新潟市で二日間にわたり、カーブドッチが経営するレストラン、レコルタ・カーブドッチでセミナーを行った。
一日めは越前浜のワイナリー、フェルミエの本多さんに幹事になっていただいて、プロ向けワインセミナーを開催した。ワインや日本酒の醸造家の方々やレストラン、ショップの方々にお集まりいただいた。テーマは、以前ドイツのラインヘッセンで行ったものの発展型。ビオディナミの原理と応用について。色、音、動きを含めての包括的考察。6時半開始で終了11時。伝えることがありすぎて。
ビオディナミとは、と聞くと、「月の満ち欠けに従って農作業を行う」、「オーガニックの発展形」、「プレパラシオンを使う」、「カルト」といった感想。私は、天と地の関係において、人間が超越者のメッセージを受け止め、世界のエネルギーバランスを正しい形に整えることで、農作物にその正しい世界のありようを個々に体現させ、その農作物を摂取する人間の霊的進化を助ける方法、と言っていた。だからビオディナミは狭い意味での畑作業にとどまるだけではなく、消費の時点まで拡張されねばならない。
まず人間には農作物に対する精神的コミュニケーションができるのか、人間には霊的パワーがあるのか否かの検証。キリン一番搾り6本を6人の人に持たせ、理想の味わいを思い描いてそれを瓶の中のビールに転写する実験。抜栓してブラインドで皆でテイスティングすると、6本はまったく異なった味になっているし、それぞれの人のビール観がよく出たものになっている。これをどう説明するのか。いずれにせよ、思っていることは味に出る。だから正しいイメージを持たねば、そしてそれが組織による協働ならば全員が心をひとつにせねば、結果は無茶苦茶になってしまうということだ。
ワインは目もあれば耳もある。ゆえに人間の動きにも反応するし、音にも反応する。その実験も行った。
そしてプレパラシオンはブドウに効果があるだけではなく、瓶詰めしたワインにも効果があるということの実験。まずビオディナミのワインとノーマルのワインの味の違いを分析し、次にノーマルなワインにビオディナミの処置をしてそれをテイスティング。すると、それは確かにビオディナミのワインの味に近づく。畑作業だけのビオディナミだと同時のAB比較ができないから、本当に効果があるのかどうか検証できず、だから宗教だとか思い込みだとか言われるわけだが、こうしてAB比較すれば誰にとっても一目瞭然だ。
参加者の方には相当に刺激的な内容だったと思うが、個々人よく咀嚼して、ひとりひとりの仕事に役立てて欲しい。
夜のセミナーの前には越前浜のフェルミエに行って打ち合わせをした。新潟駅からバスで45分。収穫されたスパークリングワイン用のアルバリーニョを食べてみた。香りが華やかで軽やかな新潟市の味。しかし農薬っぽい。そのあとセラーのチェック。まぁいろいろ問題が。ひとつの角から変な気配が漂うので、そこに置かれた樽もまずそうな雰囲気が外に出ている。「たしかにこの場所のワインは美味しくない」と本多さん。その場で出来る範囲で調整させてもらった。越前浜のワインはさらっとしなやかにはなる。しかし芯、腰、立体感、ダイナミズムが弱い。それは皆自覚しているはずだ。自覚していて何もしないのはいけない。私の処置が唯一絶対ではまったくなく、可能性のうちの何万分の一に過ぎないが、それでもやらないよりずっとよくなった。今年のフェルミエのワインは少し美味しくなっているかもしれない。その場に皆さんが居合わせたらきっと楽しかっただろう。
