日本橋浜町ワインサロン講座

2019.01.03

2018年の20本

2018

2018年に出会った最も印象的なワインを20本選んで紹介したいと思う。多くのワインが異なった理由で大変に素晴らしく、本来なら到底20本では済まない。ちなみにワインの並び順は優劣とは関係ない。

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Voyots Dzor Karasi (Aleni Noir) 2016 Zorah

アルメニアにある世界最古のワイン醸造所跡、アレニ1遺跡の向いにあるワイナリー。アレニ1の近くに残る樹齢数百年のアレニ品種のブドウから取り木して増やした自根の畑。コンクリートタンク発酵、カラシ(陶製の甕)熟成。ある意味、ワインに関心があるすべての人にとっての基本のワインのひとつ。ジョージアと並んでアルメニアはワインの原産地だが、そのワインはジョージアとは大きく異なり、ジョージアがアジアの味ならアルメニア(言語的にはインド・ヨーロッパ語族)は明らかにヨーロッパの味がする。地酒的な朴訥感をアルメニアに期待してはいけない。上品で、緻密で、垂直的で、堅牢な、紛れもないグラン・ヴァン。ワインは最初からそうだったのか。。。。。

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Herefordshire, England  Pinot Noir Early  2013  Sixteen Ridges Vineyard

気候変動ゆえに温暖な味わいのワインが多くなった昨今、正しく冷涼な味のワインを求めるなら高地や高緯度に行くしかないのは当然だ。そしてこのピノ・ノワールは、まさしく期待通りの冷涼風味を備え、贅肉がなく、緊張感のあるミネラルに支えられた、気品のある味わい。イギリスのワインといえば、すぐにイングランド南東部海沿いサセックス州のスパークリングが語られるが、これは南西部ヘレフォードシャー州の色の薄い赤。サセックスより涼しく雨も多く、それゆえに、イギリス以外の何物でもない個性。2007年創業の新しいワイナリーの若木のワインであってもこの完成度なら、樹齢が高くなればどれほどの質となることか。イギリスのテロワールの素晴らしいポテンシャルを垣間見ることができる。当然ながら日本未輸入。

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Conca de Barbera  Coll del Sabater 2017 Escoda-Sanahuja

圧倒的なパワー感。唯一無二といえる陶酔的なうねり感。危険な官能性。全方位的な広がり。底が見えない厚み。嚥下後の肉体の浮遊感。エスコダ・サナフヤは現在世界最高のワイナリーのひとつである。アンフォラ発酵・熟成の自然派ワインの雄として有名だが、このコル・デル・サバテール2017年は、アンフォラであるとかSO2無添加であるとかを超越した奇跡である。完熟して完全発酵できないほどに潜在アルコール度数が上がってしまったこの年のカベルネ・フランと熟しても10度にしかならないパレリャーダ(カバ用の白ブドウとして知られる)を混醸。尋常ではない発想だが、一度経験してしまえば、これこそが正解だと思える。今まで飲んだすべてのワインの中でも最もインパクトが大きなワインのひとつ。ちなみにラベルはオーナーがその場で作ったもので、中身はタンクから直接手詰めの特別版。


2018

Collio Ribolla Gialla 2008 Gravner

西洋で初めてジョージアのワイン製法を己のものとしたグラヴナーの到達点。かつての野心作・実験作然とした過剰なほどの思いをまとった物質性はもはやなく、ただただ完成された美しい形が中空に浮かび上がる、スピリチュアルな抽象性。彼の苦闘はこのワインを我々に与えるためだったのか。涙なくしては飲めない。陳腐な表現ではなく、本当に感謝している。もしこれを飲んで頭を垂れない人がいるなら、それはワインファンではない。少なくとも愛あるイタリアワインファンではない。猫も杓子もオレンジワインと連呼する昨今だが、世に溢れるオレンジワインの過半はしょうもない遊びだ。グラヴナーなくして彼らのオレンジワインもないのは事実だろう。ならばなぜ謙虚にグラヴナーから学ばないのか。彼らが将来グラヴナーの境地に至ることが可能かどうかは甚だ疑わしい。グラヴナーは現在、ただ一種類のワインのみ造る。一所懸命とはこのことだ。人の能力には限りがある。30種類のワインを造る中の一本と、ただ1種類のワインに全精力を注いだ一本と、同じ結果になるだろうか。ましてやその人は、偉大なるヨシュコ・グラヴナーなのだ。生半可なオレンジワイン談義をしている暇があるなら、黙ってこれを飲め。

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Alsace  Dionysiuskapele Gewurztraminer  2017  Lissner

アルザス、ヴォルクスハイム村の生産者組合長リスネールの意欲作、ゲヴュルツトラミネールのSO2無添加オレンジワイン(色は茶色っぽいロゼ)。2017年というヴィンテージらしいクリアーさ、おおらかさ、素直さがプラスに働き、見事な作品になった。ゲヴュルツトラミネールのエキゾティックな香りとタンニンとトロミが醸し発酵によって倍加され、SO2無添加のマイナス点は感じられず(アルザスの無添加白ワインで心底おいしいものはあまりない)、プラスの側面であるスケール感や質感の厚みが際立っている。構成力のある味わいは積極的に料理に合わせていきたくなる。このオーガニック生産者はいま世代交代時期で、積極的に新しい試み(特に栽培方法)に挑戦しており、目が離せない。直観力に長けていながら極めて知的なアプローチをとり、ビオディナミはあえて不採用。我々にとっては、ある種の知的ゲームを通じての真理探究という興奮が得られる。日本未輸入。

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Bourgogne Aligote  2015  Domaine Marius Delarche

ペルナン・ヴェルジュレス村の名門、ドラルシュの大傑作。ブルゴーニュで好きな白は、と聞かれたら、このアリゴテの名を挙げる。ペルナンのアリゴテがブルゴーニュ全域を見渡しても傑出している事実は、ブルゴーニュの生産者なら、経験上、知らぬ者はいない。多くの生産者との話のなかで、「ペルナンのアリゴテ」と私が答えて{へえー」と言われたことはなく、「そりゃそうだ」という反応である。それはコート・ド・ボーヌの畑地図を見ただけでも一目瞭然だと思う。しかし昔から私が日本で同じことを言っていても常に「へえー」どころか完全スルーである。日本にアリゴテファンはいないようだ。このアリゴテは、コルトン・シャルルマ―ニュの丘の北側、標高の高い南向き緩斜面の畑に植えられた古木から。完全にコルトン・シャルルマ―ニュ・アン・シャルルマーニュと地続きの味で、姿形がグラン・クリュ的に整っており、余韻も地域名ワインとは思えないどころか、グラン・クリュ並み。つまりは、よいテロワールの味がする。ドラルシュのシャルドネ(村名や1級。ここのグラン・クリュ・コルトン・シャルルマ―ニュはアロース村にあり、例外的な、そして注目すべき混植混醸)と比較してもアリゴテのほうが垂直性や質感の緻密さや香りの繊細さに優れている。このワインを飲めば、アリゴテは二流品種なのではなく、ほぼすべての場合において二流テロワールに植えられているから地域名ワイン格付けでしかないのだ、と分かる。このテロワール優勢という観点を獲得することこそ、ブルゴーニュ理解の基本なのではないのか。なぜ日本では、ブルゴーニュというと、口ではテロワールと言いつつ、実質は生産者優勢の考え方が支配的になるのか。だから過去何十年、「好きなアリゴテは?」と聞くと、「だれだれのアリゴテ」という答えしか返ってこない。それがどれほど反ブルゴーニュ的な答えなのかをブルゴーニュファンの方々が自覚していない状況が、それ以上にこの論点(なぜ、だれだれのアリゴテと答えてはまずいのか)さえもが理解されない状況が、「ブルゴーニュとはまずはテロワールを鑑賞するワインなのだ」と20年以上言い続けてきた私としては、自分の力不足を痛感して、情けない。当然ながら日本未輸入。

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Niederoesterreich Zweigelt  2015  Stift Altenburg

