今の日本酒がおいしいと思っている世の中の99・99%の方にとっては「バカのたわごと。無視」と言われるに違いないのですが、そうではない方(私も含む)にとっては楽しい内容の日本酒講座を開催しました。参加された方は皆さん、「衝撃的」、「目からうろこ」と言われていましたが、それは皆さんがワインファンでもあるからです。
ワインファンが好きな日本酒というと、すぐに華やかな香りだとか、おしゃれなパッケージとか、スパークリングだとか、たわけた発想になりがちですが、私はそういう日本酒は好きではないばかりか、日本酒もワインもバカにしていると思っています。
ワインにあって日本酒にないものは何か。そこをとことん考えなければいけません。最初にふたつの日本酒を出しました。ひとつは大変に人気・評価が高い、軟水・速醸の大吟醸。もうひとつは硬水・生酛・あまり精白していないタイプ。どちらも超有名なものです。普通なら、その造りの違いとか、香りの違いとかを鑑賞するのでしょうけれど、そんな話は誰でも知っていることです。ここで気づかねばならないのは、むしろ両者の共通点です。
それは、腰高(安定性の欠如)、小さい、水平的(つまり垂直性の欠如)、静的、単調、ミネラル感の欠如、余韻が短い、気高さを感じない、アルコールが目立つ、という点です。正直、どうしようもないレベルの味です。なぜこんなものを皆褒めるのか。しかし日本酒ファンが指標とするのは新酒鑑評会での評価基準でしょう。それをもとにしていれば、上記の問題点は問題点とさえ認識されません。それが問題なのです。上記のようなワインがあるとすれば、それはよいワインでは絶対にありません。
しかしワインと日本酒は違うのだから、同じように評価してはいけないのではないか、と言われるでしょう。まさか、です。口に入れるものでおいしいと思うようなものはすべて、しっかりしていて、大きく、垂直性があり、ダイナミックで、複雑で、ミネラリーで、余韻が長く、気品があり、アルコールだけが浮足だつことはありません。日本料理でも、まったく変わることはありません。ダメな日本の食材また日本料理は前段落のように表現できる料理、よい日本の食材またおいしい日本料理はこの段落のように表現できる料理です。おいしい豆腐はまずい豆腐より大きくて立体的でダイナミックでいろいろな味がして余韻が長いものです。必ずそうです。
よく日本酒は日本料理に一番合うと言いますし、皆そう信じていますが、私の経験では多くの場合は合いません。ひとつの指標を取り上げただけでも分かります。多くの日本酒は重心が高く、多くの日本料理は重心が低いからです。日本酒は日本的精神の象徴であるともいわれます。しかし私にとっての日本は、現状の日本酒のような矮小で脆弱で腰高な国ではありません。我々日本人はそういう国民ではありません。自らを去勢し、卑下してどうするのか。戦後GHQの洗脳いまだ解けず、と言われてもしかたありません。
次に同じ銘柄で生原酒で精米歩合が10%違うお酒の比較。その次に同じ銘柄の純米で無濾過生原酒と通常の加水火入れの比較。何が変わるのか、何が問題なのか、という考察です。どちらが好きかという話ではありません。米を磨くほど重心が上がり、質感が細かくなり、香りが繊細で軽やかになり、構造が不明瞭になり、火入れしてしまうとダイナミズムや複雑性や立体感や余韻が失われることを認識してほしかったからです。生原酒のほうがアルコール度数が高いのに、加水火入れのほうがアルコールが目立つのはどういうことか、と、実際にテイスティングしながら考えて欲しいと思いました。
では、日本酒にどうすればワインと同じ、ないし世界のすべてのおいしい料理と同じ特性を持たせることができるか。誰も私が問題だと思うことを問題だと思っていないので、そのようなことを考えた人はいません。というわけで私が考えるしかないので考え、コンサルティングを依頼してくださった滋賀県『松の司』の石田敬三杜氏にアイデアをお伝えしました。