ところでいつも思うのだが、日本のワイナリーの記事はあちこちにあるが、なんだかきれいごとばかり書かれていて、生産者の努力自慢ばかりで、気持ち悪い。思ってもいないことを口あたりよく言ってよいしょしているだけでは発展はない。フェルミエでも「今日は立場が違うから言いたいことを言いますよ」と前置きしつつ、まずいものに対しては「まずい!」と言っていた。まずいものはまずい。それは事実だ。だとすればまずい理由を客体化し、現実的に何ができるかの議論を腹を割って皆でするべきなのだ。そしてもちろん具体的な対策法を考案して結果を見せるべきなのだ。そんなことは誰でもできる。ワインを一口飲めば分かることなのに、できるのにやらず、その場ではおべんちゃらを言って、陰で「まずい」と批判しているようではワインに対しても人間に対しても愛がない。フェルミエを訪れる人たちが皆でやれば、どれほどおいしくなることだろうか。
二日めのテーマは、ワインのテロワールと料理の相性。新潟市でワインショップを営む海老名みどりさんの主催で、ワイン愛好家向けにお話した。私が目的とするのはその場限りのおいしさではなく、マリアージュの一般理論。だから普通のメニューを出して、そこにワインを合わせ、結果として「おいしかったですね」というセミナーにはしたくない。そのような経験を何十回重ねても、よほど自分で努力しない限りは、法則性が見えてこない。だからいつまで経ってもワインが選べない。その理由は、個別体験の単純集積が経験的知識だと素朴に思っているからだ。論理性なくして知識にはならない。もうひとつの理由は、ソムリエやプロの方々の話が難しすぎるからだ。私は寝ながら聞いても分かる程度の話しかもともとできない。
料理は、鯛の高温グリルと低温ロースト、鯵のハーブパン粉焼きとヒラメのカルパッチョ、チキンシュニッツェルとポークシュニッツェル、牛肉ハンバーグとステーキ。こういう形で差別点を明確にした料理を比較しながらテイスティングすることが大事だが、普通に暮らしていてはなかなかその機会はないものだ。
ワインは、砂と粘土、土と岩、海辺と山間の違いで多数。初心者の方々は、一面的なワイン情報のせいで、ワインを品種名で選び、料理と品種名を対応させる。スーパーマーケットの棚を見てもそうなっている。しかし料理に対応するのは第一にテロワールであり、品種は次だ。この手の話は論より証拠。実際に料理とワインが美味しくなって初めて納得してもらえる。
カーブドッチやフェルミエの自社畑は岩のない砂地だ。砂なら鯛は低温調理しなければならないし、ヒラメは合わないが鯵は合うし、ポークは合わないがチキンには合うし、ステーキには合わないがハンバーグには合う。それぞれの理由を学んでいただいた。
ステーキだからカベルネ、ではなく、ステーキだから岩、と推論しなければならない。今回、ボルドー左岸と去年のボージョレ・ヴィラージュ・ヌーボー(岩のところ)もブラインドで出して、どちらがハンバーグに合い、どちらがステーキに合うか試してもらった。普通、先入観でボルドー=ステーキ、ボージョレ=ハンバーグだと考える。もちろん実際は逆だ。ボルドー左岸の多くは砂質土壌だからだ。ちなみにハンバーグは細かく挽いてつなぎを入れてくれと頼んだ。そうでなければ砂には合わない。粗挽きつなぎなしでは岩だ。
新潟市の北1時間ぐらいのところにある、胎内市の胎内高原ワイナリーは逆に粘土質。こちらはチキンではなくポーク、鯵ではなくヒラメに合う。新潟といっても広い。食卓でそれぞれの土地のワインを生かすためには、それぞれの土地が要求する料理を作らねばならない。新潟のレストランで食事をする新潟の人が新潟のワインの正しい使い方を知らないようでは、素晴らしい新潟のテロワールとそれを生かしたワインを造る生産者の方々に申し訳ないではないか。ワインは基本、どれも宝石なのだ。しかし間違った文脈に置くと、ただの石にしか見えなくなる。宝石は宝石としてめでるべきだ。
本来ならこの内容のテイスティングセミナーは日本中で開催したいところだ。そうすれば日本では間違った料理を合わせてワインをまずくすることがなくなるし、ワインのそれぞれの個性を料理を生かす美点としてポジティブに捉え直すことができるようになる。
大勢のご参加をいただき、ありがたい。主催の海老名さんや細かい要求を素晴らしい料理に具現化してくださったレコルタ・カーブドッチの方々には改めて感謝したい。