チャーミングでほんわかフルーティな方向性も大好きだが、ぴしっとした硬質な骨格のあるツヴァイゲルト、つまりブラウフレンキッシュの血筋を色濃く感じるツヴァイゲルトも素晴らしい。チェコ国境に近いヴァインフィアテル、リンベルク(ブラウフレンキッシュのドイツ名レンベルガーの由来という説あり)のアルテンブルク修道院のこのワインは、ペン画のようにくっきりとした酸と清涼感のある伸びやかな香りを備えた、冷涼なオーストリアワインを求めるならば最高の作品。地球温暖化ゆえにほんわかフルーティなワインの比率が高くならざるを得ないオーストリアにあって、この冷涼さはむしろ貴重だ。ヴァインフィアテル=安価なグリューナーという認識にとどまってはいけない。そもそもこの畑は極めて特異な白いダイアトム土壌。他では得られない個性が感じられる、貴重なツヴァイゲルトである。日本ではオーストリアワインといえば、ヴァッハウやカンプタルのような大メジャー産地の大メジャー生産者のものか、それともSO2無添加・アンフォラ・オレンジワインが興味の対象となっているようだが、オーストリアワインの本来のオーストリアらしさは、こうしたワインにこそより感じられると思う。さらに言うなら、このワインの美点が分からない(好きかどうかはまた別の話)人をオーストリアワインファンとは呼びたくないが、当然のごとく日本未輸入。

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Maranges Le Saugeot  2016  Domaine Edmond Monnot

陰影の濃さ、逞しさ、地酒っぽい朴訥感といった、通常ブルゴーニュワインには求めない特質を備えるマランジェは、よい意味で時代の流れに乗らない産地である。口あたりのよさ、分かりやすい華やかさ、といった「きれい」さが最重要評価ポイントになっている状況では、マランジェは二流どころか三流ワイン。単一の評価基準しかなければ、最上のグラン・クリュ以外はすべて一・五流が関の山であり、結局は高いものがいいワイン、という、どうしようもない結論に縛られることになる。しかしテロワールに即した複数の評価基準を獲得すれば、マランジェは「他と違うからいい」産地になる。地質年代的にはマランジェはコート・ド・ボーヌの中で最も古い。ブルゴーニュ=ジュラ紀という了解で基本的にはいいのだが、このワインの畑のあるマランジェの西端の丘は三畳紀。性格的にはジュラ紀の派手さとは逆に、内向的で暗く、標高300メートルえ台後半という高さにもかかわらず重心が下。ゆえに通常のブルゴーニュとは異なる用途で魅力を発揮することができる。こうしたユニークな個性を発見するのがワイン趣味のひとつのおもしろさだと思うが、もちろん日本未輸入。

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Vin de France  Benjamin de Meric  2016  Chateau Meric

1964年にオーガニックを始めた、ボルドーで最初の認証オーガニック生産者、シャトー・メリック。ビジネスのにおいが強すぎ、何がやりたいのかではなく、何が売れるのか、を考えすぎに思えるボルドーにあって、プリムールや英米評論家の点数とは無縁の、オーガニックワインが好きな顧客に直接売ってきた、実直な生産者である。ワインの味も実直の極み。これほどスタイルではなくテロワールとしてのボルドー、グラーヴを感じさせてくれる機会は少ない。彼らが造るロゼ(クレーレと呼ぶべき色の濃さだが)がこれ。品種は、なんと、マスカット・ハンブルグ主体にメルロのブレンド。当然INAOは非認可品種であるマスカット・ハンブルグを引き抜けと言ったが、昔から植えられているブドウを引き抜くわけにはいかないと拒否。スタイリッシュでそっけなく冷たい最近のロゼとは異なり、朴訥で寛容な個性。マスカット・ハンブルグ(マスカット・ベイリーAの親)ならではのざっくりとして土着的な色気。現在の肩肘張った輸出用ボルドーとは無関係の、地元消費用な味。いい感じの緩さ。土地の個性を考えれば、こちらのほうが本来のボルドーではないかとさえ思う。もちろん日本未輸入。日本人はボルドー大好き、オーガニック大好きではなかったか。オーガニックワインの支持者なら、周囲から疎外されつつオーガニックを独力で始め、長年貫いてきたこの生産者に対する敬意を払ってしかるべきだ。

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Württemberg Korber Sommerhalde Trollinger  2015  Schmalzried 

ドイツで最も好きな品種のひとつがトロリンガー。酸もタンニンもない、自己抑制のきいた、押しつけがましい主張もない、典型的なヴュルテンベルクの地元消費用ワイン品種。普通なら、柔らかくて飲みやすい軽い味というだけで終わってしまうだろうが、これは認証ビオディナミワインだ。繊細なディティールと豊富なミネラルに、頭の後ろまで回り込むスケールの大きさがあり、自然な滲み感がってもボケや緩さにつながらない。見事だ。それだけではない。この生産者は養護学校の教師をしながらワインを造る。それがどうした、と言うか?まさにそういう味が、献身と愛と純粋さの味がする。ゆえにこのワインは、自然と人間が最も高貴な形で融合した、理想的なビオディナミワインの一本である。SO2がどうした、アンフォラがどうした、といった些末な技術論ばかりが横行して目的を忘れているかのような現状では理解されようもないのか、当然のように未輸入。

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Alsace Grand Cru Geisberg   Riesling  2012  Trimbach

ガイズベルグ、それもリボヴィレ修道尼院の所有する西側の区画は、アルザス・グラン・クリュの中でも最上の畑である。それを否定する人がいようか。村ごとの気温を調べると、オー・ランにおいてリボヴィレは涼しい土地だと分かる。地球温暖化の中で、それが辛口リースリングには圧倒的な優位性を生み出す。ガイズベルク西側区画は谷から吹き降ろす風の出口にあり、三畳紀の石灰岩土壌がもたらす冷たく硬質な酸とあいまって、リースリングに求めたい緊張感とトリンバックに求めたいプロテスタント的自己抑制・禁欲性を表現する。反グラン・クリュ派最先鋒だったトリンバックが宗旨替えをして登場させた「グラン・クリュ・ガイズベルグ」は、2009年の初ヴィンテージ以来、その評価は既に確定しているが、2012年ヴィンテージはさらに一皮むけた印象。なぜなら2008年に彼らが栽培を請け負ってからオーガニックに転換した効果が明らかになっているからだ。現時点においてアルザスの頂点である。クロ・サン・チュンヌは足元にも及ばない。誰もが知るようにガイズベルグはガイズベルグなのであって、かつてはその真価が表に出ることがなかっただけなのだ。

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Savennieres Coulée de Serrant  2016  Nicolas Joly

誰もが知っているクーレ・ド・セラン。以前のヴィンテージ、特に20世紀のあいだのニコラ・ジョリーの造ったワインを飲んで、クーレ・ド・セランを知っているつもりになっているなら、それは人生にとって大きな損失だ。2015年以降のクーレ・ド・セランは別物である。かつての知性優位の味はもはやない。理屈は分かるが実質が伴わないなどという批判ももはや該当しない。特に2016年は桁外れのエネルギー感があってリッチ。昔の味しか知らない人は、クーレ・ド・セランにリッチという言葉は決して使わない。しかし今やニコラ・ジョリーはサヴニエール全体で最後に収穫するのだ。陰と陽、緊張と弛緩、禁欲と官能、覚醒と陶酔の驚異的なコントラストの大きさと、それらすべてを包み込む慈愛。何が変わったのかと聞けば、娘ヴィルジニーは「何も変えていない。ただ、子供ができた」と。ワインとはかくも不思議なものだ。


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Clairette du Languedoc Rancio Sec    S.C.V. La Clairette d'Adissan

