ワインと料理

2019.11.17

日本橋浜町ワインサロン講座 韓国料理とロワールワイン at 『ヨプの王豚塩焼』

今年行ったレストランの中でも特に気に入ったのが新橋の『ヨプの王豚塩焼』。味のフォーカスが決まっていて鮮烈で精悍。味に力があって上品で香りが伸びやか。そして野菜が多く、酸がしっかり。ロワール的洗練。だからここでロワールワインのマリアージュ講座を開催した。もやっとした小づくりで手をかけすぎた料理が嫌いだし、ワインに合わせにくい。こういう直截な料理とワインの組み合わせから生まれるエネルギーがいい。

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  ▲これらはソーミュールとアンジューのふたつの地域のシュナン・ブランとカベルネ・フランの個性を理解するには最適のワインだ。

 

アンジューとソーミュールのあいだで決定的に味の方向性が異なるというのが、ロワールワインの使いこなしの上では必須了解事項。多くの人は「ロワールのシュナン・ブラン」、「ロワールのカベルネ・フラン」とまとめてしまう。それがすべての誤解のもとだ。アンジューのシュナンとソーミュールのシュナンではまったく異なる。ひとつの料理にソーミュールのシュナンが合うとすれば、ソーミュールのカベルネ・フランでも合うのであって、アンジューのシュナンでは決してない。これは経験してみないとなかなか分からない。仮に誰かが「この料理にはロワールのシュナンが合う」と言ったなら、私はその人はロワールワインファンでもなんでもなく、勝手なイメージでものを言っているだけだと理解する。しかしアンジューとソーミュールには共通点もある。大西洋の影響はロワールを東にさかのぼってソーミュールまでは確実に感じられるため、ワインの味はやわらかく酸が穏やかでフルーティ。この店の料理には、より内陸の大陸性気候の影響が強くなる産地のワインは合わない。

ご参加の方に、韓国料理とロワールワインの組み合わせなんて絶対に思わない、と言われた。それは繊細で気品ある韓国料理に対する誤解だし、ロワール=ミュスカデ、シノン、ヴーヴレ、サンセール、だと思ってしまう日本独特のロワール観(ワインスクールの罪は大きい)の弊害である。

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キムチ、ナムル、熟成キムチ鶏鍋には重心上ですっきりしたソーミュール。そして看板料理である熟成岩中豚肩ロースのサムギョプサルには重心下でこってりしたアンジュー地区のワイン。ニコラ・ジョリーの堂々としてコクがあって重心が下のサヴニエール・レ・ヴュー・クロが最高の相性だった。丘の斜面上部にあるクーレ・ド・セランは重心が高めなことが多いが、斜面下のヴュー・クロは確実にどっしりした豚肉的味だ。どうやってニコラ・ジョリーのワインを使っていいか分からない人が多く、ニコラ・ジョリーという名前でワインを買うだけの人もいると思う。そういう人はこの店で試してほしい。私は食べながら、あまりにおいしくて話すことを忘れてしまいがちになった。今年のベストな相性のひとつだ。こういう経験ができるからワインは楽しいし、勉強のしがいがある!

ご参加くださった2名の方にもご満足いただけたはず。2名の方にしかこの素晴らしさを、またロワールの使いこなしについてお伝えできずに残念。来年またこの店で違う産地のワイン(たぶんブルゴーニュかオーストリア)をテーマに開催したいと思う。

ちなみにこの店は無化調。それが重要なのは言うまでもない。

2019.10.02

牛肉赤ワイン煮用のワインについて

牛肉赤ワイン煮は水系調理の典型で口内味分布が拡散型だから、それに合わせてワインも拡散型にすべき、と考えるのは普通だ。肉の味だけを見れば確かに拡散だが、ワインまで拡散だと、食べた時に真ん中が弱くなる。シチューを食べる時によく注意すれば、大概の場合にその欠点に気づく。誰一人としてその話をしないが、料理用赤ワインはなんでも同じだと思っているのか。とはいえ集中型のワインでは肉の味の広がりの外縁部における肉とソースの一体感に欠ける。一長一短。この解決は簡単で、拡散型と集中型のふたつのワインを混ぜて使うことだ。

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赤ワイン煮は下方垂直性食材から下方垂直性食材まで多彩な要素からなる極めて垂直的な味なので、使用ワインは垂直的でなければならない。よくあるブフ・ブルギニヨンの失敗は、重心が高く水平的なワイン(ピノはそうなりがち)を使用することで、玉ねぎと人参に対する接点を失い、その下方向の味だけがワインとの一体感から遊離することだ。だからブルゴーニュワイン通がこの料理を作るときには無意識にもシャンベルタンやラトリシエールを使い、ルショットやモンリュイザン区画のクロドラロシュは使わないのは理に適う。

もうひとつの観点は岩ワインの重要性だ。土ワインだけでは焦点が定まらず、肉に対するソースの食い込みが足りない。つまりボルドーの中でも石灰岩のないサンジュリアンやオーメドックではダメで、サンテステフやサンテミリオン衛星地区の出番だ。同じくバロッサ・ヴァレーだけでは、いかにワイン単体では濃く感じられても適切な味構成のソースにはならず、イーデン・ヴァレーを加えねばならない。多くの飲食店で料理用にはコート・デュ・ローヌを使うようだが、クリュの一部以外のコート・デュ・ローヌは岩がないから、それは概して間違った選択になってしまう。フィトゥーやイルーレギーのような芯の強い岩ワインと適切にブレンドして使うべきだ。

