ワイン産地取材 オーストラリア

2016.07.30

スワン・ヴァレー、Harris Organic Wines

 パース郊外のスワン・ヴァレーのブドウ栽培の歴史は長い。1829年に最初のブドウが植えられてから長らく、西オーストラリア唯一のブドウ産地として発展を遂げてきた。今でこそデンマークやマウント・ベイカーといった産地に着目されるが、それはここ何十年かの話でしかない。

 相当に暑く、1月の平均気温は24度超。年間降水量は167ミリ。前記したグレート・サザン各地のデータと比べて欲しい。土壌は新しい時代の肥沃な沖積土。つまり、フルーティで厚みがあってアルコールが高いワインができる土地だ。伝統的には酒精強化甘口ワインが多く造られてきたのも納得できる。

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▲ハリス・オーガニック・ワインの畑。スワン・ヴァレーは平地にブドウ畑が続く。



 スワン・ヴァレーのワインを日本で飲む機会は少ない。アルコールが高くてジャミーで緩いワインをあえて飲みたい人が今どれだけいるか。個人的にはそれもまた“らしさ”のひとつであっていいものだと思うが、最近の冷涼産地流行りとは逆行する。そもそも輸出する必要がない。オーストラリアは巨大な生産量がありながらも国内消費は4割もある。ましてスワン・ヴァレーのように、パースから30分で到着してしまう産地なら、パースの住民(都市圏人口200万人、州全体で250万人しかいないのに!)は近所のスーパーに行くかのようにワイナリーに直接ワインを買いに行く。スワン・ヴァレーは典型的地元消費ワインである。飲みたい理由があるなら、まさにそれゆえだ。海外向け上質ワインのきれいごと感、よそゆき感、冷淡さ等々が気になるなら、スワン・ヴァレーの海外無視の味は救いである。

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▲ダンカン・ハリスさん。

 ハリスはタスマニア出身のダンカン・ハリスが1993年にパースに移住し、1998年にスワン・ヴァレーに土地を買って創業したワイナリーだ。2006年にはこの地唯一のオーガニック認証ワイナリーとして現在の社名、ハリス・オーガニック・ワインとなった。畑じたいは1923年に植栽された古木である。

 ダンカン・ハリスの話は勉強になる。彼の言葉をそのまま引用しよう。「スワン・ヴァレーではシュナン・ブランとシラーズが多く植えられてきた。シュナン・ブランは1950年代まではセミヨンだと思われていた。この産地が発展したのはホートンのおかげ。昔ホートンはバーガンディーという名前のワインを大量に生産し、それはオーストラリアで最も売れていたワインだった」。「しかし最近はどこも販売が振るわない。90年代には隣のワイナリーの駐車場には週末は40台の車が停まっていたが、今では多くて5台。さらにはお客さんも昔は1ケース買っていったが、今では1本だけ。ロードサイドの酒屋やスーパーマーケットで買うようになったし、選択肢が多くなったし、情報が増えてワインファンはいろいろなワインを試すのが楽しみになったからだ」。「輸出するにはライセンスも必要だし、費用がかかるし、さらには官能検査を受けねばならず、それにも膨大な費用がかかる。その手間とお金を考えたら我々のような小さなワイナリーは輸出しても儲からない。セラードアかネットで自分で売ったほうがいい」。「地球温暖化によって過去30年で1度気温が上昇した。雨も850ミリから650ミリに減少した。2015年は500ミリしか降らなかった。しかし灌漑は不要だ」。

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▲2001年にオープンした小さなセラードアに並ぶワイン。日本に輸出はしていないが、個人客に発送はしている。



 想像どおり、辛口ワインより甘口ワインのほうが遥かにおいしい。白桃、ハニーサックルの香りのソフトなヴェルデホ、レモンとリンゴの香りのなかなか構造が堅牢で存在感のあるシャルドネ、赤系果実味のさらっとしたシラーズ、くっきりとしてフレッシュでかつ広がりがあるミュスカ・ア・プティ・グランといった辛口も、もちろん悪いわけではないが、全体に淡泊で弱い。スワン・ヴァレーの沖積土壌の限界か。

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▲酒精強化ワイン熟成中。



 しかし甘口は、特に酒精強化ワインは、これが同じ生産者の同じ畑のワインかと思うぐらいにエネルギー感があり、スケールが大きく、余韻が長く、圧巻の出来だ。ビビッドな果実味と垂直的な構造とやさしい包容力のある、ペドロ・ヒメネス・オーガニック・シェリー(08年と09年のブレンド)は、本家シェリーより軽快なリズム感があるように感じられる(私はオーガニックの本家ペドロ・ヒメネスを飲んだことがないのでうかつなことは言えないが)ほどだ。ヴィンテージ・ポート(ヴィンテージ・シラーズ)2014の滑らかでしっとりとして深い味わいは陶酔的なおいしさであり、ポート製法と同じく蒸留度の低いアルコールを使っていながら、本家ポートの最大の問題点である出自の不確かなアルコールによるえぐみがなく、上品で、かつ果実味がビビッドに立ち上がる。スケールは大変に大きく、余韻は大変に長い。ポートが好きならば、自家蒸留のオーガニックアルコールによる酒精強化がどれほどの品質をもたらすかを知る上でこれは必須のワインであり、ましてオーストラリアのポートが好きなら、逞しいバロッサのポートや鷹揚としたラザグレンのポートだけではなく、スワン・ヴァレーの柔和な(しかし自根ゆえの垂直性のある)ポートも選択肢に入れなければならないと実感するだろう。

