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2019年9月の記事

2019.09.28

バロッサの講座

有名な産地ほど誤解されているというのが日本の常。オーストラリアで最も有名なバロッサなど誤解の端的な例だろう。プロでさえ、がっつりした塊肉のグリルや甘辛いバーベキューを見ると条件反射的に、「樽が効いたパワフルで逞しいバロッサのシラーズを合わせたい」などと言う。実際にいろいろ試したことがあるのか、その上でバロッサと言っているのか、と思う。バロッサの中のバロッサ・ヴァレーは土ワインだから塊肉には合わない。バロッサの中のイーデン・ヴァレーは岩ワインだが、標高が高く繊細冷涼で、牛肉バーベキューとは程遠い。いずれにせよ、高密度であってもしなやかソフト細やかで、世間のイメージとは違う。そしてシラーズそのものがタンニンが細やかで繊細なブドウ品種だ。

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それを体感してもらうために、ちらし寿司を出した。ブラインドで出したワインは、ジェイコブス・クリークのダブルバレル・シラーズ。オーク樽熟成のあとさらにウイスキー樽で熟成させたワイン。ハイクラスワインファンと呼ばれる人なら絶対に買わない類のワイン。さらにはそれを寿司に合わせて美味しかったなどと言えば、彼らからは嘲笑される。しかし、美味しい。事実は事実。寿司に樽要素との接点はさすがにない(そもそも樽は予想と異なり品よく収まっている)が、それ以外の要素はぴったり。バロッサのシラーズはがっつりバーベキューとは逆の性格なのだと理解していただけた。そして近所のスーパーで買ってきた安価なワインでもバロッサはバロッサ、基礎的品質レベルが高いということも。

イーデン・ヴァレーの引き締まった構造とミネラル感と冷涼風味は見事。お出ししたシラーズもカベルネもビオディナミだからなおさら素晴らしい。シラーズは最低のヴィンテージとして知られる2011年だが、私はむしろ最高のヴィンテージだと思う。低温多雨ゆえのスッキリしっとり感がいい。もともと年間降水量が700ミリ以上あるのだからしっとり感が特徴の産地。しかし土壌の保水性は低く、凝縮度は保たれる。その特徴がよく分かる。アルコール度数が12しかなかった1970年代のコート・ロティの味を憶えているなら、2011年のイーデン・ヴァレーに懐かしささえ感じるだろうし、本来はシラーはこういうものだと思うだろう。

ご参加の皆さんのお目当はバロッサ・ヴァレー、Vine Valeエリアのセミヨン。検索しても出てこないレア中のレア。これは1870年代に植えられたバロッサ最古の古木セミヨン。フィロキセラ前のセミヨンの、今のボルドーのセミヨンとは次元が違って滋味深い、胸に染み入る静かなエネルギー。信じがたいほどの下方垂直性。不思議なことに、レバノンのオベイデ品種にも似る。しかし作られたのは多分このヴィンテージだけ、収穫後に引き抜かれて今はもうない。今になってすごいすごいと言ってもなくなったものはない。世の中、誰もセミヨンに興味がなく、華やかでメリハリの効いて酸がシャープなソーヴィニヨンだけを買うから、そしてバロッサに勝手なイメージを持って実態を見ないから、このようなバロッサの歴史の証人、国宝級ブドウが売り先なく引き抜かれてしまうのだ。ご参加の方々皆さんこのセミヨンが欲しいと言われるので(二度とないのだから!)、オーストラリアから取り寄せることにした。あればいいのだが、、。

最後はバロッサの伝統、酒精強化ワイン。1860年代以降、バロッサはポートタイプのワイン産地であり、辛口生産が復活したのは1947年。知る人ぞ知るワイン(しかしオーストラリアワインファンでこれを知らねばモグリ)だが、写真のロックフォードのトーニーは本当にすごい。気品があり、ナチュラルで、バランスが完璧で、飲んでいることを忘れるほどだ!

バロッサは圧倒的に素晴らしい産地。安くても美味しく、高いものはひたすらすごい。しかしバロッサ・ヴァレーとイーデン・ヴァレーはしっかり使い分ける。それは確実にご理解いただけたはずだ。

2019.09.19

松瀬酒造御一行様向け特別セミナー

滋賀県竜王町の松瀬酒造の社長、杜氏、社員が揃って日本橋浜町ワインサロンにお見えになり、彼らの為の特別なワインセミナーを開催した。

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日本酒とワインは関係ないばかりか、土地のスピリットを表現するという点において何の変わりもないはず。しかし今の日本酒は、その観点が希薄だ。ワインはアペラシオンがはっきりしているため、例えばアルテンベルグ・ド・ベルグビーテンという名前のワインなら、アルテンベルグ・ド・ベルグビーテンの味がしなければならないし、その畑がどんな土地でどんな味なのかについての情報は膨大な量が公示されているから、消費者もどんな味かは買う前にわかっている。では竜王町がどんな土地でどんな味なのか、誰か知っているのか。知ろうとしているのか。造り手でさえあやしい。ではそのお酒を評価するためのリファレンスはどこにあるのか。なければ単に個人の好き嫌いしかなく、流行りのスタイルに日本全国が流されるばかりで、そこで土地のスピリットが鑑みられることがない。それは日本酒として正しいあり方か。

いろいろな議題を、ワインテイスティングを通して議論することが出来た。このような膝突き合わせた話が、生産者と消費者の間、少なくとも生産者と酒販店や飲食店の間で出来ればいいのだが、そういう機会もなかなかないようだ。このぬるま湯状態、判断停止状態でよしとしている日本の状況が理解不能だ。まだまだ道は遠い。

このセミナーのテーマのひとつとして、料理とのマリアージュの話を依頼されていた。生、焼く、ゆでるではどう味が違うのか。肉の部位によってどう味が違うのか。等々。野菜、焼き鳥、ステーキ、ビーフシチューといったいろいろなお料理をお出ししつつ、どのワインがなぜ合うのかについてお話した。レストランに行ってあれこれ食べあれこれ飲んでも実は体系的な勉強にはならない。考察するポイントを絞り、そのための料理を作り、変数を少なくした形でワインと合わせ、味を分析し、一般論を導き出すというプロセスを踏む以外にない。それはこのテーマに関する基本中の基本の勉強なのだが、なかなかそれを経験する機会がないものだ。松瀬酒造の方々には楽しんでいただけたと思う。

