ワインセミナー

2019.03.28

ドメーヌ・ツィント・ウンブレヒト当主、オリヴィエ・ウンブレヒトのインタビュー

 アルザス最高の生産者のひとり、ドメーヌ・ツィント・ウンブレヒトの当主、オリヴィエ・ウンブレヒトが来日し、セミナーを開催した。その詳細なレポートは他のワインジャーナリストの方々が書かれるだろうから私の出番があるとも思えず、またセミナーの内容の大半はこれを読まれている方々には既知の事柄だろうから、それを書いても退屈させてしまい申し訳ない。だからここではオリヴィエのセミナー内容はほぼ省略して、彼への個人的なインタビューを書くことにする。

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                  ▲アルザスを牽引してきたオリヴィエも来年で引退、ドメーヌは

                   次世代に引き継がれる。

 

OH「発酵熟成はアルザスのオークの大樽で行う。もし樽の使用を禁じられたらワイン造りをやめるしかない。ステンレスタンクは好きではない。ステンレスは宇宙とのつながりがない。コンクリートタンクも好きではない。コンクリートの中には金属が入っているからだ」。

KT・金属がよくないなら、樽のフープも鉄ではありませんか。瓶に鉄線を巻いてワインを飲んでみるとひどい味になります。ならば樽のフープも悪影響を与えているとみなすべきでしょう。絶縁物質つまりナイロン等で樽を縛ることを考えたことはないのですか。

「ステンレスとコンクリート内部の鉄はファラデー・ケージとして機能する。飛行機や車に落雷しても感電しないのは飛行機や車が導電体の箱だからであって、その内部には電気力線が侵入しない。ファラデー・ケージは導電体表面で電荷が移動して外部からの電気を中和する。内部のワインのコロイドは電荷を帯びており、これもファラデー・ケージに引き寄せられ、コロイドが浮遊状態のままでワインはいつまでも白濁したままとなる。樽のフープはファラデー・ケージを形成するほど多くない。これはビオディナミとは関係なく純粋に物理学的な事柄だ」。

・樽の殺菌は火山の硫黄を使用するのですか。

「樽の殺菌は火山の自然の硫黄だが、ワインに添加するのは石油由来の液体。できれば自然の硫黄を使いたいが、中毒の危険を伴うし、ワインに対しては現実的なオペレーションとして難しい。最近ロワールで火山の硫黄を使いつつ適切量を添加する器具が発明された。それは酸素ボンベとバーナーを使って800度に硫黄を熱して気化させるのだが、酸素と火が同じ場所にあれば最悪の場合どうなるか」。

・爆発です。

「自分でも使いたくないし、従業員に使用させて事故が起きたら私は刑務所行きだ」。

・あなたのワインには石油由来の硫黄の影響を感じるのですが。

「それは長期の澱上熟成による還元だ。ランゲンの場合は土壌が火山性だからワインには硫黄の香りがする。ブドウの段階から既に硫黄の香りだ」。

・澱はファイン・リーなのですか、それともグロス・リーなのですか。

「グロス・リーでなければワインに栄養を与えられない。ファイン・リー上の熟成は風味を変えたり少し濁ったワインになったりするだけで、化粧でしかない」。

・アルザスでは多くの場合、ブドウの圧搾はドイツよりはるかに長い時間をかけますよね。12時間とか24時間とか。これはアルザスの伝統なのですか、それとも誰かが最近考えたことなのですか。

「それは私が1986年に考案したことだ。4時間、8時間、12時間と圧搾時間を変えていろいろと実験してみた。うちではいろいろなワインがあるから24時間にするには圧搾機械を増やさねばならず、そのスペースはない。長時間の圧搾をするとジュースがきれいになるからあとでフィルターを強くかけなくともよくなる。またワインのストラクチャーやボディーをもたらす成分は圧搾の終わりの時に出てくる。なぜドイツでは短時間圧搾なのかといえば収量が多すぎるからであって、ブドウを絞り切ってしまったら法的最大収量を上回る果汁が取れてしまう。だから彼らは短時間で軽くしか圧搾しない。結果、ああゆう味になる。同じ問題は現在ブルゴーニュでも見られる。軽やかな味になるかも知れないが熟成しない。軽い圧搾は発泡ワインにはいいが、スティルワインにはよくない。最近のブルゴーニュの早すぎる熟成は、私見では圧搾の問題なのだ。2003年のワインはリリース当時は酸がないから熟成しないと言われていた。しかし今飲むとどうだ?」

・素晴らしい熟成を見せています。今でもビビッドです。

「なぜなら2003年は収量が極めて少なく、誰もが過収量に陥ることなく、しっかり成分を引き出すことができたからだ。また、ブドウが完熟していなければ熟成のための成分は得られない。RVF誌が暑い年のワインという記事を作るために私もワインを供出したが、暑い年のほうが熟成するのだ。2010年を見てほしい。リリース当時は酸があって最高だと皆が言っていたが、今ではどうだ?」。

・失望させられることが多い。酸化が早い。私も近頃は暑いヴィンテージのほうが好きです。

2010年はブドウの成熟度が足りなかったからだ。だから私は完熟したブドウを収穫するのだが、アルコールっぽい味にはならない。ビオディナミによってブドウが自律的にバランスを調整する。ランゲンのゲヴュルツトラミネール2016年はアルコールが実は15度もあるが、そうは感じないだろう。ところで長時間圧搾はいいが、オレンジワインには反対だ。ゲヴュルツトラミネールを醸し発酵したら恐ろしく苦くて飲めたものではない。リースリングもそうだ」。

・ピノ・グリのオレンジワインは成功していると思いますが。

「確かに。それはピノ・グリの果皮が薄いからだ」。

・数日前に私は某グラン・クリュの会長とメールでやりとりしていて、これからそのグラン・クリュにはピノ・ノワールを含めるかそれとも複数品種のブレンドを含めるべきか、といった議論をしていました。そもそもなぜグラン・クリュは4つの品種までしか許されないのか。他の品種やスタイルをグラン・クリュに含めれば、落とされるのはだいたいのところミュスカです。栽培面積がもともと少なくて市場も小さい。とするとミュスカの伝統が滅びることになる。認可品種を増やせばいいだけのことでしょうに。

INAOというのは、これからピノ・ノワールを植えたいのですがいいでしょうか、といったお伺いを立てる相手ではない。申請するまでに、ピノ・ノワールがその畑で成功し、そのワインの質が既に評価の高いピノ・ノワールと比べて同レベルであることを長い時間かけて証明し、その結果を持参して初めて審査を受理される。変更しようとしたら、今まで認可されていた品種の中で売れていないものがあれば、なぜ売れないのか、植えるべきではないのではないか、と厳しく尋問される。7品種をグラン・クリュに含めるという申請をすることは原理的には可能だが、そのためには7品種すべてのワインがグラン・クリュにふさわしいと証明しなければならない」。

・つまりはビジネス的成功を収めているものがよい、という話ではありませんか。グラン・クリュか否かと売れるか売れないかとは別でしょう!

「いや、売上ではなく、評判が重視される。しかし売上の数値以外で評判を証明するのは難しい、、、。そもそも現在のINAOの方針は、増やすのではなく減らす方向だ。本当にその畑に合うとされている品種のみに絞ろうとしている。どこでもミュスカは植えてあるにせよ、ではどのグラン・クリュでもミュスカは成功するのか。ウィーベルスベルグにミュスカは必要ないだろう」。

・有名なビオディナミ生産者がウィーベルスベルグにミュスカを植えているではありませんか。なかなかおいしいと思いますが。

「ウィーベルスベルグのミュスカはくそだ。たとえばゴルデールのミュスカは最高だ。ゲヴュルツトラミネールも最高だ。しかしゴルデールのリースリングはくそだ、ピノ・グリもくそだ」。

・そうですか、グートが最上部に植えているピノ・グリはなかなかいいですよ。

「なかなかいいでは、グラン・クリュとしては不足なのだ。卓越していなければならない」。

・そんなことを言ったらモエンチベルグとかどうなるのですか。何か卓越していますか。

「え?UのほうかOのほうか」。

・粘土のほうですよ。

「それはグラン・クリュの中にでも上下はある。しかしその話をしたら私は殺される。それにグラン・クリュじたいを責めるよりその畑でワインを造る生産者をまず疑うべきだ」。

・モエンチベルグはビオディナミやオーガニックの生産者が多く所有しているではありませんか。

「ビオディナミならいいわけではない。ダメな生産者とは教科書的ビオディナミであって、人の言うことを聞くだけで自分で考えていない。もしモエンチベルグを有能な生産者の手に任せたら、果たして今のような品質かどうか」。

・あなたはピノ・ノワールに対して懐疑的で、ブルゴーニュの品種はブルゴーニュに任せておけばいいと言いますが、その論理ならリースリングはドイツに任せておけばいいということになりませんか。そもそもピノ・ノワールはブルゴーニュ品種というより修道院品種でしょう。だからクロスター・エバーバッハでもクロスター・ノイブルクでもピノ・ノワールを栽培してきた。

