2020年にテイスティングした、最も印象的なワインを20本選んだ。他にもいろいろと候補はあるのだが、写真のために、あくまで手元に瓶が残っているものから選んだ。
おいしいものはおいしい。そこにバイアスはない。教条主義的、原理主義的な予断を含んだ態度でワインを飲むと、せっかくそこにあるというのに宝が見えてこない。とはいえチョイスのうちほとんどはビオディナミやオーガニック(認証あるなしにかかわらず)を採用している。それは誰にとっても今や基本だろう。
選んだワインを振り返ってみると、エネルギー感、張り、広がりがあるもの、自然の美しさが立ち現れてくるもの、造り手の気持ちが乗り移っているもの、全要素が整合性をもって(モワレ模様感のなさ)向こうまで見渡せる晴明さを備えているもの、といった共通点はあると思う。客観的によいワインだとしても、左脳本位的冷淡さは嫌いだし、思いに技がついていかないのももどかしいし、土地の味がしないのは論外だ。
2020年に繰り返し言っていたのは、完熟していないブドウからは最上のワインは、いかに優れた土地で卓越した技術があったとしても、生まれようがないということ。ひとことで言うなら、反・早摘みワイン。Zoomセミナーの講師としてお招きした、ニコラ・ジョリー、ミシェル・シャプティエ、オリヴィエ・フンブレヒト、ジャン・ミシェル・ダイス、仲田晃司、ジェラール・ベルトラン、チェレスティーノ・ガスパーリ、ジャン・マリー・ギュファンといった方々も、当然ながら同じ主張をされていた。それが当たり前でないのがいまのワインの問題なのだ。
1、Chateau d’Yquem Sauternes 2017
すごすぎるほどすごいのだが、すごいことを忘れてしまうほど、ただただワインの美しい世界に没頭できる幸せ。完璧、というのはこういうワインに対して使うべき言葉だ。磨き上げられた微細なディティール感、ピュアな果実味、びしっと筋の通った垂直的な形、ビビッドな酸、等々、素晴らしい理由を挙げていればきりがないが、すごいのは要素ではなく、全体の高度な調和だ。以前のイケムより遥かにフレッシュで、今飲んで美味しい(もちろん何十年も熟成するだろうが)。甘さやパワーではなく、純度と気品とフォーカスを求めるなら、2017年はソーテルヌにとって本当に偉大なヴィンテージだ。
2、Denis Montanar Verduzzo 2012
次元が異なるエネルギー感。通常の表現ではその別格の魅力を表現することが不可能なぐらいの、経験したことのない深々とした味わい。これほど自然と生産者と直結した気持ちになれる、造りこまれたのではなくおのずから現出したかのような生々しいワインはめったにない。ビオディナミの亜硫酸無添加のアンバーワインと説明してしまうと、「ああ、流行りのタイプね」と安直な理解をされそうだが、実際のワインはその予想を気持ちよく裏切る完成度。ヴェルドゥッツォ品種の本当のポテンシャルを初めて知った。同じ生産者のレフォスコのロゼ、2011年の官能性も素晴らしく、どちらを選ぶか悩んだ。
3、Fermier El Mar Susurro de la Tierra 2019
ここ何年かのフェルミエの品質向上は顕著で、以前の理知的で繊細であっても躍動感や立体感に不足したもどかしさは過去のものになった。樹齢が上がってきたという理由もあろうが、造り手自身の練達、そして思想的な変化が決定的な理由だろう。それに関しては私も少しは貢献できたと自負している。この野生酵母発酵、亜硫酸無添加の新作は、フェルミエにとって、そして新潟コーストにとって、明らかなブレークスルーとなる傑作。退屈な予定調和感、冷え冷えとした技術先行感、理屈っぽいナチュラル演技感が皆無で、堂々として厚みがあり、大地から盛り上がるようなエネルギーに心身が熱く満たされる。
4、Oddero Barolo Rocche di Castiglione 2015
言わずと知れたバローロ最高の畑のひとつ、ロッケ・ディ・カスティリオーネがどれほど別格的なのかがよく分かる。多くの人がバローロに対して抱くイメージとは違い、ごりごりするタンニンやあからさまな強さはなく、すっきりと細やかな味わいとキュンとした酸とふわーっと広がる気品ある香りは、心乱されるほど美しい。ブラインドならブルゴーニュのグラン・クリュと言う人もいるだろう。同等の陶酔的充足を与えてくれるワインは世界にそうは多くないという文脈で見れば、これは驚くほどお買い得なワインだ。なぜ2015年、と訝しがるだろうか。確かにストラクチャーが緩い(ゆえにバローロに期待するキャラクターに合わない)ゆえに低評価のヴィンテージ。しかしこの年の朗らかさ、裏表のなさ、柔らかさ、香りの外向性がロッケの魅力をむしろ高める。バローロに対する一面的な理解から脱却するためにもこのワインは必須だ。
5、St. Antony Puttenthal GG Riesling 2018
私にとってリースリング最上の畑のひとつは昔からプッテンタールなのだが、残念ながら以前は農薬味のワインばかりだった。しかしこのワイナリーは最近ビオディナミを採用。ついに、ついに、ついに、プッテンタールの実力が全開となった。この強靭な上にも強靭なミネラル感、ぶれない太い骨格、粘りと流れのスムースさ、純度と複雑さの両立。自らを持て余すほどの力がありながらも気品を放射する真のGGリースリング。繊細だとか優美だとかの形容詞でリースリングを評するのは、リースリングの恐ろしさへの無知を露呈するのみ。
6、Domaine Matha Marcillac Rose Vignou 2018
フランス最高のブドウ品種のひとつでありながら、最も知名度の低いといえるのがフェール・セルヴァドゥー。そしてこの品種最上の産地が山奥にあるマルシヤック(ここではこの品種をマンソワと呼ぶ)。気温が低かった昔はタンニンが熟さなかったのか、また農薬ワインばかりだったから、えぐくて青いワインが多かった。気候変動はマルシヤックにはプラスに働き、この生産者のようにオーガニックも徐々に増えてきたから、最近は本当においしい。驚かされたのは市場でまったくと言っていいほど見かけないロゼで、この品種らしい筋の通った硬質なミネラル感と酸が際立つ。それにしてもマルシヤックはいまだ不当に安い。内容ではなく名前を買う人(残念ながら日本の大勢のワイン通)にとって、無名のマルシヤックなどなんの価値もないからだろう。
7、Cascina Tavijn VdT Vino Rosso Teresa 2015
モンフェッラートの希少な地場品種ルケの。実質オーガニック亜硫酸無添加微甘口赤ワイン。ルケの魅惑的な甘い香りと分厚い質感の濃密な果実味と強いタンニンが絶妙な甘さ(ほぼ辛口と言っていいぐらい)に包まれて、官能的な飲み心地をもたらす唯一無二の個性。サラミやゴルゴンゾーラ・ドルチェと天国的な相性で、やめられないおいしさ。飲み方を心得ていれば他に得難い満足を与えてくれる、家庭のセラーにこそ勧めたい傑作。
8、Domaine de Lafage Coteaux du Quercy La Suite 2018