 それにしても日本では酒精強化ワインの人気はないに等しい。なぜかシェリーだけは別のようだが、リヴザルトやモーリーやバニュルスのような酒精強化発祥の地のワインでさえ見かけない。オーストラリアのポートに至っては、、、、昔からオーストラリアのポートが最高だと言い続けている私は常に孤独な思いをしている。

 

2016.07.29

ペンバートン、Mountford

 マーガレット・リヴァーの名声の影に隠れているが、地球温暖化を考えるとこれからペンバートンはもっと着目すべき産地だと思う。なぜなら畑の標高が150メートルから250メートルと高く、ヒートディグリーデイズの数値は1394しかない。対してマーガレット・リヴァーは1690。生育期降水量はそれぞれ340ミリ、275ミリ。すっきりしっとりしたワインになるということだ。もちろんここは無灌漑、そして自根だから、構造の堅牢さやミネラル感はしっかりある。

 伝統的にはピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン、メルロといった品種で定評があるが、最近ではヴェルデホが人気のようだ。SilkwoodSalitageTantemagieBlack Georgeといったワイナリーがこの品種を作っている。どっしりした厚みのある果実味のヴェルデホの可能性は大きく、ステンレスで軽快に造ってもいいが、樽発酵・樽熟成に向く品種。フルボディタイプの白は少ないので、もっと注目されていい。他にはジンファンデルが注目されている。ここでは大変に伸びやかできめ細かい味になり、この品種の一般的イメージよりずっと酸がある。ジンファンデルの知られざる美しさを発見できる。

オーストラリアは本当に多様性があり、あちこちで興奮させられる新発見が続く。しかし日本では知られていない。私はオーストラリアワインのマニアでもなんでもなく(まあ、どの産地に関してもマニアではない)、たまに口にする程度だが、「オーストラリアの白で好きなのは?」と聞かれたら、「ジオグラフのアルネイスとペンバートンのヴェルデホ」と答える。答えたところで「やっぱりそうだよね!」という相槌が返ってくるかどうか。日本にはオーストラリアワインファンが何万人といる。南オーストラリアのシラーズとヴィクトリアのブルゴーニュ品種は素晴らしいだろうが、それで終わってしまってはあまりにもったいない。似たり寄ったりのワインばかりで楽しいのか。狭い範囲の中での優劣競争がオーストラリア的なのか。ペンフォールドのグランジで始まるラングトンの格付けに登場するワインを網羅すればオーストラリアワインがは“アガリ”ではない。むしろそれ以外のところで、どれだけ自分らしい趣味のワインを探し求めることができるかが重要であって、そこが楽しいのだ。ボルドーのような超古典的格付け大好き産地でさえ、格付けシャトーを全部飲めばボルドーが分かるわけではない。まして自由と創造性の国オーストラリアに対して、そういう表層的な貴族趣味を持ち込んでいいのか。

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▲マウントフォード・ワイナリーに続く道から、畑を臨む。

ペンバートンで最初の(2003年)認証オーガニックワイナリー、マウントフォードは、貴族趣味とは無縁の、フロンティア・スピリッツに溢れた農民のワインである。アンドリュー・マウントフォードがブドウとリンゴの栽培の最適地を求め、直観でこの地にたどり着いた時には、ペンバートンは完全なる未開の地だったという。電気水道がないのは当たり前。ワイナリーを建てようにも建築資材もなければ建築業者もいない。だから彼は自分で土を掘り、焼いてレンガを作り、森の木を伐採して材木をこしらえ、独力でワイナリーを建てた。今の日本でそんな逞しい人間がどれだけいるだろうか。私がそんな状況に置かれたら数日で死んでしまうだろう。19世紀ならまだしも、現代の話なのだ。この情熱、気概、実行力、そして自主独立の精神がオーストラリアらしい。他産業で富を築いて高名な建築家にワイナリーを建てさせ、高名な栽培家と醸造家を雇い、最先端の技術を用いて、重量級の瓶と木箱に入った超高級ワインを造る人がいてもいいが、ひとりの人間として尊敬できるのはマウントフォード氏のような人物だ。

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▲オーナー夫妻が自分たちだけで建てたワイナリー。趣味のログハウスといったレベルの仕事ではなく、空恐ろしい執念を感じるほど。二階は現在は訪問客のためのレセプションルームやミュージアムになっている。


品種こそ、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン、ボルドー基本3品種という伝統的なものだが、それはこのワイナリーが1987年創業というこの地でも最古参のひとつだからだ。当時は入手できるブドウの苗は極めて限られていた。植物検疫に対して非常に神経をとがらすオーストラリア(入国時の検査を知っているだろうか?)では今でも選択肢は少ない。