「君は12世紀の修道士に、アルザスに持ってきた黒ブドウが何かを直接聞いたのか。君は事実誤認をしている。彼らが導入したのはピノ・ノワールではない」。

・え?中世のシュタインクロッツは赤ワインで有名でしたが、あれはピノではないと。

「彼らが持ってきたのはガメイだ。シュタインクロッツはガメイのワインだった。我々が住むトゥルクハイムもガメイの産地だった」。

・それは初耳です。ならば再びガメイを植えればいいではありませんか。ガメイは悪い品種ではありません。

「そうだ、ガメイは悪くない。植えてもいいと思う。ただボージョレのガメイのせいで、世の中ガメイと聞くとまずいと思う。えー、ガメイですかあ、と皆に言われるだろうから商売にはならない。自分がガメイを植えるなら、ボージョレではなくコート・ロアネーズに生き残っている優れたガメイにする」。

・そうは言っても、キルシュベルグ・ド・バールのピノ・ノワールはブルゴーニュうんぬんと比較する必要なく素晴らしい品質です。結果が出るならいいではありませんか。

「だからキルシュベルグ・ド・バールのピノ・ノワールは近いうちにグラン・クリュになる」。

・濾過についてお聞きします。アルザスのワインは残糖があるから濾過はほぼ不可避です。しかし濾過すれば味がフラットになる。今日のテイスティングに出された2016年のランゲン・ゲヴュルツトラミネールは今まであなたが造ったランゲンの中でも最高傑作だと思いますが、06グラムしか残糖がなければ濾過の必要はありませんよね。

「ああ、あのワインは自分でも最高傑作だと思う。MLFをしているからなおさら濾過の必要はない。だからタンクの底の部分の濁った部分だけは板フィルターをかけたが、清澄度の高い部分はフィルターをバイパスした」。

・どうりであのワインがあんなに複雑でおいしいのですね。

「フィルターをかける際には圧力計を注視していなければならない。目が詰まってくると圧力計の針が急に跳ね上がる。それでもワインを通そうとするとストレスがかかってまずくなる。自分も濾過しないワインがいいと思うが、そうするとワインが少し濁るからあれこれ問題が、、、。無濾過で瓶詰めしたヴィンテージもある」。

・何年ですか。

1999年、2000年、2001年」。

・ああ、私が最高だと思うヴィンテージではありませんか。やっぱりそうだったのですね。再び無濾過に戻るべきですよ。

「コルクを抜いて泡が出てもいいなら」。

・私は大丈夫です。

 

2019.02.14

Jo Ahearneによるクロアチア、フヴァール島ワインのセミナー

 
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 イギリス人MWジョー・アハーンがクロアチアのフヴァールで造ったワインをテイスティングしつつ、フヴァールと主要品種プラヴァッツ・マリについて深く学ぶセミナーが、輸入元ヴァンドリーヴ主催により、南青山のキャプラン・ワイン・アカデミーで行われました。
 以前、日本橋浜町ワインサロンでもフヴァール島のワインについては現地取材をもとにご紹介しました。フヴァールは全長150キロの島ですが、人口は11000人しかおらず、未開の土地が広がっています。あるのはブドウ畑ぐらい。おなかがすいても食べるところさえ見当たらない(冬はどこも休み)。しかしそのワインは圧倒的です。日本橋浜町ワインサロンでお出しした過去すべてのワインの中でもベスト10に必ず入るほどです。

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▲フヴァールの畑を説明するジョー・アハーンさん。映っている写真は、畑から海を見下ろしたところ。転んだら天国行きです。

 フヴァールの気候は、最高気温30度、最低気温6度、日較差8から10度、日照時間はヨーロッパの島で最高となる2800時間、そして降水量700ミリ。南の海沿いは急斜面、北は平地で肥沃です。土壌は石灰岩か、ドロマイト。場所によって細かく石灰になったりドロマイトになったり。石灰岩は酸性水に溶けるので脆くなって根が深く入り、ドロマイトは溶けないので逆。石灰岩土壌のほうが陽イオン交換容量が大きく、ワインの酸も高くなる。ようするに石灰岩のほうがドロマイトより優れているようです。

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▲プラヴァッツ・マリとその親品種の歴史。プリミティーヴォがヴェネチア共和国滅亡の近くになって初めてイタリアに渡ったのが興味深い。それまではヴェネチアによって守られていたと考えるべきか。


 プラヴァッツ・マリは19世紀の終わりに生まれたCRLJENAK KASTELANSKIとDOBRICICの自然交配品種。CRLJENAK KASTELANSKIは18世紀半ばにイタリアに渡ってプリミティーヴォになり、19世紀半ばに(たぶんウィーン経由)アメリカに渡ってジンファンデルになりました。もともとの品種は病気でほぼ絶滅してしまい、今フヴァールに植えられているジンファンデルはアメリカから持ってきたものだそうです。プラヴァッツ・マリは意外と最近に誕生したのですね。

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▲プラヴァッツ・マリは色づきに相当なムラが出る品種。ゆえに下写真のように、収穫時には必ずレーズン状のブドウが混じる。

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 プラヴァッツ・マリとは青くて小さいという意味です。実際そういうブドウです。大変に興味深い点は、色づきが同時期に起こらないこと。写真を見ても分かるとおり、青い果粒もあれば緑の果粒もあります。これが収穫時期になっても緑だった果粒の成熟はそのまま遅れているため、収穫時には必ず未熟果、適熟果、過熟果がひと房の中にまじりあいます。レーズン状のブドウが2,3割の時点で収穫せよ、と地元では言われているそうです。それがワインになると、若干のえぐみを伴う強いタンニンとレーズンのようなこってりした風味がまじりあう不思議で複雑な味に。譬えて言うなら、ひとりゲミシュター・サッツ味。単一品種でもこの複雑さ、そして必ず表現される垂直性。それが好きな人は、プラヴァッツ・マリは世界屈指の素晴らしいブドウです。私ももちろんこの品種が大好きです。

 未熟果の種は緑色で、長くマセラシオンすればワインが強烈にエグくなるので、アハーンさんは調理用濾しザルで緑色の種をすくって除去するそうです。それをブルゴーニュでシャルドネ用に使われたジュピーユのオークの樽で熟成。ジュピーユはけばいヴァニラ香ではなく上品な個性で有名ですが、それをフヴァールで使うというセンスがいいと思います。伝統的なスラヴォニアの樽はあまり質がよくなく、トーストが強すぎるそうですが、優れた樽を発見したので、そちらも少し使用するようになったとのことです。
 揮発酸が多めの味が好きだそうで、欠陥として感知される閾値ぎりぎりのところで抑えつつ、意図してそういうワインに仕上げます。そうしないとプラヴァッツ・マリはシンプルな香りになってしまうそうです。ですから彼女のプラヴァッツ・マリ・サウスサイド2014は、昔のバローロや昔のブルネッロ的なキャラクターがあります。明らかにイタリアワインに近い。フヴァール島を含むクロアチアのダルマチアは、昔はヴェネチア共和国、そのあとオーストリアですが、彼女のプラヴァッツ・マリはオーストリアっぽくは一切ありません。
 「酸が大好き」だというだけあり、ロゼのロジーナ2017(ダルネクシャ品種)も、オレンジワインのワイルドスキンズ2017(クッチュ、ボグダヌシャ、ポシップのブレンド)も、テレンス・パトリック2016(ダルネクシャ主体、プラヴァッツ・マリ、メルロのブレンド)も、最近のワインっぽい早摘み味です。プラヴァッツ・マリ・サウスサイド2014はそこまで早摘みではない味ですが、それでも地元で飲むプラヴァッツ・マリと比べればずっと酸っぱい。地元の人にはやはり「酸っぱい」と言われるそうです。

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▲ピノ・ノワールに似た味に仕上げたテレンス・パトリックはフヴァールのサバのグリルにぴったり合うそう。


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▲左がアハーン・ヴィーノのプラヴァッツ・マリ2014、右がピーチー・キャニオンのパソ・ロブレスのベイリー・ジンファンデル2014。ジンファンデルのほうがなめらかだが水平的、プラヴァッツ・マリは風味の幅が広く垂直的。


 いかにも頭脳明晰なイギリス人がきちんと計算してイギリス人の嗜好に合わせて造ったワイン、といった趣。特にテレンス・パトリックは「ピノ・ノワール的なワインを造ろうと思った」そうで、その通りになっています。それも新世界のピノ・ノワールです。完成度は高いと思いますが、ここからフヴァールに入門したら、寿司をカリフォルニア・ロールから入門するようなものです。既にフヴァールに親しんでいる人なら、「ああ、こういう解釈もあるんだ」、「確かにここが問題で、こう解決したのか」、といった知的な楽しみが得られます。そういった意味では大変に高度なワインですが、経験値と知的好奇心の高いお客さんに向けたワインなのですから、それでいいのです。

 ちなみにセミナーは英語のみ。ロンドンっ子アハーンさんの早口のイギリス英語に追いつくのは私にとっては大変でした。教室の中のノリは通常とは異なり、私は最前列に座っていたのでなおさらなのですが、ふと海外にいるような気になりました。最近は日本でも英語のみでOKになったのかと、プラスの意味でもマイナスの意味でも感慨しきり。
 

