じくシャルマ方式のフレッシュなタイプの発泡ワインとシャンパーニュと同じく瓶内二次発酵タイプのコクのあるタイプの発泡ワインの二種の生産をもっと増やし、それが全体の3割程度を占めるようになっていいのではないか。ただし発泡酒は技術的な難しさや大きな初期投資の必要があるため、村ごとないし地区ごとに集約された発泡ワイン工場を設け、各生産者はそこに原料ワインを持ち込んで商品に仕上げてもらうといったシステムを採るべきだろう。

5、アルバリーニョとアヴェッソに潜む危険。

単体で飲めばアルバリーニョとアヴェッソは濃厚堅牢で素晴らしいワインとなるがゆえに、このふたつの品種に人気が集まるのは分かる。しかしこれらのワインは山の味がする。こちらの方向に行き過ぎるとアイデンティティを失う。そればかりか世界じゅうの同傾向のワインと真っ向勝負になってしまう。アルバリーニョやアヴェッソに何を加えたらよりコンプリートな美がもたらされるかを考えて欲しい。とにかく45色の色鉛筆を持っているのだ。あとは画家の腕次第だろう。

 

それにしても参加12名のうち男性は私ひとり。異常だ。ヴィーニョ・ヴェルデとは関係のない話だが。

2018.07.09

シャトー・ロスピタレでワインと料理を考える

 ワインだけ飲んで美味しいものが、常に料理と合うわけではありません。料理と合うワインが、単体として完成されたものでもありません。この問題はことあるごとに再考され続けられねばなりません。
 概してみな単体完成度を求めてワインを作ります。具体的使用状況適合性は考えません。違うのは自家製自家用のジョージアワインやオーストリアのホイリゲワインぐらい。ですからここでワインの三分類の確認が大切です。グランヴァン、ボンヴァン、ヴァンです。それぞれの目的は、神や自然や崇高なものや神秘の賛美、人間的文化的悦楽への貢献、飲料として身体的欲求の満足、といったところでしょう。多くの問題は、この三者の混同から生じます。いったどんなワインを作ろうとしているのかが明確に自覚されないまま、なんとなく無意識に高品質ワインを作ろうとしても、それは目的のない品質、つまりは無意味になるのです。

 ジェラール・ベルトランのシャトー・ロスピタレのレストランで、鳩とフォアグラの料理(写真)を食べました。その前にテイスティングしたのがラ・クラープのロスピタリスやミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールのシャトー・ラヴィル・ベルトー。テイスティングの残りのワインがあり、この料理に合わせるとよいとのことで、試してみました。ところが料理よりワインのほうが勝ってしまう。タンニン、酸、固さ、大きさ等、いろいろな要素においてワインが上回る。このようなことは本当によくあることなのです。高級料理と高級ワインが合うと思ってしまうのは脳内で生み出された幻想の消費であり、それを仕向ける消費社会の論理の支配ゆえであり、実体ではない。


 ここで固さに着目してみたい。だいたい現在の高級フランス料理は肉であってもしっとりと火を入れて柔らかいものです。そして柔らかいことをよいことだとみなします。高級フランス料理に合わせたくなるワインは高級ワインです。そして高級ワインはグランヴァンと同義です。そしてグランヴァンはグランクリュから生まれます。多くの場合グランクリュは岩がちの畑です。岩がちの畑のワインは堅牢なミネラル感があります。またグランヴァンの赤は長期熟成可能性が要求され、強いタンニンが好まれます。ミネラルとタンニンのふたつの要因が合わさってワインは固くなります。ゆえに高級フランス料理と合わないのです。
 この問題を解決するにはどうすればいいか、ロジカルに考えてみてください。
1、 昔みたいにビアンキュイの火入れにする。
2、 抽出の軽い、タンニンの弱いワインをグランクリュから造る。
3、 表土の厚い畑からワインを造る。
4、 20年ぐらい瓶熟成させる。
 最も簡単は方法は肉を強火でしっかり焼くことなのですが、それではお客さんが納得しません。それは現実的には自宅で食事をするときの解決方法です。ボルドー格付けシャトーの場合はセカンドワインがあり、それはまさに上記2に該当するカテゴリーのワインです。素晴らしいボンヴァンだと思います。このようなワインを皆が意図して造ってくれると、料理とワインの関係は今より密接になります。グラン・クリュからの高級ロゼワインもまたこのカテゴリーに入ります。上記3の観点は特に消費者が既存のワインリストの中から選ぶときには有用です。ジェラール・ベルトランの場合、表土の厚い畑とはシガリュスであり、コルビエール・ブートナックです。だからこの両者は柔らかい。ゆえに現代フランス料理とよい相性を得る確率は、表土の薄いラ・クラープやミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールよりも大きくなります。上記4は古典的な方法ですが、農薬を使用している時代のワインはおいしくないし、溌剌としたエネルギー感やフレッシュ感が失われていくという事実はプラスに働くとは限りません。そして長期熟成させたラングドックのグランヴァンをオンリストしているフランス料理店はないに等しい。
 