その中ではSelect Chardonnay 2010の朴訥とした温かみや鷹揚としたスケール感が印象的。不思議なぐらいリンゴっぽい。リンゴのお酒と言われても納得してしまいそう。ブドウ畑とリンゴ畑は隣接しているし、シードルも製造しているのだから、なんらかの影響があるのか。造りじたいは素朴だし、コンテストに出品して高得点を取るたぐいのワインではまったくないと思うが、説得力、存在感がある。ようは自然な味なのだ。

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▲一階のテイスティングカウンターでは自家製はちみつ等も売っている。ワインの他にはサイダーが名物。基本的な味の構成はワインとそっくり。畑と人が同じなら果物の種類が異なってもある意味同じ味になるのだとよく分かる。



冷涼産地らしい酸と適度な緊張感を備えたCabernet Sauvignon-Cabernet Franc-Merlot 2009も素晴らしい。このワイナリーには単一品種のワインもあるが、やはりボルドー品種ワインはこの3品種ブレンドが基本だろう。全体の構成力、複雑さ、スケール感が違う。すかした味になりがちなボルドー品種ワインの中にあって、このざっくりとした温かみと自然な質感はむしろ貴重。緩そうに見えてその実、非常に強いミネラル感が全体を底支えする点も評価できる。

オーストラリアワインは、日本で見かけるような、大手大量生産の完成度の高い工業ワインか、それとも狙った感のあるナチュラルワインか、だけではない。Mountfordのような、まっすぐな自然さと人間味に溢れたワインにこそ、私はオーストラリアを最も感じることができる。

 

 

2016.07.27

デンマーク、La Violetta

 センスのよいワイン、そしてなんともキャッチーなネーミング。新世代オーストラリアワインらしい自由な精神が横溢するワイナリーである。

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▲デンマークの中心にあるワインショップで待ち合わせ、町はずれにある彼の家でテイスティング。



カステリ社のセカンド・ワイン・メーカーを2008年から2014年まで務めていたアンドリュー・ホードリーが2008年にデンマークの地でたちあげた会社。ブドウ畑は所有せず、畑のコンサルタントとしての豊富な情報をもとに優れた畑のブドウを買って14種類のワインを仕込む。ひとつひとつは少量生産であり、総生産本数は2万5千本しかない。

すべてが先鋭的実験ともいえるワインなだけに、すべてが毎年成功するとは限らない。リースリング、ゲヴュルツ、ヴィオニエのブレンド、Ye-Ye Blanc 2016は統一感がないし、ゲヴュルツ、リースリング、グラウブルグンダーのブレンド、Ü 2017は香りが焦げていて抜けが悪い。シュナン・ブランとカベルネ・フランのブレンドによるロゼの弱発泡酒Frank Nat 2015は、フランク・シナトラの名曲、Strangers in the Nightのエンディングから採られた有名なフレーズ、( do be do be do ) を副題としてラベルに記しているぐらいだから、大人の色気的なくすぐりを期待していなのだが、味は真面目で、妙に意識が覚める。デビュー作として2010年に登場して以来評価の高いシラーズ、La Ciorniaは1エーカーあたり05トンの収量しかない凝縮したブドウでできるだけあって、内容の濃い味ではある。デンマークらしい鉄鉱石土壌が高密度なミネラル感をもたらし、まるでコート・ロティ的なスモーキーなベーコンとスパイスの香りを表現する。しかしそのロシア語のワイン名(濃い色、ないし比ゆ的に魅力的な女性)から連想する味とは異なり、どこか知性優位の表面性を漂わせてしまう。頭脳明晰で技術に優れた人が目的意識をもってワインならではの負の側面だろうか、謎がなく、淡々として、客観的には非の打ちどころがないのに、興奮しない味なのだ。

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▲どのワインも個性的ながら、見事にその土地らしさを伝えてくれる。独創性と普遍性のバランスのとり方に、知性と技術力を感じる。



しかし成功する時には驚異的な成功を見せる。どう考えても正攻法のピュアなワインのほうが向いているのではないか。その代表的な例がリースリング100%を樽発酵して無清澄無濾過で瓶詰めしたDas Sekling 2015 だ。自根ならではの悠然とした構えと大地に根をおろした堂々としたミネラル感。飲むとのけぞるような桁外れのエネルギー感。厳格な酸と絶妙な甘さのバランスも素晴らしく、余韻は大変に長く、フォーカスがにじまない。すごいワインである。オーストラリアのリースリングの中で最上の一本だろう。よくあるステレオタイプなオーストラリアリースリングの固くて小さくて酸っぱいスタイル重視、品種の個性重視の味ではなく、唯一無二の世界を表出しているという点で、最上なる表現よりも別格、別次元と形容すべきなのかも知れない。