パリでソムリエをしている知人と、今注目の産地はどこか、という話をしていて、ふたりの答えは同じ、コトー・デュ・ケルシー。カオールの南にあるこの比較的新しいAOPは面積が290ヘクタール、年間生産量8000ヘクトリットルしかないため、知名度は低いが、ジュラ紀の粘土石灰質土壌に植えられたカベルネ・フラン主体にそれと相補的なマルベックをブレンドしたこのオーガニックの傑作を飲めば、ここが偉大なテロワールだと一発で分かるはずだ。緻密で堅牢で垂直的で高貴な、オーゾンヌ型の味。個人的にはグラン・ヴァン型のワインにとってコトー・デュ・ケルシーは南西地方最良のアペラシオンのひとつだと思う。ただそれだけに、ざっくりこってりして素朴な南西地方料理と野趣に富んだ南西地方ワインの紋切りビストロ的相性を求めるなら不向き。ゆえに登場する機会が現実的には皆無に近いという不幸。だが味が分かる人にとっては、こんなにお買い得なワインもない。
9、Domaine Maurice Schoech Alsace Grand Cru Kaefferkopf Contemplation 2018
近世アルザスで最上のワインのひとつと評されながら、単一品種全盛の現代にあってはいまひとつの味でしかなく、07年のグラン・クリュ昇格にも首をかしげるしかなかったケッフェルコフ。しかしゲヴュルツトラミネールとリースリングとピノ・グリの伝統的な混醸であるこのオーガニックワインは、ケッフェルコフはやはりグラン・クリュにふさわしい堂々たる存在感と気品を備えた畑であると証明する。いままでも2品種混醸は飲んだことがあるが、3品種混醸は次元の違う複雑さだ。彼らの混醸ランゲンも圧巻の出来だし、他にはフルシュテンタム、シュロスベルク、マンブールと珠玉のグラン・クリュを所有する注目の若手だ。値段も安い。しかし日本ではこうした優れたグラン・クリュの個性を素直に表現した普通のオーガニックワインというのは需要がないようなので、例によって、欲しいならばドメーヌに行くしかない。
10、Ghostwriter Santa Cruz County Pinot Noir 2017
ナチュラル志向の現代カリフォルニアを代表する生産者のひとり。サンタ・クルーズの硬質なミネラル感とちょっと冷たく緻密な果実味と伸びのある香りの個性が好きな私としては、そのサンタ・クルーズらしさとピノ・ノワールの個性が相乗効果をもたらすこのワインを嫌うはずもない。譬えて言うなら、1993年のブルゴーニュが好きな人向け。これを飲むと、今のカリフォルニアがいかに進化しているかよく分かる。昔より早摘みの味だが、フランスと異なり、昔が遅すぎたのであって、今が正しい。だから早摘み味が大嫌いな私も、カリフォルニアのピノの早摘み傾向には賛成だ。カリフォルニアのピノとしてはお買い得なのもうれしい。
11、Domaine Michel Magnien Morey-St.-Denis 1er Cru Climats d’Or 2016
私は昔からブルゴーニュの1級畑は混醸すべきと主張しているが、尊敬するビオディナミ生産者であるフレデリック・マニャンは、その伝統の方法を復活させた。このやり方は、一部の例外を除いて単一畑ではもっさりして単調なワインになりやすい(それはそれでまずいわけではないが)モレには特に効果的で、適度に色が混じり重なり合う油彩のごときモレ1級の個性を何倍にも魅力的に表現する。重心が低く、粘りがあり、土や黒系スパイスや黒トリュフや色の濃いドライフラワーの香り。ワイルドさを秘めたタンニンに、分厚い果実味。アンフォラ熟成ならではのやわらかさと安定感。ビーフシチューが食べたくなる!モレ1級畑を広範囲に数多く所有するマニャンだからできるワインだ。細分化の時代は早く終わって欲しい。これからは細分化して理解したテロワールの個性を相乗効果的に生かす総合化の時代だ。そのほうがワインもおいしくなり、食卓での有用性も増すし、販売サイドとしても何十何百ものブルゴーニュ1級を売り分け売り切る苦労から解放されて三方よし。と思うのだが、実際はそうではないようで、日本のブルゴーニュワインファンはひとつひとつの畑の微細な違いを楽しむのが購入の目的だからブレンドは買わない、とある人に言われた。日本のブルゴーニュファンが何十万人いるのかわからないが、シェゾ―とシャリエールとクロ・ボウレとモン・リュイザンとミランドとファコニエールとクロ・ソルベとシャフォーとルショの個性を理解してそれぞれ適所適材で使いこなす人がそんなにいるとは、さすが。しかし我々一般人にはそれは恐ろしく敷居が高い。それに、結果がおいしくなければ意味がないではないかと、素朴に思う。
12、Karim Vionnet Chiroubles 2018
チャーミングでしなやかにフルーティなシルーブルは、自分にとってはボジョレーらしいボジョレー。素直においしければ、頑張って皆にすごーいと褒められるワインを造る必要もないし、まして、ブルゴーニュみたい、と賞されるワインを理想とすべきでもない。ボジョレーはボジョレーでしか得られない魅力的な世界がある。とはいえシルーブルは大変に標高が高く、昔は熟さずに青さが目立った。MC法で果梗が熟していなければどういう味になるか言うまでもない。暑い2018年は、完熟したシルーブルがどれほど魅惑的なのかを知らしめる最上のヴィンテージ。とはいえ乾燥した年だと砂質のシルーブルでは渇水ストレスゆえに苦みが出やすいものだが、このワインにそのネガティブな要素はまったく感じない。現代的にナチュラルで、垢ぬけて、ピュアで、快活なエネルギーのある、明るく心地よいワイン。つくねタレの焼き鳥に最高。
13、Chateau Closiot Le C de Sec 2018
天才ジャン・マリー・ギュファンがバルザックに新しく購入したワイナリーの、実質初ヴィンテージ(2017年は霜で壊滅)。イケムのイグレックと同じく、遅摘みブドウ(セミヨン主体のボルドー・ブレンド)の辛口。ロワールもどきの現代ボルドー白ワインが大嫌いな彼と私にとって、あるべきボルドーの白とはこういうスタイルであり、こういう味。ボルドーでは例外的にMLF、ゆえにSO2添加も少なく、無濾過。これの何がいけないのか。コクがあり、複雑で、ミネラリーで、質感は優美にまろやかで、酸はソフトかつ力があり、ギュファンらしい粘りと甘さが魅力的。ボルドーで買うべき現実的な価格の辛口白は、ソーテルヌのGと、このバルザックのC。ここを基準点とすれば道は誤らないし、ボルドー白が本来ならばどれほど役に立つおいしいワインなのか(現状は本当に悲惨だ)も理解できる。
14、Gravner Ribolla 2010
グラヴナーの最高傑作。この集中力のある理知的かつ堅牢な、冷たいと言えるほどに突き詰められた味は、グラヴナーでしかなしえない。いまやオスラヴィアのみならずフリウリの各地でアンバーワインは造られ、グラヴナーが西洋で初めて使用したクヴェヴリは世界各地でポピュラーになってはいるものの、いまだグラヴナーの透徹した境地に達するワインはない。最初の立ち位置が違うから比較もできない。ポンカ土壌であるとかリボッラであるとかビオディナミであるとか醸し発酵であるとかはまったく意識にのぼってこない、抽象的な美的また精神的世界。おいしいとかすごいというより、私はむしろ過酷で痛々しいと感じた。グラヴナーのむき出しの人間性が、何も身にまとうものなく、裸で直立して、寒風にさらされているかのようだからだ。バスキアの絵をメアリー・ブーン画廊で見た時の感覚を久しぶりに思い出した。ワインに興味があるなら、一定の勉強(試験勉強に非ず)ののちに誰もが経験すべきひとつの極北。ただし生きたワインゆえに周辺環境(飲み手の心のありようを含む)には恐ろしく敏感で、あるべき味へと整備するのは至難の業。邪念がある人、相性が悪い人が同じ部屋にいるだけでアウト。室内の全員がグラヴナーを尊敬し、彼を理解しようと努力し、心身ともにワインの真善美に捧げているような環境で、集中して飲んで欲しい。これは大いに飲み喰い歌い喋るジローラモ的イタリアなノリのレストランで飲むべきワインではない。そもそも産地であるゴリツィア県は“イタリア”なのか。