結論としては、
1、集中型と拡散型の混合。
2、上から下までの垂直性。
3、土ワインと岩ワインの混合。

これは赤ワイン煮だけでなく赤ワインソースにも適合する。この基本的考えがわかっていれば、以下の質問には自分で答えられるはずだ。
1、メルロが拡散型でカベルネが集中型になったヴィンテージのボルドーは使えますか?
2、斜面の上から平地までの広い面積の畑のワインは使えますか?
それらはひとつのワインの中に多様な要素が含まれているのだから、一本でそのまま使える。逆に見るなら、近年の流行りの単一品種単一畑ワインは汎用性がなく料理には使いにくい。

今回の料理では、集中と拡散、そして上から下までの垂直性、土と岩に留意し、クリス・リングランドのバロッサ・ヴァレー・シラーズ(拡散)、ヘンチキのシリル(集中)、シャトー・カロン・セギュール(集中)を混ぜて使用した。順当な料理用ワインだろう。

過去何十年に渡って、牛肉赤ワイン煮に使う赤ワインはいかなるものであるべきかの考察と検証を続けてきた。ワインファンを目指すなら、このテーマについてしっかりした経験値と見解を持つことは必須だからだ。私は料理のプロではないので何十回しか実験していないが、フォンから引けば一回に完全にまる一日かかる。ただひとつの料理のひとつの要素でも、私のような凡人は何十日費やしてなんとか法則性が見えてくる。これでは100の料理を作るには100年の準備研究が必要になり、それは不可能だ。料理の神の声が聞こえる天才なら瞬時に全てを理解して一発で決められるかも知れないが、残念ながら私は声が聞こえない。すると、出来の悪い料理を100作るか、それとも自分で納得できるまでひとつの料理を何年かかけて作るか、という選択になる。しかし後者の場合、100人が別々の研究テーマを決めて探求し、得た結論をシェアすれば時間が一気に短縮される。そのためには料理に対して論理的なスタンスを取り、コミュニケーションを可能とする言語化の努力が前提となる。名辞的消費、流行、インスタ映えの追求のみが食への関心の中心的テーマではない。

 

2019.09.19

松瀬酒造御一行様向け特別セミナー

滋賀県竜王町の松瀬酒造の社長、杜氏、社員が揃って日本橋浜町ワインサロンにお見えになり、彼らの為の特別なワインセミナーを開催した。

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日本酒とワインは関係ないばかりか、土地のスピリットを表現するという点において何の変わりもないはず。しかし今の日本酒は、その観点が希薄だ。ワインはアペラシオンがはっきりしているため、例えばアルテンベルグ・ド・ベルグビーテンという名前のワインなら、アルテンベルグ・ド・ベルグビーテンの味がしなければならないし、その畑がどんな土地でどんな味なのかについての情報は膨大な量が公示されているから、消費者もどんな味かは買う前にわかっている。では竜王町がどんな土地でどんな味なのか、誰か知っているのか。知ろうとしているのか。造り手でさえあやしい。ではそのお酒を評価するためのリファレンスはどこにあるのか。なければ単に個人の好き嫌いしかなく、流行りのスタイルに日本全国が流されるばかりで、そこで土地のスピリットが鑑みられることがない。それは日本酒として正しいあり方か。

いろいろな議題を、ワインテイスティングを通して議論することが出来た。このような膝突き合わせた話が、生産者と消費者の間、少なくとも生産者と酒販店や飲食店の間で出来ればいいのだが、そういう機会もなかなかないようだ。このぬるま湯状態、判断停止状態でよしとしている日本の状況が理解不能だ。まだまだ道は遠い。

このセミナーのテーマのひとつとして、料理とのマリアージュの話を依頼されていた。生、焼く、ゆでるではどう味が違うのか。肉の部位によってどう味が違うのか。等々。野菜、焼き鳥、ステーキ、ビーフシチューといったいろいろなお料理をお出ししつつ、どのワインがなぜ合うのかについてお話した。レストランに行ってあれこれ食べあれこれ飲んでも実は体系的な勉強にはならない。考察するポイントを絞り、そのための料理を作り、変数を少なくした形でワインと合わせ、味を分析し、一般論を導き出すというプロセスを踏む以外にない。それはこのテーマに関する基本中の基本の勉強なのだが、なかなかそれを経験する機会がないものだ。松瀬酒造の方々には楽しんでいただけたと思う。

2019.09.14

クロ・デュ・タンプルとしゃぶしゃぶの講座

初台にある高名な牛肉料理店『松阪牛よし田』で、クロ・デュ・タンプルとしゃぶしゃぶの講座。クロ・デュ・タンプルは基本的に、高級フレンチのホタテやオマールや鯛やヒラメのメイン料理に合うロゼワイン、という位置づけ(公にはどこにも書いていないが)。だから以前のクロ・デュ・タンプルお披露目会ではホタテとオマールと鯛を出した。それらに合うということは、黒毛和牛しゃぶしゃぶ(ゴマダレ)にも合うということ。柔らかさ、クリーミーさ、ボディ感、味の密度の高さ、スケールの大きさといったクロ・デュ・タンプルの味わいの要素は、確実にゴマダレしゃぶしゃぶと重なり合う。

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私が中学生のころは父が京橋と吉祥寺でしゃぶしゃぶの店も営んでいたので、当然ながら私はしゃぶしゃぶには思い入れが深い。長年の研究でおいしいしゃぶしゃぶの食べ方を発見し、今回もその方法で食べた。ゴマダレの調味法にもコツがいる。今回は新たにクロ・デュ・タンプルに合わせて肉の二つ折り法を試してみて、それが成功した。しゃぶしゃぶは未完成の料理であって、各人の創意工夫が必要だ。漫然と他人にサービスさせて、できたものを口に入れているだけでは、しゃぶしゃぶは美味しくない(すき焼きはそれで通常は美味しいが)ばかりか、ワインとの相性など得られない。