リースリングとシラーズの出来はオーストラリアじゅうで優れているのが普通だから、両者のブレンドである弱発泡酒Spunk Nat 2016のおいしさは想像どおりかも知れない。しかし実際は想像を超えるものがある。イチゴとライムの合わさった爽快かつチャーミングな香りの、良質な、良質すぎるほどに良質なワイン。伸びやかさ、余韻の長さ、味わいの躍動感、ミッドの充実感は、こうしたペットナットにありがちな、飲みやすいカジュアルなランチ用ワインの範疇を気持ちよく逸脱する。素材の出来が違うという印象だ。

ジオグラフの砂質土壌に植えられたガルナッチャ、マタロ、テンプラニーリョのブレンド、Almirante y Obispo GMT 2012 も素晴らしい。ダークチェリー、ハーブ、ドライフラワー、黒いスパイスの香りと、なめらかな質感と厚みのある果実味の、ゆったりしたうねりと軽快かつ長い余韻のワイン。テンプラニーリョの硬質なタンニンがガルナッチャのソフトなタンニンをかき乱さないよう、前者はたった4日間のマセラシオンを行ったマストのみをブレンドする。これは常人には思いつかない冴えたアイデアだ。

そしてマウント・ベーカー、Forest HillColline-Foret畑のカベルネ・ソーヴィニヨンに少量のマルベックをブレンドしたLe Rayon V 2013。見事な垂直性と整然とした形。なめらかでいて強く、酸はしっかりしてボケず、パワフルであっても前のめりにならず、品位が高い。

こうした成功例にすべて共通するのは、透明感のある果実味、緻密なミネラル感、細かく躍動感のある酸、卓越した下方垂直性、極めてなめらかな質感、そして伸びのあるしなやかな香りである。それらはまさに西オーストラリアの美点であり、この地の偉大なテロワールの力を示すものである。

デンマーク、Rising Star

 野心的な名前のワイナリーである。その含意は、自分自身がライジング・スターになること、冷涼産地デンマークがシャンパーニュ品種による発泡酒のライジング・スターになること、そしてワイナリー創業者ポール・ハイアットが幼少の頃に多大な影響を受けたという祖母がアメリカ合衆国テキサス州イーストランド郡ライジング・スター町の出身であること、だと言う。

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▲まるで普通の家のような小さなワイナリー。人物は、オーナーのポール・ハイアットさん。3年前まではパースに住んでデンマークまで通っていたそうだ。



 ハイアットさんはもともとはテキサスの石油産業に従事し、豊かな暮らしをしていたそうだ。その時に飲んだクリュッグ等数々のシャンパーニュの名品に触発され、自分でもシャンパーニュ製法のワインを造ってみたくなった。しかしカリフォルニアのブドウ畑は法外に高くて買えない。そこで冷涼なデンマークの地を見出し、アメリカから移住した。20059月のことである。買ったのは1989年にパースの医師イーン・マグリュー氏が植えた畑。これは1986年のティングルウッドに続き、デンマークで最も古い畑のひとつだ。もともとはリンゴ畑と牧草地だったという。

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▲畑の南側から撮影。土壌はKarry Loam (ケリー・ローム)、オレンジ色をしたロームだという。デンマークらしく、特徴的な褐色の鉄鉱石を含む。



 畑は家のすぐ前にある。当初はライラ仕立てだったが、べとかび病になるし、機械収穫ができないので、現在はVSPに仕立て直している。基本となるシャルドネは2007年に植えたクローン7。酸が出るクローンである。

 そのシャルドネがすごい。スティルの2012年でも、スパークリングの2010年でも、だ。とにかくスケールが大きい。ゆったりとした質感の厚みがあり、奥からもりもりと力が湧きだしてくるかのよう。逞しい構造や垂直性や力強い酸も見事だ。そもそも私はめったに新世界のシャルドネに心惹かれない。くっきりとした神経質な方向性もぼってりとした緩い方向性も(だいたいはどちらかに傾く)いいとは思わないからだ。しかしライジング・スターのシャルドネは堅牢でいて豊満、大きくともディティールに富み、陽気な性格の中に多彩な要素を内包している。驚くべきことに、スティルでもMLFなし。それがビビッドな酸とリッチな果実味の大きなコントラストと心地よくリズミカルな動きを生み出す。まだまだ改良の余地はあるとしても(オーガニックしてほしい)、既に驚嘆すべきレベルである。

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▲ラベルにはシャルドネと書いてあるが、実際はシャルドネ92%、ピノ・ノワール8%。それは正しい方法で、世界じゅうどこでもそうなのだが、なぜ多くの人はすぐに100%にしたがるのか。そこに自己満足以外なんの意味があるのか。ピノ・ノワールは斜面上に2007年に植えられているが、病気に弱く、10年のうち3年しか収穫できないそうだ。ピノ・ムニエも300株植え、2013年は3品種のブレンドになるという。

 初ヴィンテージは2009年。つまり、素人が新天地に移住してすぐに造ったワインがこの圧巻の出来だということ。ハイアットさんの情熱とそれまで隠れていた才能のおかげだとしても、なんでこんなことが可能なのか。これが可能だとしたら、熟練のワインメーカーが長年取り組んでもたいしたワインにはならないあまたのシャルドネをどう考えればいいのか。これはもう、デンマークのテロワールが別格的に優れているとしか説明のしようがない。