以前から最も気になっているラングドックのアペラシオンであるクレーレット・デュ・ラングドック。好きなラングドックの白は、と聞かれれば、ほぼ常にその名を挙げる。歴史的には最重要ワインのひとつだ。紀元前1世紀、ローマで有名だったAminum品種のブドウがこの地に持ち込まれたのだが、近年そのブドウがローマ時代の井戸の底から発見され、解析の結果、それが現代のクレーレットだと分かったのだという。18世紀までは高価なワインとして有名でも、現代にあってはよほどのラングドックワイン通以外には知られることもない。辛口、中甘口、酒精強化甘口、ランシオとあるが、これはアペラシオンを構成する11村のひとつであるアディサン村の協同組合が造る辛口ランシオ。樽ではなくタンクで十年熟成させるのがポイントで、ランシオながら香り味わいともに極めてクリーンでクリアー。そしてランシオならではの別次元の力強さと贅肉をそぎ落とした抽象的でミネラリーな味わい。もともとのテロワールと品種の素晴らしさがストレートに出ている。姿形の美しさ、見晴らしのよさ、余韻の長さ等々、あらゆる項目でここがグラン・ヴァンの土地だということを示す。ついに見つけた究極のラングドック白ワインの一本である。他のランシオをいろいろと飲んでいればいるほど、このワインの高貴さが見えてくるだろう。もちろんのことながら日本未輸入。日本では協同組合ワインなど誰も歯牙にもかけないし、ランシオ好きも皆無に近いのだからしかたない。ランシオ嫌いなラングドックワインファンとは、八丁味噌嫌いな名古屋料理ファンと同じく、奇異に思えるが。



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Luzern Le Petit Mousseux  Ottiger

スイス、ルツェルン湖のほとりに建つワイナリーの、炭酸ガス注入方式のカジュアルな泡。炭酸ガス注入方式は完熟ブドウを用いることができるため、私はシャンパーニュ方式の未熟ブドウのワインよりこちらのほうが往々にして好きなぐらいだ。リースリング・ジルヴァーナー(=ミュラー・トゥルガウ)とソーヴィニヨン・ブランを用いた、まさにドイツ語圏スイスの清涼感、清潔感、ゆとり感があるワイン。適度に力を抜いた気軽さ、ほぼすべてが小商圏で売れてしまうスイスワインならではの地元密着感・自給自足感。夏のバカンス、澄んだ空気、アルプスの山並み、透明な湖水、湖畔に点在する瀟洒な別荘といったビジュアル(実際にその通りだ)を思い描いてほしい。そこにふさわしいワインは、樽臭くて泥臭い赤ではありえず、近年どうも迷走しているヴォー州のシャスラーでもなく、より冷涼な地域のこのスパークリングということになるだろうが、スイス=シャスラーという理解でとまっている(それでも、なんの理解もなかった十年前よりはましだ)日本には未輸入。

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Valdobbiadene Prosecco Superiore   Col di Manzo   2017   Perlage

ビオディナミ栽培されるグレラで造られたプロセッコ。ヴァルドッビアーデネならではの流れのスムースさがありつつ、畑が斜面下部に位置することもあって、そっけなくならず、適度な厚みを備え、重心は真ん中にあって安定した長い余韻へと続く。味わいの複雑さ、立体感、スケール感、ダイナミズムは通常のプロセッコとは別次元であり、一度これを経験してしまうと、農薬まみれのフラット&スタティックなプロセッコに戻ることはできない。繊細さ、酸の穏やかさ、香りのやさしさ、といった点においてプロセッコの食中酒としての可能性は極めて高い。スタイルではなく、既成観念でもなく、ヴァルドッビアーデネのテロワールと絶対的な品質に着目してワインをテイスティングするなら、プロセッコとしては例外的に高価なこのワインでさえお買い得だと思えるだろう。このワインが高級日本料理店での定番になってほしいが、日本未輸入。

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IGP Pays d’Hérault Collines de la Moure Parpagnas 2015  Mas De La Pleine Haute

フロンティニャンのエリアに植えられたムールヴェードル、シラー、グルナッシュのブレンド。現代ではすっかり忘れられているが、近世までは高級ワインとして人気のあったフロンティニャンのミュスカ。その名声は偉大なテロワールに由来するのであり、ミュスカという品種や酒精強化甘口というスタイルによるものではないと、この非ミュスカの赤ワインを飲むと理解できる。姿形の美しさが違う、伸びやかな品位が違う。ラングドックワインに詳しければ詳しいほど、この小さな地元消費ワイン生産者の、地味で一見どこにでもある品種構成のワインがさりげなく備える“グラン・クリュ”性の前にひれ伏すことになる。ラングドック各アペラシオンのAOC認定年を調べて欲しい。フロンティニャンは1936年5月と最初である。そこには重要な意味があると考えるべきだ。繊細さや優美さがダイナミズムと融合して立体的で美しい形をとり、余韻が長いというこのワインの特徴は、オーガニック(フロンティニャンには二軒しかない)栽培に由来するという点も忘れてはならない。通常のクリュさえ理解されず、ラングドック=安価な国際品種ワイン、という単一の観念(というか誤解)にとらわれている日本には、当然のごとく未輸入。フロンティニャンのオーガニックなど、本来なら真っ先に輸入しなければならないものだろうに。とはいえ、そう思うのは私だけかも知れない。なぜならフロンティニャンは偉大なテロワールだ、偉大なワインだと言って、「その通り!」と同意されたことは、実は過去一度たりともない。

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Pessac-Leognan  Cuvee Paul   2015    Chateau Haut-Bergey

ミュージシャンでもあるオーナー家の息子が戻り、あまりに時代錯誤的・ビジネス優先的・人工的なボルドー的ワイン造りを見て憤慨し、スタッフ全員を解雇してビオディナミ栽培に即座に切り替えたのが2015年。その劇的な変化は既に明らかで、とりわけ自分自身の名を冠したこのタンク熟成のワインの鮮烈なエネルギー感と厚みとヴェルヴェットのような滑らかさとピュアさを見れば、ボルドーが新しい時代に入ったのだと喜びつつ痛感する。現在最も注目すべきボルドーだろう。ちなみに通常の樽熟成版はおすすめしない。素材がよくなった今、樽は余分なフレーバーであり過剰なタンニンでしかなく、しなやかでおだやかなグラーヴ地域のテロワールの個性を減じてしまうからである。

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Südsteirmark  Riesling Ried Gaisriegl  K   2016   Schauer

オーストリア、ズュートシュタイヤーマルクのSausal in Kitzeck村は、標高が500メートル以上と大変に高く、冷涼で、なおかつ土壌が例外的なシスト。オーストリアにおける知る人ぞ知るリースリング最上のエリアである。そこでブッシェンシャンクを営み、オーガニック転換中のこの生産者のワインは、頭の中でオーストリア、ズュートシュタイヤーマルク、リースリングという単語を結び付けて生まれるイメージどおりの、鮮やかで気品があって無駄なくかっこよくポジティブに明るい味わい。ニーダーエスタライヒの高名なリースリングは過剰な灌漑の味がして好きにはなれない場合がほとんどだが、シュタイヤーマルクは十分な降水量があるため、急斜面の水はけのよい畑でも無灌漑。それがミネラル感や余韻の表現に直接的に結びつくのは当然である。通常は辛口に仕上げるところ、2016年はオーストリアでは例外的なカビネット(微甘口タイプ)になった。これがいい。いいと言っても一期一会。20年前ならともかく、現在のオーストリアでは辛口しか好まれず、こうした伝統的ドイツ的リースリングは皆無に近い。生産者も造るつもりはないと言う。このワインには圧倒的な完成度と無欠のバランスのよさがあるゆえに、二度と経験できないのかと思うと悲しい。

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Costa Toscana  CiFRA  Cabernet Franc   2017   Duemani

90年代から20世紀末ごろまで、数々のスーパータスカンの名品を送り出したコンサルタント、ルカ・ダットーマがたどり着いた、カベルネ・フランにとって最良の地、モンテスクダイオ。海を臨む標高の高い粘土石灰質の斜面の畑は見るからに素晴らしく、ビオディナミ栽培によってポテンシャルを十全に引き出す。樽を使わずにコンクリートタンクで熟成させたこのチフラは、樽を使ったグラン・ヴァン、デュエマーニよりむしろ素直な味で抜けがよく、カベルネ・フランのきめ細かさ、酸の軽やかさ、清楚な気品をよく表現する。2017年は壊滅的に収量が減ったヴィンテージだが、それゆえの凝縮度の高さというプラスの結果をもたらしている。かつての力任せな迫力は影を潜め、静かな充実度として、また内面への沈降の形をとってエネルギーが感じられる、大人の味。それでもダットーマ独特のきらめき、冴えは健在であり、つくづく天才的なセンスだと感じ入る。世界のカベルネ・フランの中でも屈指の作品である。以前は日本に輸入されていたのだが。。。