   料理に合わせることを目的とした多彩なボンヴァンが必要です。しかしよくある考え方、作り方では、中間価格帯ワイン=ボンヴァンになるとは限りません。グランヴァンからはじかれたワインで安価なセカンドワインを作っているだけではまだまだグランヴァンもどきなのです。そのワインでしか得られない美点をまっすぐにワインに向き合って追求しないと、どれほど生産者が「どの子供もかわいい」と言いつつ、それはある子供を軽んじているのと同じことになります。またグランヴァンの味を安く気軽に楽しむ、といった消費者サイドの考えは倫理的に問題があります。そう思ったとたんにグランヴァンのグランヴァン性は失われるからです。  
ボンヴァンがまあまあの出来のワインだと思ってはいけない。高価高級なワインだってあり得ます。あくまで目的意識の違いです。繰り返しますが、神にささげるワインがグランヴァン、人間の消費文化の向上に貢献するワインがボンヴァンです。
 たとえば高価高級なボンヴァン、高級フランス料理用のワインの作り方は以下のようなものです。
1、 グランクリュの畑を選ぶ。
2、 固くなる品種の比率を下げ、軽やかさやしなやかさをもたらす品種を増やす。特に、白ブドウとの混醸。
3、 低収量。
4、 7日以内の短いマセラシオン。
5、 新樽不使用。中樽や甕やコンクリートタンクの活用。
 これで高級な味だがパワフルすぎず固すぎないワインができるはずです。このようなワインをグランヴァンと呼ぶ人もいますし、目的意識ではなく品質レベルのみで分類するならそれでいい。これは定義の違いで、私にとってはグランヴァンは絶対・究極・崇高を目指さねばならないものであって、そこに「高級フランス料理に合う」などという目的を導入してしまうことは神の冒涜に思えます。
 というわけで、現在のジェラール・ベルトランのワインの複雑なポートフォリオは、たぶん、グランヴァン、ガストロノミックワイン、 アールドヴィーヴルワイン、ファン、ベーシックといったキーワードで分類しなおすことができるはず。そしてそれぞれ、目的にふさわしい造りをするのがなにより肝要です。
 今までワインサイドからの話をしてきましたが、レストランサイドの話もすべきです。なぜならシャトー・ロスピタレのレストランは、ワイナリー併設のレストランなのであって、生産されているワインをおいしく飲ませるような料理を作ることが最大の目的だからです。おいしい料理を作るだけでは普通の町のレストランと同じです。
 現在の料理はおいしいのですが、ジェラール・ベルトランのワインに合うかどうかは別の話です。固さの話は既にしましたから措くとして、基本、3つの要素が弱いからです。それは、1、垂直性、2、酸、3、ダイナミズム、です。どうやればワインにもっと合うようになるのか今度シェフと相談してくれ、と言われました。考えるのはやぶさかではないですが、私はジェラールに言いました、「あなたはワインメーカーなのかレストランオーナーなのか。同じ時間があるとして、ワインに時間を割くべきか、それともレストランか。現時点の優先順位はワインに決まっている。まだやることがたくさんある。レストランは人に任せるべき」。ところがキッチンとホールの距離の遠さは、日本に限ったことではない。そこが解決されないと、いくら「人に任せ」ても機能しないのです。
 

2018.06.30

エルヴェ・ジェスタンと共にベルトランのワインを飲む

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エルヴェ・ジェスタンさんはいつも同じ店でタラしか食べません。もともと肉はほとんど食べませんし、サーモンは養殖で薬品が使われているからイヤ、タイはたぶんギリシャ産だからイヤ、と、結局この日もタラです。彼がタラを食べるのを見るのはこれで十回目以上です。ルクレール・ブリアンのお隣のメゾンの人が「エルヴェ・ジェスタラに改名したほうがいい」と言っていたのはおかしかった。私は普通にステーキ。アメリカ産の牛肉でした。ワインは何にするか、とジェスタンさんからリストを渡されました。
J「シャンパーニュにする?」。
T「飲みたいシャンパーニュはないでしょう?飲んで文句を言うのが分かっているなら飲まないほうがいい」。
J「たしかに」。
T「我々はそんなにアルコールを飲まないのだから、フルボトルを頼んでも無駄になります。それに、料理と合わないワインを頼んではいけない」。
 
 彼は最大グラス二杯しか飲みませんし、それももちろんまともなワインだけです。
J「すべてのアルコールが悪いわけではない。ドイツでチャクラ撮影カメラが発明された。そろそろ発売される。実験機の結果を見たが、不揃いだったチャクラがビオディナミワインを一杯飲むと整ってきて、二杯飲むとピシッと真ん中に揃う。このカメラがあれば誰をも納得させられる」。