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大変においしい。さすがに有名店だけあるし、さすがにクロ・デュ・タンプルは次元が違うロゼだ。『松阪牛よし田』は輸入元にクロ・デュ・タンプルのオーダーを入れるようだ。しかしそこが輸入する本数はたったの24本らしい。この店が全部買い占めてしまいそうだ。とはいえ、買うのはお金があれば簡単かも知れないが、まっとうなビオディナミワインであるクロ・デュ・タンプルは、ただ買って抜栓すればいいというものではない。飲む前の作法がある。もちろん今回のワインは、ちゃんとトリートメントを施したものだから、ポテンシャル全開。それを経験しないと、個人的には、クロ・デュ・タンプルを飲んだとは言えないと思っている。

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この講座の前半は、前菜2種と刺身に合わせて、参加者の方にワインをブレンドしてもらった。素材はシラー、カベルネ、メルロ、シャルドネ主体の白の4本のワイン。これらをすべて使用し、ブレンド比率を変えて、個々の料理に合わせていくという実験。正しく作れば、単一品種ワインよりはるかに料理に合わせやすい。では正しく作るとはどういうことか。それを学んでいただいた。この話は始めたら恐ろしく長くなるからやめる。ただひとつ言えることは、赤白ブレンドは大変に効果的でワインの味わいの幅を広げるということ。それを一部を除いて禁じる現代のワイン法も、よくないと思いこんでいる世の中の大多数の人たちも、間違っている。

2019.09.10

銀座の超人気ラーメン店、八五で思ったこと

昨年末の開店以来、行列の絶えないラーメン店、八五。ネットで調べてみると、ご主人は京都全日空ホテル総調理長として「現代の名工」に選ばれたフランス料理界の重鎮。フランスのバルバリー鴨、名古屋コーチン、プロシュート等で作るスープにゲランドの塩で味を調整して、タレを使わない。タレ+スープという常識を覆したという点で、これはラーメンの歴史に残る転回点だろう。麺はパスタと同じデュラム小麦入り。ラーメンとは何か、いかにあるべきか、を、それまで築き上げた料理の経験をもとに熟考し、具現化したのがこのラーメンだろう。

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銀座という立地、まるで高級すし店のような雰囲気、客席6席、店員5人、価格は中華そばで850円、そしてすべてに最高の食材の使用。いかに行列ができるとしても、損益計算書が見てみたい!

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確かに傑出したラーメンではある。味の素を使わない点はいくら褒めても褒めすぎることはない。が。きわめて繊細で無垢な、人を寄せ付けない、硬質な味。京都出身と聞いて納得の、京都らしいツンツン感。東京都中央区の味は、当然ながらしない。高級食材と超絶技巧は分かるが、いまだ知が勝って、全体を包摂する人間味がない。大地に直結する骨太の力がない。スタインウェイを優等生ピアニストが弾いているみたいな。以前ウィーン楽友会館グロッサー・ザールで聴いたブッフビンダーを思い出した。

味そのものを客観的に見るなら、素晴らしい点ばかりなのだが、それでもいくつかの点はひっかかる。1、下支えが弱い。2、広がりが小さい。3、香りの伸びが弱い。4、粉っぽい刺激感・ドライ感がある。5、ゲランドの塩独得の一点に集中する塩味が主張しすぎる。もちろん1から4の問題に対しての解決法は、それなりに料理を勉強した人なら誰でも分かるので、私ごときがあえて言う必要はない。店主ご自身が分かっていると思う。たとえば4に関してはpHをわずかに下げなけばいけない。フランス料理的なだしをひけば粉っぽい味になる。しかしフランス料理はそのだしとワインを合わせてソースを作る。これで大幅にpHが下がる。だからおいしい。

ゲランドの塩は有名だし、それじたいで舐めてみるとインパクトがあって印象的なのだが、なんでもかんでもゲランドを使えばおいしくなるわけではない。ゲランドはまるでカベルネ・ソーヴィニヨンみたいに主張する。だからステーキに最後にかける塩としては素晴らしい。力と力のぶつかり合いが躍動感を生むからである。しかしこれはスープに溶かし込む塩かどうか。大間のマグロや神戸牛と同じく、“ブランド”による価値訴求には好都合だし、食育を怠っている日本では多くの人が「有名で高価なもの=おいしいもの」という幻想に生きているので、それがビジネス上は正しいのかも知れないが(ブショネのラフィットを、ラベルを見ただけで美味しいというバカな人は皆さんも見たことがあるだろう)。私も自宅にゲランドを常備しているが、多くの場合は単体では使用しない。料理は塩を食べるものではないので、塩の個性はあくまで背景になければいけない。醤油は塩味が他の要素と合体し熟成して表面に出てこないので、基本的には醤油ラーメンのほうがこの問題に対しては有利だ。世の中、塩ラーメンが多いわりに、塩を味のどの位置にどう配置するかについての評論が不足しているように思える。

しかしこの神経質さと潔癖症的完全性と純粋さへの希求が人気だという世の中そのものが興味深い。いろいろなSF映画にあるだろう、ザルドスであれ、トータル・リコールであれ、エリジウムであれ、荒廃した地球に対する浄化された特別な居住区という二分法が。八五はまるでスペース・コロニー・エリジウムである。八五じたいは素晴らしいが、そのようなものを無批判的に崇拝する風潮は、私にはクリスタル・ナハト前夜的に思えて怖い。