高円宮家での日本酒談義

赤坂御用地南門を入って左にある高円宮家にお招きを賜わり、妃殿下と日本酒談義をしてきた。皇族の方のお宅に上がるなど初めての経験。シンプルながら美しく気品のあるインテリア。アール・デコ的モチーフが素晴らしい。そこで写真を撮るような下品な振る舞いは出来ないので、画像はなし。いただいたアイスティーとラスクがまた大変に上品な、イメージ通りの味。アイスティーを上品に作ろうとすれば普通の人はセイロンを使うだろう。ところが意外やアッサム系。普通アッサムはアイスティーにすると鈍重でキメが粗くなるだろうに、こちらではエレガントにまとまり、かつ、アッサムならではの底支え感と力強さと温かみがあり、取り澄ました冷たさがない。この感性には畏れ入る。食品の味からは、言葉では分からない大切なこと、言葉では時間がかかる本質的なことが、瞬時に伝わってくる。このようなものを飲ませていただき、ありがたさに平伏したくなった。

妃殿下は大変に博学かつ鋭敏な感性をお持ちで、お酒に関する見識の高さには常々感銘を受ける。今回妃殿下がお話になられたことを要約するなら、
1、昔はお酒を飲めばそれがどこのお酒かブラインドでも分かったが、今ではみんな同じようになって分からない。
2、売れるお酒を作るのは当然で、流行を追って右ならえすることをやめろとは言わないし、言えば抵抗されるが、少なくとも各蔵元に一本は、伝統とその土地らしさをしっかり表現するクラシックを作るべきだ。
3、リファレンスポイントがなければならない。迷ったらたちかえるべき何かがなければいけない。そうしないと伝統が滅びる。
4、世界中どこでもお酒はその土地の宗教と結びついている。

どのお話も深く首肯することばかりである。有り難いことに、日頃私が言っていることとも同じだ。私は妃殿下に、「最低限、各県の原産地呼称を明確にしなければならず、たとえば新潟酒と名乗るためには、新潟の米と新潟の水を使って新潟で作られたお酒でなければならない、という規定が必要だ。新潟で兵庫の山田錦のお酒を作ってもいいが、それは『潟酒』ではない。日本はそれぞれの地方に独自の文化があり、それらが並び立ちつつ融合して日本という国がある。地方文化がなくなれば日本は日本でなくなる」、とお話させていただいた。

皇室は日本文化の中心軸として日本を支えてこられた。日本酒は日本文化の代表のひとつである。だからこそ現在の日本酒のありように対して妃殿下は憂慮しておられるのだろう。もう一度日本酒のあるべき姿について考えるよい機会を頂戴した。

帰る際には玄関で最後までお見送りしていただき、私ごとき下々のものにまでなんとお優しい御心遣いであられることかと感激した。

2019.09.14

クロ・デュ・タンプルとしゃぶしゃぶの講座

初台にある高名な牛肉料理店『松阪牛よし田』で、クロ・デュ・タンプルとしゃぶしゃぶの講座。クロ・デュ・タンプルは基本的に、高級フレンチのホタテやオマールや鯛やヒラメのメイン料理に合うロゼワイン、という位置づけ(公にはどこにも書いていないが)。だから以前のクロ・デュ・タンプルお披露目会ではホタテとオマールと鯛を出した。それらに合うということは、黒毛和牛しゃぶしゃぶ(ゴマダレ)にも合うということ。柔らかさ、クリーミーさ、ボディ感、味の密度の高さ、スケールの大きさといったクロ・デュ・タンプルの味わいの要素は、確実にゴマダレしゃぶしゃぶと重なり合う。

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私が中学生のころは父が京橋と吉祥寺でしゃぶしゃぶの店も営んでいたので、当然ながら私はしゃぶしゃぶには思い入れが深い。長年の研究でおいしいしゃぶしゃぶの食べ方を発見し、今回もその方法で食べた。ゴマダレの調味法にもコツがいる。今回は新たにクロ・デュ・タンプルに合わせて肉の二つ折り法を試してみて、それが成功した。しゃぶしゃぶは未完成の料理であって、各人の創意工夫が必要だ。漫然と他人にサービスさせて、できたものを口に入れているだけでは、しゃぶしゃぶは美味しくない(すき焼きはそれで通常は美味しいが)ばかりか、ワインとの相性など得られない。

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大変においしい。さすがに有名店だけあるし、さすがにクロ・デュ・タンプルは次元が違うロゼだ。『松阪牛よし田』は輸入元にクロ・デュ・タンプルのオーダーを入れるようだ。しかしそこが輸入する本数はたったの24本らしい。この店が全部買い占めてしまいそうだ。とはいえ、買うのはお金があれば簡単かも知れないが、まっとうなビオディナミワインであるクロ・デュ・タンプルは、ただ買って抜栓すればいいというものではない。飲む前の作法がある。もちろん今回のワインは、ちゃんとトリートメントを施したものだから、ポテンシャル全開。それを経験しないと、個人的には、クロ・デュ・タンプルを飲んだとは言えないと思っている。

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この講座の前半は、前菜2種と刺身に合わせて、参加者の方にワインをブレンドしてもらった。素材はシラー、カベルネ、メルロ、シャルドネ主体の白の4本のワイン。これらをすべて使用し、ブレンド比率を変えて、個々の料理に合わせていくという実験。正しく作れば、単一品種ワインよりはるかに料理に合わせやすい。では正しく作るとはどういうことか。それを学んでいただいた。この話は始めたら恐ろしく長くなるからやめる。ただひとつ言えることは、赤白ブレンドは大変に効果的でワインの味わいの幅を広げるということ。それを一部を除いて禁じる現代のワイン法も、よくないと思いこんでいる世の中の大多数の人たちも、間違っている。

2019.09.13

ワイン・イン・スタイルの試飲会

六本木のリッツ・カールトンで行われた、カリフォルニアワインの大インポーター、ワイン・イン・スタイルの試飲会。入口でくじ引きがあり、当たると、日本の富裕ワインファンのあいだの定番ワイン、かの有名なハンドレッド・エーカーがテイスティング出来る。一本9万円と、普通なら別の星の話。運良く当たり、2016年のKyle Morgan を初めて飲んだ。

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極めて滑らかなタンニンと低い酸。補酸しないポリシーは素晴らしい。徹底して磨かれた質感と緻密な果実味がいかにも現代ナパのカルトワイン。もちろん悪いワインではないが、水平的、重心が上、ミネラル感不足、そしてビビッド感不足に立体感不足。どこを重視してワインを造っているのかは、消費者や、消費者を扇動する100点をこのワインに与える評論家が何を重視しているかに依る。そのポイントは私が重視するものとは確実にずれている。彼らにとって一番大事なのは質感の滑らかさ、クリーミーさ、リッチさ、エッジのなさなのだろう。それがナパ・ヴァレーのカベルネ・ソーヴィニヨンに求めるべきことなのか。皆がそうだと言うならそうなのだろうが、私は違う。ジョン・ダニエルが作っていた昔のイングルヌックやパリ・テイスティングで一位になった当時のスタグス・リープがどれほど躍動的でどれほど自然な味で、垂直的かつ下半身の支えがしっかりしていたことか!それと比べたらハンドレッド・エーカーでさえ、現代最高と皆がひれ伏すこのワインでさえ、格が違うとしか言えない。カイリー・モーガン畑はほぼ平地の粘土質土壌に火山性の礫が混じる。粘土質土壌のカベルネらしい、といえばその通り。水分ストレスの少ない味がするしかし粘土なのに下半身が弱いのはどういうことか。オーガニックでもなければ自根でもなければ無灌漑でもないこの畑から傑出したミネラル感や構造が得られるわけがないということか。