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 グラスワインは何かとウェイターに聞くと、早口でいろいろな名前を挙げてくれました。よほどの人でないとどれがどんな味だかわからないでしょう。さてその中にベルトランのシャトー・ヴィルマジューのコルビエール・ブートナック2016が。ステーキは酸がないので酸が高い多くのフランスワインは合いません。コルビエール・ブートナックはもともと酸がソフトなアペラシオンですし、2016年は暑かったのでますますそう。そしてビオディナミ転換中。これしか選択肢がありません。
J「ああ、ビオディナミ転換中の香りがする」。
T「ちゃんと下方垂直性があるでしょう?」
J「君の影響が感じられるね」。
T「近頃では少数派の熟したブドウ。今の時代、高アルコールか未熟風味かの選択になる。そしたら高アルコールのほうがいい」。
J「当然だ」。
 大半の人は未熟風味のほうをよしとします。特にプロはそうです。アルコールが高いワインは疲れる、といった言葉をよく聞きます。アルコールがいやならたくさん飲まなければいいだけのこと。熟したブドウのワイン300ccと未熟なブドウのワイン330ccの違い。そもそも未熟ブドウのアルコールと補糖のアルコールは不自然な味がして私は頭が痛くなります。だから私は「好きなワインは?」と聞かれ、たまに「アルコールが高いワイン」と逆説的に答えます。しかしその後に、「私はアルコールは全く飲みません」と付け加えますが。
 それでもシャトー・ヴィルマジューはやはり少しアルコールが目立つ。果実の日ですからなおさらそう。チューリップ型グラスはアルコール臭いからダメです。上が開いた古典的な形のグラスをなんと呼べばいいのか。ケシの花型グラスか。それならもっと美味しいでしょうに、これまた大半の人はチューリップ型グラス独特のアルコール臭さをよしとしますから、そんなグラスはアンチックショップにしか売っていません。ビオディナミ的にはアルコールがアウトなのではなくアルコールがブドウを上回るのがアウトだと考えるべきでしょう。そして提供温度が高すぎます。ベルトランの赤ワインは15,6度でいいのです。
 さてマリアージュはどうか。今回アメリカのブラックアンガス牛のステーキと合わせてみて、なぜジェラール・ベルトランの生産量の25%という膨大な本数がアメリカで売られるのか分かったような気がしました。
 
 ジェスタンさんには息子が2人います。長男はモンペリエ大学で醸造学を学んだ後、今はニュジーランドの某巨大ワイナリーで研修中。そこに行くことは父親としては賛成出来なかったらしいですが、ま、子供は親とは反対のことをしたがるものでしょう。そしたら最近メールを送ってきて、「こちらのワイン造りを見ていたら辟易としてきた。帰ったらお父さんの下で学びたい」。私は「逆に戦略としてはニュジーランドに行かせて良かったじゃないですか」と言うと、「結果としてはそう。弟のほうは18才で、ずっとエンジニアリングを勉強すると言ってた。しかし最近、『ねえお父さん、エノロジストになるのは難しいの?』と聞いてきた。彼もワインに興味が出てきたみたいだ。私の理想は、彼ら兄弟があとを継いでくれること」。ジェスタンさんは60才になって、次の時代のことをあれこれ考えているようす。あちこちのコンサルタントを辞めてしまったのは、「自分の畑とワインに集中しないと時間がない。言っても分からない人たちに付き合ってられない」。彼のような天才にとっては他人は皆バカに見えるのかも知れません。しかし唯我独善と思われたら伝わることも伝わらない。二人の息子の活躍に期待しましょう。
 以前の彼はこんなに子供のことを話さなかった。今まで仲良くしてきたワイン生産者と別れたりしたあとにこうした子供の話を聞くと、秀頼生誕のあと関白秀次を自害に追い込んだ秀吉を思い出させなくもない。自分のあとを継げるのは自分の子供だけだと思うのは普通です。しかし秀次の一家郎党皆殺しにして生じた状況は豊臣家の弱体化であり、味方の離反。そして関ヶ原の敗北。そのシナリオだけは絶対に避けないとシャンパーニュのためにならない。ですから私はジェスタンさんには、ビオディナミの若手シャンパーニュ生産者全員のお父さんのような存在であってほしいと思うのですが。彼の考えはメインストリームとならねばいけないからですし、彼の技術は広く受け継がれねばならないからです。
 

2018.06.01

5月25日、ラングドック・デー

 5月25日はラングドック・デー。知ってましたか?私は知りませんでした。世界中でラングドックワインのイベントが行われる日のようで、私は西麻布にある超高級フランス料理店『アズール・エ・マサウエキ』で行われたプレスランチに参加させていただきました。
 プレスランチに招かれるなどめったにない経験なので勇んで出かけましたが、住所を間違って控えていて、せっかくタクシーに乗ったのに住宅地の中の見知らぬ場所で降ろされてしまいました!遅刻してすみません。