ワインも同じ風潮にあるのではないか。唯一絶対の真善美への希求は、それ自体が排除の元凶になる、というのは60年代にミシェル・フーコーが言ったことだ。上記の文章をワインに当てはめて考えてみて欲しい。

 

2019.09.02

新潟市でのワインセミナー

新潟市で二日間にわたり、カーブドッチが経営するレストラン、レコルタ・カーブドッチでセミナーを行った。

 

 

一日めは越前浜のワイナリー、フェルミエの本多さんに幹事になっていただいて、プロ向けワインセミナーを開催した。ワインや日本酒の醸造家の方々やレストラン、ショップの方々にお集まりいただいた。テーマは、以前ドイツのラインヘッセンで行ったものの発展型。ビオディナミの原理と応用について。色、音、動きを含めての包括的考察。6時半開始で終了11時。伝えることがありすぎて。

 ビオディナミとは、と聞くと、「月の満ち欠けに従って農作業を行う」、「オーガニックの発展形」、「プレパラシオンを使う」、「カルト」といった感想。私は、天と地の関係において、人間が超越者のメッセージを受け止め、世界のエネルギーバランスを正しい形に整えることで、農作物にその正しい世界のありようを個々に体現させ、その農作物を摂取する人間の霊的進化を助ける方法、と言っていた。だからビオディナミは狭い意味での畑作業にとどまるだけではなく、消費の時点まで拡張されねばならない。

 まず人間には農作物に対する精神的コミュニケーションができるのか、人間には霊的パワーがあるのか否かの検証。キリン一番搾り6本を6人の人に持たせ、理想の味わいを思い描いてそれを瓶の中のビールに転写する実験。抜栓してブラインドで皆でテイスティングすると、6本はまったく異なった味になっているし、それぞれの人のビール観がよく出たものになっている。これをどう説明するのか。いずれにせよ、思っていることは味に出る。だから正しいイメージを持たねば、そしてそれが組織による協働ならば全員が心をひとつにせねば、結果は無茶苦茶になってしまうということだ。

 ワインは目もあれば耳もある。ゆえに人間の動きにも反応するし、音にも反応する。その実験も行った。

 そしてプレパラシオンはブドウに効果があるだけではなく、瓶詰めしたワインにも効果があるということの実験。まずビオディナミのワインとノーマルのワインの味の違いを分析し、次にノーマルなワインにビオディナミの処置をしてそれをテイスティング。すると、それは確かにビオディナミのワインの味に近づく。畑作業だけのビオディナミだと同時のAB比較ができないから、本当に効果があるのかどうか検証できず、だから宗教だとか思い込みだとか言われるわけだが、こうしてAB比較すれば誰にとっても一目瞭然だ。

 参加者の方には相当に刺激的な内容だったと思うが、個々人よく咀嚼して、ひとりひとりの仕事に役立てて欲しい。

 夜のセミナーの前には越前浜のフェルミエに行って打ち合わせをした。新潟駅からバスで45分。収穫されたスパークリングワイン用のアルバリーニョを食べてみた。香りが華やかで軽やかな新潟市の味。しかし農薬っぽい。そのあとセラーのチェック。まぁいろいろ問題が。ひとつの角から変な気配が漂うので、そこに置かれた樽もまずそうな雰囲気が外に出ている。「たしかにこの場所のワインは美味しくない」と本多さん。その場で出来る範囲で調整させてもらった。越前浜のワインはさらっとしなやかにはなる。しかし芯、腰、立体感、ダイナミズムが弱い。それは皆自覚しているはずだ。自覚していて何もしないのはいけない。私の処置が唯一絶対ではまったくなく、可能性のうちの何万分の一に過ぎないが、それでもやらないよりずっとよくなった。今年のフェルミエのワインは少し美味しくなっているかもしれない。その場に皆さんが居合わせたらきっと楽しかっただろう。

 ところでいつも思うのだが、日本のワイナリーの記事はあちこちにあるが、なんだかきれいごとばかり書かれていて、生産者の努力自慢ばかりで、気持ち悪い。思ってもいないことを口あたりよく言ってよいしょしているだけでは発展はない。フェルミエでも「今日は立場が違うから言いたいことを言いますよ」と前置きしつつ、まずいものに対しては「まずい!」と言っていた。まずいものはまずい。それは事実だ。だとすればまずい理由を客体化し、現実的に何ができるかの議論を腹を割って皆でするべきなのだ。そしてもちろん具体的な対策法を考案して結果を見せるべきなのだ。そんなことは誰でもできる。ワインを一口飲めば分かることなのに、できるのにやらず、その場ではおべんちゃらを言って、陰で「まずい」と批判しているようではワインに対しても人間に対しても愛がない。フェルミエを訪れる人たちが皆でやれば、どれほどおいしくなることだろうか。

 

 二日めのテーマは、ワインのテロワールと料理の相性。新潟市でワインショップを営む海老名みどりさんの主催で、ワイン愛好家向けにお話した。私が目的とするのはその場限りのおいしさではなく、マリアージュの一般理論。だから普通のメニューを出して、そこにワインを合わせ、結果として「おいしかったですね」というセミナーにはしたくない。そのような経験を何十回重ねても、よほど自分で努力しない限りは、法則性が見えてこない。だからいつまで経ってもワインが選べない。その理由は、個別体験の単純集積が経験的知識だと素朴に思っているからだ。論理性なくして知識にはならない。もうひとつの理由は、ソムリエやプロの方々の話が難しすぎるからだ。私は寝ながら聞いても分かる程度の話しかもともとできない。

