サン・シニャン
23を数えるラングドックのAOPの中でもとりわけ重要なアペラシオンがサン・シニャンだ。しなやかな上品さ、透明感、熟したまろやかなリッチさときめ細かさの高度な両立といった点で、サン・シニャンはラングドックのみならずあらゆるワインの中でも傑出している。もちろん私も個人的に大好きなワインだ。
サン・シニャンは広い。13500ヘクタールのコルビエール、10000ヘクタールのラングドック(しかしこれは広域アペラシオンだ)、5000ヘクタールのミネルヴォワに続く、3300ヘクタールという広大な面積。ゆえにワインを見かける機会は比較的多い。ところがそれだけにサン・シニャンは、大量生産系産地なのか、それとも高級ワイン産地なのか、一般消費者にとっては分かりにくい立ち位置にある。
もうひとつ、サン・シニャンの理解を難しくしている点は、その地質が一様ではないからだ。ラ・クラープならすべて白亜紀の石灰だし、フォージェールならすべてシスト。ところが広大なサン・シニャンは、山はシストや砂岩、そして麓は石灰岩。ジュラ紀か三畳紀か、といった同じ石灰岩の違いでさえ味わいに与える影響は大きいというのはアルザスやジゴンダスの例を見ればわかるとおりだが、数億年の時間差がある山側のオルドヴィス紀と麓側のミオセーンでは、同じアペラシオンでいいのかと不安になる。
だから山側のベルルーとロックブリュンが独立したアペラシオン制定へと動いているのは理解できなくもない。サン・シニャン・ベルルーとサン・シニャン・ロックブリュンは確かに優れたワインであり、エリアが極めて限定され、すべてシスト土壌であるがゆえに、アイデンティティの確立はしやすい。品質的には両者は十分にクリュに値するし、実際に彼等はクリュを目指している。
ここで問題なのだが、では石灰のサン・シニャンはシストのサン・シニャンに劣るのか。ベルルーとロックブリュンがクリュになれば、当然それ以外は劣位のアペラシオンだというメッセージになる。それは間違った誘導である。石灰岩のほうがシストよりはるかに多いラングドックでは、シスト優位などありえない考え方。これはサン・シニャンだけの話ではなく、全ラングドックへの価値尺度につながっていく話だ。そもそもサン・シニャンの三分の二は石灰岩なのだから、サン・シニャン全体会議なるものが仮にあったとしても、当然それは否決されるだろう。そして、これが最も重要な点で、石灰岩のサン・シニャンもシストのサン・シニャンもどちらも同じく高品質なのだ。
ではサン・シニャンらしさというのは、シスト、砂岩、石灰岩の差を超えて、共通に存在するのか。それが今回の講座で確かめたかったことだ。結論は、存在する、だ。サン・シニャンはどれを飲んでも圧倒的な細やかさ、垂直性、流れのきれいさ、姿かたちの整いがある。その個性は数年前より今のほうが明確に、純粋に、表現されていると思う。久しく遠ざかっているなら、現在のサン・シニャンがどれほどのレベルに到達しているのか、試してほしい。生産者たちはさぼってはいない。
写真左から順に番号を振るなら、1本目はミネルヴォワ。サン・シニャンのすぐ西隣だ。この生産者は大変に頑張っていて、このワインも樽、タンク、アンフォラと容器を使い分けて複雑さを生み出している野心作だ。ミネルヴォワとしてはレベルが高いし、相応の値段もする。しかし2本目の安価なタンク熟成サン・シニャンと比較すると、参加された方々は全員、サン・シニャンは次元が違う、と言う。余韻や伸びやエレガンスが違う。ミネルヴォワも2本目のサン・シニャンも、イオセーンとミオセーンの違いはあれど第三紀石灰岩の土壌だが、両者はなにか根本的に違う。この2本目の素直さ、ピュアさは本当に素晴らしい。未輸入なのが残念だ。とはいえミネルヴォワはミネルヴォワの個性がしっかりあるので、それを楽しめばいい。たとえて言うならミネルヴォワは牛もも肉をあらびきにしたハンバーグのような味だし、サン・シニャンはラムのひれ肉のローストのような味だ。3本目は2本目と同じ生産者の、サン・シニャンのアペラシオンの外にある畑から。これはバッグ・イン・ボックスや量り売り用の、完全地元消費用超廉価ワイン(1リットル1.7ユーロ!)。沖積土壌らしい。それを私自身が瓶詰めした(もちろんただ詰めたわけではなく、それなりの処置をしてある)。それですら、ミネルヴォワよりも上質というか、サン・シニャンと共通する何かが確実にある。実際、このワインは値段を考えれば信じがたく優れたワインで、素直でおいしい。こんなレベルのワインが200円でできてしまうなら、ラングドックはどれほど恵まれた、素晴らしいポテンシャルをもった土地なのかと思う。
4本目はロックブリュンのシストであり、5本目は砂岩。それでもサン・シニャンはサン・シニャン。2本目と4、5本目の違いは、1本目と2本目の違いよりはるかに小さい。つまり、サン・シニャンは、ひとつのアペラシオンとしてきちんと成立している。INAOおそるべし。地質・岩石の違いを上回る何かの要因がサン・シニャンにはあるということだ。しかし気候を調べたところで隣接するミネルヴォワやフォージェールと大した違いがあるはずもない。実に不思議だ。この滑らかさ、しなやかさは明らかに海の影響だと思うのだが。。。。
最後に白2本。サン・シニャンは赤89%、ロゼ10%、白1%という生産比率だから、白は希少。日本で見かけることもない。白のほうが赤よりずっとパワフルで、ごつい。最後の白は珍しくもシスト、砂岩、石灰岩のワインのブレンド。確かに複雑だが、若干バラバラ感がある。それは解決できる範囲だと思う。その欠点を差し引いて考えるなら、単一地質にこだわる必要はまったくなく、むしろこのように3つの地質があること自体をサン・シニャンの特殊性、個性と考え、積極的にワイン造りに生かしたほうがいいと思える。最近はどこでも誰でもテロワール別キュヴェを複数造って商品構成するが、それだけではもったいない。