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 和食器や和食材を生かした創造的フランス料理で知られる店ですから、プレゼンテーションはきれいですし、調理技巧は超絶的ですし、味は大変に繊細。フランスに行っても田舎町の無名のレストランで地元の人に混じって普通のフランス料理ばかり食べていて、家でも普通のフランス料理しかつくらない私は、これはいったいなんなんだろう、と目を丸くするしかありません。例えば写真の太刀魚。お椀の蓋を開けると中からスモークが出てきて、しばらくするとその霞が晴れて中からまんまるの銀色に光る月に見立てた太刀魚が漆黒の器を背景にして浮かび上がるという料理。なんと風流。藤原定家が喜びそう。私ごときはニンニク風味のオリーブオイルの中に入れて揚げてパセリとレモンをかけてがつがつ食べ、フォージェールの白か何かを冷やして飲むだけでしょうに。

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 さて、今回のメニューとそれに合わせたワインのリストは以下のとおりです。
■アミューズ
太刀魚のマリネ ホワイトアスパラガスのババロワ
ドメーヌ・ジ・ロレンス クレマン・ド・リムー ル・クロ・デ・ドモワゼル 2015
■前菜
リードヴォーとひしおのグラタン仕立て キウイ添え
シャトー・ダングレス ラ・クラープ グラン・ヴァン・ブラン 2015
マス・サン・ローラン ピクプール・ド・ピネ 2015
■魚
時しらずの猪ベーコン巻き 北海大あさりブールノワゼットソース
ドメーヌ・ド・バロナーク リムー 赤 2013
ドメーヌ・アンヌ・グロ・エ・ジャン・ポール・トロ ミネルヴォワ ラ・シオード 赤 2014
■肉
スモークした仔牛のロースト 花付きズッキーニのファルシー ソースタップナード
レ・トロワ・ネッサンス テラス・デュ・ラルザック 赤 2011
ジェラール・ベルトラン テロワール・コルビエール 赤 2014
■デザート
燻製シナモンと黒ビールのクラフティ
ジャン・クロード・マス ミュスカ・ド・サンジャン・ド・ミネルヴォワ
2016
 もちろんおいしい。しかしふと思うのですが、ここで「おいしかったです!」と書いても、読む人にとっては「ああ、そうですか、よござんした」で終わりですよね。私が読み手ならそう思ってしまいます。だってこういったお料理は一期一会で再現性がなく、天才しか作れない料理で、つまりは大多数の人の役に立たない情報だからです。
 ところで、こうした超高級フランス料理店に行く方々は果たしてラングドックワインをこの場で飲むだろうか。まあ多くの人はシャンボール・ミュジニー・レザムルーズとか飲むのでしょう。現状では、なんだか違和感があるな、と思う人も多いでしょう。

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 だから、あえてやっているのです。イベントの意図は明確です。高級・ラグジュアリー・先鋭的という文脈にラングドックワインを位置付けるということです。多くの著名ジャーナリストが揃ってこのイベントについて書けば、消費者は無意識にもその文脈を獲得する。どのみち大多数の人は細かい話は記憶しません。高級フレンチ=ラングドックワインという等号さえ意識してもらえば十分以上です。それは大切です。ラングドック委員会から来日した女性も冒頭のセミナーでクリュをはじめとする多くのAOPについて解説していました。日常消費用IGP主体の産地からAOP主体の産地へと衣替えしていくことが、生産者サイドの産業構造からしても消費者の意識としても必要です。スペインと価格競争してもラングドックの負けは見えています。いまどれだけの生産者が廃業へと追い込まれていることか。しかしいいニュースもあります。AOP化努力はそれなりに実を結び、日本への輸出量は減っていても単価はアップしているそうです。この方向性をさらに確固たるものにするには、こういった超高級フランス料理店で出てきても自然だと思われる真のグラン・ヴァン(それはおいしいというだけではなく、ある種のオーラがあるワイン)が20種類ほどは登場してほしいと思います。言うまでもなく、クロ・ドラをはじめとするジェラール・ベルトランの一連のエステートワインはそれを目指しているわけです。
 ラングドックの高級化が内在的な運動に由来するのではなく、既存のブランドに依存する形で行われるのだとすれば、私は釈然としません。たとえばバロナークとグロ&トロは、それぞれムートンとリシュブールという強力なブランドを利用したワインです。ラングドックファンとしては、それは恥ずかしい戦略です。グロ&トロが登場した時、イギリスの評論家は、まるでブルゴーニュみたいだ、と言って高く評価したそうです。方便としての有用性は理解するとしても、それは間違った考え方です。ブラインドで飲んでブルゴーニュみたいなミネルヴォワと、ミネルヴォワ以外の何物でもないミネルヴォワと、どちらが正しいワインなのか、ということです。
 こうして考えてみると、果たして「超高級フランス料理店」という文脈がラングドックらしいのか、という疑問が湧いて当然です。ラングドックはそういうノリの土地なのか。多分、違う。最高の食材をシンプルに調理したような料理のほうが、私は“らしい”と思います。例えば良質のジビエを囲炉裏端で焼いた時に飲むワイン、というお題が与えられた時、クロ・ド・ラ・ロシュやシャトー・パヴィではなく、ミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールとかテラス・デュ・ラルザックの名を多くの人が挙げるようになるのが理想です。クロ・ド・ラ・ロシュはどうぞパリのミシュラン3つ星でお飲みください、と。ストレートな勢い、あれこれ考えすぎずいじくりすぎない鮮度感といった特質を忘れてはいけないのではないかと思います。高級な日本料理でもふたつの方向がありますよね、京懐石と江戸前寿司という。どちらがボルドーでどちらがラングドックなのか、悩むまでもないでしょう。