 料理は、鯛の高温グリルと低温ロースト、鯵のハーブパン粉焼きとヒラメのカルパッチョ、チキンシュニッツェルとポークシュニッツェル、牛肉ハンバーグとステーキ。こういう形で差別点を明確にした料理を比較しながらテイスティングすることが大事だが、普通に暮らしていてはなかなかその機会はないものだ。

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 ワインは、砂と粘土、土と岩、海辺と山間の違いで多数。初心者の方々は、一面的なワイン情報のせいで、ワインを品種名で選び、料理と品種名を対応させる。スーパーマーケットの棚を見てもそうなっている。しかし料理に対応するのは第一にテロワールであり、品種は次だ。この手の話は論より証拠。実際に料理とワインが美味しくなって初めて納得してもらえる。

 

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 カーブドッチやフェルミエの自社畑は岩のない砂地だ。砂なら鯛は低温調理しなければならないし、ヒラメは合わないが鯵は合うし、ポークは合わないがチキンには合うし、ステーキには合わないがハンバーグには合う。それぞれの理由を学んでいただいた。

 ステーキだからカベルネ、ではなく、ステーキだから岩、と推論しなければならない。今回、ボルドー左岸と去年のボージョレ・ヴィラージュ・ヌーボー(岩のところ)もブラインドで出して、どちらがハンバーグに合い、どちらがステーキに合うか試してもらった。普通、先入観でボルドー=ステーキ、ボージョレ=ハンバーグだと考える。もちろん実際は逆だ。ボルドー左岸の多くは砂質土壌だからだ。ちなみにハンバーグは細かく挽いてつなぎを入れてくれと頼んだ。そうでなければ砂には合わない。粗挽きつなぎなしでは岩だ。

 新潟市の北1時間ぐらいのところにある、胎内市の胎内高原ワイナリーは逆に粘土質。こちらはチキンではなくポーク、鯵ではなくヒラメに合う。新潟といっても広い。食卓でそれぞれの土地のワインを生かすためには、それぞれの土地が要求する料理を作らねばならない。新潟のレストランで食事をする新潟の人が新潟のワインの正しい使い方を知らないようでは、素晴らしい新潟のテロワールとそれを生かしたワインを造る生産者の方々に申し訳ないではないか。ワインは基本、どれも宝石なのだ。しかし間違った文脈に置くと、ただの石にしか見えなくなる。宝石は宝石としてめでるべきだ。

 本来ならこの内容のテイスティングセミナーは日本中で開催したいところだ。そうすれば日本では間違った料理を合わせてワインをまずくすることがなくなるし、ワインのそれぞれの個性を料理を生かす美点としてポジティブに捉え直すことができるようになる。

 大勢のご参加をいただき、ありがたい。主催の海老名さんや細かい要求を素晴らしい料理に具現化してくださったレコルタ・カーブドッチの方々には改めて感謝したい。

 

 

2019.09.01

ロゼワインと上海料理

 

 ラングドックや南仏品種のロゼワインと上海料理の会を、九段『上海庭』開催した。
 中国料理全般にロゼワインというのは常に順当な組み合わせだ。タンニンによって切るべき過剰な脂肪がなく、ふっくらと丸い味で、かつ酸が低い料理となれば、タンニンも酸も少なくまろやかなロゼが選ぶべきワインだ。もちろんすべての中国料理に過剰な脂肪がないとは言わないが、高級中国料理は概してさっぱりしているものだし、そこにある脂肪は味わうべき脂肪であって除去すべき対象ではない(東坡肉など最たる例)。タンニンと酸が強いと料理の味がドライになることがある。それを避けねばならない。常に言っていることだが、脂肪を使う料理である中国料理において、その脂肪は必要だからそこにあるのであって、脂肪=不要、脂肪=流すべき対象、ゆえに脂肪にはタンニンと酸で相殺させる、という日本で一般的な思考方法は間違いなのだ。フォワグラにクロ・サン・チュンヌの辛口リースリングを合わせるだろうか。
 ところがロゼならいいわけではない。プロヴァンス型現代ロゼの大半は早摘みで酸が高く固いので、むしろ最も合わないワインになってしまう。日本ではそういう「ニース風サラダをプロヴァンスの海辺のレストランで」系のロゼばかりが横行している。もちろんこれも、日本で「酸、酸、酸」と連呼する声の大きい方々の影響であり、困ったものである。

 ボリューム、実体感があり、より熟して酸がまろやかなロゼ、つまり食中酒として機能性が高いロゼは、ラングドックに多い。ラングドックのロゼはプロヴァンスとタヴェルの中間的存在と考えるべきで、実際にそういうポジションを産地全体として狙っているようだ。ところが日本にはラングドックのロゼがほとんど輸入されない。サン・シニャン、ラ・クラープ、フォージェール、ピク・サン・ルー、グレ・ド・モンペリエといった優れたテロワールのロゼにいたっては皆無に近い。本来なら、中国料理に限らず極めて実用性のあるワインのジャンルなのに、それがまるごと抜けているというのはどうしたものか。今回はラングドックのロゼがいかに有用なのかを証明する会である。

 メニューは以下のとおり。
芹菜干糸
酔鶏
軟炸明蝦
八宝鴨
清蒸石斑魚
腐乳東坡肉
開葱燴麺

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 普通に店に行ってもよくある中華料理しかメニューにはないので、これを作ってくれ、と特別注文した。特に今回は上海の有名な宴会料理、八宝鴨を作ってもらった。驚異的においしい。気合の入った時の中国料理は本当に本当におそるべし。中国人シェフは誰も日本風中華など調理したいと思っていない。

