ありがとうございました、と、涙をこらえつつもワインとその向こうに座るヨスコ・グラヴナーに頭を垂れた。それは事実なのだが、言葉にしてしまうと陳腐の極みになるばかりか、墓前での行動のように聞こえてしまう。
グラヴナーのワイナリーには時間が止まったかのような,どこか現実離れした、不思議な気配が漂っている。俗塵にまみれた生のリズムが聞こえないのだからこれは死の気配か。闇ではない。まして悪でもない。明るい光は差している。諦念?涅槃?天国への階段?もしこの家がグラヴナーと知らずに通りがかるなら、ここでは決して立ち止まらないだろう。
▲グラヴナーのワイナリーはどこを見ても静かな気配がある。それでいて息苦しいまでの緊張感ががあって、身体がこわばってしまうのだ。生真面目さが伝わってくるとも言える。
そもそも私はグラヴナーのあるオスラヴィア村には立ち止まりたくない。ウィーンからヴェネチアまで直行したい。オーストリアとイタリアの泥沼の戦いは映画にもなっているから知っているはずだ(知らないなら勉強が足りない)。ここではあまりに多くの命が、あまりに多くて死という言葉の意味さえ無力となるほどに、失われた。自治州東部ヴェネチア・ジューリアの空気はいまだ重い。ヨスコの娘、マテイアは畑の中で言った、「この風景を見ておかしいと思わないか。本来なら生えているべき大木がひとつもなく、木が小さい。敵兵が隠れる場所をなくすべく戦争中にすべて切り倒してしまったからだ」。戦争から百年を経ても自然はその記憶を形に残す。私の間違った思い込みであって欲しいが、オスラヴィアには死の気配がいまだ漂っている。その上でなお、このワイナリーの気配はいたたまれないものがある。
▲言われてみれば、どこか不自然な風景だ。フリウリ・ヴェネチア・ジューリアの歴史文化は複雑だ。だからこそここは、イタリアらしいイタリアとは異なる独自のワインを我々に与えてくれる。
イタリアワインファンなら忘れもしないだろう、2009年のミハ・グラヴナーの交通事故死のことを。ワイナリーの中にはあちこちにヨスコの一人息子、ミハの写真や絵が飾られている。私はどういう態度をとるべきなのか。ご愁傷様と言ってもむしろ無責任だ。私は知らないふりをして「この写真はお父さんにそっくりですね」などと言い、すぐに他の話に移った。見ていられなかった。ミハの写真も、ミハとヨスコが並んでいる写真も、そしてヨスコ自身の写真も、だ。いや、ヨスコ自身をも、だ。私の目の前にいるのに彼の目は私を見ていなかった。私は再び陳腐を承知で言わざるをえない。ああ、神はなんと残酷なのか、なぜ世界最高のワイン生産者から後継ぎをかくもたやすく奪ってしまうのか、と。
▲ヨスコ・グラヴナー。食事中、彼は自然の声に耳を傾けること、ワインメイキングをしないことの重要性を語っていた。ある意味、彼ほどワインメイキングのフロンティアを果敢に開拓してきた人物はいないにもかかわらず。だがその言葉はグラヴナーのワインを理解するための根本的な視座を提供する。行為と自我の一体性。有為を尽くした末の無為自然。それを人は悟りの境地と言う。
イサクを生贄に捧げようとしたアブラハムは仔羊を神から与えられた。ミハを奪った神はヨスコに何を与えたのか。私の前に出されたのは2008年のリボッラ。ミハ存命中の最後のヴィンテージ。近年で最悪の、雨に祟られた年。普通なら並ワインとなるだけだ。だがこのリボッラは完璧だった。堂々として巨大。醸し発酵がもたらすタンニンも感じないほどの濃密度。しかし恐ろしく軽やかで抜けがよい。11月23日が収穫最終日という長いハングタイムゆえの複雑さと、貴腐ブドウを含むがゆえの甘美さ。非物質的な静かなエネルギーに支えられ、魂を天界へと連れ立つ清明な響きに包まれた、諸行を究めたあとの諸行無常。ワインを口にした瞬間、浄土宗総本山知恩院の国宝、阿弥陀二十五菩薩来迎図を思い出した(高野山の聖衆来迎図ではないのかとツッコミを入れられるのは確実だから言っておくが、それでは本当に死ぬ時の話になってしまう)。ここでモーツァルトのクラリネット協奏曲やフォーレのレクイエムやラヴェルのパヴァーヌが流れたら、私は本当に泣いてしまうだろう。もし私が静かな死をいま迎えるならば、唇を濡らす最後の雫はグラヴナーのリボッラ2008年であってほしい。つまり、神はミハを連れ去る前の最後の奇蹟としてこのワインを我々に残したというのか。。。。