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世間ではペトリュース的と評されているようだ。まあ、イメージの商売としてはいいキャッチフレーズだ。ジャン・クロード・ベルエさんは首をかしげるだろうが。メルロ的カベルネがアメリカで受けるのは、彼らが好きなメルロの味と彼らがお金を払いたくなるナパ・カベルネのシンボリックなステイタスの合体だからだろう。しかしそれは奇形的消費、ある種の病気ではないか。メルロが好きならメルロにとって最良の地で最上のメルロを作ればよい。これは内容ではなく名辞消費が支配する世の中ならではの現象として興味深い。

これが1万円なら十分に素晴らしい。しかし9万円の味ではない。と、言いたいところだが、カリフォルニアワインの多くは、作り込み過ぎた味がする。異常に手間をかけた、マニエリスム的現代超高級料理と同じ。つまり、それが現代における「偉大さ」、「美味しさ」の定義なのだから、客観的にはこれで正しい。一万人にひとりの例外であろう私以外の人にとっては、これこそ9万円の味である。

極端に言えば、私は「ごちゃごちゃいじってないで釣った魚は刺身にすればいい」的アプローチのほうが、少なくともワインに関しては好ましい結果を生むと思う。いじればいじるほど、自然素材は力を失っていく。力はどこから来るのか。だからすべての前提は、真のグラン・クリュから自然な栽培をすることだ。造りが素材を上回ってはいけない。飲んでまず造りの味に注意が行くようではいけない。だから私は豆腐で肉の味を真似ようとする究極のいじくり料理である精進料理は、いかに美味しくとも、本末転倒、むしろ煩悩助長、生命の冒瀆、背徳だと思う。

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コンティニュアムのプロプリエタリー・レッド2016(37000円)は昨年度よりフラットで青い。このワインはいつももっと立体感、垂直性、ディティールを感じるのだが。。。イングルヌックのラザフォード2016(15500円)もフラットで薄い。ピーター・マイケルのレ・パヴォ(12500円)は緻密で比較的立体感があり、適度なエッジ感も心地よく、いつもながらかっこいい味だと思う。シャトー・ラトゥールの兄弟ワイナリーになったアイズリー・ヴィンヤードのアルタグラシア2014(22500円)はタンニンが粗く、フレーバーにフレッシュ感がなく、果実味じたいはアイズリーらしく高密度だとはいえ、ベストの出来とは言いがたい。どれもこれも高価だが、どれもこれも重心が上で脆弱でダイナミズム不足。いったいどうしてしまったのだろう。その点アイズリー・ヴィンヤードのソーヴィニヨン・ブラン2015(15000円)は、赤よりはるかに上質で、ミネラル感も立体感もあり、なにより垂直的で下半身が安定し、ビビッド。これは確かにビオディナミの効果を感じる味で、カリフォルニアのソーヴィニヨン・ブランの中でも最高品質だと思う。これからは「好きなソーヴィニヨンは?」と聞かれたら、DCV3やI-BLOCKと並んで、このワインの名をあげたい。というわけで、ここのところずっと思っているとおり、ナパのカベルネ系ワインの多くはお金の無駄、いまや幻想、というのが結論だ。何度も同じことを言って申し訳ないが、私だけが例外なので、皆さんはお気になさらず、もちろん値段のことも気にせず(値段を気にする人はナパのカベルネを買わないだろう)、楽しまれて欲しい。どれも大変に高価だから見る目も厳しくなって私もあれこれ言っているだけで、値段がどうでもよければ、十分に飲みやすいワインだ。

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最高のワインは、それも他とは次元が違うレベルで偉大なワインは、イヴニング・ランドのピノ・ノワール、ラ・スルス2015(12000円)。高密度のミネラル感、躍動感あふれる酸、透明感のある美しい果実味、見事な垂直性と下支えの安定感、驚異的に長く心地よい余韻。いま思い出してもうっとりしてしまうほどの素晴らしさ。イオラ・アミティらしいクールさと硬質さ。そしてビオディナミ栽培。新世界ピノ・ノワールとして現代の最高峰。このワインに至るまで、多くのワインが重心上、固い、酸っぱい、薄い、シンプルで、つまり多くのプロが絶賛する早摘み味で、自分の舌がおかしくなったのかと思うほどだったが、このワインに出会って救われた。絶対のおすすめ。オレゴンのピノは十数年はらくらく熟成するから、買っておいて損はない。

2019.09.12

kpオーチャーズの試飲会

オーストラリアらしくないワイン。オーストラリア的か否かより、日本人が選んだことがよく分かる、kpオーチャードが前面に出た味。数十本のワインを飲んでの総体的な感想を社長の谷上さんに伝えると、「オーストラリア人はこういうワインを選びませんよ。オーストラリア料理店より日本料理店で売れる」と。軽やか、しなやか、密度低め、スケール小さめ、重心上、温度感低め、余韻サラリ。どれも似た味と言えばそれまでだが、この美意識と目的意識の一貫性は尊敬に値する。何に似ているかと言えば、岐阜の日本酒。さすがに岐阜の会社。滋賀の日本酒の味が好きなら、本当に対極的なので、こうしたオーストラリアワインを、ガッツなし、男らしくない、と言うかも知れない。

適度に緩く、ワインが自己主張して料理と戦うことがないのは、多くの飲食店にとって使いやすいポイント。少量多品目消費の居酒屋や割烹にとって、料理とワインの一対一対応型古典的フランスワインより遥かに有用だ。

写真は私のお勧めワイン。ヴィノ・ランブルのフィアノとネロ・ダヴォラのペットナットは、マクラーレン・ヴェールで南イタリア品種がどれ程素晴らしい結果を生むか、シラーズばかりに気を取られていては温暖化に対応出来ないかが良く分かる。この輸入元が扱う多くのペットナットの中では、この二つが最も腰が座って充実感がある。