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 ワインは写真のもの。前菜とバロッサ、エビとサン・ジョルジュ・ドルク、鴨とサン・シニャン、魚とピク・サン・ルー、豚とバニュルス。どれもいいが、サン・シニャンやピク・サン・ルーがいいのは当たり前。特にこれらはラングドックでたくさん試飲した中で特に素晴らしいものを持ち帰ってきたので、別格かもしれない。粘土質で重心が低くボリュームがあって粘りがあるサン・ジョルジュ・ドルクのロゼはもっと注目されていい。しかしこの産地を知っている人は日本ではほとんどいないだろう。日本では情報が偏りすぎだ。そして現地に行かないと買えないバニュルス・ロゼ。バニュルス=熟成風味ではない。コリウールはバニュルスの早摘み辛口と言うべきワインで、バニュルスのリッチな完熟風味に着目すべきであり、ミュータージュという製法や甘さにのみ気を取られてはいけない。今回は協同組合レトワールのオーガニック・ロゼ。昔のレトワールのぼちぼちの品質を記憶している人なら現在の彼らのオーガニックワインは長足の進歩だ。ともかく、どのワインも料理と溶け合い、邪魔しない。ロゼの必然性をよく理解できた。

 

2019.08.22

カリフォルニアの缶ワイン

最近カリフォルニアでは缶ワインに注目が集まっているそうだ。野球を見ながら、とか、キャンプとか、瓶が割れたら困る状況で気軽に缶ワイン。市場規模の将来的な拡大はすごいらしい。先日は缶ワインだけ300種類も集まったコンテストがあったらしい。

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この缶ワインの中身はピノ・ノワール。同じワインの瓶入りバージョンをテイスティングしたが、なかなか美味しい。冷やして美味しい丸いタンニンと低い酸と濃厚な果実味。いかにもカリフォルニア。ワインだけではシンプルだと感じるが、鶏レバーのタレと合わせたら見事な相性。ワインが出しゃばらず、料理を素直に楽しめる。


この缶は900円。瓶は3000円。高いと言えば高いが、カリフォルニアワインファンにとっては安いと思われるはずだ。やはりカリフォルニアワインは今よく売れているらしい。客観的に見れば、このジューシーな果実味がドーンと来る酸のない味が日本人の味覚にフィットするというのは理解できる。今日会ったカリフォルニアの人も、「ワイン通やプロは酸酸に注目して酸っぱいワインを評価するが、一般消費者は酸は好きではない」と。同感だ。この乖離こそが日本におけるワイン文化にとって障害である。日本の料理のどこに高い酸があるというのか。私個人は、酸があってしかるべき産地や品種には酸がなければならず、そうでないなら酸がないのがいい、という極めてニュートラルな立ち位置だが、日本の料理(和食だけでなく広い意味で)には酸が低いワインのほうが合うという主張は、どれほど世の中のプロにバカにされようとも変えるつもりはない。今日のピノ・ノワールなど最良の証左である。


カリフォルニアでは今は非伝統品種ワインブームで、実際LAのワインショップに行っても腰を抜かすほどだ。若いソムリエの中にはマイナー品種ワインばかり売る人も多いらしい。しかし日本人はカベルネとシャルドネとピノしか欲しない、と聞いた。カリフォルニアにはあんなに多くの種類の素晴らしいワインが山のようにあるのに。カベルネとシャルドネとピノだけということは、結局異常に高いカルトワインか、安い品種ワイン、の両極端になっていく。中間価格帯でのバリエーションの広がりがなければガストロミー的にも面白くない。価格の上下でのバリエーションと横方向のバリエーションと、どちらが楽しいか。地球温暖化を考えても、もはや多くの産地はシャルドネやピノには暑すぎるのではないか。夏季降水量の少なさを見ても、カリニャン、グルナッシュ、ネロ・ダヴォラ、アリアニコ、ベルデホ、ブールブーランク、アシリアティコといった品種にこそ将来があるのではないか。世界で最もワインの知識がある日本人が、今でもカリフォルニア=カベルネ、シャルドネ、ピノと頑迷に思い込む理由が本当に理解出来ない。


カリフォルニアでは「欠陥ナチュラルワイン」ブームは下火になってきたらしい。いいことだ。アメリカ人はまずいものはまずいとはっきり言う。田舎の普通の人でも、だ。私は昔ミシガンやノース・カロライナの田舎でワインを売っていたのでそのことは身にしみて理解した。しかし欠陥ナチュラルワインと本当のビオディナミワインを混同する迷惑千万な人たちが日本のワイン市場のリーダーである以上は、日本では当分下火にはならないだろう。これは前にも書いたネタだが、イカれた自称ナチュラルワインについて「どこがいいのかわからない」と言ったら、「ワインの経験を積めばあなたにもわかるようになる」と、ある輸入元の若者に諭された。私は一生わからなくていい。


カリフォルニアワインとオーストラリアワインの違いは興味深い。カリフォルニア人気の理由が低い酸にあるなら、オーストラリアの不人気も理解できる。しつこく言うが、オーストラリアの補酸はやめて欲しい。イギリスは酸っぱいワインが好きだから、オーストラリアはまだイギリスの影響が強いということか。


ところで、カリフォルニアだけがアメリカワインではない。需要増大に対し生産も増大しているようだが、いい畑は限られるものだ。他州のワインにもそろそろ目を向けていい頃だろう。アメリカが好きならば、だ。アメリカではなくカリフォルニアが好き、というなら話は別。何がカリフォルニアを特権化するのか。おかしいと思わないか、カリフォルニアはひとつの州にすぎないが、チリワイン、オーストラリアワイン、ニュージーランドワイン、カリフォルニアワインという形で他国と同列に扱われる。カリフォルニアワインというならニューサウスウェールズワインというカテゴリーと併置すべきだし、オーストラリアワインというならアメリカワインと呼ぶべきだ。ある種の洗脳が功を奏している。まあトランプ大統領のアメリカと一緒にされたくないと民主党が強いカリフォルニア人が思うのは分かるが。