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Vermouth Erborista     2017    Pianora

ロンバルディア、コッカリオ村の丘の上にある小さなオーガニック生産者の作品。フランチャコルタ域内にありつつも彼らはフランチャコルタを造らず、メルロの赤ワインを主として造る。それがフランチャコルタ以前のこの地のワインだからである。さらに時代を遡って、ワイナリーのすぐ近くにある『聖なる受胎告知修道尼院』がかつて造っていたワインを再現したのが、このハーブ入りのメルロの甘口。飲めば忘れられないおいしさ。いや、おいしいだけではなく、飲むと体の内側から力が湧いてくるかのようで、飲めば飲むほど体がもっと欲する。ここまで直接に作用するワインは初めてだ。修道院が同時に病院であり、ワインが同時に薬だったことを思い出す。そして凡百のフランチャコルタが足元にも及ばない完成度の高い美しさ。フランチャコルタ域内は、地球温暖化もあって、いまやメルロやカベルネ・フランの栽培適地なのではないかと思うし、昔そうだったのは正しいと思う。もちろんこんな徹底してイレギュラーなワイン(伝統的であっても、そんな伝統は誰も知らない)を高い金額で買うインポーターはいるはずもなく、日本未輸入。(ラベルには2018年と書かれているが、中身は2017年。もう2017年のラベルがなくなってしまって、翌年分として印刷が上がってきたラベルを貼ってもらった)

2018.12.20

海沿いトスカーナ

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 近年のトスカーナワイン全般の傾向には賛同できません。固く、ぎこちなく、空気感が弱く、直線的なタンニンが目立ちます。この20数年間かけて彼らがよしとして選んだサンジョベーゼ・クローンのせいでもあり、ボルドー品種のブレンドの問題でもあり、地球温暖化・渇水ストレスの増大と、それに関連する早摘み志向の問題でもあると思います。
 とはいえ、トスカーナがダメな産地であるとか、サンジョベーゼが二流の品種であるとか言うつもりはありません。いろいろな要因の歯車がずれていると言っているのです。それはキャンティ・クラシコのエリアで最も顕著に見受けられます。内陸に位置する水はけのよい標高の高い斜面の畑というのが、必ずしも現在プラスに機能しているとは思えません。いろいろな機会にテイスティングして印象に残るのは、気候が穏やかなな海沿いの産地です。
 ですから先日はトスカーナの海沿いのワイナリーをいくつか訪ねてきました。海沿い産地は伝統的には優れたエリアだとはみなされていません。DOCGやDOCも最近になって増えただけで、仮にサッシカイアが生まれなければ、海沿いは今でもオリーブの畑か安価なロゼ用の畑が点在するだけの貧しい土地だったでしょう。実際、グロセット県の海沿いの道をローマに向かって走ると、あまりに家が少なく、ローマ時代からたいして変化していないだろう風景に驚かされます。
 海沿い(ないし川や湖のほとり)のワインは、トスカーナに限らず世界じゅう、しっとりとした質感、やわらかい果実味、まるいタンニンと酸を備えています。ボルドーのフロンサックとリュサック・サンテミリオンを比較すればすぐにわかります。内陸のサンジョベーゼのごりごり感・ごつごつ感がいやなら、当然いまは海沿い産地に注目すべきなのです。
 それと同時にトスカーナの白も知らないうちに驚くべき進歩を見せています。しょうもないトレッビアーノと薄くて酸っぱくて苦いヴェルナッチャというのは大昔の話です。今回、最南端産地アンソニカ・コスタ・デッラルジェンタリオとボルゲリでつくられるヴェルメンティーノ(プラス、マンゾーニ・ビアンコ)のワインをお出ししましたが、すっきりとして大変にミネラリーな冷涼な味わい。暑くるしいもったり味の正反対。赤ワインより白ワインのほうがいい、とおっしゃっている方さえいました。
 パッリーナの楚々としてキメ細かく、かつフレンドリーなサンジョベーゼも魅力でしたし、なんといっても皆さんが驚いたのは、モレッリーノ・ディ・スカンサーノ協同組合のワイン。グロセットにある比較的大きなショッピングモール内のスーパーで買ったものです。これがしなやかでおおらかでリッチかつ抜けがよい、見事な味わい。値段も当然手ごろ。協同組合ワインが成功するときは、本当にバランスがよい、いかにもその土地らしい味のワインになると思います。地元スーパーで売っている、大手Sensiの安価なボルゲリも見事。砂地のボルゲリらしさがよく出たしなやかでいて強い味。かの有名なグレート・ヴィンテージ1998年のオルネッライアと比較すると、この20年間の進歩がよく理解でき、むしろこのスーパーマーケットワインのほうが時間軸上の密度が均一で、アタック重視、ミッドの密度重視で余韻が落ちて下半身が弱いオルネッライアよりおいしいと思いました。ワインの味に過剰な思い入れや狙った感が見えないのがいい。多くの高級ワイン、高評価ワインは、あまりに人的要素が強すぎて逆に自然との接点が希薄になると常々思います。そもそも98年(ボルゲリのグレートヴィンテージ)のオルネッライアはブレタノミセスが感じられます。昔はこれでもOKだったのでしょう。自分の味覚も向上したのでしょうか。
 最後はビオディナミの二本。ボルゲリ域内のサンジョベーゼ&メルロ、モンテスクダイオ域内のカベルネ・フラン。これらのダイナミズム、気配の広がり、後方定位性、質感の緻密さと厚み、タンニンと酸のまろやかさと強さの高度な両立はおそるべきレベルです。前者はキャンティのフォントーディが作るテラコッタでの熟成。外国のクヴェヴリやティナハではなく、トスカーナの陶製甕というのがいい。樽熟成していないためボルゲリとは名乗れない、と言いますが、樽風味がないぶんピュアな果実とミネラル、そしてボルゲリならではのリッチさと涼しげな香りがストレートに表現されています。後者はサンジョベーゼではないためモンテスクダイオとは名乗れませんが、まさに海沿いトスカーナらしい塩味と穏やかな広がりがあります。これも樽熟成ではなくコンクリートタンク熟成。こうしたピュアな味わいに馴れると、樽がもたらす余分なタンニンや風味が邪魔に感じられるようになります。
 こうしたワインを飲むと、トスカーナっていいな、と思えます。最近やたらラグジュアリーイメージが強いトスカーナですが、ミラノやローマでトスカーナ訛りのイタリア語(本来トスカーナ方言が現代イタリア語の基礎となったにもかかわらず!)をしゃべると田舎者だと思われるそうです。実際トスカーナは田舎です。その田舎性が3,40年前には新鮮に感じられた記憶があります。無用に着飾っては逆に恥ずかしいのです。
 