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ロックフォードの微甘口ホワイト・フロンティニャック(マスカット)は、バロッサが酒精強化甘口ワイン産地だった100年前の伝統を伝える希少な古木ワイン。マスカットなのに密度が高く、しっかりした太い味わいで、いかにもバロッサで、タイやインド料理と共に食中酒として好適。無灌漑・自根はやはり素晴らしい。

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リキッド・ロックンロールのホワイトノイズは、リースリングとゲヴュルツの混醸。華やかでいて表層的にならないナチュラルな造り。キング・ヴァレーらしいソフトで明るい土ワイン。この産地にミネラル感は期待してはいけないが、なんにも苦労がない人のよさが魅力的。これで混醸でなければ表面的になってしまっただろう。

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ビオディナミのホッフキルシュのセミヨン・ソーヴィニヨンは、他とはレベルの違う複雑さと陰影感。いかにもヴィクトリアな堅牢な構造と硬質なミネラル。

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ホドルスクリークのピノ・ノワールは、いかにも“ピノ“な、チャーミングでしなやかな味わい。海のそばのギプスランド独特の瑞々しさがいい。シンプルながら表層的ではない。ギプスランドは無灌漑・自根なはず。この品質のピノでこの値段は安い。ヤラとはレベルが違う。

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コーナーのボルドー・ブレンド、ザ・クレアは、クレア・ヴァレーらしい熟した密度の高い果実味がいい。ゴツいワインや樽が強いワインも多いが、これはしなやかでタンニンが滑らか。ナチュラルな味わいだ。

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最近はビオディナミを採用するスモールフライのステラ・ルナは今回試飲した全ワイン中、最高の美味しさ。他のほぼすべてのワインは腰高で小さいが、バロッサはいかに軽やかに仕上げてもスケール感、密度、存在感があり、下半身がしっかりしている。バロッサはダテに有名なのではない。

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バロッサと言えば、古典中の古典、ロックフォードのトーニーはこの輸入元が扱う。偉大な作品だが、酒精強化甘口が無視される日本では、何を言っても徒労に終わる。しかしバロッサはこのタイプのワインで名を馳せた産地。オーストラリアのワインショップにポートがない状況は想像できない。寿司通を自称する外国人が、ウニとトロが好き、コハダと煮ハマグリは嫌い、と言ったら、日本人は、この人は本当の寿司通にあらず、と思うだろう。バロッサのポートはコハダのようなものである。それが嫌いな人を私はバロッサのファンとは呼ばない。

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2019.09.11

NISHIGINZAでの三社合同試飲会

 銀座NISHIGINZA二階で行われた試飲会。最も印象的だったのは以下のラングドックのメルロ。

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 単一品種ワインだからAOPではないが、産地はカバルデス。しかしこの若い生産者、メゾン・ヴォントナックは常識的なラングドックワインを造る気はなく、ワイン名も、馬鹿、偏見、のけ者、と確信犯的。カバルデスらしいごりっとした芯のあるミネラル感と強いがドライにならないタンニンと高い密度の果実味が、驚くなかれ1800円で手に入るとは。

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 それにしても、輸入元ヴァン・ドールの解説(写真参照)が興味深い。「いわゆる南仏的な『大量生産』『複数品種のブレンド』『過度の凝縮感やアルコール感がある』ワインではない」。ああ!その言葉が意味あるものとして成立するためには、まさに南仏ワインが『大量生産』『複数品種のブレンド』『過度の凝縮感やアルコール感がある』ワインであるという共通見解と、それがよくないものであるという認識が日本の消費者のあいだで形成されている必要がある。ひどいものだ。南仏をひとまとめにするというのも乱暴だが、概して大量生産にならざるを得ないのは、5ヘクタール程度の小さな畑で生計を立てられるほどブドウやワインの売価が高くないからではないか。安く買い叩いているのは誰だろう?自分たちではないか。単価が低ければ生産本数を増やすしかない。それを批判するとは本末転倒だろう。

 複数品種のブレンドがネガティブに捉えられるのは、ブルゴーニュ=理想のワイン=単一品種、という幻想に侵された日本の病気である。南仏やボルドーやウィーナー・ゲミシュターサッツのファンからすれば、その病気を蔓延させた方々のことはいくら恨んでも恨み切れないと思うだろう。複数品種ワインの何がいけないというのか。以前、ポルトガルワイン試飲会に関する投稿の中で生産者の発言を書いた。「ヴィーニョ・ヴェルデは本来は複数品種ワインだし、自身もそれがいいと思っているが、日本の人は単一品種ワインを求めるから、単一品種で瓶詰めする」。皆さんはどう思う?出直してこい、だろう。メルロ単一品種より、自分の知る限り常に、カベルネ・フランをブレンドしたほうが結果はおいしい。私はカバルデスの隣のアペラシオンであるマルペールはブレンドしたことがある。メルロ単一では、当然ながら垂直性がなく香りの伸びも酸の勢いもタンニンの流麗さも劣る。カルカッソンヌの谷の北西の風も降水量も感じない。だからAOPではブレンドが要求される。それは否定すべきことでは絶対にない。

 この問題を生み出すもうひとつの元凶は、ワインを品種で理解させようとする日本のワイン教育である。今回の試飲会では、イスラエル、イタリア、フランスという生産国を問わず、トスカーナやカラブリアという地域を問わず、多くのワインがカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、シラー、シャルドネだった。つまりはワインを品種名で選ぶ消費スタイルの反映である。本来なら素晴らしいワインが出来るはずの産地でも、消費者が記憶している数少ない品種で単一品種ワインを造ることを強制させられ、二流扱いされる。それが誰のためになるというのか。

 過度の凝縮感とアルコール感という言葉も気になる。降水量が少なく水はけがよい斜面では味わいは凝縮されるのが当然なのであって、それはダメなワインではない。最近は薄いことがいいと思っている人が多いようだが、最近のブルゴーニュの薄さを見よ。収量が多い=薄い=高評価=高価格では、さぞ生産者は喜ぶだろう。とはいえ自然がもたらす凝縮感は、言葉の定義上、ナチュラルなのであって決して過度ではない。過度というのは通常、人為がもたらす。そして人為による凝縮感とは通常、抽出の強さと樽の強さによる外殻的刺激強度のことだ。よって、凝縮感と刺激強度を意図して混同する最近の日本の風潮は、製造原価低減と売価上昇による利幅の拡大を目的とした、生産流通サイドの策略としか思えない。多収量による緩く軟弱なワインが大手を振って歩く状況を改善するためには、凝縮度が高いのはいいことだが人為的に刺激強度を増すのは悪いことだ、と言い直す必要がある。