 それにしても、だ。オーストラリアのシャルドネ、いや新世界のシャルドネの最高レベルの産地としてデンマークの名前が挙がるのを聞いたことがない。西オーストラリアといえばマーガレット・リヴァーどまり。オーストラリア全体でもいまだにヤラ・ヴァレーとか言われる。その程度で「アガリ」でいいのか。オーストラリアには偉大なポテンシャルが未発見なまま残されている事実だけは認識してほしい。

ポロングラップ、Zarephath

 アルバニーから北に40キロ、ポロングラップの地。小高い山中に1995年に創業されたのがザレファスである。ザレファス(日本語ではザレパテ)は旧約聖書列王紀上に登場する地名であり、現代のレバノン南部サラファンの近くにあった町だ。長くなるが、聖書の当該箇所を引用すると、

7 しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。

8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、

9 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。

10 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。

11 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。

12 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。

13 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。

14 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。

15 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。

16 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

(日本聖書協会の聖書から)

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▲ザレファスの外観。

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▲オーナーのロジー・シンガーさんとイアン・バレット=レナードさん。


 創立したのはキリスト教系カルトの信者たち。この地で自給自足の信仰生活を営んでいた。もちろんワインはミサには欠かせず、収入を得るためにも必要だったのは、中世の修道院と同じだ。しかし彼らは高齢となって修道会は解散。ワイナリーは売りに出され、2013年に現在のオーナーであるロジー・シンガーさんとイアン・バレット=レナードさんが買って今に続く。それがイアンさんの話だが、あとでネットで調べてみると、アルバニーに上陸した13人はカリフォルニアから来たアメリカ人。リーダーは、イスラエルの会社から船を盗んだり(それでオーストラリアまで渡ってきた)、児童誘拐(カルト教団らしく、彼らの学校に入った児童を親に返さなかったという訴え)したり、カリフォルニア州から不正に補助金を受けたり、と、どうもろくでもない人物。彼が80年代半ばに逮捕されたあと残された女性3人と男性3人の信者たちが放浪の末たどり着いたのが、このザレファスのようだ。旧約聖書を読んだあとに事情を知れば、なんともやるせない、なんとも苦しい気分になる。

 彼らが造っていたワインは在庫がわずかに残っていた。カベルネ・ソーヴィニヨン2008年である。驚異的な味の、いったん飲んだら忘れられないほどのワインだった。新オーナーになってからのワインも素晴らしい。しかし教団時代のワインは次元が違うのだ。

 さて、これをどう考えればいいのか。私はカルト教団を支持も弁護もしないが、それでも信仰がワインに聖なる力を与えたとしか言えない。何に似ているかといえば、クロ・ド・ベーズだ。透明感の中にある崇高な力強さと気配の大きさ。後方定位と運動性。揺らぐことない垂直性。しなやかでいて強靭なピアノ線的タンニンと酸。そこにきれいごとでは終わらないダークな血っぽさが影を差す。特に地中深くから天空に向かって伸びる力の存在感は西洋の接ぎ木ワインの比ではない。現代風の洗練とは程遠くとも、皆がほめそやす類の表層的きれいさを一笑に付す精神性が聳え立つ。ワインの味のみに着目して言うなら、これはまさに修道院ワインの窮境である。想像でしかないが、この地にたどり着き、外界との接触を断って暮らしていた教団信者たちは、ひたすら純粋に神の声を聞こうとして、ブドウに向き合っていたのではないか。何を信じていたのかはこの際重要ではないのだろう。営利目的ではなく、より高次の精神的な何かのためにワインを造っていたことが重要なのだ。それは明らかにワインを飲めば分かる。このような非コマーシャルなワインを知ってしまえば、世の中の大半のワインがワインの名を騙るただのアルコール飲料にしか思えなくなってしまう。

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▲中はテイスティングができる心地よい雰囲気。水道が通っていないため、雨水をためて使う。飲んでみると想像以上に塩辛い。海の影響を感じる。

 前オーナーのワインの話ばかりをした。現オーナーは以前はオーストラリア中央部で羊を飼っていたそうだ。ワイン造りに関しては何も知らない。だからワインメーカーとして、近くにある大きなワイナリー、キャッスル・ロックのロバート・ディレッティを招いている。ディレッティは自分のワイナリー以外6軒ほどと契約しているそうだ。しかし自然の中でずっと暮らしてきたからブドウの声は聞こえるのだという。

 栽培は普通のリュット・レゾネのようだ。「オーガニックはマーケティングでしかない。何をすればいいか、認証団体に指図されなくとも自分で分かる。なぜ大金を払って若造にあれこれ言われる必要があるのか」と、イアンさん。かっこいい。自主独立の精神が太い指、深い皺、力強い目から伝わる。オーストラリアの農家はこうでなくては。個人的にはもちろんオーガニックのほうがいいと思うが、それは当主がそう思って決めるべきこと。当人がいいと思うやり方をして当人が心地よいほうがいい。

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▲ワイナリーの前にあるリースリングの畑。灌漑パイプが通っているが、水のためではなく、肥料のため、つまりファーティリゲイションだ。この地の年間降水量は500から600ミリ。