2018.12.19

初心者講座 シャンパーニュ

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 この時期、なにかとお世話になる機会が多いシャンパーニュ。ですから12月の初心者向け入門講座はシャンパーニュをテーマにしました。
 シャンパーニュはワインであると同時にシンボルであるような典型的なアイテムです。ある意味、シャンパーニュであること自体が価値です。ハレの日にはシャンパーニュ。何かお祝いしたい時にはシャンパーニュ。食前酒としてのまずはシャンパーニュ。ほうっておいてもシャンパーニュがそのような意味をもつわけではなく、シャンパーニュ自身がそのようなものとして自らを位置づけ、不断のマーケティング努力によって勝ち得た意味です。そこでは内容との直接的な関係はありません。紅白饅頭は、基本的なスタンスとして、紅白饅頭が配られる一連の儀式の中のシンボルとして見るべきなのか、それとも菓子そのものとして見るべきなのか、といえば、当然前者です。そこで赤いお饅頭の色は人工的な色素なので自然ではないからダメだ、といった議論をしてもしかたありません。実際のところ、ワイン初心者にとって、シャンパーニュは分析の対象としてのワインではなく、ハレの日を彩るシンボルとしての意味のほうが大きいはず。だとしたら、そこでマッシフ・ド・サンティエーリーがどうしたこうした、タイユを入れるべきか否か、といった話をいくらしてもたいした意味はありません。まずはここの議論をしっかり踏まえるのが大事です。もしどのようなブランドがどのような意味作用をもつのか、といった議論をするなら、それはそれで楽しいでしょうし、ある種の人には役に立つことでしょう。しかしそれは私がこの講座で扱いたいテーマではありません。どのようなワインであれ、その内容にのっとった価値を自ら発見することが大切であって、世の中に流布している意味作用を無自覚的に受容することがワインのためになるとは思わないからです。
 次にはシャンパーニュの本質規定を考えました。発泡ワインならばシャンパーニュでなくとも今や世界中に選択肢はあります。その中でシャンパーニュを選ぶとするなら、そこには正当な理由が必要です。もしシャンパーニュの本質とはずれた特徴をシャンパーニュに求めているなら、シャンパーニュにとっても消費者にとっても不幸です。初心者にとって大事なのは、シャンパーニュが北限の産地だと知ることです。
 テイスティングは、まずシャンパーニュ2本とクレマン・ド・ブルゴーニュとオーストラリアのスパークリングの計4本のブラインド比較。質問はふたつ、どれがいいワインか、というのと、どれがシャンパーニュだと思うか、です。明らかに一番よいワインだと個人的には思ったフランシス・オルバンの単一村ピノ・ムニエ単一品種のワインを一番よいワインだと思われた方が一番多く、二番目によいワインだと思ったヴァンサン・ブーズローのクレマン・ド・ブルゴーニュがよいと思われた方が二番目に多かった。そしてどれがシャンパーニュかと思うかとの問いには、フランシス・オルバンが一番多く、ヴァンサン・ブーズローは二番目。簡単に言うなら、一番いいワインがシャンパーニュ、だという観念がテイスティングに先立っているからです。しかしオルバンのピノ・ムニエのワインは典型的なシャンパーニュとは違います。それがシャンパーニュだとブラインドでもわかったのはすごいことですが、もしシャンパーニュらしさを理解した上なら、ドラモットがシャンパーニュだと思われた方がひとりもいないという事態を説明できません。ドラモットは基本3品種をブレンドし、ワインの味わいの中にあの独特のチョークの味があり、質感が緻密で酸がしなやかに強い、いかにもシャンパーニュなシャンパーニュだと個人的には思っていますが、いいワインだと思った方もおらず、シャンパーニュだと思った方もいない。内容と名辞の不一致。ここをどう考え、どう解決するかです。
 シャンパーニュらしさを考える上で、ふたつ大切なことがあります。格付けと製品構成です。前者は土壌から見て端的に言うなら、チョークがあればあるほどよい、という観念を表し、後者は澱との接触時間が長ければ長いほど、つまり酵母の死骸の味がすればするほどよい、という観念を表しています。フランシス・オルバンをシャンパーニュらしいと思った方が大半だったのでその理由を聞くと、熟成感といった答えが返ってきました。主観的な好き嫌いはともかく、それは正しい認識です。残るはチョークらしさです。チョークの興味深い特性は、1立方メートルあたりなんと300から400リットルもの水を含むということ。つまり水分ストレスがない味になるということ、果皮感のない味=果汁感のみの味になることです。搾汁率に対する厳密な規定もそこに関わっていると考えられます。
 2番目のフライトは、同じ生産者、同じ畑で、ブリュット、ドゥミ・セック、ブラン・ド・ブラン、ロゼの比較。甘さが異なると何が変化し、何が変化しないか。ピノ・ムニエ90%シャルドネ10%のワインとシャルドネ100%のワインでは何が異なるか、ブリュットに赤ワインを入れたら何が変わるか、を確認しました。製法や規定ならいろいろなところに書いてありますが、言葉だけ覚えてもしかたない。味として、個性として、機能(なんの役に立つのか)として感覚で理解することが大事です。
 ワインに関しては初心者はすぐに生産者の名前を覚えるという方向性に行ってしまいますが、その前にやらねばならないことはたくさんあります。何を買うか、以前に、自分はどのような特性を欲していて、その特性を得るためにはどのような要件(品種、土地、ヴィンテージ等)に着目しなければならないかを考えましょう。

2018.12.12

サヴニエール

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 ロワール白ワインの王はサヴニエール。当たり前のことです。飲めば分かる別格のスケール感と厚みと長さ。しかし、あまり見かけません。かろうじて見かけるとしたらニコラ・ジョリーのクーレ・ド・セランですが、それを買う人は、本当にサヴニエールが好きでクーレ・ド・セランの個性を欲して買っているのかははなはだ疑問。たぶん、有名だから、という理由でしょう。
 ワイン教育=有名な名詞の暗記、といった状況では、ロワールに限らず世界じゅうのワインが実体的内容ではなくブランド価値で評価されることになる。そもそも、もし世の中じゅうのクーレ・ド・セランの消費者が、クーレ・ド・セランの個性を十分に考えた上で好きで買っているなら、消費者からの適切なフィードバックが生産者にあったはずで、ニコラ・ジョリーの80年代から90年代のスタイルがあんなに迷走することはなかったと思います。
 往年の彼のスタイル、すなわち硬くて酸が強くて神経質な早摘み味は間違いです。シュナン・ブランは少し貴腐がついたほうが必ずおいしい。往年のサヴニエールだってそうだったはずですし、ニコラの母親が造っていたワインもそうでした。あの早摘み時代のニコラ・ジョリーのワインは、正直言っておいしくなかったわけで、それでビオディナミと言われても困るというか、ビオディナミへの疑問を抱かせるネガティブな効果さえありました。
 私は90年代末、最初にニコラ・ジョリーに会った時、クーレ・ド・セランは95年モワルーが一番だとちゃんと伝えています。クーレ・ド・セランもロシュ・オー・モワンヌも本来ボーン・ドライではいけない、貴腐をつけるべき、と。ありがたいことに、2001年、貴腐がついてとろりとしたワインに仕上げてからのニコラ・ジョリーは、特に娘ヴィルジニーが醸造を手掛けるようになった貴腐の年2004年からは、彼らは方向転換して積極的に1割程度の貴腐ブドウをブレンドしています。今では、サヴニエールで一番収穫が遅い生産者は、一番早い人から3週間後のニコラ・ジョリーです。
 早摘みシュナン・ブランが嫌いな私としては、現在のニコラ・ジョリーが理想のスタイルなので、暑かった今年の収穫時9月初頭にも彼にメールして、「絶対にまだ収穫するな、アルコールの高さと酸の低下を恐れてはいけない。熟していないブドウにテロワールの表現はできない」と書きました。彼は、「周囲はもう収穫している。ヴィルジニーは不安がっているが、私もまだだと言っている」と。アンジュー地区のあるべきシュナン・ブランはフレッシュ&フルーティなどではありません。なぜアンジュー地区は甘口アペラシオンがあんなに多いのか。コトー・デュ・レイヨンからロワール河を渡って反対側にあるより乾燥したサヴニエールでは貴腐がつきにくいのですが、それでも貴腐がつかないわけではありません。
 
 なぜサヴニエール、ないしアンジュー全体が理解されないか。パリのワインバーやそれなりにワインにこだわったビストロに行ってアンジュー・ブランがない状況というのは考えられないでしょう。そこには正当な理由があります。ところが日本でロワールといえばまずはサンセール、そのあとヴーヴレでしょうか。ロワール白の個性は、と、そこそこワインを知っている人に聞けば、冷涼でアルコールが低めで酸が高いすっきりしたワイン、との答えが返ってくるはず。だから中途半端な勉強は迷惑なのです。そう思ってアンジュー地区の白ワインを飲めば、イメージとは異なって戸惑う。ねっとりして重ための味だからです。サヴニエールもその延長線として見ることができます。それをネガティブにとらえる人ばかりだから、サヴニエールがきちんと理解されないばかりか、早摘みワインがもてはやされることになる。早摘みしたアンジューやサヴニエールは、サンセールやヴーヴレに似てくるからです。
 