この蔵元の井戸水は「土系」の味で「岩系」要素が少ないので、何もしなければ、よく言えば柔らかくて重厚ですが、悪く言えば芯がなくてうっとうしいどよーんとした味になってしまいます。それはここだけの問題ではなく、琵琶湖の東南地区全般に言えることです。ですから近所の他の蔵元の純米吟醸生原酒をまずテイスティングして確認していただきました。重心が低いという点ではこの地区のお酒は独特の個性を持っており、それはプラスに考えられる点なのですが、他の多くの要素がダメです。
くっきりとした骨格、味のメリハリ、下方垂直性を出すには石灰岩が大事です。また上昇力や明るさを出すには水晶が大事です。このふたつはBD500とBD501のように対になるものです。蔵じたいと水(またはお酒)に、このふたつの石(近くの山から拾ってきたもの)をある方法で使って処理します。
また垂直性と複雑性と大きさを出すためには、単一品種・単一精米歩合・単一酵母ではいけません。現在の日本酒の最大の問題はここです。そうするとひとつの味しかしません。ひとつの味がたくさんあれば、なんであれクドくなります。それは不自然です。そのような食べ物はありません。もともとクドいものを造っておいて、それを炭素ろ過して味を抜くなど、本末転倒の極みです。ですから複数品種、複数精米歩合、複数酵母にするべきです。
複数タンク仕込めばいいというものではありません。最終的なブレンド後の理想的な味を思い描き、原酒それぞれの役割を決めて、それに向かって要素を結合していきます。例えば、3種類の原酒を仕込むとします。それらは、1、華やかで軽やかで重心が高いお酒。2、腰が強く骨格がはっきりして芯のある味の重心が真ん中のお酒。3、柔らかい厚みと広がりがあり重心が低いお酒、です。すると1ならば、砂質土壌の圃場&吟吹雪&精米歩合35%・低温発酵・協会1801酵母の純米大吟醸、といった具体的な方法が見えてきます。2なら、礫質土壌&渡船2号&純米吟醸、3なら、粘土質土壌&山田錦&純米といった感じでしょう。
それらを、私が日ごろ言っている適切な方法でブレンドします。つまり、フィボナッチ数列、素数、ガウス曲線に従うことと、重心積層法で混ぜることです。ジェラール・ベルトランのクロ・ドラと同じです。
![Photo Photo](https://pecotan.air-nifty.com/katsuyuki/images/2018/05/13/photo.jpg)
講座の最後は、このような考えをもとに出来た、特別純米生から純米大吟醸生原酒までの3種類の特別な『松の司』を最後にテイスティング。それぞれ異なった個性を表現した上で、目的はきちんと果たせていたと思います。現在の大半の日本酒とは別世界の味です。ワインと同列に並べてまったく違和感がありません。重要な点なので繰り返しますが、田中式では純米大吟醸であっても精米歩合75%のお酒が少量含まれています。ブレンドの結果が最終的に50%以下になればいいのですから、途中までは麹も掛もさまざまな精米歩合です。ちなみにブレンド前の原酒4種類もテイスティングしていただきましたが、それぞれ単体は、まずくはないとはいえ、やはり普通の日本酒の域を出ません。正しいブレンドこそが要です。
お酒単体で飲んで普遍的な高品質にするのが前提だとしても、お酒は日本のそれぞれの地方・村の精神性・文化・味なのですから、産地のティピシティが表現されていなければいけません。滋賀県のお酒は滋賀県っぽい味がしなければいけない。ですからお出ししたお料理は小鮎の甘露煮と和牛のすき焼きです(他にもいろいろありましたが)。もちろんきちんと合いましたし、お料理をおいしくしてくれました。特に純米大吟醸は、このカテゴリーのお酒ですき焼きに合う例外的なお酒です。キメの細かさや華やぎと、低重心とパワーと構造を両立するのは、現在の常識的な造りでは不可能に近いと思います。
私の考え方やアイデアを取り入れ、完璧ともいえる技で実際のお酒に仕上げてくださった石田杜氏をはじめとする松瀬酒造の方々にはいくら感謝しても感謝し足りません。私としては、他の方々も田中式を採用してもらいたいと願っていますし、それが日本酒をもう一段階レベルアップする有効な手段だと信じています。