▲グラヴナー、ヴェネチア・ジューリアIGT リボッラ
ある意味、我々はみなヨスコ・グラヴナーの息子である。彼は20世紀後半から21世紀初頭のワインの発展を一身に体現した人物であり、誰もが彼の薫陶と恩恵を受けているからである。
グラヴナーの歴史的偉業について私がいまさら何か言うべきことが残っているとは思えない。すでに何十万人ものワイン専門家やワインファンが言葉を尽くしてきた。日本からグラヴナーを訪れた人も数限りないだろう。グラヴナーを訪れヨスコの尊顔を拝したことのないワインファンなどというものは私にとっては純粋に形容矛盾である。皆がそれぞれグラヴナーへの思いを胸に秘めているべきあって、瞑想の時を私の雑音で汚しては失礼だ。とはいえ若い方々はグラヴナーの変遷とシンクロした人生を送っていないのだから、彼らのためにごくごく初歩的な事柄について触れておこうと思う。
普通の地酒を造っていたヨスコがワインの品質向上を求めてまず70年代に導入したのが当時最先端のステンレスタンク。ヴェネチア・ジューリアの白ワインの近代化の嚆矢である。しかしそこで土地の味が失われていることに気づいた彼はブルゴーニュ式の樽発酵を導入。高い評価を得る。そして大樽発酵へと移り、同郷スタンコ・ラディコンと共に醸し発酵白ワインを造りはじめる。ワインとは何か、ワインの本質とは何かを常に探求し、ワインの歴史を学び、復活させたのは彼らの祖父の時代のワインだった。
ラディコンの醸し発酵の初ヴィンテージは1995年だったと記憶する。数年後に私はヴェネチアの近くでその95年を飲んだ。「風変りだけれどおいしいし、こういうのもアリでしょう」と思った。なんであれ、おいしいものはおいしくまずいものはまずい。当時は醸し発酵ワインをオレンジワインとは呼ばなかった。マセラシオンのワイン、と言っていた。ちなみにオレンジワインという呼称が登場するのは時代をくだって2004年、イギリスのワイン輸入元、デヴィッド・ハーヴェイがエトナのコーネリッセンについて表現したものらしい。
グラヴナーが偉大なのは、マセラシオンのワインにとどまらなかったことである。大河の流れを知るにはその源泉に至らねばならないと考えた彼はジョージアを発見し、ジョージアから直接学ぼうとした。
ジョージアの首都トビリシで、ガン闘病中のジョージア・ルネッサンスの主導者、アワ・ワインのソリコ・ツァイシュヴィリを訪ねた時、彼は「ヨスコ・グラヴナーと初めて会ったのは、ナチュラルワインのサロンでイタリアを訪れた1989年だった」と語っていた。今回マテイア・グラヴナーに、「お父さんは1989年に初めてジョージアを知ったのか」と聞くと、「それより前から知っていた」と言った。ヨスコはすぐにでもジョージアに飛び立ちたかったようだが、当時のジョージアはソ連の一部であり、容易に旅行できない。ソ連崩壊後には戦争が起きて旅行は不可能。ヨスコが初めてジョージアを訪れたのは2000年だった。そこには彼が探し求めていたワインの形、数千年にわたって伝承されていた製法、そして自然と直結したワインの味わいがあった。すぐさま彼はジョージアからワイン醸造用の甕であるクヴェヴリを輸入し、ジョージア式のマラニ(発酵室)を作り、2001年が初となる「アンフォラ」ワインを送り出した。オレンジワインは既にイタリアじゅうで最先端ワインの代名詞となっていたにもかかわらず、それら多くのオレンジワインとは別次元の力がアンフォラワインに備わっているのは明白だった。もちろん衝撃は即座に世界じゅうに伝播した。今ではどこでもアンフォラワインを造る。誰が当時これほどの変化を予見しえただろか。クヴェヴリはクヴェヴリであってアンフォラではなく、以降世界中で甕と壺を混同する悪しき風習が一般化してしまった責任は彼のワインのネーミングにあるのだが、それはさておいて、グラヴナーのアンフォラワインの登場は、ゴルゴダの奇蹟のように、西洋におけるワイン史の転回点となった。