 南仏ワインが高いアルコールだという印象になってしまうのは、ようするに北の品種であるメジャー国際品種を暑い土地に植えるからだ。誰がそんな品種を植えさせているのか。地場品種でもアルコールが高い品種もあれば低い品種もある。グルナッシュやムールヴェードルは高いしカリニャンやサンソーは低い。だからブレンドしてちょうどよくなるというのが伝統的な知恵だ。しかし単一品種ワインを望むなら、この4品種のうちのどれで造らせるだろうか。それは最も有名なグルナッシュだ。アルコールが高い品種だ。それなのにアルコールが高いと文句を言うのは、これまた本末転倒だ。このような全体を俯瞰できる視点と情報を消費者に与えて正しい消費行動を主体的に行えるように補助するのが教育であって、ワインを品種で理解する、みたいなふざけた考え方で消費者を洗脳するのが教育ではない。

 ちなみに、ワイン名に馬鹿だとかのけ者だとかネガティブな言葉をつけるのは、人名に悪魔とかつけるのと同じく、間違っていると思う。なぜならそのような言葉はワインをまずくするからである。嘘だと思ったら、カバルデスのワインを2本用意し、ラベルをはがし、一本には「カバルデス」と書き、もう一本には「馬鹿」と書いて、ブラインドで二つのワインを飲んでみるとよい。前者のほうがおいしいはずだ。ワインは言葉を理解する。ワインにとってテロワールが大事だと言っているなら、そのように行動しなければならない。

 他に印象的だったワインは、イスラエルのマルセラン。カベルネ・ソーヴィニヨンとグルナッシュを交配したこの品種のワインをおいしいと思ったことはなかったが、このワインは今までで一番おいしい。シラーも悪くはない。カベルネ・ソーヴィニヨンとメルロとシャルドネはひどい。ガリレーでは当然だろう。

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 カラブリア、テヌーテ・フェッロチントのグレコ・ビアンコもよかった。このクリーミーさと強さと重心の高さは、バターチキンカレーにぴったりだと思う。同じ生産者のアリアニコのロゼやマリオッコも印象的。どれもこれもカレーっぽいので(カラブリアだから?)、試飲会場の近くのディーン&デルーカでキーマカレーパンを食べた。素晴らしいイメージ・マリアージュだ!

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2019.09.10

ジャパン・ワイン・チャレンジ最高賞 グラーフ・デゲンフェルトのトカイ・アスー・6プットニョス 2013

 2019年のジャパン・ワイン・チャレンジの最高賞はこのトカイ・アスー・6プットニョス 2013。『日本で飲もう最高のワイン2019』のプラチナ賞もこれ。いいものはいい、ということ。

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 ジャパン・ワイン・チャレンジのトロフィーワイン・テイスティングの時も、最終的な最高賞選定テイスティングの時も、このワインの高貴さ、姿かたちの美しさ、余韻の長さは圧倒的。フルミント独特のぴしっとした酸と火山性土壌の軽やかで上昇力のある香りとミネラル感ゆえ、ブラインドで飲んでもこれがトカイであることは明らかだった。別に私はトカイに特別に肩入れするつもりはないし、ハンガリーワイン=トカイとみなされてそれだけで終わってしまう日本の状況には疑問を呈したいのだが、それでもこのワインの完成度に対して疑問をもちようがなく、最高賞は即決だった。

 共産圏時代以来のトカイのファンならば、これはあまりに西欧的に洗練されてハンガリーっぽくないし、畑の前を流れる濁った川に住むフナやナマズやコイのフライやスープという典型的トカイ料理となんの接点もない、と言うかも知れない。しかしトカイはもともとこの地方の地酒だったわけではないのだから、むしろグラーフ・デゲンフェルト(ドイツ南部シュヴァーベン地方からトカイに移住)の神聖ローマ帝国的な味(ある種のウィーンっぽさ)のスタイルほうが、本来あるべき王侯貴族ワインらしいとも言える。このようなトカイの本質規定の吟味がないと、このワインが最高賞に値するのか否かの最終的な判断はできないが、私はこれが正しいありようだと考えた。最高賞とは、ただおいしければいいというものではないと、私は理想論的には思っている。

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 このワインの興味深い点は、マード的な腰の強さとタルカル的な軽やかさの両立である。マードだけではもっと重たい味になるだろうと想像する。実際にこのワインにタルカルのレスが含まれているかどうかは知らないが、そう譬えられる味がするのは事実だ。ともあれこのワインはいかにもグラン・クリュの味がする。出品された他の甘口ワインで同様なグラン・クリュ性を感じたのは、当然かもしれないが、シュロス・ヨハニスベルクのベーレンアウスレーゼ。しかしトカイと比べると風格、酸の美しさ、垂直性といった点で若干見劣りがした。もちろん大変に高度なレベルでの話だ。トカイがいかに優れた甘口ワインなのかということだ。

 それぞれのカテゴリーのトロフィーは興味深い。特に、新世界白が山梨の甲州、新世界赤がモンダヴィのナパ・ヴァレー・カベルネ・ソーヴィニヨン、旧世界赤がジェラール・ベルトランのブートナック・ラ・フォルジュ、スパークリングがカリフォルニア、といったあたり。それぞれ、卓越した垂直性とミネラル感、陰影のある複雑さと厚み、圧巻のエネルギー感と構造、整ったエレガンスとビビッド感が印象的だった。どれを買っても満足できる。

銀座の超人気ラーメン店、八五で思ったこと

昨年末の開店以来、行列の絶えないラーメン店、八五。ネットで調べてみると、ご主人は京都全日空ホテル総調理長として「現代の名工」に選ばれたフランス料理界の重鎮。フランスのバルバリー鴨、名古屋コーチン、プロシュート等で作るスープにゲランドの塩で味を調整して、タレを使わない。タレ+スープという常識を覆したという点で、これはラーメンの歴史に残る転回点だろう。麺はパスタと同じデュラム小麦入り。ラーメンとは何か、いかにあるべきか、を、それまで築き上げた料理の経験をもとに熟考し、具現化したのがこのラーメンだろう。

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銀座という立地、まるで高級すし店のような雰囲気、客席6席、店員5人、価格は中華そばで850円、そしてすべてに最高の食材の使用。いかに行列ができるとしても、損益計算書が見てみたい!