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 ところでこれはワインジャーナリストが集まっての会なのですが、せっかくラングドック委員会サイドと意見交換できる機会なのに、皆さん何も言いません。私と彼女の会話はこんな感じ。
・世の中スパークリングワインの需要は多いのに、AOPのスパークリングワインはリムー系だけ。そして主たるクレマン・ド・リムーの品種はシャルドネやシュナンであってラングドック品種でさえない。これはおかしいと思います。
「リムー以外でもスパークリングはありますよ。ペットナットも最近よく見かけるし」。
・いえ、それはAOPではないし、IGPですらない。ヴァン・ド・フランスですよ。私はラングドックとしてスパークリングワイン生産を後押しするべきだと思う。地中海品種スパークリングのAOPがひとつ欲しい。たとえばミュスカ系産地はどうですか。甘口ミュスカが売れずに皆困っているのは知っていますよね。彼らのためにスパークリング・ミュスカのAOPを作るべきです。フロンティニャンに行った時も、素晴らしい生産者がミュスカでは食べていけずにiPhoneの修理屋さんをしていますよ。おかしいでしょう、この状況は。フロンティニャンはラングドック最古のAOCなのに。
「え、フロンティニャン?ラングドック最初のAOCはフィトゥーでしょう?」
・それは赤ワインの最初です。フロンティニャンは36年、そのあとリュネル、そしてフィトゥーです。
「そうかなあ」。
・あなたが知らないなら、世界中誰も知らないってことですよ。まあ私はフロンティニャンの大ファンですから。
「私は海沿いのミュスカは甘すぎて好きではない。サンジャン・ド・ミネルヴォワが好き」。
・酸が高いですし、香りもすっきりしていますから、サンジャン・ド・ミネルヴォワが好きというのは典型的に現代的な嗜好だと思います。しかしフロンティニャンの歴史的な栄光と貢献を思えば、私としては当然フロンティニャンに相応の敬意を払うべきだと言いたいのです。
 あまり会話がかみ合っていませんね。しかし伝えるべきことは伝えられる時に伝えないといけない。というか、だれもかれもラングドックワインのことをまともに考えていないんだな、とつくづく思います。

2018.04.02

ブルゴーニュ白ワインととんかつの会

 

 ブルゴーニュの白ワインはどんな時に何と合わせて飲むべきものなのか。一大カテゴリーのワイン、いや世界の白ワインの中で最も代表的なジャンルとさえ言えるワインなのに、「ブルゴーニュの白ワインと料理の素晴らしい相性を教えてください」と尋ねると、なかなか答えが出てこない。ワインファンなら何千本もの経験があるのに、今回の参加者の方々は「あまりおいしかった記憶がない」。今までいったい何をしてきたのか、どれだけお金と時間を使ってきたのかと自問するなら、何かが根本的に間違っているとみなすべきなのだ。

 間違った使用法の最たるものは、ブルゴーニュの白ワインを前菜用とみなすことだ。ブルゴーニュでは伝統的に赤ワインのあとに白ワインをテイスティングする。白のほうが強い味だからである。ではレストランにおいても、ブルゴーニュにこだわりたいなら、赤が前菜用で白が主菜用のほうが筋が通るではないか。しかし赤白の順でワインをオーダーしている人を見たことがあるか。ないし、そうすべきと言っている人を、私以外に知っているか。私の知り合いが某超高級フランス料理店に行った時、赤白の順でオーダーしようとした。するとその店のシェフソムリエが「いったい誰に吹き込まれたんだ」と聞いた。「田中という人です」と答えると、「ああ、田中か。却下」。そして白赤の順でワインを彼が選んで出した。この話からして、赤白の順で飲むことがどれだけ日本ではご法度とされているかが分かる。普通の人は超高級フランス料理店のシェフソムリエに「違う」と言われ、「そうしたいのだからそれでいいではないか」とは言えないものだ。我々は毎日宮廷晩餐会に出ているわけではないのだから、宮廷プロトコルを厳守する必要がどこにあるのか。目的はプロトコルの順守ではなく、美食体験の主体的創造ではないのか。ともかく私の感想は、ブルゴーニュは全体に赤ワインのほうが白ワインより繊細でさらっとしているということだ。ブルゴーニュ白は主菜と合わせねば出番がない。