2019.07.04

六本木ヒルズ、ラトリエ・デュ・ジョエル・ロブション

久しぶりにラトリエ・デュ・ジョエル・ロブション。ロブション氏がお亡くなりになって1年が経つ。73歳では早すぎた。数年前に一度だけ,ほんの1,2分とはいえ、言葉を交わす機会があった。素材の味を生かさねばならない、余計なことはしてはいけない、と言われていた。いかに装飾的に見えようとも、無意味な要素がない料理。そして、いかにシンプルでも、精密に組み立てられた料理。我々は彼の偉大さを鮮明に記憶している。

2003年の開店以来、店の状態と品質を維持し続けているのは尊敬に値する。ロブション氏がこの世にいない以上、味を受け継ぐ現在のシェフにかかる重圧たるや想像に絶するものがあると思うが、よい仕事をされていると思う。しかし直に薫陶を受けた世代が引退したあと、孫弟子の時代になった時に、どれだけ精神を正しく伝えられるだろう。それが料理の難しさだ。

ジラルデやシャペルやロブションのような人間国宝級の芸術家の作品は、後世の人間はひたすらそれを守ることだけのための飲食店を作ってもいいのではないか。それは人類にとっての永遠の宝なのであって、ダ・ヴィンチの油彩を時代の嗜好に合わせて色を塗りなおしたり顔を変えたりしないようなものだ。なぜ料理を絵画や彫刻と同じように扱えないのだろうか。もちろん現代美術もなければいけないが、現代美術だけあって古典がない状況になったら異常だ。この一点だけでも、ミシュラン全依存型のレストラン評価はおかしいと思うはずだ。

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この店の問題はワインだ。リストには有名な格付けボルドーと、シャンベルタン、エシェゾー、リシュブールといったブルゴーニュが並ぶ。正直、料理のスタイルなり創造性に比肩する感性の輝き、斬新な視点、ゆるぎない構築力がワインリストにはない。こういうのが売れるのですか、と聞くと、そうだ、と。それが日本のワイン好きとされる人種の嗜好、思想、感性なのだ。料理は料理、ワインはワイン。それはあるべき美食芸術の体験の場としてのレストランとはいいがたい。ある有名なレストランのシェフ・ソムリエと先日話をしていて、DRCと一級シャトーが山のように売れると聞いた。お客は「まずエシェゾーから行こうか」と言って、そのあとロマネ・コンティまで飲みまくるそうだ。いかにも日本的な話である。それはそうと、ラトリエ・デュ・ジョエル・ロブションはどんなドイツワインを売っているのだろうとページをめくると、エゴン・ミューラーのシャルツホフベルガー等有名なモーゼルのリースリングだけが並んでいた。いまだにドイツワインはそれしかないのか。その程度の理解でしかないのか。なんという現実との乖離、なんという料理との乖離。なぜこうなるかを考えると、この店のカウンター割烹スタイルにも理由があるように思える。料理に合わせてワイン選びを助けるという行為がしにくい。これは寿司店、てんぷら店とまったく同じ状況だ。リストをお客に丸投げしていては、お客はそれこそシャンベルタンとかシャルツホフベルガーとか有名なワインしか知らないから、そういうワインしかオーダーできない。当然ながら、ワインは事前にしっかり学んでおくのがお客の義務であり、そうでなければ頼む資格がない、と自らを律して努力しなければならない。それをしないうぬぼれたお客がワインを頼むから、世の中へんなワインリストばかりになる。料理とワインを合わせるなど、自分にもできないぐらい驚異的に難しいことだ。だからそのためのプロがいるのではないか。

店を出る前、マネージャーの方が、「うちには本物のエスコフィエのサインがあるんですよ、見てください」と。奥の壁に、その額がかけられていた。ものすごく繊細な、理知的な字。そうでなければあんな仕事はできないと思った。

 

2019.06.25

南仏魚料理とラングドック白ワインの講座

 普通の南仏料理をアレンジなく作り、ラングドックの白ワインと合わせて楽しみ、ラングドックの白についてしっかり学ぶ講座を開催した。会場は恒例、人形町の『サン・ピエール』。

 

ラングドックのナルボンヌ・プラージュやグリュイサンやルカートやサント・マリー・ド・ラ・メールといった海辺の町で、ゆるーい感じの普通のレストランに入って普通にメニューに並んでいるような料理。ある意味、基本中の基本のフランス料理であるが、しかしそういったフランス料理は日本ではなかなか食べられない。日本ではフランス料理=おしゃれな料理、シェフの芸術的創作力の発露としての料理、だからだし、もうひとつの決定的な理由は、普通の料理は創作料理より往々にして食材原価がかかるにもかかわらず、それに見合った売価設定ができないからだ。

ラングドックのワインは当然のことながら普通のラングドック料理を無意識にも前提としているのであって、その意味ではイタリアと同じで、ローカルな食文化の中での自動的な料理とワインの関係性が成立している。それが地中海食文化というものだろう。だからラングドックのワインを理解しようとしたら、そういった普通の料理についての理解は不可欠なのだ。とすれば、ほぼ唯一の方法としては、レストランを借り切り、レシピを指示し、特別に料理を作ってもらう、ないし自分で料理するしかない。

