ワイン現地取材 イタリア

2018.09.10

I Clivi, Friuli Venezia-Giulia

 コッリオとコッリ・オリエンターリはどう味が違うのか。これを各人なりに納得しておくことはフリウリのワインを楽しむための基本である。クリュの理解などところが、よほどしっかりと頭の中で演算をしない限りは、別の品種と別の生産者のワインを比較していてもこの違いがなかなか見えてこないものだ。

コルモンスの北、ワイン産地としてはコッリ・オリエンターリの東端、コルノ・ディ・ロザッツォにあるイ・クリーヴィは、同じフリウラーノ品種と同じ製法でコッリオとコッリ・オリエンターリのふたつのアペラシオンのワインを造る。両者の違いを知るためにはこれほどふさわしい生産者はいない。

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▲上はフリウリ・コッリ・オリエンターリ側、下はコッリオからアドリア海を臨む。



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▲土壌はこの地の典型的な“ポンカ”。第三紀イオセーンの砂岩と泥灰岩。見て分かるとおり、この日は雨。年間降水量1600ミリというから日本と同じぐらいだ。それがフリウリのワインにやさしいしっとり感を与える。

ふたつの畑は数キロしか離れていない。前者は南西向きで湿度が高く、後者は南東向きで乾燥している、という違いはあれど、標高も150メートル程度で同じだし、土壌もミオセーンのポンカで同じ。しかし味は相当に異なる。コッリオのワイン、Brezan 2015はゆったりと大きな味わいでコクがあり、余韻に向かって味がおりていく印象。コッリ・オリエンターリのワイン、Galea 2015はスモーキーでフローラルで、スケールは小さく、さらっとした質感と抜けのよさ、そして余韻の酸が特徴。昼夜の温度差は前者のほうが大きいそうだが、確かに前者のほうが果実のボリューム感(暑さ)と酸(涼しさ)のコントラストが大きい。仮にブラインドで飲んだとしたら、私は前者のほうが粘土が多く、後者のほうが砂の多い畑だ、と、違いを表現するだろう。料理との相性に落とし込むなら、エビやイカを食べるなら前者、白身魚を食べるなら後者といった感じか。どちらのほうが好きか、ないし、どちらのほうに高い評点を与えるかといえば、大きさと長さにおいて若干勝るコッリオだが、使用目的を考えればどちらも必要なワインである。

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▲当主マリオ・ザヌッソさん。父親マリオはトレヴィーゾ、母親はコルモンス出身。自身はコネリアーノで生まれたあと、父親の仕事で10年アフリカに。帰国後父親は1995年にコッリオの地で1・5ヘクタールの畑を購入。ワインはステンレスタンクで発酵・熟成。



 これだけ明確な違いが表現されるには正当な理由がある。イ・クリーヴィは1995年に初めての畑を買ってからずっとオーガニック栽培をしており、認証も2007年に取得していること。そして60年から80年という古木の畑であり、ブドウの根がしっかり地中深くまで張って、土地のミネラリティーを伝えることができること。さらにはテロワールを表現するために必要な、自然酵母や無清澄等のストレートな醸造をしていること。ステンレスタンクを用いるのも純粋さの表現のためだ。フリウリのオーガニックというと、キャラクターを求める人が多いと思うが、イ・クリーヴィは逆に、キャラクターではなく無色透明性を求める人のためのワインである。

 コッリ・オリエンターリのワインに関しては、高級な“クリュ”ワインGaleaではなく、安いSt.Pietroのほうが私は好きだ。こちらのアペラシオンは格下のフリウリ・ヴェネチアDOP。畑は斜面上部にあり、樹齢は60年とクリュより10年低く、シュール・リーの期間は四分の一の6カ月と短い。私は樹齢が高ければ高いほどいいとは思わないし、シュール・リーは程度問題であって、長すぎると澱の粘り気や酒かす的風味が勝ちすぎると思う。コッリ・オリエンターリは抜けのよさが魅力のひとつなのだ。もともと粘りがあって重たくなりがちなフリウラーノには、そこまで長いシュール・リーが必要なのか。純粋さの中にあるディティールの豊富さ、自然の風景を感じる見晴らしのよさ、といった、自分にとっての重要なイ・クリーヴィらしさは、安価なワインのほうがよりよく表現されている印象なのだ。

 MLFに関しては、最初の十年は行っていたが、フリウラーノとリボッラに関しては、2014年のような酸の高すぎるヴィンテージを例外として、今は行っていない。どちらがいいかは議論が分かれるところだ。少なくともMLFをしていないほうが、本当のポテンシャルが開花するまでに時間がかかると思う。

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▲敷地を歩きながら熱く語るマリオさん。

 

 ところで当主マリオ・ザヌッソと畑を歩きながら、こんな話をしていた。

Z「DOCでは23の品種が認可されている」。

T「なぜフリウリは単一品種ワインばかり造るのか。品種が多いということは、常識的に考えて、昔は混植混醸ではなかったのか。特にマルヴァジアとフリウラーノとリボッラという3大地場品種はお互いに補いあい高めあうような個性だと思う。収穫時期がずれすぎたら混醸はできないが、これらは同時収穫が可能なはずだ」。

Z「いや、私はそれぞれの品種の最適熟度で収穫したいから混醸はしないが、ブレンドのほうがよいと思って96年から07年はそうしていた。コッリオのコンソルツィオはそれら3品種のブレンドであるコッリオ・ビアンコDOCの制定について長らく議論しているが、いまだに結論が出ない」。

T「一長一短みたいな味のワインがたくさんあるより、コンプリートな味のワインがひとつだけあるほうが消費者にとっても分かりやすいではないか。なぜ品種名が必要なのか。大事なのかテロワールであってマルヴァジアやリボッラという品種のキャラクターではないはずだ」。

Z「消費者はブドウ品種の名前でワインを選ぶ。瓶の中に何が入っているか知りたがる」。

T「ああ、アングロ・サクソン的ワイン観の悪い影響だ。なぜ長い歴史をもつイタリアが、ヴァラエタルワインコンセプトの軍門に下るのか。恥を知れ。品種名を知ってどうする。23ものDOC品種の個性を消費者は理解しているのか」。

Z「いや、いくら説明しても十分後には忘れている」。

T「そんなものだろう。中途半端に品種名だけ覚えて分かった気になるより分からないほうがずっといい。それは今のワイン教育の問題でもある。ワインはとことん知るか、何も知らないかのほうが正しい選択ができる」。

Z「とはいえ、ワインは売らねばならない。消費者がブドウ品種名でワインを買う以上は、単一品種ワインを造るしかない」。

T「ビジネスを考えたら、もちろん現状ではそれ以外にないことは分かる。あなたのワインが好きな顧客に一種類のブレンドワインではなく多くの単一品種ワインを売るほうがらくだ。店のフェイスも確保できる。10種類のワインを100人に売るのと1種類のワインを1000人に売るのでは、後者のほうが時間と費用がかかるから、どこのワイナリーも少量多品種生産になる。しかし人間の能力には限りがあるのだから、ひとつのワインに全力を注入したほうが結果はよいものになるのが普通だ。ボルドーはこの観点からすれば本当にたいしたものだ。なんとももどかしい。だから単一品種のワインを造って利益確保してから、理想のブレンドワインをプレステージワインとして造るのが正しい戦略だ」。

Z「では1997年のワインを飲んでみてほしい」。

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▲97年のガレア。フリウラーノ主体にシャルドネとソーヴィニヨン・ブランとピコリット。生命力に溢れている。左奥はサン・ピエトロ。

 ワイナリーに戻ってそれを飲む。すごい。現状のワインでもフリウリ最上レベルの品質だが、往年のワインは次元が違う。複雑さとスケール感がありつつ、よりフォーカスが定まり、これだけ熟成しているのにビビッドで、躍動感がある。こちらのほうが悪いと思える人が信じられない。しかし残念ながら、そう思う人が多いから、生産中止になったのだろう。何度も言うが、品種の個性を評価の基本としている以上は、本当にすごいワインのすごさは分からない。ペトリュースはメルロらしいからよいワインなのか?まったくらしくないではないか。なぜ同じ評価軸をフリウリのワインに対して該当させられないのか。それは誰もコッリオやコッリ・オリエンターリをグランヴァンだとみなしていないからだ。マリオによれば「コッリオの平均価格は4ユーロだ」という。つまりはスーパーマーケット用コモディティだ。そういうワインがあってもいいし、それはそれでありがたいことだが、そういうワインしかないと思うのは決定的な間違いだ。

 幸いなことに、新しく植えた畑は混植だという。5年後には市場に出てくる、と。その畑はフリウラーノ50%、リボッラ50%だから、私はメールで「その比率は間違いだし、二品種では立体感が出ない。フリウラーノ65%、リボッラ27%、マルヴァジア7%、ピコリット1%といった比率がよい」とは伝えた。ともあれ混植は大いなる進歩だ。そのワインが登場するまでに、我々はフリウリのワインをより正しく評価できるよう、しっかりとテイスティング能力を磨いておかねばならない。

