日本橋浜町ワインサロン 四川料理とワイン
神保町、錦秀菜館で忘年会を兼ねて今年最後の講座を開催した。
やればできるじゃないか、と思わず叫びたくなる見事な料理。メニュー自分で書いてシェフに渡し、絶対に日本人を意識するな、と事前に伝えてあったから、完全に日本離れした本場中国。パワフルでフォーカスが定まり、かつ軽快でリズミカル。軽くともフラットになるか、濃くて重くなるか、というよくある中国料理とは別次元の美味しさ。一度経験してしまうとこれから欲求不満になってしまうから困る。
メニューは以下。まさに正宗川菜。
韮泥白肉
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姜汁肝片
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尖椒兔
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干扁牛肉糸
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樟茶鴨
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芽菜扣肉
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酸菜鯉魚
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宜賓燃面
ワインのテーマは、「料理との相性から見てグラン・ヴァンとは何か」。ようは、格が上がるとディメンジョナリティが増す。すると料理が何が来ても一本でカバーできる。それぞれの料理に一対一で合わせたワインが素晴らしいのはわかるが、7種類の刺身に7種類のワインを飲む人はいないように、その手の話は机上の空論になりがち。だいたい19世紀前半にロシア式サービスがフランスに導入されるまでは物理的に一対一の組み合わせは不可能だった。しかしいろいろな料理をごちゃまぜに食べていた近世王侯貴族が飲んでいたのは、彼らの領地からのグラン・ヴァン。合わないワインは料理をまずくするのは今も昔も人間なら分かるわけで、つまりはグラン・ヴァンは最低限の相性を多種の料理に対して約束していたのではないか。グラン・ヴァンとはサイズ、ディメンジョナリティ、味の要素数という観点から、多種の料理とどこかに接点を持つ。だからワインの選択に困ったらグラン・ヴァンという世間で言われる法則は正しい。
しかし別にグラン・ヴァンでなくともディメンジョナリティや要素数を増すことは出来る。最初に出したのは、あちこちのいろいろな品種のブドウやワインを混ぜて作ったテーブルワインのものすごく安いヴァン・ムスー。次はシャンパーニュのブラン・ド・ノワール。次はドン・ペリニヨン。最初の安いワインが意外や意外、いろいろな料理に合う。こうして偏見なく見ると、単一テロワール単一品種ワインが支配する現状が、いかに一般家庭でのワイン消費を難しくしているか分かる。
兎、牛、鴨、豚、鯉のいろいろな料理にボルドーやそのほかの国のボルドー品種ワインを合わせてみると、確かにシャトー・ラトゥールだけは何に対してもそつなく美味しく飲める。他は一対一の相性でしかない。兎と鴨はハウエル・マウンテンのカベルネ、牛はリストラック、豚は粘土石灰のサンテミリオン、鯉はヴェネト、ブレガンツェのカベルネ。鴨はラトゥールが一番合ったが、他はちゃんと考えて選んだそれぞれのワインがやはり一番。つまり、グラン・ヴァンはそつなくこなすが、必ずしも常に一番美味しいわけではない。
これらすべての料理にあえてカベルネとメルロだけからワインを選んだというのがポイントで、テロワールが違えばワインはそれだけ多彩な表情を見せるのだ。品種と料理を合わせるなどという単純化は絶対に出来ない。そして正しく選べば、針の穴に糸を通すような難しさはあるとはいえ、値段は関係ない。ブレガンツェは千円台のワイン、ラトゥールは十数万円だ。簡単な話、知識は無駄な出費を防ぐ。
繰り返しになるが、それでもそれはあくまで一対一対応型。一本でまかなうには、多テロワール多品種のワインが必要なのだ。そういうワインは役に立つと思わないか?しかしそういうワインは普通は安物だ。中価格帯の高品質オーガニックブレンドワインがあるべきだ。軽重・赤白の組み合わせで四つあれば普通は十分ではないか。しかしそのようなワインは存在しない。やれば簡単に出来るのにやらない。いや、できない。消費者が間違った考えに立脚し、単一テロワール単一品種型のワインに固執しているからだ。そうであるなら、針の穴に糸を通すことが出来るようになるまで死ぬ気でワインを勉強するしかない。しかしそれは効果的な時間の使い方なのだろうか。そして、今回分かったように、最高のテロワールのグラン・ヴァンならそつなくなんとかなる。しかしそれは効果的なワインの楽しみ方なのだろうか。こうしたことを考え、また検証する機会は重要だ。