 今回はまずソーミュールとサヴニエールの比較から始めました。ソーミュールも悪いワインではありませんが、サヴニエールの凝縮度はけた違いです。格の違いは、値段の違い以上にあると思います。
 それから畑違い。砂岩、片岩、リオライトという3つの主要構成岩石によるワインの特徴を理解しました。また今回は公式的にINAOにグラン・クリュ申請をしている5つの畑のうち4つ、クロワ・ピコ、クーレ・ド・セラン、ロシュ・オー・モワンヌ、クロ・デュ・パピヨンをお出ししているので、そうではない畑のワインと比較し、明らかにグラン・クリュ候補のワインがきちんとグラン・クリュの味がすることも理解しました。細かさ、伸び、佇まいの整い方が違います。
 クーレ・ド・セランは2つのヴィンテージ、2007年と2016年。それまでのサヴニエールも見事ですが、クーレ・ド・セランはさらに格が違う。これぞビオディナミのグラン・クリュというスケール感、ダイナミズム、複雑さ、圧倒的な余韻。2007年で15・5度、2016年で15度という恐ろしく高いアルコールにも関わらず、中身があるのでアルコールを感じません。今の気候なら完熟したらこのぐらいのアルコール度数になる。それを無理やり早く収穫して13・5度にしたら不自然になるか、本来のポテンシャルを発揮できなくなるか、です。
 2007年は、当時は最高傑作だと思っていました。ものすごいパワー感です。しかし前に出てくるだけではなく、優れたビオディナミ独特の後方定位と渦巻状の動きがあります。今飲んでもこの好ましいビート感は魅力的です。
 2016年は一転して平穏で慈愛に満ちた味。2015年以降はまたスタイルが変わって、穏やかな温度感がありますが、2016年は2015年よりさらに凝縮度が高く、悟りを開いたかのように安定しています。何が変わったのかとヴィルジニーに聞くと、栽培も醸造も変えていないのだけれど自分自身が変わった、子供ができたことが大きい、と。参加者のおひとりが「お母さんの味」と表現されていましたが、その通りです。長らくクーレ・ド・セランをご無沙汰していた人には衝撃的な違い。以前とは似ても似つかぬ静謐で高貴なワインです。酸酸酸酸言っている日本の多くのプロやワインファンには到底評価されないでしょうが、私はこれが正しいサヴニエールの在り方だと思います。ニコラ・ジョリーの長年の苦闘が実を結んでこのような美しい世界に到達したことに泣けてしまいます。
 ただし、ジョリーのワインは生き物なので、周囲の状態が悪いと、まして根の日や葉の日に飲むと、とんでもない味になりがちです。昨日のような味が他でも得られると思ったら間違いです。普通はもっと角が立った味です。そしてクーレ・ド・セランのような本当のビオディナミワインに対して、いま私が使用している田中式テイスティングカップ・バージョン3は大変に役に立ちます。
 最後二本は甘口。甘口といってもあまり甘くありません。それがサヴニエールの甘口の素晴らしいところですし、甘くなってもサヴニエール独特の硬質なミネラル感は失われず、バランスがよい味。早く収穫するより遅く収穫して甘口にしたほうがいいと、実際にテイスティングしてみれば分かります。
 
 そして今回の講座のもうひとつのテーマは、ニコラ・ジョリーが見つけたルドルフ・シュタイナーの手稿に記されている星座と石の関係です。私はそれを彼の部屋で見つけ、彼とそのことについて議論し、画期的なアイデアを考えました。講座にいらした方にはそれをお伝えし、実際に実験してお見せしました。一度経験したら二度と後戻りできない巨大な効果。世界じゅうで昨日の講座にお越しの方のみがその作動原理と結果を知っています。それにしてもルドルフ・シュタイナーはなんでこんなことを思いつくのか!普通に聞けば、バカか、と言われて終わり。ですから詳しくは書きません。しかし実際にやってみると効果絶大。それと同時に、ビオディナミもまだまだ知られていないことがあるのだと思いました。ルネサンス・デ・ザペラシオンの生産者たちが70人ほど来年11月に来日するはずですが、その時にセミナーを開催して広く発表してもいいかも知れません。
 

2018.11.20

初心者講座 リースリング

 

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カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワール、シャルドネと続いた初心者向け講座品種編の第四回目。リースリングについてお伝えしました。
    リースリングはワイン好きではない人にとっては日本の日常生活になくても困らない品種です。一所懸命「リースリングはフードフレンドリーだ」、「リースリングをカジュアルな集いの場に」と言ってプロモーションしようとしても、それは無理です。
   リースリングを日本食に合わせるのは相当難しい。なぜならリースリングは固く、日本食は柔らかい。リースリングは極めて垂直的で、日本食は水平的。リースリングは硬質なミネラル感が特徴で、日本食はジューシーな旨味が特徴。どんな観点からも合致しない。「繊細な日本食にはアルコールが低いリースリングが合う」といった説明を聞いた事があります。しかしそれが正しいなら、アルコールがワインより高い日本酒は合わないはずです。「日本食には酸がないので酸が強いリースリングを合わせるとバランスがよくなる」という、日本で一般的なマリアージュ理論に至っては、実際に試したことがあるのかと疑ってしまうほどです。例えば海老天ぷらと辛口リースリング(ラインガウのグローセス・ゲヴェックスとか)を合わせると、海老の甘みや粘りがなくなってしまい、天ぷらがまずくなる。天ぷらと古典的なビンテージの酸っぱいシャブリ(モンテ・ド・トネールとか)の組み合わせも最低ですが、それと並んでひどい。そして酸があるから日本食に合うというなら、酸がない日本酒は合わないということになる。それはおかしいと経験上分かります。つまり、ここで合う合わないを決めるのはアルコールでも酸でもないはずです。私は昔、日本を代表するワインジャーナリストの方々とドイツワインの代表者の方々がドイツの和食店で集まって、ドイツワインと寿司と天ぷらを合わせてそれがいかに素晴らしいマリアージュかを確認するという会でお話を伺う機会がありましたが、非常にインパクトのある会でした。最高の味覚を持つ方々というのは、こういう組み合わせの味を良いと言うのかと勉強になりました。ともあれ自分が美味しいと思えないものを美味しいとは言えません。私はノーコメントを通しました。
   リースリングは飲み手の意識を集中させる力と複雑さがあるため、カジュアルな集まりで歓談しながら飲めません。ベートーヴェンの交響曲がそういった場に流れていても邪魔になるようなもの。だからといってベートーヴェンの音楽が悪いわけではなく、それを流す人が間違いなだけ。適所適材はあらゆる文化的消費の基本です。
   つまりリースリングは高貴品種の中の高貴品種であり、ゆえにマリアージュやパーティーといった文脈依存を自己存立の前提としない。リースリングとはワインだけで鑑賞するに最高の品種。ゆえにワインファンにとってはなくてはならないが、ワインファンではない一般消費者にはなくても困らないワインである、という最初に述べた命題につながるのです。自分にとっては、これこそ初心者がリースリングに向かう際に最初に知っておくべき姿勢だと思っています。オーストラリアで8番目に栽培が多い品種だとかの情報から入っても仕方ない。
   
   最初は三本、リースリングを含めた3種類の品種のワインを出して、どれがリースリングですか、と聞きました。リースリングについて一切の情報がない人はさすがに初心者でもいません。リースリングとはこれこれの特徴があります、と誰かからどこかで聞いています。その特徴の代表とは、リースリングは酸っぱい、か、リースリングはフルーティ、でしょう。出した三本は、シャルドネ、リースリング、ヌラグスでした。シャルドネは相当酸っぱい。ヌラグスはフルーティ。この投稿を読まれている方は、どうしてヌラグスとリースリングを間違えるのか、と思われるでしょうが、それは先入観次第です。シャルドネもしかり。多くの人は、シャルドネは樽が効いたコッテリした味だと思っています。お出ししたのは樽を使っておらずマロラクティック発酵なしのマコンです。相当酸っぱい。そして酸っぱい=リースリング、と判断します。最大の問題点は、リースリング=ペトロール香という往年の教育の影響です。ペトロール香がしないものはリースリングだと思われません。ところが良いリースリングはペトロール香がしないものです。さすがに最近はリースリング=ペトロール香とは言いませんが、昔どこかでそう聞いてそのまま情報を上書きしていない人は、そう信じています。
   そのあとは五本のリースリングをテイスティング。本当に素晴らしいワイン。1番目のワインは完全に鑑賞用。完璧に近いリースリング。4番目はコッテリして中では料理向けの個性。3番目は明るい性格で、1番目と4番目の中間。それぞれ、ドイツ、フランス、オーストリア。いかにも。2番目はクレア・ヴァレー。タイトで生真面目。新世界のリースリングの代表の一つ。そして5番目は必ずしも最上と言えない場所であってもリースリングは高貴な性格を失わないという好例、グーツワイン。
   カベルネやピノはここで飲まずとも素晴らしいワインを飲む機会は沢山ありますが、リースリングの場合はそう多くはない。しかし最上のワインを飲んでおかないとリースリングは永遠に分かりません。なぜなら文脈依存型ワインではないからです。