2018.09.08

Toros, Friuli=Venezia Giulia

 しっかりしたボディのフリウラーノの生産者として、トロスは覚えておくべき名前だ。新樽熟成ワインが15%ブレンドされるのがいい。基本的にはクリーンでクリアーな味わいに適度なアクセントを加えるだけではなく、コッリオの平地から緩斜面の畑らしいおおらかさを強めてくれる。10ヘクタールの畑から年間6万本生産されるうち、フリウラーノは2万5千本を占める。この品種をメインに据えるのは正しい。なめらかで厚みがあり、リッチでいて垂直な芯をきちんと備え、上に放散されるエネルギーを感じる、表現力豊かなフリウラーノ2017。壁にはトレビッキエーリの賞状が並ぶ。当然だと思う。

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▲フランコ・トロスと娘、クリスチアーナ。

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▲たくさんのトレビッキエーリの賞状が壁を飾る。



 当主フランコの娘でコマーシャル担当のクリスティーナによれば、「コッリオは白の産地。オリエンターリは赤の産地」とのこと。高いアルコールとクリーミーな質感とメリハリのある酸が印象的なリボッラ・ジャッラや、シリアスな構造とエレガントな佇まいのあるピノ・ビアンコも上質だ。興味深いのはソーヴィニヨンで、いかにもこの品種らしい垂直性や酸のビビッドさは健在ながら、いかにもソーヴィニヨンな香りやエッジ感という品種の個性より、とろりとリッチなコッリオという土地の個性のほうが上回っている。多くの品種をこれだけ均一に高いレベルで仕上げる技には感心させられる。

トロスのワインに特徴的なのは、中心密度の高さや腰の据わりやミネラルの緻密さである。「コッリオの最大収量はヘクタール当たり110キンタルだが、うちでは50から60」。つまりはブルゴーニュ1級から特級と同じ。本来ならそうでなければならない。

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▲発酵はステンレスタンクで。



 ところがピノ・グリージョは同じ生産者の作品とは思えないほどつらない味で、薄く、軽く、短い。「いまはイタリアではピノ・グリージョが増えている」と言うが、彼らがこの品種を好んでいるとは思えない。ある巨大生産者の名前を挙げて、「彼らが大量生産してアメリカにたくさん売って人気になった」と。この品種の白ワイン(ロゼというかオレンジワインはおいしいが)には、トロスであれどこであれ、注意したほうがいい。世の中にいかにフリウリのピノ・グリージョが溢れようと、だ。

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▲トロスのワインに共通する、どこにも凹凸・破綻を見せないバランス感と品位の高さは、高級レストランにもぴったりだ。しかしスタイル優先でなく、どのワインもきちんとコッリオの味がする。フランコは上手なワインメーカーだとつくづく思う。


 樹齢65年の木からたった千本だけ造られるメルロ・レゼルバ2013年の出来がこれほどまでとは知りようもなかった。なめらかでクリーミーな厚みはいかにもコッリオであるし、またメルロに期待したい特徴。白と比べると性格が異なり、分かりやすい積極性ではなく、内面に沈降するような陰影を備えつつ、華やぎを忘れない、絶妙のバランスが魅力の中心となる。メルロにとっては涼しい産地なのか、若干のミント風味もあるが、それがまた上品。降水量の多いフリウリならではのしっとり感や柔らかく起毛したかのようなタンニンの質感も好ましく、イタリアのメルロにありがちな果皮が焦げたかのようなスパイシーさや苦みやエッジとは無縁。アメリカ&スーパータスカン的なぐいぐいと押すようなメルロではなく、古典ヨーロッパな引きが美しいメルロを求めるならこれだ。

Rodaro, Friuli=Venezia Giulia

 フリウラーノは役に立つワインだ。あまり強くないが比較的すっきりした香り。たっぷりとしたボディとソフトな質感と遅い流速と低い酸。イタリアの白ワインでそういうブドウ品種は少ない。多くは案外とタイトで酸が高いものだ。例えばチーズなりチーズソースのパスタに何を合わせるのかと問えば分かる。パッセリーナでもトレッビアーノでもフィアノでもカタラットでもない、フリウラーノこそが第一のチョイスだと言いたい。

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▲ロダーロでのテイスティングの時に出されたチーズプレート。地元名産のモンタージオとフリウラーノの相性があまりに素晴らしく、ついつい食べ過ぎてしまう。


同じフリウラーノでも堂々とした太さを求めたいならコッリオがいいだろう。しかし繊細さが必要ならばコッリ・オリエンターリということになる。ロダーロの畑はアルプスから50キロ、アドリア海からも50キロという、山と海のちょうど中間地点にある。このバランス感がいい。悪くいえば個性が弱いのかも知れないが、くせや過度な自己主張がなく、期待する特徴が素直に表現されているという点で、ロダーロのフリウラーノは基本の味といえるワインだ。

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▲パオロ・ロダーロ氏。迷いなく自らのスタイルを追及している。



現在の当主パオロ・ロダーロで6代目となる、1846年創業の老舗ワイナリー。所有面積は135ヘクタール、うちブドウ畑は57ヘクタールと、家族経営ワイナリーとしては相当な大規模である。輸出比率は40%と、規模を思えば少ない。しっかりと地元で評価されているワイナリーだし、だからこその順当で素直な味なのだ。個性が強い、コメントを並べやすいワインというものもあり、概してそういったワインが輸出市場では評価されやすい。いや、輸出市場ならずともイタリアの評価本でも事情は同じだ。個性が弱いワインはそこそこの品質で安価といったタイプ(1200円のピノ・グリージョとか)ならスーパーマーケット等で売られるだろう。だから輸出市場で最も目立たないのは、普通の味で、高品質で、相応の価格というワイン。寿司店を例にするなら、回転寿司と銀座のミシュラン星付き店のあいだの、地元に根差した、ランチのおきまり2500円といった店。しかしそれが確実においしいというのは経験上知っているはずだ。だから私はロダーロを訪れた。パオロは会うなり、不思議そうに、「なぜうちに来たのか」と聞いてきた。それはそうだろう。フリウリで外国人が行くワイナリーは決まっている。皆さんもご存じの3、40軒ほど。それだけでは私が知りたいことが知りえない。

 テイスティングはクラシコ法のスパークリングから。ブリュット・ナチュールはシャルドネ90%とピノ・ノワール10%のブレンド。収穫は820日だからフランチャコルタよりは遅い。なぜブルゴーニュ品種なのかと問うと、「最高品質のスパークリングは国際品種だから」。色が濃く、タンニンを感じ、相当酸が強い。「砂糖を入れると一杯以上飲めないから」ドザージュはゼロ。これは明らかに食事が必要なワイン。「他のコピーはしたくない」と言うが、確かに個性が強いワインだ。味としてはピノ・ノワールのロゼ(こちらもノン・ドゼ)のほうが完成度が高い。しかしコッリ・オリエンターリであえてシャンパーニュもどきを造る意味はどこにあるのだろう。

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▲基本となるクラシック・シリーズの白ワイン。ステンレスタンク発酵熟成のストレートな味わいがいい。


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▲フリウラーノ品種。撮影は6月7日。


次にいろいろな品種の白。ピノ・グリはフラットで薄いし、ソーヴィニヨンは単調で抜けが悪いのに苦い。シャルドネはおいしくないに決まっているからパス。こうしたワインを飲むと、つくづくフリウリの国際品種ワインが嫌いになる。それに対して当然とはいえ地場品種3つは見事な出来。エネルギー感が高く、安定感がある。リボッラとマルヴァジアはどちらも構造が堅牢で、コッリ・オリエンターリらしい引き締まった酸がある。そして予想していたとおり、フリウラーノが最も素晴らしい。ハーブとスパイスの香り、なめらかでとろりとした質感、キビキビしたリズミカルな酸。飲んだあとに味が持ち上がっていく余力と、絶妙な華やぎは、これまでのワインには見られなかった特質だ。「畑があるチヴィダーレ・デル・フリウリのロカリタ・スペッサは昔から最上のフリウラーノが収穫できる土地とされてきた」。問題は、そのようなフリウラーノにとって最上の土地で、他の品種のワインを植えねばならないことだ。彼らの責任ではない。消費者の無理解がこのような事態を招く。ポムロールはメルロを植えればいいのであって、シャルドネやマンサンを植える必要はないと誰もが知っている。それはマーケティングの成果であり、教育の結果である。グラヴナーがリボッラ・ジャッラのみに特化したように、誰もがそれぞれの土地で最上の成果を挙げるブドウに特化することができれば、フリウリワインの質は遥かに向上する。

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▲ロダーロの畑はどこも水はけ、日当たりに優れた斜面にあり、ワインには斜面特有の抜けのよさがある。環境保全型農業の認証を取得しているが、年に1回だけ除草剤を使う。これでオーガニックになれば、少なくとも除草剤を廃止すれば、どんなに品質が向上することだろうか。除草剤使用は残念でならない。