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確かに傑出したラーメンではある。味の素を使わない点はいくら褒めても褒めすぎることはない。が。きわめて繊細で無垢な、人を寄せ付けない、硬質な味。京都出身と聞いて納得の、京都らしいツンツン感。東京都中央区の味は、当然ながらしない。高級食材と超絶技巧は分かるが、いまだ知が勝って、全体を包摂する人間味がない。大地に直結する骨太の力がない。スタインウェイを優等生ピアニストが弾いているみたいな。以前ウィーン楽友会館グロッサー・ザールで聴いたブッフビンダーを思い出した。

味そのものを客観的に見るなら、素晴らしい点ばかりなのだが、それでもいくつかの点はひっかかる。1、下支えが弱い。2、広がりが小さい。3、香りの伸びが弱い。4、粉っぽい刺激感・ドライ感がある。5、ゲランドの塩独得の一点に集中する塩味が主張しすぎる。もちろん1から4の問題に対しての解決法は、それなりに料理を勉強した人なら誰でも分かるので、私ごときがあえて言う必要はない。店主ご自身が分かっていると思う。たとえば4に関してはpHをわずかに下げなけばいけない。フランス料理的なだしをひけば粉っぽい味になる。しかしフランス料理はそのだしとワインを合わせてソースを作る。これで大幅にpHが下がる。だからおいしい。

ゲランドの塩は有名だし、それじたいで舐めてみるとインパクトがあって印象的なのだが、なんでもかんでもゲランドを使えばおいしくなるわけではない。ゲランドはまるでカベルネ・ソーヴィニヨンみたいに主張する。だからステーキに最後にかける塩としては素晴らしい。力と力のぶつかり合いが躍動感を生むからである。しかしこれはスープに溶かし込む塩かどうか。大間のマグロや神戸牛と同じく、“ブランド”による価値訴求には好都合だし、食育を怠っている日本では多くの人が「有名で高価なもの=おいしいもの」という幻想に生きているので、それがビジネス上は正しいのかも知れないが(ブショネのラフィットを、ラベルを見ただけで美味しいというバカな人は皆さんも見たことがあるだろう)。私も自宅にゲランドを常備しているが、多くの場合は単体では使用しない。料理は塩を食べるものではないので、塩の個性はあくまで背景になければいけない。醤油は塩味が他の要素と合体し熟成して表面に出てこないので、基本的には醤油ラーメンのほうがこの問題に対しては有利だ。世の中、塩ラーメンが多いわりに、塩を味のどの位置にどう配置するかについての評論が不足しているように思える。

しかしこの神経質さと潔癖症的完全性と純粋さへの希求が人気だという世の中そのものが興味深い。いろいろなSF映画にあるだろう、ザルドスであれ、トータル・リコールであれ、エリジウムであれ、荒廃した地球に対する浄化された特別な居住区という二分法が。八五はまるでスペース・コロニー・エリジウムである。八五じたいは素晴らしいが、そのようなものを無批判的に崇拝する風潮は、私にはクリスタル・ナハト前夜的に思えて怖い。

ワインも同じ風潮にあるのではないか。唯一絶対の真善美への希求は、それ自体が排除の元凶になる、というのは60年代にミシェル・フーコーが言ったことだ。上記の文章をワインに当てはめて考えてみて欲しい。

 

2019.09.06

フランス大使館でのサヴォワ・ワインのセミナー

ワイナリーからの直販比率55パーセント。国内市場95パーセント。フランスにおける地元密着型ワインの代表サヴォワ・ワイン。海外市場狙いの“よく出来たワイン”が氾濫する現在、単に美味しいだけでは面白くない。いかにその土地らしいかが大事だ。フランス産地の中でもとりわけ多い23もの品種が織りなす多彩な味わいは、サヴォワ以外ではあり得ない魅力だ。

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美味しい、面白い、値段も手頃、地産地消的で現代の農産物トレンドにもフィット、フランス屈指のチーズ産地でもあり食文化的にも訴求力大、となれば、売れない方がおかしい。と、私個人は思うのだが、なかなか日本では見かけない。フランスではあちこちでサヴォワ料理店を見かけるから(個人的にはパリ・リヨン駅前やモンペリエで愛用)、それが独自のレストランカテゴリーとして確立されているのが分かるが、日本ではフランス料理はフランス料理であってサヴォワ料理店は検索しても出てこない。それではサヴォワワインの販売拠点もない。だからこうしてサヴォワから生産者たちが来日してイベントを行ってくれるのは有難い。こうでもしないと、いつまで経っても日本ではボルドー&ブルゴーニュで塗りつぶされたままだ。選択肢にすらなっていない状況から少なくとも一歩進んで、サヴォワワインも存在することを知って欲しい。低すぎる望みとはいえ、まずはそこからだ。

サヴォワには6,7回訪問し、そのワインの講座は日本橋浜町ワインサロンでも数回行ったことがある。私が最も好きなフランスワインのひとつ、アルテッスとモレットから造られるセイセル・ムスーも何度かお出ししたことがある。クレピー、セイセル、エーズ、アビム、アプルモン、アルバン、サン・ジャン・ド・ラ・ポルト、クルーエ、シニャン、マレステル、ジョンジューといった産地、そしてジャケール、アルテッス、シャスラー、ルーサンヌ、グランジェ、モレット、モンデューズ・ブランシュ、モンデューズ、ピノ・ノワール、ガメイといった品種。産地名とワインの味を記憶するのはけっこう大変だが、努力しがいのあるワインだ。

 

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今回の発見は、2015年に発足したデノミナシオン、クレマン・ド・サヴォワ。クレマン・ド・ジュラ、クレマン・ダルザス、クレマン・ド・ブルゴーニュ、クレマン・ド・ディー、クレマン・ド・リムー、クレマン・ド・ボルドー、クレマン・ド・ロワールに続く、8つめのクレマン。可能性は大きい。なぜなら、先に述べたように、サヴォワは数多くの品種が使えるからだ。ジャケール40パーセント以上、ジャケールとアルテッスで60パーセント以上という品種規定も順当だ。ジャケールはアルコールが低く酸が高いからスパークリングワインに好適だし、そのスッキリとした風味に対してトロピカルでクリーミーなアルテッスは丁度相補的な役割を果たす。そこにいろいろな品種をアクセントとして使用すれば結果のバリエーションが増す。似たり寄ったりになりがちなクレマン・ド・ブルゴーニュより遥かに面白い。少なくともポテンシャルとしては。写真のクレマンは4品種ブレンドだが、今まで馴染んでいたサヴォワの一般的な単一品種ワインより複雑性と垂直性がある。

 

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複数品種のサヴォワワインは極めて少ない。だが、これは開発しがいのあるワインだ。写真の品種名なしヴァン・ド・サヴォワもクレマンと同じく、今までとは違う可能性を感じさせる。ひとつのレストランやショップでいくつもの品種のサヴォワワインを扱うのは非現実的だとしても、そして単一品種ワインはマリアージュがピンポイントになって使いにくいとしても、これなら便利だ。アルザスのエーデルツヴィッカーやウィーンDACと並んで、ワインにこだわらない和食や中華などの店にお勧めしたい。

 