15、Domaine Zind-Humbrecht Alsace Clos Windsbuhl Gewurztraminer 2016
自分にとってはアルザス最上の畑のひとつ。モノポールであることが災いして現行制度上はグラン・クリュになりようがなかった(申請には村の栽培者の総意による推挙が必要)が、本来ならばここがグラン・クリュでなければどうすると言えるぐらいの由緒正しい、ハプスブルク家の畑。標高が高く、畑の上は森だから、地球温暖化にあっては以前にも増してこの涼しい畑の優位性が高まってきた。これだけ飲むと、あまりにバランスがよく、あまりに優美であるがゆえに目立たないかも知れないが、ツィント・フンブレヒトが造る一連のグラン・クリュのゲヴュルツトラミネールの中にこれを含めて飲んでみるといい。このワインのレベルの違う品位、細やかさ、開かれた(畑の地形どおりの)のびやかさが理解できるはずだ。ゲヴュルツ最上の畑は、スポーレン、キルシュベルグ・ド・バール、クロ・ヴィンスビュールだ。無意味な遠回りをしている暇があったら、まずは基本の一本としてこのワインを飲むべし。当然のようにこのワインはオーストリアの味がする。その意味が飲んだ瞬間にわからないなら、飲む以前にすべき勉強がある。
16、Lou Dumont Bourgoge Passe-Tout-Grains 2017
今まで飲んだPTGの中で最良。なぜPTGでこんなに気品があるのか、こんなに精緻で、複雑かつミネラリーな味なのか。PTGは下層民用下品ワインだなどと思っているなら大間違いで、PTGもまぎれもなくブルゴーニュなのだと分かる。いかなるディティールもおろそかにしない真摯な姿勢が伝わり、飲めば飲むほどその完成度に感服することになる。地球温暖化によって昔は熟さなかったガメイがしっかりといい個性を寄与してくれるようになったのもポイントだ。2017年のピュアさ、繊細さが、この生産者の個性をさらに生かす。ブルゴーニュは一年に一度しか飲めない価格のワインばかりではない。さりげない日常にこうした上質でお買い得なブルゴーニュが寄り添うことのありがたみを想って欲しい。
17、Domaine des 13 Lunes Abymes 2018
サヴォワのチーズにとって、またサヴォワのフォンデュにとって最良の伴侶がアビーム。ジャケール品種は表面的には地味だが、その実は繊細でディティール感に富み、ワイン単体では派手なアルテッスやベルジュロンの影に隠れて人気がなくとも、料理と合わせればジャケールこそがサヴォワの基本なのだと分かるはずだ。ジャケールにとって最良の畑のひとつがアビーム。その美点である酸と粘りは往々にしてえぐさと泥臭さになりがちなのだが、この若手生産者のビオディナミワインはポジティブな明るいエネルギーに溢れ、2018年の温暖なキャラクターと相まって、今まで経験したことのない洗練された快楽性を実現している。単刀直入に言って、現代サヴォワ白ワイン最上の作品。
18、Zyme Valpolicella 2018
混植混醸ワインであるヴァルポリチェッラは、現代の視点から再評価されねばならないイタリア赤ワインの代表。さらっとして軽やかで上品。まさにヴェネトな、都会的性格。ジーメの創業者・醸造家であるガスパーリ氏は膨大な知識と経験、卓越した技術の持ち主であり、大変にエネルギッシュな起業家だが、このワインはあくまで中庸なバランスで、ある意味、無色透明。ピカソ晩年の技術を極めた上での一筆書きみたいな、と思わせてしまうところがすごい。その実、大変に複雑(さすが混植混醸)で、いろいろな料理にさりげなく合う。つまりレストランにとっても家庭にとっても基本のワインだ。技を極める方向性でワインを造るなら、この無為自然レベルの名人芸になるまで修練しないといけない。
19、Santa Caterina Liguria di Lavante Poggi al Bosco 2017
穏やかでまろやかな深み。リグーリア海沿いの粘土質土壌に植えられた地場品種アルバローラを醸し発酵してアンフォラ熟成させたこのワインは、味のしっかりした甲殻類に対して驚くほどの相性を見せる。個性が強いワインではあるが、その個性がいやみにならず、自然なバランスで身体に広がっていく感覚が見事。ごま油で揚げた天ぷらを天つゆで食べるなら、まずはこのワインを想起すべき。試してみれば、誰しもこのワインの虜になるだろう。イタリアワインの常だが、飲まれるべき文脈がわからないと、存在理由が薄らぐ。これをよくある最近のナチュラルワインのカテゴリーに入れるのではなく、天ぷら用ワインというカテゴリーに入れた時に、どれほどありがたいワインなのかが分かるのだ。
20、M. Chapoutier Luberon La Ciboise 2017
眩しい陽光と乾いた空気と野生のハーブの香りを孕んだ爽やかな風、まさに南仏の気配を伝える傑作。シャプティエの単一畑エルミタージュ白をここで選んでもよかっただろうが、あえてこの千円台の安価なワインを最上の家庭用ワインの一本として勧めたい。トマト、オリーヴオイル、バジル、ガーリック、とくれば、フランスワインの中ではまずこのリュベロンを思い出して欲しい。南ローヌに含まれる産地とはいえリュベロンの性格は垢ぬけてクールなプロヴァンス。立地的に見てもそう捉えるべき。買いブドウでも契約農家には除草剤を使わせず、極力オーガニック栽培を要求するシャプティエのメゾンのワインは、忘れられがちだがどれも素晴らしい出来だ。ミシェル・シャプティエ自身の繊細さ、完全主義ぶり、そして積極的なエネルギー感は、ドメーヌものだけに感じられるのではない。ただし、白。シャプティエは不思議と白ワインのほうが土地の個性をストレートに感じさせて好きだ。
ワインは色にも形にも反応する。表現力が増す時もあればワインが死んでしまう時もある。ではどういう色でどういう形にしてワインのパフォーマンスを引き出すか。そう考え、ここのところビオディナミのセオリーを絵画に応用する方法を研究していた。
ワインバー&レストランMiyajiaraiから発注していただいたので、7枚組の油彩を制作した。同じワイン(シャトー・サン・ピエール、サン・ジュリアン、2004年と、ドメーヌ・ド・ラ・パントのオレンジワイン、サヴォール)で、ワインを絵に見せる前と見せたあとで味を比較。よりしなやか、のびやかで、ピュアで、細やかで、酸がビビッドで、大変に垂直的。当然ながら後者のビオディナミワインにはものすごい効果あり。コーヒーでも試してみたが、これまた同じ効果。えぐみがなくなり、酸がすっきり。自画自賛していてもしかたないが、自画自賛できないような絵では意味がない。ともあれ想定どおりの効果。制作に時間のかかる油彩は気持ちの入り方が半端ないので、そのぶん効果が大きいと思う。などと書いていると、理科系、自然派系双方のワイン関係者から「絵でワインの味が向上するわけがないだろう、ばか」と言われるが、批判は実際にワインを比較試飲してからお願いします! この効果が多くの場所で発揮されてほしいので、皆さまの発注お待ちしております!