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▲畑の土壌は、イルガン・クラトンで典型的な、20数億年前の花崗岩が風化した粗砂。

 畑にはカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、ピノ・ノワール、シラーズ、シャルドネ、リースリングが自根で植えられている。たとえばリースリングとカベルネは東向きと北向きの斜面に、シャルドネは南東向きと東向きの斜面の区画が与えられている。「二つの区画に植えて複雑性を出す」という考えは理にかなっている。土壌はポロングラップすべてと同じく花崗岩である。

 ピノは下半身が弱く小さく、シラーズは味がつぶれて短いが、冷涼なレモン系風味とまるでリースリングのようなタイトな構造をもつシャルドネは、十分なクリーミーさがあってもダレず、味わいの要素がくっきりとしたコントラストをもって立ち上がり、形が垂直的で、余韻が長い。しなやかでふっくらとした質感の、いかにも花崗岩土壌なリースリングは、この地の個性をよく示す。辛口と甘口のふたつがあるが、前者のミネラル感と構造、後者ののびのびとしたフルーティさ双方ともに見事だ。

 現オーナーのもとでさえ、ザレファスのワイン(試飲したのは初ヴィンテージ2013年だ)は深々とした訴求力があって、精神の集中を要求する。これがワイン造りの経験ゼロの人の最初の作品とは思えない完成度。聞けば畑の裏山はかつてアボリジニーの聖地だったという。ここには何か特別な力が宿るパワースポットだということか。


 

2016.07.26

デンマーク、Yilgarnia

 オーストラリアは東部の地質は新しく、西部は古い。西オーストラリアのワイン産地の多くは26億年前から30億年前という地球上でも屈指の古い地質、イルガン・クラトンの上にある。ネットでイルガルニアという名前のワイナリーを見つけた時、私は「おお!」と思った。イルガン・クラトンから名を取るワインが、テロワールの味がしないわけがない。本当にこの先にワイナリーがあるのだろうかと運転中に不安になるほど何もない土地を延々と通り抜け、イルガルトンにたどり着いた。


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▲宿泊したアルバニーから内陸のデンマークに至る道は通り過ぎる車もなく、見るのは広大な牧場に点在する牛の姿だけ。



 場所はグレート・サザンのデンマーク。冷涼なだけではなく、年間降水量が900ミリと多く、曇りがちで湿度は高め。オーストラリアでは果皮が焦げたようなスパイシーな風味がみられるワインが多いが、このような天候ゆえにワインの質感はしっとりしており、タンニンもなめらか。ストレスが少ないために気孔が閉じることも少なく、ゆえに光合成は活発に持続し、しなかやに豊かな果実味が得られる。そして畑の土は鉄鉱石の礫が多く混じる。pHは大変に低く、平地部分で4.0、斜面部分で4.5。余りに低いため、石灰を漉き込む必要がある。あきらかに鉄っぽい土といえば、ポムロールからサンテミリオンの一部に見られる高名なクラス・ド・フェール、そしてカオールの一部。濃厚な色と逞しく高密度な味わいだということが飲む前から分かる。

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▲イルガルニアの外観。



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▲家の前に広がる所有地。手前で花を栽培し、反対側斜面でブドウを栽培する。

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▲ゆるやかな斜面に広がるブドウ畑から家側の斜面を見る。

 イルガルニアの歴史は、ヴィクトリア出身のピーター・バクストンさんが1962年(子息アンソニーさんによれば。彼らのホームページによれば1963年)にここに土地を買ったことに始まる。当時は完全に未開の地。土地の値段は低く、彼にとって買える土地はここぐらいしかなかったそうだ。他にも牛を200頭ほど飼う農場を営んでいたが、それは十年ほど前に売ったという。彼はまず花卉栽培で成功。それは今でも続けている。デンマーク独特の気候は花の色づきをよくするため、彼らの高品質の花は人気が高いらしい。その資金をもって念願だったブドウ栽培を始める。今ではワインの売り上げは農場収入の三分の二を占めるまでになった。デンマークは南アフリカの一部と並んで最も植物の種類が多い土地らしく、その数は2、3千種類と、アマゾンよりも多いという。つまり花であれブドウであれ、デンマークは植物にとって地球上最も居心地がいい土地のようだ。花とワイン以外に、彼らはメロン、つまりオーストラリア大ザリガニの養殖を行っている。またワイナリーにはレストランが併設され、採れたばかりのザリガニ等の料理を提供している。それにしても今でも人の姿さえ見かけないへき地の中のへき地。ワイナリーにたどり着くまでも牧場以外は自然の森林しかない。誰がレストランに来るのかと思うが、それは冬だからで、季節がよければ観光客が多いらしく、「アルバニーには年間50万人が訪れる」そうだ。

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▲ヨーコさんとアンソニーさん。


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▲畑の中に多くみられる鉄鉱石。

 農場の仕事はアンソニーさんと日本人の奥様ヨーコさんのふたりですべてを行う。朝から晩までいろいろな仕事で働き詰めだ。ワインの質がおろそかになってしまうのではないかとの危惧は無用だ。失礼ながら、どうしてこういう普通の人たちが突然ワインを造りだしてこんなレベルの味になるのかと驚くほど、圧巻の高品質である。