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写真のアプルモンは今回の白眉。1907年に植えられた自根のジャケール。スッキリサッパリの一言では到底済まない圧巻の力強さとミネラル感と安定感。これはすごい。この生産者の畑には一部花崗岩の礫を含むのも興味深い。通常の石灰だけの畑のワインよりふわっとした空気感や滑らかさがある。つまり結果としては硬軟陰影織り交ぜたワインになる。

参加者の方々は「各生産者の話が淡々と終わってやる気なし」と言っていた。フランス大使館の方曰く、「いつも割り当て時間を超過して喋りまくる南の人に私が慣れすぎたか。事前に短く簡潔にと言い過ぎた」。「リハーサルしてなかったんでしょ?」、「してません」、「それはダメ、あれは話せばいいってものではない」。ワイン生産者は普通、「何年に創業、何ヘクタール所有」みたいな話しかしない。それは資料に書いてある。話さねばならないのはそんな情報ではない。それでサヴォワワインの何が分かる?仕切り役が大事だ。

ちなみにサヴォワのチーズにはジャケール。生産者も口を揃えてその言うし、実際いろいろと試してきた結論もそう。これは分かり切ったことなので、チーズ料理店なら迷わずジャケールを買うべし。

太陽を感じるふくよかなミッドと涼しげな酸を軸とする余韻のコントラストをしなやかな質感が包み込む。それがサヴォワワインの基本的佇まいだ。そこを生かして食卓で楽しんで欲しい。

〈田中克幸〉

2019.09.02

新潟市でのワインセミナー

新潟市で二日間にわたり、カーブドッチが経営するレストラン、レコルタ・カーブドッチでセミナーを行った。

 

 

一日めは越前浜のワイナリー、フェルミエの本多さんに幹事になっていただいて、プロ向けワインセミナーを開催した。ワインや日本酒の醸造家の方々やレストラン、ショップの方々にお集まりいただいた。テーマは、以前ドイツのラインヘッセンで行ったものの発展型。ビオディナミの原理と応用について。色、音、動きを含めての包括的考察。6時半開始で終了11時。伝えることがありすぎて。

 ビオディナミとは、と聞くと、「月の満ち欠けに従って農作業を行う」、「オーガニックの発展形」、「プレパラシオンを使う」、「カルト」といった感想。私は、天と地の関係において、人間が超越者のメッセージを受け止め、世界のエネルギーバランスを正しい形に整えることで、農作物にその正しい世界のありようを個々に体現させ、その農作物を摂取する人間の霊的進化を助ける方法、と言っていた。だからビオディナミは狭い意味での畑作業にとどまるだけではなく、消費の時点まで拡張されねばならない。

 まず人間には農作物に対する精神的コミュニケーションができるのか、人間には霊的パワーがあるのか否かの検証。キリン一番搾り6本を6人の人に持たせ、理想の味わいを思い描いてそれを瓶の中のビールに転写する実験。抜栓してブラインドで皆でテイスティングすると、6本はまったく異なった味になっているし、それぞれの人のビール観がよく出たものになっている。これをどう説明するのか。いずれにせよ、思っていることは味に出る。だから正しいイメージを持たねば、そしてそれが組織による協働ならば全員が心をひとつにせねば、結果は無茶苦茶になってしまうということだ。

 ワインは目もあれば耳もある。ゆえに人間の動きにも反応するし、音にも反応する。その実験も行った。

 そしてプレパラシオンはブドウに効果があるだけではなく、瓶詰めしたワインにも効果があるということの実験。まずビオディナミのワインとノーマルのワインの味の違いを分析し、次にノーマルなワインにビオディナミの処置をしてそれをテイスティング。すると、それは確かにビオディナミのワインの味に近づく。畑作業だけのビオディナミだと同時のAB比較ができないから、本当に効果があるのかどうか検証できず、だから宗教だとか思い込みだとか言われるわけだが、こうしてAB比較すれば誰にとっても一目瞭然だ。

 参加者の方には相当に刺激的な内容だったと思うが、個々人よく咀嚼して、ひとりひとりの仕事に役立てて欲しい。

 夜のセミナーの前には越前浜のフェルミエに行って打ち合わせをした。新潟駅からバスで45分。収穫されたスパークリングワイン用のアルバリーニョを食べてみた。香りが華やかで軽やかな新潟市の味。しかし農薬っぽい。そのあとセラーのチェック。まぁいろいろ問題が。ひとつの角から変な気配が漂うので、そこに置かれた樽もまずそうな雰囲気が外に出ている。「たしかにこの場所のワインは美味しくない」と本多さん。その場で出来る範囲で調整させてもらった。越前浜のワインはさらっとしなやかにはなる。しかし芯、腰、立体感、ダイナミズムが弱い。それは皆自覚しているはずだ。自覚していて何もしないのはいけない。私の処置が唯一絶対ではまったくなく、可能性のうちの何万分の一に過ぎないが、それでもやらないよりずっとよくなった。今年のフェルミエのワインは少し美味しくなっているかもしれない。その場に皆さんが居合わせたらきっと楽しかっただろう。

 ところでいつも思うのだが、日本のワイナリーの記事はあちこちにあるが、なんだかきれいごとばかり書かれていて、生産者の努力自慢ばかりで、気持ち悪い。思ってもいないことを口あたりよく言ってよいしょしているだけでは発展はない。フェルミエでも「今日は立場が違うから言いたいことを言いますよ」と前置きしつつ、まずいものに対しては「まずい!」と言っていた。まずいものはまずい。それは事実だ。だとすればまずい理由を客体化し、現実的に何ができるかの議論を腹を割って皆でするべきなのだ。そしてもちろん具体的な対策法を考案して結果を見せるべきなのだ。そんなことは誰でもできる。ワインを一口飲めば分かることなのに、できるのにやらず、その場ではおべんちゃらを言って、陰で「まずい」と批判しているようではワインに対しても人間に対しても愛がない。フェルミエを訪れる人たちが皆でやれば、どれほどおいしくなることだろうか。

 

 二日めのテーマは、ワインのテロワールと料理の相性。新潟市でワインショップを営む海老名みどりさんの主催で、ワイン愛好家向けにお話した。私が目的とするのはその場限りのおいしさではなく、マリアージュの一般理論。だから普通のメニューを出して、そこにワインを合わせ、結果として「おいしかったですね」というセミナーにはしたくない。そのような経験を何十回重ねても、よほど自分で努力しない限りは、法則性が見えてこない。だからいつまで経ってもワインが選べない。その理由は、個別体験の単純集積が経験的知識だと素朴に思っているからだ。論理性なくして知識にはならない。もうひとつの理由は、ソムリエやプロの方々の話が難しすぎるからだ。私は寝ながら聞いても分かる程度の話しかもともとできない。