フリウラーノ以上に感心させられたのが地場品種の赤ワイン、スキオペッティーノ、レフォスコ・ダル・ペドゥンコロ・ロッソ、ピニョーロだ。ロダーロの赤がこんなによいとは知らなかった。クリスプで垂直的できめが細かく香りがフローラルで華やかなスキオペッティーノ2012、キビキビとして品格が高く濃密な味(しかし色は案外と薄い)のピニョーロ2010。そして丸みがあって伸びやかでダイナミックなコクがあるレフォスコ2009。普通、この3つのワインはレフォスコが一番見劣りするものだが、ここではむしろレフォスコがいい。「これこそが私の品種」とパオロが胸を張るだけある。

これらRomainシリーズと名付けられた赤ワインは、すべて遅く収穫して2カ月から6カ月のあいだパッシートをかける。つまりはアマローネと同じ、また既に述べたモスキオーニと同じ製法である。そうするとアルコールっぽく感じられたり、フレッシュさが失われたりする可能性もあるが、ロダーロの赤はどれも鮮度感を失っていない。特にレフォスコ2009年に至っては既に長い熟成を経ているにもかかわらず、若々しいエネルギーがある。見事なワインである。

 

2018.08.30

Bressan, Friuli=Venezia Giulia

 フリウリを代表するナチュラルワイン生産者のひとりとして人気の、特に日本では相当に有名な、ブレッサン。今回はじめてのテイスティング。期待が膨らむ。当主フルヴィオ・ブレッサンは体格といい雰囲気といい、ネットの写真で見る限り独特のインパクトがある人なので、会うのも楽しみだった。

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▲当主、フルヴィオ・ルカ・ブレッサン。



 若干遅刻して来た彼は会うなり喋り続ける。ワイナリーの目の前に広がるピノ・ノワールの畑を歩きながら、私が「ピノ・グリージョはいらん。ピノ・グリージョばかりだからいつまでたってもフリウリが誤解される」とぶつぶつ言っていると、彼はこう言った。「この地で生産されるワインの99%はアメリカ向けピノ・グリージョだ。私はもうピノ・グリージョは造りたくない。2016年には引き抜いてしまった。樹齢80年の古木だったから抜きたくはなかったが、しかたない。現在のピノ・グリージョはコモディティでしかない。私はそういうワインを造りたくない。しかしアメリカの雑誌はうちのピノ・グリージョをベストワインに選んだ。皮肉なものだ。しかしベストとはなんだ? DOPワインでヘクタール当たりの最大収量は120ヘクトリットル、IGPなら190だ」。私は思わず、「そんな収量ではテロワールの味などしない。アルコール入りの水でしかない」と言うと、「そうだ。だからうちでは35ヘクトリットルだ。フリウリには4200軒のワイナリーがあるが、そのなかでシリアスなのは6,7軒のみなのだ。フランスかぶれか赤子殺しが横行している。彼らはバカなのか、犯罪者だ。消費者にも問題がある。アメリカの消費者でワインが分かるのは0.001%。日本は2%だろう。ロバに教えるのは時間の無駄だし、ロバにとってもツラいのだ」。アメリカはそういう状況だとして、ではどこで人気なのかといえば、これがフランスなのだ。「特にピノ・ノワールが売れる」。「ああ、それでは彼らもフリウリワインファンとはいえない。彼らはあなたのようなナチュラルワインが欲しい。しかし彼ら自身の品種がいいと思っているし、理解するための努力もしたくないからピノを買う。いかにもフランスだ」。



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▲不思議な外観のワイナリー。

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▲この辺りはどこも平野でブドウと穀類の畑が混在しているところが東欧っぽい。

もちろんピノ・ネーロがまずいわけではない。5年間の熟成を経ても生き生きとしたエネルギー感があり、なめらかで、うまみがのって、よいワインだ。10カ月マセラシオンしたオレンジワインであるピノ・グリージョ2014年もなめらかな質感が心地よい。彼が批判するようなしょうもないピノ・グリージョばかりが横行する中では、傑出した出来だとは思う。しかしマリアーノ・デル・フリウリの地で、それも1726年からの歴史が残るこの地の名家たるブレッサンが、ピノ・グリージョとピノ・ノワールで評価されていること自体、フリウリワインの不幸だ。このふたつのワインの問題は、緩さと短さだ。品種と土地が合っているとは思えない。

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▲ワイナリー内部。左のソファのある場所で話を聞いていたが、カフェっぽくて落ち着ける。

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▲畑の土壌のサンプル。けっこう肥沃な土に見える。

 ブレッサンはオーガニックでもビオディナミでもないが、フルヴィオの「内的倫理」に基づいたナチュラルなワインを造る。農薬、添加物としても、自然の硫酸銅と自然の硫黄しか使わない。ワイナリーに自然なものと工業的なもののサンプルが置いてあったが、同じ分子構造だとしても色も結晶も大きく異なる。ワインへのSO2の添加量も、「普通は1リットル当たり270ミリグラム、オーガニックで150ミリグラム、うちは20ミリグラム。ブレッサンのワインは自立できるからSO2の助けはミニマムでいい」。どのワインも当たりが柔らかく、エッジがなく、しかし腰砕けにはならない密度の高さがある。イソンツォの平地らしいしっとり感やフルーティさが親しみやすく、食卓で自己主張が強くなりすぎないやさしさがある。オーガニック認証はなくとも、確かにこれはナチュラルな味わいだ。

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▲1997年ヴィンテージのピニョーロがまだ樽に入っている。ものすごい色素とタンニンの品種だけに熟成が必須とはいえ、20年とは!色はこのように淡いが、味はビビッドで驚く。昔風のバローロ・リゼルバに似ている。



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▲樽の内部を見ると、板材そのままでトーストしていない。マルベリー、栗、桜、アカシア等々の木を使う。ワインの味が樽っぽくない理由が分かる。

 ラインナップの中ではヴェルドゥッツォが特に優れていると思う。土地じたいはソフトな味の方向性だから、この品種の苦みを伴う固さがちょうどよいバランスとなる。「白い色の赤ワイン」と言っていたが、まさにその通りだ。適度なトロみと厚みはいかにもフリウリで、気配の広がり感や余韻の安定感を見るに、品種と土地が合っていると分かる。19世紀中頃にはヴェルドゥッツォが「フリウリ地場品種の中で、最も典型的で代表的な品種のひとつ」と評価されていたらしい。昔の人のほうが理解していたのだろう。

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▲ヴェルドゥッッツォ 2015年。48時間スキンコンタクト後、19度から21度で発酵。8カ月以上樽熟成、5カ月ステンレスタンク熟成。ブレッサンはどのワインもリリースが遅いが、「無濾過ワインだから安定するのに時間が時間がかかる」と言う。



 過激な発言の多い生産者だが、ワインの味は意外なほどにそつがない。むしろ地味めだと言っていいぐらいで、理性的な整い方をしている。しばしワイン談義をしていると、ワイルドな顔の裏にある繊細な知性が明らか。そのギャップがまた魅力的なのだし、それがブレッサンのワインに正統性に支えられた安心感をもたらすのだ。

2018.08.29

Raccaro, Friuli=Venezia Giulia

 現当主マリオ・ラッカーロの祖父が、アメリカでの炭鉱労働で得た資金を元手に、1928年に地元で創業したワイナリーである。当初から品質重視の姿勢で取り組み、自社元詰めは1970年代末と、この地では早い。


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▲パウロ、マリオ、ルカ(左から)のラッカーロ父子。


 コッリオにある7ヘクタールの畑から、フリウラーノ、マルヴァジア、コッリオブレンド(フリウラーノ、リボッラ・ジャッラ、ピノ・グリージョ、ソーヴィニヨン)の3種類の白ワインと、メルロの赤ワインを造る。ルカさんによれば、「コッリオは第二次大戦後に西側3分の1がイタリア、東側3分の2がスロヴェニアになったが、どちらも同じ土壌。ここはコッリオの西端で、東側より収穫は1週間早い。なぜなら西は海風の影響を受け、昼夜の気温差が少ないからで、逆にスロヴェニアは山の冷風を受ける」。スロヴェニアのワインのほうが、古典的な評価基準をもってすれば良質だと言えるかも知れない。よりくっきりした酸やメリハリ感を備えるからである。しかしガストロノミー的見地からすれば、イタリアのコッリオの穏やかでゆったりした味わいの魅力は大きく、そのようなワインが他にあまりないだけに貴重な存在である。

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▲畑はワイナリーの裏手、山のふもとにある。



 彼らのフリウラーノ、2017年は、まさにコッリオらしいやさしさとコクがある。シュール・リーを4カ月かけているだけに粘り感が強く、同時に質感が少々粉っぽい。特筆すべきはアルコールっぽくないことで、この品種が往々に抱える問題点を感じない。酸はソーヴィニヨン的なくっきり感があり、豊かな果実味とバランスしている。香りは上品にフローラル。過不足・凹凸がなく、フリウラーノの教科書とでも言えるほどの完成度である。

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▲コッリオ・フリウラーノ2017年。



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▲奇をてらったところのないワイナリー。ワインはステンレスタンク発酵・熟成。

 マルヴァジアは意外にもフリウラーノよりもアルコールが高い。「ノーマルな年にはマルヴァジアのほうが、暑い年にはフリウラーノのほうがアルコールが上がる」のだという。このワインは塩味を感じ、若干の苦みがメリハリをつける、力強い味わいをもつ。香りはラッカーロらしいフローラルさが心地よい。