気合い充分な作品だ。チリのカベルネ・ソーヴィニヨン最高の産地、プエンテ・アルトの底力を堂々と伝えるワイン。1987年の登場以来、チリを代表するアイコン・ワインとして名高いドン・メルチョー。かつてはある種の粗削りな力強さが魅力だったが、このヴィンテージでは質感が緻密になり、高密度感と流麗さ、パワーと軽やかさを高度に両立する現代的かつ普遍的なグラン・ヴァンへと大きく進化している。特にタンニンの質的向上に関しては顕著であり、リッチな果実味と溶け合って豊かな飲み心地を堪能させてくれる。
以前コンチャ・イ・トロでさる重役に話を聞いた時、彼は隣人ふたりのワインよりドン・メルチョーの評価が低いことを嘆いていた。相対的低評価のひとつの明白な理由はあのザックリ感だと思っていた。個人的にはそれもまた作り込みすぎない良さだと捉えていたが、世の中の揚げ足取りが好きな人には絶好の減点対象だっただろう。もうひとつの理由は、ドン・メルチョーがコンチャ・イ・トロのワイン(それももはや最高価格品ではない)だからだろう。大手生産者のワインは、それが大手だという理由で斜めに見られるものだ。前者の直接的理由は2017年ヴィンテージで解決された。後者の偏見は、30周年を機にコンチャ・イ・トロからヴィーニャ・ドン・メルチョーとして独立したワイナリーになったことで是正されるだろう。「90点台後半をなかなか取れない」との彼の苛立ちもこれで終わりになったと願いたい。
それにしても姿形の美しいワインだ。重心が真ん中にあって丸くしなやかに広がりつつ、しっかりと垂直的構造を保つ。洗練度を増しつつも人工美に陥らないのは、グラン・クリュたるプエンテ・アルトの卓越性の証明。それを今まで経験したことのない完成度で表現したこのヴィンテージのドン・メルチョーは、チリの代表たる使命を充分に果たしている。とはいえ2017年ヴィンテージが最終着地点だとは思わない。さらなる躍動感や立体感のために、次はビオディナミ認証を目指してほしい。
このようなグラン・ヴァンには蛇足的情報かも知れないが、ドン・メルチョーは塊肉ステーキ用ワインではない。温暖かつ低収量の2017年らしい快楽的な果実の甘みと濃密さを見ればなおさら、最上の黒毛和牛(たぶん米沢牛。松坂、近江は概して重心がやや低い)ハンバーグの赤ワインソースと合わせてみたいと思わせる。よくスーパーでチリのカベルネ・ソーヴィニヨンの値札に「ハンバーグに合う」と書いてある。これはその通りであって、仮にハンバーグワイン選手権があれば確実にチリは優勝候補だ。しかしハンバーグはお手軽惣菜とは限らない。家で最高品質のハンバーグを作るとしたら、そこで飲むべきワインはドン・メルチョーだ。家では鴨のコンフィと合わせ、十分においしかったが、最良の相性とは言えなかった。その理由は明白で、ドン・メルチョーのほうが味の要素が多く、スケールも大きいからだ。つまり、古典的な粘度のある、複雑な味のソースが必要なのだ。
チリのカベルネ・ソーヴィニヨン=コンビニワインの定番というイメージが蔓延している現状では、このワインに積極的な関心を持てない愛好家が多いだろうと推測がつく。しかし先入観・偏見なく、よいワインをよいと評価できる人には、ドン・メルチョー2017年はセラーに備えておいてしかるべき作品だと伝えておきたい。
今年も素晴らしいワインに多く巡り合った。特に印象的だったワインのうち、飲んだ時に最新ヴィンテージで、かつ手元に瓶があるものをここに紹介したい。ベーシックなワインばかりで目新しさはないかもしれないが、ワインの基本を勉強中の私にとっては基本は大事。個人の好き嫌いだけに終始しない普遍性は意識した。おいしいことはお約束するので、是非試していただきたい。
1 Bell Hill North Canterbury Pinot Noir 2015
ニュージーランドのみならず世界屈指のピノ・ノワール。スケールが大きく、ダイナミックで、深い。“きれいな”、“ピノらしい”ワインではない。並みの新世界ピノにありがちなそういった表層性とは無縁の、本物のワイン。石灰岩の斜面とビオディナミ。ら思いの強さを受け止めるテロワールの余力、テロワールのポテンシャルに応えんとする生産者の注力、という、真に感動をもたらすグラン・ヴァンが生まれるための上昇螺旋的関係。ノース・カンタベリーのブルゴーニュ品種ワインはニュージーランドの中でも別次元に偉大な風格があると思う。この生産者のシャルドネも同じぐらいに、いやこれ以上に素晴らしいのだが、全生産量が世界に向けて300本もないそのワインを筆頭に選ぶのは気がひける。ワインファンからは「今さらベルヒルの話かよ」とからかわれるのは承知の上だ。しかし今年私は初めてニュージーランドを訪問し、知らぬ人なきこのワインを恥ずかしながら蔵元で初めて飲んだ。そして既に言い尽くされていることを確認した。生産本数は数樽分しかない以上、これを読まれている方の中にはまだベルヒルを飲まれていない方もいると思う。その方々には誰かがやはり言い続けねばならない。ベルヒルは最高なのだと。
2 Peachy Canyon Paso Robles Adelaida District Zinfandel Bailey 2017
最上のジンファンデルを求めるなら、パソ・ロブレスは最有力候補のひとつ。しかしパソ・ロブレスならどこでもいいわけではないのは周知の事実。高速道路の西側にある冷涼・多雨(=無灌漑)・石灰岩土壌のエリア、つまり11のサブ・ゾーンのうちのウィロー・クリークとアデライダにまず着目するのが、カリフォルニアワインファンにとっての常識だ。この地を代表する老舗ピーチー・キャニオンが造る多種の料理ジンファンデルの中ではこのベイリー畑がおすすめ。オーガニック栽培。気品、香り高さ、純粋さ、抜けのよさ、垂直性、姿かたちの美しさ、そして驚異的に長い余韻には心底驚かされた。ジンファンデルの、いやそればかりかカリフォルニアワインの素晴らしさを経験したいなら、このワインから始めれば道は誤らない。とはいえ、いかに「最上のジンファンデル!」と言ったところで「ジンファンデルとしてはまし、という意味でしょ」と受け取られる。普通のワインファンに、ジンファンデルとはどういう味のワインなのか、何が魅力なのか、等々を聞いてみて欲しい。情けないような答えが返ってくるものだ。そして彼ら彼女らのうちどのぐらいの人がジンファンデルをセラーに常備しているかも聞いてみて欲しい。常識的に考えればカリフォルニアの基幹地場品種はジンファンデルなのに、普通はカベルネ、シャルドネ、ピノで終わる。店に行ってもジンファンデルは寂しい品揃え、かつ、このほうが問題なのかも知れないが、誤解を生むようなワインが多い。だからもう一度言いたい。このワインから始めよ。
3 Domaine D'Ouréa Gigondas 2017
若手オーガニック生産者による現代的ジゴンダスの見本。ジゴンダスは南ローヌの中でもひときわ上品で、フレッシュで、緻密なミネラル感としなやかな質感を備える。南ローヌワインのファンなら言わんとするところを理解していただけると思うが、土ワインより岩ワインが優位に立つ古典的な格付けの観点からすれば、南ローヌ最上のアペラシオンはジゴンダスであってシャトーヌフではない。そしてジゴンダスは南仏のブルゴーニュだと捉えるなら、その方向性の代表がこのワインだろう。エキゾチックにスパイシーな黒系果実の香りと厚み・幅のある味といわく言いがたい色っぽさはヴォーヌ・ロマネ的。セラーで飲んで「ヴォーヌ・ロマネっぽい」と言ったら、「DRCで修業した」と。いかにもそういう味ではあるが、もちろんそれはジゴンダスの石灰岩っぽさやグルナッシュの魅力を引き出す上では好都合で、悪い意味では全くない。ともあれジゴンダスは紋切り型南ローヌとは違う。このワインを飲んで本当の可能性を確認して欲しい。
4 Henschke Eden Valley Cyril Henschke 2013
今まで飲んだオーストラリアのカベルネ・ソーヴィニヨン系ワインの中で最高。バロッサ東側高地にあるイーデン・ヴァレーのミネラリティと格調高さ、カベルネの垂直的な骨格と緊張感、そしてヘンチキ独特の磨き上げられた冷たい気配が相乗効果をなす。かのヒル・オブ・グレース、マウント・エデルストン等と並べて飲み、余韻が最も長いのはこのシリルだった。バロッサのカベルネは評価以前に認知度が低すぎる。バロッサ=シラーズ、クナワラ=カベルネ、という固定観念は捨てるべきだ。むしろ最近の気候温暖化によって(アデレード・ヒルズの山火事は悲惨だ)、以前は青かったカベルネがちょうどよくなったとも言える。ヘンチキ自身はビオディナミを採用しているとはいえ、親戚たちから買っているブドウはオーガニックどまり。ヘンチキのワインを買う上で、自社畑か否かは調べておきたい。もちろんこのシリルは、先述の単一畑シラーズと並んで自社畑、つまりビオディナミだ。もちろん自根。調和に優れているため気づかないぐらいだが、実は恐ろしく強い。どんな料理が来ても、ぶれず、にじまず、たじろがず。やるときはやる感がかっこいい。