グラヴナー以前からもちろんジョージアでは誰もがクヴェヴリ発酵ワインを造っていたし、他の多くの国々でもそうだ。ポンペイの遺跡を見ればローマ時代のワイン製法がジョージアのそれと遠くないことが分かる。しかしそれらはワイン界というマーケットでは注目されることなく、伝統文化や考古学的関心という文脈の中でのみ解釈されてきた。ワインの勉強をすれば誰でもコーカサス地方がヴィティス・ヴィニフェラ・ワインの生誕地であると学ぶ。私でさえ知っていた。だがそれが現代のワインとして再生しうるものだとは思っていなかった。昔のグラヴナーと同じく、ボルドー式ワインとブルゴーニュ式ワインで思考が占拠されていた。グラヴナーは、それが歴史的遺物ではなく、現代に通じる不変の真理を内包していることを証明したのである。
▲グラヴナーの発酵室はジョージアそのものだ。中央に置かれた椅子は何かと聞くと、「よい方角を向いて瞑想するため」。私にはよい気は写真右のほうから来るように思えるが、それはともかく、彼の考え方が分かる。部屋の中央で彼が意識を統一することで、周囲のワインによい気が送られるのは確かだろう。子供を導く指揮者のように。
▲参考までに、こちらはジョージア、テミの発酵室。
模倣が溢れても、誰もグラヴナーを超えられない。クヴェヴリで発酵すればワインが何か特別なものになるわけではない。現在世界中のワイナリーでクヴェヴリを見かけるが、そのほとんどは、通常のタンクと同じように床上に置かれる。最も重要な大地との一体性が失われてしまうばかりか、多孔質のクヴェヴリからワインが蒸発して、よくある酸化した味になってしまう。先日ミュンヘンの試飲会でニコラ・ジョリーと話していた時、クヴェヴリ発酵の話になったら即座に彼は、「地中に埋めねばならない。床置きしている奴らはバカだ」と言った。「ええ、そうですよね。でも、おたくのグループの中にもそういう人がいるでしょう。ほら、斜め前のブースにもいます。そう思うなら、バカ、と言ってきなさい」。「・・・・」。しかたない、多くの人にとって甕はオルタナティブ発酵容器でしかなく、さらに言うなら、流行りものでしかない。機能のみ理解して、意味を理解しない。ニコラ・ジョリーはそれをバカと言う。
▲土に埋められる前のクヴェヴリ。コンクリートの被覆があることに注意。
▲参考までに、こちらはジョージアで見かけたクヴェヴリ。世界じゅうで今ではクヴェヴリ発酵ワインが造られるが、どうして多くの人は石灰分の被覆の意味を忘れてしまうのか。
グラヴナーはジョージアと同じく、大地に埋める前にクヴェヴリの外側にセメントを塗る。本来は石灰でいいのだが、強度を保つ実際的な意味もある(フリウリは地震が起きる。1976年5月のマグニチュード6.5の地震は記憶に新しい)。これが味わいに影響を与えるし、ワインの蒸発を防ぐ役目もする。クヴェヴリは陶工から買ってきた状態、つまり未処理のまま使うものではない。日本の陶器は使用前に米のとぎ汁で煮るではないか。それは日本人にとってあまりに常識的なことだから誰も口にしない。では京都清水坂の土産物店で陶器を買う外国人観光客はそのように処理するだろうか。ものはものだけでは成立しない。それを文化と呼ぶ。西洋諸国において石灰分で甕を覆っているワイナリーは、知る限りグラヴナーだけである。その効果は我々が自宅でも容易に検証できる。素焼きの徳利にワインを入れ、自然の白亜を外側に塗る前と後で比較試飲すればよい。塗る前の味はよくあるふわーんと飲みやすい俗流アンフォラワイン的(それでも驚異的なメリットを感じることだろう)、塗った後の味は集中力と構造のあるグラヴナーのワインに近づく。これを読まれている方ならば皆、そういった実験を行っていると思う。世間にあまねく伝わっているグラヴナーの取材記事の写真を見れば、クヴェヴリのコンクリート被覆にすぐに気づくはずだ。気づけば、なぜ、と思って当然だ。何も考えることなく、グラヴナーのワインを、ただ有名だから、雑誌で高い評価を得ていたから等の理由で飲んでいるような恥知らずには、皆さんから厳しい指導を与えて欲しい。