 コッリオブレンドは複雑さがあり、重心が下で、いかにもこの土地らしい適度な粘りを伴う安定感がある。しかしフリウラーノ、リボッラ、ピノ・グリージョが寛容で節度があるのに、ソーヴィニヨンの要素だけが突出しているところが問題だ。ソーヴィニヨンは単一品種ワインとして仕上げると素晴らしいワインになるものだが、他品種とのなじみが悪いのは世界じゅう同じだ。子供であるカベルネ・ソーヴィニヨンと同じく、自己主張が強い。私は映画『お葬式』における集団の中の財津一郎を思い出す。それが芸だとして評価するかしないか。芯の強さや構造を寄与したいなら、その役目はソーヴィニヨンではなくマルヴァジアが担うべきだというのは飲めば分かるだろう。それは彼ら自身も考えていることで、だからソーヴィニヨンをマルヴァジアに再接ぎ木し、将来的にはマルヴァジア、リボッラ、フリウラーノというコッリオの地場品種のみのブレンドワインを作りたいと言う。それは正しい方向性だ。

 栽培はオーガニックではないが、過去6年間除草剤不使用というだけあり、また防カビ剤も全体の2割の使用にとどめて残りは銅と硫黄のみで対処するため、味わいはオーガニックワインと同じく透明感とディティール感としなやかなまとまりがある。強烈な個性はない、素直なワインだが、それがいいのだ。誰に対しても、しっとりタイプのコッリオの典型的なワインのひとつとして安心して勧めることができるだろう。

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▲シュタイヤーマルクからの連続性が明らかな室内の雰囲気。



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▲ハプスブルク帝国の繁栄を築いた大帝、マキシミリアン一世。婚約指輪贈呈の創始者といった、数多くの逸話が残る。

 ところでこのワイナリーのオフィスを見て驚いた。まるでオーストリアのブッシェンシャンクのようだ。オーストリアから南下してここに着いただけになおさらそれが分かる。内装を仕上げれば無意識にでもこうなるという文化的伝承の見本だ。壁には『マキシミリアン一世祭』の小さなポスターが貼ってある。ああ、なんと。それを見つめていると、「コルモンスとゴリツィアはオーストリアだった。ウディネはイタリアだったが」と言う。500年前に亡くなったマキシミリアン一世は、帝国領内の諸民族の文化を尊重し、言語を統一せず、自身もイタリア語やスロヴェニア語を話し、多文化同居国家というハプスブルク帝国の基礎を作った神聖ローマ帝国皇帝である。日本ではウィーン少年合唱団の創設者と言えばなじみ深いか。彼がいなければ、現在でさえ人口200万人しかいないスロヴェニアの言語も文化も存続できなかっただろうし、もちろんフリウリのワインも存在しなかっただろう。さりげなく貼られたこの小紙片になんの感慨も持ちえないようなら、フリウリワインファンと自称するのは恥ずかしい。

 

2018.08.17

La Castellada, Friuli Venezia Giulia

 グラヴナーやラディコンと並んでオスラヴィアのオレンジワイン・ルネッサンスを先導したラ・カステッラーダは、高級レストランではおなじみの名前だろう。私がフリウリのワインに興味をもちはじめた20数年前には既に崇敬の対象だったし、多くの人がイタリア白ワインの代表格のひとつとして彼らの名を挙げていたことを記憶している。

 「日本では人気でよく売れている。うちにはたくさん日本人が来る」と、出迎えてくれた当主ニコラ・ベンサの娘さんが開口一番言った。「それはそうでしょう。日本人は自然な味が好きですし、イタリアの白といえばフリウリ、フリウリといえばオスラヴィアと思われています」と答えたものの、私は恥ずかしながら、ラ・カステッラーダ訪問は初めてだ。あれほど整然として気品のあるワインを造るのがどんな人なのか、興味津々だった。

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▲通りからちょっと入ったところにあるワイナリー。飾りけのない外観。



 そのニコラ・ベンサは、上原ひろみ(静岡出身のピアニスト)のコンサートをコットンクラブで見て感激した話をしはじめた。ジャズが好きなのだという。そのあと「父はオーストリア軍人だった。私はマリア・テレジアを敬愛している」と言った。ああ、やはりここはオスラヴィアだ。フリウリではなく、ヴェネチア・ジューリア地域、つまり旧キュステンラント(オーストリア時代の地域名)なのだ、と思った。


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▲イタリアを代表する生産者のひとりであるにもかかわらず、まったく驕ったところのないニコロ・ベンサさん。

 フリウリ・ヴェネチア・ジューリアの歴史は複雑だ。フリウリ地域はオーストリアからヴェネチア共和国の一部になり、そのあとまたオーストリアになり、そしてイタリア王国誕生時にはフリウリのみがイタリアに加わった。キュステンラントは第一次大戦後に、戦中協商国側(イギリス・フランス)とイタリア(本来オーストリアと軍事同盟を結んでいた)のあいで交わされた密約によってイタリアになった土地だ。ここでのイタリアは、第二次大戦最後になって日ソ不可侵条約を破って突然宣戦布告し、北方領土を強奪し、さらには北海道の一部まで領有を主張したソ連のように、正義がないと私には思える。オーストリアサイドから見れば、裏切り者、火事場泥棒と言われてもしかたない。話は逸れるが、昔、複数の日本のワインプロフェッショナルの方々が、ズュートチロルとキュステンラントはイタリアからオーストリアが奪った土地、と言っているのを知って驚いた。日本で両特別自治州のワインについて熱く語る人がいるとすれば相当なイタリアワインファンだ。イタリアワインファンはすべてをイタリア中心の視点から解釈するだろう。竹島を独島と呼ぶような“愛国心”教育はイタリアワインの本当の理解にプラスなのだろうか。少なくともこの地のワインにはプラスではない。フリウリ・ヴェネチア・ジューリアのワインは、オーストリア、イタリア、スラヴが交差し混合する歴史文化的背景を踏まえて味わうものである。日本のように、最初から日本で今でも日本で、常に万世一系の天皇を戴き、基本的には国境が海で決定されていて、日本語を話す日本人しか住んでいないような国(もちろん、事実というよりイデオロギーとしてだが)にいると、「日本なのか、日本ではないのか」という単純な二元論でしか物事が見えなくなりがちだ。1990年代に読んだ何かの記事に、「トリエステで首都はどこかと聞くとローマではなくウィーンと答える」という話があった。フリウリ・ヴェネチア・ジューリア特別自治州の州都はトリエステだが、このハプスブルク帝国の軍港が最終的にイタリアの領土だと決着したのは1975年のオージモ条約なのだ。そのような微妙な力のせめぎあいがフリウリのワインに比類なき奥行きを与えるのである。

 歴史評論がこの原稿の目的ではない。ここでオーストリアの話をする理由は、ラ・カステッラーダの解釈にはオーストリア性という観点が有効に思えるからだ。グラヴナーは、グラヴナー家の出身地が現在のスロヴェニアであることからも想像がつくことだが、スラヴ的な味がする。スロヴェニアに行った時、スロヴェニア語と日本語は擬態語の多さが共通している、と聞いた。自然の形をそのまま表現しようとする姿勢がなければ擬態語は生まれない。私がここでスラヴ的というのは、ワインの自然観が擬態語的である、ということだ。対してオーストリアワインは、実に自然であるが、主知主義的論理的な側面を持っていると思う。オーストリア人たるルドルフ・シュタイナーを見ても、非言語的アプローチ(苦行による霊的能力の獲得といった方法論)をとらないではないか。オーストリアワインに詳しい人なら、すべてのオーストリアワインに共通するクールネス(気候がクールなのではない、精神がクールなのだ)についてはよく理解していることだろう。

 ここで上原ひろみに戻る。現在最高のジャズ・ピアニストと言われ、世界で活躍する彼女の人気は日本だけにとどまらない。ソロはともかく彼女のトリオの演奏は、スラヴ的か、それともオーストリア的かと言えば、明らかに後者であり、鋭利で抽象的かつ非ロマン主義的で、感情より知性を高揚させる音楽だ。似た経験を思い出すなら1973年の第二期キング・クリムゾンであり、さらにそこからお笑いの要素(そこで彼らはポピュラー音楽の領域に踏みとどまっている)を抜いたかのよう。いや、シェーンベルクの作品25のようだと譬えるほうが正しいか。もともとマイルス・デイヴィス以降のジャズは私にとってはあまりに知的で難しいが、上原ひろみの音楽はそれに輪をかけてフォン・ノイマンのように異次元の知性の産物である。よほどの頭脳の持ち主でなければ「好き」という感情は持てないと、好きも嫌いもなくその遥か手前で途方に暮れる私は思う。

しかしラ・カステッラーダは知的であっても冷淡な味ではない。むしろ逆だ。ニコロがオーストリア国王マリア・テレジアの名前を出したのには意味がある。彼女の有名な言葉、「私は最期の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり、必ず正義を守る国母でありたい」は、ラ・カステッラーダの味の根底に響いている。その包容力と人間味が、かくも多くの日本人を惹きつけてやまない理由なのだと思う。