5 Clos Louie Cote de Castillon 2016
オーガニック化が進むボルドーの中でも特に注目すべきビオディナミワイン。一見整然とした知的で良質なボルドー。しかし裏側にはダークなエネルギーが蠢く妖しさが潜む。畑の一部にはフィロキセラ以前に植えられた名前も分からない古代品種がいろいろ。道理で唯一無二の味なわけだ。外部環境には相当神経質なワインで、なかなか本領発揮してくれないのが難点だが、それは飲む側が適宜ビオディナミ的技法を使えば対処できる。努力して飲むだけの価値がある。なぜならこのワインには多くの現代ボルドーが失ってしまった、計算では分からないスピリチュアルな何か、計測・分析では明らかにできない自然のミステリアスな何かがあるからだ。それは、自然と個人が一対一で向き合うことができるこうした小規模生産者の利点である。
6 Domaine Thénard Givry 1er Cru Clos de Cellier aux Moines 2015
古典的風格。古い大樽で長期熟成された、いまや珍しい、バローロ的なブルゴーニュ。そのスタイルが腰の安定して陰翳の深いジブリーの個性やこの一級畑のシトー派そのものの静謐な求心性とあいまって、忘れがたい情感を古寺の鐘のように響かせる。キレイでピチピチしたピノっぽさがブルゴーニュの本質だと思わないなら(もちろん私は誰一人としてそのように思って欲しくない)、テナールの赤だ。
7 Baumann Zirgel Alsace Grand Cru Sporen Gewurztraminer 2015
スポーレンがゲヴュルツトラミネール最上のグラン・クリュの一つだと改めて確信させられる、隙のない完成度。ゆったりとした力強さに支えられた華やかさ。ケバさと優雅さは違う。個性の強い品種なだけに、逆にその香りの個性を浮き上がらせずに全体の調和の中に包み込むテロワールが重要になる。しかしどれだけの人がスポーレンの超越性を知っているだろうか。この生産者の素直な、自己主張に走らないつくりがスポーレン自体に焦点を当てる。
8 Calder Wine Company Contra Costa Carignan 2016
話題のニューエイジ・カリフォルニアワイン生産者(フログス・リープのジョン・ウィリアムスの息子)の名作。自根、無灌漑、除草剤なし。それは美味しいカリフォルニアワインを選ぶ指標だ。地球温暖化を考えたら狙うべきは冷涼産地品種ではなく、カリニャンのような地中海品種だ。サンフランシスコからほど近いのんびりしたコントラ・コスタの雰囲気を感じる海の味。南仏からスペインではカリニャンは緊張感のある骨っぽさを表現するが、このワインではまず優しさや温かみや明るさを感じさせる。
9 Evening Land Eola-Amity Hills Seven Springs Estate La Source 2015
オレゴン・ピノの最良の作品のひとつ。ビオディナミ。フィロキセラに侵食され、かつては自根の聖地のひとつだったオレゴンでもそれが貴重な存在になりつつあるなか、こうした自根ワインらしい味のピノ・ノワールを経験し、セラーに備えておくのは重要なことだ。イオラ・アミティの玄武岩土壌の引き締まったミネラル感とオレゴンらしい温かみのあるアーシーさとむっちりした果実味と躍動感のある酸。見事なまでの垂直性。気品があっても冷たくない、精緻に造りこまれても作為的ではない、恐ろしくセンスのよいワイン。これに馴れると凡百のブルゴーニュが表面的な味に感じるし、値段を思えばなおさら差は開く。
10 Rockford Barossa Tawny NV
伝統的にはバロッサは酒精強化ワインの産地。第二次大戦前までのバロッサの名声は、この作品のようなワインで形づくられた。現代ではよほどのモノ好き以外(私はその数少ないモノ好きだと自負したい)、オーストラリアの酒精強化を積極的に語る人はいないが、実際に飲めば、バロッサがどれほどこのタイプのワインに相応しい土地なのか、それ以上に、バロッサがどれほど偉大なテロワールなのかがよく分かる。圧倒的なまでのスケール感と包容力と垂直性。病みつきになるおいしさ。並みの酒精強化とは次元が異なる力強さ(もちろん自根)ゆえに、飲むと力がもらえる感覚だ。以前から愛飲しているワインではあるが、今年は久しぶりにバロッサを訪れ、やはりこれは私にとっては欠かせないワインだと再確認した。抜栓してから2か月ぐらいはもつから、家で少しづつ飲むのがいい。ある意味、これは薬だ。翌朝元気に目覚めるだろう。
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11 Clos Bagatelle Saint-Chinian Rosé Le Secret 2017
サン・シニャンはシスト、砂岩、石灰岩があり、普通はひとつの地質からワインを造るが、この生産者はテロワールと品種双方をブレンド。このロゼの場合はグルナッシュが砂岩、サンソーとムールヴェードルが石灰岩。それが木に竹を接いだような味にならずに精妙なディティール感として表現されているところがセンスのよさだ。サン・シニャンらしくあくまでしなやかで軽やか。ロゼはその上品な側面を赤以上によく伝える。サン・シニャンは個人的に大好きなアペラシオンであり、数多くの経験があるから自信を持って言えるが、これは基本とすべきワインだ。
12 Domaine Ray-Jane Bandol Cuvée du Falun 2015
バンドールは傑作・名作が目白押しの、プロヴァンスの中でも別格的な産地。順当に考えれば三畳紀オンリーの畑からのワインを選ぶところで、だからカナデルのロゼ(ビオディナミを採用するようになって最新ヴィンテージは本当に素晴らしい)を選んでもよかったのだが、この古典的な寛ぎと深みを感じさせる、いかにも地中海(イタリアから近いというべきか)な味のワインを取り上げたい。中世から続くバンドール最古の生産者であり、そういった意味でもバンドールの基本の一本として忘れてはいけない。すかした雰囲気の金満型プロヴァンスワインの表層性に疑問があるなら、筋の通ったぶれない緩さとでも表現できるこの地元密着型地酒感に納得できるはず。
13 Weingut Lothar Ketters Mosel Goldtröpfchen Riesling Kabinett 2017
亜硫酸無添加やオレンジワインやペットナットで有名な生産者であり、皆そちらのほうを持ち上げる(もちろん悪くはない)が、私としては父親名義で出すこちらの古典シリーズのほうがずっといいと思う。オーガニックを含む現代的視点と技術で古典を再構築したワイン。なんと言ってもゴルトトロプシェン。泣く子も黙るゴルトトロプシェン。標高が高く涼しいから、下流の特級畑よりいかにもモーゼルらしい酸としなやかさがよく感じられ、昔よりもアドバンテージが大きいと思う。ドイツ=リースリング=モーゼルという単純な図式を踏襲する気のない私でも、このワインを前にしてしまうと、モーゼルのリースリングの唯一無二の美しさに打たれて思わずモーゼル万歳と言ってしまう。アルコール感と贅肉を微塵も感じさせないカビネットが特によい。GGもいいが、私はいまや絶滅危惧種である特級畑のカビネットに再注目すべきだと主張したい。
14 Vigna Lenuzza Friuli Colli Orientali Friulano Single Vineyard 2017
しつこいと言われても私はプレポットが大好きで、スキオペッティーノでなくとも正直どんな品種でも、独特のしなやかさ・陰影感・安定感のあるプレポットの味には惹かれてしまう。行ったことがある人はお分かりのとおり、プレポットの風景は日本の田舎のようだ。つまりは日本的な味というか。このオーガニック生産者のフリウラーノは、コッリオ的な凝縮感や力強さとはまた異なり、濃密でボリューム感があってもどこか涼しげな山の風を感じさせるのがいい。訪問した時には日本未輸入だったが今では輸入され、かつ以前よりさらに開き直った積極性が感じられ、うれしい。特にこのワインは日本専用の亜硫酸無添加。いやな癖がなく、エネルギー全開で、のびやか。実体感・密度感があるため、フリウラーノのような高アルコール品種でもアルコールっぽさは感じないし、勢いがあるため、低い酸でもダレない。私は動物脂系とんかつ店でこれを扱って欲しいと思う。