2018.11.18

オーガニック・フランチャコルタ

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名前は有名でもいまひとつ必然性が見いだせないワインだったフランチャコルタ。概して高級イタリア料理店でのシャンパーニュ代替品的な位置づけ。シャンパーニュのイメージとブランド力が好きだがイタリア料理店でフランスワインを置くわけにもいかず、似たようなフランチャコルタで満足させる。それはシャンパーニュにもフランチャコルタにも失礼な態度だし、本当にイタリアワインが好きなのかという疑問さえわく。
 
フランチャコルタは食前酒にはならない。パワフルすぎる。それを重たいくどいとネガティヴに捉えるなら、どうぞ薄いシャンパーニュでも飲んでいて下さい。フランチャコルタは見事な食中酒です。単体で飲むと常に気になる苦みやゴツさは、料理と合わさるとそれがフックになって両者が乖離しない。そう捉えると、こんなに使いやすいワインもない。特にサテンの質感の穏やかさ、料理の味を強引に切らない節度ある炭酸ガスの量は、食中酒として傑出している性質だ。
 
2011年から産地を挙げて環境保全型農業を推進し、フランチャコルタコルタ委員会によれば、今では半分の畑がオーガニックないし転換中だというフランチャコルタ。フランチャコルタはオーガニックワインの世界的中心地の一つだ。オーガニック化は本質的な品質向上に明らかに寄与している。数年前までとは違う。ダイナミズム、スケール、ディテール、ライブリネス等すべてが違う。昔の印象を引きずっているなら大いに損をする。
 
今回はフランチャコルタの北端から南端のワインをテイスティングした。フランチャコルタは産地の創始者ベルルッキや最初期に参入したカデルボスコやベラヴィスタの畑があるモレーン土壌のワインと、最近流行りのイゼオ湖東側や産地東部の丘陵や南のモンテ・オルファーノの石灰岩土壌のワインに大別される。瓶写真左から1番目、2番目、4番目がモレーン土壌のワインだ。
 
石灰岩土壌のワインは、シャンパーニュ的な味になる。つまり引き締まった酸と硬質な骨格を備え、分かりやすいミネラルが特徴だ。それはそれでいいが、そちらの方がいいとする論調には反対だ。オリジナルのフランチャコルタのモレーンならではのソフトなフルーティーさ(温暖なイタリアで寒冷地ブドウを栽培して8月中に収穫するような産地なのだ)の魅力を忘れては、フランチャコルタを飲む意味が薄れる。スパークリング=シャンパーニュという一元的価値観に対して異なる美意識を偶然とはいえ提出したところにフランチャコルタの創造性があるのだ。ゆえにシャンパーニュ絶対主義への反動的回帰を目論む言説には警戒が必要だ。
 
ボノミはオーガニックではないが、熟成期間の短いロゼはかれらが除草剤や殺虫剤の使用をやめた後のヴィンテージのものなのでここに含めた。また産地南端の特徴がよくわかるワインだ。それ以外は全部オーガニックないしビオディナミ。どれも見事だ。ビオディナミの1701はワイナリーで試飲した時よりもずっとよい。その時は茫漠とした印象もあったのだが、テイスティングカップで飲むと隠れていたディテールが見えてきて、細かい味が一箇所に留まらずに自然なゆらぎが感じられる。まさにビオディナミである。
 
フランチャコルタ域内にありながら、発泡ワインではなく伝統的なメルロの赤ワインを作るピアノーラが、昔の修道院のワインを再現した、薬草浸漬甘口メルロは圧巻の出来。さすが受胎告知修道尼院の隣の畑。すごいエネルギー。飲んだ瞬間に元気になる感覚。昔の修道院は病院でもあったわけで、このようなワインを飲めば確かに元気になっただろう。これを飲むと、やはりこの地は発泡ワインではなくメルロ、それも甘口メルロを作るべきではないのかとさえ思う。極小生産量でワイナリーに行かないと買えないようなワインだが、ミラノから1時間かけて買いに行く価値は確実にある。

2018.10.24

ヴォルネイ

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 久しぶりにヴォルネイ。以前のモンテリーの続きとして見ていただくと、隣りの村でもどれだけ違うのかがよく分かります。
 ヴォルネイは小さい村で、他の多くの村よりもキャラクターの統一性があります。モンテリーのように、ヴォルネイ側とオーセイ側と違いすぎてわけがわからない、ということはありません。ではそのキャラクターとは何かということを、ブラインドテイスティングを通して探求しました。
 興味深かったのは、この5本のうち、ヴォルネイ村にドメーヌがない一軒のワインだけが、まったく個性が異なっていたことです。「どこの村だと思いますか」と聞くと、「明らかにコート・ド・ニュイ」、「ブロションかな」と。私もジュヴレっぽいと思いました。そしてそのドメーヌはジュヴレ村にあります。どう解釈すればいいのか。その村の地付き酵母の味なのか、それとも造りての頭にある理想の味がジュヴレであって、そのイメージが転写されたり、無意識にもそう造ってしまうのか。このような経験は何度もあります。そのドメーヌの中で比較するなら確かにヴォルネイはヴォルネイらしいのに、ヴォルネイ村の生産者のワインと横並びにしてしまうと異質感が目立つ。ネゴシアンのワインよりもドメーヌのワインのほうがいい、という意見の背景には、このような事態があるのではないか。ところが昔と異なり、今ではどの村にドメーヌがあろうといろいろな村の畑を所有していますから、これはネゴシアン対ドメーヌの話というより、ワインのアペラシオンの村と蔵の所在地が同じか否かの話なのです。
 私個人としてはモンティーユのミタンが一番好きでした。ビオディナミ栽培のエネルギー感と全房発酵独特の複雑性。モンティーユの知的な冷たい味は必ずしも好きではないとはいえ、そして涼しい年には茎っぽさが目立つとはいえ、09年のような暑い年にはちょうどいい。そもそもヴォルネイは暑い年でも決して暑苦しくならないのがいい。
 ミタンはマイナーな畑です。しかし、現在の格付けよりもむしろ信用できると思う1860年の格付け(1級、2級、3級に分かれる)ではミタンは1級。クロ・ド・シェーヌやブルイヤールは2級です。その違いは立体感や複雑性に出ていると思います。
 マルキ・ダンジェルヴィーユのフルミエは、よく言えば陰影感の濃さ、悪く言えばごちゃごちゃ感があり、好き嫌いが分かれるところです。十年以上熟成させても樽が目立つのもマイナス。しかし存在感の強さ、威厳は素晴らしい。05年というヴィンテージゆえでもあるでしょうが、骨格の確かさは傑出していました。
 私は昔は明らかに谷の南側の畑(シャンパンやタイユピエやクロ・ド・シェーヌやカイユレといった有名な畑が並びます)のワインのほうが好きでした。よりタンニンが細かくしなやかな質感だと思います。しかし最近はミタンやシャンランやフルミエのように谷の北側の畑のよさが分かるようになりました。ポマールに接しているこちら側のワインはよりスパイシーでタンニンに頑丈さがあり、逞しい。きれいごとにならない骨太感や土着的なパワー感や陰影感がいい。昔は奈良漬けのおいしさが分からなかったようなものです。経験を積むと、違う見方ができてくるもの。だからこうした比較テイスティングは楽しいのです。
 ちなみに食事は揚げカオマンガイでした。これがポマール側のヴォルネイとぴったり。さらっとしたローストチキンならムルソー側のヴォルネイが合うでしょう。いずれにせよ、ヴォルネイと鶏は絶対外さない相性です。
 