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メニューとワインは以下のとおり。

  1. 岩手産生牡蠣とルカートのミュスカ・セック。これは岩手産しかありえない。なぜなら岩手の牡蠣は石灰の味がするからだ。合わせるワインは、ルカートの普通の店で置いてあるようなルカートの協同組合のミュスカ・セックであり、ルカートは石灰質土壌だからである。牡蠣のミネラル感は一様ではない。おおよその牡蠣は非石灰の味がするから、実はヨーロッパの多くのワインは合わない。エタン・ド・トーの牡蠣とピクプール・ド・ピネが合うなどと言っている人がいるが、それは宣伝文句であって事実ではないことぐらい、言っている当人でさえ自覚しているはずだ。ラングドックの牡蠣小屋に行けばミュスカ・セックは基本のグラスワイン。ミュスカは全ワイン中もっともキメが細かくツルっとしている。生の貝はすべてツルっとしている。

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  2. 広島産ムール貝のプロヴァンス風とピクプール・ド・ピネ。広島らしいたおやかな優しい味のムール貝に、やわらかい味のピクプール。ピクプール・ド・ピネは、ミュスカデと同じく、高級なものは酸っぱくも薄くもない。ミュスカと比べて質感は粒つぶしているから、火を加えてソースのある料理のほうが生より合う。生にはミュスカ・セック以上のワインはない。広島産がベストかどうかは分からない。瀬戸内のムール貝は旬なはずだが、どうも貝毒が蔓延していて入荷が限られているようだと聞いた。それでも料理によってワインとの相性は調整できる。

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  3. 鱚のフライとソミエール村の白&サンシニャン下部の砂地のソーヴィニヨン・ブラン。小さい魚のフライ、つまり水分を抜いて真ん中にしっかりした味が集まるような料理には、冷涼かつタイトなソミエールや、ソーヴィニヨン・ブランの個性が合う。ソミエールは、以前にもお話したように、コトー・デュ・ラングドック・ソミエールAOPと呼べる赤より、ただの広域ラングドックAOPにしかならない白のほうが、土地の特徴を生かせると思う。

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  4. イカのペルシヤードとミネルヴォワ。イカといえばパセリとニンニクとオリーヴオイルで焼いたペルシヤードが基本。今回はバライカを使った。これは強火でソテーすると硬くなるので、弱火でじっくりと火を通すのが重要。イカは重心が低いので、ヴェルメンティーノのように重心が低いブドウ品種を主体としたワインを選ぶ。

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  5. 鱸のハーブローストとラ・クラープ。低温でじっくり調理し、柔らかく仕上げた鱸に、厚み、スケール感、長い余韻をもつラ・クラープ。ラングドックの白ワインの中で最高峰といえるクリュ、特にメインとなる魚料理に対する最上のワインは、ラ・クラープだろう。ブールブーランを主体とするワインはラ・クラープのみ。他産地ではこの品種は酸やミネラル感を補う役割だが、ここでは完熟してボリューム感が表現される。

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  6. イチジクのファーブルトン、ベルガモット・クリーム添えとカスカテル協同組合のミュスカ・ド・リヴザルトここではシスト土壌のカスカテルの甘口ミュスカ。密度は高いがソフトで酸がやさしい。普通に日本の食材でデザートを作ったら石灰の味はしない。ミュスカ・ド・リヴザルトならばいいわけではなく、フィトゥー・モンターニュのエリアのシストの場所にもっと注目したい。協同組合のワインのよい側面が出て、妙なりきみがなく、濃すぎない、ゆえに胃もたれしない、いいデザートワインだ。

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 ラングドックのAOPIGPワインのうち白ワインの生産比率は一割のみだ。ラングドック=赤ワイン、と思うのが普通。しかしラングドックは地中海に沿った産地であり、目の前には豊富な魚介類がある。魚料理に対する最適なワインとして、ラングドックの朗らかでおだやかで酸が低く、しかしミネラル感がしっかりとあるラングドックの白を正当に評価すべきだ。今回の講座にご参加された方は、ラングドックの白がどれほど役に立つワインなのかご理解いただけたことと思う。

 ラングドックは広大な産地だからよく分からないといわれる。しかしそのAOP23しかない。ロワールで69、ブルゴーニュで100だ。ブルゴーニュのアペラシオンを熟知している日本人にとって、23ぐらいなんでもないはずだ。そこをクリアーしないと、いつまでたってもラングドックは安い大量生産単一品種ワインとしてしか見えてこない。それでは誰も得をしない。

 こうした機会を積み重ねていくことで、料理とワインの相性がだんだんと理解されてくる。今回のような簡単な料理なら、私でも、フライパンの温度はこう、イカはこのぐらいの幅で切れ、このハーブをこのぐらいこのタイミングで入れろ、と、ワインに合わせて指示はできるし、料理を作ることもできる。ワインの味は変わらないのだから、調整は料理で行うしかないものだが、そのためにはキッチンに的確に指示できる料理の知識と技術が相当必要。こんな素人芸でさえ四苦八苦するのだから、高級レストランのソムリエはどうすれば要求されるレベルに到達できるのだろう。常識的に考えて、結果を最大限にするための方策はひとつしかない。それは、ベーシックなメニューと限定された産地のワインの組み合わせに絞って精度を増す、ということだ。合わない料理とワインを出すのは自然への冒涜、生産者への冒涜以外なにものでもない。だからラングドック魚料理とラングドックワインの店、みたいなフランス料理店がもっと増えてほしい。日替わりの創作料理にワインを合わせるなど、一万人にひとりの超絶的天才だけができることだ。私には無理。それだけは知っている。