15 Mas des Capitelles Carignan 2016
フォージェールのビオディナミ生産者の作品。フォージェールの軸をなすのがカリニャンだと、そしてフォージェールはブートナックやフィトゥーと並んでラングドック3大カリニャン名産地なのだと、このカリニャン単一品種ワインを飲んで初めて思った。もちろんこの生産者のフォージェールも素晴らしい(特に一番安いワインが)。テロワール的にはフォージェールはクリュに認定されてしかるべきだ。INAOは「アペラシオンの平均価格が低すぎるからダメだ」という回答らしい。それはつまり消費者にとっては安くておいしいワインだということ。
16 I Favati Greco di Tufo 2016
硬くて酸っぱい、何の役に立つのかよく分からないワインが散見されるグレコ・ディ・トゥーフォ。しかしこのワインは密度が高く、おおらかで、粘りがあり、重心が低く安定して、しっかりグレコ品種だと分かり、なおかつこの火山性土壌のテロワールらしいきびきびとした抜けのよさと上昇力があり、見事としか言いようのない完成度。飲んでこんなに楽しい気持ちになり、食事が進むグレコ・ディ・トゥーフォは初めてだ。
17 Populis Mendocino County Sauvignon Blanc 2018
ニューエイジ・カリフォルニアワインの傑作。樹齢70年の北カリフォルニア最古のソーヴィニヨン・ブランが植えられるヴェンチューリ畑のブドウ。オーガニック、無灌漑、ミニマム・インターヴェンション。圧倒されるようなエネルギー感。あからさまなソーヴィニヨン臭さなどなく、ミネラル感が前面に出る。メンドシーノらしい静けさ、内向性が、タイトなソーヴィニヨンの個性とあいまって、相当な緊張感を飲むものに強いる。カリフォルニア=能天気、ではまったくないのだ、と理解できる、非常にシリアスなワイン。こうしたワインを飲むと、世の中の大半のソーヴィニヨンはアホくさいと思うだろう。だがアホくさくないソーヴィニヨンは普通は高い。そう思うと、多くのカベルネやピノが無意味に高いカリフォルニアにあってはなおさら、このレベルの品質で22ドルは安い。
18 Julia Bertram Ahrweiler Rosenthal Spätburgunder 2016
既に大人気のアールの生産者。いかんせん元ドイツワインクイーンだけあって男性ファンも多数。アールでは超がつくほど希少なオーガニック。とはいえ転換中であり、その効果は2016年ヴィンテージからはよく分かる。いろいろなワインがある中で、アールワイラー・ローゼンタールのしなやかさとフローラル感が特に印象的。記憶ではローゼンタールはグレイワッケであって粘板岩ではなく、鉄っぽさやスパイシーさを、典型的なアールのワインのようには感じさせないのが、個人的には魅力だ。これを飲むとアール本来のポテンシャルがよく分かる。あとはアールの経済を支えるケルン等近郊大都市の消費者の意識改革のみ。現状の温泉街の饅頭的な購買様式では生産者もがんばる動機に不足する。ジュリアのワインは、彼女のスター性もあいまって、確実にアールに光明をもたらしたと思う。
19 Podere Casaccia Toscana Sine Fille Bianco 2017
フィレンツェ郊外の山中にある畑。2003年からビオディナミ。フィレンツェ的としか言いようのない均整のとれた美しさと過剰を避ける品位とさりげない遊び心。混植混醸のキャンティ・リゼルバも素晴らしいとしか言いようがないが、手元に瓶がない。これはマルヴァージア、トレッビアーノ、ヴェルメンティーノを短期間醸し発酵した、オレンジワイン的な構造と複雑さをさりげなくしのばせた白ワイン。ダイナミックでおおらかで上品。テロワールの力とビオディナミが寄与するところは大だといえ、よほどのセンスがないとこんなワインは出来ない。
20 Sylvain et Christophe Bordeaux Le Fruit de Château Grenet 2017
抽出&樽&野心&そろばん&工業メンタリティー&他人の評価への色目使い、が多くのボルドー。もちろん格付けだとか点数だとか考えない肩の力が抜けた素直なオーガニックワインも存在し、この若手による作品もそう。オーガニック&亜硫酸無添加&樽なしのメルロ100%。こうしたワインを飲むと逆にボルドーという土地の素晴らしさもボルドー人の洗練度合いもよく分かる。今なら、こうしたボルドーこそ基本とみなされるべきだ。一級シャトーの名前や、三流テロワールで無理をしたようなワインからボルドーに入るから、多くの人がボルドーを誤解するか、忌避するようになる。水辺ワインの典型にして、岩要素が少なく降水量が多いボルドーでは、しっとり・しなやか・まろやか・かろやかな方向性に行けば、テロワールとスタイルが合致しておいしくなる。たとえて言うなら、ボルドーは赤でも白身魚ワインである。大半の人が思っているボルドーの味は、特別な格付けワインを除いては、間違っている。
21 Château de Marmorieres La Clape 2015
ラ・クラープの古典。さすがに貴族のワイン。海側ラ・クラープの白ならではの温かみ、まるみ、安定感がある。ブールブーランクはここでなければ完熟しない。完熟すれば酸が低くトロピカルな味のブドウだが、ほとんどの場合は酸が高くエッジがある味のブドウとして扱われるのはしかたない。フランスの大半の白ワインは内陸産で硬質か、MLFなしで硬質か、早摘みで硬質か。つまりは魚料理に対して役立たずだ。ソースのあるリッチな味の魚料理に合うフランスワインの代表であり、その質を思えば大変に安価なワインが、ラングドックのクリュであるラ・クラープの海側のワインである。マルモリエールの名前の初出は826年、ここのオーナーがラ・クラープのサンディカ初代会長、ラ・クラープの畑の最大所有者、といった事実を並べただけで、シャトー・ド・マルモリエールが地元にとっては領主さま的な位置づけにあるのは分かるはずだが、地元を離れればほとんど無名。おかしい。ラ・クラープにまずいワインは滅多になくとも、まずはこのワインを基本とするのが筋だろう。
22 Domaine de L'Enchantoir Saumur L' ilot des Biches 2017
ソーミュール・シャンピニーではない、ソーミュール。海洋性気候のしっとり感と白亜紀石灰岩の気品ある香りと構造の確かさ。アントルコート向けワインであるソーミュール・シャンピニーの隣にあってもソーミュールはずっと細やかでひっそり。むしろ焼き鳥向け。その美しさがよく出たワインがこれだ。赤系果実のチャーミングさがふわっと広がり、タンニンは軽く、酸はすっきりして固くなく、ほとんど夢心地のシルクのレースの味。アンジューとトゥーレーヌのあいだにあって自分の中ではいまひとつポジションが明確ではなかったソーミュールの赤の素晴らしさに初めて気づいたのが今年だった。
23 Muller-Koeberle Alsace Clos des Aubépines 2017
本来ならグラン・クリュになってもおかしくない花崗岩の急斜面の畑。地元の人にとっては銘醸畑として有名だが、モノポールゆえに一般には逆に知名度が低く、グラン・クリュにも申請されなかった。今まではともかく、代替わりしてオーガニックに転換し、本来あるべき品質が理解できるようになった2017年ヴィンテージ。アルザスにはまだまだ知られざる名ワインがあるのだ。この畑には白はリースリング、ゲヴュルツ、ピノ・グリが植えられているが、このワインはブレンド。同じ畑の単一品種ワインとは比較にならないほど立体的で大きく余韻が長い。近年のアルザスではうれしいことに複数品種ワインが広がりを見せている。単一品種絶対主義(単一品種主義ではない)の超克はすべてのワインファンの使命である。
24 Weingut Heid Würtemberg Blaufränkisch 2017
ひたすらかっこいい。若々しく引き締まって抜けがよい。ヴュルテンベルクなのにあえてレンベルガーと呼ばずにブラウフレンキッシュと呼ぶあたりが興味深い。降水量の多いヴュルテンベルクではワインはどれも果汁感が強まり、タンニンがしなやか。ブラウフレンキッシュも軽快な側面が引き立てられる。それと同時にコイパー土壌のタイトさや酸も加わる。つまり、ミッテルブルゲンラント的ブラウフレンキッシュの対極の、濃いロゼ的方向性のブラウフレンキッシュ。正直、多くの旧ハンガリー領オーストリアのブラウフレンキッシュよりこちらのほうがオーストリアっぽいと思える。
25 Hans Herzog Marlborough Nebbiolo 2015