2019.02.08

モンテリー, Domaine Monthelie-Douhart-Porcheretの五代目当主、カタルディーナ・リポさん来日セミナー

 モンテリーはブルゴーニュの中でも特筆すべきお買い得産地。知っている人は知っています。ブルゴーニュファンを自称していながらモンテリーに関する見識がないならモグリと言われます。ですからカタルディーナ・リポさんの長い日本滞在期間のあいだに行った数々のイベントは相当な盛況だったようす。知らない人は知らないままでいいです。モンテリーまで法外に高くなったらたまったものではありませんね!
 そしてこのドメーヌはモンテリーの中でも最上の一軒。オスピス・ド・ボーヌやルロワの醸造長を務めた名人、アンドレ・ポルシュレのドメーヌだったのですから、技術的洗練度が違います。モンテリーに地酒っぽさを求めるなら他にもたくさんありますが、完成度と上品さを求めるならここです。
 
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▲カタルディーナ・リポさん(右)と、パートナーのヴァンサン・モンフォールさん。モンフォールさんはベルギー人。彼のレストランでリポさんのワインを売っていたことから知り合ったそうだ。
 モンテリーはコート・ドールの村々の中で最大の日照量。ゆえにモンテリー=日照量最大=温かい味と思われがちですが、話はそう単純ではありません。日照量は村の中で計測されます。モンテリーの村は高台の開けた場所に位置しますから、確かに日の出から日の入りまで燦燦と照らされています。他の村より高いので、中世の戦争時にも敵兵の動きがよく見え、防御策を事前にとることができたため、他の村々のように破壊されることがなかったといいます。畑も、ヴォルネイの丘にある1級シャン・フュイヨとかは開けた地形ですが、多くの村名畑が位置する特徴的な南北に延びる狭い谷は、朝の光がないか、すぐに日陰になるか。決して日照が多いわけではありません。
 
 それでもモンテリーの村名白は概して温暖味。特にこのドメーヌは周囲より1週間遅くシャルドネを収穫するそうですから相当にトロピカルだとはいえ、他でもやはり温暖味。譬えて言うならプティ・シャブリの風味にも似ています。谷に堆積している真っ白な石灰の礫を見てもプティ・シャブリに似ていて、どう考えても一般的なコート・ド・ドールのジュラ紀中期の石灰岩ではありません。地形を考えてもオート・コートからの崩落礫なはず。そこを今回聞いてみると、やはりそうで、ジュラ紀後期とのことです。原地性ではないので、畑の土を掘っても岩盤には至らず、どこまでも礫が積もっているそうです。つまりは温かい土壌なわけで、ワインの味がそうなるのも当然です。岩がないので、石灰の風味があるのに構造が柔らかく芯がないという独特の味わいになります。それが個性的でいい。構造という点では新世界的。貴重な存在ですし、マリアージュ的には大変に役に立つのです。モンテリーは最小の村でいて白ブドウの栽培比率は12%しかないので、これこそ知る人ぞ知るワインです。

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▲モンテリー1級レ・デュレスの白ワイン。2016年の超低収量が味わいの凝縮度に反映されている傑作。
 1級レ・デュレスの白は反対に、典型的なコート・ド・ボーヌ。風味はよりレモン的で、酸に硬質さがあり、芯の堅牢さが特徴的。近隣のムルソーに似ているとよく言われますし、その通りですが、ムルソーよりきめ細かくしなやかだと思います。同じ畑の赤も素晴らしく、ヴォルネイ側のようにキメが粗くなく、細かく硬質な要素が隙間なく結合している姿に品があります。誰もがヴォルネイ側は女性的でエレガント、オーセイ側はマッチョと言います。私は反対です。ざっくりとして温かいヴォルネイ側と精緻でタイトなオーセイ側と言うべきです。白赤ともに、大変に優れたブルゴーニュです。他に気に入った赤は、ポマール1級シャンラン。ポマールはよく言われるようなごついワインではありません。特に1級シャンランは標高が高く、ヴォルネイと接している畑ですからすっきりと伸びやか、かつ安定感があります。形のきれいさはさすがポマール。よいテロワールならではの隙のない構成美が感じられます。
 
 今回のヴィンテージは2016年。この年は霜にやられて白の収量は通年の8割減。赤は3割減。ですから白の味わいの凝縮度は桁外れです。2003年のシャンパーニュのブラン・ド・ブランの味と似ていると言えばわかりやすいでしょうか。これほどの凝縮度が味わえる機会はめったにありません。
 
 希望を言うなら、ビオディナミにしてほしい。既に2018年からはHautes Valeurs Environnement認証レベル3。ならばそんなに難しくはないはず。ここなら、カッコつきビオワインではないビオディナミワインが造れるはずです。
 

2018.11.06

ラングドックワインセミナー

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11月日、明治記念館でラングドックワインの試飲会とセミナーが行われました。
 
ラングドックワイン委員会代表による総括的プレゼンと情野ソムリエによる8本のワインのテイスティングの後、十分ほど時間をもらって私もラングドックワインについて喋りました。最初はそんな予定はありませんでしたが、飛び入りです。
 
一応マスタークラスのはず。しかし実際のレベルは高校生だというのはわかっています。マスタークラスレベルというのはサンサチュルナンとサンジョルジュドルクの違いが分かるといったことでしょうが、そんな話が出来るようになるのはいつのことか。基本が分からないで第三紀の石灰岩がああだこうだと言っても仕方ない。というわけで、私は、「ラングドックワインのほとんどは赤。赤のほとんどはシラー、グルナッシュ、カリニャンないしムールヴェードルのブレンド。それらは譬えて言うなら、トスカーナのボルドーブレンドみたいなものだ」と言いました。「普通ラングドックというと、南ローヌとの連続性で捉えてしまう。ラングドックの地図だけ見るとそうなるのは仕方ない。しかしもう少し広い地図を見ると、ボルドー、スッドウエスト、ラングドックのマルペールとカバルデスの連続性がわかる。ところが日本ではマルペールとカバルデスが完全に忘れられており、それがラングドックのワインの理解を妨げ、ボルドーとの親近性を気付かなくさせる理由だ。ラングドックは基本的にボルドーと同じく芯がある四角いワインで、南ローヌのようにソフトな丸いワインではない」。
 
ラングドックは多様性のある産地。皆さんそう言いますが、それは南西もロワールも同じ。そう言ったところでラングドックワインの本質は分からず、どう使っていいか分からない。まずは乱暴かも知れないがザックリと特徴を掴む必要があります。各論より前に総論が必要なのはなんでも同じです。今回は無理矢理乱入して短時間だけ喋らせて頂きましたが、いつかしっかりみなさんにラングドックワインについて解説出来れば、と思います。
 
最後にラングドックワイン委員会の方が、「田中さんが一番好きなラングドックのアペラシオンは?」と聞くので、「クレーレット・デュ・ラングドック」。「誰か飲んだことある人はいますか?」とセミナーにご参加の方に聞くと、誰もいない。まだまだそんなものです。アディサン・ランシオの素晴らしさを皆さんと語り合えるようになりたい!私としては、ランシオなきラングドックはフロールなきジュラと同じ。確かにマイナーかも知れないが、これを忘れてはもぐりですし、もしそれが好きではないと言うなら、ラングドックワインファンとは呼び難い。ラングドックワインを飲めば飲むほど、その思いが強くなります。しかし日本には輸入されません。たぶん、ラングドックワインと聞いて私がイメージするものと、世の中ほぼすべての人がイメージするものとでは、相当な乖離があるでしょう。
ラングドックワインサイドとしては、ペイ・ドック、つまり単一国際品種ワイン産地という日本の消費者の観念を打破したい。より高価格ワインを訴求したい。ですから一生懸命クリュにフォーカスしているわけです。しかしクリュ・ラングドック(つまりテラス・デュ・ラルザックやラ・クラープ等)は日本ではなかなか理解されず、受容されません。ここをどう考えるのか。純粋にワインの品質を見れば、クリュでも4000円以内のワインが多いラングドックは、ヴィラージュ1万円のブルゴーニュより、はるかにお買い得です。しかし皆、本当に「純粋にワインの品質を見」ているのか。有名なもの、高価なものの威を借りてばかりのような気がします。先日ある安価なワインを揃えている店に行ったら、あるワインのPOPに、シャトー・マルゴーと並んで高く評価されるシャトー・パルメのオーナーが作ったボルドー、と書いてありました。それがどういう味なのかは二の次です。そもそもその店で買い物をする人にとって、シャトー・マルゴーだろうがシャトー・パルメだろうが関係ないはず。その意味を読んで分かることを前提とする店サイドもひどい。どんな意味でもひどい。そしてそれに消費者が反応するなら、いかに日本中ブランド志向なのか、ワイン消費=名詞消費なのか、をよく物語っています。そういう状況では、有名なもの、高価なものの威を借りることができないラングドックは売れないでしょう。
ラングドックは複雑で難しいと言われますが、20程度のアペラシオンを覚えれば十分。ブルゴーニュならば何百もの畑名とその味を覚えているのが普通ではないですか。だからラングドックに関しては、覚えられないのではなく、覚える気がないだけです。気がない人には何を言ってもしかたない。ただ、もったいないな、とは思います。アペラシオン名と品種名を覚え、そのキャラクターを大まかにつかんでおきさえすれば、ラングドックは大変にわかりやすく、選びやすい産地です。
 

2018.10.26

ラ・クラープのシャトー・リヴィエール・ル・オーのオーナー、エリック・ファーブル氏来日セミナー

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ラングドックのグラン・クリュのひとつ、ラ・クラープの有力な生産者のひとつが、シャトー・リヴィエール・ル・オー。輸入元であるトゥエンティーワンコミュニティの招きで、オーナーであるエリック・ファーブルが来日し、セミナーを開催しました。知人が輸入元にかけあってくれて、私もお話を聞くことができました。
 