 ブルゴーニュ白の基本品種はシャルドネだ。シャルドネはそもそも繊細・優美な味わいの品種なのか、それとも逞しく肉厚な味わいの品種なのか。私はどう考えても後者だと思う。世界じゅうあちこちの産地でシャルドネとピノ・ノワールが隣あわせに植えられているから両者を比較する機会は多いだろう。ソノマ・コーストであれカサブランカ・ヴァレーであれマーガレット・リバーであれ、シャルドネのほうが肉厚で、ふてぶてしく、ある意味俗っぽい味がしないだろうか。しかし誰もが宮廷プロトコルに従ってワインを飲もうとすれば、本質的な個性とは関係なく白ワインを前菜に合わせることになる。それを絶対の前提とするなら、前菜向けの白ワインを造るしかない。最近の早摘み傾向は、ブルゴーニュの白ワインの去勢である。すっきりとしてエレガントなどという言葉は、ブルゴーニュ白に対しては必ずしも誉め言葉ではない。そもそもブルゴーニュの白ワインは、赤ワインのように高貴でスピリチュアルな味わいには思えない。だから高級レストランというよりビストロに向く味なのだと思う。地に足のついた、腰のすわった、実質的なおいしさ、という意味である。しかし最近のブルゴーニュの値段は高い。到底ビストロに向く価格ではないため、出番は高級レストランということになる。結果、「おいしかった経験が思い出せない」という、誰にとってもいいことがない状況が生まれる。

 前菜でなくとも魚料理ならいいと思う。しかし魚=軽い、魚=ダイエット的な発想にとらわれて料理を作ってしまえば、やはりブルゴーニュの白ワインとは方向性を異にすることとなる。ブルゴーニュの白は軽い味のワインではない。地域名ブルゴーニュでさえ料理に対して支配的にふるまうことになるだろう。さらに、最近の早摘み傾向のもと、ブルゴーニュの白ワインは以前より重心が上がってきている。またそういうワインが高く評価される。重心が高い魚のほうが圧倒的に少数なのだから、これまたワインとは合わない。

 だからブルゴーニュの白ワインの本来の姿とは何かをもう一度考えねばならない。シャルドネと粘土石灰と緩い斜面らしい味わいの基本的特徴を列挙するなら、1、流速が遅い。2、重心が低い。3、堅牢な骨格がある。4、樽(つまり焦げた木)の要素がある。このような総論に立ち返らずに、「●●という料理に、ドメーヌ●●のラドワ1級●●が合う」といった個別論を重ねても、「ブルゴーニュの白ワインにはどのような料理が合うか」という包括的な問いには答えられない。そう言いかけると、必ず「そのような問いそのものが存在しない。なぜならブルゴーニュの白ワイン一般は存在せず、目の前に在るワインは必ず個別のドメーヌ●●のAOP●●の●●年というワインだからである」、「合うか合わないかは実際に試してみるまでは原理的に分からない」、「流速が早いワインも堅牢な骨格がないワインも存在する以上、そのような一般化は現実を単純化する作為であってブルゴーニュの多様性を否定する悪しき言説である」といったご批判をいただく。個別の差異を捨象したところに浮かび当たる共通項をもとにした群の観念は、在る。この群観念を構成できないと、ティピシティとしてのテロワールも、●●らしさも分からないし、当然ながらワインを飲まずに選ぶことができない。既に選ばれ飲まれたワインは実体的個別的存在であっても、実際に飲む前のワイン、すなわちラベルから読み取れる情報を軸に推測されるワインの味は、複雑な群観念の連立方程式の解として形成された心的イメージであり、実体的な存在ではない。私はご参加の皆さまに、ワインリスト上で、またショップで、正しくワインを選ぶための考え方をお伝えしたいと思っている。

 さて、上記4つの特徴をもつような料理とは何か。もちろん「軽くポシェした漁港直送の白身魚と季節の有機野菜とハーブの彩サラダ」、「地鶏レバーのムースリーヌ」、「野菜のテリーヌ」といった典型的前菜ではないことは確かだ。では何かと考えて、たどり着いたひとつの料理は、低温調理のロースとんかつである。それは、1、しっとりジューシーでじわっと味が広がる。2、豚だから当然重心が低い。3、分厚い肉なので噛み応えがある。4、揚げものである以上は焦げ要素がある。合わないわけがない。そこで上野の『蘭亭ぽん多』のお座敷でこの講座を開催することにした。

今回の料理とワインの組み合わせは、

1、蟹サラダ & ヴァンサン・ブーズロー、クレマン・ド・ブルゴーニュ

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まろやかで重心が低いこってりめのワイン。ヴォルネイ村のピノ・ノワールとガメイ、ムルソー村のシャルドネとアリゴテのブレンド。泡で重心が低いものは珍しい。