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▲メルロとスパークリングシラーズをはじめとするイルガルニアのワイン。



 特に成功しているのがメルロ。それは土を見て想像がつく通りだ。この品種は成功する時は素晴らしいが、成功する時などめったにない。世界じゅう優れたカベルネ・ソーヴィニヨンやカベルネ・フランはあっても、ボルドー右岸以外、どこに優れたメルロがあるというのか。だいたいはストラクチャーの欠如、余韻の短さ、シンプルさ、そして新世界の場合なら焦げた苦み等が気になってしかたない。しかしイルガニアのメルロはしなやかでなめらかでいて濃密で骨格がしっかりしており余韻が長い。デンマークの気候と土壌の美点がそのままに表れたような、世界トップクラスのメルロである。これで栽培がオーガニック、欲を言うならビオディナミになったらどんなに素晴らしいかと思うが、地元消費が7割を占めるこの小さなワイナリーに今以上の仕事は無理だろうし、人を雇ってそうしたなら売価を上げるしかなく、そのためにはマーケティングが必要だし、たぶん輸出市場への進出が必要となってくる。それはそれでマイナスも大きいし、なによりリスクがある。

 デンマークのテロワールの素晴らしさはシラーズにも反映する。鉄分の要素が影響するため、ここのシラーズはコート・ロティの北側、例えばグラン・プラス畑のような味だ。この力強さは熟成によってさらに魅惑的な複雑さへと進化していくだろう。スパークリング・シラーズも驚異的なおいしさだ。通常ならスパークリング・シラーズなど、バーベキュー用のカジュアルワインどまりになるだろうが、イルガルニアの場合は逞しい骨格、強靭なミネラルがあるため、適度な甘さと合わさって、正面から向かい合って鑑賞するに足るバランスのよいワインとなる。明らかに白ワインに向く土壌ではないため、白は固さが目立って少々品位に欠け、お勧めはしない。

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▲ワイナリー玄関入ってすぐにレストランスペースがある。

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▲この巨大ザリガニを採り、茹でて食べた。

 ランチは目の前の養殖池で採ったばかりの大ザリガニをいただいた。ただ茹でただけ。おいしいが、正直、大味。「なぜ頭や殻をつぶしてソースにしないのですか」と聞くと、カナダやドイツで調理経験を積んできたヨーコさんは、「日本人ならばそうするほうがいいと思いますし、そのほうがおいしいのですが、オーストラリアの人たちはシンプルに茹でただけのザリガニしか好まないのですよ」と。なるほど、オーストラリアらしい。あれこれいじらず素材をストレートに味わおうとする姿勢は、それはそれで文化であり、尊重すべきだ。ワインも本来ならそうあってほしいし、そうでなければオーストラリアらしいとは言えない。ところが多くのオーストラリアワインは補酸やタンニンパウダーによって本来の素材の味を壊す。素晴らしいテロワールなのだから、自らの自然の恵みをもっと信頼すべきだ。イルガルニアの衒いなくストレートな味わいのワインを飲むと、つくづくそう思える。

 

2016.07.25

マーガレット・リヴァー、Graylin

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 日本では無名だ。しかしここは、知っておくべきワイナリーである。

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▲写真を見て分かるとおり、ここは海から近いといっても標高100メートルの丘。羊を畑の中に放して雑草を食べさせる。実質オーガニック栽培。無灌漑。

グレイリン(オーナー夫妻の名前、グラハムとメリリンから)の創業は1975年。この産地最初の生産者ヴァス・フェリックスの創業1967年、モスウッド1969年、ケープ・メンテル1970年、カレン1971年、サンダルフォード1972年、ルーウィン、ウッドランズ、ライツ1973年に続く初期のメンバーだ。場所はマーガレット・リヴァー北部ウィルヤブラップ、海から3キロの、ヴァス・フェリックスのすぐ隣。ちょうどボルドーのメドックと同じようにゆるやかに盛り上がっているよい形。どの産地でも同じく、よい畑がそんなにどこにでもあるわけではない。


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▲創業者グラハムとメリリンのハットン夫妻。グラハムさんは牧畜業出身、メリリンさんは化学者。現在は子息である農学博士ブラッドリーが中心となってワインを造る。彼は土壌の専門家だという。

セラードアは1978年に開設、86年にはマーガレット・リヴァーで最初のワイナリー併設レストラン(自分で調理・サービスしたそうだ)の開店と、オーストラリアのワインツーリズムの中心地たるマーガレット・リヴァーの現在の繁栄の基礎を築いたという歴史的貢献も忘れてはいけない。「他人に頼らない。なんでも自分でやる」というオーストラリアスピリット、尊敬すべき自主独立の姿勢が彼らのワインを支える。そこを評価しないなら、オーストラリアワインの最も素晴らしい点を見過ごすことになる。