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▲日本人からのプレゼントだというクッションが置かれていた。それにしても、いったいこの方々は誰?なぜスマホ操作している写真?これを枕にするのも、尻にしくのも なんかへんだ。

 ラ・カステッラーダの歴史は祖父が自家用ワインを造るために3000平方メートルの畑を入手したことから始まった。本格的にワインを造り始めたのは父親であり、それを引き継いでニコロは兄と一緒に1970年から始めたという。彼らのホームページに書いてある情報とは異なるのだが、ともかく取材時にはニコロはそう言っていた。当時の所有畑は3ヘクタール。現在は9ヘクタール(3年前は10ヘクタールあったそうだが)を所有する。

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▲オレンジワインムーブメントを始めたころに撮られた仲間たちの写真が壁に掛けられていた。ランボーとヴェルレーヌが並んで描かれるオルセー収蔵のアンリ・ファンタン・ラトゥールの『Coin de Table』、そしてブルトンやツァラやエルンストが一同に収まった1933年のパリ・シュールレアリストの集合写真と同じく、見ているだけでいろいろな感情が渦巻いてめまいがする。

 彼らがオレンジワインへ向かったのは、ラディコンやグラヴナーと同じく90年代。銅と硫黄以外の農薬は使わない実質オーガニック、自然酵母、無濾過、亜硫酸は瓶詰め時に少量50から60mg/L のみ、といったナチュラルなワイン造りも彼らと同じだ。しかしラ・カステッラーダは“オレンジワイン”っぽくも“ビオ”っぽくもない。ある意味、普通のワインの味がする。そこがラ・カステッラーダの秀逸性であり、魅力である。

 ニコロは言った、「クリーンなワインを造りたい。頭脳を伴わないワインはダメなワインだ」。「自然派ワインだが、エレガントでありたい」。「アルコールが高くなりすぎないようにする」。「ハーモニーを重視する」。ラ・カステッラーダの本質は何かを知るに、これらの言葉を聞けば十分だろう。

 彼にとって醸し発酵は、品種のキャラクターに合わせ、その個性をしっかり引き出すために行う技術である。だから「マセラシオンに向かない品種。もともと香りが魅力なのに、長いマセラシオンは香りを失わせる」というフリウラーノは、マセラシオンは4日のみ。「味の品種であり、フリウラーノやピノ・グリージョと異なり酸があるから長いマセラシオンでも破綻しない」というリボッラは2カ月以上に及ぶ。熟成も異なり、前者では11カ月バリックないしトノー、プラス1年ステンレスタンクなのに対して後者は2年大樽、プラス11カ月ステンレスタンクである。

 チャーミングで香りが華やかなコッリオ・カステッラーダ・ビアンコ(ピノ・グリージョ、シャルドネ、ソーヴィニヨンのブレンド)は、半分を占めるピノ・グリージョは果汁をストレートにプレスして発酵、あと二つの品種は4日のみマセラシオンして発酵。両者をブレンドして造られる。これは普通に造られた素晴らしいコッリオの白ワインと言うべきで、さらっとこのような完成度の高いワインを作り出せるのがかっこいい。フリウラーノの深みととろみがありつつも軽快さを失わない味わい、そしてリボッラ・ジャッラのなめらかでいてフローラルな、きめの細かい味わいも見事で、彼が言うとおり、クリーンで知的でエレガントでハーモニアスである。

 私が一番好きなのは、ピノ・グリージョだ。「スタンコ・ラディコンはピノ・グリージョはタンニンがあるからマセラシオンには向かないと言った」そうだが、それはあくまでオレンジワインという文脈の中での話だろう。白ブドウではなくグリブドウであるピノ・グリージョを15日間醸し発酵すれば白ワインの延長線上のオレンジワインではなく、薄い色の赤ワインになる。若干のタンニンと穏やかな酸と豊かな果実味を備え、どっしりと安定しつつふっくらと広がる心地よい味のワイン。スタイリッシュではあるが神経質なプロヴァンス型のロゼが一般的な現在、心を落ち着かせてくれるロゼ、温かい気持ちになれるロゼ、そしてシンプルでナチュラルなフリウリ料理に合わせやすいロゼは多くない。この“グリワイン”こそが答えだ。直接圧搾、マセラシオン、赤白ブレンドというロゼの基本3製法に加えて、グリワインというカテゴリーを造り、周知させるべきだ。

 ピノ・グリージョはワイン通からは軽視されがちな品種である。一つの理由はフリウリワインの経済上の基軸であるスーパーマーケット等向けの安価な商品がピノ・グリージョだからだ。これはしかたない。私も誤解を防ぐためにはこの品種が好きだと見知らぬ人の前では言わないだろう。もう一つの理由は、高貴品種であってもいかにも高貴な味がしないからだろう。リボッラやマルヴァジアのようなぴしっとした芯がなく、どこかほのぼのとした性格で下半身がぽっちゃりしている。酸の強さをエレガントと呼ぶ昨今の愚かな風潮にあってはなおさら酸がソフトなこの品種は低く見られてしまう。しかし、だからこそ多くの料理に合うのだと言いたい(それはアルザスにあっても同じで、リースリングよりピノ・グリのほうがはるかに多くのアルザス料理に合う)。

 もちろんストラクチャーが出にくい品種であることは事実だから、他品種以上にミネラルによる骨格形成が重要になってくる。ラ・カステッラーダのピノ・グリージョにはそれがある。飲めば直ちにわかる、ナチュラルな栽培の味。だから長い余韻まで焦点をあいまいにすることなくリズミカルな生命力を発散し、飲んでいて心地よい。知的な清明さと情感豊かでいてべたつかない温かみを兼ね備えたこのワインを飲むと、ニコロ・ベンサがいかに傑出した俯瞰的構成力をもつ生産者なのかがよく分かる。

2018.08.14

Gravner, Fruili Venezia Giulia

ありがとうございました、と、涙をこらえつつもワインとその向こうに座るヨスコ・グラヴナーに頭を垂れた。それは事実なのだが、言葉にしてしまうと陳腐の極みになるばかりか、墓前での行動のように聞こえてしまう。
 グラヴナーのワイナリーには時間が止まったかのような,どこか現実離れした、不思議な気配が漂っている。俗塵にまみれた生のリズムが聞こえないのだからこれは死の気配か。闇ではない。まして悪でもない。明るい光は差している。諦念?涅槃?天国への階段?もしこの家がグラヴナーと知らずに通りがかるなら、ここでは決して立ち止まらないだろう。

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▲グラヴナーのワイナリーはどこを見ても静かな気配がある。それでいて息苦しいまでの緊張感ががあって、身体がこわばってしまうのだ。生真面目さが伝わってくるとも言える。

そもそも私はグラヴナーのあるオスラヴィア村には立ち止まりたくない。ウィーンからヴェネチアまで直行したい。オーストリアとイタリアの泥沼の戦いは映画にもなっているから知っているはずだ(知らないなら勉強が足りない)。ここではあまりに多くの命が、あまりに多くて死という言葉の意味さえ無力となるほどに、失われた。自治州東部ヴェネチア・ジューリアの空気はいまだ重い。ヨスコの娘、マテイアは畑の中で言った、「この風景を見ておかしいと思わないか。本来なら生えているべき大木がひとつもなく、木が小さい。敵兵が隠れる場所をなくすべく戦争中にすべて切り倒してしまったからだ」。戦争から百年を経ても自然はその記憶を形に残す。私の間違った思い込みであって欲しいが、オスラヴィアには死の気配がいまだ漂っている。その上でなお、このワイナリーの気配はいたたまれないものがある。

 

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▲言われてみれば、どこか不自然な風景だ。フリウリ・ヴェネチア・ジューリアの歴史文化は複雑だ。だからこそここは、イタリアらしいイタリアとは異なる独自のワインを我々に与えてくれる。

 イタリアワインファンなら忘れもしないだろう、2009年のミハ・グラヴナーの交通事故死のことを。ワイナリーの中にはあちこちにヨスコの一人息子、ミハの写真や絵が飾られている。私はどういう態度をとるべきなのか。ご愁傷様と言ってもむしろ無責任だ。私は知らないふりをして「この写真はお父さんにそっくりですね」などと言い、すぐに他の話に移った。見ていられなかった。ミハの写真も、ミハとヨスコが並んでいる写真も、そしてヨスコ自身の写真も、だ。いや、ヨスコ自身をも、だ。私の目の前にいるのに彼の目は私を見ていなかった。私は再び陳腐を承知で言わざるをえない。ああ、神はなんと残酷なのか、なぜ世界最高のワイン生産者から後継ぎをかくもたやすく奪ってしまうのか、と。

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▲ヨスコ・グラヴナー。食事中、彼は自然の声に耳を傾けること、ワインメイキングをしないことの重要性を語っていた。ある意味、彼ほどワインメイキングのフロンティアを果敢に開拓してきた人物はいないにもかかわらず。だがその言葉はグラヴナーのワインを理解するための根本的な視座を提供する。行為と自我の一体性。有為を尽くした末の無為自然。それを人は悟りの境地と言う。