ラ・クラープの名前はだんだんと知られるようになりました。ラ・クラープのおもしろさは、その特異な地質・地形にあります。私も既に十回ほどラ・クラープを訪ねているので、このアペラシオンに関してはそれなりに理解しているつもりです。地質図を見ていただくと一目瞭然、ラ・クラープだけ他とは異なります。ここはもともと独立した島であり、ナルボンヌを流れるオード川が運搬する土砂によってナルボンヌとのあいだの海が埋め立てられ、14世紀に大陸の一部となってしまったのです。地質年代は白亜紀です。ラ・クラープは温暖なオード県の太陽の味というより、白亜紀の冷たい質感と内向的な酸が特徴となります。海の近くなのに、確かに海の塩辛さを感じるのに、海の朗らかさや明るさを感じない、緊張感のある味。ですから私は決してラ・クラープがラングドックの代表だとは思いませんが、ラングドックの多様性を示すよい例のひとつだと言えるでしょう。
 
エリック・ファーブルはボルドー出身です。奥さまはシャトー・フルカス・オスタン(最近オーガニックになって素晴らしくおいしい!いま注目のシャトーです)のオーナー一族。そして彼は、1986年から1993年のシャトー・ラフィットのテクニカル・ディレクター。86年、88年、89年、90年と続いたあの偉大なラフィットは彼が作り上げたものです。節度があって引き締まって気高い味わい。まさにラフィットらしいラフィット。その偉業はどれほど強調してもしすぎることはありません。
 
ひとことで言えば、シャトー・リヴィエール・ル・オーは、ラングドックにおけるラフィットの味です。もし彼が選んだアペラシオンがブートナックやフォージェールだとしたら、ラフィットっぽい味など冗談でしかありません。しかし彼がラフィットをやめた94年から探してついに見つけた土地はラ・クラープ。ラフィットとある意味共通点がある味になるアペラシオン。ですからエリック・ファーブルのラフィットスタイルは違和感があるどころか、見事にラ・クラープの個性を引き出しているのです。
 
それは樽を使わないクラシックのほうに、より顕著。特に2005年には驚きました。熟していて重心が中心にあるのに、涼し気なミント、グラファイト、赤系果実の香りがあり、酸がくっきりとして、心地よい緊張感を漂わせます。まったく過熟風味がなく、かといって早摘みのせせこましさやうわずった重心とは無縁。完璧な収穫タイミング。そしてミントとグラファイトと赤系果実といえば涼しい年のラフィットではありませんか!クラシックの赤は、シラー、グルナッシュ、ムールヴェードルのブレンドです。ムールヴェードルが20%も入ると、南国的スパイシーさと粗いタンニンが目立つワインになるものです。しかしシャトー・リヴィエール・ル・オーは極めて流麗な質感。彼はムールヴェードルが好きで、この品種が成功する土地を選んだといいます。畑は海のすぐ近く。そう、ムールヴェードルは内陸だとごつくてマッチョな味になりますが、海のそばだと上品な味になるものなのです。
 
樽熟成しているグラン・ヴァンのほうはカリニャンが含まれています。しかしカリニャンはどうしても武骨なタンニンになります。こちらも明らかにラフィットの痕跡を感じるワインですが、ヴィンテージで言うならカリニャンのせいで95年的で、88年ではありません。私はこのグラン・ヴァンを飲んですぐにある重要なことに気づき、それが正しいかどうか質問しました。答えは私の想像した通りだったのですが、オフレコだと言うので書けません。しかしワイン通の方ならすぐに気づくことだと思います。
 
赤ももちろんよいとはいえ、ラ・クラープはどちらかといえば白の産地だと思っています。なぜならラ・クラープは、ブールブーランクを補助品種ではなく主要品種として用いる例外的なワインだからです。ブールブーランクは極めて晩熟で、今年のように暑い年でも十月中旬から下旬に収穫です。熟していないブールブーランクは酸っぱくて苦い味にしかなりません(それはそれで、ほんの少しブレンドするぶんにはいいメリハリ感を与えるよい素材です)。ところがラ・クラープではしっかりと熟すため、エキゾティックでスパイシーで表現力の高いワインになります。イタリアのマルヴァジア(というか、クロアチアの、と言うべきかも知れません)と近縁だと言っていましたが、さもありなん、です。シャトー・リヴィエール・ル・オーのグラン・ヴァンの白は、今まで飲んだラ・クラープの白の中でも最上の部類に属する大傑作です。
 

2018.10.13

『アンバー・レボリューション』著者、サイモン・ウルフ氏の講演

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 アンバーワイン(オレンジワイン)に関する本を著したサイモン・ウルフ氏のワイン上級者向け講演がアカデミー・デュ・ヴァンで行われました。満席でしたが、主催者であるヴァンドリーヴのスヘイルさんのご厚意で部屋の隅に席を作っていただき、お話を聞くことができました。
 彼の定義では、オレンジワインとは「果皮と共に発酵された白ブドウのワイン。発酵時に温度調整なし、野生酵母による自然発酵」です。ずっと「果皮」のみの話をしているので、私は質問して、「果皮だけではなく種についても言及すべきではないか」と。実際、オレンジワインは果皮と種を果汁と一緒に発酵させるのですから。答えは「種も大事だが、果梗のほうが大事だ」と。ジョージアのカヘティ地方においては果梗もクヴェヴリに入れますが、ヨーロッパのオレンジワインは私の知る限り除梗します。タンニンは種に多く入っているのですから、オレンジワインのひとつの特徴であるタンニンのある白ワインという側面を考えるなら、私ならば「果皮・種と共に発酵」と言います。また、ピノ・グリやゲヴュルツのオレンジワインを思えば(それらは常に成功しています)、「白ブドウ」だけではなく、「白ブドウもしくはグリブドウ」と言ってもいいかも知れません。
 「温度調整なし、野生酵母による自然発酵」という制約をオレンジワインの中に含めるのもおもしろい点です。その理由は、「そうでないと本当のキャラクターが表現されないから」。しかしそれは白でも赤でも同じことではないかと思います。「オレンジワインはヴァン・ナチュールと同義ではない」と言っていたのですから、オレンジワインの定義にヴァン・ナチュールの内容を持ち込むのは話を複雑にします。では「温度調整した果皮・種と共に発酵した白ブドウのワイン」はなんと呼べばいいのか。そもそも室温の低い石造りのセラーの中で発酵させること自体、温度調整です。コンピューターコントロールのウォータージャケット付きタンクで温度調整したらだめで、室温での調整や外部からの人力水かけなら温度調整のうちに入らない、というのは無理があるわけで、オレンジワインの本質とは遠い話です。つまり、大きなカテゴリーとしてオレンジワインがあり、その下位カテゴリーとしてナチュラル・オレンジワインとインダストリアル・オレンジワインがある、といった定義にしておけばいいのです。
 全部で12種類の、世界じゅうのオレンジワインが提供されました。世界じゅうと言っても、多くは旧ハプスブルク帝国ゴリツィア・トリエステ地域とその近縁が主体です。ブルゲンラント、シュタイヤーマルク、スロヴェニア、クロアチア、トレンティーノ・アルト・アディジェ、そしてもちろんオスラヴィア。オレンジワインはまるでハプスブルク帝国ワインのように思えてしまうほどでした。本来なら、黒海沿岸ワインがもっと含まれないといけないと思うのですが、それらは輸出用ワインになっていませんからしかたありません。
 それらプラス、ルーションを含めた十本の大半は早摘み傾向でした。コメントには、重心上、固い、小さい、という同じ言葉が並びます。ウルフさんも「酸が大事」と言っていましたし、現在の世の中で最重要視されるのはどうも酸であって完熟風味ではないようですから、この傾向はしかたありません。ナチュラルワインの人ほど早摘みが目立つ気がします。しかし以前の投稿で取り上げたフリウリのグラヴナーやラ・カステラーダやブレッサンは早摘み味ではありません。早摘み味は酸はあるかも知れませんが、私にとっては土地の個性も品種の個性も減じられるし、エネルギー感、スケール感、余韻がないので、飲んでいておもしろくありません。それはオレンジワインかどうかの話以前の問題です。
 その点、最後のジョージアの2本、カヘティとルカツィテリとムツヴァネは次元の違う完成度でした。それらはノーマルなカヘティであって、ツィナンダリのようなクリュではありませんでしたが、それでも、です。
早摘みではありませんから重心は真ん中にありますし、スケール感・立体感があり、滔々と流れるような大きな流れがあります。西洋のオレンジワインが頭で考えている味なのに対して、ジョージアのオレンジワインはDNAに組み込まれて無意識に作られているような味。外国人が作る味噌汁や寿司のぎこちない味と、日本人が普通に作るそれらの味の違いと同じ。こればかりは歴史文化の違いです。それらがジョージアワインらしくないという意見もありましたが、たぶんそれはあるグループのジョージアワイン(日本では一般的な)を基準としているからで、私にとってのジョージアワインが好きなポイントは無意識性の完成度です。
 オレンジワインの評価基準が確立されていないといった議論もありました。私はそうは思いません。オレンジワインだろうが赤ワインだろうが、評価基準は同じです。抽象表現主義だろうが構成主義だろうが後期印象派だろうが、感動する絵は感動するのであって、つまりはおいしいものはおいしいのです。おいしさを因数分解するなら、香りの美しさや姿形の整い方やダイナミックさや浸透力やエネルギー感や大きさや余韻の長さ等々となっていきます。しかし多くのオレンジワインは、まだまだ発展途上段階ゆえ、香りがきたなかったり、姿形が乱れていたり、エネルギー感がなかったり、余韻が短かったりしています。それはオレンジワインだからダメなのではなく、下手な造りだからダメなのです。
 例えばオレンジワインブームをけん引してきたひとり、フォラドリのノジオラを見てみましょう。十数年前に初めてフォラドリがティナハを使い始めた時は、あまりにまずくて驚きました。ノジオラも粘土臭くて困惑しました。しかし今回出された2014年(二枚目の写真の白ワインにしか見えないものがそれ)は恐ろしくピュアな香りで抜けがよく、以前とは別物です。早摘みは問題ですが、一時のフォラドリがまずかったのは、フォラドリ自身のせいでも製法そのもののせいでもなく、造り方をマスターしていなかったからだとわかります。他の生産者も十数年継続して造っていれば、フォラドリのように見違える出来になると期待します。
 白、ロゼ、赤と並ぶひとつのカテゴリーとしてオレンジワインが一般化した現在、オレンジワインについての議論がしっかりなされることは大きな意味があります。このような深い理解が得られる機会を与えてくださり、ありがたいと思います。
 