 2、牛タン & マノワール・ド・メルセイ オート・コート・ド・ボーヌ 2016

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 マランジェの隣のオート・コート。土壌はマランジェ的に多様な礫を含む粘土質で、オート・コートらしくなく、重心は真ん中。複雑な陰影感のある味わいが牛タンの内臓的な風味を包み込み、純粋化し、料理の余韻の香りは驚くほどピュアで強く、心地よい。想像以上の傑作マリアージュ。こういう奇跡はめったに起きない。

 3、海老フライ & ヴァンサン・ブーズロー ムルソー1級グット・ドール 2013

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 海老は火を加えると逞しい筋肉感が出る。グット・ドールもまた逞しく、標高は高めだが粘土が多いため重心は下になり、海老に合う。ヴァンサン・ブーズローは早摘みをしないのがいい。ソースをかけたほうがムルソー的になる。ムルソーは多くのフランス料理に対してごつすぎる味になるが、海老フライには最高だ。

 4、とんかつ & アンヌ・バヴァール・ブルックス ブルゴーニュ・ブラン 2015  

      & ブシャール モンラッシェ 1995

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 低温ロースのとんかつの流麗で細かい質感にはピュリニー。このブルゴーニュ・ブランはピュリニー村の畑で造られる地域名。味わいはまさにピュリニーで、粒子が見えない。重心は下。料理に清涼感さえ与え、極めて上品な後味。肉の繊維の中に入り込み、肉汁と合体し、風味をピュアにしてくれる。値段を考えれば、これで十分である。モンラッシェはピュリニー側。スケール感は巨大で余韻は長大だが、このとんかつはモンラッシェを前にしても負けないパワーがあり、珍しくも普通にモンラッシェをぐびぐび飲むことができる(普通なら一口で飽満感があるものだが、それは料理よりワインのほうが強いからだ)。しかしとんかつの味じたいは繊細で、そのパワーは、モンラッシェに負けないという事実から間接的に感じるだけだ。このふたつのワインはピュリニー村ということだけが共通点で、格付けもヴィンテージも両極端だが、それでも両者ともにとんかつに合ったということは、ピュリニー村の個性が合う理由だと言わざるを得ない。さらに肉そのものにパワーがあるので、ソースをかけずに塩とからしで食べるほうがよい。ピュリニーは塩味、ムルソーはソース味だというのはご理解いただけるだろう。

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 『蘭亭ぽん多』は相当高級なとんかつ店だが、料理の質はそれに見合ってあまりある。そして100度という低温調理だからこそ、このようにピュリニーに合う料理になっているのだと思う。とんかつと言って誰もピュリニーとは思わない。ピュリニーと言って誰もとんかつとは思わない。先入観は捨てねばならない。先述したようにロジカルに考えれば、とんかつは極めて順当な帰結である。

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2017.12.30

ポムロールと古典洋食の講座 at 京橋モルチェ

 明治から戦前にかけて日本を代表する西洋料理店といえば、「精養軒」「富士見軒」「宝亭」「東洋軒」「中央亭」(創業年順)。今回のポムロールの講座は、「中央亭」の伝統を引き継ぐ「京橋モルチェ」で行いました。「中央亭」は、華族会館調理長にして鹿鳴館を影で支えた渡辺鎌吉を調理長に迎え入れて三菱財閥総帥岩崎弥之助が明治32年に創業したレストランです。洋食ファンなら知らぬ者なき名店です。
 しかし今のモルチェのメニューは普通のビアホール的。東洋軒の流れを汲む東京會舘や資生堂パーラーと同じく、明らかに明治からの伝統を感じさせる味だとはいえ、それを訴求しているわけでもなく、せっかくの伝統と技術があるのにもったいない、オーナーである明治屋は自らの資産を意識しているのかな、と常々思っています。
 ですから今回はシェフに特別にお願いして、通常メニューとは異なる明治時代的な西洋料理を作っていただきました。たとえば「サラダはシンプルなレタスと古典的フレンチドレッシングだけにして肉のあとに出してください」、「肉はすましバターで揚げ焼きに」といった注文。なかなかこんな無理は言えません。支配人の山ちゃん(常連客は皆そう呼ぶもので)と杉本シェフのおかげです。とはいえ、見方を変えるなら、モルチェが本来やらねばならないことをやっていただいただけなのです。
 もちろん料理は驚異的なおいしさでした。百年以上の歴史はだてではありません。これほどの才能があるのになぜもっと生かせないのか。それ以上に、なぜ皆そのことに気づかないのか。ご参加された3名の方だけではなく、もっと多くの方々に知っていただきたい味でした。一番の問題は、我々消費者なのです。料理やレストランの伝統・歴史にあまりに無関心。評価の高い店、値段の高い店に行くこと=レストラン趣味ではありません。