イサクを生贄に捧げようとしたアブラハムは仔羊を神から与えられた。ミハを奪った神はヨスコに何を与えたのか。私の前に出されたのは2008年のリボッラ。ミハ存命中の最後のヴィンテージ。近年で最悪の、雨に祟られた年。普通なら並ワインとなるだけだ。だがこのリボッラは完璧だった。堂々として巨大。醸し発酵がもたらすタンニンも感じないほどの濃密度。しかし恐ろしく軽やかで抜けがよい。1123日が収穫最終日という長いハングタイムゆえの複雑さと、貴腐ブドウを含むがゆえの甘美さ。非物質的な静かなエネルギーに支えられ、魂を天界へと連れ立つ清明な響きに包まれた、諸行を究めたあとの諸行無常。ワインを口にした瞬間、浄土宗総本山知恩院の国宝、阿弥陀二十五菩薩来迎図を思い出した(高野山の聖衆来迎図ではないのかとツッコミを入れられるのは確実だから言っておくが、それでは本当に死ぬ時の話になってしまう)。ここでモーツァルトのクラリネット協奏曲やフォーレのレクイエムやラヴェルのパヴァーヌが流れたら、私は本当に泣いてしまうだろう。もし私が静かな死をいま迎えるならば、唇を濡らす最後の雫はグラヴナーのリボッラ2008年であってほしい。つまり、神はミハを連れ去る前の最後の奇蹟としてこのワインを我々に残したというのか。。。。

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▲グラヴナー、ヴェネチア・ジューリアIGT リボッラ

  ある意味、我々はみなヨスコ・グラヴナーの息子である。彼は20世紀後半から21世紀初頭のワインの発展を一身に体現した人物であり、誰もが彼の薫陶と恩恵を受けているからである。
 グラヴナーの歴史的偉業について私がいまさら何か言うべきことが残っているとは思えない。すでに何十万人ものワイン専門家やワインファンが言葉を尽くしてきた。日本からグラヴナーを訪れた人も数限りないだろう。グラヴナーを訪れヨスコの尊顔を拝したことのないワインファンなどというものは私にとっては純粋に形容矛盾である。皆がそれぞれグラヴナーへの思いを胸に秘めているべきあって、瞑想の時を私の雑音で汚しては失礼だ。とはいえ若い方々はグラヴナーの変遷とシンクロした人生を送っていないのだから、彼らのためにごくごく初歩的な事柄について触れておこうと思う。
 普通の地酒を造っていたヨスコがワインの品質向上を求めてまず70年代に導入したのが当時最先端のステンレスタンク。ヴェネチア・ジューリアの白ワインの近代化の嚆矢である。しかしそこで土地の味が失われていることに気づいた彼はブルゴーニュ式の樽発酵を導入。高い評価を得る。そして大樽発酵へと移り、同郷スタンコ・ラディコンと共に醸し発酵白ワインを造りはじめる。ワインとは何か、ワインの本質とは何かを常に探求し、ワインの歴史を学び、復活させたのは彼らの祖父の時代のワインだった。
 ラディコンの醸し発酵の初ヴィンテージは1995年だったと記憶する。数年後に私はヴェネチアの近くでその95年を飲んだ。「風変りだけれどおいしいし、こういうのもアリでしょう」と思った。なんであれ、おいしいものはおいしくまずいものはまずい。当時は醸し発酵ワインをオレンジワインとは呼ばなかった。マセラシオンのワイン、と言っていた。ちなみにオレンジワインという呼称が登場するのは時代をくだって2004年、イギリスのワイン輸入元、デヴィッド・ハーヴェイがエトナのコーネリッセンについて表現したものらしい。
 グラヴナーが偉大なのは、マセラシオンのワインにとどまらなかったことである。大河の流れを知るにはその源泉に至らねばならないと考えた彼はジョージアを発見し、ジョージアから直接学ぼうとした。
 ジョージアの首都トビリシで、ガン闘病中のジョージア・ルネッサンスの主導者、アワ・ワインのソリコ・ツァイシュヴィリを訪ねた時、彼は「ヨスコ・グラヴナーと初めて会ったのは、ナチュラルワインのサロンでイタリアを訪れた1989年だった」と語っていた。今回マテイア・グラヴナーに、「お父さんは1989年に初めてジョージアを知ったのか」と聞くと、「それより前から知っていた」と言った。ヨスコはすぐにでもジョージアに飛び立ちたかったようだが、当時のジョージアはソ連の一部であり、容易に旅行できない。ソ連崩壊後には戦争が起きて旅行は不可能。ヨスコが初めてジョージアを訪れたのは2000年だった。そこには彼が探し求めていたワインの形、数千年にわたって伝承されていた製法、そして自然と直結したワインの味わいがあった。すぐさま彼はジョージアからワイン醸造用の甕であるクヴェヴリを輸入し、ジョージア式のマラニ(発酵室)を作り、2001年が初となる「アンフォラ」ワインを送り出した。オレンジワインは既にイタリアじゅうで最先端ワインの代名詞となっていたにもかかわらず、それら多くのオレンジワインとは別次元の力がアンフォラワインに備わっているのは明白だった。もちろん衝撃は即座に世界じゅうに伝播した。今ではどこでもアンフォラワインを造る。誰が当時これほどの変化を予見しえただろか。クヴェヴリはクヴェヴリであってアンフォラではなく、以降世界中で甕と壺を混同する悪しき風習が一般化してしまった責任は彼のワインのネーミングにあるのだが、それはさておいて、グラヴナーのアンフォラワインの登場は、ゴルゴダの奇蹟のように、西洋におけるワイン史の転回点となった。
 グラヴナー以前からもちろんジョージアでは誰もがクヴェヴリ発酵ワインを造っていたし、他の多くの国々でもそうだ。ポンペイの遺跡を見ればローマ時代のワイン製法がジョージアのそれと遠くないことが分かる。しかしそれらはワイン界というマーケットでは注目されることなく、伝統文化や考古学的関心という文脈の中でのみ解釈されてきた。ワインの勉強をすれば誰でもコーカサス地方がヴィティス・ヴィニフェラ・ワインの生誕地であると学ぶ。私でさえ知っていた。だがそれが現代のワインとして再生しうるものだとは思っていなかった。昔のグラヴナーと同じく、ボルドー式ワインとブルゴーニュ式ワインで思考が占拠されていた。グラヴナーは、それが歴史的遺物ではなく、現代に通じる不変の真理を内包していることを証明したのである。

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▲グラヴナーの発酵室はジョージアそのものだ。中央に置かれた椅子は何かと聞くと、「よい方角を向いて瞑想するため」。私にはよい気は写真右のほうから来るように思えるが、それはともかく、彼の考え方が分かる。部屋の中央で彼が意識を統一することで、周囲のワインによい気が送られるのは確かだろう。子供を導く指揮者のように。

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▲参考までに、こちらはジョージア、テミの発酵室。


 模倣が溢れても、誰もグラヴナーを超えられない。クヴェヴリで発酵すればワインが何か特別なものになるわけではない。現在世界中のワイナリーでクヴェヴリを見かけるが、そのほとんどは、通常のタンクと同じように床上に置かれる。最も重要な大地との一体性が失われてしまうばかりか、多孔質のクヴェヴリからワインが蒸発して、よくある酸化した味になってしまう。先日ミュンヘンの試飲会でニコラ・ジョリーと話していた時、クヴェヴリ発酵の話になったら即座に彼は、「地中に埋めねばならない。床置きしている奴らはバカだ」と言った。「ええ、そうですよね。でも、おたくのグループの中にもそういう人がいるでしょう。ほら、斜め前のブースにもいます。そう思うなら、バカ、と言ってきなさい」。「・・・・」。しかたない、多くの人にとって甕はオルタナティブ発酵容器でしかなく、さらに言うなら、流行りものでしかない。機能のみ理解して、意味を理解しない。ニコラ・ジョリーはそれをバカと言う。

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▲土に埋められる前のクヴェヴリ。コンクリートの被覆があることに注意。

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▲参考までに、こちらはジョージアで見かけたクヴェヴリ。世界じゅうで今ではクヴェヴリ発酵ワインが造られるが、どうして多くの人は石灰分の被覆の意味を忘れてしまうのか。

グラヴナーはジョージアと同じく、大地に埋める前にクヴェヴリの外側にセメントを塗る。本来は石灰でいいのだが、強度を保つ実際的な意味もある(フリウリは地震が起きる。19765月のマグニチュード6.5の地震は記憶に新しい)。これが味わいに影響を与えるし、ワインの蒸発を防ぐ役目もする。クヴェヴリは陶工から買ってきた状態、つまり未処理のまま使うものではない。日本の陶器は使用前に米のとぎ汁で煮るではないか。それは日本人にとってあまりに常識的なことだから誰も口にしない。では京都清水坂の土産物店で陶器を買う外国人観光客はそのように処理するだろうか。ものはものだけでは成立しない。それを文化と呼ぶ。西洋諸国において石灰分で甕を覆っているワイナリーは、知る限りグラヴナーだけである。その効果は我々が自宅でも容易に検証できる。素焼きの徳利にワインを入れ、自然の白亜を外側に塗る前と後で比較試飲すればよい。塗る前の味はよくあるふわーんと飲みやすい俗流アンフォラワイン的(それでも驚異的なメリットを感じることだろう)、塗った後の味は集中力と構造のあるグラヴナーのワインに近づく。これを読まれている方ならば皆、そういった実験を行っていると思う。世間にあまねく伝わっているグラヴナーの取材記事の写真を見れば、クヴェヴリのコンクリート被覆にすぐに気づくはずだ。気づけば、なぜ、と思って当然だ。何も考えることなく、グラヴナーのワインを、ただ有名だから、雑誌で高い評価を得ていたから等の理由で飲んでいるような恥知らずには、皆さんから厳しい指導を与えて欲しい。