マールボロのソーヴィニヨン・ブランなど世界で最も嫌いなワインのひとつ。先述のポピュリスのホームページでも罵詈雑言が浴びせられている。だが短絡思考はいけない。ソーヴィニヨンだけがマールボロではない。特徴的な日較差の巨大さが酸のメリハリと香りの華やかさを、そして海の影響が柔らかさを、そして砂利質の土壌が抜けのよさや軽やかさをもたらすマールボロの美点は、ソーヴィニョンでのみ発揮されるわけではない。それがよく分かるワインがこのオーガニック生産者のネッビオーロ。マールボロでネッビオーロなど聞いたことがないし、この品種の気難しさと高価格を思えば、味を知らなければ絶対に手を出さないと思う。ところが実際にテイスティングして驚いた。すごいではないか! 早くソーヴィニヨンの呪縛からニュージーランドが自由になってほしい。ここのオーナーと、マールボロでどの品種を植えるべきかを議論していた。私がブラウフレンキッシュと言ったら、彼も同感だと。順当に考えたらそうなる。しかしそれは叶わぬ夢だ。
26 Rosenhof Mosel Cabernet Sauvignon & Merlot 2016
もはやモーゼルでさえカベルネが熟す。この驚くべきワインを飲めば誰もが地球温暖化と適正品種について考えることになる。極めて精密で流麗な味はいかにもモーゼル。モーゼルとは何かを考える上でも重要な作品。テロワールを生かすかぎりにおいて、品種はフレキシブルに考えるべきなのだ。
27 Gustavshof Rheinhessen Grauburgunder-Johanniter 2018
私が考えたラベルを採用したビオディナミワイン。理屈中心の味になってしまいがちなドイツでは特に左右非対称・フリーハンドのデザインが大事だと思っている。昔のラベルと比べたらエネルギー感やスケール感において雲泥の差。そうなるようにデザインしたのだから当然ではあるが、ともあれこのジャンルは完全に未開領域。常に左右非対称がいいとは言わない。ようするに、法隆寺釈迦三尊像的なスタティックな均衡美を求めるべき場所と、ヴァチカンのベルリーニ的、ないしラオコーン的なダイナミズムを求める場所を使い分ける、ということ。とりわけビオディナミのグラウブルグンダーとヨハニター品種なら後者だろう。PIWI品種ヨハニターはポテンシャルが大きい。環境問題を考えたらPIWI品種は必然の帰結だ。
28 Château Durfort-Vivens Margaux Le Relais de Durfort-Vivens 2016
2016年からデメテール認証を受けたビオディナミのマルゴー。昔からデュルフォール・ヴィヴァンのファンである私としては、近年の急激な品質向上は小躍りしたくなるほど嬉しい。そして2016年は明らかなブレークスルー。まさにビオディナミの味。誇大広告的表現が横行しがちなヴィンテージ評価だが、2016年はどんなに誇張してもかまわないほどの偉大な年だと思う。その2016年の中で万人が買っておくべきワインが、デュルフォール・ヴィヴァンのセカンド、ル・ルレだ。この立体感、垂直性、濃密さ、躍動感は、セカンドとはいえ偉大なテロワールとビオディナミが合体したからこそ。この値段でこのレベルのワインが買えるなら、ボルドー左岸はお買い得ではないか。もちろんグラン・ヴァンのほうは陶酔的レベルの完成度。だが、より多くの人に、より高い頻度で飲んでもらいたいワインだから、あえて安いセカンドを勧めておく。
29 Château de Marsannay Marsannay Blanc 2015
ブルゴーニュの白ワインは魚料理用のワインだというのが世界中の共通見解だが、本当にコート・ド・ボーヌの特級や一級が魚に合っていると思うのだろうか。それはたいがいお金の無駄遣いか、高いワインを飲む自分に酔うという下品な楽しみだ。いろいろ試した中ではこのマルサネの白が最高の魚ワイン。重心が低く、柔らかく、ボリュームがあり、温かく包み込み、余韻が長い。値段を思えばなおさらありがたい。
30 Juliet Victor Tokaj Edes Szamorodni 2016
トカイ=プットニョスではない。むしろサモロドニのほうが甘すぎず、果実味のピュアさがあって、貴腐ではなくテロワールの味がダイレクトに感じられるかも知れない。6プットニョスともなれば価格は2万円を超えるだろうが、サモロドニだと常識的な価格におさまるのもいい。このワインの畑は最上の1級畑のひとつ、きめ細かく優美で伸びやかなキライと、がっしりとした腰の強いベチェック。その組み合わせが最高だ。トカイの2016年は、トカイに期待したい力強い酸と、火山性土壌らしい上に突き抜ける勢いがある。
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番外扁
Gérard Bertrand Cabrieres Clos du Temple 2018
自分が関わっているので番外編だが、個人的にはこれが今年のベストワイン。まだ飲まれていない方は是非試してほしい。できれば田中式処置をして田中式サービスで飲んでいただきたいが。あるべきワインの形(少なくとも自分にとっては)が相当程度具現化されていると思う。
神保町、錦秀菜館で忘年会を兼ねて今年最後の講座を開催した。
やればできるじゃないか、と思わず叫びたくなる見事な料理。メニュー自分で書いてシェフに渡し、絶対に日本人を意識するな、と事前に伝えてあったから、完全に日本離れした本場中国。パワフルでフォーカスが定まり、かつ軽快でリズミカル。軽くともフラットになるか、濃くて重くなるか、というよくある中国料理とは別次元の美味しさ。一度経験してしまうとこれから欲求不満になってしまうから困る。
メニューは以下。まさに正宗川菜。
韮泥白肉
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姜汁肝片
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尖椒兔
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干扁牛肉糸
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樟茶鴨
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芽菜扣肉
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酸菜鯉魚
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宜賓燃面
ワインのテーマは、「料理との相性から見てグラン・ヴァンとは何か」。ようは、格が上がるとディメンジョナリティが増す。すると料理が何が来ても一本でカバーできる。それぞれの料理に一対一で合わせたワインが素晴らしいのはわかるが、7種類の刺身に7種類のワインを飲む人はいないように、その手の話は机上の空論になりがち。だいたい19世紀前半にロシア式サービスがフランスに導入されるまでは物理的に一対一の組み合わせは不可能だった。しかしいろいろな料理をごちゃまぜに食べていた近世王侯貴族が飲んでいたのは、彼らの領地からのグラン・ヴァン。合わないワインは料理をまずくするのは今も昔も人間なら分かるわけで、つまりはグラン・ヴァンは最低限の相性を多種の料理に対して約束していたのではないか。グラン・ヴァンとはサイズ、ディメンジョナリティ、味の要素数という観点から、多種の料理とどこかに接点を持つ。だからワインの選択に困ったらグラン・ヴァンという世間で言われる法則は正しい。
しかし別にグラン・ヴァンでなくともディメンジョナリティや要素数を増すことは出来る。最初に出したのは、あちこちのいろいろな品種のブドウやワインを混ぜて作ったテーブルワインのものすごく安いヴァン・ムスー。次はシャンパーニュのブラン・ド・ノワール。次はドン・ペリニヨン。最初の安いワインが意外や意外、いろいろな料理に合う。こうして偏見なく見ると、単一テロワール単一品種ワインが支配する現状が、いかに一般家庭でのワイン消費を難しくしているか分かる。
兎、牛、鴨、豚、鯉のいろいろな料理にボルドーやそのほかの国のボルドー品種ワインを合わせてみると、確かにシャトー・ラトゥールだけは何に対してもそつなく美味しく飲める。他は一対一の相性でしかない。兎と鴨はハウエル・マウンテンのカベルネ、牛はリストラック、豚は粘土石灰のサンテミリオン、鯉はヴェネト、ブレガンツェのカベルネ。鴨はラトゥールが一番合ったが、他はちゃんと考えて選んだそれぞれのワインがやはり一番。つまり、グラン・ヴァンはそつなくこなすが、必ずしも常に一番美味しいわけではない。