 このあと東京駅の大丸11階で行われているワイン催事に行きました。そこでいろいろとテイスティングしましたが、大半は早摘み味で、重心上、固い、酸っぱい、小さいワインばかりでした。いったい世の中どうなっているのでしょう。本当にこんな味で皆いいと思っているのでしょうか。会場にはジョージアのワインもありました。クヴェヴリ発酵のオレンジワインや赤ワインを飲みましたが、ちゃんと熟したブドウの味がしましたし、ここでもまた別次元の完成度でした。
 単純に言えば、ジョージア万歳、という結論の一日でした。
 

2018.06.03

ラインヘッセンでのビオディナミ生産者向けセミナー

 ラインヘッセンのビオディナミ生産者、アレキサンダー・ギズラーさんのワイナリーの二階、今は使っていないパーティルームで、ラインヘッセンのビオディナミワイン生産者に向けて(写真の方々。ビオディナミではない人もいますが)、ビオディナミ醸造、熟成、提供、そしてワインテイスティング法のセミナーを行いました。

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▲左から時計回りに、アンドレアス、アンドレアス、フローリアン、クリストファー、マティアス、ティルマン、ハイケ、ステファン、アレキサンダー。マティアスさんはビオディナミではなく、かのマドンナの生産者。

 私のような素人が名高いワイナリーの方々に教育セミナーとは恐れ多いというか怖いもの知らずというかですが、ワイン造りにはまだまだ考えねばならないことがたくさんあるのです。ありがたいことに日本は圧倒的なまでに世界をリードするビオディナミワイン消費大国ですから、普通に暮らしているだけでビオディナミのワインについて知らず知らずと勉強することができます。日本のワインファンやプロの方々なら誰でも、それこそ日本茶の淹れ方を教えるぐらい簡単に、外国のワイナリーにビオディナミワインについて教えることが出来るでしょう。もちろん私より適任の方は日本に1万人はいます。しかし、私は、自分が知っていて人が知らないことがあるなら、それを尋ねられて答えないようなことが出来ないたちなのです。あるワインを試飲して、「まずい、才能ないならやめてしまえ」と影で物笑いのネタにするのが普通の態度。私は「あなたがやろうとしている目的は、こうしたらよりよく実現できますよ」と、間違っ...ているかも知れないけれども一応は伝えたくなる。今回ラインヘッセンの生産者の方々に伝えたのは、別に偉そうなことではなく、今まで彼らのワインを飲んできて感じた問題点に対する、自分なりに考えた解決方法。というか、解決のための基本的思考法と技術的基盤です。

 ビオディナミは農業思想と技術であり、シュタイナーがアルコールに否定的である以上は、醸造に関するビオディナミなど今まで誰にとっても関心外でした。かつて会った超有名ビオディナミ指導者も、ワインは自分にとって趣味の領域でビオディナミコンサルタントの仕事として重要ではない、と言っていました。ですから栽培に関しては、いつ剪定するかとかどんな時に何を散布するか、しっかり方法が確立していますが、収穫のあとは曖昧模糊。だから最近のビオディナミ生産者は、亜硫酸無添加アンフォラ発酵オレンジワイン=ビオディナミ醸造ワイン、みたいな方向性に行くのでしょう。しかし亜硫酸無添加アンフォラとビオディナミに直接の関係はありません。ミュンヘンで会ったニコラ・ジョリーは、その傾向について、知性がないやつら、と唾棄していましたが、そう言われても仕方ないと思います。かく言うニコラ・ジョリーも、栽培が正しければあとは何もする必要はないと言いますが、私はそれは間違っていると思っています。ビオディナミの思想と技術は畑から食卓まで一貫していなければならず、それを一貫させるのは人為にほかならず、つまりは何をなんのためにしなければならないのか、という自覚と主体的な働きかけが必要です。

 いかに反アルコールとはいえ、シュタイナーは確実にキリスト教を踏まえて議論しています。ゴルゴダの奇蹟について考えないビオディナミワインファンはいません。もちろんキリスト教ではワインは最も重要な象徴です。だからキリスト教的ワインとアルコール的ワインは別ものであり、ビオディナミが扱う考察対象は前者です。

 アルコール的ワインに関する学問は極めて高度に発展しており、集まった生産者の方々は皆ガイゼンハイムの卒業生ですから、皆さんに言うことがあるはずもない。しかしビオディナミと技術論としてのアルコール的ワインを繋ぐキリスト教的ワインという視点がすっかり脱落し、彼らはキリスト教徒にもかかわらず聖書に頻繁に登場するワインはどのようなものかを哲学的問題として考えだことがない。私はそこを正したい。ですから今回のセミナー内容の何割かは、キリスト教に基づくドイツ精神の発現たるビオディナミワインとはいかなるものでなければならないかを考えろ、という説教です。もちろんドイツでドイツ人相手にドイツ精神を語るのですから、ナチス問題や戦後の贖罪と精算にも関わってきます。ある意味、精神文化の国であることを自己否定し、客観的科学的にすべてをフラットに並べるしかなかったのが戦後でしょう。しかしその時期は終わったのだ、と。経済的繁栄の基盤に立って正しいドイツ精神を復興させる必要がある、と。その文脈の中で、ドイツらしいワインとは何か、と。簡単に言うなら、ワインを糖度や酸度や品種や格付けや値段など、計測可能な物質的尺度ですぐに見ようとする姿勢から脱却できないと、いつまでたっても戦後なのです。しかしドイツはプロテスタントが多いし、ギズラーさんもプロテスタントなので、各人が聖書を読んで解釈する自由があるのがいい。自由というか、むしろ責任であり義務でしょう。ならば信仰と仕事が完全乖離しているような社会が正しいドイツだろうか、となぜ自問しないのか。

 哲学問題のあとは、具体的テーマを取り上げつつ、目的を実現するためと技法の解説。基本、ふたつのテーマで、第一に、いかにビオディナミ地所との密接な関係性を最後まで保つか。現状では収穫時点で途切れてしまう。第二に、惑星の力を取り入れるための、私がSi/Caコンフィギュレーションと呼んでいた(その場の思いつきの用語)事柄。これもまた収穫したら不明瞭になってしまう。実際やってみれば、まさに彼らが畑でやっていることの延長ですが、それがセラーでも通用するのだ、と、実際にやってみて効果を確認してもらいました。これは聞けばなるほどと誰もが納得する簡単な事柄なのですが、誰も言ったことがないし、どこにも書いていないので、もちろん私が自分で考え出したのです。出席者のひとりは「どこにでもある素材を使い、既に知られている技法を応用した簡単なことなのに、今まで誰も気づかなかった!」と言っていました。とにかく私は素人ですが、私のようなバカにも分かる簡単な 話。いや、バカだからバカなことを恥ずかしげもなく皆の前で出来るだけです。喋りまくってすぐに三時間たってしまいました。

 セミナーの最後は、「さあ、これからテストだ」と言って、全員にビールを渡し、「今日私が言ったことを思いだしながらビールと語り合いなさい。五分後にビールを持って集合」。

 私の講義を理解したなら、その人のビールの味は私のビールと相当同じ味になります。別のことを考えていたら全く別の味です。ビールを集めて皆でブラインドテイスティングすると、あまりの違いに皆ビックリ。ワイン生産者が自分のワインを飲むときは自分で注ぐはずですから、他人が触った自分のワインがどれだけ別物になるか知らない。こうしてビールで実験すると、人の力がどれだけ大きいかよく分かる。やはりギズラーさんのビールは私とそっくり。今までいろいろ語り合ってきただけあります。以前はこうではありませんでしたから、私としても嬉しい。半分の人は、まあ、別のことを考えた味でした。口で分かったと言うのは簡単ですが、そういう言語的理解ではなく、気持ちの持ちようが揃うかどうかです。...