グラヴナーはジョージア式製法をそのまま踏襲しているわけではない。彼なりに考えぬいた目的を実現するための手段がジョージア式なのであるから、彼の目的に叶うようにアレンジしている。端的な例は除梗である。ジョージアでは果房を足踏み破砕をして果汁をクヴェヴリに流し込んだあと、残った果梗、種、果皮をクヴェヴリに入れる。果梗も醸し発酵すれば当然そのタンニンや風味も抽出される。ジョージアのオレンジワインが往々にして相当に苦く、植物的な風味が備わるのはそれゆえである。グラヴナーのオレンジワインにはエグみがない。色は濃いが、赤ワインというより白ワイン的な味がする。そしてタンニンにマスキングされない土地のミネラルが明確に感じられるワインとなる。除梗は人手でも可能だとはいえ、大変な作業であり、除梗機なしでは非現実的だ。使うべきところで現代テクノロジーを使うグラヴナーは、オレンジワインやジョージアワインを目的としたわけでもなく、あくまでオスラヴィアのテロワールを表現するワインを造りたかったのだと理解できる。ところがこういったワインを好む多くの人が、「テロワールなんて関係ない。作り手の思いとスタイルがすべてだ」と言う。私も某輸入元から直接そう説教されたことがある。しかし目的なき思いとスタイルとはなんのことだろう。現実から乖離した精神論と方法論の目的化ゆえに日本は無意味な戦争を起こして負けたのではないか。まだわからないか、思いとは正当な目的に対するものであり、スタイルとはその目的を具現化するための最善の手段のことなのだ、と。ヨスコの娘マテイアは、ヨスコの言葉としてこう伝えてくれた、「クリアなヴィジョンを持て。行動の前に考えなさい」。
▲ワインは発酵・マセラシオンののち、クヴェヴリから大樽に移されて7年ものあいだ熟成させられる。
ジョージアではクヴェヴリで発酵マセラシオンを数カ月から1年行ったらあとは飲むだけだが、グラヴナーはワインをクヴェヴリから大樽ないし木桶に移してさらに熟成させる。ヨスコ自身はホームページで、クヴェヴリと樽合わせて41カ月(素数であることに注意)熟成させると語っているが、娘マテイアによれば、今は1年アンフォラ、7年樽熟成だという。こうすることでオレンジワインの苦みがさらに消え、全要素が溶け合った調和が生まれる。だからグラヴナーのアンフォラワインは、それがオレンジワインであるかアンフォラワインであるかなどどうでもいい、手段を超越した独自の世界を表現できるのである。
▲グラヴナー・グラス。オレンジワイン・ファンならこれは必携だろう。
▲レッグを見て分かるように、アルコール度数は高く、14・5度もある。しかし「遅摘みではない。他が早摘みなだけだ」。その通りだ。正しいバランスならば、アルコールはむしろ感じない。
このワインを、専用のグラヴナー・グラスで飲む。ステムがないボウル状のグラスを3本の指で支持する形になっている。以前のグラヴナーではステム付きのラディコン・グラスを使用していたから、大きな進歩だ。いつも自宅で使っている磁器の“ピアラ”、つまりジョージアのワインカップの磁器バージョンで飲むと、さらにミネラル感は増すものの、味はよりジョージアに近づき、グラヴナーならではの静謐な気配と軽やかな上昇力は弱まる。グラヴナー・グラスで飲むと、ワインはより光を感じるものとなり、味わいの透明感が増す。
グラヴナーの製法をじっくりと観察すれば、どこかでガラスを使わなけばバランスが崩れるというのは飲む前から分かるはずだ。同じ理屈は以前ジョージアで私が毎日のように主張していた。ラマズ・ニコラゼのワインは昔は暗い味だったが、今では明暗のバランスがとれていると思わないだろうか。それは彼が私の意見を聞いて(私がそう勝手に思いこんでいるのではなく、彼自身がそう言っていた)、クヴェヴリの蓋をガラス製にし、クヴェヴリを埋める土の上部を砂(つまりケイ素)にしたからである。しかしそれはジョージアの伝統的ワインカップ、陶製のピアラでワインを飲むことを前提としている。生産から消費の全過程のどこでガラスをどのぐらい使うかが大事なのであって、つまりテロリックとコズミックの相反する力のバランスを取ることが目的なのであって、ひとつのステップ、手段だけを取り出してあれこれ言っていてもしかたない。