2018.10.21

初心者講座 シャルドネ

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 世界41か国で生産され、ゆえに世界じゅうどこに行っても見かけないことはないシャルドネ。この品種について基礎的な理解をしておくことは、初心者にとって大事です。今回は、シャルドネとはどういう味のワインなのかについて、ブラインドでの比較テイスティングを通して学びました。
 あれこれ解説しているときりがないですが、国やスタイルや土壌は多彩でも、シャルドネの味は強烈にシャルドネであって、標高が高ければ重心が上がる、涼しければ酸が強くなる、といった当たり前の差異を除けば、性格的にはどれでも同じといっていいぐらい。前回のピノ・ノワールの多彩な表現とはずいぶん違います。ゆえにつまらない。探求する価値があまりない品種です。
 多元的な表現をしないとなれば、価値尺度はひとつしかない。あとは価格の話しかできない。
 私はピノ・ノワールに関しては決してブルゴーニュ万歳の立場を取りませんが、シャルドネに関しては熱烈なブルゴーニュファンです。今回のラドワも圧巻です。というか、このラドワは、日本に輸入されていませんから飲んだことがある人のほうが少ないでしょうけれど、本当に素晴らしい出来です。ミネラリーでエレガントなブルゴーニュなのか、それとも果実味があって堂々としたカリフォルニアなのか。そのふたつで選択肢としては十分。そういった意味では初心者にとって選びやすい。
 微温感、水平性、粘り、粉っぽい質感、比較的抑制された鼻腔まででとどまって伸びない香り、流速の遅さ、ねっとり続く余韻。これらシャルドネの特徴を生かす料理ないし食品は、なんといってもチーズとハムです。たとえば夜9時にテレビでも見ながら、冷蔵庫にあるチーズとハムを出してきてソファでワインを飲む、といった、いかにも家庭でのワイン消費様態を想定するなら、選ぶワインはシャルドネに尽きる。スーパーでシャルドネを必ずおいているのには意味がある。
 飲んでいると口や胃にたまってきますし、相当しつこい。この味の引きづり感は味の素的です。多くの人がそれをうまいと思うのはしかたありません。

2018.10.19

アルメニア

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ジョージアワインを知っていればなおさらショック。隣の国で、同じコーカサス地域に分類されるのに、ワインの性格は完全に異なります。

    比較的重い土で石灰もある、標高低めのジョージア。軽い火山性の土で、標高の高いアルメニア。それだけではありません。民族性や文化の違いも感じられるのです。以前ジョージアの人が、ジョージアは武士でアルメニアは商人と言っていました。アルメニアは確かに商人国家としてペルシャとトルコの間で生きながらえてきました。イスラムの大国の只中にあるキリスト教の小国がアイデンティティを保ち続けるためには、大国にとっての存在価値がなければなりません。それが商いに長けたアルメニア人がもたらす商業利潤だったのです。というわけで、ジョージアが北京料理的味ならアルメニアは広東料理的味です。人の顔つきもそういう感じです。厳しいジョージア人に対して可愛いアルメニア人です。
    そしてジョージア語は他の言語との関係が不明な独自の言語なのに対してアルメニア語はインドヨーロッパ語族。だからアルメニアワインはオリエンタルな味がしません。確実にヨーロッパワインの味です。東方からの遊牧民起源を感じるブルガリア以上に、ヨーロッパです。地理ではなく味わいとしては、ジョージアとアルメニアをコーカサスワインとして一括りにしてはいけないのだ、と、御参加の方々は理解されたようです。
     アレニ・ノワール、特に道端で買ったワインの美味しさは圧巻です。家庭醸造のペットボトルワインだというのに恐るべきレベル。ちゃんとしたワイナリーの高価な瓶詰めワインより遥かにエネルギーがあります。
    ワインアカデミーで「好きなアルメニアワインは何か?」と聞かれ、「アレニの道端ワイン」と答えました。嘘でしょう!という顔をされました。「あれが外国人に評価されるワインだと思いますか?」、と。私は「もちろんです。あれが評価されないならアルメニアのPR不足が問題なのであってワインの問題ではない」。西欧におもねったワインなどいりません。皆がそう自信を持って言えるようになればいいのですが。
    最後はアルメニアン・コニャック。エレバンのヒンカリ屋で飲んだものと同じ、オトボルヌイ。参加された方々揃って大絶賛でした。アルコールっぽくなく、ちゃんと果実の香り味がします。粘り、厚み、腰の座りは、最初の二本の白ワインと同じ、典型的アルメニア白ブドウの個性。ブドウの多くは自根なはずなので、下方垂直性が顕著で、それが西欧のブランデーに対する大きな優位点になっています。私は蒸留酒を日頃口にしませんが、私でもついつい飲んでしまうほど美味しい。旧ソ連時代には共産圏のブランデーの供給源だったアルメニアの技術的蓄積を感じる完成度です。

2018.09.30

初心者講座 ピノ・ノワール

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 日本橋浜町ワインサロンにて、ワイン初心者に向けた入門講座の二回目を9月30日に行いました。初回はカベルネ・ソーヴィニヨンでしたが、今回のテーマはピノ・ノワール。人気の高い品種ですし、どの店にもありますから、ピノとはどういう個性なのかを知っておくことは役に立ちます。
 本当は、ピノはそんなに人気になるべきでもなければ、初心者向けでもありまえん。打率の低さとコストパフォーマンスの悪さでは世界最高(最低というべきか)だと思います。それ以上に、食卓ではあまり役に立たない。なぜなら、今回のようにいろいろなピノ・ノワールを飲めば分かるとおり、多くのワインが水平的で重心が高いからです。それでは料理との相性が限定されるだけでなく、ピンポイントで合わせないといけなくなるからです。
 ピノ・ノワールのワインがすべて水平的で重心が高いわけではありません。ラ・ターシュはどうだ、シャンベルタンはどうだ、と言われてしまえば、確かに前者は常に垂直的でしょうし、後者のほとんどは重心が真ん中でしょう。そこがむしろ問題なのです。よほどのワインでなければそうはならないのが普通。ピノ・ノワールはよい品種というより、よい土地か否かを判定することに長けた品種です。だから初心者や一般消費者にとっては役立ち度が低いのです。
 写真のワインをブラインドでテイスティングしました。多くの方が気に入っていたのは、そして私もいしたものだと思ったのは、マーガレット・リバーのピエロ。ボリューム感があり、大きく、下方垂直性があり、余韻が長い。そしてアルザス。複雑で立体感があり、料理との接点が多い味。単体で飲んだら決してエレガントとは言われない、典型的なドイツ系のアーシーでスパイシーな風味ですが、一般的にピノ的と言われるクリアーでピュアな風味(奥利根のものがその端的な例、よくここまで、と感心する)だけではないピノの魅力は、ドイツやアルザスのワインを飲むと理解できます。
 どれが新世界でどれが旧世界ですか、という質問の答えが大変に興味深い。多数決の結果、新世界だと思った方が多かったのは、日本、ニュージーランド、アルザス、イギリス、マルケ、マーガレット・リバーでした。ブルゴーニュのワインを新世界と思われた方が相当するおられたのがおもしろい。その意味は分かります。ブルゴーニュは相当程度、幻想の中に生きています。他ワインの十倍の価格のグラン・クリュではなく、他と価格を揃えて村名ワインで比較すれば、多くのブルゴーニュは案外と余韻が短く小さく単調なものです。そして相当にモダンな味がするものです。多くの方が旧世界だと思われたのはドイツ。つまり、最もフルーティタイプの逆。皆さんが何をもって旧世界と考えるのかが分かります。
 個人的に最も印象的だったのはイギリスのワイン。最も垂直的で、最もミネラリーで、最も余韻が長い。これを多くの人がブルゴーニュだと思っていました。最上のものがブルゴーニュであるというイメージを作っているのがすごいマーケティングです。そこから自由になり、公平な視点とぶれない判断基準を獲得しないと、ワインはおもしろくなりません。
 初心者講座というと、すぐに有名高価ブランドの名前を出したがるのは最低の行為です。みなそんなにロマネ・コンティやラフィットばかり飲むのか。日常の暮らしをワインをもって豊かにするためには、名詞を覚えることから初めてはいけない。ワインの見方、とらえ方から固めていかないと、一生、名詞とお金にふりまわされることになります。