 「元は同じ工業製品でさえ、一旦人が触れたら全く違う味になる。これをどう考えるか。今ここにこのビールを作った人がいたら、どれかについて『これは私のビールではない』と怒るだろう。しかし誰か、このビールはどういう味をビールメーカーが意図したか知っている人はいるか? 同じことは毎日のように皆さんのワインに対して起きている。あなたが考えるあなたのワインを飲んでいる人はいないぐらいだ。それでいいのか?それでまずいうまいと勝手に言われていていいのか?ビールもワインも最後に触った人の味になる。それは仕方ない。あなたが世界中のお客さんにワインを注いで回ることは出来ない。ならばどうしたらいいのか」。
 これだからワインは生産者のところで飲まないと分からないことが多いと思いますが、全員がワイナリーに飲みに来るわけにもいかない。とすると、解決は二つあり、ひとつはワインを外部の変動の影響を受けないようにする、もうひとつは、消費者に至る全員に同じ考えが行き渡るようなコミュニケーション方法を取る、です。後者は普通の話です。しかし前者はどうすればいいのか。空間を伝わってくる悪い影響への対策方法は相当しっかり伝えましたが、直接触られてもビクともしない強さはどうすれば獲得できるでしょうか。私は分かりません。どなたかご存知ならご教示下さい。

 それにしても彼らビオディナミ生産者は、当然ながら舌が敏感で、細かい違いを的確に判断。いろいろな機会にいろいろな人相手に話してきた中で、明らかに別格的な聞き手でした。私のつまらない話に付き合っていただきありがたく思いますが、私の伝えたことを採用すれば、必ずワインの質は向上するので、時間の無駄にはならなかったという自信はあります。

2018.04.06

ピーロート ワールドワインフェスティバルでのセミナー

 本当は私の出番ではなかったのです。
 ジェラール・ベルトランのアジア担当エクスポート・マネージャー、Jan Visserさんからメールがあり、フランスから来日してセミナーを行うはずだったワインメーカーのJean-Baptiste Terlayさんが、フランスの大規模な交通ストライキのせいで来日できない、と。彼は彼でディナーを仕切らねばならず、「ふたつの場所に同時にはいられないから手伝ってください」と。それは大変な事態。急遽六本木ヒルズで行われているピーロートのワールド・ワイン・フェスティバルに赴き、ジェラール・ベルトランのワイン造りの考え方や南フランスワインの本質とは何かについて、セミナーを行いました。一切下調べの時間なし、どんなワインをテイスティングするのかも始まるまで知りませんでしたが、ほっておかられたらまる一日は話し続けられるぶんぐらいの情報は記憶しているので、大丈夫!

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 Janさんから「今日のお客さんは素人だからエンタテーメントしてね」と言われました。ふーむ、エンターテイメントってなんだろう。まあ私はそもそも難しい話はできないし、エンタテーメントでなかったことはないと自分では思っているので、ワイン専門用語を使わないということだけを意識して、あとは普段どおりにその場で思いついたことをしゃべっていました。実際、細かいデータ等はさしあたってどうでもいいのです。「どの品種が何パーセントかとか、樽熟成期間が18カ月とか、セミナーだとそういう話になるが、それを聞いて意味が分かる人がこの中にいますか?各論は総論が分かってから聞いて初めて意味がある」。セミナーで私が語ったことをすべてここで書いていたら長大な文章になってしまいますから省きます。基本、今まで私がベルトランやラングドックに関して語ってきた内容です。
 南仏ワインについては、ひとつ、このように言いました。「北系ワインと南系ワインがある。北系は単一品種ワインであり、南系は複数品種ワイン。ラングドック・ルーションでも、ミュスカ等の少数を除いて、AOPワインは複数品種だ。単一品種ワインは、最高のブドウ品種だけを選んで、それ以外は排除するという思想だ。ブルゴーニュ公国のガメイ禁止令は知っているだろう。それが典型だ。すなわち、最も才能がある人間だけに生存が許され、それ以外は死ねというような社会だ。南仏には単体で味わえばくせっぽい品種も多い。しかしそれぞれの個性を生かして混ぜることで調和が生まれる。すなわち、人それぞれ長所もあれば短所もあるが、適所適材で生かせば全員が意味ある存在となり、組織として機能するという社会だ。前者のような世の中がいいと思う人は単一品種ワインを飲め。後者のような世の中が自分の思想にフィットすると思う人は南仏ワインを飲め。地中海文明とは、地中海を通じてつながりあういろいろな肌の色の人たちや宗教の人たちが共存し、お互いに影響しあって作り上げられてきたものだ。人種や宗教を問わず有能な人を登用した中世シチリア、ノルマン王朝時代の繁栄はその好例だ。すべてに白か黒かを決着づけようとしたら共存はできない。白と黒の味が北系のワイン。白と黒に加えて、それらの中間に広がるグレーゾーンのある味が南系のワインだ。そこが理解されねば、なぜジェラール・ベルトランが『平和、愛、調和』をクロ・ドラの標語にしているのかも分からない」。

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 多くの消費者は、こうした俯瞰的視点や本質論について話を聞いたり考えたりする機会が少ないものです。セミナーでは普通は各論ばかりになります。醸造担当者によるセミナーはとくにそうです。各論を100聞いても、そこから自分で一歩踏み出さない限りは、そのままでは総論には到達できません。しかしいったん総論を理解すれば、各論の解釈の仕方が分かるようになります。そのための手助けが少しはできたのではないかと思っています。
 

2018.03.10

スペイン、ビエルソのセミナー

 スペインの注目産地ビエルソから、生産者団体Autoctona del Bierzoの代表が来日し、月島スペインクラブでセミナーが行われた。Autoctona del Bierzoは、ビエルソに77軒あるワイナリーのうち、年間生産本数が4万本から40万本で、輸出に積極的な16軒で構成される団体である。

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▲セミナーを行うエヴァ・ブランコ・モラガスさん



 ビエルソはスペイン北西部レオンに位置する、総面積3000平方キロほどの、年に9百万本のワインを産出する小さなDOである。参考までに、リオハの年間産出量は25千万リットル。どうりでスペインワインといえばリオハばかりを目にするわけだ。

ビエルソは独自の地場品種、赤のメンシアと白のゴデーリョを擁する。メンシアや譬えて言うならカベルネ・フランやピノ・ノワールやシラー的な、重心が高めでくっきり・すっきりした香りを備える引き締まった味わいの品種であり、ゴデーリョは性格的には正反対の、グルナッシュやヴェルメンティーノ的な、重心が低めでトロピカルな風味とむっちりした厚みのある味わいの品種である。他にもガルナッチャやパロミノ等も植えられているが、やはり対外的な差別ポイントは両地場品種である。日本で「好きなスペインワインは?」と聞くと、「メンシア」と答える人が意外と多いが、そのある意味フランス品種的な特徴が、フランスワインを軸に経験を積んできた人たちにとって親しみやすいからだろう。

質問の時間に、ある方は「ビエルソをイベリコ・ベジョータと組み合わせてプロモーションすればよいのに」、他の方は「仔羊や仔豚と合わせて」とおっしゃっていたが、自分の経験を言わせていただくなら、それは間違っていると思う。なぜなら赤と白ではまったく異なるキャラクターだからだ。粘土が多い緩斜面の畑で、収量を下げてリッチな味に仕上げたゴデーリョは、確かに豚系にぴったりだ。しかしビエルソの栽培面積の745%はメンシアであり、ゴデーリョはたった4%。そしてメンシアと豚肉は、とりわけスペイン風に柔らかく調理した豚肉は、悲惨な相性である。基本、メンシアが合うのは、シンプルにハーブ風味でオースとした仔羊の背肉ないし、鶏胸肉である。

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▲ビエルソのいろいろなワイン。



以下は私の質問とそれに対する回答をもとに論考を進める。ビエルソは伝統的にはガリシアやレオンで消費されてきたワインだという。ローカル市場で売るには、当然ながら、一般的な可処分所得と利用動機と頻度に合わせた値付けをするしかない。これは商品である以上は基本的前提であって、どんなにおいしくても食パン一斤2000円、玉子1ダース3000円ではスーパーでは売れない。スペインにおいて、ワインはコモディティーである。キャビアの仲間ではなく玉子の仲間である。税率を見れば分かるとおりで、イタリアと並んでスペインではワインに酒税はかからない(ビールやスピリッツにはかかる)。

そうであるがゆえに、スペイン国内市場向けワインの平均価格は低く、約3ユーロだという。ところがビエルソでは、痩せた土地と収量の低いブドウ品種ゆえに、ヘクタール当たり5トンしか収穫できない。これはブルゴーニュのグラン・クリュと同じレベルである。さらに伝統的に小規模農家が多いため(Minifundios)、生産効率も悪く、物理的に3ユーロでは生産できない。現在の国内向けビエルソの平均価格は6ユーロだという。これではローカル市場の拡大は見込めない。他のかたが、レオン地方のレストランに行ってワインを頼んだらリオハだった、地元でビエルソを売っていない状況を改めて欲しい、と発言していたが、現状をよくあらわしている。ようするにコモディティーとしての適切価格を超えている以上は、普通のスペイン人にとってビエルソは特殊動機用ワインなのだ。