 料理は、鯛の高温グリルと低温ロースト、鯵のハーブパン粉焼きとヒラメのカルパッチョ、チキンシュニッツェルとポークシュニッツェル、牛肉ハンバーグとステーキ。こういう形で差別点を明確にした料理を比較しながらテイスティングすることが大事だが、普通に暮らしていてはなかなかその機会はないものだ。

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 ワインは、砂と粘土、土と岩、海辺と山間の違いで多数。初心者の方々は、一面的なワイン情報のせいで、ワインを品種名で選び、料理と品種名を対応させる。スーパーマーケットの棚を見てもそうなっている。しかし料理に対応するのは第一にテロワールであり、品種は次だ。この手の話は論より証拠。実際に料理とワインが美味しくなって初めて納得してもらえる。

 

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 カーブドッチやフェルミエの自社畑は岩のない砂地だ。砂なら鯛は低温調理しなければならないし、ヒラメは合わないが鯵は合うし、ポークは合わないがチキンには合うし、ステーキには合わないがハンバーグには合う。それぞれの理由を学んでいただいた。

 ステーキだからカベルネ、ではなく、ステーキだから岩、と推論しなければならない。今回、ボルドー左岸と去年のボージョレ・ヴィラージュ・ヌーボー(岩のところ)もブラインドで出して、どちらがハンバーグに合い、どちらがステーキに合うか試してもらった。普通、先入観でボルドー=ステーキ、ボージョレ=ハンバーグだと考える。もちろん実際は逆だ。ボルドー左岸の多くは砂質土壌だからだ。ちなみにハンバーグは細かく挽いてつなぎを入れてくれと頼んだ。そうでなければ砂には合わない。粗挽きつなぎなしでは岩だ。

 新潟市の北1時間ぐらいのところにある、胎内市の胎内高原ワイナリーは逆に粘土質。こちらはチキンではなくポーク、鯵ではなくヒラメに合う。新潟といっても広い。食卓でそれぞれの土地のワインを生かすためには、それぞれの土地が要求する料理を作らねばならない。新潟のレストランで食事をする新潟の人が新潟のワインの正しい使い方を知らないようでは、素晴らしい新潟のテロワールとそれを生かしたワインを造る生産者の方々に申し訳ないではないか。ワインは基本、どれも宝石なのだ。しかし間違った文脈に置くと、ただの石にしか見えなくなる。宝石は宝石としてめでるべきだ。

 本来ならこの内容のテイスティングセミナーは日本中で開催したいところだ。そうすれば日本では間違った料理を合わせてワインをまずくすることがなくなるし、ワインのそれぞれの個性を料理を生かす美点としてポジティブに捉え直すことができるようになる。

 大勢のご参加をいただき、ありがたい。主催の海老名さんや細かい要求を素晴らしい料理に具現化してくださったレコルタ・カーブドッチの方々には改めて感謝したい。

 

 

2019.09.01

ロゼワインと上海料理

 

 ラングドックや南仏品種のロゼワインと上海料理の会を、九段『上海庭』開催した。
 中国料理全般にロゼワインというのは常に順当な組み合わせだ。タンニンによって切るべき過剰な脂肪がなく、ふっくらと丸い味で、かつ酸が低い料理となれば、タンニンも酸も少なくまろやかなロゼが選ぶべきワインだ。もちろんすべての中国料理に過剰な脂肪がないとは言わないが、高級中国料理は概してさっぱりしているものだし、そこにある脂肪は味わうべき脂肪であって除去すべき対象ではない(東坡肉など最たる例)。タンニンと酸が強いと料理の味がドライになることがある。それを避けねばならない。常に言っていることだが、脂肪を使う料理である中国料理において、その脂肪は必要だからそこにあるのであって、脂肪=不要、脂肪=流すべき対象、ゆえに脂肪にはタンニンと酸で相殺させる、という日本で一般的な思考方法は間違いなのだ。フォワグラにクロ・サン・チュンヌの辛口リースリングを合わせるだろうか。
 ところがロゼならいいわけではない。プロヴァンス型現代ロゼの大半は早摘みで酸が高く固いので、むしろ最も合わないワインになってしまう。日本ではそういう「ニース風サラダをプロヴァンスの海辺のレストランで」系のロゼばかりが横行している。もちろんこれも、日本で「酸、酸、酸」と連呼する声の大きい方々の影響であり、困ったものである。

 ボリューム、実体感があり、より熟して酸がまろやかなロゼ、つまり食中酒として機能性が高いロゼは、ラングドックに多い。ラングドックのロゼはプロヴァンスとタヴェルの中間的存在と考えるべきで、実際にそういうポジションを産地全体として狙っているようだ。ところが日本にはラングドックのロゼがほとんど輸入されない。サン・シニャン、ラ・クラープ、フォージェール、ピク・サン・ルー、グレ・ド・モンペリエといった優れたテロワールのロゼにいたっては皆無に近い。本来なら、中国料理に限らず極めて実用性のあるワインのジャンルなのに、それがまるごと抜けているというのはどうしたものか。今回はラングドックのロゼがいかに有用なのかを証明する会である。

 メニューは以下のとおり。
芹菜干糸
酔鶏
軟炸明蝦
八宝鴨
清蒸石斑魚
腐乳東坡肉
開葱燴麺

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 普通に店に行ってもよくある中華料理しかメニューにはないので、これを作ってくれ、と特別注文した。特に今回は上海の有名な宴会料理、八宝鴨を作ってもらった。驚異的においしい。気合の入った時の中国料理は本当に本当におそるべし。中国人シェフは誰も日本風中華など調理したいと思っていない。

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 ワインは写真のもの。前菜とバロッサ、エビとサン・ジョルジュ・ドルク、鴨とサン・シニャン、魚とピク・サン・ルー、豚とバニュルス。どれもいいが、サン・シニャンやピク・サン・ルーがいいのは当たり前。特にこれらはラングドックでたくさん試飲した中で特に素晴らしいものを持ち帰ってきたので、別格かもしれない。粘土質で重心が低くボリュームがあって粘りがあるサン・ジョルジュ・ドルクのロゼはもっと注目されていい。しかしこの産地を知っている人は日本ではほとんどいないだろう。日本では情報が偏りすぎだ。そして現地に行かないと買えないバニュルス・ロゼ。バニュルス=熟成風味ではない。コリウールはバニュルスの早摘み辛口と言うべきワインで、バニュルスのリッチな完熟風味に着目すべきであり、ミュータージュという製法や甘さにのみ気を取られてはいけない。今回は協同組合レトワールのオーガニック・ロゼ。昔のレトワールのぼちぼちの品質を記憶している人なら現在の彼らのオーガニックワインは長足の進歩だ。ともかく、どのワインも料理と溶け合い、邪魔しない。ロゼの必然性をよく理解できた。

 

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