グラヴナーはジョージア式製法をそのまま踏襲しているわけではない。彼なりに考えぬいた目的を実現するための手段がジョージア式なのであるから、彼の目的に叶うようにアレンジしている。端的な例は除梗である。ジョージアでは果房を足踏み破砕をして果汁をクヴェヴリに流し込んだあと、残った果梗、種、果皮をクヴェヴリに入れる。果梗も醸し発酵すれば当然そのタンニンや風味も抽出される。ジョージアのオレンジワインが往々にして相当に苦く、植物的な風味が備わるのはそれゆえである。グラヴナーのオレンジワインにはエグみがない。色は濃いが、赤ワインというより白ワイン的な味がする。そしてタンニンにマスキングされない土地のミネラルが明確に感じられるワインとなる。除梗は人手でも可能だとはいえ、大変な作業であり、除梗機なしでは非現実的だ。使うべきところで現代テクノロジーを使うグラヴナーは、オレンジワインやジョージアワインを目的としたわけでもなく、あくまでオスラヴィアのテロワールを表現するワインを造りたかったのだと理解できる。ところがこういったワインを好む多くの人が、「テロワールなんて関係ない。作り手の思いとスタイルがすべてだ」と言う。私も某輸入元から直接そう説教されたことがある。しかし目的なき思いとスタイルとはなんのことだろう。現実から乖離した精神論と方法論の目的化ゆえに日本は無意味な戦争を起こして負けたのではないか。まだわからないか、思いとは正当な目的に対するものであり、スタイルとはその目的を具現化するための最善の手段のことなのだ、と。ヨスコの娘マテイアは、ヨスコの言葉としてこう伝えてくれた、「クリアなヴィジョンを持て。行動の前に考えなさい」。

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▲ワインは発酵・マセラシオンののち、クヴェヴリから大樽に移されて7年ものあいだ熟成させられる。

ジョージアではクヴェヴリで発酵マセラシオンを数カ月から1年行ったらあとは飲むだけだが、グラヴナーはワインをクヴェヴリから大樽ないし木桶に移してさらに熟成させる。ヨスコ自身はホームページで、クヴェヴリと樽合わせて41カ月(素数であることに注意)熟成させると語っているが、娘マテイアによれば、今は1年アンフォラ、7年樽熟成だという。こうすることでオレンジワインの苦みがさらに消え、全要素が溶け合った調和が生まれる。だからグラヴナーのアンフォラワインは、それがオレンジワインであるかアンフォラワインであるかなどどうでもいい、手段を超越した独自の世界を表現できるのである。

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▲グラヴナー・グラス。オレンジワイン・ファンならこれは必携だろう。

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▲レッグを見て分かるように、アルコール度数は高く、14・5度もある。しかし「遅摘みではない。他が早摘みなだけだ」。その通りだ。正しいバランスならば、アルコールはむしろ感じない。



 このワインを、専用のグラヴナー・グラスで飲む。ステムがないボウル状のグラスを3本の指で支持する形になっている。以前のグラヴナーではステム付きのラディコン・グラスを使用していたから、大きな進歩だ。いつも自宅で使っている磁器の“ピアラ”、つまりジョージアのワインカップの磁器バージョンで飲むと、さらにミネラル感は増すものの、味はよりジョージアに近づき、グラヴナーならではの静謐な気配と軽やかな上昇力は弱まる。グラヴナー・グラスで飲むと、ワインはより光を感じるものとなり、味わいの透明感が増す。
 グラヴナーの製法をじっくりと観察すれば、どこかでガラスを使わなけばバランスが崩れるというのは飲む前から分かるはずだ。同じ理屈は以前ジョージアで私が毎日のように主張していた。ラマズ・ニコラゼのワインは昔は暗い味だったが、今では明暗のバランスがとれていると思わないだろうか。それは彼が私の意見を聞いて(私がそう勝手に思いこんでいるのではなく、彼自身がそう言っていた)、クヴェヴリの蓋をガラス製にし、クヴェヴリを埋める土の上部を砂(つまりケイ素)にしたからである。しかしそれはジョージアの伝統的ワインカップ、陶製のピアラでワインを飲むことを前提としている。生産から消費の全過程のどこでガラスをどのぐらい使うかが大事なのであって、つまりテロリックとコズミックの相反する力のバランスを取ることが目的なのであって、ひとつのステップ、手段だけを取り出してあれこれ言っていてもしかたない。

しつこいと言われようとも重要なので繰り返す。ガラスといえども通常のワイングラスではありえない。そんなものでグラヴナーを飲んで何かがおかしいと思わないような鈍感さではそもそも彼のワインを飲む資格があるとは思えない。しかしグラヴナーのワインは大変に高価だ。ワイナリーで買って55ユーロ。今までの投資を思えば、そして15ヘクタールの畑からたった2万5千から3万5千本という生産本数を考えても、この価格でなければ無理だろう。ここまで高価だと、超高級レストランで飲まれることになるはずだ。そしてそういう店では、通常のワイングラスに入れて、愚かしくもスワーリングして飲んだりするのだろう。そこでどんな会話がなされるのかさえ想像がつく。ああ、恥ずかしい。ああ、いやだ。ああ、考えたくもない。下世話な話、高級店で2、3回グラヴナーを飲むお金で、日本からヨスコ・グラヴナーに会いに行けるではないか。ごちゃごちゃ言う前に、オスラヴィアに行ってグラヴナー・グラスを買ってきなさい。

 


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▲土壌はこの地独特のポンカ。場所によって泥灰岩のところもあれば、より硬質な砂岩に近いところもあるようだ。

マテイアに連れられて畑に行く。ビアンコ・ブレグのブドウ、つまりシャルドネ、ソーヴィニヨン、ウェルシュリースリング、ピノ・グリが植えられていた畑、BrecnikGodenzaPoljePusca2012年までに引き抜かれていた。「よい土地ではないところにブドウを植えてもしかたないから自然の森に戻す」という。「経営を考えたらそういう結論にはなりませんよね」と言うと、「そういう経済中心の考え方がワインをだめにしてきた。経営を思えば悪い年にはセカンドワインを造るという発想もあるだろう。しかしよい年と悪い年という区別をつけることも問題だ。よい年のほうがいいとどうして言えるのか。どんな年でも最上のワインを造ることが大事なのだ。その目的を思えば、どうしてセカンドワインなどという発想が出てくるだろうか」。それは、世間的には最低の年とされる08年と最高の年とされる09年を比較試飲してみれば分かることだ。むしろ08年のほうが私は複雑さがあっていいと思う。
 
ビアンコ・ブレグがまずいワインだとは思わない。ブレンドならではの多面性をもち、トロピカルな風味とねっとりとした質感は、いかにも暑いイタリアで北方品種を植えた味でもあり、またヴェネチア・ジューリアのポンカ土壌らしくもある。ブラインドで出されたら、十分素晴らしいワインだと評価する。しかし同年のリボッラと比較したら、どんな意味でも劣って見える。表層的で、物質的で、余韻がそっけなく、飲んだあとに魂を揺り動かす不思議な力が備わっていない。だから「
2013年からはリボッラのみを造る」。ステンレスや樽発酵との併用を倫理的に嫌ってアンフォラ一本に集約し、今度は多品種を嫌ってリボッラだけにするとは、なんと潔い行動か。常にベストだけを求める飽くなき求道者がヨスコ・グラヴナーである。

彼のホームページを開ければ、冒頭に月齢カレンダーが掲載されていることからも分かるとおり、遅ればせながら、2011年からはビオディナミを始めている。なぜかといえば、単純に、環境によいと思われるからだ。「ビオディナミを採用したあと、1年で巨大な差が生まれると分かった。ビオディナミに反対する人たちはそれを神秘主義的魔術的だと言うが、それは科学的で論理的なものだ」。ちなみに80年代はグラヴナーでも農薬を使用していたそうだが、除草剤だけは使用しなかったという。「最近は大手がオーガニックを始めており、もちろん地球環境への負荷を低減するためには重要な動きではあるが、オーガニックマークの有無にとらわれるのではなく、その背後にある倫理を問題にしなければならない」。議論のテーマは変われど、こうして話を聞くと、グラヴナーの全行為には共通する思想があると分かるだろう。つまり、手段・表層ではなく、目的・意味をまず問え、そして必要な手段を採用せよ、そして打算と妥協を排して全力で取り組め。言うは易し。しかしヨスコ・グラヴナーはそれを誰よりも自らに厳しく行ってきた。だから誰もが彼を尊敬するのだ。