2009年から13年の実質GDP成長率マイナスないしほぼゼロという状況は、スペイン国内ワイン市況を冷え込ませた。以降、カタルーニャ問題もあってスペイン国内の経済発展が足踏みしている以上、ビエルソはより広域の市場に活路を見出すしかない。毎年のように積極的にプロモーション活動のために生産者たちが来日するのはそれゆえである。彼らは今回、「輸出市場向け高品質ワインを造っていく」と言っていた。いつ頃からそのトレンドが始められたのかと聞くと、1990年代以降だという。現在は輸出の割合は三分の一。ユニークな高級ワインとしてのビエルソが売られるべき場所は、ロンドンやオスロや東京であって、地元の村々ではない。それにしてもスペインは多くの産地がプリオラートの二匹目のどじょうを狙っているように思える。滅亡の危機にあったバルクワイン産地プリオラートがたった10年でスペインで最も高価なワイン産地のひとつになれたのなら、私たちもそうなれる、と思うのは自然である。

「輸出市場向け高品質」とは何なのか。こう発言した、「私は今からビエルソの将来を危惧している。なぜなら概して輸出向け高品質ワインとは、コンペティションで高く評価されたり高得点を獲得したりする、濃厚で樽っぽいワインだからだ。それが本当にビエルソらしいワインなのか。メンシアが望むスタイルなのか。それに、確かに“高品質”になったとしても、それが一本100ユーロとかになって、いったい誰が飲むというのか。ポムロールやボルゲリを見よ」。今のボルドー右岸やトスカーナの有名産地は、土地じたいが高くなって、結局もともとの地元民は追い出され、海外や他の州の資本家のものになってしまった。それが幸せな未来像なのか。

メンシアは特に、安価なワインのほうがおいしい。メンシアは軽快さや抜けのよさやピュアさに魅力がある品種だと思う。そしてビエルソは年間降水量が730ミリと多く、しなやかさとやわらかさを求めるべき産地だと思う。濃厚に作って樽をかけてしまうと、ワインがごってりと息苦しい味になり、香りが樽に邪魔されて、本来の美点が失われる。さらに困ったことには(いや消費者的には、ありがたいことには、と言うべきだが)、高くなっても余韻が伸びるわけではない。価格と品質が比例してこそ、高単価化は正当性をもつ。ブルゴーニュ地域名がグラン・クリュより、クリュ・ブルジョワが1級より高品質なことはない。劣った土地のワイン=低品質=低価格という等号はほぼ絶対である。ところがビエルソに劣った土地はない。どのワインを飲んでも、ダメな土地を感じることはない。

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▲数十本試飲して最上のワインはこれだった。



こうした場合は、あれこれ策を弄せず、素直にそのまま造ったほうがおいしい。ビエルソの商品構成はどこでも判で押したように単純で、安価なワイン=若木・樽なし、高価なワイン=古木・樽、である。若木が古木より劣るわけではなく、むしろメンシアの個性は若木のほうがよく表現されるぐらいだ。そして樽は不要だ。となれば、安いほうがおいしいという結論にならざるを得ない。

値付けと関係するもうひとつの要因は、斜面の上から下か、である。ビエルソは標高450メートルから800メートルに畑があり、標高が低い裾野はもちろん表土が厚く、肥沃で、収量が多く、安価なワインになる。これは各地で見られる一般法則である。表土が薄く岩がちな土地のワインをよしとするものだ。そういった土地のメンシアは味わいが固く引き締まり、フルーティさよりもミネラルと酸が際立つ味になる。それはそれで素晴らしいが、料理との相性を考えるとどうか。固くてすっぱいスペイン料理が、また日本料理が、どこにあるのかと常々思う。

現時点での単純な商品構成を前提とする以上は、皆さんに対する私の提案は、「安いほうを買え」である。しかしそれではビエルソの生産者たちが目的とする高単価化とは矛盾する。私が頭に思い描くのは、1、若木と古木の適度なブレンドで、2、斜面上から下までのブレンドで、3、樽を使わず、4、オーガニックのワインだ。

樽が不要だという話は既にした。若木と古木は混ぜたほう常においしい。なぜならそれが自然の姿だからである。子供しかいない社会と、老人しかいない社会は、どちらも異常だ。斜面の上から下までを混ぜることで、ワインの味わいに“流れ”(斜面上の味)と“安定”(斜面下の味)といった両側面の特徴が得られる。安定なき流れは表層性であり、流れなき安定は停滞である。これもまた自然の摂理であろう。オーガニックは、現在では常識と言うべきだ。産地全体をオーガニックにすることは、品質向上に有効なだけではなく、産地全体のイメージと信用性を向上させ、平均単価を押し上げてくれるだろう。つまり、5ユーロと10ユーロのワインを造ってどちらも帯に短し襷に長し状態に陥るより、完成度の高い8ユーロのワインを一種類作っていただいたほうが、誰にとっても、ブドウにとっても、いい。

ビエルソが素晴らしい産地であることは既に日本でも多くの人が理解している。彼らの今までの努力は実を結びつつある。問題は、目的設定とその実現手段としての商品設計の連関なのだ。何度でも言いたいが、高品質=古木・高標高・長いマセラシオン・樽=高評価=高価格、という、プリオラートの成功の背景にあると考えられがちな等式は、ビエルソのメンシアに関しては間違いである。

 

2018.03.08

チリ、『セーニャ』のヴァーチカル・テイスティング

 日本で最も知られているチリワインの生産者のひとつが、アコンカグアにあるエラスリスだろう。その当主、エデュアルド・チャドウィックが来日し、アイコンワインであるセーニャのヴァーティカル・テイスティング・セミナーを開催した。

 彼は毎年来日し、各地で様々なイベントを催している。私は178年ぶりにイベントの案内をもらった。前にチリに行ってエラスリスを訪問した時には彼には会えなかったので、彼と話したのは実に21年ぶりだ。

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 セーニャは1995年を初ヴィンテージとする、ロバート・モンダヴィとのジョイントで造られたチリ初のアイコンワインだ。そのあとにコンチャ・イ・トロとロスチャイルドのアルマヴィーヴァが続く。79年のオーパス・ワンの余韻が残っていた時代の話。最近のことのように思うが、やはりそれは昔の話なのだ。今、そういった有名ワイナリーの名前を出して、ジョイントだ、超高価だと盛り上げようとしても、無理だろう。消費者は既に知識レベルが上がり、名前ではなく内容が理解できるようになっているからだ。

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そもそもロバート・モンダヴィ本人の記憶がある人さえだんだんいなくなっていく。私はありがたくも彼と話をさせていただく機会が二回あったので、そしてロバート・モンダヴィ・ワイナリーが本当に偉大な高級ワイン生産者だった昔(といっても70年代だが)のワインを記憶している。だから彼のことを最大限尊敬しており、上記のようなストーリーに対して何かしらの感傷を抱くのはしかたないことだが、そうではない人ならば、ロバート・モンダヴィは、ただ無機的な、引用される名前でしかないだろう。

今回はジェームス・サックリングが2015年ヴィンテージのセーニャに100点満点をつけたことを記念してのイベントでもある。チャドウィックはそういう話が好きなようだ。例えば彼の造るアイコンワインを、ラフィットやマルゴーやサッシカイア等世界的に有名なカベルネ系ワインとブラインド・テイスティングで比較し、優劣をつけたイベント、ザ・ベルリン・テイスティング。また同じような銘柄の熟成したワインをブラインド・テイスティングで優劣をつけたイベント。これらを長年世界各国の主要都市で開催してきた。そしてそれらすべてで、恐るべきことに例外がひとつもなく、上位を独占したのは、彼のアイコンワインたちだった。

そのイベントの目的は崇高なものだ。彼自身が今回語ったように、90年代終わりにチリワインが日本に多く輸入されたが、それはつまり安価なチリカベであり、チリワインが世界の最高レベルのワインにひけをとらないワインだということは認識されていなかった。彼はこのようなイベントを通して、チリワインの偉大さを証明しようとしたのだ。

この手のブラインド・テイスティングについて疑義を唱えることはたやすい。そもそもボルドーやトスカーナとチリを比較することができるのか。できるなら、どのような基準においてできるのか。確かにそれらのテイスティングを行ったのは世界各国の最高のワイン評論家やソムリエたちであったとしても、これは個々人の能力の問題ではなく、価値尺度の明確化の問題である。何をもってあるワインを他のワインより良いとするのかの議論と共通認識なきところでは、結果だけ見せられても、何を評価したのかが分からない。しかしあくまで目的はチリワインのイメージ向上であり、そのために万人にわかりやすい手段が選ばれたのだ、と考えるなら、確かにチャドウィックが行ってきた活動は尊敬に値する。チャドウィック自身のワインの売り上げに貢献したとしても、公に対して彼は高貴な義務を果たしたと言えるだろう。