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 しかしこれは明治時代の西洋料理を味わう会ではありません。ポムロールについて学び、考える会です。年末の特別講座(毎年この時期は少し高い会を一回開催させていただいています)としてポムロールの会を開催しようと思い、ポムロールにぴったりの味の料理は何かと考えて、古典洋食と結論づけたのが話の順番です。
 ポムロールは出番のほとんどないワインです。なぜなら現代のフランス料理とは接点がない味だからです。それでいて値段は超高級。どこで飲むのかわかりません。ポムロールは極端な言い方をするなら、ボルドーっぽくもなければフランスらしくもありません。フランスのすべての高級ワインは基本的に似たような味で、確かに左岸の格付けシャトーのワインもそうです。垂直的で華やかで抜けがよく緻密で冷ややか。しかしポムロールはそうではない。なぜポムロールが歴史的には無視され(だから格付けはない)、そもそもフィロキセラ前までは白ワインの産地だったのか。ようは、伝統的な価値基準からすれば、ポムロールはダメなテロワールだからです。伝統にとらわれないアメリカがポムロール人気を作ったのは分かります。
 ポムロールの個性は、お隣のサンテミリオンと比較すると、本当に対極的ですから、よく理解できます。サンテミリオンは伝統的な価値基準に合致するワイン。いまひとつ知名度は低いとはいえテロワール的には大変に素晴らしいラロゼ(今回お出ししたもの)は、まさに垂直的で華やかで抜けがよく緻密で冷ややか。重心は上です。ですからラロゼに合わせて考えたのが、ワカサギのエスカベッシュ、コンソメ(チキンとビーフのブレンドです)、牡蠣のグラタン。奇妙に感じるかも知れませんが、土が軽めで斜面のサンテミリオンは、重心の高い魚介類に合うワインです。
 メルロという比較的新しい品種と特異な重たい粘土質土壌が偶然にもぴったり適合し、それがアメリカ人をはじめとする非伝統的な嗜好に合ったのがポムロール。その突然変異的な個性は、フランスのフランス料理の文脈では生かし切る事が出来ません。実際フランスでポムロールを頼んで、いや日本でも普通のフレンチでポムロールを頼んで、心底おいしい相性だった記憶はありません。たいがいワインが泥臭くあか抜けない味になってしまいます。
 ではどうすればいいのか。サンテミリオンとは真逆に、ポムロール(特に熟成したもの)は重心が低く水平的でスケールが大きくて流速が遅くて酸が低くてしかしタンニンは強くて樽も強くて香りが重くて余韻が長い。ですから、料理もそのような特性を持っていなければなりません。そこで和牛ヒレ肉コートレットのデミグラスソース添え、という結論になりました。もちろん素晴らしい相性です。上質なポムロールと同じだけの濃さと流速の遅さとスケール感は、グラスフェッドの牛肉やジビエには求められません。
 
レヴァンジルとレグリーズ・クリネでは後者のほうが合っていました。それはそうです。上記の個性をより顕著に表現するのは粘土質土壌で平地のワイン。レグリーズ・クリネがそれです。相対的には斜面で砂利が多いレヴァンジルは、ワイン単体で飲むと上品で、どこかポイヤック的で(さすがラフィットと同系列!)、素晴らしいのですが、その流れの速さや垂直性が料理には合いません。反対に、ワインだけで飲むより料理と合わせたほうがずっとおいしいのがレグリーズ・クリネ。生まれてはじめてポムロールが料理に合うと思いました。

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 ちなみに私がここで言っているポムロールは、地図上の標高35メートルの等高線の内側にあるシャトー、つまり世の中でよいとされるワインです。それを外れるとだんだん土壌が砂質になっていきますから、期待されるポムロールっぽさが少なくなり、ただフルーティで飲みやすいワインになります。それでも値段だけは高いので(国際品種メルロの聖地ですから)、ますます出番がありません。
 ポムロールといえば、以前は、ペトリュースとか、高い値段とか、ムエックスとか、ミシェル・ローランとか、ロバート・パーカーとかの名前を出すだけで終わっていました。なんか懐かしい名前。それらの名前を以前より聞かなくなった現在では、ポムロールそのものも忘れ去られたかのようです。ポムロールは明確な個性を備えた代替不可能なワインなのですから、昔のような周囲の雑音の中でワインをとらえるのではなく、純粋にそれをひとつの個性として扱い、何の役に立つのかを真剣に考える機会を持つべきです。そうでなければ、このままポムロールはなくてもいいワインになってしまいます。ポムロールは古典洋食のデミグラスソース味の和牛に合うという、忘れたくとも忘れられないぐらい素晴らしい結論を得ることができたのが今回。やっとフラットにポムロールというワインに向き合えた気がします。

 ところで、明治日本の西洋料理は必ずしもすべて直接的にフランス由来ではありません。当時の日本ではイギリスの影響が圧倒的に強かったわけで、それらは半分以上イギリス料理ないしイギリス経由のフランス料理と言えるでしょう。洋食やさんではカレーが定番だし、ウースターソースが置いてあるではないですか。ボルドーは半分イギリスワインです。今までの経験から言うなら、洋食に合う産地(個別ワインではなく)はまずはボルドーです。連綿と受け継がれる、国境を超えた味の記憶。それを自ら発見することも、レストラン趣味のひとつです。