価格を思うと、大半が輸出されると想像していたが、現在の輸出・国内販売比率はほぼ半々。つまりイタリアできちんと評価されているということ。そうでなければならない。ヨスコ・グラヴナーはイタリアの誇りである。そして彼のリボッラは、疑問の余地なくイタリア最上の白ワインである。

 

 

2018.08.12

Moschioni, Friuli Venezia Giulia

 モスキオーニに来るのは二回目だ。前回は十数年前になるか。当時のワイン・アドヴォケイト誌で、モスキオーニのピニョーロ1999年はフリウリ=ヴェネチア・ジューリア自治州(以下フリウリと略)の赤ワインとしては異例の高得点、95点を獲得し、ずいぶんと騒がれたものだ。ロバート・パーカーのコメントを見直してみると、「フルボディード、スーパー・エクストラクテッド、イメンス」といった形容が並ぶ。初めて飲んだ時の味は鮮烈に記憶しているが、その通りのワインだった。

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▲モスキオーニを世界的なグラン・ヴァン地図の中に組み入れることになったロバート・パーカーの記事のコピー。

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▲ミケーレ・モスキオーニ氏と家族。モスキオーニ家はミケーレの祖父の時代からこの地で農家を営んでいる。昔は複合農家であり、普通のテーブルワインしか造っていなかった。ミケーレは1982年からワイン造りを始め、89年に今のスタイルに。ワインは父親から学んだという。娘さんは寿司が大好きで自分で作ろうとしているがどうしてもうまくいかないのだとか。私がティシューを丸めてシャリに見立て、握り方をやってみせたが、「それは動画でも見て分かっているのだけど、見るのとやるのでは違う」。日本人なら普通のことでもイタリア人には普通ではなく、逆もまたしかり。

 昔はフリウリといえば白ワイン、さらに言うならピノ・グリージョの産地として知られていた。30年以上前、当時住んでいたニューヨークでイタリア料理店に行けば、どこでもピノ・グリージョがあった。フリウリとはそういうものだと思っていた。赤といえばピエモンテとトスカーナばかりに目が行っていた90年代が終わり、イタリア各地の地場品種のワインがどれも驚嘆すべき品質を生み出すようになって日本でも一大地場品種ブームが起きた世紀の変わりめ。フリウリの赤品種であるピニョーロやスキオペッティーノは実は驚異的なポテンシャルを持っているのだと教えてくれたという点で、モスキオーニの功績は巨大であり、私も彼らには感謝している。

 低収量とアパッシメントと新樽風味のこってりとリッチで享楽的なおいしさのパワフルなワイン。それが1989年以降のモスキオーニのスタイルだ。ある意味、揶揄されるところのパーカースタイル。98年や2000年のパヴィやモンブスケ等ボルドー右岸、ないし95年や97年のナパ・カベルネ的。だから近年の反パーカースタイルの嗜好性からすれば、モスキオーニは自然史博物館の恐竜化石のように映ることだろう。

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▲ピニョーロとスキオペッティーノというふたつのプレミアムワインは木桶発酵。他はステンレス。木桶にはポンプを使用せず、ポンピングオーバーは人力で、バケツにマストを落としては梯子を登って上から流しかける。それが品質に直結すると思うからこそできる重労働。

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▲1年バリック熟成のあと4年(!)大樽熟成、さらに1年瓶熟成してからリリースされる。樽発酵赤ワインがそろそろ登場するようだ。それはいいアイデアで、さらにフルーティでピュアな仕上がりになるだろう。バリックは50%新樽。


 時代は変わってもモスキオーニはスタイルを変えなかった。流行りだからそうしたのではなく、それがいいと心から思ってそうしたから、ミケーレ・モスキオーニはぶれなかった。彼はワインを祖父から学んだあとは独学で独自の味わいを作り上げていったのだ。

 久しぶりに飲み、その不変のスタイルになつかしさを覚えた。しかし古臭くなどなかった。むしろこれで正しいと改めて思った。世に溢れる早摘みの青臭くすっぱく固く重心が高く薄く小さいワインを皆がこぞって「エレガント」と呼び、「フードフレンドリー」と呼ぶ。私はその手のワインが嫌いだという点で超マイノリティーだから何度も主張を繰り返したくなるのだが、熟していないブドウはエネルギー感がないワインしか作れない。私にとって最重要なワイン評価基準のひとつは、エネルギー感である。食べ物も同じだ。エネルギー感のない食べ物はだめな食べ物である。なぜなら我々は食べ物や飲み物からエネルギーをもらうからである。エネルギーのあるものを摂取するのを「疲れる」と皆が言う。私はエネルギーを奪われるものを摂取すると疲れる。

 モスキオーニのワインは現在主流となっている早摘み味の対極であるがゆえに、私にとっては救いだ。青臭くすっぱく固く重心が高く薄く小さいワインではないワインがこうして生きながらえていることに対し、神に感謝する。赤ワインの私的基準は、ヴァティカンの教皇ミサ用ワイン、イスラエルのトラピスト派修道院のブラック・マスカット、ジョージアのテミのサペラヴィ、フバール島の地元消費用プラヴァッチ・マリ、そしてマウレのピペーニョであり、それらは当然のごとく、早摘み味の対極である。しかしモスキオーニは遅摘み味なのではない。そこが天才的なところで、アパッシメントによって濃厚な果実味を作りだすが、この技法は同時に酸も凝縮するので、ワインはこってりしているがべたつかないのだ。

 だから現在の視点でモスキオーニを飲むと、スタイルは不変であっても、意味内容が昔とは違う。かつてはパーカースタイルのフリウリ編といった観点からの高い評価。今はワインの本質論に立ち返っての高い評価。20年の年月はなんだったのか。私はこのことを確認するためにモスキオーニに来たのだ。

 スタイルは変わらずとも品質は変わっている。もちろん、よい方に、だ。彼らがオーガニック栽培へと舵を切ったのが20年前。つまりあの99年の頃にはまだ畑に農薬が残っていたのだろう。今では質感の厚みが増して繊細なディティールが備わり、タンニンが細かくなって後味が優しい。2014年にはオーガニック認証プログラムに入り、2017年ヴィンテージからは認証オーガニックとなる予定だ。

 彼らのワインにまずいものは基本的にはない。今回テイスティングした2011年ヴィンテージの中では、最高価格がつけられるピニョーロだけはブレタノミセスゆえに推薦できないが、それは毎年ではないことを願う。他のワイン、レフォスコも、メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンの混醸ロッソ・チェルティコも、タッツェランゲとメルロとカベルネ・ソーヴィニヨンの混醸ロッソ・レアルも、スキオペッティーノも、すべて見事と言うほかない。

 レフォスコは、この品種のワインに往々にしてみられる青さが皆無で、大変にリッチ。ロッソ・チェルティコは、メルロとカベルネをブレンドするのではなく混醸するというのがポイント。味の一体感、パワー感が違う。こってりしているが重くない。大樽熟成とステンレスタンク熟成のブレンドによって、しなやかさとビビッド感を併せ持つワインになっている。ロッソ・レアルは今回見直したワイン。堂々としたスケール感はいかにもモスキオーニだが、チェルティコよりタンニンが細かく、香りがフローラルで、味わいがリズミカルだ。そもそもタッツェランゲは単独ではボディ感に欠けて酸が強すぎるワインにしかならないだろう。それにアパッシメントをかけてボルドー品種と合わせることで、軽重硬軟併せもつバランスのよさが生み出された。生産者のセンスのよさと的確な技術力がよく分かる。

 そしてスキオペッティーノ。この品種は巨大な房であり、品はよくとも薄くて青臭いワインになりがちだ。モスキオーニでは房の下と肩を切り落とすことで凝縮度を上げ、さらにはアパッシメントによってミッドの厚みや質感の豊かさを作りだして、スキオペッティーノとしては例外的なリッチな味わいに。しかしとろっとしつつリズミカルな酸と、味わいの後半に手綱を引き締めるかのような細かく堅牢なタンニンが、果実の厚みとバランスして、余韻も大変に長い。スキオペッティーノ品種ワインの代表格である。

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▲部屋の中にはプロシュートスライサーのコレクションが並ぶ。すべて現役で使用可能だそうだ。


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▲フリウリといえば生ハム。これはDOPサンダニエレではなく、IGPサウリス。

 テイスティングのあと、地元名産プロシュート・ディ・サウリスと共にワインを味わう。そのいかにもフリウリなリッチな味わいとゆっくりした流速と低めの重心を見れば、モスキオーニのスタイルのガストロノミー的必然性も分かる。ワインとフルーティなとろみと豚の脂肪が絡み合って、やめられないほどおいしい。さて日本ではこうしたワインはイタリア料理店で売られる。ならば地元味との相性は最重要考察事項である。それなのに早摘み味ワインなのか?それがフードフレンドリー?私にはたいした経験値も知識もないが、それでもモスキオーニで出された生ハムとの相性を目の当たりにすれば、目の前にある現実が正しいのであって、早摘みイデオロギーの思考・言論支配には大いに疑念を持たざるを得ない。