私は彼に、「一連のテイスティングが自画自賛的にうそくさく見えるのは、他の国々の有名ワインと比較したチリワインがすべてあなたのワインだけだったからだ。なぜプエンテ・アルトのふたりの隣人たちにも参加してもらわなかったのか」と言った。すると、「彼らは彼らなりの計画もあるし、企画に賛同しないだろうし」。「ならば彼らのワインをあなたが買ってでも出品すればよかった」。「なぜ私がそんなことをする必要が!」。出品者が主催者であり、壇上に座ってテイスティングしていることがおかしいのだ。それは常識に思える。スティーヴン・スパリエのパリ・テイスティングにおいて、シャトー・モンテレーナもスタグス・リープもスパリエ自身も審査員ではなかった。もし彼が私に相談してきたら、PR会社を雇い、そのような第三者を主催者にして、彼のワイン以外も出品し、彼は傍聴席に座っていろ、と言っただろう。勝てる自信があるなら、それでいいではないか。実際に勝ったのだから。真面目な話、彼にこれからメールして、次はもっと自画自賛っぽくならないように工夫せよ、と言おうと思う。「大きなお世話、お前いったい誰?」と言われるだろうが、チリワイン全体のためには必要だと思いたい。

さて、セーニャだが、1996年、2000年、2003年、2009年、2013年、2015年が出された。ここでひとつの節目となるのは、セーニャが現在のセーニャ畑(アコンカグア・ヴァレーの中央西より)から造られるようになった2003年と、それ以前だ。もうひとつの節目は、2005年にビオディナミを採用するようになってから。そして、14度になる高いアルコールを嫌い、早摘みしてフレッシュネスやエレガンスを求めるようになった2015年だ。

また、これらを品種構成上の変遷としても見ることができる。96年はカベルネ・ソーヴィニヨン91%、00年は77%、03年は52%、以降は50%台で推移する。カベルネ・ソーヴィニヨン比率の低下に対して比率が上がるのが、カルメネール、メルロ、そして13年以降はマルベックである。

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私が最もよいと思うのは1996年だ。これはまるで他の人が造ったのかと思えるほど違う。リリース当初から95年と96年は好きなのだが、熟成したあとになってもやはりよい。この時期にはロバート・モンダヴィ自身も元気で、味決めにしっかり関与していたのではないかと思うほど、同時期のティム・モンダヴィの色が濃かったロバート・モンダヴィ・ワイナリー以上に、往年のロバート・モンダヴィを思い出させるものがある。涼しい年だけあり、若干のミントっぽさがいい。びしっとした垂直的な構造をもち、とりわけ下方垂直性が顕著で、気品があり、細身ながらその周囲に気配があり、余韻も長い。

2000年は、アルマヴィーヴァでもそうだが、独特の曇った味がするし、シンプルかつブレタノミセスが感じられる(しかしこのヴィンテージが前述の一連のテイスティングで世界じゅうのトッププロたちから高く評価されたのだから、私の意見は超マイノリティーだ)。96年にあった堅牢な構造が失われ、垂直性がなく、重心が上で、フォーカスが甘い。アコンカグアのような土地でカベルネ比率を下げてメルロを入れれば、瓶詰め当初は柔らかくて飲みやすいとしても、熟成すればこうなるのは当然だろう。

暑い年だった2003年はキメが粗く、薄く、重心が上で、小さく、甘くて飲みやすいとしても、到底アイコンワインの値段は承服できない。

2009年はビオディナミ採用以降だけあって、タンニンの細やかさに関して03年とは見違えるほど向上し、酸も柔らかいがフレッシュ感もあり、黒系果実と濃密さとローズマリーやミントの清涼感のコントラストはよい。ただし風味じたいの純度はあまりなく、苦さが残る。

2013年はアーシーさと青っぽさとスモーキーさと唐辛子風味が興味深いが、酸が固く、小さく、重心が上で、動きがない。樽が目立つ。

100点ワインとして注目される2015年は、カベルネ・ソーヴィニヨンが少なすぎ、マルベックとカルメネールが多すぎて、黒系果実の風味に偏って、べたっとして気品がなく、背骨が弱い。また早く収穫しすぎて、下方垂直性に欠け、重心が上で、小さく、上あごに張り付き、酸が固く、単調で、余韻が短い。 

96年だけが、私にとってのチリワイン、特にアコンカグアの、とても乾燥しているが冷風が流れるワインの味がする。これはあちこちの畑から選りすぐったブドウらしいが、チャドウィックに「これは自根ですね」と聞くと、大半はそうだと言う。セーニャ畑は逆に、接ぎ木がほとんどのようだ。「自根でなければ下方垂直性が出ない。自根のほうがいい。吐き出しては分からないが、飲めば分かるではないか」と言うと、「君の意見には賛同しないな。畑の中にはいろいろな土壌があり、品種に対して適切な台木を選ぶ。肥沃すぎるところで樹勢を制限できる」。「それは話の順序が逆でしょう。ちょうどいい土壌を探して植えればいいではないですか」。

自根反対派というのはチリにはそれなりに多く、フィロキセラがいないというチリ最大の利点を自ら否定しているとしか思えないのだが、頭のよい人に特に多い。彼が言うに、「おいしいかどうかは主観だろう。主観では自根か台木のどちらがよいか議論してもしかたない」。自根のブドウの収量と接ぎ木のブドウの収量を比較したり、ポリフェノールやタンニンを計測したりすると、確かに台木のブドウデータのほうがよかったりするようだ。その話はチリでさんざん聞いた。多くの頭のよいワインファンは、データがよいものがよいワインだという定義だろうが、私は極めて単純で、まずいワインよりおいしいワインのほうがよいワインである。おいしいワインには必ず理由があり、まずおいしいかどうかを判断して、その理由を探るのが大事なのであって、まず測定対象を考え、その数値がよいものがおいしいと思うより人間的だと思う。

あるオーストラリアのビオディナミ生産者の自宅で、シングルトライオードA級作動送信管アンプを見た。あるイタリアのオーガニック生産者の自宅では、ガラード401ターンテーブルを使っていた。データを計測しても、それらはゴミみたいな数字しか出てこない。しかしそれらはデータに優れたものより、はるかにはるかに迫真の結果を出す。主観でしか表現できない、しかし我々にとっては大切な、美しいものを描き出す。もちろん彼らも私もそれが重要だと思う。この話を理解してくださる読者の方は、たぶん、私とワインへの志向が合う。

だから話は簡単だ。自根のワインが好きな人、ないし、チリにとってそれが重要だと思う人、灌漑は自然の降雨より優れていると思う人、そして完熟したブドウの味が好きな人は、セーニャは好きではないだろう。しかし接ぎ木・灌漑・早摘みのワインが好きな人(現在はそれが99・99%だろう)にとっては、セーニャは、まさに世界じゅうの評論家やソムリエが絶賛するように、完全無欠のワインであろう。これは「主観」の問題、個々人の価値観や優先順位の話である。私のような超マイノリティーの意見は、大政翼賛会的状況抑止のために必要な政治的スパイスとでも思って軽く流してもらっていい。

セミナーの最後は質問の時間だ。他の参加者の方々は個別にインタビューの時間が与えられているし、高頻度で会っているから別にここで質問する必要はないが、私は今を逃したら次はまた18年後かも知れないので、ただ一人質問した。「セーニャはエラスリス・ワイナリーのアイコン・セラーで造られますが、ビオディナミと言われるなら、当然セーニャ畑の中にセラーがなければ筋が通らない。なぜ畑の中に醸造施設を作らないのですか」。所有地の中での物質・エネルギー循環を基本とする閉鎖系バランスの意識的創出を忘れて、500501の話をするなら、それは単にビオディナミを通常の農業技術論の中でとらえることであり(それでも農薬まみれより一億倍よいが)、結果としてワインはビオディナミらしい味がしなくなるものだ。チャドウィックの答えは、「それは将来のプロジェクトとして考えている。まずは高品質ワインを造るためのワイナリーを建設するほうが先だった。あの建築は、ヒュー・ジョンソンやジャンシス・ロビンソンに『世界で最も自然に配慮したワイナリーだ』と言われた」。私も実物を見てみたが、遠くの山から冷気を送り込むトンネルを作ってワイナリー全体を冷やすという工夫がしてある。しかしワイナリーは地上に建てられており、ガラス張りで、太陽光に温められる。それより普通に地下に作ればいいのではないか。ワイナリーを案内してくださったエラスリスの方にはその場でそう伝えた。お金の無駄だ、と。ともかく、私の考える『自然』とは定義が異なるようだ。

「セーニャのカベルネ比率が下がったのは、マイポのヴィーニャ・チャドウィックとのすみわけからですか。似たようなワインが二つでは商品戦略上よくないから」と聞くと、「まったく関係ない。セーニャ畑のテロワールに従ったまでのことだ」。

そのあと私は彼に、こんな話をした。「エラスリスでアイコンから下のクラスのワインまでいろいろとテイスティングしましたが、アイコンだけが別の味がした。他の会社のワインのようだ。チーフワインメーカーの方にそう言うと、『アイコンはチャドウィック氏自らが造るから』と言った。普通のエラスリスは色に譬えて言えば、青や緑を感じるが、アイコンはオレンジや赤だ。つまりチャドウィックさんは、口ではエレガンスやフィネスを求めると言うが、中身は相当熱い人なのだと思っている」。「いや、それぞれのテロワールを忠実であろうとしているだけだ」。「そうですか。ワインには造り手の個性も反映されますよ」。「ああ、たしかにそうかも」。「ところでマウレはいいですよ。無灌漑で栽培できるし。なぜ南部に進出しないのですか」。「いや、今はセーニャの品質向上に全力を傾ける」。品質向上・・・・。品質とはなんだろう・・・・。それを考えるには、セーニャは最高の素材ではある。