しつこいと言われようとも重要なので繰り返す。ガラスといえども通常のワイングラスではありえない。そんなものでグラヴナーを飲んで何かがおかしいと思わないような鈍感さではそもそも彼のワインを飲む資格があるとは思えない。しかしグラヴナーのワインは大変に高価だ。ワイナリーで買って55ユーロ。今までの投資を思えば、そして15ヘクタールの畑からたった2万5千から3万5千本という生産本数を考えても、この価格でなければ無理だろう。ここまで高価だと、超高級レストランで飲まれることになるはずだ。そしてそういう店では、通常のワイングラスに入れて、愚かしくもスワーリングして飲んだりするのだろう。そこでどんな会話がなされるのかさえ想像がつく。ああ、恥ずかしい。ああ、いやだ。ああ、考えたくもない。下世話な話、高級店で2、3回グラヴナーを飲むお金で、日本からヨスコ・グラヴナーに会いに行けるではないか。ごちゃごちゃ言う前に、オスラヴィアに行ってグラヴナー・グラスを買ってきなさい。
▲土壌はこの地独特のポンカ。場所によって泥灰岩のところもあれば、より硬質な砂岩に近いところもあるようだ。
マテイアに連れられて畑に行く。ビアンコ・ブレグのブドウ、つまりシャルドネ、ソーヴィニヨン、ウェルシュリースリング、ピノ・グリが植えられていた畑、Brecnik、Godenza、Polje、Puscaは2012年までに引き抜かれていた。「よい土地ではないところにブドウを植えてもしかたないから自然の森に戻す」という。「経営を考えたらそういう結論にはなりませんよね」と言うと、「そういう経済中心の考え方がワインをだめにしてきた。経営を思えば悪い年にはセカンドワインを造るという発想もあるだろう。しかしよい年と悪い年という区別をつけることも問題だ。よい年のほうがいいとどうして言えるのか。どんな年でも最上のワインを造ることが大事なのだ。その目的を思えば、どうしてセカンドワインなどという発想が出てくるだろうか」。それは、世間的には最低の年とされる08年と最高の年とされる09年を比較試飲してみれば分かることだ。むしろ08年のほうが私は複雑さがあっていいと思う。
ビアンコ・ブレグがまずいワインだとは思わない。ブレンドならではの多面性をもち、トロピカルな風味とねっとりとした質感は、いかにも暑いイタリアで北方品種を植えた味でもあり、またヴェネチア・ジューリアのポンカ土壌らしくもある。ブラインドで出されたら、十分素晴らしいワインだと評価する。しかし同年のリボッラと比較したら、どんな意味でも劣って見える。表層的で、物質的で、余韻がそっけなく、飲んだあとに魂を揺り動かす不思議な力が備わっていない。だから「2013年からはリボッラのみを造る」。ステンレスや樽発酵との併用を倫理的に嫌ってアンフォラ一本に集約し、今度は多品種を嫌ってリボッラだけにするとは、なんと潔い行動か。常にベストだけを求める飽くなき求道者がヨスコ・グラヴナーである。
彼のホームページを開ければ、冒頭に月齢カレンダーが掲載されていることからも分かるとおり、遅ればせながら、2011年からはビオディナミを始めている。なぜかといえば、単純に、環境によいと思われるからだ。「ビオディナミを採用したあと、1年で巨大な差が生まれると分かった。ビオディナミに反対する人たちはそれを神秘主義的魔術的だと言うが、それは科学的で論理的なものだ」。ちなみに80年代はグラヴナーでも農薬を使用していたそうだが、除草剤だけは使用しなかったという。「最近は大手がオーガニックを始めており、もちろん地球環境への負荷を低減するためには重要な動きではあるが、オーガニックマークの有無にとらわれるのではなく、その背後にある倫理を問題にしなければならない」。議論のテーマは変われど、こうして話を聞くと、グラヴナーの全行為には共通する思想があると分かるだろう。つまり、手段・表層ではなく、目的・意味をまず問え、そして必要な手段を採用せよ、そして打算と妥協を排して全力で取り組め。言うは易し。しかしヨスコ・グラヴナーはそれを誰よりも自らに厳しく行ってきた。だから誰もが彼を尊敬するのだ。
価格を思うと、大半が輸出されると想像していたが、現在の輸出・国内販売比率はほぼ半々。つまりイタリアできちんと評価されているということ。そうでなければならない。ヨスコ・グラヴナーはイタリアの誇りである。そして彼のリボッラは、疑問の余地なくイタリア最上の白ワインである。