これらすべての料理にあえてカベルネとメルロだけからワインを選んだというのがポイントで、テロワールが違えばワインはそれだけ多彩な表情を見せるのだ。品種と料理を合わせるなどという単純化は絶対に出来ない。そして正しく選べば、針の穴に糸を通すような難しさはあるとはいえ、値段は関係ない。ブレガンツェは千円台のワイン、ラトゥールは十数万円だ。簡単な話、知識は無駄な出費を防ぐ。
繰り返しになるが、それでもそれはあくまで一対一対応型。一本でまかなうには、多テロワール多品種のワインが必要なのだ。そういうワインは役に立つと思わないか?しかしそういうワインは普通は安物だ。中価格帯の高品質オーガニックブレンドワインがあるべきだ。軽重・赤白の組み合わせで四つあれば普通は十分ではないか。しかしそのようなワインは存在しない。やれば簡単に出来るのにやらない。いや、できない。消費者が間違った考えに立脚し、単一テロワール単一品種型のワインに固執しているからだ。そうであるなら、針の穴に糸を通すことが出来るようになるまで死ぬ気でワインを勉強するしかない。しかしそれは効果的な時間の使い方なのだろうか。そして、今回分かったように、最高のテロワールのグラン・ヴァンならそつなくなんとかなる。しかしそれは効果的なワインの楽しみ方なのだろうか。こうしたことを考え、また検証する機会は重要だ。
激しく玉石混交。イタリアらしい。多くは早摘みで似たような味。うーむ、テラヴェール取り扱い生産者に限らず早摘み強迫観念病で困ったものだ。早摘みでは土地の味が出ない。本来土地の味を表現するためのビオディナミなりオーガニックなりが、いつのまにか造りのスタイルという表層的な記号にとってかわられ、それもSO2量という物理データの話になり、それが少なければナチュラルだと単純化され、少なくするためにpHを下げ、そのために早摘みせざるを得ず、結果、どれも同じ味。百者百様の自然の味を鑑賞しわけることが大切なはずなのに、同じいかにもなスタイルの味を皆で賞賛。ワイナリーの自画自賛のセリフが紙面を踊れど、結果が同じ表層的スタイルに終始しては意味がない。とはいえ反早摘みを主張する人はいないに等しいから、事態は進行するのみ。そもそもあちこちのビオディナミワイン輸入元は、テロワールではなく生産者が大事と言う。ビオディナミがテロワールのためでなく生産者のエゴのためだと言うのか。
話が逸れたが、しかし、今回の試飲会でも、いいワインは本当にいい。
まずはジョコリのキャンティ。トレッビアーノやマルヴァジアを含む地場7品種の一部混醸、一部ブレンド。セメントタンクと古樽熟成。軽やかでディテールに富み、鮮度が高く、抜けがいい。理想的キャンティ。高くてまずいクラシコが氾濫する現在、これこそが救い。私はずっと黒白混ぜろと言い続けているが、やっとこうしたワインが普通になってきた。
トスカーナの山中で放棄された長年無農薬の畑を手入れし直し、ビオディナミで作られるサゴナのマルヴァジア、プリミ・パッシのミネラル豊かな地酒感も素晴らしい。カッコつけた金満トスカーナや無理したファッションビオに辟易している人にとって、これは泣けてくるほど昔の朴訥なイタリアの美意識が残る。
ツィダリッヒのマルヴァジア・レーテ。厳格なカルソらしいミネラルを軸としつつ、マルヴァジアの色気と緻密さと気品を加え、醸し発酵でコクや弾力性を出した見事な完成度。カルソというと皆ヴィトフスカの話しかしないのはもったいない。正直私はヴィトフスカがそんなに偉大な品種だとは思わない。このエリアの地場品種ならテラーノのほうが好みだし、マルヴァジアのほうがずっと高貴ではないか。余韻が違う。まあ日本のイタリアワインファンにヴィトフスカは大した品種ではないと言ったら夜道は歩けないかも知れないが、そういう人には、トリエステはオーストリアに戻るべきだと言って火に油を注ぎたい。この前トリエステに行った時に、街並を見ながら頭の中でヴィトフスカとマルヴァジアの味を思い浮かべ、どちらが似合うか考えていた。つまりはどちらがオーストリアっぽいか、だ。ま、夜中にぐだぐだやるにはいい話のネタだとは思う。ところで値段は今や9200円。
イタリア国境から900メートルのところにあるオレンジワインの生産者、スロヴェニアのクリネッツ。ガルデリン(品種はピノ・グリージョ)の厚みとポジディブなパワー感は食欲を増す。ヴェルドゥッツ(品種はヴェルドゥッツォ)2003はひたすらにすごい。白だが強烈なタンニンを持つ品種ゆえ、ここまで熟成できるし、熟成すると暴力性が精神的エネルギーに転化し、包容力と気品が出てくる。しかし19800円。勧めることに気がひけるぐらい高い。
イ・クリヴィのフリウラーノ・ブラッツアンはいかにもコッリオな重厚感。しかしミネラルの躍動感とキビキビした酸があって重たくならない。よく考えられたワインだ。この生産者はコッリオとオリエンターリの丁度接点のところにあり、両アペラシオンのワインを造るが、私はコッリオの底支え感や温かみが好きだ。
エミリア・ロマーニャのヴィッラ・パピアーノがアンフォラ発酵させるアルバーナのオレンジワイン、テッラ。アルバーナの構造の確かさ、風格を感じさせ、クセなく、完成度が高い。
パラッツォーネの5品種ブレンドのオルヴィエートは、相変わらずの安定感。ある意味普通のワインだが、このさりげない多面性が食卓の上のワインとして極めて重要。日本料理店にも是非。フラスカティとオルヴィエートの有用性は再認識されるべき。今は単一品種ワインばかりが多すぎる。
マテオ・コレッジャのロエロのしなやかさ、上品さは相変わらず。これは定番だろう。
オーガニック協同組合カッシーナ・イウリのベーシックなバルベーラの素直さ、伸びやかさ。バルベーラはこういうタンニンが弱く、肩肘張らないワインのほうが好き。
バローロ系ではブリッコ・ボスキス2015の隙のない構成美と充実感に魅了された。他のバローロ、バルバレスコは今回は不調。モンプリヴァートさえも、だ。2013年が多いから仕方ない。
発泡ワインでは、ラ・カウドリーナのアスティ・スプマンテは、普通に上質。無理なく、いかにも、アスティ。それでいい。パネトーネと一緒に家族親族集まって飲むのに相応しいか、が評価基準だ。
帰り際、「昨日、田中さんが部屋の環境が悪いと言っていたから今日は処置した」と言われた。確かに抑圧感がない。昨日も今日も根の日だからその違いではない。やれば出来るなら常にやろう。
元空軍エンジニアだけあって細部に至るまで遺漏なく緻密、しなやかでいて十分な凝縮感があり、行儀のよい味でいながら冷たさとは無縁で、人肌の温かさを漂わせるワイン。シャンボールの人気ドメーヌ、ユドロ・バイエ当主ドミニク・ル・グエン氏が来日し、アカデミー・デュ・ヴァン青山校でセミナーを行った。
コトー・ブルギニヨン、ブルゴーニュ・ルージュ、オート・コート・ド・ニュイ赤(珍しくもシャンボール村のオート・コート、生産者は二人のみ)、同白、シャンボール・ミュジニーVV、一級レ・シャルムの2017年を試飲。どのワインもクリアな果実味。完全除梗、種より果皮のタンニンを重視したルモンタージュ、控えめな新樽使用といった醸造。グイヨ・サンプルのバゲットを通常の倍の80センチにまで伸ばし、果房間のスペースを取って風通しを良くし、カビ害を防ぐ工夫も、そこに一役買っているだろう。栽培はシャンボール村の多くの生産者と同じく除草剤・殺虫剤不使用。シャンボール村は生産者の仲がよく、16人全員団結して環境保全に取り組んでいるそうだ。ル・グエン氏はラグビー選手だったし、彼の長男はパラ・ラグビーのフランス代表選手だから、ここで使うべきはOne Teamという流行りの言葉だ。環境問題へのあるべき姿勢はそれしかない。彼はさらに努力して国が定めるHVEレベル3を近々取得予定。これからさらに美味しくなるだろう。
レ・シャルムが魅惑的なのは当然として、今回印象的だったのはブルゴーニュ・ルージュ。珍しく重心が低く、厚みがあり、適度にざっくりとして、しかし品が良く、家庭用にぴったり。底魚にも合うだろう。鶏肉用、マグロ用のブルゴーニュ赤は山とあれど、豚肉用、白身魚用は少ないだけに、このワインの有用性は覚えておきたい。この品質で3900円(希望小売)とはありがたい。
2017年は開花が3、4日という極めて短期間で終わった、典型的な集中型。ミルランダージュもなく、香りはフローラルでチャーミング。シャンボールにはぴったりのヴィンテージだ。
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