無名なのもしかたない。「ワインはすべてセラードアかオンラインのみで販売。中間業者を置かない」という彼らのポリシーゆえだ。つまり、基本的に地元消費ワインなのだ。顔の見えない外国の移り気なマーケットに依存するワインより、顔の見える具体的な地元の個人と直接につながっているワインのほうが、リアリティのある味になるものだ。生産者と消費者が共有する「らしさ」の観念が無意識にもそこに反映するからだ。マーガレット・リヴァーでは極めて珍しく、ポートフォリオの多くを酒精強化ワイン(オーストラリアワインの昔からのファンならそれが伝統的にどれほど重要な意味があるかは知っているはずだ)が占めるのも、いかにも地元で長く根付いてきたワイナリーならではだ。

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▲表にはモダンなテイスティングカウンターやショップが新築されているが、裏には創業初期の手作りのセラードアが残っている。この温かみのある人間的な雰囲気がいい。



とはいえ、ここはもともとはワイナリーではなく、牧草地。畜産業を営むべくハットン夫妻が1968年にこの地に移り住んだのだが、地元産のワインを飲んで感激し、4・5ヘクタールにカベルネ・ソーヴィニヨンを植えたのが始まりだ。幕開けは偶然に近いとはいえ、ワインを飲めば彼らの判断の正しさが分かる。マーガレット・リヴァーの中でもここはクリュと呼んでいい味。抜けのよさと腰の据わり、流れのスムースさとリッチな厚みが両立している。譬えて言うならポイヤック的。マーガレット・リヴァーは場所によっては砂地なので抜けのよさは得られるにせよ、後半の押さえが効かないワインが散見される。しかしグレイリンの畑は砂利質ロームの表土の下1・5メートルには粘土がある。それゆえ無灌漑。マーガレット・リヴァーは年間降水量は1000ミリを超えるが、夏季は厳しい渇水となり、春季までの降水を土壌中に保水できる粘土の存在は極めて重要だ。無灌漑ならではのミネラル感、下方垂直性、構造の堅牢さ、余韻の安定感はさすがである。灌漑の味は好きではないと常々言っている。灌漑なしでは枯れてしまうではないか、と皆に反論される。それは灌漑しなければならない畑に灌漑しなければならないブドウを植えるから(砂地にシャルドネ等)そうなるのであって、その前に、灌漑しなくともよい畑に適切な品種を植えることが前提ではないのか。フィロキセラのいない西オーストラリアだからもちろん自根。十分な古木。無灌漑。そして実質的オーガニック栽培。これでまずいワインが出来たら罪悪だ。

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▲シンプルで機能的な発酵室。

代表作、リザーブ・カベルネ・ソーヴィニヨン(2010年)は軽やかだが三次元的な広がりと勢いのよさと緊密な垂直的な構造があり、オーク樽の要素もよくなじみ、マーガレット・リヴァーのカベルネらしいフローラルな香り高さ、そして内陸のカベルネとは異なりしっとりした湿度感を見せるタンニンの質感が心地よい。久しぶりにマーガレット・リヴァーに来て、素直に、やはりすごい産地なのだ、と確認した。早摘み傾向がみられる現在のオーストラリアで、このように熟した安定感とリッチさがあってなお上品なワインは貴重である。

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▲マーガレット・リヴァーのカベルネならではの冷涼な風味としなやかな上品さ。これはリザーブの名がつけられる08年より前の07年のワイン。

樽不使用のアン・オークド・カベルネ・ソーヴィニヨン2015年が特に気に入った。樽に邪魔されないピュアな果実味とビビッドな酸、垂直的構造、そして飲んだあとの見晴らしのよさがいい。もともとの畑やブドウの質がよくなければ、こうはならない。アルコール度数は115度しかなく、pHは驚くべきことに3.3台。その強い酸と16、3グラムの残糖がバランスする、珍しい微甘口カベルネ。カジュアルでオープンなパーティー用(こういうのを女子会向けというだろうか)ワインのようでいて、緻密なミネラル感がさりげなくあり余韻も乱れず長い。輸出向けワイナリーや高評価狙いワイナリーなら、こうした作品は造らないだろう。だが、このようなワインを造ることができる自由な精神がオーストラリアの魅力なのだ。

自由すぎるほど自由な精神が生み出した傑作が一連の酒精強化ワインの中でも特に目を惹くホワイト・チョコレート・フォーティファイド、コーヒー・フォーティファイド、チョコッレート・ルビー・フォーティファイドである。それぞれ、名前のごとく、ホワイト・チョコレート風味、コーヒー風味、チョコレート風味。ブドウと素材を一緒に発酵させるようだ。冗談にしか聞こえないとしても、これがまじめに完成度の高い作品。考えてみればチョコレートもコーヒーも発酵食品だから、発酵酒となじみがよくて当然かもしれない。ともあれ、それらは普通のワインとして見た場合の評価軸からしても優れている。複雑で大きく力があって構造がはっきりしていて余韻が長い。これまたもともとのブドウの質がよくなければありえない話だ。とはいえもともと遊び心のあるワインだから、肩に力の入っていない、楽しい雰囲気がする。真面目な内面と、楽しい外面。いかにもオーストラリアではないか。